北海シマエビ紀行(2)

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 キャンプ場のほぼ中央に、かつて天北線敏音知駅があった。

5.最北端を目指して

間遠ではあったが国道を走る長距離トラックのエンジン音は、一晩中絶えることがなかった。しかし離れていたせいか、騒音とは感ぜず、夜汽車の響きに似てどこか郷愁をかき立てるものがあった。
  夏季、ピンネシリの夜明けは早い。計算上の日の出(太陽の上辺が水平線上に達する)時刻は3時48分で、自宅のある神奈川県東部より40分以上早い。山間部だから実際の日の出はこれより遅いが、それでも5時前に山の端から太陽がキャンプ場を照らした。
  気温は8℃で半袖では肌寒い。テントの外側は夜露、内側は結露で共にびしょ濡れになっていた。昨日キャンプ場に関する見込み違いから、通常の一日半ぐらいに相当する行程をこなしたので、この日はテントが乾くのを待ってのんびり出掛けることにした。
  朝食はシメジ雑炊にする。昨晩食べたシマエビの頭、脚、尻尾が鍋一杯にあり、これで出汁を取る。濃厚な出汁なので塩その他の調味料はごく僅かで味が調った。冷え冷えした大気も雑炊には打ってつけだ。エビのガラから二番出汁をとり、これに長ネギ、豆腐とシマエビ数匹を入れてみそ汁に。これも旨い。これだけしゃぶり尽くせばシマエビも成仏してくれると思う。

 クッチャロ湖。
 

8時半近くになって出発した。窓全開では寒すぎるが、細めに開けて流れ込む清々しい大気が心地よい。半時間ほどで浜頓別に着き、クッチャロ湖の道標を見て寄り道することにした。
  国道から分岐して、数分で湖畔にいたる。小さな湖だが、春、秋の渡り鳥シーズンには二万羽ほどのコハクチョウが飛来するとか。今はただひたすら静かな湖面が美しい。
  街道に戻り、国道238号線を北上する。「さるふつ公園」道の駅の道標を見掛けて休憩することにした。駐車場は広大(普通車:112台、大型車:28台)で、周囲に幾つか建物がある。コーヒーでも飲もうと、一番大きな建物に入った。
  喫茶コーナーはなく、食堂部分はテーブルに数十人分の食事用意されている。ぎょっとして振り返ると、どやどやと団体客が押し寄せてくる。大型観光バスが到着したところらしい。団体は苦手なので速やかに退散した。駐車場で改めて周囲を見回すと、片隅に道の駅が慎ましい佇まいであった。トイレと情報の提供、キャンプ場の管理、そして自転車の貸し出しだけをやっているらしい。

 
 宗谷岬から北を眺める。黒々と低く横たわるのは樺太。
 

コーヒーはお預けにして北上を継続する。次第に人家が増え、漁港を通過すると宗谷岬だった。到達したのは10時。
  この岬は崖が迫らず、従って海も遠浅な、景観的には面白味のないところだ。最北端であり、洋上の彼方僅か40キロで樺太があるため何とか観光スポットになっているようだ。土産物屋はどこも「最北端到達証明書発行」の看板を掲げている。
  ポルトガルのロカ岬では「(ユーラシア大陸)最西端到達証明書」を発行しているから、多分あちらが元祖であろう。しかしいずれにせよその類に興味がないので近付くことはない。
  岬を離れて稚内方向へしばらく行き、給油したらば「日本最北端給油証明書」をくれた。この程度の冗談がよい。

 ノシャップ岬から利尻富士。
 

国道238号線を道なりに辿り、稚内市内で40号線の道標が目に入った。この日の目的地はサロベツ原野周辺を考えていたが、この交差点から原野まではおよそ50キロで、現在時刻は11時にしばらくある。直行すれば時間を持て余すと思ったとき、道標が右へ行けばノシャップ岬と教えてくれたのは幸便だった。
  信号を右折し、細長く帯のように延びる稚内市内をどん詰まりまで行くと漁港があり、その僅かに北側がノシャップ岬だ。此処も宗谷岬同様、地形的に平板で面白味に欠ける。それでも車に乗ってばかりの体には、我が脚で歩き回れるのが嬉しい。ぶらぶらと埠頭を散歩し、土産物屋の二階にある食堂で、道の駅さるふつ公園からお預けになっているコーヒーを飲んだ。
  百人は入れそうな大食堂だが11時ちょっと過ぎで、団体客もいないと閑散としている。そこまでは良かったけれど、T夫人が頼んだ紅茶は、奇妙な味がして飲み干すことができない。どうもこの類の店ではコーヒーを選ぶのが無難なようだ。

6.サロベツ原生花園

ノシャップ岬をあとにして、サロベツ原生花園へ向かう。近付くに従い問題が一つ発生した。これまで地図の類なしに目的地まで到達できたのは、ひとえにカーナビゲーターシステムのお陰だが、これの使用方法をほとんど知らず、目的地の 設定は(設備や個人宅の)電話番号入力によってしかできない。それゆえに「サロベツ原生花園」ではナビゲーションが始まらないのだ。
  ともかく豊富町まで行く。此処で時分どきになったので昼飯を優先することにした。街の中心部で国道に面して一軒のレストラン(と看板に書いてあった)を見付け、あれこれえり好みをしていると食いっぱぐれそうな予感がしてここに入る。間口は二間ほどの小体な構えであったが、中は一階のみならず二階席、さらにその奥に座敷二つを有し、詰めれば八十人くらいは入れそうなところだった。
  (ホッケの)焼き魚定食をつまみに冷や酒を二杯。食事のみの二人をあまり待たせないように急いで呑み込む。勘定を払うときに原生花園への道を尋ねた。札幌方面へ向かい、二つ目の角を右折し、あとは道なりで良いらしい。 

 開運橋から南方を眺める。泥炭の多い湿原から浸みだした水は独特の色をしている。
 

原生花園には無事到達できたが、見物人が多い上に、大型観光バスが駐車しているのを目にしてそのまま通過。湿原の西端 となる開運橋まで行き、運動がてら辺りの様子を眺める。
  サロベツ原野を訪れるのは1971年の3月以来、実に35年ぶりのことだ。当時、鉄パイプで組んだフレームにスキーを利用した橇を履かせ、ヨットの帆を張って雪上を帆走する装置を作った。日本に前例はなく、世界的には判らぬものの、もの真似ではなくあくまでもオリジナルな設計だった。
  帆走実験は札幌で繰り返し、本格的に走らせるために選んだのがサロベツ原野だ。雪量、平坦性と障害物のないことと適当な風が期待できる場所として、ほぼ理想的に思えた。乗用車の上に苦労して積んだ雪上ヨットをサロベツに持ち込んだのは3月27日のことだった。
  結果は成功と失敗が相半ばした。成功した部分は何しろ快調に風をはらんで走ってくれたことだ。そして失敗は2キロばかり帆走しただけで、湿原の干拓用開渠水路に行く手を阻まれてしまい、何とか突破できる地点を探しながら見付からず、最後は0℃の水が流れるサロベツ川を、腰まで水に浸かって橇を担ぎながら渡らねばなかったこと。
  今となってはただ懐かしいことだが、あの時帆走したのが、いま見渡す原野のどの辺りであったのか、それさえも忘却の彼方となってしまった。

 
 兜沼。
 
 兜沼キャンプ場。午後8時42分。

しばしの感慨は同行の二人には全く関係のないことだった。原野をあとにして兜沼キャンプ場を目指す。此処は昨日入手した「北海道オートキャンプ場ガイド」に電話番号が載っているので、ナビゲーションシステムが利用できる。
  国道まで戻ることなく、鄙びた農道ドライブを楽しむこと40分ばかり、3時ちょっと前に辿り着くことができた。チェックインに際し、受付のお兄さんに最寄りの食材を調達できる店を訊くと「豊富は日曜日だから休みかもしれません。稚内が確実です」との返答だった。
  一休みしてから稚内まで30キロ弱を走って買い出し。晩飯のメインはジンギスカン鍋にした。スーパーマーケットでタレに漬け込んだ生肉と野菜その他を調達。
  かつて学生時代にジンギスカンをやるときは、特売の百c27円程度の冷凍肉を使用した。それでも仲間とワイワイガヤガヤやれば、安肉でも奪い合うようにして貪り食べたものだ。今時の食材に関しても、当人の食欲に関しても隔世の感がある。
  兜沼キャンプ場は設備的にはピンネシリより劣るものの、そばに国道などはなく、ひたすら静かだった。しかし蚊の来襲には悩まされた。昨日分けて貰ったのに加え、稚内市内でも新たに買い求め万全を期したつもりでいたが、それほど甘くない。4カ所に点火して金網の上に乗せたものを風上に置いたが、煙の中を悠然と飛来し、ズボンの上からでも 構わず針を刺す。
  野生動物の毛皮を刺すことを考えれば、チノパンツの生地などいかばかりのこともないのか。唯一つ救いだったのは、刺されてもそれほど痒くならないことだった。やがて辺りがとっぷり暮れてしまうと、なぜか蚊も少なくなって行く。夕食時間がはっきり決まっているかのように。
  この晩に食した生肉ジンギスカンも、昨日のシマエビみたいな贅沢さはなかったけれど、充分満足できるものだった。もしかすると樹間にキャンプしてしじまと清らかな大気に包まれていれば何を食べても美味いのかもしれない。

「原生花園再 訪」へ続く