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浄土ヶ浦海岸・白島海岸

 宿の部屋から眺める夜明けの西郷港。

  9月15日

 夜中に目を覚まし、隠岐に漁り火、沖天に星を眺めたのは前日と同じ。違っていたのは朝になっても嵐が襲来することもなく穏やかに明けたことだ。
  この朝も7時に食堂へ行った。基本的に昨日と同じだけれど、宿泊客の移動で多少配置が変わり、他のテーブルはモズク雑炊をメインとしたメニューで、我がテーブルは構成が異なる。二日同じメニューにならないよう、配慮しているらしい。
  各テーブルに、「お酒、ビールはそれぞれご注文下さい」の札が立てられている。朝酒など飲みたくはなかったが「そこまでいわれれば呑もうか?」とも考えたものの、一泊二食(夕食付き)を基本パターンとするこのホテルで、「酒は別料金で」をさりげなく示していることであろうから、悪乗りするのはやめておく。
  

    布施

  8時15分ボートプラザ発の布施方面路線バスに乗車する。学生ばかりのスクールバスの様相を呈している。西郷町の路地裏を細かく右左折していたバスはいつの間にか西郷湾に沿った道を走っていた。とりわけ絶景というわけではないが、良く晴れたこの朝、きらきら輝く海を眺めながら渚を行くのは爽快だ。ほどなく隠岐水産高校前で停車し、生徒達が下車する。定期券を見せるとき、口々に運転手へ礼を述べるのは、好ましい雰囲気を漂わせる。
 島後の最東部、黒島付近。
 
 
 卯敷付近。

   何となく予想していたバス路線は、島の中央部を横断するものであったが、大幅に外れていた。水産高校前から、あまり険しくない峠を越え、10分ほどで島の東海岸へ出てしまったのだ。 これは嬉しい誤算で、さらに幸運であったのは、晴天の午前中に東側を行くために、陽光を受けて燦めく海原を、曲折する道路から目くるめく多彩に変化するものとして眺めることが出来た。
   大久おおく 卯敷うずきなどの 集落を経て布施に辿り着いたのは定刻9時10分だった。高校生が下車した後はたった一人での旅だったし、ここから西郷方面へ向かうのもバアサンが一人だけらしい。
  運転手に教えられ、この先の 飯美いいびまで連絡するマイクロバスがあることを知った。観光パンフレットには、西郷11時55分発が飯美まで行くことは記載されているが、連絡バスのことは何もふれていない。不親切なことだ。
  手製カメラバッグをデイパックのショルダーベルトにセットし、いざ出発と靴紐を締め直していると、定刻になったバスがのろのろと発車した。ところがたった一人の乗客になるはずだったバアサンは、長い乗車時間に備えて(?)トイレへ行っていたため乗り遅れそうになる。呼び止めようとか細い悲鳴に近い声を上げ、走りだしたがどちらも覚束ない。少しでも助けになるか「オーイ」と叫んでみれば、これに気付いたのか、ともかくバスは止まってくれた。次のバスまでは4時間以上ある。 他人事ながら 乗り遅れず済んで良かった。
 

 崎山岬からの景観。
 
 浄土ヶ浦。
 
 飯美岬を遠望する。

    浄土ヶ浦

   卯敷方面へ50メートルほど戻って、レストハウス・ポーレストの営業時間を確認する。昨日電話に応答がなかったが、予想通り定休日で、今日は11時から夜9時までの営業らしい。食事できるところは此処と中村にもう一軒、それで駄目ならば西郷へ戻らねばならない。歩行の進み具合により、途中から此処まで引き返すことを選択肢として確保した。
  布施の港からは、道標に導かれて 崎山岬へと遊歩道を辿る。人ひとりの道幅だけれど、良く整備され、要所には手摺りも設けられていた。登り道が続き、岬の先端にある展望台は地図によれば標高62メートルあり、180度以上に拡がる視野は中々のものだ。しかし浄土ヶ浦を見下ろすと、松の林立を透かすことになり、撮影には不向きであった。
  遊歩道をさらに辿ると、径は下りになり、やがて浄土ヶ浦に隣接するキャンプ場へと通じていた。あらかじめ地図を見て、利用するつもりでいた舗装道路へ出る。思いの外、道幅は狭く、そこ此処に落ち葉が堆積し、車の通行は稀であることを示している。路線バスや、先程のマイクロバスなどは これではなく、内陸部に建設されている国道485号線を利用するのだろう。しかし歩行者にとっては飯美までの約1時間を、一台の車両とも遭遇することなく行けたのは幸いだった。

 飯美港から飯美岬と沖ノ島。
 

  ほぼ等高線とを辿るように同一標高を保っていた道路が、下り勾配に変わって数百メートル、小さくて優美な湾の奥に飯美集落があった。漁港の突堤には十人ほどの釣り人がいて、半分ぐらいは女性だ。男女ともに風体からするとレジャー客とも思えないが、漁を生業とする人々が突堤から仕事をするのも奇異なものだ。真相は良く判らない。
  時刻は11時ちょっと前。布施へ戻らず、中村で昼食を摂り、そのあと白鳥岬まで足を伸ばし、伊後4時10分発の西郷行きで帰ることにした。ちなみにこの便は一昨日利用したのと同じものだ。

 青海トンネルを抜けると出島が見えた。

  集落の小さな萬屋よろずやで道を確かめる。多少迷っても危険はないけれど、昼飯を逃す可能性があったためだ。
  飯美集落から飯美川に沿って10分足らずゆくと国道485号線にぶつかり、これを北上する。さすがに国道だけのことはあり、車両の往来があるものの、それとても疎らで、騒音や排気ガスに悩まされるようなことはまるでない。ついでに書くと、島後に国道はこれ一本だけで、西郷から島の中央を北上し、中村で大きくUターンし布施に至る道路だ。
  「なるほど国道」と思わせる青海トンネルを抜けると僅かのあいだ眺望が開け、出島などに打ち寄せる白波を眺めて二枚撮影。しかしすぐに青稜トンネルになり、これを抜けると元屋川流域に入る。
 

 中村海水浴場。  さざえ村。

   中村

  元屋川の扇状地はほとんどが田圃で、稲刈りの真っ最中だ。20分ほどで中村湾(?名称不明)に突き当たり集落を抜けると、松林の中に「さざえ村」があった。海水浴場に隣接し、シャワーやトイレの設備と食堂を経営している。
  店内は大きめのテーブル四つと、背もたれなしのベンチで、海水浴客が入れ替わり立ち替わり食事する有様が彷彿される。先客はいない。メニューをサザエ丼がさしずめ目玉だろうか。酒はないので、生ビールとツマミ替わりの焼きそばを注文した。三々五々客が入ってくるが、(多分)土地の人や作業服姿などで、観光客は現れない。
  ビールを飲みながら午後の予定を思案する。中村着が早かったので、白島展望台へ歩いていっても充分な余裕がありそうだ。
 

 白島展望台から南東方向。中村湾口の釜島、琴島、さらにその背後遙か飯美
崎も見える。

  白島展望台

  半時間ほどで3杯の生ビールと焼きそばを平らげ、さざえ村を出た。風がなく日光の直射に汗だくになって歩く。海も見えず風景に涼を求めることも出来ないから、ひたすら辛抱。湊、松ヶ浦、西村の集落を過ぎ、道が山間部に入ると、木陰が増えて随分楽になる。さざえ村から40分弱で、展望台への分岐点を示す道標が見えた。
  分岐から道幅こそ多少狭いけれど良く整備された道が続く。緩い上り坂をしばらく行くと駐車場で、公衆トイレや(休業中の)レストハウスがあった。辺りに人の気配は全くないので、休業しているのもむべなるかなとうなずく。
  ここからは遊歩道のみになり、傾斜が多少きつくなって100メートル。小さな広場と東屋があり、小高いところに木製の展望台があった。荷物をベンチに置き、数段登って展望台に上がる。海を渡ってくる涼風が心地よい。  

 白島展望台から約270度のパノラマ写真(コンピュータ合成)。
 

  のんびりとおよそ270度に拡がるパノラマを楽しんでいると、背後に人声が聞こえた。振り返ると駐車場の方からくる老夫婦の姿が見える。七十前後であろうか。バアサンの方は東屋のベンチに坐ったけれど、ジイサンの方は真っ直ぐ展望台に来たので、言葉を交わす。
  島の住人で、各地への旅も好むが、島内の気に入った場所をドライブして廻ることも多いとか。眼下に広がる風景を、―― さすがこの地に住む愛好家! ―― と納得させるきめ細かい説明をしてくれた。一通りそれが終わった頃、がやがやと団体が登場。せっかくの風雅な雰囲気が台無しになる。彼は「この島一番の風景をお目に掛けたいが、いかがか?」と魅力的な提案をする。

 

  この場所に未練はないし、帰りのバスまでは2時間半近く残っている今、この提案は正しく渡りに船だ。彼の車へと歩みつつ、―― 駐車場に車がなかったのに、展望台に人がいる」ことに ―― 驚いたことをいい、さらに「自らの足で楽しむことこそ本物で、観光バスで廻るなど最低だ」と辛辣な自説を展開する。
  内心は共鳴しつつも、一癖ありげなこの人物との間合いが計りがたく、取り敢えず雷同するのはやめておく。夫人の方は温厚な人で、辛辣なことをいわないばかりか、「無理にお誘いしてご迷惑では」と、気遣う。もっとも本音は他人がドライブに割り込むことを嫌っただけかもしれないけれど。
  車へ昨日バスで通った道を遡り、伊後のバス停まであと僅かの所から左折した。1キロちょっとの坂を下りきると、ごく簡易な漁港があり、その向こうに白島崎が午後の陽光を浴びて輝いている。彼は「今、穏やかなこの風景に、それほどのものはないが、冬になると北西からの季節風により、岸壁には白波が砕け、雪片が舞い飛ぶ光景は素晴らしい」といった。眼前のうららかな景色を見つつも、それは想像に難くないもので、この地を再訪したい願望をそそるものだった。

 島の水瓶、銚子ダム。

  素晴らしい場所へ誘って貰ったことを感謝し、別れを告げる。「どこでも好きな場所まで乗って行けば」の親切な申し出は鄭重に断った。理由はいくつかあった。バスの待ち時間は1時間半以上あり、自らのペースすなわち歩いてこの付近の景観を楽しみたかったし、初対面で人間関係を濃厚にしたくなく、加えて万一夫人がこちらの存在を迷惑に感じているかもしれないことだ。
  彼の方も諄くはいわず立ち去った。2キロの坂道をとぼとぼ登りながら、改めて車利用の便利さと、その影に隠れて見落とすものの多さを共に痛感する。
  バス通りまで辿り着いて、まだ多くの時間を余していた。歩くことそのものが一つの趣味だから、湊集落まで徒歩行を続ける。それでもなお20分を余したが、ここで歩行を打ち切ったのは、バスが国道を行くか、中村集落へ迂回するか判らなかったためだ。趣味とはいえ西郷までの二十数キロを今更歩くつもりにはなれない。

 天神橋から上流側を眺める。
部屋から晴れた西郷港を見下ろす。

  定刻に姿を現したバスに乗り、昨日と同じ道を辿る。新鮮味はない、といっても曇天下と晴天下の違いは大きく、それなりに車窓風景を楽しみながら行くことが出来た。
  宿へ戻り、バスタブに湯を張ってゆっくり入浴。別段緊張することもない一日であったが、それでも浴槽に体を横たえていると、全身のこわばりがほぐれて行くような気分になる。
  6時近くなってカメラをぶら下げて出掛ける。行き先は連日の居酒屋讃岐。わざわざカメラを持参したのは、店構えを撮影していなかったことを思い出したためだ。しかし開店していたのに暖簾はしまわれたままだった。娘二人の子供、あわせて五人ほどがいて、わいわいがやがや、その後は夕食と、こちらに手が掛かって、出し忘れたらしい。気付いて暖簾が出されたのは、既に表が暗くなり、撮影は出来なくなってからだった。
  定量を呑んで食事はせずに店を出る。同じパターンにちょっと飽きて、すぐそばにあるお食事処鍋国に寄ることにしたのだ。
  入ってみると、店の雰囲気は一膳飯屋のそれで、これは好みだ。冷や酒を一杯頼んでお奨めの食事を尋ねた。店のバアサンは「焼き飯茶漬け」を推奨する。合わせ味噌を塗ったおにぎりをこんがり焼いて、薬味と煎茶を掛けた郷土料理で、手持ちのガイドブックにも記載されていたものだ。あえて逆らう理由もなくお奨めに従う。酔った後の話だから当てにはならないけれど、美味だったと思う。
  鍋国からはまっすぐ帰って(多分)すぐ就寝。静かに夜は更ける

  ****都万つま・那久岬****  
  

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