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 この日の旭日は6時8分だった。

 一等乗船切符

 17日は穏やかな夜明けだった。朝食は連泊者よう裏メニュー、つまり一昨日と同じ献立。部屋へ戻り、ゆっくり支度をしてチェックアウトしたのは8時だった。風待ち商店街を真っ直ぐ抜け、隠岐汽船のターミナルビルへ行く。
  8時半頃にカーフェリーと高速船が共に船出するせいか、出札窓口はそこそこ混雑している。暫時待たされ、いざ切符を買う段になると、がさつな場内放送の大音声が会話をかき消す。「カーフェリーの乗船券を一枚」のつもりで指を一本立てると、窓口嬢は何かいいながらうなずき、キーボードを叩き、料金表示板の赤い発光ダイオードが、5,090円と表示する。「高いな」と一瞬思ったが、思考をそこで停止させたまま料金を支払い船へ向かった。

 湾口辺りから振り返る。中央に隠岐プラザホテル。

  カーフェリー「しらしま」のタラップを登り、下層船室(2等船室)から階段で二階分上がり後部デッキに出た。高曇りで風はなく、気温は若干高めだけれど、出航すれば海風を受けて快適に冷やされるだろう。まずまず良好な航海日和だ。
  甲板にはベンチが並んでいる。詰めて坐れば四人、空いていれば身を横たえることもできるサイズだ。定刻8時半の出航は、銅鑼が鳴ることもなく物静か。いってみれば(通勤電車が発車するような)ごく日常的なことなのであろう。
  後甲板の手摺りにもたれて、遠ざかる西郷港を眺め続ける。たった四泊ではあったが、その間にこの地に対する愛着は充分育っていたようだ。ちょっぴり感傷的な気持ちになって、隠岐プラザホテル9階左端の部屋を眺め、あそこから港を出て行く「しらしま」を見下ろしたことを回想する。
  船が湾から出て貝崎 を回り込んだ辺りでベンチに落ち着く。乗船するとき係員に見せたままポケットに突っ込んであった切符を取り出して眺めた。「一等乗船券」と印刷してある。
  あの時「高い」と思ったのは正常な反応で、二等2,530円、特二等3,300円の一ランク上だった。デッキは等級に関係ないから二等で充分だったのだ。しかし今更等級変更を請求して差額を取り戻そうなどという気はない。
  蛸木の沖辺りを航行中に、甲板にいた乗客のあいだにどよめきが走る。後方数百メートルのところで、イルカ数頭がジャンプを繰り返していた。望遠ズームレンズへの交換は間に合わず、撮影には失敗。
  単調な航海が続くので船室の等級を観察に行った。二等から一等まで、畳(?)の上に絨毯を敷いた構造とその品質には差がなさそうだ。違いは二等には丈の低いパーテーションで、全体だだっ広い印象、特二等はパーテーションが天井までになり、それなりに落ち着く。一等になるとドアがあり、密閉空間となって通行人などの目に晒されることがない。しかし一番の違いは人口密度で、二等は一坪に二人、特二等は一人、そして一等は十五坪ほどの部屋に誰もいなかった。

  別府港付近で径1メートルほどの大型クラゲを多数見掛けた。最近話題の越前クラゲであろうか。  別府港を後にする。

 
 菱浦港に接近。  境港へ。

  再び後甲板に戻りうららかな気候の元で行く航海を楽しむ。若干の靄が風景の鮮明さを損なっていることが残念だけれど、それでも昨日訪れた那久岬を、単眼鏡で灯台を眺めて確認したりは面白い。
  9時45分に別府港に接岸する。西ノ島の表玄関だ。三、四十名が下船し、同じくらいが乗船する。旗を先頭にした中高年団体が目立った。
  10分の停泊で港を離れたが、速度を全開まで上げる間もなく、対岸の浦郷港へ接岸。両港のあいだは直線で3.6キロしかない。
  次いで知夫里島の来居くりい港へ。この港を最後に隠岐の島ともお別れだ。しばらくは後甲板に居残ったけれど、島影が水平線の向こうへ消え去り、茫漠と海原ばかりが拡がっているのを見ていると退屈になる。
  一等船室が無人であることを思い出し、部屋で寝転がって読みかけの本を開いた。TVの音声などに邪魔されないことが有り難い。境港への到着を告げるアナウンスに、驚いて上半身を起こし、窓の外を眺めた。船は中海へ通じる川のような狭い水路を進行中だった。

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