夕日街道紀行→梅雨空紀行

***目次***
1.前口上

*第一日
2.旅立ち
3.カーナビゲーター
4.白川郷
.金沢

*第二日
6.兼六園
7.東尋坊
8.永平寺
9.豆腐会席
10.赤ぐり崎オートキャンプ場

*第三日
11.中国地方横断
12.安芸の宮島
13.岩惣旅館
14.厳島神社(1)
15.文月のさわやか涼会席

*第四日
16.厳島神社(2)
17.柳井
18.瀬戸内ハイウェイフェリー
19.割烹居酒屋 酒八

*第五日
20.徳島へ

*第六日
21.フェリーボート

22.あとがき

ドライブマップ
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1.前口上

  一昨年の沖縄 (泡盛紀行)、昨年の北海道(北海シマエビ紀行)に続き、同じメンバーでの夏旅行を 計画した。名付けて「夕日街道紀行」。首都圏からとにかく日本海へ向かい、後は海沿いを西へ向かおうと云うものだ。そのほか決めたことは、同行するTの生まれ故郷、山口県柳井市へ寄ることと、最後は徳島からフェリーボートで東京へ戻ることぐらいだった。三年前の五月に、おおむねこのようなことで旅を企画し、諸般の事情で実現しなかったもので、時節から「夕日など見えるか?」の思いはあったが、「それはそれで良し」と、気楽に出発した。

2.旅立ち
  初日は昼頃の出発だった。今宵の宿は、八ヶ岳山麓にあるTの山荘だ。高速道路を降りてから、付近にある農協スーパーマーケットで今晩、翌朝、そして旅先でオートキャンプをする際の食材を見繕い、それでも四時前に山荘に到着した。
  Tが幼少の頃より慣れ親しんだ「突き入れ鍋 (醤油味のスープに、各自が好みの食材を突き入れ、好みの煮え加減で食す。本来はイカナゴが主であったが、今回は馬肉)」にする予定が、あり合わせのもので、ビール、酒、ウィスキーなど飲んでいるうちに、訳がわからなくなり、 (夫人の話によると)九時を過ぎた頃にはTも私も敢えなく沈没。それでも翌朝は二日酔いになることもなく、シャキッと起きる。
  昨晩予定の突き入れ鍋をやりながら、ハイボールで迎え酒。旨い。運転手のTも、夫人の目を盗んで一、二杯やったか?
  Tの車に装備されているカーナビゲーターでその日のコースを検討する。結論は安房峠(正確には安房トンネル)で飛騨山脈を横断し高山、さらに西へ向かい白川郷へ。天気が悪そうなのでオートキャンプは止め、金沢に宿泊することにした。八時半、出発予定が「急ぐ旅でもあるまい」とのんびり準備を進め、実際に発進したのは九時半になっていた。

3.カーナビゲーター
   Tの車には純正のカーナビゲーターが装備されているが、未知の領域に出かけることの少ない彼は、扱い方をよく知らないし、当方の無知はさらに酷い。だからといって老眼鏡でマニュアルを読み直す気力もなく、半ば当てずっぽうで操作すると、 ナビゲーターは高山へ行くのに中津川を経由する、大迂回ルートを推奨する。安房峠に拘り、何回かの試行錯誤で、ようやく設定することができた。
  一旦設定されてしまうと、いささか便利すぎるこの文明の利器に頼り、ほとんど思考を停止させてその指示に従い進む。古い街並みで名高い飛騨高山は「回り道」になると ナビゲーターが考えたのか省略され、古川から次第に山間の隘路へと突入した。河合町稲越に至り、さすがの脳天気な二人もナビゲーターの指示を疑う。道幅が2メートル足らずの遊歩道もどきになってしまったのだ。
  僅かに戻ってみるが、有効な情報は得られない。来し方を反芻しても、分岐路を見落としたとは考えられず、そしてナビゲーターは現在地、進行方向、共に正しいと表示している。しばしの逡巡後「ともかく進んで」みることにした。
  遊歩道もどきはさすがに50メートルほどで終わったが、それから先も林道に辛うじて舗装が施された程度の道が続き、どこで通行止めを食らってもおかしくない雰囲気が続く。距離にすれば2キロほどのことだったが、随分長く感じた末、ようやく下小鳥しもことり ダム湖畔に出、間もなくダム関係の車輌二台とも行き会う。通行止めの危惧から解放され、ホッと一息ついた。
  小鳥川沿いに下流方向へ10分ほど行くと、角川つのがわから 白川郷へ続く県道にぶつかった。道幅は狭く、曲折もきついけれど、「道路が突然途切れる」心配などとは無縁の、準幹線道路の風格がある。当初よりこの道を選んだとしても、ほとんど遠回りにはならないから、 ナビゲーターの設定で、よほどおかしなことをしたらしい。

4.白川郷
  天生あもう峠 を越えると水系が白川郷を含む庄川流域になる。次第に地形が開け、やがて扇状地に出た。その幅が拡がるにつれ、田圃が出現し、ちらほらと合掌造りの民家が見える。既に世界遺産対象地域内であろうか。

 養殖池を前にした座敷。すぐ隣の生け簀に、亭主自ら唐揚げにするアマゴを採りに来た。
 

 ます園定食。

沿道に古民家を利用した和食の店があり、Tが駐車場に乗り入れた。全員がそこそこ飢えかつ渇いていたが、それ以上にトイレを利用したかったらしい。
  あまりに「とば口」で品定めなしに店を決めることに、僅かばかりの抵抗はあった。しかしこの「ます園文助」には先客もなく静かで、池の端にある座敷からは合掌造りも眺めることができる。それに「とば口」と思ったのは錯覚であった。
  天生峠 を越えてきたため、図らずもこの店が最初であったが、年間に千五百万人と云われる観光客の、何人があの峠を越えるだろう?観光バスは通行不能だし、乗用車でもかなりの物好きだけと思われる。普通に国道156号(白川街道)や、東海北陸自動車道などを利用してこの地に至れば、ます園文助は、一番奥にひっそりと佇み、ともすれば見落としてしまうような店だった。
  トイレから戻ったTも加わり、メニューを吟味する。単品の注文も可能だけれど、カウンターで気分に応じて追加するのとは勝手が違い、面倒だ。定食最上級は四千円で、高すぎるように感じるし、多分量的にも多すぎる。結局、イワナ塩焼き、イワナ煮物、アマゴ唐揚げ、ニジマス刺身からなる「ます園定食」に落ち着き、独りだけ冷や酒も注文した。
  冷や酒はすぐに到着し、定食もさほど待たされることなく供された。目の前にある養殖池は伊達でなく、取れたて、調理したての品々は素朴に旨い。良い雰囲気と、静けさと、旨い料理を楽しみ、三杯の酒を乾しながら、一時間弱の昼食を堪能した。勘定は明細をなくしたが八千円前後。内容からすると安い。 
 

 私学共済宿泊施設「兼六荘」。
 

.金沢  
  食事を終えて表へ出ると、相変わらずこさめもよいは続いている。取り敢えず車を発進させ、今宵の宿を討議する。オートキャンプをする意気込みは既にない。旅館もこのさい億劫に感じられ、結局 Tが20年近く前に泊まった、私学共済の施設 (ホテル)を利用することになった。
  Tの元同僚に施設の電話番号を調べて貰い、続いて予約電話。空いているせいか、利用資格などは全くチェックされることなしに予約が成立する。同じ電話番号をカー ナビゲーターにセットすれば、直ちに案内が開始された。白川郷と金沢は有料道路を利用すれば「指呼の間」と云える。4時にはチェックインを済ませ、それぞれの部屋で寛いでいた。
  5時になり、皆揃って街へ出かける。目指すは居酒屋の「かねき屋」、Tが以前利用し、印象づけられた店だ。歳月を経て所在どころか名前さえ忘却の彼方であったが、宿のフロントで、大まかな店の概要をはなすと、あっさり判明した。

  左上:かねき屋の店先。右上:岩ダコバター。当初はこの三倍くらいあった。左下:白エビ。右下:鰰の塩焼き。
 

有名なのか、はたまたフロントオバサン行きつけの店か、ともかく直線距離にすれば、宿から300メートルも離れていない。小雨がぱらつくものの、傘を差すほどでもない街を行き、ちょっと迷ったり、寄り道したりしても、5時半には小上がりに席を占めていた。
  先客はカウンターにいた一人だけだが、奥の座敷や、入り口そばのテーブル席は、既に予約されていた。人気の店らしい。
  酒を冷やで頼み、短冊に書かれたメニューを眺める。ミソサザエや岩ダコバターなどの品書きを見ると、この店の性格が見えてくる。板前料理ではなく、家庭料理・お袋の味系の創作(思い付き)を持ち味とするらしい。取り敢えずこの二品 と野菜の煮物を注文した。
  ガスレンジの前でフライパンを振るオバサンも、手慣れていながら、どこか「本筋」で修行したのとは雰囲気が違う。これはスタッフ全体に云えることで、お運びの若い男女も、動作に何か初々しさが残っているのが好ましい。
  再びお品書きを眺める。Tが「白エビは富山湾の真珠だ」と云うのでそれと、さらにはたはたの塩焼きを注文した。 この店のメニューは単価が高いものの、質量ともに良いから、総合的に考えればどれもコストパフォーマンスは優れている。難を云えば、量があるだけにそうそう種類を増やせないことか。
  鰰は近年、東京でも手にはいるようだが、なぜか日本海側を旅したとき食べたくなる。前回食べたのは冬の秋田だったが、あれから5年以上経ってしまった。ちなみに鰰というと秋田のイメージが強いけれど、実際の漁獲高は北陸辺りの方が多いらしい。
  間もなく到着した「富山湾の真珠」も美味、鰰は鱗のない魚だそうで、皮ごと食べる塩焼きは他の魚にない旨さがある。
  早めのピッチで飲んだこともあり、7時半にはお開きにした。概略、冷や酒十杯、ビール一本、つまみ四品で勘定は11,730円(メモを貰ったから、金額の方は正確)。居酒屋としては良い店だった。

6.兼六園
  翌30日は5時に起床する。窓から眺める金沢の街は、相変わらず小雨が舞っている。しかし散歩に出かけることにした。この宿は「兼六荘」の名からも類推されるように、兼六園まで直線で700メートル、さらに云えば、道一本隔てた東側は金沢城趾なのだ。この辺りを歩き回らずに金沢を去るのは、いかにももったいない。

 

  開園時間が7時からなのに、午前5時に「開園中」の表示がなされ、事実開園している。理解しがたい。
 

正面玄関から出ようとしたが、自動扉が動かない。下部にあるロックを解除しても、ギアがかんでいるのか、頑なにスライドすることを拒む。それならばと横手にある通用口を試すが、これもロックされている。
  次第に腹が立ってきた。しかしもう一箇所、裏手の駐車場に繋がる通路を試すと、これは内側からノブを回すことにより解錠でき、ようやく表へ出ることができた。むしろ幸便であったのは、すぐそこに駐車している Tの車から傘を取り出すことができたのだ。
  尾崎神社を斜めに抜け、時代の流れから取り残されたような木造家屋の街並みを数分歩くと、黒門口から城趾内に入ることができる。入り口に示されている「開園中」と「開園時間」の内容は矛盾しているが、取り敢えず柵は開かれているし、中から散歩中らしいオジサンものんびり歩いてくる。開園時間はどうやら城趾内の櫓や長屋などの施設を公開している時間を示しているらしいが、お粗末だ。

 石川門。金沢城の搦め手門で重要文化財。
 

城趾内は保存されているごく一部の遺構を除き、ほとんどが広々した芝生になり、散歩を楽しむ人々か散らばっている。
  おおむね一周して、城趾案内図に重要文化財と紹介されている石川門を見物に行く。木造部分や鉛瓦を使用した二層の菱櫓も見事だが、石垣の精緻さに目を奪われる。
  石川門を出ると、すぐ目の前が兼六園だった。バス道路は切り通しになって下を通り、歩道橋が城と園を繋いでいる。橋を渡ってすぐのところが、桂坂料金所だが、締め切られ、開園時間は午前7時から午後6時までとなっている。
  庭園見物にさほどの興味はなく「縁がなかったか」と諦め、茶店などが建ち並び、小砂利の敷かれた道を香林坊の方角へ漫ろ歩いた。茶店が途切れると蓮池門料金所があり、こちらには建物の中に人影があり、園内への通路も開かれている。

 夕顔亭。
 

 こちらも由緒ありの建物かと思ったら、公衆トイレだった。
 

事情がわからないまましばし佇み、そのまま立ち去ろうとしたとき、表通りから来たオバサンが「中を御覧にならないのですか?」と尋ねる。曖昧な返事をしたところ、重ねて「今の時間は無料開放されていますよ。7時15 分前まで」と親切に教えてくれる。
  300円の入園料を惜しむつもりはないが、無料入場を拒否する依怙地さもない。礼を述べて、散歩に来たらしい彼女に続いて園内へ入った。
  十数人の散策者がいるようだが、広大な園内なので、人の気配は希薄だ。そして観光客が(ほとんど?)おらず、ましてや団体でガヤガヤ横行する輩に遭遇することがないのが有り難い。
  園内の見所と云って、別に知識はないし、いい加減に道を選びながら、おおむね時計回りに周回した。夕顔亭や時雨亭が価値ある建物とは、立て札に書かれた能書きで判るものの、正直なところそれを実感できるほどではない。「茶亭ならば、そこで茶を点てて初めて真価が判るもの」などと考えるのは、単なる負け惜しみ。
  半時間ほど歩きまわり、兼六園を後にする。しかし宿の朝食まではなお半時間ほどあり、散策を続行した。金沢城趾の南側を迂回し、尾山神社に行く。昨夕もこの前を通ってかねき屋へ行ったので、重要文化財に指定されている神門の写真は一応撮ってあったが、忙しなく通過した印象が強かった。改めてみるほどの価値もなさそうだが、散策コースとしては適当だった。
  この界隈には「かねき屋」をはじめとして、風趣に富んだ飲食店や、うだつを残すしもた屋などがあり、旅人にとっての「金沢らしさ」が濃厚に漂う。間口一間半の小体な「味噌汁Bar」に食指が動いたが、11時の開店だった。閉店 は夜中の12時だから、昨晩気がついていればとも思うが、縁がなかったのだろう。
  7時前から営業している、古風な洋食屋も魅力的であったが、宿の朝食時間も迫っていたので素通りする。兼六荘へ帰り着いたのは、正面玄関が開いたばかりの7時5分前だった。

7.東尋坊
  朝食を終え、Tと二人でカーナビゲーターを操作しながら一日のラフな予定を決める。まず東尋坊を訪れ、次に永平寺。その後はどこへも寄らず、泊まりは福井県小浜市近くの赤礁あかぐり 崎オートキャンプ場。出発は8時半とした。
  距離的(時間的)には大した行程でないものの、オートキャンプだから、食材の調達や着いてからの設営、そして簡単なものにせよ調理の時間もみなければならない。早く着きすぎて困ることもないから、たっぷり余裕を見込んだ。
  幾分扱いに慣れてきたカーナビゲーターに導かれ、順調に金沢市街を抜けると、金沢西インターから北陸自動車道に乗った。空いているので気持ちよく走行できる。
  金津インターで高速道路から降りた後も、ナビゲーター任せで東尋坊へ辿り着いた。百台は利用できそうな市営駐車場があるけれど、500円の料金ゆえか、ほとんど利用者はいない。

 

 駐車場から俯瞰した東尋坊。
 

岬の先端へ向かってゆくと、道路脇にある土産物屋駐車場にはどこも客引きがいて、大袈裟な身振りで呼び込もうとしている。
  この手の客引きは嫌いで、これはTも同じらしく、ぶつぶつ云いながら無視して先へ進む。とうとう先端まで行き着くと、そこも駐車場だが、客引きはいない。大型バス6台分のスペースも含めかなり広々しているのに、駐車していたのは3台だけだった。有料でも構わないからと、此処に車を置き、駐車場の端から東尋坊を俯瞰 する。それでは岩場に降りようかと云うことになって、仕組みが何となく理解できた。  

 

一階が土産物屋と食堂、二階、三階が旅館や大広間になった鉄筋コンクリート三階建てが斜面に寄りかかるようにして建ち、その屋上が駐車場になっている。岩場の方へ降りようとすると、意地を張って遠回りしない限り、自然に建物の中へ入り、土産物屋の奥から出て行くことになる。つまり客引きなどの人手を費やす必要がないのだ。しかし最初から土産物など買わされるのも業腹なので、数名の女店員が声を揃えて「いらっしゃいませー」と云うのには、軽く頷いてともかく岩場へ向かった。
  日本で柱状節理がこれほど集中して露頭しているのは珍しいと思う。しかしそれ以上の感動はなかった。あるいは天気が良く、青く澄み切った海と、打ち寄せる波の白さが鮮やかな対比を見せたりすれば、全く異なる印象だったかもしれない。
  薄い霧に覆われて、全体的にぼんやりした岩壁を眺め、これ以上場所を移動してみる意欲も湧かぬまま10分弱を過ごした後、先ほどの土産物屋へ戻った。かなり広大な売り場の、海側に丸テーブルが並んでいる。此処でコーヒーを飲みながら一休み。ついでにトイレも使わせて貰った。三 杯で1,350円が、駐車料金およびトイレ使用料に見合うのかは知らないが、これで勘弁して貰う。

8.永平寺

 参道を行くT夫婦。
 

再びナビゲーター任せのドライブが始まる。唯一気を配ったのは、気の利いた食事場所の存在だ。しかし11時を廻って間もなかったし、沿道で目に付いたのは、いかにも観光客相手が明白なドライブイン蕎麦屋の類ばかりで、結局永平寺にたどり着いてしまった。
  東尋坊と同様、あるいはそれ以上に駐車場の客引きが五月蠅い。無視して前進を続けると、参道に突き当たり、すぐ右手に有料駐車場があった。これ幸いと利用する。
  参道を寺へ向かう。雨上がりの杉木立はしっとりとした涼気を漂わせ心地よい。100メートルばかり行くと、末寺、信徒、観光客など外部との接点になる吉祥閣がある。此処で500円の拝観料を払うと、勧化かんぎ 室で係りより全山の概要を聞かされてから拝観になる。既に二十名くらいが、畳に座って坊さんの話を聞いていた。
  このまま集団でのガイドツアーになるかと思ったが、話が終われば「修行中の僧を撮影しない」などのルールを守れば、後は自由に見物させてくれる。これは有り難かった。
  まず最初が傘松閣だが、1995年落成の鉄筋コンクリート二階建てで、二階大広間の天井を飾る230枚の花鳥図で有名らしいが、あまり感銘は受けなかった。
  禅宗建築では、山門、仏殿、法堂はっとう、僧堂、庫院くいん、浴室、東司とうす次の七つを七堂伽藍と呼 そう。これらの建物が斜面に沿うように配置されているのは立体的で見栄えも良いし、さらに何となく「禅宗らしい」と感じるのだった。

 法堂はっとう内部。
 

七堂伽藍を経巡りつつ高見へ登り、最高地点の法堂へ辿り着いて、またゆるゆると順路を替えて下る。大庫院だいくいんから山門を抜けると振り出しの傘松閣脇に出た。ついでに祠堂殿しどうでんを見物する 。
  1930年に建てられたという堂には、全国各地の末寺信徒の位牌が祀られ、これが県ごとにまとめて並べられている。意表を突かれたが、アイウエオ順などより、実用性が高そうだ。この日は追善供養等の法要が行われるとのことで、撮影禁止の貼り紙が出ていた。
  寺の中で過ごしたのは実際のところ一時間弱だったが、もっと長くいたような余韻を残して拝観を終えた。

9.豆腐会席
  7キロほどは来た道をそのまま引き返すことになる。途中に一軒だけ食事場所として気になる店があった。道路から10メートルばかり高いところにあるため、外観など観察することはできなかったが全国優良ふるさと食品コンクールで農林水産大臣賞を受賞した豆腐屋が、創作豆腐料理のレストランを営業しているというのだ。
 Tもこれが気になっていたらしく、帰路に看板を見付けると「試してみよう」と云うことで衆議が一決した。店の名前は幸家さちやという。
  街道を離れて急な坂を僅かに上ると、洋風の瀟洒な建物があった。一般的な豆腐(豆腐、ごま豆腐eTc.)以外に創作料理を並べた売店があり、その奥がレストランになっている。1時近かったが、土曜日と云うこともあるのか混雑していて、しばらく待たされた。

 豆乳そうめん。右上に写っている、ところてんを付くような装置を使用する。食べにくいばかりで冴えなかった。
 

 清涼ご膳。
 

T夫妻は軽めの「お豆腐ご膳」(2,100円)、こちらは店長お奨めの清涼ご膳(2,625円)にした。内容を貰ったしおりから書き写す。豆乳そうめん、澄み衣のお造り、禅の醍醐味2種盛り、ゆばとろのお造り、さよ り卯の花焼き、海老豆腐、豆乳ヨーグルトドレッシング仕立て、季節の煮物、幸家の茶飯、汁物、漬物、デザート、デミタスコーヒー。これに加えて酒を常温冷やで頼む。ウェイトレスがアルバイト風の若い子だったので、覚束ないと思ったのか Tが「普通のお酒を燗しないやつ」と丁寧にフォローしてくれた。
  豆乳そうめんは食べにくいばかりの小賢しい料理だったが、後のものは味付けも上品で、酒との相性も良かった。一本目がすぐ空になり、先ほどとは別のウェイトレスに「酒常温冷や」を注文した。しばらくすると彼女が 水の入ったグラスをトレイに乗せて「常温のお冷やをお持ちしました。お酒はもうしばらくお待ち下さい」とおかしなことを云う。数分後に到着したのは燗酒であった。
  半ば呆れつつ、半ば「若い子には説明不足であったか」と反省しつつ、燗酒ではないことを繰り返すと、目敏く店長らしい中年男が駆け付け「すぐ替わりをお持ちします」と場を収めてくれた。
  二本目も間もなく空になった。酒を飲まない二人をあまり待たせたくないと急いだせいもある。再度常温冷やを注文すると、先ほどと同じウェイトレスは「今度は大丈夫です」とにっこり笑う。ところが冷や酒にしては異常に時間がかかり、挙げ句の果てに店長が「これが最後で. . . .」などと言い訳しながら銚子を持ってきた。ひょっとすると酒がなくなり、先ほどの燗酒を氷か何かで必死に冷やしていたのかもしれない。

10.赤ぐり崎オートキャンプ場
  食事を終えて、この日の宿泊地を決定する。天気は何とか持ちそうなので、候補として上がっていた赤ぐり崎でキャンプすることにし、念のために予約電話を入れる。次いでカー ナビゲーターをセットし直し、距離132キロで約2時間を見込めば良いと判る。のんびり行っても余裕を持って到着できそうだ。
  ナビゲーターの指示通り、福井北インターチェンジから北陸道を利用し、敦賀インターチェンジで高速道路を降りると、国道8号線、27号線などを経由して福井県小浜市へ向かう。途中、農協スーパーマーケットで晩の食料を補給、酒も紙パックのわかさ富士2リットルを買う。この蔵 元は小浜市にあるから紙パックの下撰とはいえど「地酒」を選んだことになる。
  後は寄り道もせずにキャンプ場へ向かう。土曜日なのでそこそこ混んでいたが、それでも隣接するテントはなく、洗い場、トイレにほど近いところに割り当てて貰った。設営その他を終えても4時にはしばらくあった。黄昏時の飲酒を楽しむ。
 

 赤礁(ぐり)崎から東北東を望む。
 

前日はあり合わせの材料を適当に放り込んだ鍋もどきを肴に飲んだが、意外に酒が進み、ビール二缶、酒2gが空になり、さらにウィスキーがそこそこ消費されていた。
  最後は朦朧として煮込み饂飩でお開きとなったが、この朝は改心し米を炊き、味噌汁を作った。夜中にそれなりの降水はあったようだが、飲んでいる間、そして今は止んでいる。有り難いことだ。
  朝食を終え、ともかく降り出す前にテントを撤収する。荷物をすべて車に積み込んだところで、カーナビゲーターを操作しながら今後の予定を再検討した。梅雨空は続きそうなので、「夕焼け街道」は潔く諦めることにする。
  山陽道側に移動するとして、いくつか候補地が上がるうちに、Tが「まだ宮島へ行ったことがないならば、行くべきである。宮島の旅館岩惣には色々想いがあり、一度泊まってみたかった。俺が奢るからどうだ?」と云いだした。奢って貰うのはともかく、安芸の宮島は悪くないと思う。自動車道路を適当に利用すれば、今日のうちに宮島見物をできそうだ。

11.中国地方横断  

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