9.易国間へ
 2月10日5時に目覚める。表は吹雪いているようだ。この日は青函海峡を大間へ渡るつもりだから、降雪はさほどの問題ではないけれど風は気になる。気を揉んだからと云って結果に影響など全くないのだが。
 6時ちょっと前に近所のコンビニエンスストアまで新聞を買いに行く。やはり踝ぐらいまで新雪にもぐる状態だ。
 7時を廻って、津軽海峡フェリーの函館ターミナルに電話し、9時半の大間行きが通常運行であることを確認した。昨日も事前にシィライン(青森、佐井のフェリー運航会社)に携帯電話で確認さえすれば、吹雪の中を無駄足をせずに済んだ。泥縄に近いけれど、教訓は活かそう。
 7時40分にチェックアウトする。駅前から函館ターミナルへのシャトルバスは8時に出る。新雪の中を歩くのに備え一応登山用のロングスパッツで足許を固める。それほどの必要もないと思ったが、「備えあれば憂いなし。」だし、せっかく持ってきた装備だから1回くらい使ってみたかった。
 駅前でバスを待っていると、東南の空に青空が広がる。しかしこれも昨日から続く冬空の気まぐれで、すぐに降雪がぶり返した。
 フェリーは9時半の定刻に出港した。乗客は定員(470名)の1割もないようだ。2等展望室の利用者は私を含めて二人だけだった。海峡中央部に出ると、多少うねりを感じ、所々に白波が見えたが、まずは穏やかな航海と云えた。
  函館港出港時に南方を望む。
 予定通り11時10分に大間港着岸。まず車輌が上陸し、その後に歩行者だが、空いていたからいくらも待たされない。船尾の下船口から陸に上がると、迎えに来てくれた村口さんの顔が見える。
 今宵の宿、わいどの家を運営する村口産業の社長さんだ。ひょんなご縁で昵懇になり、直接会ったのが三回だけとは思えない。今回も本来ならば路線バスで行くべきなのだが、ご厚意に甘えわざわざのお出迎えをお願いした。
 大間と云えば知名度が高いのはマグロ漁港としてで、それならばどこかのどかな感じがする。
 しかし時節柄からすれば大きいのはJパワー・大間原発(建設予定)だろうか。その他、下北には、使用済み核燃料中間貯蔵施設「リサイクル燃料備蓄センター」(準備工事中)、東北電力東通原子力発電所、核燃料サイクル施設再処理工場、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター、低レベル放射性廃棄物埋設センター、ウラン濃縮工場など、地域としての原子力濃度(?)は日本一、あるいは世界一かもしれない。
 このようになった経緯はそれなりにあると考えている。しかしそれも含めて現状を論評するのは拙紀行文には重すぎることだ。
 村口さんの車は国道279号線を行き、小さな峠を越えると太平洋岸に出た。磯伝いに南下して15分ほど走れば易国間だ。11時半にわいどの家に着いた。この時まで知らなかったのだけれど、先客(昨夜の宿泊者)がまだ出発前だった。

10.わいどの家
 大阪からお見えになったNさん母娘の三人連れだ。時刻的に云えばこちらが遠慮して他所で待機すべきなのだろう。しかし村口さんはいたって無頓着に一声掛けると玄関を開けて中に入り、障子を開けて顔を出したNさん達に、簡単ながら私のことを紹介してくれた。
 村口さんは仕事があるとのことですぐに去ったが、その後は挨拶もそこそこにビールを勧められる。皆さん揃って気さくで陽気な浪速人だ。ともかく名刺を(次女のK子さんと)交換するが、私の名刺など貰っても仕方あるまい。こんなこともあろうかと持参していた私製カレンダー、「ブルガリア紀行」を、いくらかましかと改めて差し出す。
 12時24分のバスでむつ市に向かうとのことで慌ただしかったが、短時間にせよ歓談できたのは予想もしていなかっただけに望外の楽しみだった。昨日、私がフェリー欠航のために来られなかったことも、彼女らにしてみれば個室4室からなるわいどの木から一戸建てのわいどの家へ移ることができて良かっただろうと思う。
 「大阪の方が、なぜ下北まで?」とお尋ねすると、ご長女一家が以前転勤でむつ市に在住していたことがあり、そのときからの縁だのご説明だった。
 旅のあれこれなど話に花が咲いたものの、すぐにバスの時刻も迫り、次回どこかで再会できればと云うことで別れた。
 独りになってほっと一息つく。楽しい一時ではあったが、初対面で話すのは苦手だし、それに相手が女性であればなおさらだ。酒の飲み方も全くのところ不足だったし。
 薪ストーブを見ながらの雪景色。
 ストーブに薪を追加し、昼飯昼酒の支度にかかる。と云っても大したことはない。
 昨日の昼食べる予定だったあれこれを取り出した。コンビニ弁当は備え付けの電子レンジで加熱。ホッケの開きを半分にしてガスレンジのロースターに入れる。古川市場で買った白菜の浅漬けの水気を搾って備え付けの小鉢に。あとはコンビニサラダにコンビニドレッシングを掛け、(村口さんが、「飲んでいいよ。」と云ってくれた)わいどの家先行利用者が残した一升瓶から酒をグラスに注ぐ。
 賞味期限切れの弁当やサラダなど、食材の品質は水準以下と云って間違いないだろう。しかし環境の良さはこれらのマイナス要素を補って遙かに余りある。薪ストーブに瞬く赤い炎と、曇天下にせよ白銀の世界に視線を漂わせつつ、ただ独り静かにのんびりグラスを傾ける。此処も野の庵同様、「雪を見ながら飲める。」貴重な場所だ。
 昼酒を終えるべき時刻もなく、これから辿らなければならない旅路もない。隣人に気兼ねすることもなく、酒に倦んだり眠くなれば寝ればよい。

 3時過ぎに目を覚ます。Nさん達からも云われていたことだが、キッチン流しの排水が詰まって、床に溢れ出してくるトラブルを解決しなければならない。とは云っても無力な旅人だから、仕事に忙しそうな村口さんに、恐縮しつつもお願いする。
 排水管周りを色々調べて行くうちに、流しから外へ向かったところにある排水桝が怪しい。ウッドデッキのデッキ材を撤去し、桝の蓋を開けてみると、中がほぼ結氷している。それでも蓋がなくなるとちょろちょろ水が流れだした。それではと台所シンクに給湯器からのお湯を流すと、氷が徐々に溶け水流は次第に力強さを増した。
 この排水桝から下流の配管凍結が詰まった根本的原因だろうが、どうやらそれを解決するには春の雪解けを待たねばならないようだ。郊外の有り難いところで、台所排水は桝から周辺へ垂れ流しで済ますことでこの件は落着。夕闇が迫ってくる。
 わいどの家の晩酌。向こう側は古川市場の白菜浅漬け。その右は工藤ホタテのホタテ貝。手前はコンビニサラダの残り。
 製材工場のオバアサンが一輪車で玄関まで運んでくれた薪(ヒバ製材の端切れ)をストーブの周りに運ぶ。これで一晩安心して過ごせるというものだ。
 いつも就寝に利用するロフトは、吹き抜けの2階部分なので暖気が上昇してくるから、夜具(掛け布団)などは僅かでも寛いで眠ることができる。ちなみに赤外放射温度計で度々測定してみたが、薪が燃え尽きかけた状態でも概ね15℃程度を確保できた。
 話が先走ってしまったが、晩酌の用意をする。とは云っても、昼の残り物に加えるのは、ホタテ貝の刺身だけだ。本来ならば昨晩食べてしまうはずだったものだけれど、生の貝は割にしぶとく、すぐ駄目になることはないと考えてそのまま持ってきた。
 誤算だったのは昨晩、宿の冷蔵庫で、製氷室で保冷剤を冷凍し、貝を製氷室の下に仕舞っておいたところ、これも凍ってしまったことだ。しかし味は多少落ちているかもしれないが、食中(しょくあたり)りその他の心配はないだろう。わいどの家の冷蔵庫に入れておいたら、ほどよい解凍状態になっていた。
 簡単に準備が整い、6時になって晩酌開始。辺りはとっぷり暮れているけれど、部屋からの灯りで夜の雪見酒を楽しむ。村口さんが夕方持ってきてくれた半分ぐらい入った一升瓶と、残されていた飲みかけ一升瓶のさらに昼の飲み残しと、二本が空く。6合くらい飲んだだろうか。
 ひょっとすると村口さんが訪れるかと、7時くらいまでは起きていたが、酔いもいい加減回ってきたので灯りを消してロフトへ登る。後で判ったことだが、この前後に村口さんは酒の肴をあれこれ用意してお見えになったらしい。運が悪かったのは玄関の引き戸が凍結し、動きが悪くなっていたことだ。灯りが消えていたこともあり、「錠を掛けて、寝てしまったか。」とそのまま声も掛けずお帰りになったとか。申し訳ないことをした。

 村口産業の製材工場。
11.青森へ
 夜通し2時間おきぐらいに薪を追加する。石油ファンヒーターも用意されていたから、それを使えば手間もかからないだろうが、そんな発想はついぞ浮かばなかった。たまにしか使うことのできない薪ストーブを楽しまなければ。石油ファンヒーターだって日頃使う機会はないけれど、これは楽しめるしろものではないし。
 8時に村口さんが顔を見せる。「むつ市に用事があるから、下北(駅)まで行くなら、車で送ってあげよう。」との、有り難いご提案だ。昨日同様お言葉に甘える。
 下北駅発11時56分の青森行き快速しもきたを利用したかったので、10時半に出かけることにした。バスならば10時4分に乗らなければならず、運賃は1,560円で、おまけに下北駅での乗り継ぎ時間が1分しかないから、(良くあることだが)ちょっとでもバスが遅れれば、1時間ほど後の列車になってしまう。
 朝の7時頃にはしばしのぞいた青空だけれど、すぐ雲に覆われ、出発する10時半には小雪が舞いだしていた。それでも道中は順調で、下北駅に着いたのは11時半だった。
快速しもきた。
 下北駅で、青森経由、五能線経由大館、花輪線経由仙台の切符を買おうとしたところ、駅員に、「このルートだと好摩(花輪線終点でIGRいわて銀河鉄道(旧東北線)との接合点)までしか買えない。」と云われた。第三セクターの区間が含まれる場合は1区間のみとの規則があるそうだ。野辺地から青森が青い森鉄道なので、IGRいわて銀河鉄道の手前までと云うことらしい。仕方ないので青森までの切符を買う。
 定刻に到着した快速しもきたに20人くらい乗車したが、車内に充分空席はあった。野辺地にも定時到着。この時点では立っている人もかなりいた。半数以上が下車し、接続する八戸方面行き列車に乗り換えていた。
 19分の停車後に定刻に発車しようとして信号が青にならない。しばらくして車内アナウンスがあり、「ポイントが凍結して切り替わらないためしばらくお待ち下さい。」とのことだ。先を急いではいないし、まして遊びに来ているのだからなんの文句もないけれど、雪国で暮らす人達の苦労を垣間見た気がする。
 上左:砂肝塩焼き。上右:かすべ(えい)煮付け。
 下:じゃっぱ汁
 結局青森に着いたのは10分遅れの1時53分だった。今宵の宿東横インは駅前だが、まだ入室できないので荷物だけ預け、昨日に引き続きおさないへ行く。
 時分どきを過ぎたせいか、店内に先客は一組だけだった。一昨日と同じ、入り口に近いテーブルに着く。お茶を運んできたオバサンに、迷わず冷や酒注文し、後は少し考えさせて貰う。
 一昨日と同じものでは冴えないし、今晩はOさん夫妻と居酒屋へ行く予定だから、そのとき食べそうなものとの重複も避けたい。しばし思案の末、砂肝塩焼きとかすべ(えい)の煮付けを頼んだ。
 1時間弱掛けてゆっくり飲む。入室可能になる3時まで持たせようと云うことだ。ツマミは普通に旨い。日常において酒も肴も絶品である必要はなくて、平々凡々が良いと思う。最後にじゃっぱ汁を追加注文した。青森に来た気分になるにはこれを食べたい。
 3時になり東横イン青森駅正面口にチェックインする。部屋に入るとシャワーを浴びてから一眠り。晩の居酒屋に備えた。

12.大衆割烹三好屋
 6時にOさん夫妻とロビーで落ち合う。タクシーで約2キロ東の堤町にある三好屋に向かった。夫人の話によればOさんは三好屋を決めるまで、「遠来の客をもてなすにはどこがよいか. . . .」と、あれこれ随分悩んだらしい。グルメや美食とは無縁の人間なのだから、悩むことなくあっさり決めていただいて良かったのに。しかしその気持ちは嬉しかった。
 三好屋界隈。グーグル・ストリートビューより。
 三好屋は繁華街を外れ、住宅地に近いところにある割烹だった。玄関を入るとすぐに仲居さんが奥から出てきて、Oさんが予約した玄関脇の小座敷に案内してくれる。
 仲居さんが去った後、改めて部屋の様子を眺める。質素だが居心地のいいところで、玄関脇にあるため他に多数ある座敷(全部で100席あるそうだ)とは離れているらしく、そのため静かなのがよい。考えてみれば、居酒屋チェーンなどの個室座敷を別にすれば、小座敷で落ち着いて飲食するなど随分久しぶりで、この前が何時であったかも判らないような具合だ。
 鍋料理をメインにして、それぞれが好みのものを注文し、それを皆で分けあうことにした。飲み物はOさん達が生ビールで、私は冷や酒を貰う。
 これから歓談飲食が始まり、話に花が咲き、食べたものも旨かったが、あまりに話に熱中したため、食の内容はほとんど覚えていない。
 カメラも持参していたので、撮影しておけば記憶の足しになり、此処にも掲載できたのだが、撮影することさえ忘れていた。遅い時間に飲んだ昼酒の後遺症も関係していたかもしれないが。
 9時半頃になり、「明日もあるから今宵はそろそろお開きに。」と云うことになった。Oさんがまとめて勘定を払い、割り勘にしてくれない。結局Oさんが、「次からは、外で飲んだときは割り勘、家で飲むときは招待者が費用を負担する。」と云い、それが一応の結論となった。しかし拙いなぁ〜。
13.青森の二日目
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