***目次***
1.上野駅界隈の居酒屋
2.弘前 ―― 野の庵
3.秋田 ―― 迎賓館、酒田 ―― しえん
4.飛島
5.帰り船
6.坂町、米沢、仙山線
7.打ち上げ
8.あとがき
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1.上野駅界隈の居酒屋
この冬も雪見酒に出かけた。昨冬、一昨冬は函館まで足を延ばしたが、今回はまた陸奥に限って廻ることにする。毎度のことながら、まずは上野駅界隈で一杯。 2.弘前 ―― 野の庵
弘前駅には定刻9時19分に到着。駅前にある馴染みのビジネスホテル新宿に荷物を預け、一番町まで20分ほど歩き、馴染みの喫茶店壱番館に入った。ちなみにどちらも10年くらいの付き合いなので、「馴染み」と書いたが、たかだか年に一度しか訪れない(しかも今回は三年ぶり)客を、向こうはサッパリ覚えていないかもしれない。 | ||||
昼飯は野の庵でと決めていた。やはり10年の来の付き合いで、ここははっきり馴染みといえる。3年振りの訪問だが、その間には築150年の店が、漏電により焼失する災難と、そこからの再建という大きな出来事があった。新店舗を見届け、それを切り盛りする女将と再会することは、今回紀行の目玉とも思っていた。 | ||||
新築された野の庵は、以前のものと比べて開放感が目立った。廻りに生け垣などもあまりないことも影響しているようだ。ともかく玄関から中へ入った。娘さんの優子さんが出迎えてくれる。 3.秋田 ―― 迎賓館、酒田 ―― しえん
冬の東北旅行は、紀行文を書き始める前からのことで、15年くらい続けている。そして必ずと云って良いほど訪ねたのが、角館だ。最初のころは何となく、それ以後は角館の石川旅館で面倒を見てくれる、通称オバチャン、経営者一族
の石川恵美子さんに会って(方言のため半分くらいしか判らない)話しを聞くのが楽しみだった。
弘前から向かったのは酒田だった。直通列車はなく、10時28分発の特急で秋田まで移動する。特急などできれば使いたくないが、普通列車は不便なばかりか、通勤電車タイプのロングシートのため、旅している気分になれないのだ。 | ||||
冷や酒を頼み、お通しを肴に呑みながらツマミの品を考える。ホワイトボードに書き出された本日のお奨めから、(多分)ソイの刺身、さらにお品書きのページを繰って、レバニラ炒めを注文した。 | ||||
2月11日の朝は、薄曇りだけれど風もない穏やかな天気だった。宿から飛島行き連絡船乗り場までは1キロちょっとで、
早めに宿を出て、ゆっくり歩いてゆく。 | ||||
その先に、郵便局舎。人口300弱の島にしては立派な建物に見える。そこから10分で、体育館、中学校、小学校の鉄筋コンクリート製建物が見える。中学は休校中で、小学校は2009年4月に、二人の小学生をつれた本土からの移住者により、9年振りに復活したそうだ。 宿へ戻って、浴衣と丹前に着替えて寛ぐ。クロアチア紀行の推敲をしたり、持参した、「匂いの人類学」を読んだりして時間を潰す。 | ||||
5時に夕食の支度が出来たと、宿のオバチャンが部屋まで呼びに来てくれた。 | ||||
酒を何杯か追加して呑んでいるうちに、熱々の白子汁が追加で出された。贅沢に旨いところだけ取り分け、少しでも悪そうな部分は捨ててしまったような感じだ。
採れても出荷や貯蔵が出来なければ、このような処理になるのかもしれないが、都会に住んでいてはとうてい真似できない。これが通常の倍ないし三倍ぐらいたっぷり椀に盛られた御馳走だった。
夜中に目を覚まし、トイレへ行ったついでに表の様子を窺った。街灯に照らされて雪が舞っている。秋田以南、特に酒田近辺から飛島にかけて雪が少なかったけれど、これで雪見酒らしくなったと、内心快哉を叫ぶ。 | ||||
6時を廻ると、表はかなり明るくなった。カメラを持って出かける。前日にオバチャンから、「朝には息子の船(前の岸壁に係留されてる船を指差しながら)から夜の間にかかった獲物を水揚げするから、見物すると良い。」と奨められていたのだ。
船の到着は若干遅れ、積み込み作業終了後に出港したのは12時を少し廻っていた。揺れ具合は来た時を下回っているような気がする。天気予報は「午後」と云っただけだから、これから荒れるのかもしれない。何はともあれ、無事離島脱出を果たし、1時半に酒田港上陸。
フェリーターミナル付近から酒田駅行きのバスがあるらしいが、食堂を探しながら歩くことにする。高々2キロ程度の道のりだ。しかし足許は悪かった。昨夜来の雪は既に降り止んだいたが、10センチほどの積雪は歩道に残ったままのところが多い。歩く分にはさほど問題ないが、キャリーの車輪には大きな抵抗になる。今日の目的地、坂町への列車は3時52分発なので、焦らず道を選びながら進んだ。 | ||||
大河ドラマは嫌いだし、祭りの人混みも出来れば回避したい。と云うことで、「迷惑千万。」と思うけれど、所詮ごまめの歯ぎしり、我慢するしかない。米沢の祭りならば、仙山線が混むことはないだろう。
Oさん、Nさんとの待ち合わせ場所は、仙台居酒屋探訪紀行の時と同じ、駅前の鳥紀だった。しかし5時に店の前まで行ってみると、看板に明かりが点っていないばかりか、地下にある店も暗闇に沈んでいる。「どうしたものか?」と思案するほどもなく、二人が店の前に来た。結局ここはスキップして文化横丁の八仙からスタートすることに衆議一決。 翌朝は酒が残ることもなく気持ち良く起床し、7時に朝飯、8時には東京駅八重洲口行き高速バス(3,000円)の乗客となっていた。車内は三割程度の乗車率で、隣は空席、飲酒は慎んだが、雪見酒紀行の余韻を楽しみながら陸奥を後にした。 ―― みちのく雪見酒紀行2010 完 ――
私としては満足の雪見酒紀行だった。良く呑み、喰らい、そしてさらに良く談笑できたのだから。しかしそちらが専らになったため、「取材」がおろそかになってしまった。特に画像が少ない。単純に撮影枚数だけを考えても、六日間で55枚のみで、例えばクロアチア紀行では、一日約130枚であったのと比べれば、その少なさが際だつ。 |