みちのく雪見酒紀行2010

***目次***
1.上野駅界隈の居酒屋
2.弘前 ――  野の庵
3.秋田 ―― 迎賓館、酒田 ―― しえん

4.飛島
5.帰り船
6.坂町、米沢、仙山線
7.打ち上げ
8.あとがき
********

inserted by FC2 system

1.上野駅界隈の居酒屋

  この冬も雪見酒に出かけた。昨冬、一昨冬は函館まで足を延ばしたが、今回はまた陸奥に限って廻ることにする。毎度のことながら、まずは上野駅界隈で一杯。
  毎年のことながら、中々思うような居酒屋が見つからない。無い物ねだりをしている気はなく、「普通に居酒屋らしい居酒屋。」と求めているだけだ。しかしこれがいけないのかもしれない。今時、このようなスタイルでは集客が思うようにいかず、淘汰されている のだろうか。
  ともかく今回は御徒町で下車して、上野駅へ向かって探索を開始する。しかしこの試みも虚しく、これという店がないまま、上野駅近くまで来てしまった。「もうどうでも良い。」と、大衆酒場風の暖簾をくぐり、カウンター席へ行って、お通しとおしぼりを持ってきた兄さんに、「取り敢えず冷や酒を一杯。」注文した。
  ところが彼は、「冷酒か燗酒しかない。」と云う。何故単に酒を注いで出せないのか?彼の説明では、酒壜は燗着け機にセットされているため、燗が着いた状態でしか出てこないとのことだ。燗酒をさほど忌み嫌うものではないが、こんな店は不愉快で呑む気にならない。席に坐っていなかったことを幸いに、直ちに踵を返す。
  「今年も外れか。」と思いつつ、そのすぐそばにあった、居酒屋「あずまや」に入ってみた。これが意外によい店で、落ち着いて呑める。ツマミも適当で(何を頼んだか失念したが)二品ばかり頼んで
冷や酒を呑む。
  期待していなかっただけに、得をしたような気分で気持ち良く三杯を乾し、勘定は2,960円。9時ちょっと前に店を出て、駅のコンビニエンスストアで弁当とサラダを買った。寝台特急あけぼのが発車する13番線ホームへ行くと、意外なことに列車は既に入線していた。
  旅行計画を立てる際に、インターネットで列車の発着時刻を調べ、計画表に転記していた。概ねこれで問題なかったが、中には無責任なサイトがあり、あけぼのの発車時刻を21時41分としていたのだ。正しくは21時15分。せっかちな性分で、大幅に早く行くつもりであったから間に合ったようなものだが、ネット情報などを過信してはいけないと反省。あとは無事個室に収まり、持参のサケサカナで呑み直す。気持ち良く酔って、大宮を過ぎ、高崎の手前で就寝した。多分。

2.弘前 ――  野の庵

  弘前駅には定刻9時19分に到着。駅前にある馴染みのビジネスホテル新宿に荷物を預け、一番町まで20分ほど歩き、馴染みの喫茶店壱番館に入った。ちなみにどちらも10年くらいの付き合いなので、「馴染み」と書いたが、たかだか年に一度しか訪れない(しかも今回は三年ぶり)客を、向こうはサッパリ覚えていないかもしれない。
  ともかく壱番館は趣味の良い店である。内装も地味だが良い雰囲気だし、カップやミルクピッチャー、砂糖壺等への気配りが感じられ、さらに肝心の飲食物が旨い。ミルクティーを注文した。昼飯時までの1時間強を、この店で「クロアチア紀行」のゲラを直しながら潰す。
  ミルクティーは満足できる味だったが、もう一杯はキリマンジェロを賞味する。これも旨い。11時を廻ったので推敲は終わりにする。勘定を払うとき、コーヒーミルが三台あることに気がついた。主に尋ねると、「二台は深い焙煎と浅いので使い分け、もう一台は家内の好みで. . . .」とのことだった。あからさまには見せないが、それなりに個性的な人達がやっているのだ。


 
弘前城公園から見る岩木山。写真手前に点在するのは雪灯籠。2月11日から14日まで、弘前城雪灯籠まつりが開催される。

昼飯は野の庵でと決めていた。やはり10年の来の付き合いで、ここははっきり馴染みといえる。3年振りの訪問だが、その間には築150年の店が、漏電により焼失する災難と、そこからの再建という大きな出来事があった。新店舗を見届け、それを切り盛りする女将と再会することは、今回紀行の目玉とも思っていた。
  壱番館から弘前城趾へ向かい、若干遠回りだが本丸跡の方から行く。岩木山とできれば野の庵を一つの画像に納めたかった。
  生憎なことに岩木山山頂付近は薄い雲に覆われ、さらに野の庵とは方角的に僅かながら違いすぎていた。ともかく数枚撮影して、本丸跡から春陽橋の方へ下る。

 野の庵テラス席(?)から弘前城公園と春陽橋。
 

  新築された野の庵は、以前のものと比べて開放感が目立った。廻りに生け垣などもあまりないことも影響しているようだ。ともかく玄関から中へ入った。娘さんの優子さんが出迎えてくれる。
  以前は和室だったのが、洋間になって全席が椅子テーブルになったのが一番の変化だ(後で女将の貞子さんに訊いたところ、和室も一室だけあった)。面積も拡がり、客席数は倍くらいになっていそうだ。
  城趾に面した西側は、全面ペアガラス張りの大きな引き戸になっていて、その外側に幅一間ほどの細長いスペースがあり、こちらにも椅子テーブルが置かれている。この部分がより開放感があり、そちらの席を選んだ。外部とは普通ガラスの引き戸で仕切られている。断熱性に優れたペアガラスが内部の仕切りに利用されていることを奇異に感じた。
  この疑問も貞子さんの説明で氷解した。当初このスペースはテラス席として「外部」であったそうだ。眺めがよいから、客の大半はこちらに坐ることを望み、その一方で秋口から寒さが厳しくなるにつれ、「寒い、寒い」の声を無視できなくなっていった。何とかそれを緩和するために、サッシを追加することになったものの、ペアガラスでないのは予算的な制約からだ。
  「それならば、当初から外側にサッシを設置し、それをペアガラスにしておけば. . . .」とは素人考えらしい。サッシの内外で(たとえ同じような造作をしても)建築単価がまるで違ってしまうそうだ。店の新築という、未経験の仕事で、女将の悪戦苦闘が偲ばれる。
  順序が前後するけれど、色々の裏話などを訊く前に、呑み始めていた。最初に優子さんからメニューの説明があったが、以前のように昼用のコースは現在やっていないとのことだった。ともかく呑めれば後はどうでも良いので、ともかく一杯冷や酒を注文。その後は全てお任せで進行した。
  ちなみにコースがお休み状態なのは、一人いた板前が昨年末で(独立するために)辞め、替わりを雇うのではなく、家族三人でやってゆく方法(メニュー)はないか、試行錯誤中故らしい。
  結局以前のコースより充実した品揃えが提供されたようだが、貞子さんとの話しに集中していたため、飲食したものに関しては良く覚えていない。気持ち良く(旨いと思いつつ)食べ進んだことは確かなのだけれど。それでも昼酒の自己規制限界三杯を超えたことは覚えている。一応四杯目は断ったが、貞子さんに、「金子さんならもう一杯は大丈夫でしょう。」と云われ、つい過ごしてしまった。この手の台詞には至って弱い。
  二時間ほどいて、他の客は一組(二人)だけで、ほぼ貸し切り状態で、話しと酒食と景色を堪能する。1時半に主と貞子さん、優子さんに見送られて野の庵をでる。宿へ帰る道すがら、弘前城大手門そばの、市立観光館に立ち寄り、無料インターネット利用サービスでメールをチェック。数件受信していたが、どうでも良いものばかりだった。
  ビジネスホテル新宿のチェックイン時刻にはまだ早いので、壱番館でミルクティーと紀行推敲。上手く時間潰しができ、3時に宿へ着いて一眠りする。
  夕刻6時、とっぷり暮れた街へ、晩酌に出かける。目指したのは鍛冶町(一番町の隣)にある焼鳥屋だ。3年前に見付けたところで、小体な店は焼鳥屋の原点を思わせるような飾り気なしで、七十近いオヤジの仕事ぶりは小気味よく、二人いる若い(多分)アルバイトもきびきびと働いていた。もちろん焼き鳥は旨い。
  カウンター席に坐り、冷や酒と、砂肝、カシラ、レバーの焼き鳥をタレで一本ずつ。野菜を食べたいと思うが、原点焼鳥屋にはサラダのようなメニューはないので、仕方なく漬け物を注文した。最初に頼んだ焼き鳥がなくなったところで、タンとハツを塩で追加注文。この間に冷や酒も順調に喉を下り、最終的に四杯を乾した。これにお通しが付いていて勘定はたったの2,360円と格安だった。
  ビジネスホテル新宿へ戻り、同じ建物内(同一経営)のスナック徳大寺でさらに二杯。こちらもお通し付きだったが、これだけで2,000円。マア、比較しようもないけれど。

3.秋田 ―― 迎賓館、酒田 ―― しえん

  冬の東北旅行は、紀行文を書き始める前からのことで、15年くらい続けている。そして必ずと云って良いほど訪ねたのが、角館だ。最初のころは何となく、それ以後は角館の石川旅館で面倒を見てくれる、通称オバチャン、経営者一族 の石川恵美子さんに会って(方言のため半分くらいしか判らない)話しを聞くのが楽しみだった。
  しかし、角館行きもあまりに続きすぎ、「今度の雪見酒紀行では外そう。」と考えたのは、昨年の割に早い時期だった。石川恵美子さん宛の年賀状には(身体でもこわしたか?等の心配をかけないよう)、「この冬には行きません。」旨を書いておいた。ところが折り返すように石川旅館から届いたのは、恵美子さんの訃報だ。昨年の4月に、心筋梗塞で急逝されたとか。
  「虫の知らせ。」などは考えない質だけれど、それでも胸に迫るものがあった。合掌。

  弘前から向かったのは酒田だった。直通列車はなく、10時28分発の特急で秋田まで移動する。特急などできれば使いたくないが、普通列車は不便なばかりか、通勤電車タイプのロングシートのため、旅している気分になれないのだ。
  秋田に到着したのは12時半。ここで乗り継ぎ待ちが約2時間あり、途中下車して昼飯昼酒。適当な店を探すのが面倒なので、土地勘のあるNさん(仙台在住:仙台居酒屋探訪紀行に同行した御仁)に、予めメールで情報提供を乞うた。折り返し、「秋田駅前迎賓館(駅徒歩5分位)」の知らせがあり、インターネットで調べると簡単に所在地と、電話番号が判明した。
  秋田駅西口をでて、順路と目印を電話で訊く。方向音痴は自覚しているし、キャリーにカバンを着けて、うろうろしたくない。これが良かったのか5分もかからずに、店のカウンター席に坐っていた。メニューを持ってきたオバサンに、「さっき電話した人ですか?」と云われたのはちょっと恥ずかしかったものの。
  冷や酒を頼むと、お通しと共に即座に運ばれてくる。呑みながらメニューを見る。肉ジャガは何故か季節商品とされていたので訊くと、「今はないけど、似たようなもので新ジャガを煮付けたものがある。」とのことで、野菜炒めとそれを注文した。
  待ち時間を考えると、速すぎるピッチで呑めば、酔いすぎるか時間を持てあます。意識してペースダウンし、二杯を乾したところで、鰰(二匹)を焼いたものと、冷や奴を追加注文。最終的に四杯呑み、勘定は締めて2,600円ちょっとだった。風情に欠けることは仕方ないと思えば、早い、安い、(それなりに)旨いで、接客態度も良かったから、昼飯、昼酒の場所としてはかなり高く評価できる。Nさんに感謝。
  14時47分発酒田行き普通列車は、幸いなことにボックスシートの車輌だった。一人で四人分のスペースを確保できる程度の混み具合で、のんびり2時間強の列車旅を楽しむ。秋田以南は積雪量が少ないことが印象に残った。
  朝からの曇り空は、酒田到着時に小雨に変わっていた。今宵の宿、ホテルリッチ&ガーデン酒田は、酒田港のそばで、駅からは2キロほど離れている。雨に加えて、僅かながらも残雪が足許を歩きにくくしているので、タクシーを利用した。
  チェックイン後、(酒田沖30数キロの離島)飛島の民宿に電話した。数日前に予約電話を入れたときには、「海が荒れるとフェリーが運休になる。この前のお客さんは十日も帰れなかった。直前になれば天気予報も当てにできるから、もう一度電話して」と云われたのだ。
  再度の電話にも、躊躇している様子は覗えたが、「勤め人ではないので、多少帰りが遅れても大丈夫。」と云うことで、予約を受けて貰った。
  一休みしてシャワーを浴びたりすると、(早めの)晩酌に頃合いとなる。駅から離れたこの宿を選んだのは、飛島へ行くのに港が近いこともあるが、1年半前に行った、宿のそばにある居酒屋、章新丸を再訪したい気もあった。しかし現役の漁師が漁の合間にやっているため、不定期の休みが多いらしく、この日は電話しても応答がなかった。
  章新丸を諦め、改めてフロントでお奨め居酒屋を尋ねた。 対応してくれたオネエサンは見覚えのある、「さかたグルメマップ」をカウンターに拡げ、「しえん」と「欅の風」をマークする。どちらも徒歩5分ぐらいらしい。
  欅の風はちょっと探したが見つからず、しえんの縄暖簾をくぐった。カウンター席と小上がりの店内は、比較的ゆったりとしている。立ち働いている女性二人は五十前後だろうか、顔立ちや雰囲気がよく似ているから姉妹かもしれない。

 ソイの刺身とお通し(山菜の煮物)。
 

  冷や酒を頼み、お通しを肴に呑みながらツマミの品を考える。ホワイトボードに書き出された本日のお奨めから、(多分)ソイの刺身、さらにお品書きのページを繰って、レバニラ炒めを注文した。
  昼の野菜炒めと似通った選択だが、旅に出ていると野菜不足と体が要求するのかもしれない。
  客は七十くらいの老人が一人、常連らしくカウンター席に坐り、姉妹と談笑しながら生ビールを飲んでいた。 彼女らがどのようないきさつで居酒屋をやっているのか、見当もつかないけれど、ともかく擦れた感じがまるでないのが好ましい。
   この晩は梯子酒をやる気もなく、しえんで腰を落ち着けて呑む。記憶が曖昧だけれど、ツマミを一品追加して、五杯の冷や酒を乾した。最後にツマミが少々残ったので、ご飯を所望して全て完食する。皿に残った汁気まで、飯に絡めて綺麗にしたのは、洋食でパンを使って皿を拭うようにするまねごとなれど、和食では品がないだろうか?
 

 
 酒田と飛島を連絡する
 

4.飛島

  2月11日の朝は、薄曇りだけれど風もない穏やかな天気だった。宿から飛島行き連絡船乗り場までは1キロちょっとで、 早めに宿を出て、ゆっくり歩いてゆく。
  今日の目的地、飛島は現在酒田市の一部になっている。連絡船は市営の双胴船ニューとびしま(223トン)で、片道2,040円/90分で酒田港と飛島港を結んでいる。 一日に一便だけで、9時半に酒田を出た船は、午後1時半に引き返してくる。
  高速船ではないが、デッキに出ることはできない。船の定員は300名ながら、島へ向かう乗客は10名程度しかいない。ちなみに外部からとはっきり判るのは、私 と釣り竿持参のオヤジ一人だけだった。定刻に出港し、港内をでると巡航速度(16.5ノット(時速約30km))で走り出す。穏やかに見えた海だが、うねりがあり、船首は時として2メートルほど海面から飛び出し、次の瞬間飛沫を上げて海中に突っ込む。デッキにでられないのもむべなるかなと思う。
  揺れ自体に不安を感じることはないが、無風に近い穏やかな天候でこれならば、すぐ欠航になるのも当然か。10分ほどの遅れで、飛島港に着岸した。
  この日の宿、「民宿みのり荘」は、港から1キロ足らずの、判りやすい場所にあるはずで、のんびり歩いてゆくつもりだった。しかし簡易なタラップを降りると、正面に「民宿みのり荘」の小旗を持ったオジサンが待ち受けている。そのまま彼の運転する軽自動車でみのり荘へ運ばれた。
  島に着いた時点で多少なりとも観光情報の収集を考えていたので、予定が狂う。しかし実際には収集できるところなどなかったのだ。下船間際にフト手にした、見開きA2の観光パンフレットが、唯一の情報源で、部屋に案内され たところで、これの地図を見ながら、オジサンに話しを聞く。
  愕然としたのは、島に昼食を摂れるところがないことだった。後は島内を半周するような道路に関することを訊き、夕食の時間を決めて終わり。彼が去ってから、パンフレットに記載されている四軒の食堂に電話してみたが、シーズンオフ休業していない一軒も、「出来るのはラーメンだけ。」とのことだ。
   仮に酒が飲めたとしても、ラーメンをツマミに冷や酒などは酷い。これ以下となれば、冷や酒とカレーの組み合わせぐらいだろうが、ともかく最低に近いことは確かだ。潔く一食抜くことにした。
  カメラだけ持って島内散策に出かける。フェリー波止場から続いている市道をさらに東に向かった。間もなく島内で唯一軒営業している本間食堂の前に出た。暖簾などは出ておらず、ガラス戸越しに見える店内に、ラーメンと白文字の赤旗がぶら下がり、人の気配はない。道を挟んだ向かいが母屋で、こちらに声をかければ、「ラーメンならば作る。」と云うことらしい。止めておいて正解のようだ。  

 中村聚落の防波堤から東を望む。
 

  その先に、郵便局舎。人口300弱の島にしては立派な建物に見える。そこから10分で、体育館、中学校、小学校の鉄筋コンクリート製建物が見える。中学は休校中で、小学校は2009年4月に、二人の小学生をつれた本土からの移住者により、9年振りに復活したそうだ。
  このような過疎地帯を旅すると、郵便局や学校は民営化できないものとの思いも現実味を帯びる。
  学校を過ぎると、道は上り坂になる。間もなく鼻戸崎展望台への分岐を示す道標があり、石段が情報へ続いていた。階段を登り切ると、未舗装ではあるが遊歩道が設けられ、要所には手摺りなどもあって、公園の体裁が整えられている。もちろんこの時期、訪れる人などはいない。
  展望台からの眺望は詰まらないものだった。規模の大きな断崖のような目玉的なものもなければ、形良い松の生えた小島が多数あるような妙味もない。せめて快晴ならば、海の青さが際だったのかもしれない。
  展望台から先は、「巨木の森」があると道標は示している。しかしどこに巨木があるのか気付かぬうちに一帯を通り抜けてしまった。確かに一抱え以上の太い木はあったし、その程度でも、「島では巨木」なのかもしれない。
  辺りが開け、緊急へリポートが見えた。島で急患が出れば、ここから本土へヘリコプター移送して治療するらしい。
  ヘリポートから先、道は島の脊梁部を南西に辿ってゆく。つまり海沿いの市道と平行し、超楕円ループを形成している。細かい間隔で海側へ降りる小径があるが、地図からすると、いずれも下の方で階段になっていた。
  島の西南端には飛島大橋(橋長およそ80メートル)があり、海側は小松浜海水浴場、山側は発電所になっている。海水浴場は小振りだが、水は綺麗だし、外海とは百合島や消波ブロックで仕切られていて、子供を遊ばせるには良さそうなところだ。もちろん今は誰もいない。
  無人発電所の前を横切ればすぐにフェリー波止場で、朝乗ってきたニューとびしまが無人のまま停船していた。

  宿へ戻って、浴衣と丹前に着替えて寛ぐ。クロアチア紀行の推敲をしたり、持参した、「匂いの人類学」を読んだりして時間を潰す。

  みのり荘の夕食。左手前はソイとタコの刺身。奥が子持ちヤリイカの煮付け。中央に鱈の揚げ物。その向こうがタラコの煮付け。右奥はメバルの焼き魚。その手前がギバサ(銀葉藻:海藻)とネギ、黒ごま、 味噌、酒粕の和え物。その手前はやりイカ刺し。
 

  5時に夕食の支度が出来たと、宿のオバチャンが部屋まで呼びに来てくれた。
  この宿は市道の山側に母屋があり、(海側にある)県道との間が改築されて客室になっている。厨房と食堂は母屋にあり、市道を横切って行った。玄関を入ると八畳間、その奥に八畳間、さらに厨房となっている。シーズンならば二間を食堂にするのだろうが、今は 襖で仕切り、ストーブが焚かれている奥の方に、食卓が用意されていた。
  オバチャンが料理を一通り説明してくれる。漁師をしている息子の捕ったものがほとんどだ。この時期はヤリイカの繁殖期で、防波堤のすぐ外まで産卵に来る、そこに網を仕掛けると、ヤリイカのみならず他の魚も結構捕れるらしい。
  それぞれ旨かったが、メバルの塩焼きがすっかり冷え切って、固くなっていたのは残念。他に客もいないことだし、「まとめて焼いておく。」みたいなことはないはずなのに。ギバサ (秋田・庄内で流通するものとは別種で、市販されていない)の和え物は独特の食感もよく、酒のツマミに好適だと思った。

 
 鱈の白子汁。
 

  酒を何杯か追加して呑んでいるうちに、熱々の白子汁が追加で出された。贅沢に旨いところだけ取り分け、少しでも悪そうな部分は捨ててしまったような感じだ。 採れても出荷や貯蔵が出来なければ、このような処理になるのかもしれないが、都会に住んでいてはとうてい真似できない。これが通常の倍ないし三倍ぐらいたっぷり椀に盛られた御馳走だった。
  昼間、島巡りをした際に疑問に感じたことを訊いてみる。店と云えるようなものは、およそ品揃えのない酒屋が一軒あるだけなのに、どうやって日常的な食品を調達するのか。魚や海藻は自給できるにしても、野菜や肉、卵などは?
  オバチャンの話しでは、「私らのように民宿をやっていれば、酒田の八百屋さんに電話で注文すると、段ボールに詰めてフェリーボートに積んでくれる。港までは受け取りに行かないと駄目だけど。」とのことだった。民宿をやっていない人はどうするのか教えてくれなかったが、同じようなことをするのだろう。
  酒田から着いたときの光景を思い出す。後甲板に、幅、高さ、奥行き、全て2メートルくらいのコンテナが積んであり、船のクレーンがこれを岸壁に下ろしていた。多分あの中に食料品などが詰まった段ボール箱が混載されているのだろう。
  部屋に張り出されている、「飛島民宿組合(だったかな?)料金表」に昼食の値段(2,000円前後)が書かれている。今日の昼食抜きはともかく、明日の帰り船は1時半出港で、酒田着3時だから出来れば島で昼食を摂りたい。オバチャンに訊けば、予約さえあれば用意してくれると云う。
  こんんなことが判っていたら、宿の予約時に一緒に頼み、食いはぐれることもなかっただろう。しかし、負け惜しみではなく思う。「旅に出て三日目に 、続いていた昼酒を抜くのも良いことだ」と。
  酔いが回ってきたので、翌日の昼食に関する詳細は明日のこととする。八杯飲んで仕上げにご飯と味噌汁を頂く。この晩も熟睡。島の夜はひたすら静かだ。

5.帰り船

  夜中に目を覚まし、トイレへ行ったついでに表の様子を窺った。街灯に照らされて雪が舞っている。秋田以南、特に酒田近辺から飛島にかけて雪が少なかったけれど、これで雪見酒らしくなったと、内心快哉を叫ぶ。
  次に目が覚めたのは5時ころで、表を除雪する音のせいだった。田舎だから、あるいは漁師町だから取り分け朝が早いのだろうか。 市道側の窓を開けてみると、10センチほど積もった雪を、道幅一杯まで綺麗に片付けていた。

 フェリー停泊一付近から東方区方向を眺める。6時20分。
 

  6時を廻ると、表はかなり明るくなった。カメラを持って出かける。前日にオバチャンから、「朝には息子の船(前の岸壁に係留されてる船を指差しながら)から夜の間にかかった獲物を水揚げするから、見物すると良い。」と奨められていたのだ。
  家から船までは、一筋だけなれど、除雪されている。しかし辿り着いた船には、全く人の気配がなかった。水揚げ作業には元々それほど興味がなかったので、 フェリー岸壁などを一回りして。部屋へ戻った。
  7時半から朝食。やはり手取り海産物中心で、飛島まで来た良さを味わう。昼飯の話しになった。昨夜出たようなもの以外、この時期ならば、ナマコやサザエもあるそうだ。「サザエは壺焼きか刺身?」と訊かれ、「胆も食べられるならば刺身で。」などと、文字通り美味しい話しになる。
  部屋に戻って寝転がり、「匂いの人類学」を読む。8時前のNHK天気予報は、日本海で午後、波が高くなることを告げていた。8時の時報と共に、村のラウドスピーカーが鳴りだした。内容が聞き取れず、窓を開けてみても、谺が酷くて駄目だった。
  しばらくしてオバチャンが、襖の外から声をかける。なんだろうと襖を開けたら、「海が荒れるかもしれないので、今日のフェリーは到着後、荷物を積み終わったらすぐ出港する。」そうだ。先ほどの放送はこのことを告げていたらしい。
  と云うことで、昼飯の美味しい話しは消散し、勘定を清算する。宿泊費(2食付き)7,000円プラス酒八本で3,200円。ちなみにあの銚子は7勺程度の容量で、組合協定料金では一升が3,000円だから、この方がだいぶ安い。しかし気持ち良く飲ませて貰ったのだから、せこいことは云わず、別途500円をポチ袋に包んで部屋に置く。

  船の到着は若干遅れ、積み込み作業終了後に出港したのは12時を少し廻っていた。揺れ具合は来た時を下回っているような気がする。天気予報は「午後」と云っただけだから、これから荒れるのかもしれない。何はともあれ、無事離島脱出を果たし、1時半に酒田港上陸。
  フェリーターミナルと隣接して、さかた海鮮市場があり、これを覗く。みのり荘で勘定の時、「ギバサを少し分けて貰えないか?」訊いたら、これには答えず、「酒田港の海鮮市場に行けば、飛島のものも買えるし、二階で食事も出来る。」と奨められたせいだ。
  しかしいかにも観光客相手の雰囲気が強く、ギバサはないし、二階の食堂も観光客がガヤガヤしていて、昼酒を呑む気になれない。すぐに立ち去る。
  ちなみにこの食堂、「庄内浜海鮮どんや」は、インターネットで調べると、「安くて旨い。」と好評らしい。時分どきにはかなりの行列も出来るとか。しかし、安いのも旨いのも歓迎だが、あの雰囲気ではやはり利用する気にならない。

6.坂町、米沢、仙山線

  フェリーターミナル付近から酒田駅行きのバスがあるらしいが、食堂を探しながら歩くことにする。高々2キロ程度の道のりだ。しかし足許は悪かった。昨夜来の雪は既に降り止んだいたが、10センチほどの積雪は歩道に残ったままのところが多い。歩く分にはさほど問題ないが、キャリーの車輪には大きな抵抗になる。今日の目的地、坂町への列車は3時52分発なので、焦らず道を選びながら進んだ。
  道半ばで、五郎兵衛(ゴロベエと思っていたが、ゴロウヒョウエらしい)食堂なる看板が目に入った。名前も看板の感じも気に入った。店の前まで行くと、「野菜いため定食700円」、「焼肉定食800円」、その他を大書した紙がガラス窓の内側に貼られている。これも好みだ。迷わず暖簾をくぐった。
  店内には主らしいオヤジが、新聞を読みながらラーメンを食べていた。お茶を持ってこようとするのを断って、冷や酒と野菜炒めの単品を注文。カミサンらしいオバサンが厨房から小丼に入ったお通しを運んでくる。肉ジャガで、単品一人前の分量は優にあった。
  時分どきを過ぎているので、訪れる客は少ないものの、皆常連らしい。間もなく運ばれてきた野菜炒めと肉ジャガで三杯呑む。オヤジが食べていたラーメンにも食指が動いたものの、食べ過ぎの運動不足状態が気になり、自制する。
  勘定は定かでないものの、二千円しなかったと思う。店から20分ほどで酒田駅に着いた。乗車券は、弘前発、坂町、米沢、山形経由で仙台まで購入済みなので、自由席特急券1,300円を買う。3時52分始発のいなほ12号に、あまり待たされた気分にもならず、乗車できた。
  坂町駅に着いたのは5時19分で、曇り空のせいもあり、辺りは既に薄暗い。徒歩1分でいずみや旅館に投宿。
  坂町には僅かながら思い出がある。三十数年前、坂町から米坂線で二駅目の、関川村に半年いたのだ。外で呑むならば坂町まで出ることになったし、休日に坂町の本屋で面白そうなのを探しては、帰りの列車待ちを駅前の喫茶店でしたものだ。
  この喫茶店は駅前旅館の一部だった。ひょっとしていずみや旅館がそれかとの淡い期待があったけれど、訊いてみると、駅前には別の旅館があり、随分以前に廃業したらしい。
  宿の晩飯は玄関隣の食堂で供され、一人だけの食事となった。いつも通り、「冷や酒を、面倒なので五杯まとめて。」注文した。一杯目はすぐに出されたけれど、残り四杯は中々来ない。まさか買いに行ったわけでもあるまいが、一杯目が空になるこ ろ、水差しに入った酒がもたらされた。主が、「これで四杯分あります。」の言葉と共に置いて行く。
  曇り空は夜半に雪となり、朝起きてみると10センチほどの新雪だった。米沢行きの列車は7時17分があるけれど、朝飯に早過ぎ、その次は9時33分の快速べにばなだった。「どうせ空いているだろう。」と高をくくっていたのだが、到着した二両編成の車内はかなりの乗客で、ボックス席は全て占領されていた。
  べにばなは新潟発の快速列車(米坂線内は各駅停車)で、この土日は折り悪く米沢の上杉雪灯籠祭りの開催とぶつかっていた。NHKの大河ドラマが影響したか、米沢は観光客が急増しているそうだ。これに加えて、祭りと云うことで新潟周辺から見物に行く連中が大半のようだ。

 米坂線、中郡付近。11時13分。
 

  大河ドラマは嫌いだし、祭りの人混みも出来れば回避したい。と云うことで、「迷惑千万。」と思うけれど、所詮ごまめの歯ぎしり、我慢するしかない。米沢の祭りならば、仙山線が混むことはないだろう。
  米沢が近付くに従い、晴れ上がって行く。新雪が陽光に輝き、木々の枝にもたわわの雪化粧は、見事と思う箇所が度々あった。しかし腰掛けているのがドア口付近のロングシートだと、坐ったままの撮影は出来ない。真面目に立ってシャッターチャンスを待てば良いのだが、そこまでの根性もなく、中途半端な写真しか撮れなかった。
  11時31分米沢着。5年前に訪れたときは、駅周辺は閑散とした雰囲気だったように記憶している。しかし、今見れば新しい店も増えたようだし、駅のコンコースも観光客がワサワサと動き回っている。NHK大河恐るべし。
  昼酒ならば、駅周辺にろくなところはなく、上杉神社の方へ1キロちょっと行った辺りがお奨めとはNさんのアドバイスだった。秋田迎賓館でも、彼の情報は的確と認識しているので、キャリーカートを引っ張って歩き始める。歩道部分には氷結したところが結構あり、歩きにくい。カバンを駅のコインロッカーに預ければ良かったと思うが、後の祭りだ。
  ともかく慎重に歩いて約20分、奨められたきよえ食堂の看板が見えた。雰囲気は私好みと思う。12時丁度なので、混雑が気になったがともかく引き戸を開けて中に入った。何とか空席も見つかる。しかし坐る前に通りかかった店のオジサンに、「酒は飲めますか?」と訊いたところ、「ビールしかありません。」の返事だ。
  雰囲気が好みであったから、残念に思うが、昼酒にビールは選択肢にそれしかない場合以外は嫌だ。と云うことで踵を返し、近隣の店を探す。一辺およそ100メートルほどのブロックを一周したが、「飲食店は多いはず。」の見込みは外れだった。あっても昼間は営業していなかったりで、やっと見付けた一軒目は、「特急寿司」のネーミングに腰が引け、結局ほぼ一周後、きよえ食堂の隣みたいな、中華料理五十番の暖簾をくぐった。
  店内には観光客らしい中年カップルが一組だけで、お通しをツマミにビールを飲んでいた。冷や酒を注文して、メニューを検討。「中華料理」というより「ラーメン屋メニュー」だが、それに不満はない。餃子とレバニラ炒めを注文する。
  お通しに出された、きゃらぶきの佃煮は冷や酒に好適だった。餃子はラーメン屋普通水準だろうか、あまり旨いとは思わない。
  カップルは二人でビール大瓶一本を飲み終えると、ラーメンを食べて出て行く。これから雪灯籠祭りの見物なのだろう。こちらも冷や酒三杯で切り上げる。ラーメンやヤキソバに食指が動きながらも、こらえたのは前日と同じだった。
  米沢から仙台へ行くのに、新幹線を使うと、福島経由で2時間弱の行程だ。しかし新幹線は嫌いだし、雪見ならばなんといっても仙山線で、3時間強かかるのは、むしろ楽しむ時間が長いと思っていた。
  山形で乗り継いだ仙山線は一割程度の乗車率で、坐る位置は思いのままと、米坂線とは大違いだ。ところが良いことがあれば悪いこともある。米坂線では陽光に恵まれていたのに、山形を過ぎると曇天に変わってしまい、おまけに昨夜はほとんど降雪がなかったようだ。
  山寺(駅)では、一応五大堂を見上げる。しかし、雪もなければ、日差しや背景としての青空のない建物は、面白味の全くないものだった。結局一枚も撮影することなく、仙台に到着する。

7.打ち上げ

  Oさん、Nさんとの待ち合わせ場所は、仙台居酒屋探訪紀行の時と同じ、駅前の鳥紀だった。しかし5時に店の前まで行ってみると、看板に明かりが点っていないばかりか、地下にある店も暗闇に沈んでいる。「どうしたものか?」と思案するほどもなく、二人が店の前に来た。結局ここはスキップして文化横丁の八仙からスタートすることに衆議一決。
  この八仙なる店は、仙台の餃子屋としては草分け的な存在で、そして今なお格付け最上位(?)だそうである。別に有名店を覗いてみる志向はなく、昨年の探訪紀行で寄るはずが既に閉店後だったことによる、一種の、「釣り逃した魚に対する未練」と、その時に酔眼で眺めた店の佇まい、古びた様が随分良かったような記憶のせいだ。格付け最上位に関しては、Oさんに云わせると、「数年前にライバル店が閉店し、それ以後、だんだん夜郎自大の気味がある」そうだ。
  ともかく10分ばかり歩いて、八仙に入店する。一階がカウンター席だったが、こちらは満員で二階の座敷に案内された。詰め込めば20名くらいは入りそうな座敷に、時刻が早いせいか、まだ先客はいない。それぞれの飲み物と、餃子、トマトとたまごのふわふわ炒めを注文する。トマト. . . .はNさんの推奨で、先だって来店したとき、隣の女性が食べているのをみてどんなものか訊いたら、分けてくれたそうだ。それが旨かったので今日の推奨となった。
  まずは乾杯。後はそれぞれのペースで歓談痛飲。三人ぐらいが歓談にむいているのか、話しが途切れることもないが、話に割り込めないほどでもなく、それぞれが云いたい放題、ストレスを発散する。
  宵が更けるにつれ、次第に座敷も混み始めた。頃合いを見計らって、二軒目に移動する。これも前回入店できなかった居酒屋「二代目」だ。こちらはまだそれほど混んでいなかったが、やはり二階へ案内される。急な階段を昇ったところに、六畳間が一部屋。新宿ゴールデン街などにも残る、青線や赤線に使用された建物様式だ。
  部屋は狭く、天井も低い。余人を交えぬ室内には濃厚に親密な空気が立ちこめ、男ばかり三人なのが哀しいが、それには目をつぶって談論風発、酒を乾すピッチも上がった。
  この辺りから記憶が定かでなくなるが、二代目で大いに盛り上がり、おなじ壱弐参(いろは)横丁でもう一軒、さらに二代目の親夫婦がやっている一番茶屋とハシゴしてお開き、だっただろうか。

  翌朝は酒が残ることもなく気持ち良く起床し、7時に朝飯、8時には東京駅八重洲口行き高速バス(3,000円)の乗客となっていた。車内は三割程度の乗車率で、隣は空席、飲酒は慎んだが、雪見酒紀行の余韻を楽しみながら陸奥を後にした。

―― みちのく雪見酒紀行2010 完 ――

8.あとがき

  私としては満足の雪見酒紀行だった。良く呑み、喰らい、そしてさらに良く談笑できたのだから。しかしそちらが専らになったため、「取材」がおろそかになってしまった。特に画像が少ない。単純に撮影枚数だけを考えても、六日間で55枚のみで、例えばクロアチア紀行では、一日約130枚であったのと比べれば、その少なさが際だつ。
  画像のみならず、特に最初の弘前における昼食は、何を食べたのかさえも曖昧だし、打ち上げの仙台横丁巡りも似たようなものだ。その結果、紀行文としては随分不出来なものとなってしまった。拙紀行文をご高覧くださる貴重な読者に対し、誠に申し訳なく感じる。次回紀行ではこの反省を活かすつもりなので、よろしくお付き合いのほどをお願いします。

―― 黄昏紀行へ ――