佐渡・酒田紀行

***目次***
1.佐渡へ
2.民宿見行崎
3.酒田へ
4.山居さんきょ倉庫と土門拳記念館
5.角館
ドライブマップ
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1.佐渡へ

  この数年友人Tと共に、年に一回一週間程度の旅をするのが何となく恒例になっている。今年も半ば惰性で旅先を探し、一度は五島列島が候補に挙がった。しかしカーフェリーで九州へ往復すると、船内で72時間ほど過ごすと判り、この計画は一挙に頓挫した。ちなみにカーフェリーを使用しなければ良いのだが、道具を積み込んで、一泊くらいはキャンプをしたい気持ちも強かった。
  結局、代替案として佐渡へ渡り、その後本土へ戻って酒田、角館を回って帰るコースになり、日数も五泊六日の短め、時期は昨年の梅雨空に懲り五月半ば、仕事の忙しかったT夫人は不参加と、これまでとは 大幅に異なった形になってしまった。
  5月12日は八ヶ岳山麓のT宅に泊まり、翌朝、フェリー港のある直江津へ向かう。 昨日しこたま聞こし召したにもかかわらず、二人とも快調だ。五月晴れの朝は、風もほとんどなく、幾分冷涼に感じられる大気は清々しい。

 直江津港に停泊するこがね丸(4,258トン)。
 
 直江津と背景に妙高山群。
 

急ぐ必要もないので、全国一の景観(?)を誇る諏訪湖サービスエリアで一服したり、のんびりドライブを楽しんだが、それでも小木に着いたのは12時前であった。
  ともかくフェリーターミナルビルへ直行し、1時40分発の小木行きの切符を買う。窓口の男性係員は親切で、片道だけしか念頭になかった我々に、往復や回遊(直江津→小木、両津→新潟)で買えば割引になることを教えてくれた。これは料金のみならず、発券所まで行く足労や、乗船書類の書き込みもなしで済むので、随分助かったのであった。
  ついでに食品スーパーマーケットの所在も教えて貰う。今宵はオートキャンプの予定だが、食料その他の調達はまだだった。自動車道路からターミナルビルへと走ってきた道を、1キロほど引き返せば、左側とのことだ。判りやすくて有り難い。
  晩飯のメインは作るのも食べるのも簡単な鍋料理に決め、持参を忘れた調味料も含めあれこれ15点ショッピングカートに入れる。活きダコ刺身は量がたっぷりありながら480円で、生ヤリイカは小振りながら四杯で298円、共に美味であった。酒は「北国鬼ころし」の一升瓶に、念のため焼酎「二階堂」の四 合壜も加える。全部で5,837円。
  スーパーマーケットの周辺は共通の駐車場を利用する、一大郊外型店舗群を形成し(その名も直江津ショッピングセンター)、ユニクロやアメリカンドラッグなどの商店と共に和洋数店のファミリーレストランもある。出港までは一時間以上あり、「どこかで食事でも」と考えていたので、これを利用することにした。上質は期待できないにしても、大外れはないだろう。夜更けの深酒が副作用をもたらしたのか、あまり食欲のないTが「冷麺ぐらいを. . . .」をと云うので焼き肉屋に入り、彼は盛岡冷麺、私はホルモン、レバー盛り合わせを焼きながら、冷や酒を三杯。頃良く時間も潰れて直江津をあとにした。

 佐渡の島影が次第に大きくなる。
 

シーズンオフの平日なので、船内はガラガラと予想していたが、意外に乗客が多い。船腹に大型観光バスが五台入っていたから、この団体客であろうか。「××高齢者クラブ」なる、黄色い腕章を着けたジイサンバアサンを見かけたので、そんな連中が(実務は添乗員に任せるにせよ)率いる団体に遭遇したらしい。
  日本海は浪静かで、海風も寒くはない。船室で睡眠するというTと別れ、後甲板で小木までを過ごした。定刻4時20分に先頭から四番目で上陸したまでは良かったが、カーナビゲーション起動に手間取っている間に、大型観光バス 五台に先行されてしまった。キャンプ場までの約一時間を、大型バスの尻を見ながら、排気ガスを浴びてゆくのは嫌なので、しばらく離れるのを待ってのんびり行く。
  国道350号線を行き、佐和田の集落から山道へ分け入って10分でキャンプ場に着く。個別の芝生テントサイト、駐車場、トイレ、流し、電源が設備された区画が30あるけれど、今宵の利用者は我々だけだ。管理人のオバサンに「2番を使用してください」と云われる。使用対象外は水道が出ないし、トイレはロックされているようだ。料金6000円を支払い、割り当てサイトに落ち着いた。
   テント二張りの設営、鍋の仕込みなどを順調にこなし、半時間後には一杯やりながら他人のいないキャンプサイトの気楽さを堪能していた。6時になると、管理人のオバサンが一声かけて帰って行った。何か問題が起きたら、管理事務所外側に表示されている、三人の管理者自宅電話で対応してくれるとのことだ。世話になることもなさそうだが、行き届いた配慮だと思う。
  春菊、生椎茸、豆腐などを入れた豚肉鍋は、ポン酢で食して美味、ヤリイカ、生タコ、ウナギ胆串焼きと、持参した手作り薫製やサラダも旨い。ゆっくり飲んでいったが、8時を過ぎた頃には一升瓶が空になる。私の方は昼もそして朝も飲んでいたのでお終いにするが、Tはさらに二階堂を水割りで飲んでいた。
  12時を少し廻った頃目を覚ます。最初は幻聴かと思った密やかな音が、次第に大きくなる。テントに降りかかる雨音と気づき、外へ出てみると霧雨が降っていた。何も片付けないまま宴会をお開きにしていたが、濡れて困るものはティッシュペーパーの紙箱ぐらいだ。これとキャンバス地のアウトドア椅子を、流しやトイレを覆う屋根の下に移した。テントに戻ると、次第に雨脚が強くなる。
  2時半頃に車のドアを開閉する音に目を覚ましたが、それっきりなので再び眠りに引き込まれる。5時にはすっかり明け放ったので、テントから這いだした。Tがいるはずの五人用テントは、入り口が開いたままで抜け殻の寝袋があり、テントの真ん中に水溜まりができている。
  車の方を見ると、中で炎が瞬いている。一瞬「一酸化炭素中毒」が危惧され、近づいて窓ガラスを叩いた。すぐにドアが開き、Tが眠そうな顔を出した。
  昨日よく調べもせずに設営したテントだが、夏(高温)対策として上部三分の二が蚊帳になっていた。暑くなければフライシートをかけるのが正しい使用法なのに、そんなことには思いも及ばずいたところ、深夜の土砂降りに遭遇したわけだ。蚊帳の天井では「漏る」などではなく、大粒の雨滴に直撃され、皮肉にも底部や側壁は防水が効いていたため、寝袋ごと半ば「水没」する仕儀となった。
  慌てて車に逃げ込んだものの、濡れそぼった寝袋は使用できず寒さに震え、たまりかねて照明用のがガスランプを点灯したらしい。「俺も一酸化炭素中毒は怖かったけど、これを点けなければ凍え死んでいた」そうだ。

2.民宿見行崎けんぎょうさき

朝起きたときには、既に小降りになっていたものの、雨雲が次々に飛来し、降ったり止んだりを繰り返す。昨日の鍋の残りに、持参した飯(残飯)を入れ、その他残り物食品も放り込んで雑炊を作る。コンロ・鍋は雨天に、人間は僅かな軒下と棲み分け、朝食を済ませた。唯一人の運転者Tは自粛するが、運転しない(できない)私は、二階堂の水割りを二杯。
  6時ころ、キャンプ場前の道路を軽トラックが通、すぐにUターンして去っていった。昨晩オバサンが帰って後、初めてのエンジン音であり、他者の気配だ。 そんなことで一晩、贅沢な静寂を満喫したわけだが、ジイサン二人なので、高歌放吟するようなこともなかった。

 北部の西岸に注ぐ泊川河口付近。
 

早く出かけても時間をもてあます(島にそれほどの見所はなく、金山遺跡見物の趣味は二人ともない)ので、雨が小降りになるのを気長に待ち、テント撤収後に出発したのは9時近くになっていた。ゴミを置き場に出し、8時から出勤している管理事務所のオバサンに挨拶とお礼を云う。 管理事務所の前を掃除していた彼女は、掃く手を止めると深々と頭を下げ、その後もしばらくそこに佇み見送ってくれた。島らしいゆっくりした時間の流れを感じる。
  佐和田までは昨日の道を戻り、県道佐渡一周線を時計回りに辿り始めた。相川の町までは道幅も相互一車線を確保していたが、次第に交互一車線に狭まってゆく。しかし交通量がそれに比例するように減り、先を急がなければ、ドライブを楽しむことができる。次第に雲が薄くなり、青空が拡がっていった。
  基本的に路肩は駐車できるほどの余裕を残していないが、それでも所々にちょっとしたスペースは見つかり、他に観光をしている人もない。結局かなり気儘に停車を繰り返しては、写真を撮ったり、運転疲れを解消する運動(散歩)をすることができた。
  佐渡は海岸に急峻なところが多く、島の面積は川の流量が滝を形成できる程度に大きく、県道佐渡一周線を走っていると、さりげなく良い滝を眺められる。泊川の河口付近では、県道の岩谷口橋上から、ごく間近に仰ぎ見ると、落水が巻き起こす爽やかな風を肌に感じることができた。

 
 佐渡フィッシャーズホテルから見る二ツ亀島。
 

泊川から1時間足らずで島の最北部へ到達した。人家は点在して、集落とは云えないような状態だが、リゾートホテルとオートキャンプ場があり、ホテルで一服することにした。
  ホテル前の広々した駐車場には、端の方に数台停まっているものの、客の車とは思えない。ロビーに入ると案の定、客の姿は見えず、そればかりか従業員もいなかった。Tはフロントで声をかけて、返事がないとその裏手にある事務室まで覗いていたが、無人だったらしい。
  リゾートホテルらしいゆったりしたロビーには、白い革張りのソファーや安楽椅子が、充分な間隔をとって配置されている。ロビーの北側は、一面ガラス張りの引き違い戸になっていて、穏やかな日本海と左の方に二ツ亀島が見えた。戸はロックされていなかったので庭へ出てみる。短く刈り込んだ明るい感じの斜面は、下の方で砂浜に繋がっている。
  しばらくすると正面玄関から、マネージャー風のオジサンが入ってきた。コーヒーが飲めるか訊くと、フロント隣のバーカウンターに入り、すぐドリッパーを操作してくれる。 淹れ立てのコーヒーを飲みながら雑談になった。やはりこのホテルの繁忙期も8月らしい。海水浴のできる浜まで、手頃な距離であるだけでなく「二ツ亀島とを繋ぐ岩礁があり、西風の時は岩礁の東側、東風の時は西側の浜が穏やかで. . . .」常に良好な状態であることが自慢らしい。
  半時間弱を此処で過ごし、再出発した。しばらくは細い道が続いたが、進行方向が南に転じ、鷲崎集落辺りになると、相互一車線が回復した。11時半を回ったので昼食場所を物色する。と云っても空腹感が甚だしかったわけではなく、「気持ち良く食事できそうな場所」に邂逅したら、躊躇せずに利用しようと身構えただけだ。
  しかし意識の持ち様はさりながら、実行するのは難しい。徒歩行ならばともかく、予告なしに出現する食堂を疾駆する車上から、一瞬のうちに識別・評価しなければならない。かててくわえて、やたら大きな看板を目立つところに出すような店は嫌だし、だからといって、慎ましげな看板は、見落としもしやすいのだ。

 昼食にした食堂。
 

こんな議論が盛り上がり、頂点に達したとき前方に一軒の食堂が、魔法のように出現した。気持ち良く海原を見晴らす位置に、ポツンと一軒の小屋が建っている。
  味の方までは見極められないものの、間合いとしては絶妙で、少しばかり行き過ぎてしまったものの、この辺りは道路幅が他よりも広く、簡単にUターンできることが駄目を押した。
  店内にテーブルは四つで、先客は一人だけ。片隅に七十近いオバアサンがいて、彼女が店を切り盛りしているらしい。メニューは丼もの、麺類、定食で、酒のツマミとしては、別の紙に焼き鳥が書き出されているだけだった。Tは品質に関して一番無難そうなカツ丼、私は冷や酒と、レバー、砂肝の焼き鳥をシオで計四本注文した。
  平均点といえそうな焼き鳥で飲みながら、焼き魚定食をご飯抜きにして追加ツマミにすることなどを考える。焼き魚の種類を尋ねたところ(名前を記憶できなかったが)二種類ばかり地魚名が告げられた。どちらにすべきかなど思案していると、見本だとイワシ大の焼き魚二種類の半身が「試食用」として運ばれてきた。
  穏やかな海は、五月の日射しを受けてさざ波がキラキラ輝き、かなたに霞んで本土が見える。特筆するような絶景ではないが、酒を飲みながら視線を投げるには向いている。開け放たれた窓からそよそよと吹き込む海風は快く、金銭で求めることのできない贅沢と独りごちた。
  冷や酒を二杯追加したが、四本の焼き鳥と二種類の焼き魚で満腹になる。何しろ朝は(以後キャンプはないので)食料をできるだけ捨てるまいと、必死になって飲み下した。そのあとはTの運転に身をゆだね、歩行もほとんどしていない状態で今に至っている。試食品食い逃げのようで気が差したけれど、食べられないのは致し方なく、心中詫びを述べ食堂を出た。
  南下ドライブを続ける。この辺りは山が海へ迫っているものの、崖になるほど急峻ではないので、道はほとんど水平のまま岸辺を走る。運転しやすく、眺めも悪くないが、いささか単調だ。半時間で佐渡最大の集落両津に着いた。

 民宿見行崎から県道一本を隔てて小さな漁港と莚場海水浴場。
 

Tが持参するのを忘れた着替えや、歯ブラシを買う。出かける寸前まで、先月行った韓国旅行のデジタル画像を印刷していたため、調味料をはじめ忘れ物が多々あったのだ。
  街中を車でざっと見て回る。飲み屋が多いと感じられたが、総じて云えば面白味のないところだ。明日はカーフェリー乗船予定なので、乗船場所を調べてから両津をあとにした。海沿いの道は幾分傾斜、曲折が厳しくなるが、ゆっくり車を進めて、それでも2時18分には、今宵の宿、 莚場むしろば集落の民宿見行崎に到着してしまった。
  幸い宿のオカミサンは在宅で、チェックイン時刻が4時だなどとはおくびにも出さず、笑顔で二階の一号室へ案内してくれた。同宿者はないらしい。海を見下ろす六畳の和室には、二畳ほどの板張り部が付いていて、ちょっとしたものが干せるようになっている。これ幸いとTはびしょ濡れの、私はちょっとばかり濡れた寝袋を干させて貰う。昼頃は気持ち良い五月晴れだったのが、いつの間にか朝の状態に逆戻りし、雨雲が次々に通過しては驟雨をもたらす。   

 オバアサンから貰った猫。
 

チェックイン時に、Tのいびきがうるさいことを理由に(事実うるさいのだ)、割増料金は支払っても部屋を別々にすることを頼んだ。オカミサンは即座に了承してくれたものの「それでは布団は別々に敷きましょう」と云っただけなので、どの部屋が使えるのか判らない。仕方なくTと一緒に一号室で過ごすが、恋人あるいは夫婦同士でもないのに、三日間も一緒にいては、これ以上話すこともない。
  テレビが嫌いでなければこれを時間潰しに使えるのだろうが、生憎テレビ嫌いなため、ひたすら6時の食事開始を待った。
  4時になると、96歳のオバアサンが、デイサービスから帰宅した。耳は遠いけれど、目や手足はしっかりしていて、夕食時にはわざわざ食堂までご挨拶に出てこられた。 手作りだと、洗濯バサミを芯にした猫のぬいぐるみを頂戴した。翌朝オカミサンから聞いた話しでは、ある日、洗濯物を干そうとしたら、洗濯バサミが一つもない。オバアサンがぬいぐるみにして、客に配ってしまったためだ。「ビックリしました」と笑っていた。
  話しが先行してしまった。元へ戻って。

 
 見行崎の夕食。上部の四皿は二人一緒盛りだが、それ以外は一人前。下の写真が私の完食状況。上部に写っているトマト右の皿は追加されたイカの付け焼き。
 

5時半を少し廻った頃、階下のオカミサンから、そろそろ用意が調ったとの声がかかる。他にすることもなく待ちくたびれていたところだから、予定より早くなったことを喜び、Tと共にいそいそ食堂へ向かう。
  酒を訊かれたので一升瓶をそのまま出して貰う。我々はもっぱら冷や酒党だし、それならばこのようにするのが、お互いの手間を省けるし、会計的には明瞭でよい。 出されたのは佐渡の地酒北雪だった。
  並んでいる料理の質的充実と、量のあまりに多いことに圧倒される。向かい合わせに配膳された、中央に一緒盛りの四皿。左からトマトとキュウリ。このキュウリはオートキャンプで食すべく購入したが、その機会を逃し、捨てることもできずに先ほどオカミサンに手渡したものだ。手を加えて出してくれた心遣いが嬉しい。
  この右側にイカの和え物、蕗の薹の佃煮風、山菜酢の物など三皿。手前に移り左からトンカツ、メカブ酢の物、メバル塩焼き、白身魚の煮付け、真鱈子の煮付けなど。さらに手前に移り、蓋付きの器に野菜の煮物、ワラビなどの煮物、漬け物、鯛、イカ、タコなど刺身四種、ズワイガニ丸ごと一匹。若人ならともかく、六十近いジイサンに食べきれる量ではない。
  グラスに冷や酒をつぎ、Tと乾杯をしてから、ともかく手近にあるズワイガニの足をもぐ。元々かには苦手だ。殻を外してあれば良いが、カニフォークで突きながら身をせせり出す根気が続かない。今回も一本を八割方食べたところで投げ出した。Tは黙々とカニを食べ続けている。
  食べきれないことは明らかなので、せめて食べ散らかさないよう、幾皿かに集中し、同時に杯を重ねる。8時を廻って一升瓶が空になった。朝、昼ともに飲んでいないTは、さらに飲みたいようであったが、明日の二日酔い運転が怖いので必死になってとどめた。渋々ながらも諦めてくれたので、ホッと一安心。こちらも杯が空になったところでご飯を頂く。それまで手を付けていなかったトンカツを完食。

3.酒田へ

翌朝も小雨も宵の天気が続いていた。7時に朝食が用意された。昨晩「食べ残しは明朝食べるので、捨てないで出してください」とお願いしたのが基本的には守られ、ズワイガニなどを一部を除き食卓に並んでいた。しかし納豆やら生卵やら、新たに一般的朝食分くらい追加されたから、「食べきれない」はこの朝も同じだ。
  朝食後に料金を精算する。宿泊料が定価から700円引きの1,4000円、で酒代は2,000円。これでは赤字ではないかと心配になるような値段だ。 これに加えて、佐渡の蔵元尾畑酒造の「真野鶴」300ml壜(民宿見行崎ラベル)まで頂戴する。ポチ袋に1,000円入れて部屋に置いてきたが、あとになって考えると、 いかにも少なすぎたように感じられる。

 加茂湖。
 

7時40分に出発する。96歳のオバアサンは縁側のガラス戸を開けて見送ってくれる。オカミサンは駐車場の上から見送り、昨日はほとんど姿を見せなかったご主人は、県道への車乗り出しを誘導してくれる。大旅館が団体客に対して行う「お見送り」とは全く異なり、ほのぼのとした人間的交情が嬉しい。
  昨日の道を忠実に逆走する。見行崎の話しでは近道もあるらしいが、知らない土地だから「急がば廻れ」で行く。両津に着いたのは8時20分だった。
  フェリーボートの出港は9時20分で、乗船開始が8時50分頃だ。暇潰しに海とは最小100メートルほどの地峡で隔てられた加茂湖(現在は開鑿された水路により繋がり、汽水湖になっている)を見物に行く。しかし展望場所も、湖の周辺も、水面と標高があまり変わらないため、景観にメリハリがなく詰まらない。数分で引き返し、乗船場所へ行くと、順番に並べているところなので行列に加わった。

  出港直後に両津を振り返る。停泊中の白い船は、両津、新潟を一時間で結ぶジェットフォイル船。
 

定刻に乗船する。隣には大型観光バス四台が駐車し、良く見ると来る船で一緒だった××高齢者クラブのバスだ。
  出航後10分ほどすると左舷方向200メートルほどを、ジェットフォイル船が猛スピードで追い越していった。乗用車は積載しないから、我々が利用することはできないが、仮に可能でも利用したいとは思わない。座席に拘束されたままで、船旅の面白さなどまるで感じることができないから。ビジネスその他で度々渡海し、景色など見る気になれない人には、時間短縮の魅力が大きいであろうが。
  天気は良く、気温は18℃なので、船の進行に伴う風をコートで防げば寒さを感じない。そんなことでほとんどをデッキで過ごした。新潟港にだいぶ接近した頃、今度は右舷側をジェットフォイル船がばく進してゆく。先ほどの船がもう折り返してきたらしいが、忙しないことだ。

 折り返してきたジェットフォイル船。
 

新潟港に到着し、下船する順番は早かったが、交差点などでもたつく内に、あっさり大型観光バスに追い越されてしまった。幸いなことにいくらも行かないうちに、高速道路に乗る彼等と別れ、我々は国道を走って食堂を探す。
  しばらくは広い駐車場を備えたチェーン店型ドライブインが散見されたが、「あんなところで飯を食いたくない」などと贅沢を云っているうちに、パタリと途絶えて以後は全くない。「新発田市街に入っては?」の提案もあったが、勝手の判らない街中をうろついて、一方通行や駐車場で苦労するより、このまま行くことにした。最悪のケースでも一食を抜くだけのことだ。
  国道7号線 はバイパスが新発田市街を迂回するように造られている。このバイパスに入って間もなく、左側に紺の暖簾に「和食」と大きな文字を白抜きにしたのが見えた。隣が駐車場のドライブイン型食堂らしい。あまり贅沢云う気も薄れ、此処で妥協することにした。店に入ってみると、和食はもちろん、洋中華も揃えたファミリーレストランだ。好みではないが、チェーン店ではないし、禁煙席があるのは良い。
  Tは「天ぷらへぎそば」、私は冷や酒とブリかまを注文する。酒とへぎそばは即座に運ばれてきたが、ブリかまが中々登場しない。
  ウェイトレスに尋ねて、思い違いをしていたことに気付く。アラ煮的なものを想定していたが、揚げ物だった。特別メニューとして揚げ物五種類のところに記されていたから、気がつかない方が悪いのだが、老眼と思いこみのため、詰まらぬ失敗だ。しかしこの品も間もなく登場。急ぎ三杯飲んで勘定は二人合わせて2,814円。   

 新潟県岩船郡山北町の鳥越海水浴場。奥に見える岩壁の向こうが笹川流れ。
 

食事が済んだあとは、他にする宛てもなく、ひたすら酒田を目指す。途中小休止したのは新潟県の最北部にある鳥越海水浴場と、山形県に入り奥羽三大古関の一つ鼠ヶ関を過ぎてしばらく 行った道の駅の二回だけだった。
  行く道の選択は、カーナビゲーター任せだったが、7号線で鶴岡を過ぎると、自動車専用道路(山形道)に導かれ、二区間ほど走って酒田インターチェンジで降りる。此処まで来れば、今宵の宿、ホテルリッチ&ガーデン酒田までは10分の走行だった。4時20分にチェックイン。
  5時半までそれぞれ自室で寛ぎ、晩飯がてら一杯やりに出かけた。あまり期待もせずにフロントでお奨めの居酒屋を訊くと、「さかたグルメ マップ」なるA4版で、片面に地図、裏面に四十軒ほどの飲食店がリストされたものをくれ、「この近くならば漁師さんがやっている章新丸」だと云う。その上で、休みが不定期だからと電話で確認、幸い営業中だった。
  徒歩五分でたどり着いた店は、閑静な住宅街にある一戸建てだった。店の前で白猫が遊んでいて、こちらに気付くと愛想を振りまく。引き戸を開けると、すっと中に入ったので、飼い猫と判った。先客はなく、六十半ばの夫婦でやっている。冷や酒を頼み、お奨めの刺身を尋ねると「うちのは全部お奨めです」と、いささか憮然としたような返事だ。
  「これは難しいオヤジかな?」と思ったが、取り敢えずヒラメとホウボウの刺身を注文し、冷や酒を飲み始める。しばらくしてヒラメが登場、旨い。もしかしたら本当に「全部お奨め」なのかもしれない。続いて供されたホウボウは、胸ビレをピンと拡げて化粧盛りにしてある。これも旨い。
  カミサンも含めて四人でぼそぼそ話し始める。 オヤジさんの朴訥な口調は好ましく、最初に危惧したような気難しさもない。店を終わって深夜に出港し、刺し網を仕掛けて朝引き上げる。これと居酒屋との兼業だから、随分大変な労働だと思う。これまで旅をして、全国の居酒屋をかなりの数訪ねてきたが、現役の漁師がやる店は初めて、しかし仕事の厳しさを思えば、むべなるかなと納得する。
  ちなみに、漁の具合によってはやむを得ず店を休むと云う。休み不定期の理由が判った。ツマミにイカの一夜干しや漬け物を追加しながら、二人でおよそ一升。酒と肴を堪能して宿へ帰る。

4.山居さんきょ倉庫と土門拳 記念館

今回の旅で、酒田が立ち寄り先となったのは、かねてよりTが土門拳記念館訪問を望んでいたためだ。他にあてはなかったが、酒田の観光資源を調べると、山居倉庫と本間家旧本邸などが大物らしい。

 朝日を浴びる山居倉庫。
 
 倉庫西側のケヤキ並木は、度々ポスター等に使われ、一番有名らしい。
 

取り分け1893年に建造され、未だ現役の米蔵、山居倉庫は、宿から徒歩三分で行ける。早起きはいつものことだから、朝食前の時間を利用して一人で訪れた。観光客がまだあまりいないだろうことも期待して。
  5時半に起きて、カーテンを引き開けると、好天気だ。正面には朝日を受けて銀雪を煌めかせる鳥海山の雄大な景観が見える。のんびり支度をして表へ出ると、意外に寒く感じる。気温は12℃だが、風が強いせいだろう。
  すぐ目の前に駐車しているTの車から、ウィンドブレーカーを取り出して着込んだ。
  車の往来もまだ閑散としている国道113号を渡る。前方を行く男三人は、同じ宿から倉庫を見物に行くところらしい。前方の橋を渡ってくるのは、いかにも朝の散歩。しかし見かける人影はその程度で、辺りは静まりかえっている。
  倉庫に接近する前に、新井田川に架かる橋の上から数枚撮影。朝日に映える白壁が美しい。
  もともとは酒田米穀取引所の付属倉庫で、取引所廃止後も庄内米の備蓄庫として利用され、一部は観光施設や博物館になっている。そういった施設は全部9時開館だが、どうせ寄る気もない。半時間以上かけて、辺りの散策と写真撮影を楽しんだ。
  帰り道は新井田川に沿った迂回路を選ぶ。川縁は道路より一段低くなり、一見して遊歩道のように見えるが、立入制止のロープがあり、小型漁船専用の埠頭なので、一般人の立入を禁止するとの制札がある。昨晩行った居酒屋のオヤジも、この辺りから出港するのだろうか。章新丸の船名を見付けることはできなかった。
  7時からの朝食堂でTと一緒になる。此処の朝食はビュッフェ形式で、料理種類、質ともにまずまず。食事しながら山居倉庫を見物したと話す。土門拳記念館の開館時間から逆算し、8時40分をチェックアウト時刻にした。Tはそれまでの空き時間に倉庫見物をするらしい。

 谷口吉生設計の土門拳記念館。
 

部屋で「イタリア北部紀行」の推敲で時間を潰す。予定通りに出発し、記念館に着いたのは8時50分だった。
  敷地面積20ヘクタール弱の飯森山公園の中ほどに、1983年にオープンしたこの記念館は、名誉市民になった土門拳が、全作品を寄贈したいと申し出たことに応えてできたという。周辺には体育館や多目的グラウンド、ピクニックサイトなどが整備され、この日のように天気が良いと、取り分け気持ちの良い場所に感じられる。
  開場と共に一番乗りした。順路の企画展示室Tでは、「江東の子供達」を中心とした子供のスナップ写真で、我々の幼年時代に重なるものがあるだけに、懐かしいような気分で眺めて行く。
  常設展示室は古寺巡礼の室生寺で、最大縦180cm×横360cmに大伸ばしされたパネル群は迫力がある。
  企画展示室Uは酒田山王祭で、記念館ができるまでほとんど公表されることがなかった作品が並んでいる。酒田生まれながら、幼くしてこの地を離れ、四十数年後に祭りの取材のため初めて帰郷したそうだ。この訪問を契機に、彼は酒田との結びつきを深め、ついには名誉市民、記念館の流れができた。
  一時間強を鑑賞に費やす。館内は次第に入場者が増えたものの、それでも十人程度で、最後までゆっくり「土門拳」を堪能することができた。
  退場し、駐車場へ向かって漫ろ歩く。館内とは対称的に人が増え、目立ったのは幼児とそのオヤの団体だ。駐車場には大型観光バスが数台停まっている。緑が多く、交通事故の心配がないこの公園は、遠足の目的地として人気なのだろう。
  次の訪問地を相談する。当初は本間家旧本邸を考えていたが、土門拳の作品に圧倒されたのか、軽い疲労を覚え、続けて何かを見たい気分ではなかった。Tの疲労度は良く判らなかったが、「旧本邸」と云ったものに、それほど興味はないらしく、それならば一路角館を目指そうと云うことになった。

5.角館

国道7号線を北上する。いずれ自動車専用道路(山形道)が延びるであろう。実際工事中の箇所も度々目にした。しかし少なくともこの日の国道は空いていたし、先を急がない我々にとっては快適なドライブが続いた。時速50キロ程度で走行すると、窓を開けて爽やかな外気に吹かれながら行くことができる。
  一時間少々で象潟を通過する。此処にある蚶満寺は、奥の細道最北の地で「象潟や 雨に西施が ねぶの花」が有名だが、わざわざ寄る気にもならず、通過した。しばらくして由利本庄市に入り、ここら辺から食事場所を物色し始める。
  11時50分頃に「ドライブイン広場」の看板が目に入る。徐行して観察するが、名前に見合ったようなさえない店だ。しかしそのすぐ先に、根暖簾が下がり、「六兵衛食堂」の白字が見えた。古い和風一軒家は好ましい雰囲気だ。
  目に入ったのは小上がりで漫画週刊誌を読むセールスマン風一人だが、鉤の手になった座敷に、近隣のオバサン達が十人ほどで、会合の開けたあと食事に来たような雰囲気でおしゃべりに余念がない。 食堂を切り盛りする老夫婦は、オバサン連の注文をこなすのに専念し、調理場に籠もったままだ。Tが調理場入り口の暖簾に頭を突っ込み、(自分用に)肉鍋定食と(私の)冷や酒および野菜炒めの単品を頼んだ。ジイサンが「今混み合っているので、もう少し待って. . . .」と申し訳なさそうに返事するのが聞こえる。
  しかし間もなくオバサン連の料理が続々と通過し、冷や酒とお通しが来るのにもさほど時間はかからなかった。 一杯目を半分まで飲まないうちに、野菜炒めと肉鍋定食も到着する。野菜炒めは旨かったが、特筆するようなものではないのに対し、肉鍋定食は中々のものだ。鍋と、刺身、野菜 煮物の小鉢、お新香とご飯。
  土鍋の中身は豚肉薄切り、トーフ、しめじ、白菜、いとこんにゃく、春菊で、生卵が付いている。ぐつぐつ煮立っているところに、生卵を入れて蓋をし、しばし。調理場でやったって良いようなものだが、趣向としては楽しい。汁は「うどんつゆで薄味でおいしかったよ」とはTの言。これで1,100 円は安い。ちなみにTは近年刺身はほとんど食べないとのことで、小鉢はそっくりこちらが頂いた。酒のツマミにアクセントが付いて有り難かった。
  六兵衛食堂で印象に残ったのはもう一つ、「本日の定食」だ。日替わり定食とは異なり、定番の定食から一つを本日の定食としてピックアップし、料金が100円安くなる。専用掲示板があり、本日の定食、と明日の本日の定食表示の下に、札を差し込めるようになっている。予告が出るのは「判っていれば××を昨日食べずに今日にしたのに」みたいな苦情が出ないよう配慮しているのだろうか。

 桧木内川越しに眺める角館市街。
 

食事を済ませてからは一路角館を目指す。国道7号線を北上し、岩城から県道を東に向かい、程なく日本海東北自動車道へ乗り入れた。
  急いではいないから、一般道を行っても良いのだが、カーナビゲーターの指示通りにする。設定をいじってナビゲーターに一般道を選ばせるのも面倒だし、今さら勘を頼りに走る気もしない。つまりナビゲータ ーは便利な道具だが、人間が莫迦になる。
  当初の予想よりだいぶ早く、2時をちょっと廻って角館の石川旅館に着いた。 すぐ脇にある駐車場に車を入れ、各自の部屋へカバンを置くと、すぐに街へ出た。私にとっては十数度訪れたところだが、Tは初めてだ。まず最寄りの田町武家屋敷通を北上し、ざっと街の雰囲気を感じてもらえればと思う。そのまま大村美術館へ。
  此処は瀟洒な個人美術館で、オーナーの趣味の良さを反映したのか、収蔵品のみならず、全体の佇まいが良い。しかしここ数年は雪見酒紀行で訪れた日と休館日が重なり、残念な思いを重ねていた。Tはガラス工芸に興味を持たないが、嫌いと云うほどではないので引っ張って行った。
  見覚えのある学芸員(?)が、一人で美術館と、売店、喫茶室を切り盛りしている。しかし半時間ほどガラス工芸鑑賞を堪能し、そのあと喫茶室でインド風ミルクティーを味わい、Tが本一冊を買う間、誰も他に訪れなかったから、一人800円の入場料ではもろに赤字だろう。それでも美術館を維持する大村さんには敬服するしかない。
  美術館を出て、武家屋敷通りの中心とも云える樺細工伝承館の前で、Tと別れた。あれこれ案内するほど角館を知っているわけではないし、さらに自分の目と勘で歩き回った方が楽しいと思うから。
  それぞれ角館を楽しみ、6時に夕食を共にする。 石川旅館は今時珍しく、朝晩ともに部屋食だ。なにしろ食堂とか大広間の類がないらしいので、「仕方なく」かもしれないが、1920年築造という建物を安易に改築などして欲しくない。
  ともかく二階の私の部屋で宴会が始まる。料理のメインはきりたんぽ鍋。此処でこれ以外がメインだったことはないが、年に一度(今回は例外で二度)のことだから、食べ飽きることもない。その他サブの料理もほとんど変化がないけれど、むしろそれが「懐かしさ」あるいは「帰ってきた」と云った情感を醸し出す。
  いつものオバチャンが配膳してくれて、ついでにしばらく世間話をしていく。Tがいたので遠慮したのか、普段よりは短い時間だった。そのなかで最近NHK秋田放送局に引っ張り出されたと云う。彼女の秋田訛りが聞き取れない部分もあったが、概略、―― 昔ロケ(雲のじゅうたん?)で石川旅館に泊まった女優、浅茅陽子がオバチャンのことを忘れず、(何らかの企画で)秋田に来た際、是非出演して欲しいとなった ―― ような話しだった。(私は見ていないが)「雲のじゅうたん」ならば32年前のことだが、これだけの年月を経て、なお印象に残るようなところが、オバチャンにはあると思う。
  翌日玄関脇の壁を見ると、此処に泊まったあまたの有名人色紙の中に浅茅陽子のものもあった。ついでに眺めて行くと、大物では黒澤明、面白かったのは海部俊樹、オヤジはどんな顔をして色紙を頼んだのだろう。
  閑話休題。オバチャンが去ったあとは静かな宴会となる。今さらさほどはなす事もないし、酒と旨い料理があれば充分だ。窓を開け放つと、薄暮の空が美しく、流れ込むそよ風は爽やかだ。最初に頼んだ銚子6本が空になり、もう6本追加した。
  追加の銚子を干して、酒は打ち止めにする。それほど大酔したわけではないが、何となく充分な気分だった。表はいつの間にかとっぷり暮れている。明日は家までの600キロをひた走るだけで、どこへ寄るつもりもない。ならばこれが打ち上げ、良き小旅行の余韻をしみじみ味わうのだった。

―― 完 ――

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