※前へ戻る

7.オートリゾート八雲

  翌朝TVのニュースを見ていると、Tから内線電話がかかった。 Rさんが店を手伝うためにそろそろ帰らなければならないので、ロビーに朝食を摂りに降りてきたとのことだ。すぐ下へ行き、三人でテーブルを囲んでの四方山話。7時40分頃に別れを惜しみ、再会を約束してRさんが出発する。
  我々の方は急がなければならない理由もないが、宿でくすぶっていてもしょうがないので、8時半に発進した。
旭川鷹栖ICから道央自動車道に乗り、一気に南下する。 札幌JCTを10時半に、苫小牧東ICを11時に通過し、虻田洞爺湖ICで道央自動車道を降りる。高速道路ばかり走っていても面白くないし、時刻は昼飯時になり、一般道で食堂を探そうとの目論見もあった。
  国道37号線(通称胆振国道)を走り始めたところで、オートリゾート八雲に電話をする。オートキャンプサイトの予約だが、料金が異なり何種類かあるらしい。電話による説明では内容的違いが飲み込めず、ともかく今日は充分空いていることを確認したところで、どれを選ぶかは現地で現物を見た後で良いと話が付いた。
  一方主たる目的の食事場所は、「あのドライブインは不味そうだ。」など、あれこれえり好みをすると中々入るべき店が見つからず、前方に長万部の街が見えたのは1時近くなっていた。長万部駅まで行き、駅前食堂風を見付け、好都合なことにすぐ隣に店の駐車場がある。
  店内は椅子・テーブル席以外に座敷などもあり、かなりの人数を収容できそうだが、先客はオバサンがひとりいるだけだ。鈎の手に奥まったところのテーブルに席を占める。
  店の経営主体は蟹の駅弁で有名らしい。当然お奨めはかにめしセットだが、Tはそれほど食欲もないようで、単なるかにめしにした。私は八宝菜と冷や酒で、すぐ運ばれてきた酒にはお通しも付いていた。しばらくして出された八宝菜はそこそこ旨かったけれど、かにめしはどうやら外れらしく、ぶつぶつ云いながら食べていた。全国有名駅弁大会優勝の実績もあるのだが、弁当だからこそ旨いのか、味が落ちているのか、はたまた優勝の実績など当てにならないのか。
  酒三杯に八宝菜とかにめしでしめて2,650円だった。勘定を払う時、長万部の食品スーパーマーケット所在を教えて貰う。ラルズマートというのが国道への途中にあるらしい。

 

オートリゾート八雲。

  道に迷うこともなくスーパーマーケットに辿り着き、今晩キャンプでの食材を調達した。缶ビール(サッポロクラシック500cc二缶)、氷、牛乳、味付きラム肉、 北寄貝、シシトウ、生タコ、枝豆、モヤシ、キャベツ、タマネギなど。今宵は成吉思汗風鍋だ。
  国道(長万部から5号線、通称大沼国道)にもどり、40分ほど走ったところで右折して山側に入る。噴火湾パノラマパークがあり、それに隣接した施設がオートリゾート八雲だ。3時ちょっと前の到着となる。
  Aサイトを利用することにして、料金は5,000 円。屋外テーブル、炊事用シンクや電源もサイトごと設備されている。ちなみにロッジの方は一泊1万円だ。
  キャンプサイトには既に一台が先着してテントの設営も終了している。特注なのか、ワンボックスカーの屋根から張り出すような形でタープが延び、大型テントとを繋いでいる。しばらくして若いカップルが到着して設営を始める。こちらはそこそこ大きなテントを二張りで、食事テントと就寝テントと云うことらしい。いずれにせよ我々のような手抜きとは違い、気合いが入ったキャンプだ。
  オートリゾート八雲の立地は高台の上で、噴火湾方面は樹木に遮られることもなく、天候に恵まれれば対岸となる室蘭の白鳥大橋なども見えるはずだ。しかしこの日は雨こそ降っていないものの、霧とも霞とも定かではないものがたれこめ、対岸どころか、足許の八雲さえ姿を朧にしていた。
  他にすることもなく、手抜き設営が終わってしまえば飲むしかない。携帯用簡易フライパンで成吉思汗鍋風を調理しつつ、まず北寄貝刺しをツマミにサッポロクラシック(知らなかったが北海道限定販売とか)で乾杯する。一缶空にした後は、持参の甲類焼酎25°をTは炭酸割、私は水割りで呑む。それぞれ定量近く飲んでこの日も早々就寝。辺りが静かに成ると、道路から聞こえる大型トラックの騒音が、大きくはないけれど地鳴りのように響く。道央道と大沼国道に挟まれたキャンプサイトはどちらへも500メートルほどなのだ。

8.函館自由市場

  6時に起床する。生憎の小雨だが快速組立!アルミフレームワンタッチテントは健気に頑張って、食材やカセットコンロを載せた屋外テーブルと周囲に置いたアウトドアチェアー二脚を雨から守っている。出発前に慌ただしく購入し、購入者の評価など読まなかったから買えたような品物で、おまけに防水仕様でないことは明記されていた。それなのに撥水だけで一晩をしのいだのだ。
  無洗米を炊き、納豆やタクアンなどで簡素な朝食を済ませる。起床後、強くはないながら降り続いていた雨が、7時半に止む。このチャンスを逃すまいと、速攻で撤収にかかった。こんな時には本格派キャンプより、手抜きスタイルが強い。アルミフレームワンタッチテントは拡げたままで四本の足を順に地面に打ち付ける振動で水滴を振り落としてからワンタッチ(実際には数タッチ)で畳む。
  その他の装備も、ともかく手早く車へ積み込み、撤収が完了するまで半時間ほどだった。8時ちょっと前にキャンプ を出発した。急いだわけではないが、居場所がなくなったためだ。
  降りみ降らずみで、せっかくの海沿い道路なのに視界が拡がらない。「高速道路を利用すると、函館に早く着きすぎるか?」など考えたが、そもそも道央道はオートリゾート八雲から8キロほど函館よりの落部おとしべ が終点だった。そんなことでカーナビゲータが導くままに、大沼国道を行く。8時半には森町付近に到達する。
  森駅で函館本線は駒ヶ岳の東側を海沿いに迂回する線と、西側を行く線に分岐する。大沼国道はこの西側線と平行するように内陸部へ向かうが、時間潰しをするために海沿いの道道1028号線を選んだ。10数キロ鄙びた道を走り、国道278号線に吸収される。しかし国道と云っても亀田半島の海岸線を廻ってゆくような遠回りな道を、地元の車以外利用するはずもなく、交通量は至って少ない。
  椴法華とどほっけで旧函館市へ向かう国道を逸れて、道道231号線を恵山えさん岬へ向かう 。ちなみに、旧とわざわざ書いたのは、椴法華村が2004年に編入され、函館市の一部に成ってしまったためだ。椴法華の聚落は、鄙びた漁村の味わいが良いけれど、駐車して歩き廻りたいほどの魅力は感じなかった。

  水無海浜温泉の露天風呂。満潮時には水没するらしい。

  椴法華聚落を過ぎ、2キロほど海沿いを走り道道635号線入ると、途端に道幅が狭く、交互一車線で、急な上り坂になる。500メートルほどで相互一車線の平坦な道路になったが、そこで10トンダンプと擦れ違ったから、もう少し遅く来ていたら、かなり恐い思いをしただろう。
  間もなく左手に恵山えさん岬灯台や灯台資料館、右手にホテル恵風けいぷが見える。 再び道が狭くなり、すぐに水無海浜温泉に着いた。道路は最終部分で一方通行となり、ループを描いている。露天風呂やトイレ、更衣設備があり、夏は海水浴客なども多いらしい。
  腹具合が思わしくなく、トイレの個室に籠もっている間に、Tは露天風呂で足湯を使ったらしい。「中々良い湯だった」とのことだ。
  道は此処で尽き、函館方面へ向かうには、椴法華まで戻らなければならない。しかしまだ10時半なので、「ホテルでコーヒーでも」と云うことになった。恵風灯台資料館(ピカリン館)とともに函館市が経営する公共の宿だ。評判は良いらしく、インターネットでは、「予約を取るのが大変。」の記述も見かけた。
  玄関を入ってすぐの右側がレストランだが、営業中ではない。左手のスタッフルームにいたオバサンにTが、「コーヒーを飲めるところは?」と訊いたら、「レストランはまだ開かないので、こちらの無料サービスをご利用下さい。」とロビーに案内してくれた。
  コーヒーを飲んでからトイレに行くと、個室の方には温水洗浄機がセットされている。利用させて貰い、さっぱりした気分になった。しかし無料のコーヒーを飲み、お尻を洗ってそのまま帰るのもあまりに思え、ロビー脇に土産物コーナーがあったので覗いてみる。恵山町特産の、「根昆布しょうゆ」500ccペットボトルがあったので、土産物らしく、扱いが楽で、値段も手頃とこれを購入した。
  椴法華から亀田半島の南縁を廻ってゆく。対岸は下北半島の大間で、距離は20キロほどだから、視界さえ良好ならば見えるはずだが、この日はさっぱりだった。それどころか、時折雨粒がフロントグラスに弾けることを繰り返す。天候のせいもあり、以後はどこへ寄り道することもなく、函館自由市場へ直行した。11時40分着。
  場内を一回りし、取り敢えず昼飯を先にする。市場の北東端に市場亭と太守食堂らーめん麺忠の二軒がある。らーめん麺忠の場内通路側に張り出されたメニュー画像を見ていたら、目敏く見付けて客引きに来たオヤジは、半ば強引に店内へ誘導する。
  Tは二色丼、私は冷や酒にイカ刺しを注文する。実のところ有名な、函館のイカソーメンを食したことがなく、一度ぐらいはと思ったのだが、「酒のツマミにするならば食べにくいからイカ刺しの方が良いよ。」とオヤジに諭され、それに従った。
  二色丼は蟹とウニで、「これはサービス」と甘エビ10匹ほども一緒に盛られていた。蟹は昨日の長万部かなやのかにめしより旨いそうだ。イカ刺しは死後硬直がまだ残り、こりこりした食感が良い。函館のイカ刺しが日本一とも思わないけれど、このような食感はイカの水揚げ港に近く、それなりの仕入れルートがある店でないと味わえないだろう。
  マグロの赤身をツマミに追加する。マグロは大間の一本釣りが有名だけれど、函館は対岸で、こちらに上がるマグロもそこそこあるらしい。トロは嫌いだけれど、冷凍していない赤身を時々食べるのは好きだ。此処の赤身も旨かったし、その皿に一緒盛りで甘エビ10匹のサービスまで着いていた。
  食事(酒)を終えて、夕食用の食材調達に取りかかる。今晩泊まるのは製材所のゲストハウスで、流しやガスレンジなど、調理設備や食器類が自由に利用できるところだ。
  刺身ならばイカやホッキを考えるが、ホッキは昨晩、イカは先ほど食したばかりだ。と云うことでツブ貝、ホヤを刺身と酢の物とし生鮭の麹漬けもこれに加える。野菜はアスパラガスと鰊漬けにした。市場のそばにあるコンビニエンスストアで、板氷を買い、全部をクーラーボックスに収める。
  予定していたことは全て終え、後はフェリーボートで大間へ渡るだけだ。しかし1時半にフェリーターミナルに行ってみても、5時の出港には早過ぎて、乗船チケットも発売していない。それならばと函館山へ登り展望台から函館市街や、今日辿ってきたルートを眺めたりする。夜は人気の観光スポットだが、昼間は閑散としていた。
  展望台を後にして、ハリストス正教会などのある元町方面へ廻ってみたが、駐車場も見つからずに戻ることにした。この界隈はぶらっと歩くに良いところだと思っているが、車を置く場所を必死で探してまですると、何か雰囲気が違ってしまう。結局3時半にフェリーターミナルに戻り後はひたすら時の経つのを待った。

9.村口産業ゲストハウス

  4時35分にようやく動き出す。大洗港と異なり、函館の乗船は同乗者も徒歩ではなく、乗車したままで船倉に入った。カメラのみ持って、船室へ移動する。この船に椅子席は指定が僅か10名分しかなく、差額は800円もする。以前は展望室に椅子があったので、そちらへ向かったが、撤去されていた。居場所を失ったような感じで、取り敢えずデッキに出てみた。
  定刻5時に出港する。隣には大型高速船のナッチャン・ワールドがエンジンをかけてスタッフも乗船して停泊していたが、この日の運行予定はない。夏季に限定運行するとのことで、訓練でも行っているのだろうか。出航後しばらくはデッキで過ごすが、海峡に出てしまうとそれにも飽きて、展望室の絨毯に寝転がって過ごした。
  6時半頃に船内放送で、「ドライバーと同乗者は車内で待つよう。」指示があった。船倉に降りて間もなく、船が停止したことが判る。数分で前方のハッチが開き4列目だった我々が上陸したのは6時38分で、船の到着定刻より2分も早かった。1万噸の船だった苫小牧での接舷までに要した時間や、さらにそれから上陸まで半時間もかかったのに比べ、千五百トンの身軽さと云うべきか。
  港内を出たところで、カーナビゲータの目的地を易国間にセットし、暮れなずむむつはまなすラインを走っていると、48分に携帯電話が受信した。今宵の宿、村口産業の社長夫人からだ。社長が大間港まで迎えに行ったが、会えなかったと問い合わせて来たらしい。
  私の早とちりというか、思い込みによる失敗だ。初めて村口産業(ゲストハウス:わいどの家)を訪ねた1年半前、函館から朝のフェリーで大間に渡ったが、そこから易国間を経由する下北駅行きバスの連絡が悪く、港まで迎えをお願いした。それを忘れることはなかったが、今回の旅で易国間までTの車で行くことは、私の中で意識することもない当然のことだったため、迎えを断ることを失念していたのだ。ただ謝るしかないものの、せめてもの救いは、高々片道10キロほどの無駄足で済んだことだった。
  わいどの家の前で、村口夫人の出迎えを受ける。二回目なので、施設に関する説明は簡単に終わり、彼女は自宅の方へ戻っていった。Tと二人で食材などを下ろし、晩酌の準備に取りかかっていると、玄関の方から声がかかった。村口さんが大間港から戻ってきたのだ。挨拶もそこそこに平謝りする。村口さんが笑って納得してくれたので、取り敢えず一件落着。後で刺身と蟹のスープを差し入れようかとのご提案に、よろしくとお願いした。

  上:生鮭麹漬け、ホヤ酢の物、ツブ貝刺し、アスパラガス、鰊漬けなど。
  下:村口さんから差し入れられた刺身。奥がサーモン、手前左がタコ、右が平目。

 

   お湯を沸かしつつ、ツブ貝を刺身にする。なんといっても流し、調理台、ガスレンジなどが本格的なものだから、調理は楽だ。私は焼酎の水割り、Tは炭酸割でスタートした。
  Tがアスパラガスゆでの下ごしらえをする。ピーラーはあったのだが、すこぶる切れ味が悪く、苦労していた。包丁は切れ味の良いものを持参しているが、ピーラーまでは考えが及ばなかった。ともかく沸騰してきた湯に放り込み、アスパラガスも食べられるようになる。
  再び村口さんの声がして、蟹スープと刺身の到来だ。スープは下北の小振りな蟹(名は忘れたがワタリガニの類)を殻ごと煮込んだもので、濃厚な蟹エキスが出ている。刺身も下北のもので、鮭、タコ、平目だった。 さらにミズ(あおみず:山菜)の浅漬けも。
  差し入れの品に加え、さらに自由市場調達の、ホヤ(酢の物)、石狩漬け(鮭の麹漬け)、鰊漬けなどが並び、豊かな晩餐となる。辺りはひたすら静かだ。聚落は小さいし、前の道は山の方へ数キロ入ったところで行き止まりだから、日が暮れてから車が通ることなど皆無に等しい。
  キャンプより身体的に楽で、宿に泊まるよりリラックスした晩酌をゆっくり堪能し、私がロフトに、Tが和室の片方に引っ込んだのは何時頃だったのだろうか。

10.弘前 野の庵

  7月9日金曜日。気持ち良く晴れた朝だ。旅も終わりに近付いている。当初は陸奥を五泊程度かけてゆっくり廻るつもりでいたが、家庭の事情により、日曜までに帰宅せざるを得なくなった。予定していた弘前泊まりをキャンセルし、易国間→松川温泉→仙台→自宅に計画変更する。
  昨晩、松川温泉松楓荘に電話し、二部屋一泊を予約する。易国間から直行するつもりでいたが、調べると5時間半程度の道のりで、より道できることが判った。昼飯を一度は予約し 昨日慌ただしくキャンセルした、弘前 野の庵が再浮上する。飲めずに運転距離だけ長くなるTには済まないと思うが、野の庵の女将は、顔を出せば喜んでくれるはずだ。
  8時に朝食を終え、8時半には片付け、車への積み込みがほぼ終了する。事務所へ行き二人一泊の料金9,000円を村口夫人に支払い、ついでに工場見学の許可を貰った。一昨年の冬に、一通り見ていたが、Tは初めての訪問だし、製材工場を見学する機会など滅多にないことだ。
  各種の大型木工機械も面白いが、見て圧巻と思うのはやはり熟練作業員による製材だ。かなり重量があるはずの材を、まるで発泡スチロールでも扱っているごとく自在に動かし、時には定規なしで苦もなく直線に切り出してゆく。感心して眺めていると、工場に用事のあったらしい村口さんが姿を現した。
  我々に気付くと、すぐに用事を終わらせてから、先に立ち工場内を案内してくれる。やはり現場に長く携わった人の話は面白い。ヒバを中心とし、木材に関する興味深いあれこれを聞きながら、場内の機械や、ストックされている製材を見て回った。ついでにTの山小屋にある檜風呂の修復方法なども相談できた。
  8時40分、村口夫妻に見送られてわいどの家前から出発する。大畑市街やむつ市街で多少通勤ラッシュらしきものに遭遇するが、渋滞までには至らない。野辺地を通過したのは10時40分で、此処から国道4号線を行き浅虫を経由するルートも考えられるが、ナビゲータは4号線を東京方面へ10キロほど行き、そこから青森自動車道を経由するよう導く。830円の通行料金を取られたが、木々の緑が鮮やかに陽光を反射する山間のドライブは気持ち良かった。
  青森ICから東北自動車道で、これを浪岡ICで降り、国道7号線などを経由し、野の庵に着いたのは12時15分だった。
  先客は二人が一組だけ。おしぼりを置くのもそこそこに、女将は田酒でんしゅ の一升瓶を運んできた。酒飲みに対して、真っ直ぐな心遣いが嬉しい。Tには悪いが、ぐい飲みになみなみ注いで貰って喉を潤す。
  メニューは以前に比べてずいぶんシンプルになっている。Tが冷たい蕎麦と云うことで、「明治」を選び、こちらもそれに追随した。セットの天麩羅と蕎麦をツマミに冷や酒を3杯。 田酒は青森市の酒で近年評価の高い銘柄だが、それだけに首都圏に流れてしまい、地元では手に入れるのが困難らしい。酒であれば良く、銘柄や味に何の拘りもないものが、ガブガブ飲む酒ではないのだが、わざわざ用意してくれた気持ちが嬉しい。
  気持ち良く飲み食いして、席を立ったのは1時をちょっと廻っていた。弘前城を目の前にして、昼飯だけ食べて帰るのもどうかと思い、Tと共に城趾公園を一回りする。去るに当たってもう一度挨拶によると、Tには冷たい飲み物の差し入れ、私には清酒「竜龍」のお土産を頂き、恐縮しつつ野の庵を後にした。

11.松川温泉

   今回陸奥を旅するに当たり、仙台在住で旅情報も豊富なOさんとNさんにお奨めの地を尋ねた。三箇所ばかりが上がり、共通点は温泉地の鄙びた一軒宿だ。易国間から仙台への道すがら一泊と条件が決まった時点で、Nさん推奨の松川温泉に逗留することにした。
  弘前郊外から大鰐弘前ICで東北自動車道に乗る。山岳道路が多く、途中鹿角市などもあるが、カーブと起伏が多く変化を楽しめるドライブが続いた。1時間半ほどして、松尾八幡平ICで自動車道を降り、八幡平温泉郷方面へ向かう。
  当初、松川温泉の名が出た時、Tは、「初めて聞く温泉だ。」と云っていたが、いざICを降りて一般道を走り出すと、「毎年この辺りにスキーに来ていた。」と云いだし、さらには、「馴染みの民宿があるから、ちょっと寄っていこう。」と云い出す始末だ。
  もちろん寄ることに異論はなく、多少の曲折はあったものの、八幡平温泉郷で元民宿(現在は廃業)の女将と再会を果たすことができた。色々古い記憶が蘇ってみると、松川温泉へも行ったことがあるらしい。「続いた民宿泊まりの気分転換に、奨められて上流の温泉を日帰り利用した。」とのことだ。
  八幡平温泉郷から先は、道も細くなりセンターラインなしの相互一車線で上り坂が続く。10分ほどで松楓荘の看板があり、左へ急に下る砂利道の行き止まりが宿だった。
  5時10分前にチェックインを済ませ、ともかく温泉に入る。余り好きではないが、頑なに拒むほど嫌いでもない。此処の温泉は、洞窟露天風呂、露天風呂、内風呂の三種類で、洞窟露天風呂は丁度女性専用時間帯だった。おまけに洞窟露天風呂と露天風呂を混同していたから、内風呂にしか入れないものと思い込み、そちらへ向かう。
  此処の湯はかけ流し(非循環方式)だが、源泉が60℃以上と高温のため、加水による冷却を行っている。今回調べて知ったのだが、「源泉かけ流し」は加水しないものを意味するそうで、この宿が自らのHPで述べているのは正しくないらしい。この辺に拘泥すると、多額の費用をかけて源泉を冷却したりする宿もある。しかしこのような差違は私にとってどうでも良く、そしてこの宿も同じような考えらしい。一昔前のおおらかさをそのまま今に伝える、湯治場なのだろう。
  のんびり湯浴みをした後、食事までには間があるので、部屋でビールを飲むことにした。お互いのいびきを敬遠して部屋は別だが隣り合っている。Tがフロントで缶ビールを調達し、先ほど元女将から貰った、手採り手造りのワラビ浅漬けをツマミにする。窓際に小さなテーブルと、それを挟んで安楽椅子が二脚、眼下にはその名も湯ノ沢が心地良い瀬音を立てて流れ、素朴な手作り吊り橋で渡る対岸には洞窟露天風呂の入り口が見える。

 

  松楓荘の夕食。

  夕食は6時からと云われていた。頃合いを見計らって大広間(宿泊者の食堂であり、日帰り湯浴み客の無料休憩所)には既に、オヤジ団体の6人、リタイア夫婦風1組、男女の幼子を連れた若夫婦などがそれぞれの席を占め、我々以外に姿を現していないのは1人だけらしい。
  まずは酒を注文する。Tが、「面倒なので、できれば一升瓶で。」と交渉したけれど不調に終わり、ともかく(通称)2合徳利を2本と、ビールグラスを貰う。料理は品揃えも量も適当だった。特別旨いというようなものもないが、全体バランス良く、酒と合わせて気持ち良く飲み食いできる。それぞれがマイペースで飲み、合計で6本目をTが注文すると、「宿の酒はもうお終いなので、1合徳利で勘弁してくれ。」と云われる。この日も宿の酒を飲み干したのはTだったのだ。
   深更篠突く雨音に目を覚ます。明日の予定は、仙台まで辿り着くことを別にすれば、これと云ってないので、「雨もまた一興。」など漠然と思ううちにまた眠りに引き込まれる。その後何回か覚醒を繰り返し、朝も6時となって辺りもすっかり明るくなったころ起床する。
  隣室のTに声をかけると、彼も既に起きていた。誘って露天風呂へ行く。風呂(温泉)好きではないが、此処まで来て露天風呂を外すのも愚かしい気がした。温泉好きのTは夜中にも入ったらしい。「土砂降りだったけど、湯が熱く、目一杯加水してその周辺に入るのがやっとだった。」そうだ。水温調節装置などないから、気温、流れ込む雨水などと加水量のバランスで湯温が決まるだけに、無人状態が続くと適温域から大きくずれたりするのだろう。
  7時からの朝食を済ませ、10時出発を決めてそれぞれの部屋へ戻る。窓際で時折渓流や、雨の降り注ぐ山林に視線を投げながら、読書で時間を潰した。Tは洞窟露天風呂へ行ったらしいが、今度はぬるすぎたとか。

12.盛岡・冷麺・南部鉄器

  松楓荘の勘定は、二人一泊二食が平日二割引で16,800円。その他缶ビールと晩の銚子で、後から勘定書を見ると11本(2合×5+1合)のはずが9本 (単価:420円)と付け落としになっていた。即気付けば良かったが、老眼鏡を取り出してまでチェックしないので見落としてしまう。ご祝儀を1,000円置いたからマア良いか。
  カーナビゲータに盛岡駅を目的地とし、(早く着きすぎないように)条件を一般道路としてセットする。10時に発車した。小雨が時折ぱらつく生憎な天候だが、それ以外は快調に盛岡へと走る。
  何故盛岡を目指しているかは、実にお粗末な理由で、松川から仙台へ行くまでに、悪天候でもそれなりに時間を潰せるところを他に思いつかなかったためだ。Tは、「長年使っている南部鉄瓶がそろそろ寿命で、どうせならその鉄瓶を作った盛岡の釜茂に寄ってみたい。」と云う。後は盛岡名物の冷麺でも食べればそこそこの時間になるだろう。
  問題は釜茂の所在地はもちろん、電話番号など全く判らないことだ。日頃インターネットの便利さに甘やかされていると、出先でコンピュータがないと手も足も出なくなる。苦肉の策で、観光協会を利用することにした。多分盛岡駅構内にあるだろう。
  11時に盛岡市街へ入り、ナビゲータに導かれるまま行くと、東口広場に出た。期待していた通り駐車場があり、幸運なことに二、三台の空きが残っていた。駐車してから利用規程を見ると、30分までなら無料、それを過ぎると1時間単位で100円で、これなら安心して長居もできる。
  駅二階に観光案内所はあり、カウンターにいたオネエサンにTが釜茂の所在を訊いた。「釜定ならば. . . .」と訊き返すのに、釜茂を字まで説明して求めると、ファイルを調べてから後ろのオフィスにいた同僚に尋ねに行った。思わしい答えもなかったらしく、カウンターに戻ると、今度は電話で南部鉄器協同組合に問い合わせてくれた。
  これでも見つからず、Tにしてみれば良い鉄瓶が手に入れば良いのだから、ブランドらしい釜定の(カーナビゲータにセットするための)電話番号を教えて貰った。
  ついでにお奨めの冷麺屋も尋ねる。「駅から離れていても良いが、その場合は駐車場を探さずに済むところ。」の条件は難しかったようで、結局近辺の盛楼閣かぴょんぴょん舎と云うことになった。現在駐車場が確保できているから、その利を活かして食事を済ませ、その後に車で駅から10分ほどの釜定へ行くことにした。
  盛楼閣は一度だけ雪見酒紀行2007で訪れたことがある。Tはどちらでも良いとのことでぴょんぴょん舎へ入った。一歩足を踏み入れ失敗したと思う。店の雰囲気が妙に気取っているのだ。しかし踵を返すほど酷くはなく、案内されるままに二階の禁煙席へ坐った。  

  ぴょんぴょん舎の冷麺。

  Tはすぐに冷麺、こちらは冷や酒とセンマイ刺し。冷麺は悪くないようだし、センマイ刺しももっと素朴であって欲しいが不味くはない。Tは食べ終わり、「土産にする南部煎餅を買ってくる。」と席を立った。急ぎ追加の二杯と冷麺を飲み食いする。料金は全部で3,250円。気取った内外装とサービスからすると、予想外に安かった。
  駐車料金200円を支払い、釜定へ移動する。車中Tは、「釜茂ではなく、釜定だった。思い出したよ。」とのたまう。釜定に駐車場はなく、筋向かいに店を構える森九商店(このお店も雰囲気がある)の駐車場を暫時無断拝借する。
  南部鉄器は私のような横着者だとすぐ錆びさせてしまうので、最初から諦めていた。Tは面倒でも鉄瓶が好きで、若いころから四、五個の鉄瓶を使い潰してきたらしい。本店だけに様々なパターンが並ぶのを閲し、3万円弱のものを一つ求めた。品不足のため数ヶ月待っての送付となる。私は千円ほどの南部風鈴を一つ、しかしこれは釜定ブランドではなく委託品で、値段も値段だから大量生産なのかもしれない。
 

13.仙台居酒屋逍遥そして感動の出会い

  時間の余裕もさほどなくなり、市街をでると最寄りの盛岡南ICから東北自動車道を利用する。天候はすっかり回復して、頭上には青い空と白い雲だ。一気に仙台宮城ICまで行き3時20分に仙台西道路から仙台市内を目指す。この晩は旧知のOさん、Nさんと飲む予定で、待ち合わせは駅前で4時半、余裕で間に合うものと思った。
  ところが仙台西道路のトンネルを出た辺りで渋滞に掴まり、そこからの3キロに半時間近くかかる。この日の宿、東横イン仙台東口1号館にチェックインし、西口の待ち合わせ場所に着いたのは4時29分になっていた。
  ともかく遅刻しないで済んだと時計を見て安心し、視線を上げると路地の西からNさんが姿を現し手を挙げる。こちらも手を挙げて応え、振り返ってみるとOさんが路地に入ってきたところだった。久闊を叙するのもそこそこにOさんが、「どこからスタートしましょうか?」を受けて、Nさんが、「そこの朝日屋は4時からやってましたよ。」と云う。
  これで決まり、徒歩1分もかからないパピナ名掛丁なかけちょうアーケード内 の朝日屋に入る。店内はかなり広く、入り口から左右に分かれ、右ウィングの方へ案内された。先客は小上がりに10人くらいのオヤジが集まり、この時刻で既に充分盛り上がっている。 ともかく生ビールで乾杯することにした。間もなく二組がそばのテーブルに案内されてくる。

  

朝日屋の店内(左ウィング)。レンズフードが約45°廻ってしまっているのに気付かず撮影。四隅に黒い影が出ている。 

  ビールを待つ間に、オヤジ達のうるささが尋常ではないことがはっきりする。大声で話すのもさることながら、ガハハハの笑い声が酷く、割れ鐘を耳元で突かれたような気分になる。ビールを運んできたオネエサンにNさんが、「悪いけど左ウィング移動したいんだが。」と頼んだ。彼女が、「それはちょっと困ります。」と 云った途端に、背後でガハハハが炸裂した。「仕方ないですね。」と彼女も同意し、左ウィングへビールを運んでくれる。我々が避難するのを追い掛けるように、他の二組もこちらへ移動してきた。
  左ウィングは通常の騒がしさで、時刻が早いせいか客の入りも四割程度なので、落ち着いて飲み、食い、話しができた。今回の旅に関するあれこれなどを肴に1時間弱を過ごし、二軒目に移動する。
  この日は居酒屋逍遥が基本方針だが、「まだ明るいし、ちょっと気分を変えて. . . .」と云うことで、Oさん馴染みの南アジア料理の店チョロンへ寄った。春巻きともう一品、料理に合わせて酒はベトナムやらタイなどの瓶ビール、しかし私は日和ってサッポロ生ビールだった。
  チョロンも1時間弱で、三軒目はすぐそばの居酒屋源氏だ。この店は仙台の居酒屋を語る時、多分外せないところで、雰囲気、料理、店の規模等も全て良い。しかし微妙なところで好みに合わないというか、一種のクササを感じて今年の雪見酒紀行では寄らなかった。しかしTは初めてな訳で、それならば行くべきとなった。

 源氏の店内。カウンターに坐る左からNさん、T、Oさん。

  先客は四人と二人の二組だけで、空いていた。冷や酒とツマミを何種類か注文する。知らなかったの(忘れてしまっていた)だが、この店では酒一杯ごとにお通しを替えて出すシステムになっている。それ以上のツマミは必要なかったのだ。
  先客4人が帰り、入れ替わるようにオジサン一人が入ってきた。我が方はNさん以外、皆都立高校卒なので、そんな話題がしばらく続く。Tと私は第七・八・九学区だと話すと、Oさんが二学区の都立駒場卒だという。T夫人も都立駒場卒だったので、携帯電話で夫人を呼び出したり、話が盛り上がった。
  Tがトイレに立った時、後から来て一人で飲んでいたオジサンから、「なんだか楽しそうなので、話に参加しても良いですか?僕も二学区なんです。」の声がかかった。二学区でどこの高校か訊き返すと明治学院との返事。これを聞いてTがトイレから飛び出してきた。彼はこの学校に30年近く奉職していたのだ。
  「ナニ、お前、明学めいがくか!」暫時お互いの顔を見ていたが、ほぼ同時に、「センセー!」、「堀口(仮名)!」と呼び合うと、走り寄ってひしと抱き合う。なにやら安手の青春ドラマかと思うようなシーンになった。しかし演ずるのがジイサンとオヤジでは観客の方は鼻白むと云うべきか。
  当の二人は観客のことなど眼中になく、しばらくの間、高校卒業後のあれこれを熱く語り合っていた。こちら三人も仕方なく、一応店の制限とされている4杯を超えて、飲み続けるしかなかった。

 

 なつかし屋店内。ISO3200での撮影はかなりノイズが酷い。

  大手航空会社の機長となっている教え子は、明日もフライトがあるのでそろそろ切り上げなければならないという。別れを惜しんで四軒目の居酒屋に移動した。壱弐参いろは 横丁のなつかし屋だ。
  名前通りの店で、この手の居酒屋は嫌味になりやすいが、それがないのは主の人柄によるのだろうか。既にかなり酩酊していたので、それ以上のことは記憶にない。
  なつかし屋から同じ横丁の居酒屋二代目に行ったが、此処は満員で入れない。それではと、二代目経営者(若夫婦)の両親がやっている居酒屋一番茶屋へ向かった。ところが15分ほどかけて歩いて行ったのに、こちらは臨時休業。そろそろお開きにするかと云うことで、最後にOさんに 連れられていったのは彼と同い年のオカマ経営するバーLだった。ウィスキー二、三杯を飲んで蝦夷・陸奥酒飲み旅を打ち上げる。
  お付き合いくださった富良野のRさん、易国間の村口さん、弘前の佐藤さん、仙台のOさん、Nさん、本当に有り難うございました。これに懲りずに次回もよろしく。

――  蝦夷・陸奥夏紀行 完 ――
※蝦夷・陸奥夏紀行 Topへ
※黄昏紀行へ

inserted by FC2 system