陸奥新緑紀行2015


***目次***

1.八戸へ

2.種差海岸

3.弘前城西濠の野の庵

4.とり畔再訪

5.列車ダイヤ

6.大人の休日倶楽部で特急券

7.鶴岡

8.山形の食堂 土佐

9.米沢 北都匠

10.帰途

1.八戸へ

 大型連休の喧噪もすっかり収まったと思えば、また旅に出たくなる。といっても特に行きたい目的地はなくて、要するに家を離れて昼酒、夜酒を繰り返すのが私の旅だ。
 そんなことで今回は陸奥へ向かった。一応は新緑見物ということで青森、秋田、山形を巡る。最初の訪問地は雪見酒紀行にも付き合ってくれたOさん夫婦のいる八戸だ。たまには友人宅での一献をということで日曜日に八戸へと向かった。
 宴会は夕方からとし、その前にOさんが種差海岸を案内してくれることになった。さらにその前に昼飯昼酒を一人で済ますことにする。このように逆算して行くと、家を出るのが7時半頃になる。しかし日曜日の有り難さで、ラッシュアワーに遭遇しないで東京駅まで辿り着くことが出来た。
 東京発9時8分のはやぶさ9号新青森行きは、本来ならば空いているものと予想していたが、ホームは意外に混雑している。どうやら団体が一緒らしい。自由席があれば団体と一緒になる災厄も被らずに済んだと思えば誠に遺憾だ。はやぶさに自由席がないのは本数的に少ないので、乗客の集中を防ぐためだとの説もあるが、なんだか客の足許を見ているようで不愉快だ。
 ともかくはやぶさ9号の清掃が完了し乗車が開始された。同じ車輌になった団体は40名ほどの中高年で、全員が軽登山靴やデイパックの装備を整えていた。八甲田山あたりのトレッキングだろうか。比較的物静かな連中だったのでホッとする。しかし丁度私のところを境に前はガラガラ、後ろはびっしりで違和感を覚えずにはいられなかった。
 東京から八戸までは、約3時間の乗車時間だ。そんなことで新幹線が飛鳥山あたりで地上を走り始めると、ホームのキオスクで買い求めた缶酎ハイのプルトップをおもむろに引き開けた。走行する車中で昼前から飲む酒は格別のものがある。これはバスなどより、振動の少ない新幹線が優るようだ。ツマミはミックスナッツを持参している。車中でもう一缶酎ハイを追加し、朝酒はこれでおしまいにする。何しろこれから昼の部と夜の部があるのだから。
 八戸には定刻の到着だった。徒歩3分の東横インへ行き、チェックインと荷物の預けをする。宿の隣にある天竜食堂は、好みの食堂居酒屋だが、残念なことに日曜は定休日になっている。
 八戸の中心部は八戸線で二駅先の本八戸で、駅の周辺はいわば郊外だ。そんなことで食堂も少ないのだが、事前調査では駅舎と一体になった八戸魚河岸食堂が日曜日も営業と判明した。しかし宿から2分で店の前まで行ってみると、引き戸は施錠されている。
 Oさんと1時に待ち合わせているので、店探しに時間をかけたくない。周囲を眺めると、駅の南西に隣接したビルに、八戸地域地場産業振興センター・ユートリーが入居し、此処に食堂があった。いかにも観光客など一見さん相手の商売が見え透いて、避けたかったが諦める。

 レストラン・ユートリープラザのイカ三昧定食。

 レストラン・ユートリープラザは2階にあり、椅子・テーブルなどは必要以上に充分な余裕を持って配置されているし、広場に面した側は、床上30センチほどから2メートルぐらい上まで、全面ガラス窓になっている。これは予想外の良い場所だ。時分どきなのに、客は3人くらいしかいなくて、ウェイトレスは4人もいる。
 広場を見下ろす席に着き、焼酎水割り氷なしを注文しながらお品書きを開いた。定食を見ると、「イカ三昧定食」、「いちご煮定食」、「せんべい汁定食」、などの郷土料理系に一般的な、「生姜焼き定食」もある。しかしこの際だから思い切り観光客メニューのイカ三昧定食にした。イカは好物だがしばらく食べていない。
 時刻は既に12時20分を回っていた。忙しなく飲み食いするのも嫌で、Oさんに電話して待ち合わせを15分ほど遅らせて貰う。夕方までに回る先は種差海岸と市場くらいだから、時間的には充分な余裕がある。
 まもなく運ばれてきた料理は、刺身、唐揚げ、塩辛、酢の物などのイカ三昧で、予想を上回る旨さだった。八戸は長年イカの水揚げ日本一を誇っているが、水揚げ量が質を保証するとは思わない。とはいえ豊富に出回れば地元の質に対する目も厳しいものになり、それがこのレストランにも影響しているのだろう。
 ともかくイカ三昧を肴に、焼酎の水割り二杯を干した。時刻は1時近くなり、勘定を済ませて待ち合わせ場所へのんびりと向かう。

八食センタ-(2002年に開業した郊外型食品市場。名称は当時の協同組合八戸総合食品センターにちなむ)の売場。

2.種差海岸

 1時15分に駅前広場でOさんと落ち合うことが出来た。彼の運転する車に同乗し、最初に案内されたのは八食センタ-だった。畑の中に作られた食品市場は、郊外型アウトレットモールを彷彿させるような外見だ。
 2002年に新幹線が盛岡から八戸へ延伸された時、観光客の増加を見込んで作られたらしい。元々は八戸線陸奥湊駅前の市場が母胎だ。青森駅そばのアウガ地下にある新鮮市場と規模や開業時期は良く似ているが、こちらの方がどことなく垢抜けた雰囲気だった。
 鮮魚を扱うのが15店舗で一番多く、見ていると海鞘が目に付いた。天然物4箇一皿が千円で、私の住んでいる近辺だと、天然物はもちろん養殖物も店頭に並ぶことが稀だ。海鞘は好物なのでOさんに一皿を買って貰う。

 上左: 蕪島神社。上右:境内で営巣中の海猫。
 下左:境内から見下ろす営巣地。下右:神社の東側斜面。

 八食センターを後にして半時間ほどのドライブで蕪島(かぶしま)へ着く。この辺りはウミネコ繁殖地として、国の天然記念物に指定され、また2013年5月には、陸中海岸国立公園を含めて三陸復興国立公園として新たに指定された。
 通常海猫の繁殖地は断崖絶壁や離島で、蕪島意外には身近で生態を観察できるところはない。
 蕪島神社には社殿や参拝路もあるが、そんなところでもお構いなしに雛を育てている。歩いて行くと、「お前達は何しに来た。」という感じでズボンの裾を突かれたりする。嘴はそれほど鋭くないので痛さもないが、短パンやスカートだともう少し大変かもしれない。

 
種差海岸。

 蕪島神社を後にして、海沿いを南下する。しばらく行ったところに無料の駐車場が有り、これを利用して葦毛崎展望台に登る。
 石積みで作られた遠景の台は、ヨーロッパの砲台を彷彿させる。それもそのはずで、幕末期に外国船監視を目的として築造されたらしい。日曜日だというのに、展望台には家族連れらしい4人がいるだけだ。Oさんの話では、つい先だっての大型連休中は大変な人出だったらしい。この辺りだと県外から遠出してくる人がいないと混雑しないのかもしれない。
 展望台から大須賀海岸の方へ遊歩道が設けられている。浜まで歩いてみたが、今は此処も閑散としていた。
 一旦車に戻り5キロほど先にある種差天然芝生地へ向かった。ごくなだらかな斜面に緑の芝生が拡がっている。今まで見たことのない風景で、どことなく異国を感じさせる。
 八戸近郊ドライブはこの辺りで終わりとし、夕方からの宴会に切り替えるべくO亭(宅へ)向かった。到着後は海鞘の処理なども滞りなく終わり、まもなく飲み始める。新幹線の朝酒、ユートリープラザの昼酒に次ぐ3回目で、さすがに酔いの回りが早い。話が弾んだこともこれに拍車をかけたようだ。
 深く酩酊し、いつ頃お開きになったか良く判らない。僅かに記憶に残るのは、東横イン八戸駅前の前でタクシーを降りた時、隣の天竜食堂に明かりが点き、営業しているように見えたことだ。なぜかその瞬間が静止画のように脳裏に浮かぶが、酔いが生じさせた幻だろうか。

3.弘前城西濠の野の庵

 深酒したにもかかわらず、翌朝は若干頭が重い程度で、二日酔いともいえないような状態だった。(多分)早く就寝したのが良かったのかもしれない。7時に朝食を済ませ、部屋で新聞を読み時間を潰す。
 10時32分のはやぶさ3号新青森行きで弘前へ向かう。特急券は立ち席承知だ。ちなみにこの券は建前として指定席が満席となり、それでもその列車を利用したい乗客のためにある。JR新幹線ネットのページにも、「全車指定席の列車で、当該列車が満席になった場合にのみ発売されます。」と明記されている。
 しかしなぜか実際の運用では、満席になることなどあり得ない、八戸から新青森でも乗車日のずっと前、多分一ヶ月前から購入可能だ。建前が絡んでいると思われるのは、「乗車する列車を決める必要がある。」ことだろうか。 閑話休題。新青森で奥羽線上り快速列車の弘前行きに乗り換える。弘前では駅から徒歩1分の東横インにチェックインし荷物を預けた。野の庵へ向かって歩き出したのは12時を回っていた。
 野の庵への順路に沿った駅北部は、現在、再開発事業が進行中だ。正式名称は、「弘前広域都市計画事業弘前駅前北地区土地区画整理事業 」とずいぶん長い。2004年から開始されたようだが、現在はようやく更地化が完了した状態で、北方への見晴らしが良くなっている。そこで見えたのが久方ぶりの岩木山だった。

 弘前城趾公園から見る西濠と新緑と岩木山。

 このところ数年は弘前を訪れても、岩木山は雲に覆われて見えたとしても裾野がほんの僅かだけだった。多少靄が掛かっているものの全容が見えるので、野の庵へ行く前に寄り道して撮影することにした。
 撮影場所として思いつくのは弘前城址公園ぐらいで、他に見晴らしの良い高台はあったとしても行くのに時間が掛かりそうだ。城址公園は4月1日から11月下旬まで、入園料が設定されているのが癪に障るものの、それも仕方あるまい。
 追手門(おおてもん/おいてもん/おってもん)から城址へ入り、杉の大橋で中堀を渡ると南内門がある。門をくぐると二の丸で、野の庵へは左に曲がるのが近い。しかし撮影のため本丸へ進むべく、右側から下乗橋を渡った。ここから先が有料区間で、切符販売のユニットハウスががある。入園料は310円だった。
 重文に指定されている天守閣を右に見て直進すると、左手に展望の開けたところがある。この辺りで位置を多少移動しながら5枚撮影。
 本丸を下り北の郭に入り左へ行くと、武徳殿休憩所の前で有料区間は終わりになった。緩い坂を下って蓮池のほとりを過ぎると、西濠に架かる春陽橋でその向こうに野の庵が見える。
 店内に先客は老夫婦が一組と中年男が一人いるだけだった。厨房への入口に掛かる暖簾に頭を突っ込んで声をかけると、女将の貞子さんがいつもの元気な声で返事をしてくれる。 空いていたので縁側の外れで西濠や本丸が良く見えるテーブルを選んだ。おしぼりを運んできた女将が、お茶にするか焼酎水割りか訊くので、迷うことなく水割りにする。これから飲もうという時に、お茶一杯を半端に飲もうという気分にはならない。

 
 
上左:お通し。魚卵をマッシュポテトでくるんである。上右:岩牡蠣と毛蟹。下左:鱒の飯鮨、身欠き鰊の煮物、卵焼き、赤カブ漬け物。下右:天麩羅。  

 すぐに水割りが運ばれてくる。テーブルに氷の入った水割りグラスを置きながら、二月に来た時の注文を思い出したのか、「金子さんは氷なしだった!1杯目は我慢、我慢。」と朗らかにいう。実のところギンギンに冷えていなければ良いので、一、二個入った氷はどうでも良いことだ。
 お通し(マッシュポテトでタラコを包み、緑色の和風ソースに浮かんだもの)で飲んでいると、お盆に載せた津軽海峡(弘前の六花酒造が作る、米焼酎)の700ccボトルとガラスの水差しがテーブルに置かれた。こんな風に気の置けないところで、勝手に手酌でやらして貰えるのは好みだ。

 締めに出された、「幻の津軽蕎麦」。

 先客が食事を終えて去り、しばらくして中年のカップルが一組入店したが、その後は訪れる客もない。女将は来訪者の接客をしながらも、基本的に暇なのでしばしば私と話し込む。格別な話題ではなく、共通の知人に関することか、後は当たり障りのない世間話だ。しかし長閑な景色を見ながら、静かな店内で酒を楽しむ時、そんな会話が随分合うような気がする。
 コースは順調に進行するけれど、ゆっくり酒を楽しみたいこちらの意を汲んでか、ツマミが不足することもないし、渋滞もまたない。毛蟹と岩牡蠣を楽しんでいると、箸休めの鱒の飯鮨、身欠き鰊の煮物、卵焼き、赤カブ漬け物なども追加される。
 野の庵について1時間弱が経過し、焼酎の水割りでボトルの概ね7割方が空いたところに天麩羅が出る。昼酒はこのぐらいで切り上げようと思っていたら、見透かしたようにもり蕎麦が運ばれてきた。
 食事が済んでからも、居心地が良いためついつい長居した。店を出たのは2時近くで、毎度のことだが亭主と女将が枝折り戸のところまで出て見送ってくれる。春陽橋の手前で振り返ると、まだ二人ともそこにいた。手を振ると、向こうも振り返してくれる。
 東横インに戻ったのは3時半を回っていた。夕方の居酒屋巡りに備え一眠りする。

4.とり畔再訪

 
 
 
上:板わさ。中:焼き鳥のレバーとカシラ。下:ナンコツ。

 夜の部はこの日も新鍛冶町のとり畔を再訪した。店に着いたのは5時20分頃で、店内に先客はなく亭主と早出のアルバイトがいるだけだ。いつものカウンター端(入口側)に席を占める。2月の雪見酒紀行では奥の席を奨めてくれたが、亭主には私の好みが通じたのか、席のことは触れずすぐに注文を訊く。
 焼酎の水割りを頼み、ついでに鳥わさと焼き鳥のレバーにカシラをタレ、ナンコツを塩で注文した。
 他に訪れる客もなく、静かに飲めるのがいい。テレビがなければもっと良いが、居酒屋にテレビがあることに目くじらを立てても仕方ないだろう。それに置かれている場所が、丁度私の頭上なので画面を見ないで済むのが良い。この席を選んだ理由の一つにテレビのこともあった。
 一時間強で水割り4杯を干す。ツマミを追加する気にならなかったしなかったのは、やはり昼に私の適量を超えて食べたせいだろう。
 帰り道は時刻が早かったこともあり、若干遠回りだが、久し振りに土手町筋を県道109号線との交差点まで行き、これを左折して駅に向かう。駅が近くなったところで、一本裏通りに変な居酒屋おおとろがあることを思いだす。しかし店の前まで行くと行燈は火を点していない。やはり気が向いた時しか営業しないようだ。
 そのまま真っ直ぐ帰り、早々と就寝する。 

5.列車ダイヤ へ
 
 
 


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