寝台特急「サンライズ出雲」紀行

***目次***
1.寝台特急
2.朝酒
3.昼酒
4.瑠璃光寺と一の坂川
5.一膳飯屋
6.倉敷
7.美観地区
8.昼酒(その2)
9.晩酌
10.岡山
11.後楽園

1.寝台特急

  旅に出ようと思い立ち、まず日程を決めてから列車が決まった。特急寝台車の中で数少ないB個室のあるサンライズ出雲だ。終点まで行くことにして出雲市に、そこからどうするか?
  近辺で有名なのは出雲大社だが、既に二度訪れたことがある。それに縁結びで有名な社だ。私にしてみれば運良く縁遠いままでやってきたのに、還暦を迎えて気力も体力も衰えてきた頃に、今さら縁など結ばれてはとても対応できるものではない。ということで大社は敬遠し、山陰線、山口線を乗り継いで、山口市へ行くことにした。 その後は前々から興味のあった倉敷に立ち寄り、ついでに翌日神戸で一杯、その翌日、各務原で一杯やってから帰宅とする。
  冷蔵庫に滞っていたツマミ類を紙弁当箱二つに詰め、午後6時半に家を出る。寝台列車は10時の発車だけれど、その前に八重洲口で一杯やって、気分を日常から非日常へ切り替えるつもりでいる。夜行列車旅ではいつものセオリーだ。
  東京駅で乗車券を購入。東海道線、山陽線、伯備線、山陰線、新山口、新幹線、新倉敷経由倉敷行きだ。駅員はこの手の注文には慣れていないようで、同僚に問い合わせたりしながら端末を操作するが、中々上手く行かない。挙げ句の果てに「伯備線(倉敷→伯耆大山)と最後の倉敷が重なるため、この切符発券できない。一つ手前の西阿智まで発券するので乗り越してくれ」と言い出す始末だ。おかしいとは思ったものの、面倒なので了承する。しかしいざ渡された切符は、倉敷までのものであった。料金は15,540円で9日間有効。
  八重洲中央口を出て徒歩三分のところにある、小体な居酒屋「おだいどころ やなぎ」へ向かった。四十代と見受ける夫婦二人だけでやっている、さりげないが気配りが行き届き、落ち着いて飲むことができる店だ。
  鷹勇たかいさみを 冷やで貰う。実のところ酒の銘柄など、ほとんど気にしないのだが、リストを出されて「どれにしますか?」と訊かれ、初めて目にする「鷹勇」に興味が湧いた。なにやら名前も良いし、鳥取の蔵元というのも、これからそちら方面へ旅立とうとしているのにそぐうように感じられる。

 発車二分前。ワンカップ大関と冷蔵庫を空にするために持ち出したツマミ。
 

一時間ほどで三杯と軽いおつまみを平らげる。少し早めではあるが切り上げて東京駅9番ホームへ向かった。今回利用するのは14号車で最後尾だ。ホームの売店でワンカップ大関を三個買い、列車の入線待つうちに足りないような気がして一個買い増す。
 定刻に到着したサンライズ出雲は、最後尾の乗務員室から車掌が顔を見せていた。これを幸便に検札を済ませる。
  個室に入って衣類を脱ぎ、窓際に酒、肴を並べれば間もなく発車だ。夜行列車での旅立ちなど、随分な回数繰り返しているが、それでも個室に落ち着くまではそれなりに緊張がある。今、ホームを見下ろしながら、おもむろにワンカップを飲み始めれば、胸中にあったそれがみるみる融けてゆくのが感じられる。後は用意した酒を飲み干して、眠りに落ちるだけだから急ぐこともない。
  空のコップが四つ窓際に並び、つまみも全部からになったのは、静岡の少し手前で、深夜の0時7分だった。ちなみにこれまで夜行列車での飲酒終了時刻はいつも不明で、翌朝気持ち良く目覚めるのだからそれでよいと思いつつも、一抹のわだかまりは感じていた。そこで今回は一計を案じた。
  終了時刻が判らなくなるのは、泥酔状態に陥っているためではなく、単に記憶が失われているだけと推定。ならばコップが空になったとき写真を撮ればよい。この策は当たりで、翌朝飲み終わりの記憶などかけらもなかったが、空のコップが四つが並ぶ画像のタイムスタンプは 08/10/22 0:07:18 となっていた。しかし構図はかなりひしゃげていたからかなり酔いも深かったようだ。自戒すべし。

 

 吾左右衛門鮓。
 

2.朝酒

  岡山に6時27分の到着。ここでサンライズ瀬戸と出雲の切り離し作業があり、6分間停車する。十年前に萩を訪ねたとき、この停車時間に駅弁を買い込んだ記憶があり、ホームへ下りてみたものの売店は閉まっている。
  しかし小振りなワゴンに二十個ほどの駅弁を積んだのが待機していた。新見駅まで車内販売するらしい。もちろん品切れになれば、その時点で販売終了だ。
  10号車にミニサロンがあり、このスペースで販売する。駅弁は四種類あり、迷わず吾左右衛門鮓にした。米子市の老舗米吾が製造する鯖の押し寿司は、1,750円と、駅弁にしては高価ながら、充分にそれだけの価値がある。
  朝から寿司が食えるならば、酒も欲しくなる。小さなワゴンの積載能力から、期待は全くしていなかったものの、一応販売のオバサンに訊いてみると「いくつですか?」の思いがけない反応だ。朝も早いことだし、一応自粛してワンカップを二つ貰った。終着の出雲市まで、まだ三時間半あり、その間個室を占拠して、のんびり飲んだら成り行きでうたた寝もできるのは、想像しているだけでも嬉しくなる。

3.昼酒

定刻9時58分、出雲市駅に到着する。ここで虚しく一時間半待って新山口行きの特急列車スーパーおき3号に乗車予定だ。列車に乗るばかりで他に何もせず、おまけに一時間半待時間は、あまりに芸がない。しかし代替案はついに浮かばなかった。
  出雲大社参拝がないことは既に書いた。普通列車で山口方面へ先行し、途中どこかで昼飯を考えたが、上手く行かない。今年の一月までは10時10分発の快速アクアライナーが運行されていたので、浜田か益田辺りで一時間利用できた。しかしいつの間にアクアライナーは9時46分発になり、10時15分発の普通列車では、特急より浜田へ先行すること僅か14分しかなくなっている。

 茎若布の酢の物とコンビニ弁当で昼酒。
 

致し方なく、駅舎の中にあるコンビニエンスストアで、弁当、茎若布の酢の物、カップ酒三個を購入すると、後はひたすら待った。スーパーおきは鳥取始発の二両編成で、自由席は一両のみ。シーズンオフで空いているとは思ったが、少し早めにホームへ出る。
  出雲市駅から自由席への乗客は六名ほどであったが、それだけで空席はなくなる。山口までは三時間以上あるので、飲み始めるのは控えて様子を窺う。幸い次の停車駅大田おおだ 市で、乗客の半数くらいは下車してしまい、窓際に席を占め、隣も無人の、落ち着いて飲むには望ましい状態になった。
  山陰線には難読駅名が多い。温泉津ゆのつ敬川うやがわなど は簡単な方で下府しもこうなどは 何故そう読めるのか皆目判らない。益田から山口線に入ったため通過しなかったけれど、特牛こっといは 難読駅名マニアの間で、横綱クラスと評価されているとか。  

 
 古い木造校舎が良く手入れされているのを見ると、こんな校舎で学んだだけに嬉しくなる。
 

車窓風景は大田市に近づく頃から海が見え隠れする。絶景などとは無縁な、地味で寂しげに見える石浜だけれど、それでも海を見るとなぜか心が和む。
  益田市から山口線が始まり、列車は高津側に沿って山間部へと分け入る。しかしなだらかな中国山地でも、特にこの辺りは平坦で、紅葉にもまだだいぶ早かった。益田から二駅目が津和野で、女性観光客が多数下車する。
  天候は下り坂で、今にも降り出しそうだ。津和野から一時間弱で山口駅。ここから今宵の宿サンルート国際ホテル山口までは徒歩10分なので、キャリーカートを引っ張り歩く。市街中心部を抜けてゆくと、賑やかさこそないけれど、落ち着いた並木道の風情はよい。

4.瑠璃光寺と一の坂川(山口市内)

  チェックインを済ませて部屋に荷物を置くと、後はトイレを使ったぐらいですぐ外出した。何しろ家を出てから、酒を飲んでばかりで、旅らしい行動はまだ何も取っていないのだ。フロントで貰った「山口市観光案内図」はA3の用紙で、表は地図、裏に主要観光スポットが写真と簡単な紹介記事で並んでいる。ざっと眺めて暫定的にコースを決めた。
  ホテルの前を通るパークロード(日本道路百選)を行き、瑠璃光寺へ、ここの五重塔は国宝らしい。寺のすぐそばを一の坂川が流れ、この河畔は散策にも好適とされている。近いところにある八坂神社や龍福寺も由緒がありそうだ。

 県政資料館(旧県議会議事堂)。
 
 一の坂川。
 
 瑠璃光寺五重塔。
 

  ともかく歩き始める。パークロードは広々とした歩道を備え緩いカーブを描きながら僅かな上り坂になっている。街路樹は紅葉を始めたばかりだが、この辺りではあまり鮮やかな色に染まることはなさそうだ。全長は800メートルほどで、国道9号線にぶつかって終わる。悪い道路ではないけれど、日本道路百選というほどのものか。そもそも××百選などという発想がくだらないのかもしれない。
  国道を渡ると山口県庁の敷地に入る。大型観光バスが出入りし、それなりに立派な県政資料館もあるが、わざわざ見物に来るほどの代物ではない。国道に戻り300メートルほど北西に行くと、穏やかな流れがありこの辺りも ほんのり紅葉が兆している。
  平面図を見ると瑠璃光寺へ行く分岐は少し手前だった。戻って一車線の上り坂を行くと、大型観光バスに追い越され、しばらくしてもう一台。山口市では一番の観光スポットなのだろう。
  間もなく地形が開け、芝生を張った公園の向こうに五重塔が聳え立っている。1442年の建立で、おおらかさと風雅を兼ね備えた立ち姿は美しい。観光案内に「全国で一番美しい」と記述されているのも納得できる。正面から眺め、近づいて高欄や隅木の細工を見上げたり、再び離れて瑠璃光寺本堂のある高みから角度を変えて眺めてみたり、しばらく塔の美しさを楽しんだ。
  隣接する香山こうざん公園には 露山堂(茶室)や枕流亭などの建物が残り、幕末期には倒幕の密議や、薩長連合の会談場所として使用されたらしい。この類の話が好きな人には見逃せないところだろうが、こちらにはそのような趣味もなく、近づくこともせずに一の坂川の方へくだった。
  川に沿って細い道があり、しばらくで先ほどの国道9号線に突き当たる。これを渡った辺りから、川の両側に道路が整備され、自動車の乗り入れは制限されているのか、両側の商店や飲食店を覗きながらの散策が楽しめる。
  付近にある八坂神社が重文ということで寄り道したが、あまり感銘を受けることもなかった。要するに良さが良く判らないのだ。踵を返すと下竪小路筋に目を惹く重厚な建物がある。近づいてみると「ふるさと総合伝承センター」の、ガッカリさせるような看板が掛かっていた。しかし入場無料ということもあり、中に入って説明文を読むと、センターはいくつかの部分からなり、今立ち寄ったのは旧野村酒造建物とのことだ。
  野村酒造がどれほどの造り酒屋であったのか、説明はないものの、住居の豪壮さや、大酒樽で茶室を造る酔狂など、かつてはこの地方有数の規模を誇ったのであろう。
  時刻は5時近くなり、曇り空のせいもあり辺りには黄昏の気配が濃くなっている。一の坂川沿いの道に戻り、中の明かりが店先をほんのり赤く染める様子など撮影しながら帰途についた。

 上竪小路の三隅勝栄堂は創業1861年。
 
 ふるさと伝承センター。
 
 大酒樽を逆さに置いて茶室に改造してある。
 
 三間地醤油店。
 
 喫茶むくの木。
 
 惣野旅館。
 

  一旦、宿へ戻りカメラバッグとデイパックを置いて出直した。フロントで「晩飯がてら適当に飲める居酒屋」を訊いたところ、 先ほどの「観光案内図」とは別の「やまぐちたべものMAP」を手渡され、一軒お奨めを指してくれた。ついでに菓子屋の御堀堂の所在も教えて貰う。  

 一膳飯屋。
 

  菓子は食べないが、土産というか、留守宅で耐震改修工事をやっている大工さんへの差し入れにするつもりだ。この方面はまるで不案内なので、山口出身の友人Tに電話したところ、御堀堂外郎ういろう を推奨された。徒歩10分もかからない、駅前で裁判所向かいが本店らしい。

5.一膳飯屋

5時半なのに表はまだ暮れなずんでいて、さすが本州最西端に位置するだけのことはある。先ほど駅から宿への途上、目に付いた一膳飯屋を偵察した。横丁へ20メートルほど入ったところにあり、ガラス越しに中を窺うと、八十くらいのオバアサンが、カウンターの中で大儀そうではありながらも甲斐甲斐しく働いていた。
  店全体の佇まいも好みだ。ともかく晩酌場所候補として、御堀堂へ向かった。黒々とした裁判所の向こうに、塔のような四角い看板があり、その真下が本店だった。間口は二間ほどだが、奥行きもあり店内は広々している。女店員に神奈川への送付が可能か訊くと、「950円で翌日発送」との返事だった。
  ショーケースに並ぶ折り詰めを見ても、さっぱりイメージが湧かず、送料とのバランス(?)で2,100円の品一箱を留守宅向けて送付した。店を出ると、辺りは既にとっぷり暮れていて、裁判所前の人通りはまばらだ。帰り道に僅かばかり遠回りをしてホテルお奨めの居酒屋をチェックする。外からの一瞥だから当てにはならない判断だけれど、面白味に欠ける店だった。
  一膳飯屋を晩酌の場と決める。先客は誰もおらず、先ほどのオバアサンがカウンターの中にちょこんと座っていた。カウンター席でショーケースの前辺りを選んで腰をかけると、おしぼりを出してくれる。これを受け取りながら冷や酒を所望。目の前に並ぶものは総菜料理的なものばかりだ。

 一膳飯屋のショーケース。 
 

この手のもので一杯やるのは好みだから、店の選択に誤りがなかったと嬉しくなる。取り敢えずは蕪の葉を炒めてジャコを和えたものと、蓮とこんにゃくの炒り煮を「コレとコレ」と指差して注文。小鉢に少量盛りつけられるのも良い。しばらくして女将が店に出てきた。日頃は6時前に客が入ることなどないのだろう。
  壁のホワイトボードには本日のお奨め刺身として、鰺と平目が書きだしてあった。どちらにしたものか考えていると、(それを目敏く見付けたのか)女将から「刺身を少しずつ盛りつけましょうか」の声がかかる。板前などは置いていないのか、彼女自身が鮮やかに捌いて出してくれた。
  次をハシゴする気もなくなり、寛いだ気分になって本格的に飲み始める。他に客がいないせいもあってか、雑談が続く。山口市は目立った産業もない一方、県庁所在地であるため、公務員が多数居住・通勤し、その中で、単身赴任者がここの常連客の主流を占めるらしい。そんな連中が毎晩来て、飽きず無理せず食べられるのは総菜料理的なものに落ち着くそうだ。休みの前日は、彼等が帰宅してしまうため、閑古鳥が鳴くという。
  もう一品追加し、合計五杯を飲み干す。勘定がいくらだったかはっきりしないが、四千円でお釣りが来たようだ。徒歩二分で宿へ帰り、安らかに就寝した。

「6.倉敷」へ

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