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10.福江島の三日目

  6時に目覚めたが、そのまま寝袋の中でうつらうつら状態を続ける。半になってテントの外もすっかり明るくなったようなので、表へ這い出す。Tはまだ白河夜船と見受けたので、カメラを肩に音を忍ばせ散歩へ出かけた。

 富江海水浴場の朝焼け。6時43分。
 

 浜まで行って、無人の海水浴場を眺める。風が全くないせいか、海面には僅かにさざ波が立っているだけだ。しばらくうろうろしていると、犬を散歩させている人に出会い、挨拶を交わす。
  キャンプサイトに戻ると、Tも既に目覚めていた。相変わらずの鍋物残り雑炊で朝飯を済ませ、「今日一日をどうするか?」話し合う。福江に戻り、一昨日のビジネスホテルを利用し、明日の朝、フェリーで奈良尾へ渡ることは簡単に決まった。しかし夕方までどう過ごすかは良い智慧も浮かばず、ともかくテントに降った夜露が、朝日で乾くまで怠惰な時を過ごすことにする。Tは、「東シナ海で泳いでくる」浜辺へと歩いていった。
  呆然と時を過ごし、半時間もたったであろうか。ボチボチテントも乾いたことだしと、少しずつ撤収作業を行っていると、Tが濡れた髪を拭きながら戻ってきた。10月も半ば過ぎなのに、海水は冷たいこともなく、気持ち良く泳げたそうだ。今回の旅で、よもや泳ぐことになろうとは思っていなかったから、水着の用意などもなく、人がいないことを幸いに、素裸での海水浴だ。
  10時にキャンプ場を発つ。出掛けに管理事務所へよると、海坊主氏が片付け仕事をしていた。お礼と別れの挨拶をする。  

 香珠子海水浴場。
 

富江の聚落で国道から分岐したところまで戻り、そこから先は県道59号線を走った。しばらく行くと香珠子こうじゅし海水浴場 の看板を道路脇に見付けた。まだ時刻は10時40分なので、福江に直行すると、昼飯に早過ぎる。ともかく見物することにした。
  舗装こそされているものの、車輌がすれ違うのは概ね困難な細い道を、道なりに下ってゆくと、5、6百メートルで通行止めになっている。ここから先は関係車輌を除いて、徒歩で海水浴場まで行けと云うことらしい。車で移動することに慣れ、すっかり横着になっているので、歩くのはやめて木々の間に眺望が開けているところを探し、香珠子海水浴場の探訪は完了とする。しかし背後の駐車場には何か施設が設けられていた。
 

 薪を燃やしての天然塩づくり。
 

木造平屋の建物には「五島椿物産館」の看板が掛かっている。中にはいると、椿油などを中心に、この島の特産品を陳列販売していた。ここではそれだけでなく、隣接する建物に、椿油搾りの体験コーナーや、五島椿陶芸館、天然塩づくり棟などもある。
  公衆トイレも設備されているので、有り難く利用させて貰う。Tは物産館で椿油を土産として求めていた。 

 鐙瀬海岸。
 

 物産館をあとにして、しばらく行くとT字路にぶつかった。カーナビゲーターで確認すると、左折すれば10分少々で福江の市街だ。これでは昼飯にも早過ぎるので、右折して遠回りを選ぶ。
  長閑な道を行くことしばし、「鐙瀬あぶんぜビジターセンター」入り口を示す看板があった。何があるかもわからず、ともかく時間潰しにはなるだろうとよってみる。 駐車場の奥に鉄筋コンクリートの平屋があり、これがビジターセンターらしい。
  執筆にあたり調べると鐙瀬 海岸は溶岩が海中に流れ込んでできたもので、約7キロメートルも続く変化に富んだ海岸線は奇岩・怪石も多いとのことだ。しかし駐車場から数分歩いた展望台から見える磯について云えば、平凡なものだった。
  ビジターセンターでは、五島の動植物などの自然情報をパネルやジオラマで紹介しているので眺める。時間潰しにはなるが、さほど面白いものではなかった。しかしこの日は、腹具合が若干不調で、トイレを使用できたのは有り難かった。

11.昼飯・晩飯

 12時ころに福江市街に入った。昨日ビジネスホテル・アイランドへ電話で予約を入れたとき、駐車場の早め使用は了解を得ていたので、車を置くと、まず図書館でメールをチェックした。
  埠頭付近では食堂を散見していたので、昼飯に関しては極簡単に考えていたのだが、いざ現実に、「ここで飯を食うか?」との目で見ると、なかなか満足できない。清潔さが疑われたり、煙草の烟が充満していそうだったり、たまに良さそうに見えても混み合っていたり。港前食堂が駄目で、市街中心部を横切り見つからず、なか乃寿司のそばまで来た。
  寿司屋は晩に再訪することにしていたので、「食いっぱぐれるのか?」と思い始めたとき、上海故事なる中華料理屋が目に入った。福江まで来て何で中華かの逡巡もあったが、Tは気にならないらしく、「ここでどうだ」と云う。
  中はテーブル席が一つと、あとはカウンターに5席の細長い店だ。冷や酒を頼み、お品書きのランチメニューからピリ辛野菜炒めと海鮮ヤキソバを一つずつ注文。主らしい中年男が一人で厨房と客席を切り盛りしていた。
  間もなく運ばれてきた料理は、それぞれ旨い。酒は二杯目をまたずに店のストックがなくなってしまったが、紹興酒に切り替え、「中華ならば最初からこれで良かったのに」と反省する。
  主の言葉遣いに中国訛りがあり、Tが尋ねると上海の人だった。しかし長らく東京で中華のコックをやり、結婚を機に連れ合いのふるさと福江に店を構え、既に息子は大学生だという。当然のことながら日本語に不自由はないけれど、訛りは中々抜けないらしい。小籠包と麻婆茄子を追加して、さらに杯を重ねる。酒6杯と料理四品で6,000円だった。
  飲食している間に、チェックイン時刻を過ぎたので宿へ。夕方までを自由時間とし、私は午睡の後、本を読んで時間を潰した。
  5時半に夜の部をスタートする。なか乃寿司では再訪者をそれなりに歓迎してくれる。この日も刺身などを適当に見繕って貰い、気持ち良く冷や酒を干す。明日の行き先を訊かれたので、上五島と告げて、ついでにお奨めの宿など教えて貰った。
  二人で10杯ほど飲んで、勘定は多分七千円ちょっと。締めは頼まず、昼行った上海故事へ向かった。お品書きにあった担々麺が食べたかったのだ。これをツマミ替わりに、紹興酒も飲む。担々麺の濃厚なスープが旨かった。勘定は全部で2,000円。

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