7.青森の昼酒
  明くる2月15日は薄曇りの寒々とした朝を迎えた。この日は午前中にバスや列車を乗り継いで青森駅まで行きたい。下北交通の佐井線は佐井から大畑駅までの約45キロ区間の乗客はほとんどいないにもかかわらず、減便等の調整を行わず一日8便が往復する。そこそこ便数が多いにもかかわらず、午前中に青森駅が条件だと7時26分佐井車庫発を利用しなければならない。
  そんなことで当初は朝食を多少早めて貰おうかと交渉を始めたが、途中で気が変わった。糖質制限食を実行しようとすれば一般的な民宿朝食ではほとんど食べるものもないはずだ。それに昼は蕎麦屋で一杯の予定なので、いっそ朝食抜きの方がすっきりする。
  7時をちょっと過ぎて女将に見送られながら民宿みやのを出た。車庫にはエンジンをかけたままのバスが停車しているけれど、運転手の姿は見えなかった。下りのバスが毎日最初に到着するのは8時過ぎだから、始発からこのバスまでの3便は前日から泊まり込むことになる。通学者、通勤者のためだろうけれどご苦労なことだと思った。
上:大湊線の近川を通過直後。下:ほぼ同じ時刻の車内
  しばらくして運転手も現れ、定刻に車庫を発車したバスは一路下北駅へ向かってひた走る。大間を過ぎるとかつて数泊したことのある易国間や、一度は泊まりたいと思っている下風呂温泉などを通過し、9時ちょっと前に大畑の町に入った。8時54分に大畑駅へ到着。かつては国鉄から下北交通へ引き継がれた大畑線の鉄道駅だったが、2001年に廃線となり、駅舎と駅名だけがバス停として残った。
時間調整のためか9時まで停車し、その後は順調に進んで定刻と1分も狂わず下北駅に着いた。渋滞などと無縁な路線にせよ大したものだ。
  此処からは10時11分発八戸行き快速電車に乗り、野辺地で青い森鉄道(第三セクター:旧JR東北線)に乗り換えて青森へ向かう。青森に着いたのも定刻ピタリだった。駅前で待ち合わせることになっているAさんに電話すると、「今、駅へ向かって歩いています。」とのことだった。おおよその到着予定時刻を訊く。
  駅前の東横インにチェックインし(入室はできない)、ロビーでメールを一通りチェックしたのちに荷物を預ける。そろそろAさんが来る頃と見計らい、駅東口で無事に会うことができた。  
しもばしらからの雪景色。
  Aさんは青森市出身で東京在住が長いけれど、お父上の介護に度々短期帰省している。今回は私の雪見酒紀行にタイミングを合わせてくれたので、久しぶりに一献ということになった。
  青森は土地勘がないので飲む場所の選定はAさんにお任せしたところ、昼の雪見酒にお誂え向きのお店として蕎麦屋の「しもばしら」となった。駅からは距離があるのでタクシーを利用する。
  着いたのは1時ちょっと前。半住宅地にひっそり建つ一戸建てで、看板もあまり目立たない。通りから敷地内に設けられた細い路地を通って店に入る。時分時を過ぎたせいか、テーブル席にいた先客3人は帰り支度をしていた。(Aさんのアドバイスで予約済みだったので)8畳くらいの座敷に通される。座卓が二つあり、混み合えば相部屋となるが、今回は独占できた。テーブル席からも中庭は見えるものの、やはり雪見酒ならばこれが良い。
  玉子焼きとにしん棒で冷や酒を所望。Aさんはビールでスタートした。穏やかだが間断なく降り続ける雪を眺めながらの昼酒は、個室で寛いでいることも合わせて何とも贅沢に時間が過ぎて行く。
  あまりの心地よさについ酒を過ごしたようだ。途中から酒にしたAさんと会わせて6合くらい飲んだろうか。最後はせいろで締めて、店を出ると3時になっていた。
8.青森の居酒屋
  夜の部は5時半から開始した。店は宿から徒歩5分の居酒屋ふく郎だ。2008年の雪見酒紀行に際して青森在住の友人Hから教えて貰った所だが、居酒屋としてはそこそこ有名店らしい。
  今宵のメンバーは青森在住のOさん夫妻と、昼間のAさんに私の4名だ。Aさんと私が5時半に先着し、「バスの都合で多少遅れる。」といっていたOさん達も45分には到着した。
  刺身盛り合わせなどと飲み物を注文し、ともかく乾杯。Oさん達とは1年ぶりなので久闊を叙し、Aさんを彼等に紹介する。4人とも話題の嗜好に似通ったところがあるのか、瞬くうちに打ち解けて話が弾んだ。
  しかし話の面白さにうつつを抜かし、カメラは携えていたのに、お開きまで1枚の写真を撮ることもなく終わってしまった。やはりまともに取材するには素面か一人でないと駄目なようだ。それではちっとも面白くないので、本紀行文の読者には申し訳ないがご勘弁下さい。この日も早めの9時半前に宴会を終了する。

終夜続く除雪作業(3時53分)。
9.松川温泉
  首都圏に記録的な豪雪をもたらした南岸低気圧は北上を続け、青森の降雪も次第に激しくなった。宿のすぐ前にある駅前広場では、徹夜の除雪作業が行われ、ホイールローダーのエンジン音が絶え間なく部屋まで響いてきた。
  雪見酒紀行において降雪は基本的に歓迎するものの、降りすぎて交通機関に支障が出ると色々苦労することになる。この16日は八幡平の山中にある松川温泉泊まりを予定していたので何かと気がもめた。
  朝になりインターネットで鉄道の運行状況を調べると、青森でも大湊線や津軽線は午前中不通のようだ。今日利用する路線では、内陸部を走る花輪線の状況が気になった。
  7時に駅まで行って直接情報収集を試みる。東北新幹線は正常運行、奥羽線は多少の遅延、花輪線は管轄が盛岡支社なので、青森支社管内ではインターネットでみる程度の情報しか得られないとのことだった。   部屋に戻って対策を考える。一番弱気なのは此処で連泊する方法だが、これではあまりに不甲斐ないし青森の居酒屋は日曜日のためほとんどが休みだ。
  松川温泉へのバスを運行している岩手県北交通に電話で確かめたところ、「今のところ運休は考えていないが、ダイヤに乱れの出る恐れはある。」との回答だった。
  大館経由で行くと奥羽線の遅れや花輪線の乱れが危ぶまれ、さらには大更まで行って立ち往生すると泊まるところもなくなる。思案投げ首の結果、現状で一番リスクを少なくして松川温泉へ向かうには、新幹線で盛岡へ行き、バスは盛岡駅から大更を経由して行くので、盛岡駅から乗れば最悪でも戻っては来られる。17日に泊まる東横イン盛岡駅前には16日も空室が多いので連泊すれば良いことになる。
上:八戸駅手前(11時1分)。カラー画像だが色彩がほとんどない。下:二戸駅付近。青空が拡がってきた。
  それでも花輪線乗車への未練は多少残っていた。しかしそれを打ち消したのは奥羽線の車輌だ。今やすべての普通列車が通勤電車タイプのロングシートで、旅情といおうか車窓から風景を眺めつつ行く楽しみをほとんど消し去っている。
  結局10時半の新青森発はやて30号で盛岡へ向かう。発車が5分ほど遅れたが、これは奥羽線の下り列車連絡を待ったためで、車内放送ではそのまま東京着も5分遅れの予定だという。雪国での運行を基本とした底力に感服。
  八戸を過ぎるまでは降雪が続いたが、次第に青空が拡がって行く。車窓から見た限りでは積雪量も大したことがないので、松川温泉行きはまず問題あるまいと安堵する。
  予定通り5分遅れの11時40分に盛岡へ着き途中下車。ちなみに乗車券は数日後の四国行きに備え、伊予土居まで購入してある。
  駅前で昼飯昼酒だが、数回利用したことのある岩手の居酒屋うま()は、案の定と云おうか日曜のため休業だった。盛岡駅前は以外に飲食店が少なく、僅かにあるのは大手チェーンを除くと休みの所ばかりだ。仕方なく冷麺が有名な老舗焼き肉屋の盛楼閣に入った。
  久しぶりの焼き肉だが、お品書きを見てまだ食したことのないハチノス(牛第2胃)を試そうとした。しかし遺憾なことに品切れといわれ、結局上ミノとギアラ(アカセンマイ)にして、酒は冷やの(居酒屋称)2合徳利を注文。
  途中酒をもう2合とカクテキ(大根キムチ)を追加し、1時間強で昼酒・昼飯を完了した。この店へ7年前に来たときは、もう少し早い時刻に入店したが、時分どきになると表に待ち行列ができ、最後の冷麺は慌ただしく掻き込んだ記憶がある。しかし今回は冷麺ブームが去ったのか、最高でも7割程度の混み具合でのんびりできた。ちなみに糖質制限中なので冷麺はなしだ。
  駅前の県北交通案内所で切符を買う。松川温泉までは1,110円で。千円のバスカードを買うと千百円分乗れるので10円を現金で追加すれば良いと勧められた。そんな風にしてまで節約せずとも良かろうと、普通の切符を買う。
  盛岡駅前をバスは定刻の1時40分に発車した。市内に雪はほとんどなく、郊外に出てもそれほど増えない。当初は此処から乗車するはずだった大更も定時に通過し、3時20分頃に八幡平ロイヤルホテル前に到着する。
  此処でバスを乗り換える。待っていたのは盛岡から来たのより一回り小型なボンネットバスだ。古い車輌(1968年式)だけれども四輪駆動で、ここから先の急な山道は路面が凍結するとこのバスでなければ登れなくなるとか。ちなみに箱形バスは構造上四輪駆動に向かないらしく、現在生産されている箱形四輪駆動バスはマイクロバスで1種類あるだけらしい。この路線をボンネットバスが走るのはノスタルジーのためではないのだ。
上:松川温泉で部屋からの眺め。吊り橋は対岸の岩風呂へ入るために設けられている。昨年9月の台風で流失し、再建中だがまだ供用を開始していないようだ。
下:混浴露天風呂。湯温を下げるための冷水注入が右に見えている。
  乗り換えたのは埼玉から来た年配夫婦と私だけだった。急だけれど綺麗に除雪された坂道を、ボンネットバスはエンジン音を響かせて登って行く。松楓荘にもほぼ定刻の3時40分頃に到着。夫婦は終点の峡雲荘まで行くとのことで、降りたのは私一人だった。
  すぐ部屋に通される。希望しておいた渓流を見下ろす2階で、気持ち良く暖まっている。この宿では暖房に温泉の蒸気を利用しているので燃料コストが掛からないし、一本の配管が並んでいる部屋を貫通しているので部屋ごとには調節が利かない。そんなことでほぼ全館暖房ということだろう。逆に窓ガラスなどは寒冷地にもかかわらず断熱ではない普通の板ガラスを使用している。
  見ず知らずの他人と一緒に風呂へ入りたくない方だが、せっかく温泉宿に泊まったし、宿泊者も少ないようなので露天風呂(混浴)へ行く。この宿ではバスタオル巻き禁止なので女性がいたら遠慮するつもりだったが、誰もいないのでゆっくり入浴できた。
上:夕食全景。以下左上から右下へ:国産黒毛和牛の鍋。ウドと若布の酢の物。ホタテ、昆布、ニンジンとこんにゃくの煮物。イワナ塩焼き。山菜天麩羅。笹の子と鰊の煮物。ゼンマイ煮物。イクラのおろし和え。ニジマスの刺身。
 風呂から上がり窓際の椅子から静かに黄昏れてゆく渓流を飽きもせずに眺め続けた。6時になって夕食の用意ができたと告げられる。着いたとき、「今日はお泊まりのお客さんが少ないので、部屋食にします。」といわれていた。
  普通の部屋食は泊まる部屋にて供されるものだが、今回は1階の客室(畳敷き寝室)に用意された。大食堂を使うより運搬距離は多少長くなるし、前述したように食堂の暖房に問題もないから、宿の都合よりも客により寛いで食事をして貰おうという配慮だろう。
  いつものように冷や酒5本をまとめて頼む。それが運ばれてからは一人で渓流のせせらぎを聞きながら酒肴を楽しんだ。民宿みやのには多少負けるかもしれないが、質量共にレベルが高かった。
  1時間以上かけて夕食を終えると、「明日片付けますからそのままにしておいて下さい。」と云われていたので、部屋へ戻って就寝する。
松楓荘の朝食。
10.盛岡の居酒屋
  明くる17日は曇り空だが降雪は止んでいた。大食堂で朝食を済ませた後、ディーゼルエンジンの轟音が表から聞こえる。覘いてみると大型のホイールローダーがバス道路から松楓荘まで100メートルほどの下り坂アプローチを除雪中だった。バス道路の除雪時に一緒にやってくれるらしい。
  後で女将に聞くと、山道の除雪体制は充分整備されているので、昨日程度の降雪などまるで問題にしないそうだ。さらに、「市街地の方は降雪が多いと渋滞したりするようだけど、ここら辺はまずそんなことないです。」と若干誇らしげに話していた。
  9時50分のバスで下山する。昨日と同じボンネットバスでロイヤルホテルまで行き乗り換えだ。大更から花輪線利用も検討したが、乗り継ぎ時間が1分しかないのでやめておく。利用者のことを考えないダイヤのようだが、乗り継ぎ時間が充分あっても大更でわざわざ乗り換える物好きはほとんどいないのだろう。
  盛岡着は11時半で、今度は平日なので営業している岩手の居酒屋うまで昼飯・昼酒。宿に入室できるのは3時からなので、できるだけゆっくり飲むが、それでも3合ほどの酒では1時頃に終わってしまう。
  本でも買い込んで喫茶店で時間を潰そうと本屋を探すが、勘が悪いせいかさっぱり見付からない。しかしちょうどいい散歩と時間潰しにはなった。1時間ばかりうろうろした挙げ句、ようやく見付けた本屋で三浦しをんの、「神去なあなあ夜話 」を購入。そこからは真っ直ぐ宿へ行き3時までロビーでこれを読む。
  4時近くなり、この日お付き合い頂くOさんから携帯電話に連絡が入る。既にロビーにいるとのことで、急ぎ支度して下へ降りた。Oさんは過去の雪見酒紀行に度々登場している仙台在住の友だ。今回、「17日に付き合いませんか?」の問い合わせをしたところ、「盛岡出張です。<中略>盛岡の居酒屋で一杯いかがですか?」との返信があった。提案に異論はなく今盛岡の居酒屋巡りを開始しようとしている。
  しかしいかんせん時刻が早過ぎた。最初に向かった店は5時開店で、方向転換し盛岡城趾付近の横丁へ向かった。
  横丁に着いたのは4時半で相変わらず早いが、居酒屋というより和風食堂の暖簾がでていたので、此処からスタートする。それからは比較的短時間で店を替え四軒ほどハシゴした。さすがに六日間連続の昼夜酒の疲れが出たのか、7時半頃に打ち止めとする。しかし盛岡の居酒屋も中々良いと思う。いずれ再訪しよう。

――  雪見酒紀行2014 ――

雪見酒紀行2014トップへ

黄昏紀行
inserted by FC2 system