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12.上五島へ

   10月18日の日曜日、朝飯抜きで6時 45分に宿を出る。上五島の奈良尾へカーフェリーで渡るのに、出港は7時40分だから、もっとゆっくりでも充分間に合うけれど、二人ともせっかちというか、先を急いで行動する傾向がある。

 福江フェリー埠頭の朝焼け。6時50分 42mm F5.6 1/640sec ISO100。
 
 福江港を定刻7時40分に出港。
 

相変わらず好天気が続き、風もない航海日和だ。埠頭について待ち時間を朝焼け撮影などで潰す。一昨日感度設定を誤ってしまった反省もあり、「始業点検」後に、5枚撮影。
  7時20分に乗船が開始され、大した混雑もなく各車船倉に収まる。1時間ちょっとの航海だが、船室の何となくよどんだような空気も嫌で、後部甲板に出た。
  長崎から五島へ渡してくれた船は、「フェリー福江」だったが、今乗っているのは姉妹船の「フェリー長崎」だ。ほとんど同型の二船により、この航路は運行されている。
  既に三日前に見た風景の中を行くが、光線の違いもあり、新鮮な思いで眺める。8時50分に奈良尾港に到着した。
  ターミナルビルの観光案内所で情報収集。観光パンフレットや、地図、宿リストなどを入手し、インターネット・アクセスポイントと朝飯が摂れるような食堂の所在を訊くが、どちらも思い当たるところはないそうだ。どちらもそれほど期待はしていなかったので、ともかく上五島巡りを開始する(地図参照)。
  目指す所など丸でなかったが、奈良尾が島のほぼ最南端にあるため、勢い北に向かうことになった。
奈良尾の聚落を抜けるとき、小規模ながら野外音楽堂のような施設で、神主、巫女、氏子など、総勢40名くらいで神事を執り行っていた。一昨日は福江島で巡行を見かけたし、五島では今が秋祭りたけなわの時期なのだろうか。

 笛吹浦界隈。
 

奈良尾の商店街は極小規模で、それも日曜日のためか、ほとんどが閉まっていた。朝飯食堂などあり得ないと納得。そのまま聚落を抜け、狭く曲折が多い県道203号線もを行く。しばらくすると国道384号線(福江島の国道と同じ番号)になり、道幅も相互一車線に広がって走りやすくなる。
  海沿いの道から、一転して山へ分け入り、白魚峠を越えた辺りで、前方に白い大橋が見えた。その優美な姿を撮影したいと思ったが、時既に遅く車は坂を駆け下り、そのうちまた見えるかとの淡い期待も、実現することはなかった。
  下りきると宿ノ浦郷を抜け、笛吹浦に沿って走る。地図で確認すると海なのだが、眼前に広がる風景は、まるで山中の池を思わせるものだ。笛吹浦で駐車し、辺りを散歩して身体をほぐしながら数枚撮影。
  海沿いの道が続くものの、小さな峠を越えたり、トンネルをくぐったり、変化が多く退屈しない。10時を少し廻って有川港多目的ターミナルに到着した。
  有川町は上五島で一番人口の多い町であったが、合併し新五島町の一部となってしまった。佐世保とを結ぶ航路の終点で、九州商船、五島産業汽船、美咲海送有限会社の三社がそれぞれの持ち船で路線を維持している。
  ターミナルビルでトイレを使い、観光案内所があったので、ついでにインターネット・アクセスポイントを尋ねると、すぐ脇に休憩スペースにおいてあるPCを指して、「短時間ならばあれを使ってください」とのことだ。有り難くメールチェックを終えた。

13.漁連スタンド
 

 奈摩湾。
 

 有川から当てもなく南東へ向かう。峠を一つ越し、太田郷へ入ったが、海にぶつかりその後は道がむやみに狭そうなので引き返した。有川は島全体の中ほどなので、さらに北上を続けた。
   一応観光スポットとしては赤ダキ断崖やしんうおのめふれあいランドなどが観光地図に載り、その他、三十もある教会群も対象といえるのかもしれないが、どちらも立ち寄ってまで見る気は起きなかった。
  それよりも車の窓を開け放ち、吹き込む風を心地良く感じながら、長閑に続く明媚な海岸風景の全体が魅力的で、さらに云えば島全体に漂うおっとりとした気分が極上であった。

 奈摩湾口の矢堅目崎と矢堅目灯台。
 
 米山付近から北北東方向を眺める。沖に見えるのは野崎島。
 

 次第に島の幅が狭まってゆく様子がカーナビゲーターの地図からも読み取れ、それにともない、右に左に海原を眺めながらのドライブとなる。12時に島の最北部近い津和崎郷聚落に達した。小さな漁港に寄り添うようにして十数軒の家が建ち並んでいる。
  当初はこのもう少し北、津和崎灯台まで行くつもりでいたが、道がかなり細いようで、「Uターンもできなくなって、バックでずっと戻らなくなったら大変だ」と、諦めてしまった。あとで観光地図を良く見たら、駐車場とトイレのマークがあったから、杞憂だったらしい。しかし12時を廻って、昼飯(昼酒)で里心がついていたことも影響していたようだ。
  特に理由はないが、来た道を忠実に逆走し、1時ちょっと過ぎに有川へ戻りついた。食堂が混み合う時刻を過ぎているから、ペース配分としては上々と思う。しかし気に入った飯屋は見つからない。 結局有川港多目的ターミナルそばの五島うどんの里に入ることにした。五島手延べうどん協同組合の運営する店だ。  

 地獄炊きうどん。
 

  冷や酒と地獄炊きうどんを頼む。「地獄炊きうどん」は、初めて目にするメニューで、実体がどのようなものであるのか判らず、しばらくして運ばれてきたとき、お運びのオバサンに食べ方を教えて貰った。
  付け汁(醤油とあごのだし汁をみりんで割ったもの)に生卵と薬味を適当に合わせて、これで熱々のうどんを食べる。五島ではごく一般的な家庭料理らしい。ちなみに地獄は旅人が褒めて口にした「至極」を聞き違えたのが始まりとの説も。
  五島に来て初めて知ったが、日本三大うどんの一つとして、五島のうどんが入る場合もあるらしい。少なくとも島の人々は誇らしくそう考えているようだ。しかし今回、五島うどんの里で食べた限りにおいてはあまり得心がいかなかった。旨かったのだが「日本三大」と云うには個性的な部分に不足があるように感じたのだ。

 漁連で給油。
 

  食事を終えて給油に行く。有川近辺へ戻ってきた時点で、燃料切れ警告のランプが点きながら、日曜日のせいかどこのガソリンスタンドも休業なので困惑していた。一計を案じたTが、 五島うどんの里のオバサンに尋ねたところ、スタッフ一同で鳩首協議した結果、「町のスタンドはどこも休みだろうが、漁連のスタンドならば給油してくれるかもしれない」と教えてくれたのだ。港の外れに漁連の建物がある。
  簡易タンク貯蔵所を見付けたが、辺りに人はいない。Tが事務所に入りおとないを告げると、すぐに係りが姿を現した。満タンにして貰い、「領収書は?」と訊かれ、必要ないと云って現金精算。リッターあたり150円だった。
  九州で何回か給油したが、130円弱だった。しかし離島での料金が高いのは日本全国いずれも同じで、運搬してくる経費を考えれば当然なのだろう。そして割高料金の中で漁連はむしろ安く、あとで見た一般スタンドの表示料金は156円だった。
 

14.民宿えび屋

 

 若松大橋。全長522メートル。
 

  この日の宿は若松島のえび屋に決めていた。昨晩、福江のなか乃寿司で奨められ、メモに乱れた字で「エビヤ若松」と書いてあったのを、観光案内所で貰った宿リストと付き合わせて民宿だと判明したのだ。
  そんなことで給油後、ともかく若松島へ向かった。しかし若松大橋を渡ってみると、まだ2時半にもなっていない。島をぐるっと廻って行けば適当な時間になるかもしれないと、橋のたもとから県道169号線の北上を開始した。数分走ると港がある。
  漁港ではなく、港に隣接してターミナルビルがある。ここの二階が喫茶店になっているのでコーヒーを飲みに寄り道した。ちなみに港は若松港で、奈留経由福江行きのフェリーが一日二便半出ており、1時間40分ほどで福江に着くらしい。また博多を夜の11時半に出発し、若松に朝7時に着く船もある。博多に行くときは青方まで陸路を行き、そこから乗船するらしい。
  港を見下ろしながら飲むコーヒーが、それだけで味わいが一ランク上がるようだ。3時5分発の船が出るのを見届けて、我々も出発する。

 龍観山から若松瀬戸を見下ろす。白い橋が若松大橋で、右手の湾の一番奥が若松港。
 
 龍観山から北方の景観。若松瀬戸が湖のように見える。中央やや右に位置するのが、上五島の最高峰山王山で、標高439メートル
 

  今度も走り出して数分で道草を食うことになった。分岐路があり、「龍観山展望台」へ続いていることを示す道標があったのだ。分岐して500 メートルほどで、駐車場、トイレ、見晴台などからなる展望スペースに出た。
  南面の見晴台からは、先ほど渡った若松大橋や、岬と島々が入り組んだ若松瀬戸が、外洋に続く辺りまで見える。北面の眺望も素晴らしかった。駐車場の片隅に設置され手いる、環境省・新上五島町作成の案内板に、「当国立公園(西海国立公園)を代表する景勝地である若松瀬戸を一望できます」と書かれているのも、むべなるかなと思うのだった。

 「終点」近くで見た罠。猪用だろうか?
 

  県道の北上を再開した。しかし10分ほど走ると、道が極端に細く、整備状況も悪くなる。どうやら県道はここまでらしい。時刻も4時近いし、これから宿へ向かえば、チェックインに適当な頃合いだ。 休憩も兼ねて車を降り、辺りを歩き廻って数枚の撮影後、民宿えび屋を目指して車を南へ走らせた。
  ゆっくり景色を楽しみながら、若松港、若松大橋袂を通過し、若松郷のえび屋前に付いたのは4時半だった。30前後の若女将が出迎えて、部屋へ案内してくれる。南側の道路に面した並びの和室と洋室だ。通常ならば道路からの騒音が危惧されるが、若松のそれも多少奥まったこの場所ならば、今でさえ往来する車輌は皆無に近い。夜になればなおさらだろう。
  泊まり客は我々だけらしい。日曜日は行楽客は帰ったあとで、仕事で泊まる人は明日以降になると云うことか。ともかく他の客に気兼ねせずに済むし、まさかの高歌放吟を心配することもない。
  風呂の支度ができたことを告げられ、時間に余裕があったので別々に入る。大きな浴室と、広々した洗い場ですっかり寛ぐことができた。考えてみれば、旅に出てからは船中泊やキャンプ場の風呂なしか、ビジネスホテルの極狭い浴室しか利用できなかった。その反動もあり、いつも以上に長湯を楽しんでしまった。

 えび屋の夕食。焼き魚は大型の鰺。手前左の小鉢はキビナゴ。
刺身三種は鯛とハマチ、アオリイカ。さらに五島手延べうどんが冷やで出てきた。
 

  6時から夕食になる。最初に、「お酒は冷やで飲むが、一々は面倒だから一升瓶で貰えますか?」と訊いた。若女将は冗談だと思ったらしく、笑っていたが、本気だと知って真顔になると、「とても足りないので買ってきます」と、取り敢えずの銚子二本を運んでくると、そそくさと車で出かけていった。
  呑み始める。並んだ料理は地場の魚や自家菜園の無農薬野菜だという。牛にしてもひょっとしたら五島牛だったのかもしれない。ともかく旨い。新鮮な材料を贅沢に使用している印象を受ける。これで一泊二食が6,800円は五島ならではの料金だろう。
  酒が空になったので追加を頼む。お銚子二本が運ばれてきたとき、若女将が一升瓶を持って帰ってきた。マア良いだろう。ツマミがこれだけ豪勢に並び、一切気兼ねすることもなくゆっくり呑めるのだもの。
  二時間ほどかけて完食し、一升瓶も丁度空になった。若干延びたような気もするが〆に食べたうどんがご機嫌だった。部屋に引き上げ、あとは白河夜舟。若松島の夜はひたすら静かだ。
 

 えび屋の朝食。
 
 奈良尾をあとに。

  翌朝は7時半から朝食を摂る。奈良尾発8時50分の長崎行きフェリーに乗るには丁度良いタイミングだ。
  部屋を片付け、祝儀袋に千円包み部屋に置き、フロントで清算をする。全部込みで19,575円だった。一升瓶プラスお銚子四本飲んだわけだから多少割り引いてくれたようだ。世話になった礼を述べて、車に乗ると8時10分だった。
  奈良尾を定時に出港した。相変わらず後部甲板に陣取って、船の航跡と次第に小さくなる中通り島を眺め、この島を訪れることもこの先ないだろうと考えると、僅かばかりの感傷が湧き上がった。
  このあと家へ帰り着くまでには二泊三日の旅が続いたが、九州・五島列島紀行はこの辺りで終わりにしたい。

――  九州・五島列島紀行完  ――

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