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島後の西北部

朝の嵐

 7:18: 雨は止んだが雲行きは怪しい。
 
 7:21:沿岸の波は荒くないが、沖の方に白波が見える。

 窓ガラスに叩き付ける雨音で目を覚ました。 時計を見るとまだ5時だ。ベッドを出て窓際から表の様子を窺う。雨量は大してないものの風が強い。僅かに射してきた黎明の光に、雨滴が白い縞模様となって横へ流れてくる様が見えた。
  一日の予定を決めることも出来ず、取り敢えず7時に予約しておいた朝食を摂るためにエレベータに乗った。貼り紙が「今日の高速船は全便欠航」と告げている。今のところ関係ない話だが、船を利用する旅は油断がならないと再認識する。
  朝食会場は10階のレストランで、海側は床から天井までをガラス張りにした、爽快な眺望を楽しめる場所だった。既に配膳されているテーブルには部屋番号が表示されていた。遅い時刻に朝食を摂る客もいるであろうから、客室使用状況の全貌は把握できないものの、二、三割程度の利用率らしい。そしてそれを九階と七階に配分し、客室間の騒音低減を図っていることが印象に残った。
  部屋に戻り、今日の予定を思案する。与条件は
・西郷港は島の南東部に位置し、観光資源は南西部、北西部、北東部にある。
・観光資源までは十数キロ有り、バスは各方面とも8時台の次は12時頃になる。
など。折り畳み傘は持参しているけれど、風雨の中を強行してまでどこか見たいとも思わない。今のところ降雨はないので、まだろくに見物していない西郷港界隈を散策し、その後読書や島から首都圏へのルート探索に費やし、早めの昼飯を摂ってから北西部へバスで行くことにした。
 

 高速船は欠航するけれど、大型カーフェリーは定刻に出航した。
 

    西郷港界隈

  風待ち商店街の突き当たりは、隠岐汽船のターミナルビルになり、乗船券の購入や、高速船の予約などは此処で行う。 利用するのはまだ先のことだが、見物を兼ねて一応偵察。切符売り場は一階にあり、二階から埠頭への連絡通路が延びている。しかし埠頭に着くと結局一階へ降りることになるため、慣れた客はそのまま下を行くようだ。
  接岸しているカーフェリー「しらしま」は、8時半の出航を前に車両の積み込みを完了し、静かにスタンバイしていた。後甲板にベンチと乗客を見掛け、―― 島を離れるときは、やはり高速船はやめよう ―― と心に決める。
  埠頭に隣接して西郷漁業協同組合直営店の「りょうば」がある。一階が海産物販売、二階はレストランだ。漁協直営に幻影を抱いても仕方ないと思いつつ、「安くて新鮮かもしれない」などとイメージを操作されてしまう。ともかく現在は開店前なので後刻再訪することにした。

 8時半には隠岐プラザホテルの上空に青空が拡がった。
 

   そのまま海岸通りを西へ向かい、港大橋を渡る。50メートル先に宿があり、我が部屋の外観をと9階を見上げると、上空に青空が拡がって行く。 8時台のバスは逃したけれど、昼からの晴天は期待できるかもしれないと淡い期待が浮かんだ。しかし道なりに歩いて行くと、大して時間も経過しない間に、暗鬱な曇天に覆われてしまった。
  10分ほどして正面に西郷大橋が見えてくる。観光パンフレットの地図には橋の上が「ビュースポット」と記載されているものの、後10分歩いてそこまで行く価値もないように思われきびすを返した。
  一本通りをずらして宿へ向かうと、途中「民宿笹西屋」の看板が見えた。インターネット検索で上がり、当初宿泊を考えたところだ。しかしネットには「空室有り」と表示しながら、(多分一人であることを理由に)宿泊を断られた。今、通りから瞥見する限りは冴えない感じに、―― 拒否されたことを感謝すべきか ―― と思い直す。
  隠岐プラザホテルに戻り着き、フロントで「インターネット特別料金」のまま、宿泊延長できるか尋ねた。今日の天候が回復しない場合、もう一日島を歩くだけでは物足りない感じがしたためだ。それほど「特別」な料金でなかったせいか、この件はすぐにOKになった。
 

    漁協直営りょうば

 カーフェリーおき。

   部屋での二時間を読書その他に当て、11時少し前に再出発する。レストランりょうばの開店時間にあわせたのだ。二階部分は円形のラウンジ風建物で、床から天井までガラス張りの開放的な構造は、埠頭からさらに湾を隔てて金峰山などを望む快適なものだ。惜しむらくは曇天が風景から輝きを奪っている。
  席に着くと上背も横幅も平均を二回りほど上回る、元気の良いウェイトレスが笑顔でメニューとお冷やを運んできた。まず冷や酒が飲めることを確認も兼ねて注文し、メニュー を一覧して、刺身定食のご飯抜きを頼み、すぐ気が変わって刺身盛り合わせにした。いずれにせよつまらない選択であったが、メニューの内容が貧弱なことにもよる。
  待つほどもなく運ばれてきた酒肴を片付けながら、気分的に落ち着きを取り戻し、周囲の観察を始める。先客は二人、それぞれ単独でどうやら漁師らしい。つまらなそうな顔付きでジョッキを傾けながら定食をつついている。夕方出航し夜通し仕事をするタイプの漁師にとっては、これから一眠りする前の一杯は安眠するためにも欠かしたくないだろう。
  間もなく水平線からカーフェリーが姿を現した。9時に七類港を出発し、11時20分に西郷港に着く「おき」だ。接岸後しばらくすると、数人のビジネスマン風が食事を摂りに来た。彼等は酒を飲まない。

    ごか久見くみ

  冷や酒四杯と刺身盛り合わせ、追加注文したもずく酢の物、冷や奴を片付け、席を立ったのは11時50分だった。勘定は3,900円。りょうばと道を隔てた反対がバスターミナル的な「ボートプラザ」 停留所で、遅滞なく11時55分発の五箇方面行きバスが来る。
  三人ほど乗り込んだ車内はがら空きだ。運転席横の前向き一人座りに坐る。視界(カメラアングル)が良いばかりか、慣れない土地では道標その他の文字に視線を配れることも有り難いし、運転手に降車場所に関する質問をするにも便利なのだ。
  町を離れかけたバスは(当初予想していた「国道を一気に北上」ではなく)こまめに近辺を廻って(実際には現れなかった)利用者を拾ってゆく。町役場なども経由して、10分ほどで隠岐病院。此処でようやく数名の乗降があった。
  病院を過ぎると周囲の民家は急速に減り、やがて道は山中に分け入る。とはいっても、隠岐の山は険しくない。標高200メートルほどに到達すると、延長500メートルの五箇トンネルが有り、これで分水嶺を越えて重栖おもす 川流域に入っている。間もなく役場前。
  この辺りで運転手に、―― 久見方面へ歩いて行きたいので、適当な場所で降ろして欲しい ―― ことを伝える。それから数分で、田圃の中のいかにも地味な十字路でバスは停車した。降車してからじっくり地図と比較すればそれと判るものの、車上からの初見ではとても停車を指示できるような所ではない。
 

  久実への道は海からさほど離れていないのに海が見えない。ようやく海が見えたときは、歩き出してから一時間近く経過していた。
 
 峠を越えて伊後へ下り始めると、隠岐北面の海が見えてきた。
 
 路線バス。
 

    伊後いご

  この辺りから(バス路線のない島北西部を)歩いて、北部方面路線バスの最終点となる伊後まで、距離にしておよそ16キロであろうとは、二万五千分の一地形図から、目の子で拾った値だ。(一日三本しかない)伊後発バスの最終 が4時4分ということは、持ち時間は3時間20分。かなり急がないとタクシーで二十数キロを走ることになる。
  車の往来も少なく、そして歩行者は全くいない県道を北へ向かう。新代トンネルを抜け、代川流域に入り、間もなく代の集落だ。西へ向かえば5分ほどで漁港があるはずだが先を急ぐ。代川を遡り、久見漁港トンネルを抜け、半時間ほどで久見集落。
  集落の手前で田圃から戻る農夫に道を尋ねた。観光パンフレット地図から想定していたものより近くて判りやすい道があるらしい。
  礼を述べ、それでも気を抜かずに早足を続ける。山中で西郷方面と中村方面へ分岐する三叉路に出て、道標から充分余裕があることを確認、気持ちにゆとりが生ずる。
  山中にある向ヶ丘の集落は、戦後の開拓地かと思わせるような雰囲気がある。「そば工房おみ」の幟を見掛けたが休業(あるいは休憩)中だった。
  高原状の地形を下ること半時間、視界が開け鉛色の雲の下、僅かに白波の立つ海が見える。10分後には農家が散在しその外れに伊後のバス停があった。発車時刻まで50分を残している。
  虚しく待つのも詰まらないから、―― のんびり中村へ向かって下る ―― ことも考えたけれど、往々にして路線バスは集落の中を迂回して走ったりする。そんなことで最終バスに乗り遅れたりするのも冴えない。「軽挙妄動」せず辛抱した。
  伊後からの乗客は他にジイサンが一人いただけ。こういった路線の乗客は大概運転手と顔見知りで、彼も運転手と世間話を始める。バスは白鳥展望台入り口、中村と通過してゆく。明日訪れるつもりなので、それなりにチェックしながら眺めた。
  島のほぼ中央を横断し、40分ほどで見覚えのある隠岐病院に到着、ジイサンが下車する。10分後には出発点のボートプラザ。いったん宿へ戻ってシャワーを浴びた後、昨晩と同じ居酒屋讃岐へ行く。島で揚がった白烏賊の刺身その他で一杯。静かに夜が更けて行く。

                ****浄土ヶ浦海岸・白島海岸 へ****  
  

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