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6.倉敷

  
  
6時に目を覚ます。天気が良ければ、もう一度瑠璃光寺などを巡るつもりでいたが、窓から見下ろす国道の水溜まりには雨滴が絶え間なく波紋を作っている。新聞でも読んで時間を潰そうと、フロントで訊くと「新聞の販売は予約があった場合だけ. . . .」と、さえない返事だ。
  ガイドブックで倉敷の概要を予習し、7寺から朝食。思っていたより宿泊客は多く、ビジネスと観光で半々ぐらいだろうか。若い人は少ない。
  7時半にチェックアウトし、タクシーを呼んで貰う。駅まで徒歩10分は、雨さえ降らなければ間違いなく歩くが、濡れた折り畳み傘を持って旅するのが煩わしかった。
  フロントマンは電話を終えると「少々お待ち下さい」と云った。ところがさほど広くないロビーを横切って、玄関に達すると車寄せにタクシーが滑り込んでくる。どこで客待ちしていたのか、待つ暇などない。
  愛想の良い中年運転手は、停車するやいなや車を降り、トランクにカバンをしまってくれる。どこから来たか訊かれ、神奈川と答えると、「あちらに較べると山口は車の往来も少なく. . . .」と、寂れた街ぶりを話す。「落ち着いて良い街だ」と感想を述べたら「旅の皆さんそう褒めながら、だけど不便だとおっしゃる」。

 山口始発の新山口行き普通列車。新山口駅。
 

駅までは、近い上に渋滞はもちろん信号もあまりないので、あっという間に着く。料金は610円のみ。車中での会話で、神奈川の初乗り料金710円を「そんなにするんですか」と云っていたから、迎車料金として300円追加されることなど聞いたら目を剥いたかもしれない。
  駅で新幹線特急券を買う。念のため、新山口→新倉敷→(在来線)→倉敷の経路を、新山口→福山→(在来線)→倉敷に変更しても問題ないことを確認する。今朝、暇潰しに時刻表を調べ、後者の方が乗り換えが少なく、在来線でのんびり旅できる区間が長く、倉敷に着くのは同じ時刻(同じ列車)であることに気付いたのだ。
  山口始発の列車は、四両編成で新山口から到着し、切り離して先頭車はそのまま(津和野などを経由して)益田へ向かい、残り三両が折り返す、変則的な運行だった。長閑だけれど、それ以上の取り柄がない車窓風景を漠然と眺めつつ23分、新山口に到着する。
  この駅は以前利用したことがある。十年前の秋、連休を利用して萩を訪ねた。宿の予約をしておらず、午後になってから探したが、軒並み断られた。そんな当たり前のことも知らない、うぶな旅行者であった訳だが、仕方なく「ここならばまず問題なく宿が見つかる」と萩駅員が教えてくれた小郡へ向けバスで脱出し、簡単に駅前のビジネスホテルに泊まることができた。その小郡が2003年にのぞみ停車駅になると共に、駅名を新山口に変えたそうだ。ちなみに当時は平成の大合併後で山口市の一部になっていたが、以前は小郡町として独立していた。
  ひかり448号に乗って一時間、福山から在来線に乗り換えて40分、10時半に倉敷到着。今にも泣き出しそうな雲行きだが、取り敢えず雨滴は落ちてこない。今日の宿、東横イン倉敷南口は駅から徒歩3分だ。
  チェックインを済ませて、「市街平面図が欲しい」というと、カウンターの下から地図帳を取り出し「どの辺りでしょうか?」とコピーでも取るつもりらしい。観光用のものはないのか訊いてみれば、すぐに「白壁の街倉敷おさんぽマップ」がちゃんと用意されていた。
  倉敷の見所はなんといっても「美観地区」らしい。それにしても酷い命名で、訪ねる気をかなりそがれる。「伝承地区」とかせめて「景観地区」ぐらいにして欲しかった。ともかくそちらへ向かうのにすぐそばのアーケード街えびす通りを選ぶ。商店街の雰囲気と食べ物屋(飲み屋)を物色したかったためだ。
  雰囲気は好ましい。道幅は狭めで人通りも少ないけれど、寂れた感じは全くない。構えは小振りなところがほとんどだが、個性と優雅さを備えた店が多く、さらに全体として「倉敷らしさ」を醸し出している。間もなくアーケードが尽き、本町通りになった。店の間に住居が交じり、地味な感じになる。公民館の前まで来て、いよいよ地味な様子なので、少し戻って倉敷川の方へ向かった。

 アーケード街えびす通りの洋食屋。パフェが売り物。
 
 美観地区入り口付近T。
 美観地区入り口付近U。
 
 電気招き猫。電池式や太陽光発電方式など。

7.美観地区

  通が二本替わっただけで雰囲気は一変する。観光客が引きも切らず行き交い、商店は観光客相手があらわなところばかりだ。 見ているだけでくたびれる。団体客が(団体行動、自由行動あわせて)通行人の七,八割方を占めている。
  3分ほどで大蔵美術館の前に出た。石造りの今橋中央に立ち止まり、川を挟んで相対する大蔵邸と美術館の写真を撮ったりしながら様子を窺った。比較的小振りな正面ゲートを出入りする人波は途切れない。そのうち二百人くらいの団体が到着した。
  美術館鑑賞はやめにする。館内で団体に遭遇するのは災難といって良い。団体で行動されるだけで周囲は圧迫感を受けるし、かててくわえて連中の大半は鑑賞などしたいと思っていないから、勢いマナーは悪くなる。だからといってこの団体が去るのを待っても、すぐ次のが来襲するであろう。
  それにここの収蔵品で見たかったのはエル・グレコくらいで、その「受胎告知」にしても、紹介の写真で見る限り、さほど惹かれるものではなかった。

 大原美術館のほぼ隣にある喫茶店エル・グレコ。
 
 倉敷川の美観地区を往復する川船。
 
 大原美術館。
 
 大原邸。孫三郎や總一郎の生家。

  僅かながら人通りの少ない左岸を行く。川面を一艘の和船が観光客を乗せ、菅笠の船頭が棹さして行く。川端柳や背景となる白壁にマッチして良い雰囲気だ。後で料金表を見たら、三百円だった。安いようにも感じるけれど、全長300メートルほどのコースを、一度行き来するだけらしいから、このくらいが料金の限界かもしれない。
  左岸には比較的飲食店が多く、雰囲気もそれなりに良さそうだけれども、値段も高そうだ。老舗の料理旅館鶴形の経営するレストランなど、かなり食指を引かれたが行き過ぎる。
  今橋から100メートルほどで、これも石造りの中橋があった。

 中橋を過ぎると飲食店がさらに増える。
 

川は45度くらい折れ曲がり、屈曲点にある木造の洋館は1916年に築造されたかつての町役場で、現在では観光案内所になっている。
  左岸に立ち並ぶ飲食店はさらにその密度を高めた。11時半なので「時分どきより少し早めによい席を」と物色していたが、次第にばからしくなる。観光客以外はまず絶対に訪れないような店で、さして旨くないもので高い値段を取られ、そんな店を有り難 がるような連中に取り囲まれては、災厄という以外にない。
  しかし白壁に倉敷窓、あるいは倉敷格子(上下に通る親竪子の間に,上端が切りつめてある細くて短い子を原則,3本入れる)などの街並みは、イミテーションが混じるにせよ好ましいものだ。
  細い路地を10メートルほど入ったところに、蒲鉾屋がある。間口一間ほどの小さな店だが、周囲に馴染んで落ち着いたたたずまいだ。近づいてみると1912年(明治45年)の創業と書かれている。 こんな店で作る蒲鉾ならばさぞかし美味そうだが、考えてみれば、周囲の景観とそこで作られる製品に直接の関係はない。
  実のところ、これは負け惜しみに近い。買い求めたかったのだが、帰宅までにはなお三泊を残し、だからといってクール便などを使用すれば、たかが蒲鉾なのに随分高価なものになってしまう。

 二階の白壁に倉敷窓や倉敷格子。しかし地酒の暖簾上に見える構造はなんだろう?中央に白く見えるのは富士山風の山が塗料で描かれている。
後日談:写真の土手森酒店に問い合わせのメールを送ってみた。程なく返信が届き「あの屋根の上の物は、昔よりのデザインの看板でございます。 今はすっかり見ることは無くなりましたが、 奈良県などの旧宿場町には数件残っているそうです。弊社の看板も店舗大改装を期に、改装されております。」とのことだった。
 

 
 せんべい屋を真面目に見たことはないが、随分品揃えが豊富だ。
 

  下流に向かいさらにしばらく行くと、これも石造りの高砂橋があり、そのすぐ先は相互一車線の車道だ。美観地区もここでお終いになる。
  倉敷川と平行し一本東側に位置する小路を戻った。川沿いと異なり、歩行者専用ではない。こちらも旧い建物が多いけれど、それほど観光(飲食店、土産物屋)化が進んでおらず、趣は落ち着いている。
  100メートルほど行くと右手に「倉敷アイビースクエア」へのエントランスがある。なんなのか判らなかったが、雰囲気が良さそうなので足を向けた。アイビー(蔦)の絡まった煉瓦造りの建物がある。明治期の倉敷紡績創設工場だった。

 倉敷アイビースクエアのアイビー学館(正面)とオルゴールミュゼ。
 

  ホテル、児島虎次郎記念館、倉紡記念館、アイビー学館などから成り立っている。旧い建物を利用したホテルは魅力的ながら、高そうだし今さら宿替えはあり得ない。
  建物の外観を眺めて素通りするつもりでいたが、アイビー学館前で、高階秀爾氏による、西洋絵画の誕生から抽象絵画への流れを解説する「近代絵画の動向とその展開」コーナーがあるとの掲示を目に留め、中を覗く気になった。
  ところが有料であるにもかかわらず、ここでは入場券を売っていない。倉紡記念館で二館共通券が350円で売られており、そちらまで行ったのでついでに展示も見た。収穫はなし。
  高階秀爾氏は朝日新聞のコラム「美の現在」などに執筆しているのを読んで知り、その見識の高さに惹かれている。この人の解説故に期待したのだが、ごく簡単 な短文の紹介が写真パネルに添えられているだけだった。私レベルにはそれで良かったけれど、何故か写真が一律して不鮮明な映像で、つい目を凝らしてみるため、こちらの方がくたびれた。

 本町通り。
 

  アイビースクエアをでて北へ向かうと、間もなく本町通りにぶつかる。ちなみにこの通りは先ほどアーケード街えびす通りを出て歩いた通りの続きで100メートルちょっとをスキップしたことになる。
  比較的小振りな家が多いのは、元々庶民の街であったためか。それが間口の狭い飲食店になったり、民芸・手芸品などを商っていたりする。倉敷川沿いよりは鄙びて地味な感じで、夜に一杯やってみたいようなところもあった。
  左手に石段があり、阿智神社に通じている。これは帰途よることにして、さらに東へ足を延ばした。次第に白壁の旧家が減り、詰まらない街並みへと変わってゆく。この辺りが本町通りの限界かと、右に曲がってみた。

 左上:忍び返しと銅の樋。左下:石を刻んだ看板。右:ギャラリーへ通じる細い路地。
 

  路地を10メートルほど入って、屋根の上に設置された古風な木製の忍び返しに目を惹かれた。カメラを構えると、今時珍しい銅製の樋が、それもピカピカに磨かれた状態で軒端にある。
  これは何か由緒のある家と、改めて一階部分を見ると商家らしい。正面中央部の石を刻んだ看板には「やましは」と右横書きだ。「呉服と洋品」と明記されているが、ガラス戸の重々しさは、一見の通行人が覗くことなどきっぱり拒否している。
  感心して通り過ぎたら、店の横手に奥へ通じる細い路地があり、「ギャラリーはしまや夢空間にはこちらからもお入りいただけます」と記されていた。

  これならば一見でも構わないだろう。 路地のほとんど終わり近く、左手に小さな中庭があり、これに面して二つの蔵がある。手前がギャラリーで、奥は喫茶サロンだ。ギャラリーは敬遠しようと踏み出した途端に、中から出てきた中年女性に「どうぞ御覧になって」と奨められ、先を急ぐこともなかったのでギャラリー蔵に入る。
  テーマは木工創作椅子ということらしく、数人のデザイナーによる様々な椅子が並び「お掛けになって. . . .」の札が掲げられている。制作者の知人らしい三十前後の男が二人話し込んでいた。声高と云うほどではないけれど、ギャラリーなどで他人がいればもう少し控えても良いような話し方だ。
  それを避けたわけでもないが、椅子に興味はあまりなく、しかし蔵を利用した空間には魅力を感じて二階へ上がった。棟木の丸太が迫力充分で、垂木なども堂々たるものだ。室内は暗かったので、カメラバッグから常備の油粘土を取り出し、これの上にカメラをセットしスローシャッターを切る。
  階下からの声が一段と高くなった。一人は立ち去り、残った男が携帯電話で話し始めたのだ。これは既に傍若無人のレベルで、蔵の中がひっそりしているだけに不快さが際だった。もとより長居する気はなかったので、すぐに退散する。引き戸から出るときに、誰にともなく「うるさいな!」と云ったのはいささか品性に欠ける発言であった。年のせいか堪え性がなくなっている。

 左:展示されている椅子。右:サロンはしまや。
 

  隣のサロンでコーヒーを飲む。最近には(多分)珍しく、サイフォンで淹れていた。美味いと思ったのは、コーヒーの味そのものだけではなく、改装された蔵の好ましい雰囲気と、他に客もおらず、時間が止まったように感じられる静寂のお陰もあったようだ。代金は450円。

 阿智神社から見下ろす美観地区。中央部奥に小さく見える四角い塔が倉敷館(旧役場)

  はしまやを出て、東通りを東へ向かう。明治期の呉服屋別荘を改築したという旅館、「敷の宿 東町」がある。ここは昼飯も提供している。二百坪の庭が自慢の宿なので、庭を見ながら食事ができるならば、多少高価でも利用しようと思ったが、一歩入って様子を窺うと、薄暗く陰気な部屋で年老いた先客がひっそり食事している。やめにした。
  東通りから本町通りへ戻り、通の中ほどから階段を登って阿智神社へ。参拝客はおらず、散歩中らしい老人が一人、絵馬堂で休んでいた。この絵馬堂から美観地区が一望できるのだが、あまり面白くない。ヨーロッパの古都は概ね美しく、単眼鏡で詳細を眺めて飽きなかったりした記憶があるが、今眼下に拡がっているのは、単調な黒瓦と白壁ばかりで、古都らしさとか倉敷らしさが感じられないのだ。やはり(日本ならば)神社仏閣などの、ある程度大きくメリハリの利いた建物がないと、駄目なのかもしれない。

8.昼酒(その2)

  阿智神社の裏手、鶴形山公園を抜けて本町通りに戻り、さらにえびす通りへと昼飯昼酒の場を求めて移動する。
  中々意に沿う店が見つからず、駅の間近まで来て、昔ながらの佇まいに食指の動いた洋食屋があった。しかし視線を僅か先に送ると、もっと好みにあった店がある。「うなぎ」の幟や、赤地に白くラーメンと書いた看板など、食堂ではあるが居酒屋的雰囲気も濃厚に湛えた店だ。カウンター席に坐り、ともかく冷や酒を所望する。時刻は既に二時近い。
  お品書きを一通り眺め、カウンターに置かれたお奨めメニューに目が行った。ちりとり鍋二人前1,575円。冷や酒を運んできたオバサンに、一人でも二人前頼めばよいか、二人前だからと行って食べきれないほどの量ではないことを確認し、これとさらに冷や奴を頼んだ。

 ちりとり鍋。
 
 肉屋のコロッケ。
 

  ちりとり鍋は初体験なので、最初はこの店のオリジナルかと思った。しかし執筆にあたり調べてみると、大阪界隈ではかなりポピュラーであるのみならず、近年は東京でも流行っているとの情報もあった。
  しばらくして運ばれてきたちりとり鍋は、ホルモンと数種類の野菜が全量鍋に盛られ、タレもかかっている。底の方の焼け始めたところから、早速食べ始めた。タレは甘目のもので、鍋物として上々とは思えない。しかし何を食べてもたいてい美味いと思う方だし、野菜がたっぷりなのは結構なことだ。
  これと冷や奴で三杯の冷や酒を飲み干す。一時間弱で、この間に訪れた客は一組だけだった。若い母親が幼稚園帰りらしい娘を連れ、子供に焼きそばを食べさせ、自分は生ビールを飲んでいた。どういう人なのか。
  昼飯の勘定は2,983円。ほろ酔いの豊かな気分でえびす通りを宿へ向かう。途中、肉屋でコロッケを揚げながら販売しているのを目にして、満腹ながら一つ欲しくなった。35円で熱々のが手渡される。部屋に戻って手づかみで食べた。 安価にもかかわらずこれも美味い。  
  一眠りして夕方の美観地区を再訪する。時刻は5時近く、大原美術館なども閉館するためか、観光客は激減し、土産物屋なども店じまいに取りかかっている。倉敷の街並みをようやくゆっくり味わうことができた。 やはり良いところだと思う。観光客が多過ぎなければ. . . .  

 夕刻の倉敷川河畔


 

 玄関の鉄扉も古そうだが、上のステンドグラスが凄い
 焼いたママカリ。
 

9.晩酌

  一旦宿へ戻り、カメラバッグを部屋に置き、カメラ一つを肩に黄昏の街に出た。夕食を兼ねた晩酌だが、あれこれ店を探すことはせず、昼の居酒屋喜久味へ直行した。
  時刻が早いせいか先客はなく、先ほどと同じ席に坐った。昼間のオバサンは交替したのかおらず、女将らしい貫禄のあるオバサンが注文を取りに来る。まずは冷や酒。
  じっくりお品書きを見るが、意外に品揃えが貧弱だ。結局とうふサラダとホルモン炒めを頼み、岡山まで来たのだからとママカリを追加した。しばらくして登場したママカリは、こんがり焼かれてさらにタレに漬けたものだ。酢締めとばかり思い込んでいたから意表を突かれる。
  食べ方が判らない。身をほぐそうとしたが、かなり締まっている。面倒なので頭からがぶりと囓ってみたら、割に骨は柔らかい。結局判らないまま頭から尻尾まで骨ごと全部食べてしまった。今から思えば「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」で、女将にでも確かめておけば良かった。
  飲み始めたときは「ラーメンで締めるか」など思っていたが、突き出しを含め四品のツマミと五杯の酒で腹一杯になる。6時半に切り上げて、勘定は3,802円。真っ直ぐ宿へ戻りすぐに就寝した。

「10.岡山」へ