隠岐紀行

***目次***
1.出雲へ

2.島後(とうご)・西郷港
3.島後の西北部へ
4.浄土ヶ浦海岸・白島海岸
5.都万(つま)・那久岬
6.本土へ、カーフェリーしらしま

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出雲へ

   寝台特急は、9月13日6時半に岡山でサンライズ瀬戸を分離し、サンライズ出雲単独になった。次の停車駅倉敷から伯備線に乗り入れて中国山地を横断する。のどかな秋の日射しが降り注ぐ好日だ。そののどかさに全身を任せてもうろうとした頭で午前中の予定を考えた。―― 隠岐へ渡る船は午後の乗船で、昼飯・昼酒に時間を費やしても、さらに充分な余裕がある ――。この時、二週間ほど前に立案した予定表を持参していないことに気付いた。
  どうせ大した「予定」ではないから、ダメージもないようなもので、持参した一畑バスの時刻表で港への連絡バスが2時13分に松江駅前から出ることを確認すると、あとは列車の終着駅まで行くことにした。取り敢えず一番怠惰な選択だ。 個室寝台に身を横たえ、二階席の眺望良さを楽しむ。
  定刻10時5分、終点出雲市駅に到着。JRを利用して今通ったばかりの路線を戻るには愚かしい。幸い一畑電鉄という鄙びたローカル線が松江しんじ湖温泉駅まで通じているから、これを利用するつもりでいるものの、今からでは松江に着いてから時間を持て余す。駅前の案内地図を眺めてはみたものの、思い付くのは出雲大社ぐらいしかない。
  タクシーは市街地をすぐに抜け、たわわに実った稲穂が燦々と太陽を浴びて波打つ田圃の中を行く。出雲平野は稲刈りの最盛期だ。大社を訪れるのは10年ぶりのことで、当時とは道も異なっているらしい。駅から10分ほど走ると、右手に黒瓦の立派な建物が見える。運転手が旧国鉄大社駅だと教えてくれた。間もなく正面に巨大なコンクリート製の鳥居が聳え立ち、表参道が真っ直ぐ延びている。しかしタクシーは迂回して車道を1キロ弱走り、おくにがえり会館の前に停車した。拝殿に車でアプローチするにはこれが歩行距離最短となるらしい。

 表参道から眺める拝殿と本殿。

  出雲大社

 おくにがえり会館のすぐ先は境内で、玉砂利の向こうに拝殿、さらに八足門越しに本殿の屋根が見える。神社仏閣を拝む気持ちは毛頭ないけれど、参道を経ることなくいきなり中心部へ踏み込むのは、裏口からこっそり入り込んだような、どこか落ち着かない忸怩たるものがあった。
  とはいえ、咎められているわけでなし、数枚写真を撮ってから拝殿を半周し、八足門から本殿を垣間見た。これ以上することもなく、青銅鳥居をくぐって神域から退去する。
  脇の方から三脚に大型カメラがセットしてあるのを担いで若者が現れた。引きずってきた物を鳥居の正面に据える。「出雲大社」と白字で大書されたのに日付が入っている。記念撮影用らしいけれど、神域の風景を汚染すること甚だしい。撮影される対象は一人も姿を現していないから、当分この状態が続くらしい。景観を私物化して他人の迷惑を意に介さない不愉快な写真屋だ。
  小砂利の敷かれた表参道を退去した。キャリーに付けたバッグを引っ張る者にとっては歩きにくい道だが、500メートルほどなので辛抱する。先程タクシーから見掛けた大鳥居で砂利道は終わった。
 

 鄙びた出雲蕎麦の店。
 
 割子蕎麦。

    出雲蕎麦

  眠たげな「表参道商店街」の幅が狭い歩道を南へ歩く。時刻は11時を廻りそろそろ昼飯(酒)にしても良かろうと、周囲に目を配りながら行く。タクシーから眺めて思い出したことだが、この辺りは出雲蕎麦の中心地だ。ならば松江界隈でつまらない昼飯よりや蕎麦で一杯が勝ると思っていた。
  あまりに観光客相手が表へ透けて見える所は嫌だ。そんな嗜好に叶った店が見付かった。しかし一畑電鉄の出雲大社前駅は指呼の間、そちらを先にした。昼酒も大切だが、今日隠岐へ辿り着けないようでは情けない。
  運行本数は予想外に少なく、一時間に約一本だ。終点の松江しんじ湖温泉駅まで、ちょうど一時間。そこから連絡バスで松江駅へ向かうことになる。慣れない土地で乗り換えに手間取る可能性を考えれば、12時9分発に乗るべきであろう。ならば昼飯に一時間充てることが出来る。幸便な治まり具合に満足して、蕎麦屋の暖簾をくぐった。 テーブル四つのこぢんまりした店内に客はおらず、(店の人間とその知り合いといった)七十前後のバアサンが二人、奥の方の席でお茶を飲みながら世間話をしている。
  残暑の厳しい日であったが、冷房は入っていない。しかし店を吹き抜ける風と、天井の扇風機が思いの外に涼を運び、しばらくすると汗も引いた。注文を取りに来たバアサンに、―― 冷や酒と何かツマミ ―― をと訊いたが、ツマミはこれといったものがなく、替わりに割子蕎麦を(本来ならば三枚一組だが)一枚ずつ出してくれるという。
  他に訪れる客もなく飲んでいると、バアサン達の話が、聞くつもりはなくても耳に入ってくる。店の人間ではない、尋ねてきた方の太ったバアサンがこぼして、―― 敬老の日に、嫁が洒落たパジャマをプレゼントしてくれた。アタシにゃ窮屈で、これを着て横になってもちっとも休まらない。3Lくらいが良かったのに. . . . ――。これは難しいと思う。(彼女はともかく)3Lを贈られたら激怒する人も少なくなかろう。 窮屈に思われるリスクと、侮辱されたと感じられるそれを較べれば後者の方が険呑だ。
  時折掛け時計に視線を送ってペースを調整し、銚子四本と割子蕎麦を結局一人前平らげた。とりわけ佳酒佳肴というわけではなかったが、「出雲を旅しての昼食」を味わえる、良い店だった。店から1分で駅に到着する。
 

 一畑電鉄の車両。  宍道湖の北岸に沿って走る。

    一畑電鉄

  自動販売機 で790円の切符を購入すると、間もなく電車が入線し、二十名ほどの乗客が吐き出された。入れ替わりにほぼ同数が乗り込む。座席はボックスシートで、左側が四人掛け、右側が二人掛け、車両(軌道)の幅が若干狭いのかもしれない。
  定刻に発車し、10分ほどで川跡駅で出雲市駅からの便と連絡し、その後50分ほどで終着駅。田圃の中を行き、宍道湖を眺めながらの道中は、天候にも恵まれて明媚な風光を楽しむことが出来た。松江しんじ湖温泉駅で待機していた路線バスに乗り継ぎ、さらに松江駅で港への直行バスに乗り換え。加賀港に着いたのは2時40分だった。
 

  本土と隠岐を結ぶ高速船。

    高速船

   加賀港で乗船名簿に書き込みをして4,990円の切符を購入すると、船の出航予定、3時40分まで約一時間が残った。ターミナルビルの周辺は殺風景なところだし、船そのものはまだ姿を現してはいない。
  3時近くなって虹色のストライプで装飾された軽快な船が接岸してくるのを見て「オヤ?」という気分になった。カーフェリーにしては雰囲気が違いすぎる。
  本土と隠岐を結ぶ路線は隠岐汽船が運航し、航路・船舶は多様だけれど、概括すれば「高速船」と「カーフェリー」に二分することが出来る。高速船はその名に違わず、所要時間がカーフェリーの約半分(当日午後の便でいえば約四分の一)で有り、島民やビジネスで訪れるものにとっては半ば当然の選択になる。しかし航行中、座席ベルトの着用が原則で、デッキに出ることが出来ないから「船旅を楽しみたい」気分を持つ者にとっては食指が動かない。当初の予定ではカーフェリーを想定していた。
  問題は、隠岐・本土航路の本土側港は三つあり、午後のカーフェリーは(加賀ではなく)境港から出航することであった。実は間違わずに判断出来るだけの資料を持参しながら、朝の覚醒しきらない意識のまま、うかつにも加賀港と思い込み、その後は疑ってみようとも思わなかったのだ。
  出航15分前になって高速船レインボーの乗船が開始される。ともかく視界最良と思われる、一階席の最前部に席を占めた。二階最前部は操縦室になっている。定刻に発進した船はべた凪の海上を滑るように走って行く。この船は水中翼船で、全速走行時には船底が海面から1メートルほど離れるらしいけれど、船上からは確かめようもない、約半時間走ったところで数百メートル向こうを、同型の船が派手に水しぶきを上げて本土目指して疾走していった。鏡に映しているようなものと想像する。

  ****島後(とうご)・西郷港****  
  

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