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奈摩湾口の矢堅目崎と矢堅目灯台。
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米山付近から北北東方向を眺める。沖に見えるのは野崎島。
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次第に島の幅が狭まってゆく様子がカーナビゲーターの地図からも読み取れ、それにともない、右に左に海原を眺めながらのドライブとなる。12時に島の最北部近い津和崎郷聚落に達した。小さな漁港に寄り添うようにして十数軒の家が建ち並んでいる。
当初はこのもう少し北、津和崎灯台まで行くつもりでいたが、道がかなり細いようで、「Uターンもできなくなって、バックでずっと戻らなくなったら大変だ」と、諦めてしまった。あとで観光地図を良く見たら、駐車場とトイレのマークがあったから、杞憂だったらしい。しかし12時を廻って、昼飯(昼酒)で里心がついていたことも影響していたようだ。
特に理由はないが、来た道を忠実に逆走し、1時ちょっと過ぎに有川へ戻りついた。食堂が混み合う時刻を過ぎているから、ペース配分としては上々と思う。しかし気に入った飯屋は見つからない。
結局有川港多目的ターミナルそばの五島うどんの里に入ることにした。五島手延べうどん協同組合の運営する店だ。
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地獄炊きうどん。
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冷や酒と地獄炊きうどんを頼む。「地獄炊きうどん」は、初めて目にするメニューで、実体がどのようなものであるのか判らず、しばらくして運ばれてきたとき、お運びのオバサンに食べ方を教えて貰った。
付け汁(醤油とあごのだし汁をみりんで割ったもの)に生卵と薬味を適当に合わせて、これで熱々のうどんを食べる。五島ではごく一般的な家庭料理らしい。ちなみに地獄は旅人が褒めて口にした「至極」を聞き違えたのが始まりとの説も。
五島に来て初めて知ったが、日本三大うどんの一つとして、五島のうどんが入る場合もあるらしい。少なくとも島の人々は誇らしくそう考えているようだ。しかし今回、五島うどんの里で食べた限りにおいてはあまり得心がいかなかった。旨かったのだが「日本三大」と云うには個性的な部分に不足があるように感じたのだ。 |
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漁連で給油。
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食事を終えて給油に行く。有川近辺へ戻ってきた時点で、燃料切れ警告のランプが点きながら、日曜日のせいかどこのガソリンスタンドも休業なので困惑していた。一計を案じたTが、
五島うどんの里のオバサンに尋ねたところ、スタッフ一同で鳩首協議した結果、「町のスタンドはどこも休みだろうが、漁連のスタンドならば給油してくれるかもしれない」と教えてくれたのだ。港の外れに漁連の建物がある。
簡易タンク貯蔵所を見付けたが、辺りに人はいない。Tが事務所に入りおとないを告げると、すぐに係りが姿を現した。満タンにして貰い、「領収書は?」と訊かれ、必要ないと云って現金精算。リッターあたり150円だった。
九州で何回か給油したが、130円弱だった。しかし離島での料金が高いのは日本全国いずれも同じで、運搬してくる経費を考えれば当然なのだろう。そして割高料金の中で漁連はむしろ安く、あとで見た一般スタンドの表示料金は156円だった。
14.民宿えび屋
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若松大橋。全長522メートル。
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この日の宿は若松島のえび屋に決めていた。昨晩、福江のなか乃寿司で奨められ、メモに乱れた字で「エビヤ若松」と書いてあったのを、観光案内所で貰った宿リストと付き合わせて民宿だと判明したのだ。
そんなことで給油後、ともかく若松島へ向かった。しかし若松大橋を渡ってみると、まだ2時半にもなっていない。島をぐるっと廻って行けば適当な時間になるかもしれないと、橋のたもとから県道169号線の北上を開始した。数分走ると港がある。
漁港ではなく、港に隣接してターミナルビルがある。ここの二階が喫茶店になっているのでコーヒーを飲みに寄り道した。ちなみに港は若松港で、奈留経由福江行きのフェリーが一日二便半出ており、1時間40分ほどで福江に着くらしい。また博多を夜の11時半に出発し、若松に朝7時に着く船もある。博多に行くときは青方まで陸路を行き、そこから乗船するらしい。
港を見下ろしながら飲むコーヒーが、それだけで味わいが一ランク上がるようだ。3時5分発の船が出るのを見届けて、我々も出発する。
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龍観山から若松瀬戸を見下ろす。白い橋が若松大橋で、右手の湾の一番奥が若松港。
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龍観山から北方の景観。若松瀬戸が湖のように見える。中央やや右に位置するのが、上五島の最高峰山王山で、標高439メートル
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今度も走り出して数分で道草を食うことになった。分岐路があり、「龍観山展望台」へ続いていることを示す道標があったのだ。分岐して500
メートルほどで、駐車場、トイレ、見晴台などからなる展望スペースに出た。
南面の見晴台からは、先ほど渡った若松大橋や、岬と島々が入り組んだ若松瀬戸が、外洋に続く辺りまで見える。北面の眺望も素晴らしかった。駐車場の片隅に設置され手いる、環境省・新上五島町作成の案内板に、「当国立公園(西海国立公園)を代表する景勝地である若松瀬戸を一望できます」と書かれているのも、むべなるかなと思うのだった。 |
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「終点」近くで見た罠。猪用だろうか?
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県道の北上を再開した。しかし10分ほど走ると、道が極端に細く、整備状況も悪くなる。どうやら県道はここまでらしい。時刻も4時近いし、これから宿へ向かえば、チェックインに適当な頃合いだ。
休憩も兼ねて車を降り、辺りを歩き廻って数枚の撮影後、民宿えび屋を目指して車を南へ走らせた。
ゆっくり景色を楽しみながら、若松港、若松大橋袂を通過し、若松郷のえび屋前に付いたのは4時半だった。30前後の若女将が出迎えて、部屋へ案内してくれる。南側の道路に面した並びの和室と洋室だ。通常ならば道路からの騒音が危惧されるが、若松のそれも多少奥まったこの場所ならば、今でさえ往来する車輌は皆無に近い。夜になればなおさらだろう。
泊まり客は我々だけらしい。日曜日は行楽客は帰ったあとで、仕事で泊まる人は明日以降になると云うことか。ともかく他の客に気兼ねせずに済むし、まさかの高歌放吟を心配することもない。
風呂の支度ができたことを告げられ、時間に余裕があったので別々に入る。大きな浴室と、広々した洗い場ですっかり寛ぐことができた。考えてみれば、旅に出てからは船中泊やキャンプ場の風呂なしか、ビジネスホテルの極狭い浴室しか利用できなかった。その反動もあり、いつも以上に長湯を楽しんでしまった。 |
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えび屋の夕食。焼き魚は大型の鰺。手前左の小鉢はキビナゴ。
刺身三種は鯛とハマチ、アオリイカ。さらに五島手延べうどんが冷やで出てきた。
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6時から夕食になる。最初に、「お酒は冷やで飲むが、一々は面倒だから一升瓶で貰えますか?」と訊いた。若女将は冗談だと思ったらしく、笑っていたが、本気だと知って真顔になると、「とても足りないので買ってきます」と、取り敢えずの銚子二本を運んでくると、そそくさと車で出かけていった。
呑み始める。並んだ料理は地場の魚や自家菜園の無農薬野菜だという。牛にしてもひょっとしたら五島牛だったのかもしれない。ともかく旨い。新鮮な材料を贅沢に使用している印象を受ける。これで一泊二食が6,800円は五島ならではの料金だろう。
酒が空になったので追加を頼む。お銚子二本が運ばれてきたとき、若女将が一升瓶を持って帰ってきた。マア良いだろう。ツマミがこれだけ豪勢に並び、一切気兼ねすることもなくゆっくり呑めるのだもの。
二時間ほどかけて完食し、一升瓶も丁度空になった。若干延びたような気もするが〆に食べたうどんがご機嫌だった。部屋に引き上げ、あとは白河夜舟。若松島の夜はひたすら静かだ。
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えび屋の朝食。
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奈良尾をあとに。 |
翌朝は7時半から朝食を摂る。奈良尾発8時50分の長崎行きフェリーに乗るには丁度良いタイミングだ。
部屋を片付け、祝儀袋に千円包み部屋に置き、フロントで清算をする。全部込みで19,575円だった。一升瓶プラスお銚子四本飲んだわけだから多少割り引いてくれたようだ。世話になった礼を述べて、車に乗ると8時10分だった。
奈良尾を定時に出港した。相変わらず後部甲板に陣取って、船の航跡と次第に小さくなる中通り島を眺め、この島を訪れることもこの先ないだろうと考えると、僅かばかりの感傷が湧き上がった。
このあと家へ帰り着くまでには二泊三日の旅が続いたが、九州・五島列島紀行はこの辺りで終わりにしたい。
―― 九州・五島列島紀行完 ――
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