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都万つま那久なく

  西郷港の旭日。埠頭には昨夕入港したカーフェリーしらしまが8時30分の出航に備えている。

  9月16日

  昨日よりは雲が多いように思われるものの、曲がりなりにも晴天が続いている様子にほっとする。7時に通い慣れた感じがする食堂へエレベータで上がった。僅か一階のことだから、階段を登れば良さそうだけれど、非常階段は普段閉鎖され、通常階段はない。
  朝食はモズク雑炊をメインにした献立で、細部は良く判らないが初日と同じだ。連泊者に対するバリエーションサービスも二種類が此処の限界らしい。しかし考えてみれば、観光ホテルに連泊そのものが稀であろう。  食べ物に関しては無頓着な方だから、再度のモズク雑炊を美味しく頂く。

  8時15分港大橋から。仕事を終えた漁船が次々帰ってくる
 
  都万向山行き路線バスの内部。このバスは大型マイクロバスといったサイズだが、時間により通常の大型バスも運行される。

  この日の予定は島の南西部探訪で、ボートプラザ8時35分発の都万向山行きの路線バスに乗るつもりだ。早めとは思いつつ、いつものことながらせっかちな性分から8時10分には宿を出ていた。
  都万向山行きに乗車したのは全部で五人。何となく路線にそぐわない感じの、アタッシュケースを持ったビジネスマン風は5分ほどで西郷町役場に着くと、そそくさと下車する。残った二人のオバサンも隠岐病院で下車し、後は貸し切り状態が終点まで続いた。

  蛸木への分岐付近からあいらんどパーク方面の眺望。
 
 小さく見えるのは大潟島。

 
 釜屋手前の湾岸。  左に同じ。

  玉若酢神社は、ボートプラザから最短距離を辿れば2キロほどしかないのに、バスはこの間に20分を費やす。隠岐病院などは町を挟んで反対側にあるのを経由して行くためだ。しかし通常の利用者からすれば、病院へ行くことの方が西郷町へ行くことより多分大事であろうから、文句をいってはいけない。車窓風景の変化を楽しみながら行く。
  玉若酢神社を過ぎると、道は海岸線、次いで鳥越峠、唐尾トンネルの山岳道路と島を旅している気分が充分に味わえる。 蛸木たくぎは 半島状に突き出した先端にある集落で、2キロばかりの細い道を往復する。
  さらに10分ゆくと「あいらんどパーク」がある。20ヘクタールの敷地に、ホテル、レストランから運動場などを配し、マリンスポーツも楽しめるリゾートだとか。そんなことはどうでも良いが、昼飯が食べられるとしたらおそらく此処だけなので、その点だけに集中して観察した。
  あいらんどパークから津戸への道も蛸木 同様往復する。レストランの前を二度通り、準備中の表示を確認することはできた。少なくとも廃業はしていない。
  塩の浜海水浴場の美しい浜に沿って走り、釜屋から内陸部へ2キロほど行くと、終点向山だ。9時半着。取り敢えず此処まで来たものの、此処から先は予定を決めていない。地図を取り出して思案していると、西郷へ向けての出発時間待ちをしていた運転手が声を掛けてくる。島の南西端にある那久岬への道に関して教えて貰った。地図上では曲折が多すぎて距離を測りがたかったのだ。
  往復3時間をみれば良さそうだ。それならば都万向山発1時5分に間に合う。往復の道だから、途中から引き返すことにより時間調整はできる。礼を述べ、靴紐を引き締めて歩き出した。

  那久岬

日射しは強いけれど空気が爽やかで気持ち良い。真っ直ぐ北上を続け、田圃になっている幅の狭い扇状地が尽きると、樹林のあいだにつづら折れの上り坂が続く。
  車両もほとんど通らない山道は、歩行そのものには快適だが、眺望が開けないためにすぐ退屈してしまう。曲折した道路の延長も予想より長く、中々行程がはかどらない。ようやく下り坂になり、やがて上那久の集落に出た時は、歩き始めてから既に1時間10分が経過していた。

 待合室に張ってあった路線図。
 

  那久岬まで行き着かないかと思った瞬間、三叉路に「停留所」の看板を見付けた。―― 路線バスは都万向山が終点のはず? ―― と訝しく思い、看板の隣にある、待合室らしき建物を覗いてみた。疑問は直ちに氷解。村営バスがきめ細かに路線バスの空白を埋めているのだ。那久から都万向山へは12時半発、53分着がある。路線バスに連絡するような設定だ。
  しかし納得が行かないのは観光協会が出しているパンフレットに、路線バスを始めとし、観光バス、観光タクシーから渡船のことまで紹介しながら、村営バスには一切ふれていないことだ。両者のあいだに確執でもあるのか?
  閑話休題。村営バスが利用できれば有り難いけれど、慎重を期して運行日をチェックしておきたい。生憎なことに辺りに商店などはなく、道行く人も見えなければ野良仕事に精出す人もいない。ともかく那久岬へ向かってしばらく行くと、特定郵便局があった。中へ入り、窓口で書き物に専念している女性局員に声を掛けた。
  電気ショックでも受けたように、彼女の体がビックと動き、こちらに顔を向けて「あー驚いた」とつぶやく。訪れる人などあり得ない時間帯だったらしい。つい「郵政民営化」など思い出してしまうが、ともかく村営バスが毎日運行されていることは確認できた。これで那久岬への往復6キロに約2時間を充てることが出来る。

 浜那久漁港。彼方の島影は島前の中ノ島。
 
 那久岬灯台。背景に中ノ島と西ノ島(右側)。

  礼を述べて郵便局を後にする。1キロほどで海が見えてきた。県道は直角に右へ折れ、そのまま北上してゆくと、一昨日訪れた重栖、久見方面へ通じる。直進して浜那久漁港。
  道幅が狭まり、漁港から上り坂が岬へ通じている。風がないにくわえ日射しが強く、さほど急坂でもないのに、汗だくになった。ペットボトルから水分補給するけれど、それも残り少ない。
  日本全国、至る所に自動販売機が氾濫しているのに、都万向山此処までのあいだ、一つもないまま飲む量を控えて延命をはかっているような状況だ。
  左へ下る道が分岐しているが、脇目もふらず登り続けて、次第に岬から遠ざかる様子に振り返った。なんと500メートルほど彼方に灯台が見える。
  分岐から100メートルくらいの所に展望台が設置され、灯台はさらに先だけれど関係者以外は立ち入り禁止になっている。厳重な禁止とも思えないが、強引にいってみたいような魅力もない。展望台で荷物を降ろし、一休みすれば汗も引くかと思ったが、カンカン照りの無風状態ではまるで炒られているような有様だ。灯台と海峡の向こうに見える、中ノ島、西ノ島の写真など数枚を撮り、あとは木陰へ待避しするべく早々と撤退した。
  漁港を一巡して時間を潰し、歩みをのろくするよう心がけたものの、大した効果もないまま上那久のバス停へ12時前に到達してしまった。そして此処も展望台同様、日陰のほとんどない、この日佇んで待つには全く不向きなところだった。
  耐えること半時間、上那久の方からそれらしい車が接近してくる。郵便局の前辺りで一人降車するのが見え、そして目の前に停車したとき乗客は誰もいなかった。8人乗りのワンボックスカーはシートなどにそれなりの高級感があり、路線バスなどよりずっと乗り心地も良い。歩いてきた道をほぼ逆送するが、途中大津久集落へ往復4キロの寄り道をした。結局乗客は増えないまま都万向山到着。
 

 レストランうみさち

   レストランうみさち

  路線バスへの乗り継ぎも順調に行き、10分ほどであいらんどパークのレストランうみさち前に着く。車内から「営業中」の表示を確認し、おもむろに下車した。ちなみに万が一表示がしまい忘れなどで、レストランが利用できなくても、津戸を往復するバスは数分後に再度此処を通る。つまり最悪でも西郷で遅めの昼食にありつける。
  幸いそんなことにもならずすんなり入店できた。しかし注文する段になり、周到な計画に死角はないの自惚れはあっけなく崩壊した。ウェイトレスの開口一番が、「ラストオーダーは1時半、閉店は2時で御座います」だったのだ。壁の大時計は1時15分、これではとてものんびり昼酒とは行かない。
  ともかく冷や酒を注文して、メニューを検討する。気ぜわしく選んだのは、スパゲッティと冷や奴、それに酒の前の生ビールだった。食事をするだけならば、ラストオーダー後の半時間はそこそこ妥当なものだろう。しかし酒と食事となれば慌ただしい。浮き足だったまま平静を取り戻せず、ビールと酒二本にツマミが片付いたのは、2時まで10分を余していた。

  遊歩道
 

 ゲートボール大会が終了し、表彰式。
 
 

  周到であったはずの計画が破綻した結果、西郷行きのバスまで1時間半を潰さなければならない。いまさら「まだ見ぬ地」を求めてガツガツする気にもならず、バス路線を都万へ向かってとぼとぼ歩いた。
  あいらんどパークの一部をなす運動場では、朝から行われていたゲートボール大会が終了したらしく、表彰式の次第を伝えるラウドスピーカの音が響いてくる。都会では見掛けることのないゲートボールだけれど、地方ではかなり盛んだ。地域老人達の結び付きが強いためか、はたまた簡単に競技用地を確保できるせいか。
  渚沿いの遊歩道をのんびり歩く。車両通行が少なく、海の景色が明媚だから、遊歩道としてはかなり上質と思われるが、大きな欠点がある。休憩場所と日陰が共にないことだ。別段大がかりな設備はいらない。大きめのビーチパラソルを遊歩道の手摺りにセットし、ベンチを配するだけで充分だ。
  体育館などの設備には数億を要するのに対し、この程度の休憩設備ならば数万でできる。そして単に休憩できるのみならず、水辺に垢抜けた空間が創出されるだろう。

  矢那の松原と船小屋
 

 昔ながらの船小屋が並ぶ。
 
 杉皮葺き石置き屋根。
 
 うち捨てられた船小屋。
 
 矢那の松原。
 

  2キロほどの遊歩道はゆっくり歩いても半時間ほどで尽きてしまう。すぐその先に、この辺りの観光資源である「矢那の松原と船小屋」があるのでついでに見物。
  船小屋は、現代日本では稀少になった杉皮葺き石置き屋根で、これだけ並ぶのはさらに珍しいであろう。しかしだからといって感銘を受けることはなかった。
  その意味で矢那の松原はさらに詰まらない。「八百歳まで生きた八百比丘尼が植えた」との伝承はともかく、景観としては特徴のないものだった。唯一つ救われたのは日陰のないことに辟易していた時、松林の中で涼風に出会ったことだ。
  辺りをうろつくことで1時間ほどが経過したが、これにも倦んですることを失った。喫茶店の類は皆無だし、浜辺に休憩所がないことは前述したとおり。とうとう釜屋の神社入り口の石段に腰を下ろす仕儀となった。誤解のないように付け加えるならば、人通りがほとんどなく、近辺の緑陰は涼しげで、いってみれば風雅な休み処であったのだ。
  定刻に現れたバスで西郷へ向かう。西郷が近づき玉若酢命神社で下車しようか思案した。隠岐の総社としての格式を持ち、本殿は重要文化財、境内の八百杉は天然記念物だとか。しかし気持ちに張りが失われていたのか、漠然と考えているうちの通り過ぎてしまった。
  ボートプラザで下車し、向かいの「りょうば」一階にあるおみやげショッピングを覗く。嵩張らず、日持ちがして、安価なものを探し、結局い「磯の佃煮(めかぶ)」など二品。
  この晩も、既になじみとなった居酒屋讃岐へ。飲み終わって昨晩同様、鍋国で焼き飯茶漬けを食べるつもりでいたけれど、既に閉店していた。8時を廻ってはいなかったと思う。
  それほど腹が減っていたわけでも、ましてや呑みたかったわけでもないが、何とはなしに宙に浮かんだ気持ちは落ち着かず、着地点をもとめて徘徊した。結局100メートルも離れていない、炉端焼き青柳の暖簾をくぐる。冷や酒一杯とモズク雑炊で締めくくり。モズク雑炊で終始した一日だった。

****本土へ、カーフェリーしらしま****

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