雪見酒紀行2014

***目次***
1.寝台特急あけぼの
2.弘前 野の庵
3.弘前の居酒屋
4.朝酒
5.函館
6.佐井村
7.青森の昼酒
8.青森の居酒屋
9.松川温泉
10.盛岡の居酒屋

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1.寝台特急あけぼの
  
 
雪見酒紀行地図(GPSログ)
冬の恒例行事となっている雪見酒に2月の11日から旅立った。まずは北軽井沢在住の友人に愛犬ベルを預けるため、軽井沢へ行く。駅で待ち合わせてベルを引き渡したのち、新幹線で高崎まで引き返して途中下車すると、此処で旅立ちの一杯目を駅前のおでん屋安兵衛で。
  ちなみにJR切符は600キロを越えるとキロ当たりの運賃が半額程度になるし、最近会員になったジパング倶楽部(会員資格65歳以上)は200キロ以上が2〜3割引になる。つまり乗車券はなるべく長い区間にして買った方が安くなるので、軽井沢から函館までを通して買った。そのため途中下車になったわけだ。
  駅ビル一階にあるローソンでカップ酒(ジャンボ:300cc)二つと、ツマミ用にサラダなど三種類を買い込んでカバンに詰める。車中での飲酒準備ができたので、駅から徒歩5分のおでん屋、安兵衛へ向かった。昨年も立ち寄った店で好みの、「居酒屋らしい居酒屋」だ。祝日にもかかわらず営業する有り難いところで、この日の混み具合は4割程度、落ち着いて飲める。1時間ほどで銚子四本が空になった。
  10時を廻った辺りで切り上、そのまま寝台特急あけぼの号が停車する2番ホームへ向かった。
  冬に東北を旅するようになって20年以上が経過し、マンネリ気味だと反省が続くここ数年だけれど、大きな変化が生じようとしている。寝台特急あけぼのが3月でその運行を終了してしまうのだ。理由は幾つかあり、車輌の老朽化と、利用者の減少が主たるものらしい。
   料金 所要時間 
 夜行寝台車  19,950円  12時間36分
 夜行高速バス  4,500円  10時間31分
 新幹線  16,670円  3時間46分
  しかし利用者減少も時代の流れとして仕方が無いと思われる。右の比較表を見れば一目瞭然だが、今や寝台車は一番高価なのに一番遅い移動手段に成り下がってしまったのだ。これでもなお乗るのは趣味的に寝台を愛好する乗客だけだろう。
 
夜行寝台あけぼの号のB寝台ソロ(個室)。窓際に
300ccのカップ酒やツマミが並ぶ。
それでも個室で思う存分酒を飲み(一般の寝台車や夜行バスでは不可能だ)、いつ飲み終わったかも定かでないまま眠りに落ちる。目を覚ますと窓外に白銀の世界が見えるのは、雪見酒紀行として最高のイントロダクションなのだ。
  愚痴を云っても所詮ごまめの歯ぎしり、諦めるしかないが、せめて今まで利用したことのないA寝台個室を経験したかった。そこで寝台券の発売される1月11日、発売開始時間より早く駅の窓口へ行き、予約した。しかし全部で僅か11室しかないので、廃止前に乗ろうと思った人々の間での競争率はだいぶ高くなったのか、あえなく空振り。それでも何とかB寝台の個室は確保できたので、これだけでも幸運と思わなければいけないのかもしれない。  
  
岩城みなと駅(秋田駅の南約20キロ)6時20分。
6時を少し回った頃に目を覚ました。窓外は既に明るくなっているが、どんよりした曇り空だ。積雪量はあまり多くないものの、この辺りは海岸が近いので、内陸部ならばもっとあるだろう。少なくとも、「雪見酒」に不足することはなさそうだ。
  秋田駅はほぼ定刻に通過したものの、その後は少しずつ遅れ、この日に泊まる予定の弘前に着いたのは10分遅れの9時25分だった。駅前の東横インに荷物を預け、一番町の喫茶店一番館へ向かった

2.弘前 野の庵
  弘前の喫茶店は全体の質的レベルが高いよう感じるが、その中でも好みの店がこの一番館だ。年に一度来るかどうかだけれど、長年の付き合いで顔馴染みになっている。昼酒を始めるまでに2時間ほどあるので、セイロン風ミルクティーを飲みながら、「南イタリア紀行」の推敲で時間を潰す。
  2杯目はキリマンジェロのストレートを所望した。一番館は私の知る限りでは混雑するようなことはない。ただカウンターに席を占めると、時々喫煙者が横になり嫌な思いをするので、それが判ってからは窓際の奥まった席で、煙が漂ってくるリスクの少ない場所を選んでいる。11時半に推敲も一段落して席を立った。
上:毛蟹や卵焼き、野菜の煮物などがまず並んだ。中上:蕎麦掻き。
中中:生鮭とイクラの塩麹漬け。
中下:烏賊とマグロ赤味のお造り
下:デザートの梨。
  弘前城内を抜けて、西濠に面して建つ野の庵へ向かう。2000年の7月に、やはり夜行列車で弘前に辿り着き、弘前城界隈を散策中に偶然見付けた、落ち着いた感じの蕎麦会席料亭だ。玄関へ回ってみると、瀟洒な構えは感じよいが、私程度でも昼飯くらいならば食べられそうな、庶民的な雰囲気もあった。
  これがきっかけで、その後は雪見酒紀行で訪れることが多く、年に一回だけでも回数を重ねるうちに、女将の貞子さんとも話し込むようになった。
  創業140年の老舗で、当時の建物は築70年以上の年輪と風格が素晴らしかったが、惜しいことに2008年の3月に漏電のため失火し全焼してしまった。その後再建のためのご苦労は多々あったようだが、それを乗り越え2009年には同じ場所で営業を再開した。以後10年から今回の雪見酒紀行まで、年に一度だけれど欠かさず訪ねている。
  再建された建物は、年月により醸し出される雰囲気といった点では以前より劣るのは致し方ない。しかし室内から借景とも云える城などを眺めるには、座敷に坐って古風なガラス戸越しよりも、テーブル席から大面積のガラスが嵌め込まれたサッシ越しが格段に勝る。雪見酒にはお誂え向きなのだ。
  閑話休題。城内を通り抜け春陽橋を渡れば野の庵だ。勝手知ったるところなので、玄関からそのままテーブル席の方へ進む。先客は中年のご婦人二人だけで、静まりかえった店内にはカセットデッキから流れるBGMが聞こえるだけだった。厨房とを仕切る暖簾をちょっとくぐり声を掛けると、貞子さんの返事が聞こえた。
  1年の久闊を叙しつつ、店のほぼ中央に席を決めた。彼女は厨房に一旦姿を消し、すぐに箱入りの4号壜とグラスを手にして戻ってくる。箱には、「安藤水軍」と書かれ、鰺ヶ沢の老舗蔵元尾崎酒造(創業萬延元年)が作る地酒らしい。
  ともかく、「駆け付け三杯」ではないが、早速始めさせて貰う。お品書きを見ることもなくすぐに先付(と云うよりも前菜か?)の盆が運ばれてきた。あれこれ考えずにお任せで飲み食いできるのが嬉しい。
  酒も二杯目以降は独酌で進める。人によっては、「サービスが悪い」と機嫌を損ねるかもしれないが、私のような貧乏性は放っておかれたままマイペースでいける方が遙かに好みに合う。しかし酒の方は放任状態だったが、料理は次々運ばれてくるし、その合間合間に、友人知己の消息や、その他あれこれを話し込んでしまうので料理に関する取材はおろそかになり、取り敢えず撮影(それでも天麩羅と蕎麦は撮り損ない)だけで精一杯だった。
  4号壜が空に近くなり、料理も蕎麦を残してほぼ一通り出たところで、貞子さんが盆に酒を満たしたグラス二つを載せてきた。「(弘前の地酒)豊盃と(青森の地酒)田酒で私からのサービスです。」との有り難いお言葉。「昼酒にしては飲み過ぎ. . . .」とは思いつつも、此処で後に引くわけには行かない。
  2時間近くを費やしともかく完食完飲。その後も四方山話は続き、野の庵を辞したのは2時半を回っていた。
  来た道をそのまま逆に戻る。城内では11日で終了した雪灯籠まつり用の雪灯籠取り壊し作業が始まっていた。酔い覚ましにコーヒーとも思ったが一番館は既に終業していた。このお店も今や生活のためではなく、趣味のような営業となっているようだ
  後は寄り道をする気も起こらず、駅前の東横インまで戻り入室した。晩の居酒屋巡りに備えて一眠りする。

土手町商店街から見る弘前昇天教会ISO感度を25,600に設定したため、だいぶノイズが出ている
3.弘前の居酒屋
  5時半を回って夜の部をスタートする。目指したのは前回も訪れた鍛冶町の焼き鳥屋、「とり畔」だ。弘前市の中心街、土手町商店街から、「かくみ小路」を抜けて行く。ちなみに通りの雰囲気が良く、そして名称も何となく曰くありげなこの小路だが、以前立ち寄った数軒の居酒屋はことごとく外れだった。運が悪かったのか、はたまた勘の悪さ故か、ともかくそれからは通りの雰囲気を楽しむだけで、素通りすることにしている。
  かくみ小路を抜けて左に曲がるとすぐの所がとり畔だ。着いたのは6時ちょっと前で、店内に先客はなくオヤジとアルバイトの青年が一人いるだけだった。
  この店はカウンターと小卓二つが置かれた小上がり、奥に(多分)6畳くらいの座敷があるだけで、いつもの入口に近いカウンター席に坐った。たまにしか来ない者として、常連客に遠慮もあるし、それ以上の動機となったのは(ひょっとして被るかもしれない)タバコの煙害を避けたい気持ちだった。
左:カシラとレバー。右:とり畔の外観。
  注文を訊かれ冷や酒(居酒屋称二合)と、焼き鳥はレバーとカシラにした。ついでに漬け物盛り合わせも。
  しばらくして常連らしいオヤジが一人カウンターに坐り、アルバイトの青年が出勤してきた。この店を見付けてから7年経つので、アルバイトの若者も随分顔ぶれが替わっていると思う。しかしその誰もがきびきび働くし、接客態度も良い。結局はオヤジの教育が良い故と想像するが、寡黙でいかにも職人気質と見える彼がどのように、「教育」しているのか興味津々だ。ともかく今まで叱ったり指導しているところなど、一度も見かけたことがないのだ。
  (居酒屋称)2号徳利が2本空になりつまみも完食したので、時刻的にはまだ早かったものの席を立つ。近所に寄ってみたい店があったためだ。
  銀水食堂という。2年前の時分どきに喫茶店一番館でマスターに、「近所で昼飯昼酒ができる店は?」と尋ねたら教えてくれた。まるで私の好みをお見通しのような選択・推奨で、50〜60年タイムスリップしてきたような雰囲気の店だった。しかし生憎満員だったので諦めた。実のところ相席ならば坐れたと思うが、昼酒をやる後ろめたさから敢えて訊かなかったのだ。
  昨年の雪見酒で夕方立ち寄ってみると、今度は生憎の臨時休業。今回は三度目の正直といった気分だったのに、虚しく今回も空振り。店の前に辿り着いたのが6時45分。看板の灯が消えているので訝しく思ったものの、中に明かりが点いていたので引き戸を開けて一歩踏み込む。厨房で洗い物をしていたオバサンが顔を上げ、「申し訳ありませんが、閉店です。」と云う。やはり縁がないということか。しかしこの食堂に関し少し調べてみると、酒は出さないのかもしれない。
  今さらとり畔に出戻りするのも気後れし、ともかく宿のある弘前駅前へ向かってとぼとぼ歩く。駅までは1キロ以上あり、途中に居酒屋の一軒ぐらい見付かるだろう。
  この見通しは甘かったようだ。もちろん居酒屋やその他飲み屋は数軒以上あったが、どこも食指が動かない。そのまま駅前に着いてみれば状況はさらに悪化した。  
 
上:冷や酒とお任せのツマミ三品。下:冷蔵ショーケースに並ぶカップ麺など。
  あるのは大手居酒屋チェーンの大規模店か、観光客相手が見え見えの民謡酒場の類ばかりだ。いったんは諦めてこのまま寝ようかと思ったが、まだ7時を回ったばかりだし、この状態でベッドに入っても酒不足のせいで寝付けないだろう。
  未練がましく裏通りをうろうろしていると赤提灯が目に入った。二階建て一戸建ての一階部分が車二台分ほどコンクリートのタタキになり、ガレージとなっている。その奥に赤提灯のぶら下がる入口は、気取ったところや洒落た感じなど全くなく好みだ。しかし店の名前が、「おおとろ」とあり、これで二の足をふんだ。
  いったんは通り過ぎたものの、前方は住宅街が続くばかりで、これ以上探しても無駄だろう。踵を返しておおとろのドアを開ける。正面に鈎の手になったカウンター、右手は小上がりで4席の座卓が二つある。カウンター席にはいかにも常連らしいジイサン3人とバアサン一人が坐り、女将と談笑していた。
  ともかくカウンターの端に席を占め、冷や酒を所望すると、グラスに注がれた酒とツマミの入った小鉢が三つ角盆に乗せられてだされた。お品書きの類はなく、すべてお任せだという。
  小鉢はグリーンアスパラガス、(多分)ツブ貝ともう一つは今となって不明だが、ともかくそれほど手間を掛けたものではないが酒にも私の好みにも合うものだ。それ以上食べたいとの空腹感もなく、三品で満足して飲む。
  となりの連中は談笑を再開し、和やかな雰囲気は頬笑ましいものの、弘前弁でのやりとりなので内容は一割程度しかわからない。しかし弘前弁の耳触りは柔らかく響く。好みに合わないBGMなどを聞かされるより余程心地良かった。結局三杯飲んで、1時間ほどの二次会を切り上げる。後は真っ直ぐ宿へ戻り就寝。

4.朝酒へ続く
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