北海シマエビ紀行(4)

inserted by FC2 system

 

民宿・ドライブイン清宝の駐車場からカムイエト岬。

9.神威岬

有り難いことに、4日も快晴が続いている。7時にホテルを出発した。ドライブイン・ハッピーが営業していれば朝食を期待したが、流石に無理だった。
  半時間ほど走り、増毛の市街地を通り過ぎて一軒のドライブインを見付けた。「清宝民宿漁師の宿」と看板が出ている。二階の食堂へ上がると先客はなく、頭をつるつるに剃り上げた強面のオヤジが不機嫌そうな顔で一卓に食事の準備をしていた。
  恐るおそる「食事ができるか?」尋ねると、不機嫌な顔のまま肯き、TVのスイッチを入れる。一応、客として歓迎する気持ちはあるらしい。
  焼き魚定食を肴に冷や酒を飲む。国稀の一合壜が冷蔵庫から出された。魚の方は「漁師の宿」を看板に掲げるだけのことはあり水準以上だと思う。勿論ハッピーなどと較べるのは無理だが。しばらくして既にリタイアしたような感じの夫婦が食事に現れた。民宿の泊まり客らしい。彼等のお陰でついでに食事できたのかもしれない。

 
 96年に大崩落事故のあった豊浜トンネルに通じていた道は閉鎖され、今では船を利用しないと事故現場を見ることはできない。
 

以後、特筆することもなく石狩、小樽、余市を通過し積丹半島へ。11時を過ぎた頃から、「適当なドライブインでもあれば昼食を」と、考えていた。魚系の和食が続いていたから、「海を眺めながらの洋食」などを望んでいたが、和食、洋食を問わず、ドライブインなど全くない。
  国道229号を渋滞知らずで快調に進んでいることのみならず、対向車さえ稀なことを考えれば、ドライブインの営業など全く成り立たないような状態だ。下手をすれば昼食を食いっぱぐれる可能性も出てきた。信頼性に乏しいながらも、脳裏にある積丹観光地図をひもといた。
  ・神威岬には広大な駐車場を備えたビジターセンター的な施設があり、食事も可能
  ・岬近くには観光客対象の食堂が数軒ある
  ・岬の手前数キロの余別町には浜寿司なる店があり、以前数回利用した時の印象は良かった
ビジターセンターの食堂は他の選択肢がなくなり、それでも食事がしたいときしか考えられない。観光食堂も、素性のはっきりしないウニ丼、イクラ丼が売り物だろうし、心ならずも「魚の和食系」で浜寿司になってしまった。
  T夫妻は浜寿司(店のお勧めセット)と上ちらし寿司を選んですぐに食事。当方は適当に少量の刺身を盛り合わせて貰い冷や酒。イカ、アワビなどが旨かったが、群を抜いて素晴らしかったのはウニだった。
  バフンウニであろうか、赤味が強く輝くような艶がある。味とは関係ないことかもしれないが、それぞれの塊が大きく、身に崩れたところがない。見ているだけで惚れぼれするような代物だが、一口食べてさらに満足。バフンウニは漁獲量もごく僅からしいが、今供されたものはその中でも選りすぐりの逸品であろう。あとで知ったことだが、この辺りでウニの漁期は6月中旬から8月終わりまでだ。この時期を逃せば本物の生ウニは幻となる。
  なまじ期待していなかっただけに喜びは倍加し、とことん飲みたいようなものだが、それでは連れに申し訳ない。冷や酒がグラスになみなみ注がれていたこともあり、二杯で終わりにし、ちらし寿司をご飯少なめで頂く。

 神威岬の遊歩道。先端に小さく見える白い塔が神威岬灯台。
 

浜寿司を出て、神威岬展望台へは10分ほどで到着。無料駐車場に車を置き、運動不足解消も兼ねて遊歩道を歩いて一キロほどの先端まで行く。吹き曝しの尾根は風の強いことが多いが、この日は穏やかだった。気温は28℃あったけれど海を渡るそよ風が心地よい。先端近くに海岸線へ降りる分岐があり、今は閉鎖されている。20年ほど前の冬に、この道を登ってきて、危うく遭難しそうになったことがあった。
  発端はさらに遡り、36年前になる。札幌で学生生活を送っていたが、12月に東京から訪ねてきた友人と共に神威岬を目指した。当時は海沿いを行き、念仏トンネルを抜ける道しかなかった。海岸線から葛籠折れの急な坂道を登り、尾根筋へ出ると、それまでの無風が突然体がよろめくような烈風に替わり、正面の白波が立つ海原は、傾いた午後の陽光が 一筋の光の道を造って真っ直ぐにこちらへ延びてくる。未だに忘れられない光景だ。

 念仏トンネルへと通じる海岸線。
 

十数年を経て一人で再訪した。多分1月だったと思う。この時は既に海岸沿いの道は落石が多いために閉鎖され、尾根筋を行く遊歩道が整備されていた。しかし「あの光景」を見るつもりできた者にとって、そんな制止は承伏しがたく、若気の至りもあって低い柵を乗り越えると昔の道を辿った。多少荒れてはいたが、それほど酷い状態ではない。
  この日は曇り空で、前回ほどの強い印象を受けることもなかったが、ともかく岬再訪を果たし、分岐点まで戻ってきた。下へ降りる道は(当然のことながら)通行禁止で、 一方、尾根筋の遊歩道は良く整備され、積雪もあまりなかった。「あまりに規則にたてを突くのもいかがなものか」と、若干の反省もあり、遊歩道を選んだ。「女人禁制の門」に近付くに従い積雪が深くなる。細い尾根筋と異なり雪が吹き飛ばされないのだ。
  駐車場が見える位置に到達したときは腰近くまで埋もれる中をラッセルしなければならなかった。引き返すことを検討する。しかし海岸線の道は行政による禁止と、落石の危険があり、前進すれば500メートルほどの緩い下りで、その先には除雪が行われたことが見て取れる。
  しばらく迷ったあげく、前進した。最後は駐車場への登りを半ば藻掻くようにして通過する。愕然としたのはこの時だ。除雪は(多分)前の年に行われたのみで、その後に40センチほどの降雪があった。そしてこのルートは以前通ったことがないから、どれほど歩けばこの状況から抜け出せるのか判らない。
  もう一度引き返すことを検討するが、あの坂道を登るのでは体力が持ちそうにない。前進ならばともかく膝下の雪をラッセルすればよい。半ば「遭難」の可能性を考えながらも、気を引き締めて歩き出した。雪の積もった車道を500メートルほど行き、急なカーブを曲がると、200メートルほど離れてはいるものの、国道が見え走行する車がある。「危ないところであった」と、胸をなで下ろした。今は昔の話だ。
  車に戻りドライブを再開する。目的地のいわないリゾートパークオートキャンプ場までは60キロばかりだが、時刻も既に3時を廻っている。道路は積丹半島の厳しい地形を反映して、カーブもきついし見通しも良くない。半時間ほど走ってTの様子に強い疲労が滲む。一人で六日間運転し続けてきたのだから無理もないと思う。
  声を掛けると「ともかく眠いから、車を停めて少しでも体を動かそう」ということになった。不注意な車に追突されないような場所を選んで停車すると、車を降りて伸びをしたりして体をほぐした。何気なく振り返ると「西積丹の秘湯 盃温泉 潮香荘」の立て看板が目に入った。どうやら建物は10メートルほど上の高台にあるらしい。
  Tと相談する。全員の疲労もかなり蓄積しているようだし、これからオートキャンプ場まで走った後、テントの設営はさほどの作業ではないとしても、食材の調達と調理は一仕事だ。おまけに兜沼キャンプ場ほどではないにしても、食材を周辺で買える保証もないのだ。それならば多少費用はかかるにしても、この宿に泊まることができるのか訊いてみることで意見が一致した。
  車をUターンさせて高台へ。駐車場には既に数台の車が駐車していた。空き部屋はあり、料理の内容により値段が変わる。一人一泊二食一万二千円で二部屋をとった。
  久し振りに、多分十数年ぶりに、露天風呂に入る。それほど豪華なものではないが、高台の立地を利用し、盃漁港とその向こうに拡がる海原を見下ろしながら、湯で火照った体を海風で冷やすのは快適だった。
  晩飯はTの部屋で合流して食べる。女将がどこか誇らしげに「大名膳」といったのは、初めて目にするものだった。ちなみに本紀行を書くにあたり調べてみると最近は結構流行っているらしい。通常の猫足膳の倍は面積がある。これに所狭しと並べられた料理は豪華。しかし海の幸はあまりに続きすぎ食傷気味であったし、書くことにも倦んだのでこれ以上触れない。食事をしながら窓の外へ視線をやると、海上にはいくつもの漁り火が オレンジ色に輝いている。イカ漁でも行っているのだろうか。

「中山峠」へ続く