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4.五島列島へ

  11月15日は、5時半に目が覚めた。辺りは真っ暗で中天にかかる月が冴え冴えとした光を放っている。隣接するミニ動物園からは、暗闇にもかかわらず、雄鳥の時を告げる声が響いてくる。5時40分になると東の空が茜色に染まり始めたので、ぶらぶらキャンプ場を散歩してみた。

 阿蘇山高岳。ISO800 F5.6 1/5
 

場内を半周し、少しばかり小高いところに出ると、阿蘇山中岳が暁の空にシルエットになっているのが見えてきた。
  うかつなことにカメラを持参していない。急遽幕営場所へ戻ろうと、近道を選んで急ぐが、思いの外離れた位置まで来ていた。
  ようやく辿り着き、カメラと三脚を担いで先ほどの場所へ早足で行く。しかし絶好のタイミングは逃したようだ。単に「釣り逃した魚は大きい」だけなのかもしれないが。

この朝も、鍋の残りに米を少々放り込んで雑炊にする。半時間ほど煮込んで、それらしきものができたところでTを起こした。雑炊の量はさほど多くなかったものの、Tが「あまり食欲がない」と、一椀でで箸を置いてしまう。こちらの食欲も旺盛とは云いがたかったが、食べ物を捨てるのは嫌なので、頑張って全て平らげる。
  朝食を終えると、隣と云っても良い場所にある流し場で鍋・食器を洗う。近いのは有り難いが、設備されている大型シンクは、中に乗って騒いだ不心得者でもいたのか、顎の部分から底が抜けたのを雑に修理した代物だ。破断箇所のステンレスは、ギザギザのまま露出して手などに触れると不愉快だ。
  このキャンプ場は二人で二千円の使用料を取るにもかかわらず、シンクのみならず、トイレの清掃状況が良くなかったり、全体として杜撰な管理状況が目立つところだった。

のんびり撤収作業を終え、7時を廻ったところで発進した。まだ無人の管理事務所で、ゴミ捨て場を探したが見つからない。多分ないのであろうと、そのまま車に積んで行くことにしたが、ますます酷いキャンプ場だと、二人で口を揃えてこき下ろす。

阿蘇まで来たものの、「これを見たい」と云うものもなかった。しかしTが「ともかく来たのだから」と、キャンプ場を出ると、ハンドルを阿蘇パノラマラインへ向けて切った。行き交う車もないが、曲がりくねった上り坂を走ること5分で、パノラマラインにぶつかる。これをさらにのぼれば、阿蘇山ロープウェイなどもあるようだが、営業時間には早過ぎる。
  辺りは景観が開け、おまけに駐車スペースもある。ここで阿蘇を見納めにすることにして、車を降りた。眼下にはうっすらとした靄越しに、阿蘇市々街が拡がり、振り返れば阿蘇中岳のずんぐりした山頂が見え、周囲の高原状牧場では、放牧されている牛達が、朝食 の草をはむのに余念がない。

 阿蘇パノラマライン出会いからの景観。
 

  パノラマラインを下り 、国道57号線を熊本目指して戻る。昨日より遙かに混雑しているのは、通勤ラッシュのせいらしい。しかし渋滞と云うほどのことはなく、順調に距離を稼いで、熊本インターチェンジから高速道路(九州道)に乗り入れる。
  この日は長崎泊まりと決め、取り敢えず番号の判っている、東横インに電話した。ところが「本日のシングルは全館満室」の返事だ。長崎にホテルは沢山あるだろうし、この時期、イベントなどもないことだし、空室探しに苦労するとは思えない。しかし高速道路を走行しながらあれこれ考える内に、このまま五島へ渡った方が良さそうに思えてきた。
  長崎の宿探しは、空室に問題ないにしても、駐車場を見付け、観光案内所でホテルリストを貰い、それからあれこれと考えるとそれなりに億劫だ。長崎→五島の船は、朝、昼、夕方の三便あり、今から間に合う昼便だと、到着が4時ころになり、オートキャンプには準備時間不足になるので、明日の朝便と考えていたが、今晩福江の宿に泊まればそれで済む。そもそも五島を目指して旅立ったのに、3泊しても辿り着けずにいる。今まで好天に恵まれてきたが、これがいつまで続くかは判らない。その意味でも早めに島へ上陸した方が良さそうだ。
  Tにこれを提案すると、すんなり賛成してくれた。次のトイレ休憩でナビゲーターの目標を、長崎港フェリーターミナルに変更する。

  長崎間近になって小雨がぱらついたものの、市内にはいるまでにあおぞらが戻ってきた。11時にフェリーターミナルに到着し、搭乗手続きを済ませる。乗船開始は12時なので、昼飯を摂ることにした。当初は周辺の飲食店を探すつもりでいたが、見渡せる範囲にはなく、「土地勘のないところでうろうろしていると食いはぐれることになりかねない」とも思われ、安易に妥協してターミナルビル1階の食堂に入る。
  時分どきなのでほぼ満席だが、何とか席は確保できた。坐ってから、食券を自動販売機で買う方式と判る。この手の店は、取り柄があるとすれば早さだけで、旨いものなど期待はできない。しかし時間的制限と、いささか気力が萎えていたため我慢することにした。特製チャンポンの食券二枚を持って、ウェイトレスに酒は飲めるか訊くと、こちらは現金払いでOKだった。カウンターでコップ酒を受け取る。オデン鍋があり、ツマミにするならばこれも現金で良いらしいが、不味そうだったのでやめておく。
  席に戻って間もなくチャンポンが来る。旨くないのは想定済みだから甘受するとして、思わぬ不都合は隣席から漂ってくる煙草の烟だ。全館禁煙のはずが、なんということか。ウェイトレスに抗議することも考えたが、ここは長崎、こちらでは慣習的に許されているのかもしれない。「郷に入っては. . . .」と諦め、早めに飲食を終えることに努めた。

  12時にフェリーボートが接舷した。古ぼけた船だ。執筆にあたり調査したところ1982年就航で総トン数は1,800トン。乗船後、ともかく後甲板に上がる。
  通りすがりに見た船内も貧弱な設備だが、甲板にもベンチその他、設備らしいものはない。それでも天気が良く、海上を渡って来る風が爽やかだから気持ち良い。定時を若干遅れたものの、一路五島を目指して長崎港から長崎湾へと進み、間もなく天草灘に出た。

 フェリーボートから港口にかかるながさき女神大橋と長崎市街。
 

  船の旅は、視界に海原しかないと、すぐに退屈になる。その点、五島航路は良かった。瀬戸内海ほどではないが、「エーゲ海の島が少ない部分程度」と云ったら褒めすぎだろうか。ともかく4時間強の航海中、デッキを離れることなく過ごした。
  3時ころに上五島の奈良尾へ寄港する。10台程度下船する車があったのはともかく、それ以上の台数が乗船してきたのは意外だった。結構島内で移動するトラックが多いのだ。
  ここから先は、若松島、奈留島、久賀島、かば島 に囲まれた海域を行く。前記島々以外にも大小沢山の島があり、双眼鏡でのあれこれ観察が面白い。4時15分に福江港ターミナルに接舷する。

 
  奈良尾を出港して間もなく、ジェットフォイル船に抜かれる。航行速力が80キロ近い高速船だから、あっという間だった。
 

  ターミナルビル一階に、五島市観光協会観光案内所がある。ここでホテルリストとパンフレットその他、観光資料を貰った。ついでにインターネットのアクセスポイントを訊くと、ネットカフェ的なものはなく、市の図書館でなら可能とのことだった。
  リストのビジネスホテル群から、中規模、低料金を目安に、あまり当てにならない勘を頼って電話をかける。二軒目のB.H.アイランドで決まった。使いやすいリストだったが、ビジネスホテルの料金は一泊朝食付きが基本だった。
  多少迷ったものの、カーナビゲーターのお陰で、5分後にはチェックインできた。3階建て17室のこぢんまりしたところで、最上階の部屋を割り当てられた。エレベータの位置を訊くと、「ありません」との返事だ。重い荷物や大きなカバンはないから、階段で問題はないのだけれど、一瞬奇異に感じた。考えてみれば、3階建のビジネスホテルというのが珍しいのかもしれない。

5.なか乃寿司

 一休みして早めの(と云っても我々には普通の)夕食に出かける。フロントでお奨めの「夕食がてら一杯やれる店」を二、三軒教えて貰った。
  5時半になろうとしているのに、辺りは暮れなずんでいる。福江は首都圏よりかなり西に位置するため、日没時刻は50分近く遅い。明るさが気分に与える影響は大きく、のんびりとお奨めの店、及びその周辺の飲食店を品定めしながら歩く。
  中々好みの店は見つからず、「お奨めの店巡りはこれでお終いに」と思って訪れた「なか乃」が感じの良い店構えだった。一応寿司屋らしいが、小振りだし庶民的な雰囲気もある。引き戸を開けて中にはいると、右手が四、五席のカウンターで、中 では六十くらいのオヤジが柳刃で魚を捌いていた。これがオーナーだろう。
  カウンター席に坐ると、おしぼりなどを持ってきたのはオヤジの娘だろうか。家族全員で店をやっているような感じだ。取り敢えず冷や酒を二杯。

  左上:お通しと追加で頼んだ刺身。刺身はこのあとも二品ぐらい。右上:鰺すり身の揚げ物。熱々が出てくる。
右下:ひらまさの真子甘煮。右下:並みチラシ寿司。
 

  注文はTに任せて、呑むことに専念する。彼が見繕ってくれたのは、刺身、揚げ物でそれぞれ旨い。しかし旨 さとは別の次元で「オヤ?」と感じたのは刺身の歯応えだ。グルメではないし、刺身に詳しくはないが、初めての食感だった。水揚げされてから時間が経っていないために、死後硬直が残っているのだろうか。
  もう一品ぐらいツマミが欲しくなり、ホワイトボードのお品書きを見て、まこ甘煮を頼む。オヤジが「ヒラマサの真子. . . .」と教えてくれた。ヒラマサにして縁遠く、増して真子となれば、多分初めて食するものだ。これも上品な味付けが酒に良く合っていた。
  二人で冷や酒十杯ぐらい呑み、仕上げに私はチラシ寿司、Tはタコ握りを一貫。勘定は全部で8,500円、これは安い。
  ほどよく酔った身体に、夜風が心地良い。ぶらぶら歩いても10分かからず宿へ着いた。それぞれの部屋へ引き上げ就寝する。

6.日の出

翌朝は5時ころ目覚めた。外はまだ真っ暗だが、窓を開けて夜空を見上げれば、雲間から星が瞬いている。多少なりとも日の出風景が期待できそうなので、5時40分を廻ってTと共に宿を出た。

 福江港の日昇。6時33分。
 

港までは5分で辿り着いたものの、どうしようもない方向音痴のせいで、目指す撮影ポイントとはまるで違う方角へ5分ほど歩き、ようやく間違いに気付いた。既に東の空はかなり茜色に染まっている。日の出を思う位置からとるには手遅れだろう。
  気落ちしながらも、他にすることもないので、昨日カーフェリーが着岸した付近へ行く。ともかく持参した三脚をセットし、カメラを東の空へ向けた。雲が多く、どのみち日昇は拝めなかったのかもしれない。
  朝の爽やかさが心地良かったのか、茜色に染まった雲の刻々変化してゆく様子が面白かったのか、20分以上もその場で撮影を繰り返しているうちに、水平線に紅点が小さく現れ、みるみる大きくなって行く。予想外に遅い時刻、6時半が日の出だったのだ。しかし望外の幸運だったのに、昨晩なか乃寿司で撮影したとき、目一杯感度を上げたのを忘れ、その結果、変な色合いの画像となってしまったお粗末。
  すっかり明け放つまで埠頭で過ごし、宿へ戻ると間もなく朝食の時刻になった。600円という料金からすれば、充実した食事を済ませ、10時までを自由時間として各々別行動をとる。

7.公設市場
 

  福江城堀。幕末に異国船の監視を目的とし築造され、1863年に完成。間もなく幕藩体制が瓦解したため、「日本最後の城」となった。建物は全て解体され、現在木々の後ろに見えるのは、福江文化会館の屋根。
 
 武家屋敷通り。辛うじて石垣に往時の面影を残すが、中にある建物は新しいものばかりだ。
 

宿から至近の距離にある福江城趾から見物を始める。「幕末の城郭」と云う観点からは貴重な史料らしいが、素人が見る分には、規模的にも小さく、あまり面白くない。築造した五島氏の財政規模を考えればやむを得ないだろうが。
  城趾南部には五島邸庭園があり、国指定名勝となっている。しかし開園時刻には早過ぎたし、500円の入場料は多分払う気になれなかっただろう。
  辻々に設置されている観光案内標識に、半ば導かれるようにして武家屋敷通りへ足を延ばす。通りの雰囲気は良く、苔むした石垣の佇まいは好ましいが、その内側に見える住居は、なんの変哲もない現代的なものばかりだ。約400メートルの通りを、石畳で舗装しているのは、悪いと思わないものの、「オリジナルに関係なく、観光的演出に過ぎない」との意地悪い見方も脳裏をよぎる。
  武家屋敷通り探訪を終え、公設市場へ向かった。昨日夕方、飲食の場を求めて彷徨ったときに偶然見かけたのだが、その時刻では商品らしきものはほとんど残っていなかった。
  再訪してみると、確かに商品は並んでいるものの、それほどの品数ではなく、そして客が全くいない。立ち働いている人達も、「これから売るぞ」の気迫ではなく、のんびりと片付けムードのようだ。裏付けなしの想像だけれど、今もここは朝市的に機能しているのかもしれない。函館のそれみたいに名ばかりではなく。

 左上:アオリイカ(大型)が1,100円。右上:活きの良い大鯖。左下:鰺の干物。右下:特大鰺の干物。
 

  旅先でこのような市場を目にすると、無性に買い込んで(調理し)食べてみたくなる。しかし旅館やホテルに泊まっていれば、調理などできるはずもない。それが、今日はオートキャンプを予定しているので、食材を買うことができる。 ほくほくした気分で眺めていった。
  特大鯖を見て、強烈に食指が動いたものの、ブレーキも強く働く。〆鯖は大の好物なれど、捌いて塩締め、酢締めの場所と時間が必要だ。かててくわえて、この蕁麻疹を起こしやすいメニューを人に振る舞う自信がない。
  無難なところで鰺を一匹、大きめのものを見繕ってオヤジに云うと、秤に載せて値段が決まる。300円ほどだったか?ついでに内臓も抜いてくれた。夕方まで持ち歩くことを告げると、水を入れて冷凍したペットボトルを一緒に包んでくれる。結構観光客ずれした店なのかもしれない。アオリイカにも食指が動くが、これも大きすぎると諦めた。とても二人で食べきれる量ではない。

8.島内一周

  徒歩5分の宿へ戻り、車に積んであるクーラーボックスに鰺を仕舞った。部屋でトイレを使ったりして一休みすると、間もなく約束の10時になる。
  Tと二人でフロントに立ち寄り、付近にある食品スーパーマーケットの所在を訊いた。エレナという大規模店が埠頭に隣接して最近オープンしたそうだ。僅か半日の付き合いにもかかわらず、顔馴染みになった感じのするオバサンに礼を云ってチェックアウトする。

 五島列島唯一の道の駅「遣唐使ふるさと館」。
 

  すぐそばの市立図書館へ立ち寄り、無料インターネットアクセスサービスを利用してメールをチェックしてから、エレナでキャンプ用の食材や、ビール、クーラーボックス冷却用氷などを仕入れる。鮮魚売り場でアオリイカが多少小振りながらも402円の値札が付いているのを見て、堪らず買い込む。較べてみると、公設市場は多少高めの価格設定にも思えてきた。

  買い物を終えて、島内一周のドライブに出発する(地図参照)。国道384号線を西北西に進むと、すぐに市街地を外れ、見通しが良く交通量の少ない道を気持ち良く走った。たまに行き交う車の運転マナーを見ても鷹揚な感じを受ける。次第に島の「空気」に馴染 み、それと共に、良いところへ来たとの思いが徐々に実感されてゆく。
  40分ほど走って道の駅「遣唐使ふるさと館」で一休み。全く知らなかったが、五島は遣唐使渡航ルートとして、後期 (773年〜838年)に度々使われ、有名人としては空海、最澄も島に立ち寄ったと伝わっているそうだ。道の駅から10分で 200メートルほどのトンネルを抜けると、眼下に高浜海水浴場が広がる。  

 高浜海水浴場。小さな岬の向こうに噸泊海水浴場。
 

  観光案内によれば、「日本の渚100選・日本の海水浴場88選に選定」と紹介されているが、むべなるかなと思わせる景観だ。白砂の浜と澄み切った海が素晴らしいし、両側に張り出した岬により、東シナ海からの波浪も遮られ、さざ波が穏やかに打ち寄せるだけだ。

 高浜海水浴場の渚。
 

  眺望の良い場所を求めながら周囲をぶらぶら歩き、20枚ほど撮影してから浜辺へ向かった。駐車場やそれに隣接した、シャワーや飲食を提供する建物もあるが、シーズンオフのためひとけはない。砂浜を50メートルほど歩いて、波打ち際まで行ってみた。肌理の細かい白砂は綺麗だし、遠浅の海は泳ぎを目的とする人にはともかく、子供達が遊ぶには絶好だろう。夏の賑わいはさぞかしと思うが、今浜辺にいるのは我々二人だけだ。
  時刻は12時半近い。「海の家みたいなところで昼食が可能か」との淡い期待もあったが、駄目だった。いつの間に現れたのか、駐車場隣に設えてある椅子・テーブルではオバサン二人が持参の弁当を食べていた。景観が良くてそよ風が快く、通行する車もほとんどないから、このスタイルも良いものだと思う。
  「ともかく先へ向かい、飲食店がなければ福江へ戻るか」と、車を発進させた。20分ほどで荒川聚落へでる。小さな漁港と数十軒の民家、そして荒川温泉がある。駐車場を見付け、「温泉施設で飯が食えるかも」と車を降りる。しかしフト見た路地裏には、 たつ美食堂の暖簾が翻っていた。

 左上;酢豚もどき。右上:残り少なくなって気付き撮影した餃子。
 左下:長崎チャンポン皿うどん。右下:隣のスナック潮騒内部。
 

  期待していなかった故に儲けものをしたような気分で食堂へはいる。先客は家族連れ風の四名だけで、メニュー札に「お酒」があることも確認し、一安心。冷や酒と餃子を注文した。
  Tは長崎フェリーターミナルでの (外れチャンポンへの)恨みを晴らすためか、今度は長崎チャンポン皿うどんを頼み、この時ついでに酢豚も追加する。
  餃子はごく普通の出来だったが、酢豚は不思議なものだった。豚肉をくるむ餅状のもの(練った小麦粉?)があり、揚げてあるにもかかわらずねっとりした食感なのだ。しかし、大抵のものは食べられるタチだから、Tに一口試食して貰い、不思議さを確認した以外は完食した。冷や酒も三杯干して昼飯を終える。 勘定は3,150円。
  思わぬところに食堂があり、午後の時間配分にだいぶ余裕ができた。と云うことで、隣のスナックで食後のコーヒー。先客はオジサンが一人だけ暇そうに漫画を読んでいた。棚に並ぶ酒壜や店の設備からして、夜に飲んでカラオケが主体の店らしい。出されたコーヒーは月並みだったが、カップは良いものを使っている。目の前の棚に置かれているのは、薄手で優雅な品揃いで、全部異なっているのは、気に入ったものを一客ずつ収集しているのだろうか。

9.さんさん富江キャンプ場

 

 大瀬崎灯台。
 

  島周回を再開する。荒川聚落から40分ほどで、島の西端、大瀬崎に到達した。木製で地上高1メートルほどの展望台に登ると、島南部に連なる断崖、オゴ瀬、赤瀬などが見える。
  背後からガヤガヤと数人が姿を現した。そちらにも何かあるのかと行ってみると、もう一つ展望台があり、島西端の大瀬崎灯台が眼下に見えた。昨晩なか乃で、「夕日の名所」と教えられたのはここのことらしい。二十名ほどの団体が来ていた。
  福江島にはバス会社の五島自動車が運営する定期観光バスがあり、個人で3,200円出せば、午後のコースとしてこの灯台を含む、五箇所ほどの観光地を、ガイド付きで四時間ほどかけて廻ることができる。その連中と遭遇したのだった。
  夕日撮影に適した地形とは納得する。単に西側が海原として開けているだけでなく、眼下に岬と灯台があって構図的にアクセントが付けやすい。しかし薄曇りの天気は夕日を隠してしまいそうだし、さらには日没時刻にこの場所を再訪して、それからキャンプ場に帰り着くまで酒をお預けにするのも辛い。二人とも「名画撮影」にさほど興味がないこともあり、大瀬岬は見納めとして、キャンプ場へ向かった。
 

 村祭りの一行。
 

  岬から40分ほど走ったところで、村祭りの御輿巡行に出会った。中々に立派な御輿で、担ぎ手も全員法被をまとい、そればかりか 衣冠束帯姿で、笏を持つ三人に、巫女までが付き従う、気合いの入った行列だった。
  一応車を降りて、数枚撮影する。しかしお社まで辿り着くにはだいぶ時間がかかりそうなので、不真面目なカメラマンとしては、早々に終わりとし、キャンプ場へと向かうのだった。
  富江町富江の聚落から国道をそれ、5分ほど走ると、「さんさん富江キャンプ村」だ。良く手入れされ、バンガローなどの設備や、テントその他の貸し出し備品も充実している。持ち込みテントサイトの使用料金は600円だった。昨晩利用した阿蘇とは雲泥の差を感じる。 管理人は頭をツルツルにそり上げ、大柄な身体と相まって海坊主を彷彿させる一見強面の御仁だったが、物腰は柔らかく、応対は親切だった。

 鰺とアオリイカの刺身。
 

  キャンプ利用者は、他に一人いるだけで、空いている場所ならばどこを使用しても良く、荷物を下ろすためならば車もそこまで乗り入れ可能、しかし最終的には駐車場へ置くよう指示された。
  先客は既にテントを張っていたが、車ではなく、オートバイでさえなく、原付自転車、いわゆるカブの類だ。これでは運べる荷物もたかがしれているし、従って自炊の内容も貧弱になるだろう。そこでTが、「良かったら鍋でも突きに来ませんか?」と声をかけると、「用意したものを食べてから」との返事だった。
  例の如く、飲みながら晩飯の支度にかかる。主たる食はまたしても鍋だけれど、主たる料理は鰺とアオリイカの刺身だ。包丁は日頃愛用のものを、殊更研ぎ上げてきたから良いが、詰まらぬ手違いで俎板を車に積み忘れた。Tが、「これでやればいい」と段ボールを用意してくれたが、やはり使いにくい。それでも二品造り上げ、改めて乾杯。
  隣人がカブに乗って出かけてゆくのが見えた。しばらくして戻ると、片手に何か持ってやってくる。挨拶をして差し出されたのは、(富江の聚落で求めたらしい)焼酎の四合壜だった。義理堅い人だ。
  ともかく、「駆け付け三杯」的に、酒・肴を勧めて皆で飲み始める。お互い旅の概略などを話し合って、彼が北海道は富良野から来たと知り驚く。それもカーフェリーなどの利用は最小限にとどめて、五島までやってきたとは。それ以上詳細を尋ねることもしなかったが、どんなコースをどれほどの日時で移動してきたのか。 年の頃は三十前後で、タフな印象よりは、浮き世のしがらみを感じさせない、飄々とした風貌が記憶に残る。それでも後日Tと共に思い出しては、「凄い人がいる!」と繰り返したのだった。
  酒品の良い人で、ほどよく飲み、食い、語り、長居とはならないうちに引き上げていった。こちらも若干飲み直してお開きにする。

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