6.倉敷
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駅までは、近い上に渋滞はもちろん信号もあまりないので、あっという間に着く。料金は610円のみ。車中での会話で、神奈川の初乗り料金710円を「そんなにするんですか」と云っていたから、迎車料金として300円追加されることなど聞いたら目を剥いたかもしれない。 | ||||||
アーケード街えびす通りの洋食屋。パフェが売り物。 |
美観地区入り口付近T。 | |||||
美観地区入り口付近U。 |
電気招き猫。電池式や太陽光発電方式など。 | |||||
通が二本替わっただけで雰囲気は一変する。観光客が引きも切らず行き交い、商店は観光客相手があらわなところばかりだ。
見ているだけでくたびれる。団体客が(団体行動、自由行動あわせて)通行人の七,八割方を占めている。 | ||||||
大原美術館のほぼ隣にある喫茶店エル・グレコ。 |
倉敷川の美観地区を往復する川船。 | |||||
大原美術館。 |
大原邸。孫三郎や總一郎の生家。 | |||||
僅かながら人通りの少ない左岸を行く。川面を一艘の和船が観光客を乗せ、菅笠の船頭が棹さして行く。川端柳や背景となる白壁にマッチして良い雰囲気だ。後で料金表を見たら、三百円だった。安いようにも感じるけれど、全長300メートルほどのコースを、一度行き来するだけらしいから、このくらいが料金の限界かもしれない。 | ||||||
川は45度くらい折れ曲がり、屈曲点にある木造の洋館は1916年に築造されたかつての町役場で、現在では観光案内所になっている。 | ||||||
二階の白壁に倉敷窓や倉敷格子。しかし地酒の暖簾上に見える構造はなんだろう?中央に白く見えるのは富士山風の山が塗料で描かれている。 後日談:写真の土手森酒店に問い合わせのメールを送ってみた。程なく返信が届き「あの屋根の上の物は、昔よりのデザインの看板でございます。 今はすっかり見ることは無くなりましたが、 奈良県などの旧宿場町には数件残っているそうです。弊社の看板も店舗大改装を期に、改装されております。」とのことだった。 | ||||||
下流に向かいさらにしばらく行くと、これも石造りの高砂橋があり、そのすぐ先は相互一車線の車道だ。美観地区もここでお終いになる。 | ||||||
ホテル、児島虎次郎記念館、倉紡記念館、アイビー学館などから成り立っている。旧い建物を利用したホテルは魅力的ながら、高そうだし今さら宿替えはあり得ない。 | ||||||
アイビースクエアをでて北へ向かうと、間もなく本町通りにぶつかる。ちなみにこの通りは先ほどアーケード街えびす通りを出て歩いた通りの続きで100メートルちょっとをスキップしたことになる。 | ||||||
路地を10メートルほど入って、屋根の上に設置された古風な木製の忍び返しに目を惹かれた。カメラを構えると、今時珍しい銅製の樋が、それもピカピカに磨かれた状態で軒端にある。 | ||||||
これならば一見でも構わないだろう。
路地のほとんど終わり近く、左手に小さな中庭があり、これに面して二つの蔵がある。手前がギャラリーで、奥は喫茶サロンだ。ギャラリーは敬遠しようと踏み出した途端に、中から出てきた中年女性に「どうぞ御覧になって」と奨められ、先を急ぐこともなかったのでギャラリー蔵に入る。 | ||||||
左:展示されている椅子。右:サロンはしまや。 | ||||||
隣のサロンでコーヒーを飲む。最近には(多分)珍しく、サイフォンで淹れていた。美味いと思ったのは、コーヒーの味そのものだけではなく、改装された蔵の好ましい雰囲気と、他に客もおらず、時間が止まったように感じられる静寂のお陰もあったようだ。代金は450円。 | ||||||
はしまやを出て、東通りを東へ向かう。明治期の呉服屋別荘を改築したという旅館、「敷の宿
東町」がある。ここは昼飯も提供している。二百坪の庭が自慢の宿なので、庭を見ながら食事ができるならば、多少高価でも利用しようと思ったが、一歩入って様子を窺うと、薄暗く陰気な部屋で年老いた先客がひっそり食事している。やめにした。 阿智神社の裏手、鶴形山公園を抜けて本町通りに戻り、さらにえびす通りへと昼飯昼酒の場を求めて移動する。 | ||||||
ちりとり鍋は初体験なので、最初はこの店のオリジナルかと思った。しかし執筆にあたり調べてみると、大阪界隈ではかなりポピュラーであるのみならず、近年は東京でも流行っているとの情報もあった。 | ||||||
夕刻の倉敷川河畔
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玄関の鉄扉も古そうだが、上のステンドグラスが凄い | |||||
一旦宿へ戻り、カメラバッグを部屋に置き、カメラ一つを肩に黄昏の街に出た。夕食を兼ねた晩酌だが、あれこれ店を探すことはせず、昼の居酒屋喜久味へ直行した。 | ||||||