赤礁崎の名は、この赤味を帯びた岩塊にちなむらしい。
 

 11.中国地方横断
  撤収が終わり目的地が決まると、それほど急いで出発する必要がないと判った。オートキャンプ場のもう少し先には、遊歩道も整備され、灯台もある。この辺りを散歩し、赤礁崎を離れたのは8時半近かった。
  昨日と同じ道を引き返し、小浜西インターチェンジから舞鶴若狭道に乗り入れる。相変わらず断続的に驟雨と遭遇し、昨夕の設営飲食時と、今朝の撤収時に雨が止んでいたことは僥倖であったと再認識する。
  舞鶴若狭道は空いていて快調に進むことができるが、景観に面白味がなく退屈してしまう。吉川ジャンクションで中国道へ乗り入れた。山陽道は曲がりなりにも新幹線の車窓から眺めたことがあるけれど、中国道の通過する地域は初めてだ。そんなことで期待はあったのに、相変わらず単調な景色ばかりだ。
  再び予定を変更し、倉敷近辺で一旦高速道路を降りて昼飯。その後は山陽道を利用して宮島へ向かうことにした。倉敷インターチェンジから国道2号線へ乗り入れ、ドライブインを探す。簡単に見つかるものと思い込んでいたが、マクドナルドのドライブスルーに類する「箸にも棒にもかからない」ものが数軒あっただけで、いつの間にか高架道路になってしまった。
  もちろんドライブインがあるはずもなく、あまり渋滞することもなく行くのは有り難いが、先を急ぐならば高速道路の方が遙かに勝るわけで、高架道路を離脱することもできないまま、ストレスを募らせて数キロ進む。高梁川を渡ってしばらく行きようやく平地に降りることができた。
  間もなく道路左手に10台分ほどの駐車場を備えた定食屋を発見。雰囲気からすると酒のない可能性があるものの、その時は飲まない二人に殉ずることにした。入ってみると四人がけのテーブルがおよそ十、奥にカウンターと皿に盛られた食品の棚があり、セルフサービス形式だ。壁に掲示されたメニューには酒もある。
  和食の比率が多く、昔、駅前などにあった定食屋を彷彿させる。しかしこれはノスタルジーから来る思いこみで、経営者はカフェテリアの和食化を考えただけかもしれない。ツマミになりそうなものを数品トレイに乗せてレジへ行き、「酒、常温、三つ」で、徳利型一合ガラス瓶三つを受け取る。前日の幸屋と違って、簡単明瞭で紛れがない。
  およそすべてが幸屋と対照的だった。客層、価格、スピードeTc.。どちらも良いと思うが、二者択一ならばこれを選ぶ。根が貧乏人なのだ。二人をあまり待たせぬよう、急いで三合を飲み干し、メシは食べずに昼食を終わりにした。

12.安芸の宮島

 JRのフェリーボート。およそ200トン。
 

 大鳥居の正面から島へ近づく。
 

再び高速道路に乗り入れおよそ二時間、広島を過ぎ五日市のインターチェンジを降りる。そこから島へのフェリーボートが出る、宮島口までは半時間足らずだった。到着は3時半。
  宿に問い合わせると、島には適当な駐車場がないとのことで、千円の料金を前払いし、乗り場すぐ横の駐車場に車を置く。
  フェリーボートはJRともう一社が運航し、頻繁な運航が交互になされている。運賃は片道170円。JRの出港が間近だったので、これに乗る。
  上記のような次第で、「偶々」乗ったJRだが、二社は航路が異なり、迂回して結果的に大鳥居の正面から島に接近するのがJRルートだ。海上からの眺めを堪能することができた のは幸運。
  10分ほどの航海を終え、宮島桟橋へ接岸する。時刻が厳島神社の拝観終了に近いためか、上陸する人数は僅かだが、本土へ帰ろうと待っていた人は多かった。
  ターミナルビルを出ると、正面に今宵の宿、岩惣のマイクロバスが待っていた。乗り込んだのは我々三人だけだ。

13.岩惣旅館
  安政元年(1854年)に岩国屋惣兵衛がこの地に茶屋を開いたのが始まりで、明治初期に旅館となったらしい。立地が素晴らしいだけに、宿泊した著名人は枚挙にいとまがない。  

 岩惣本館。
 

しかしTの思い入れは微妙に異なるようだ。彼の祖父は伊予松山近在の出身で、若くからの親友が謡を厳島神社奉納に毎年、松山から来訪した時期があるらしい。この親友と会うために、柳井から孫を連れて宿舎だった岩惣を訪ね、いつも「岩惣は良い宿だ」とTに語りかけていたらしい。質素な人だったので、本人は終生此処に泊まることをしなかった。幾星霜を経てTもその頃の祖父とあまり変わらぬ年齢となり、「泊まりたかったであろう」祖父の思いを替わりに果たしたいらしい。
  一方、この年月で岩惣も変わり、かつての超高級から「超」が抜けたことも、我々でも泊まれる理由だ。それでも料金は二人一泊二食で、本館、新館が四万円、離れだと七万を越す。ちなみに泊まったのは新館だ。
    

 南西側からみる厳島神社。右側僅かに見えるのは能舞台、左側の大屋根は千畳閣。
 

 マイクロバスは発進すると厳島神社とは逆の方へ向かった。狭い島で、「世界遺産」との関係もあり、車道はかなり迂回しなければならないらしい。さらにその制限の中で「少しでも眺めの良い道を」とのサービスから、「ウグイス道」と名付けられたルートだ。途中で停車すると、「この高見から厳島神社とその界隈が一望できます」と案内してくれた。せっかくだから撮影すれば良かったのに、今となっては後の祭り。
  そこから数分で本館前に到着した。表で仲居さん二人が待ち受けている。この手の接待は苦手で、むず痒いような思いがするけれど、我慢するしかない。

14.厳島神社(1)
  5階に案内され、ともかく部屋へ荷物を収めると、すぐ三人で出かけた。神社の参拝時間がそれほど残っていなかったからだ。しかしあたふたと出かけたので、マイクロバスに乗り込むとき手渡された神社界隈の平面図を置き忘れてしまった。
  「狭いところだから何とかなるだろう」と突き進んだが、勘の悪さは相変わらずで、神社拝観路の出口に辿り着いてしまった。仕方がないので周辺から先に見てゆく。ちなみにこの日は大潮 (6月30日が満月)で、丁度午後4時が最干潮にあたっていた。大鳥居の遙か沖まで干潟となり、大勢の観光客が思いおもいに歩き回っていた。
  潮の退いた砂地は、予想以上に締まっていて歩きやすい。こんなタイミングで訪れることができたのだから、最大限それを利用すべく、思い切り沖の方から大鳥居越しの神社を眺めてみた。  

 

 海側から見る大鳥居と神社。
 

通常であれば、船でも雇わなければ見ることのできないアングルと思う。しかし厳島神社の良さは、景観的にも洋上に浮かんでこそと改めて思った。一応十枚ほど撮影し、干潟歩きを終わりにする。
  拝観入り口に辿り着いたのは5時だった。貼り紙に満潮時刻、干潮時刻が記載されているのは、いかにもこの神社らしい。次の満潮は翌日の午前10時。
  ちなみに満潮は日に二回あるが、午後11時のそれは、海上保安庁海洋情報部の潮汐推算サービスによると午前中よりも60センチ近くも高い。これは月の潮汐力が太陽の潮汐力の二倍程度あるためらしい。
  

  西欧教会の回廊を想起させる。共通点もあるが、軽快でいかにも風通しが良さそうなころが好ましい。
 

 重要文化財のそり橋。Tが幼少の頃は渡ることができたとか。現在は通行禁止。
 

閑話休題。2004年9月の台風では国宝の左楽房倒壊をはじめ、甚大な被害を受けたことは記憶に新しいが、今は見事に復旧されている。ちなみに寄進者掲示板に四千五百万円の金額があり凄いと思ったが、左楽房再建をはじめ厳島神社の重要な工事を再三請け負っている増岡組の社長だった。
  話柄が脇道にそれてばかりいるが、厳島神社は素晴らしかった。さすが世界遺産と云うべきか。千数百年の歴史を感じさせながら、それが高圧的でないところが素晴らしい。しかし違和感もあった。「洋上に浮かぶ」ように造る、この着想が独創的でありかつこの建物群が持つ魅力の源泉となっている。それなのに今は大潮のため干潟の上に「不時着」してしまったかのようだ。
  それだけならばまだしも、洋上ならばないはずのノイズが混じる。カップルが渡り廊下の下をくぐって内側を徘徊し、神官に退去するよう注意されていた。これは非道すぎるかもしれないが、周囲を歩く観光客(先ほどまでその一員だった)が、この場の風雅さを損なってしまうのだ。
  結局20分ばかりで拝観を終わる。明日また満潮の時に再訪することとして。

15.文月のさわやか涼会席
   晩餐は寝室と同じ階の同じ造りだが別部屋で供された。食事中に寝具などの用意を済ませるためであろう。「文月のさわやか涼会席」と名付けられたメニューは豪華で、宿泊料相応と云うべきか。以下にそのままを書き写す。

先付け:焼茄子寄せ 黄身辛子 丁字茄子

前菜:穴子玉子 エシャレットペッパー揚げ 鮎笹の葉寿司 フルーツトマトクリームキャビア 新もろこし小袖焼き 酢蓮根

造り:瀬戸の白身魚洗い 鱧落とし 鮪とろ

焼き物:すずき蓼焼奉書包み 姫さざえ 酢取茗荷

冷し鉢:夏野菜焚き合わせ 冬瓜 団扇茄子 才巻海老 ゼリーあん 椎茸 環人参 三度豆 振柚子

箸洗い:葛そうめん 小梅 紫蘇の葉

洋皿:比婆牛ローストビーフ 彩り野菜 ルッコラ ベビーリーフ アボカド パブリカ 香味ドレッシング

揚物:太刀魚アスパラ巻き 宮嶋沖海老素揚げ 香味塩レモン

食事:白飯 浅利時雨煮

香の物:水茄子 京紫

留椀:鯛赤出し仕立て

水菓子:フルーツあんみつ仕立て 梅酒ゼリー 水羊羹 葛きり 西瓜 メロン チェリー

  写真は何故撮影し忘れた。

 岩惣の寝室。
 

 

16.厳島神社(2)
  7月2日、曇り空はいつ降り出してもおかしくないような具合だ。地下の大食堂で朝食を摂る。三グループが食事中であったが、そのうち二組は外人さんだ。食事を済ませ荷物をまとめると、それぞれの部屋で潮が満ちてくるのを待った。
  9時になり、満潮にはまだ間があるものの、その日のうちに松山まで移動するつもりなので厳島神社再拝観に出かける。宿の料金は12本の酒を含み、三人合計で76,018円だった。表へ出ると既に雨が降り出しているので宿の傘を借りる。
   入り口まで来て、夜間は神社の主要部分がライトアップされていることを知った。昨晩の満潮時に来れば良かったと話し合い、しかし銚子12本を空にした後では足元が危うかったかとも反省する。

 国宝の平舞台と左右楽房。
 

拝観料300円を再び払い中へ入る。雨空のため海の色が失われているのは残念だけれど、しっとりした雰囲気はこの神社にふさわしいし、平日の早い時間帯ゆえか拝観者が少ないのはさらに有り難かった。
  神社の中は、基本的に入り口から出口へ向かい一方通行なのだが、周りに人がいなければ気兼ねすることもなく行きつ戻りつできる。東回廊、御本社拝殿、平舞台、西回廊など、いずれも国宝なのに自由に歩き回ることが許されている。
  干潮時と満潮時、午前と午後の違いを見届け、晴天時を見逃したことが心残りだけれど、先ずは堪能できたと独りごち、厳島神社を後にした。岩惣からは昨日と同じマイクロバスで、同じ運転手が送ってくれる。貫禄のある人なので、ひょっとすると主人かもしれない。今度はウグイス道ではなく麓の細い路地を行く。「この辺りが宮島の町屋が多く残っているところです」と教えてくれた。フェリーボート・ターミナル部分では少し迂回して横手部分の玄関に横付けする。雨が降っていることを気遣ってくれたのだ。一々の細かい気配りが嬉しい。
  再びJRのフェリーボートで本土に戻る。次の目的地はTの故郷、柳井だが出発前に宮島口駅前の駅弁屋、「うえの」に寄った。食べ物の名店には疎いので、初めて聞く名前だが、此処の穴子弁当は全国的の 赫々たる名声をとどろかせ、デパートの駅弁大会などでは、すぐに売り切れてしまい、入手困難な品だそうだ。
  柳井へのお土産用と、この日の昼食用に、この穴子弁当(1,470円)を六つ買い、小雨降る国道二号線を西へ向かった。


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17.柳井

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