蝦夷・陸奥夏紀行

***目次***
1.旅立ち
2.出自
3.蝦夷の初日
4.札幌へ
5.富良野・美瑛
6.旭川の居酒屋
7.オートリゾート八雲
8.函館自由市場
9.村口産業ゲストハウス
10.弘前 野の庵
11.松川温泉
12.盛岡・冷麺・南部鉄器
13.仙台居酒屋逍遥と感動の出会い

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1.旅立ち

  毎年、夏になると友人Tと旅をしている。2005年から続いているから、恒例と云っても良さそうだ。その分、マンネリ化も進行しつつある。今年はどこへどんな旅をしようか思案して、真面目にあれこれ調べることなどあり得ない二人なので、取り敢えずTの車を利用 することとし、大雑把に

1.カーフェリーを利用して大洗から出港し、苫小牧に上陸する
2.道央を目指し、昨年見損なった拓真館を訪ね、それから道南へ移動
3.函館からカーフェリーで大間へ
4.陸奥を適当に二、三日放浪

を予定とも云えないような旅程とした。

 

2.出自

  私に関して、出自と云うほどのものもなく、父方は盛岡出身と知っていたが、かつて関心もあまりなかった。しかし年のせいなのか、今回陸奥を旅することも関連し、多少調べてみようかと云う気になった。図書館などへ行かなければ調査もできないような時代であれば、とてもそんな根性はないのだけれど、今はインターネットなる文明の利器もある。
  その結果、中々興味深いことも判った。祖先に七郎兵衛保憲なる人物がいて、南部藩の勘定奉行を勤めたという。また私のはとこでRと云う 、歳は一回りほど上の方が中富良野で商売をしているらしい。拓真館訪問と連携できそうだ。
  インターネットで得た知見は、全て目新しいとは云えなかったが、親などから聞き伝えたあれこれは、その後に生じたかもしれない記憶違いや、そもそも伝えられた時点で間違っていた可能性などを否定できない。要するに信憑性において問題がある。その点でウィキペディアなどに整理された情報の方が質的に勝る。

3.蝦夷の初日

  当初、7月4日(日)を旅立ちとしていた。ところがカーフェリーの予約を取ろうとしたところ、日曜日には深夜に出港する便のみで、想定していた夕方出港、翌日の昼に上陸ができない。仕方なく7月3日(土)に苫小牧へ向かう船に乗船した。この結果、北海道の一泊目宿泊地も札幌と思っていたものが変更することになる。学生時代から馴染みのオデンやさん小春は是非訪ねたいのに、日曜は定休日なのだ。
  苫小牧から北上して札幌の目論見が外れ、東南東に進む襟裳岬方面は昨年取ったルートとなれば、安易な消去法で西へ向かい、洞爺湖畔で泊まることにした。雨さえ降らなければオートキャンプのつもりだ。 7月上旬の日曜日に混むとも思わなかったが、一応電話で予約する。ついでにキャンセル条件を訊くと、「キャンセル料といったものはないが、必ず電話等で連絡して欲しい。」とのことだった。

  7月3日午後3時半に大洗到着。スーパーマーケットに立ち寄り、晩酌ツマミの追加と、翌朝用の弁当など調達。次いでフェリーターミナルで乗船手続きをする。十人以上が行列を作り、同じくらいの人が乗船手続き書類を記入している。週末故に混んでいるのだろうか。
  その後は全て順調で、定時に出港する。この航路に配されている船は二隻で、この日利用したのは「さんふらわあ さっぽろ」だった。もう一隻の「さんふらわあ ふらの」に比べ、展望ラウンジがなく、外を眺めながら飲もうと思えば、レストラン脇の廊下に置かれた小さな丸テーブルと、セットになった二脚の椅子を利用するしかない。不平を云いながらも、定量を呑み、エコノミールーム(和室で、区切りはないが番号指定の寝具が並んでいる)に戻って朝まで熟睡する。ちなみに利用者が60歳以上であればエコノミー旅客運賃8,500円が二割引、車1台+運転者1名のエコノミー運賃26 ,000円が一割引になる。商船三井フェリーでは何故かこれをシルバーではなくプラチナ割引と称している。名称はともかく、二人で4,300円安くなるのは有り難い。

  4日の午後1時半に接舷する。しかし実際に車が上陸できたのは2時になっていた。ターミナルを出ると、最初の国道(臨海北通:234号線)を洞爺湖とは逆方向の東へ走る。昼飯を昨年も利用した 「やぶそば」で摂ろうと思ったのだ。ところが生憎改装休業中。仕方なくすぐそばの餃子チェーン店「みよしの」で済ます。
  食後、高速道路を利用して洞爺湖へ向かう。上陸した時は薄日が差していたのに、西へ向かうに従い、小雨がフロントグラスに弾けたりする。キャンセルはいつでも可能とは云え、この程度の小雨は判断に迷いが生じてかなわない。伊達ICが間近になったところで、キャンプすることを決断し 、高速道路を降りた。食材調達のためだ。
  キャンプ場予約の電話をした時、最寄りスーパーマーケット所在も訊いておいた。JR洞爺駅そばにAコープ(農協のスーパーマーケット)があるという。昨年、三石海浜公園そばのAコープが、土曜日5時閉店で慌ただしい思いをした教訓から、日曜日の営業時間を確認すると、「アッ!日曜日はお休みでした」と云う。替わりに教えられたのが伊達にあるポスフールだ。首都圏の人間にとっては聞き慣れないブランドだが、かつてはマイカルに属し、今ではイオンのグループに入り、道内では各地に店舗があるようだ。

 

水辺の里財田キャンプ場。新規購入のアルミフレームワンタッチテントを展開。7時40分。

  この日の晩飯(ツマミ)は、代わり映えのしない献立ながら鍋として、その材料の、長ネギ、人参、春菊、モヤシ、生椎茸、オージービーフ、味噌、豆腐、白菜。刺身用に茹で蛸と翌朝用に無洗米、納豆 、タクアンを買い込んだ。
  ポスフールを出ると、国道37号線を行き、長和ながわで北へ向かう国道453号線に分岐する。洞爺湖畔に向かう途中、昭和新山、有珠山あるいは北の富士記念館などの観光スポットがあるものの、二人ともこの類にはさっぱり興味がなく、そのまま通過した。
  壮瞥そうべつ で国道を逸れ、湖畔周遊道路へ入ると、それまでも少なかった交通量がさらに少なくなる。湖の真北付近で財田キャンプ場の道標を見付け周遊道路から水辺の方へ300メートルほど入るとキャンプ場管理事務所がある。着いたのは5時だった。一泊の料金3,600円を支払い、入場する。
  (1,000円高い)キャンピングカーサイトに4張り、我々のプライベートサイトAに我々も含めて3張りで、全体の収容能力からすると1割程度の利用だから、至って広々快適に使える。アウトドア用フォールディングテーブルを拡げ、T用の4人テントと私用の2人テントを設営、さらにアルミフレームワンタッチテントも拡げる。この品物は昨年、三石海浜公園でキャンプした時、小雨に降られて侘びしい思いをした教訓から購入したものだ。
  一辺が3メートルの四角い領域がカバーされる。しかし税・送料込みで7,235円の低価格に加え、防水仕様ではない製品だけに、駄目元での持参だった。結論から云えば、この晩キャンプ場を時折襲った通り雨に充分有効であったばかりか、三日後の八雲キャンプ場で朝方本降りになった時も、これのお陰で朝飯を普通に摂ることができたのだった。購入者の評価を読むと非常に脆弱な製品らしいから、今回風がほとんど吹かなかったことが僥倖だったのかもしれない。

 洞爺湖の中島。朝5時40分。

  洞爺湖は北に位置する関係で、夏の日没は首都圏より20分近く遅い。そんなことで持参のツマミで酒を呑みながら、のんびりした気分で鍋の支度をする。隣接するテントでも20メートル以上の距離があり、さらにこの日は子供連れが皆無だったため、キャンプ場の中はひたすら静かだった。

4.札幌へ

  翌朝5時半に目覚め、周辺を散策する。どんよりと曇っているものの、取り敢えず降らないのが有り難い。水辺に平行して、特殊ゴムで舗装された遊歩道が設けられている。東へ向かって10分ほど歩くと、キャンプ場の外れに達した。
  来た道とは別のルートを辿り、色々な施設を眺める。カヌーなども置かれていたが、これは別組織の洞爺ガイドセンターが管理しているらしい。キャンプ場の施設としては二階建てのコテージが5棟ある。バス、トイレ、キッチンなどの設備があり、一泊18,000円で6人が泊まれるから、家族連れには向いているかもしれない。
  朝飯は昨晩の鍋の残りに、無洗米二握りほどを入れて雑炊にした。いささか多目ではあったが、ゴミをなるべく出さないために、完食する。
  のんびり撤収作業をしたが、8時には全てが片付く。片付けてしまうと逆に居場所がなくなったような具合で、8時20分にはキャンプ場を後にした。カーナビゲーターは当初、高速道路経由のルートを提示したが、早く着きすぎ、費用が嵩み、道中が面白くない、の三拍子揃って駄目なので、条件を「一般道路」に替えて再検索。中山峠越えのルートを採用した。
  天候はまずまず、通行量は少なく、適度に変化のある国道230号線を北上し10時に中山峠を越える。その後も快調なドライブは続き、この日の宿、リバージュ札幌に着いたのは11時15分だった。 通常で云えば早すぎる到着なれど、これには、「昼飯昼酒を札幌で。」の思惑があった。私以上に酒を愛すTが、運転故に断酒を続けているのは見るに忍びない。
  リバージュは小規模な個人経営ホテルなので、融通が利くものと見込んだ。案の定、11時からの駐車は600円の追加料金で済んだし、2時から(掃除さえ終わっていれば)入室できることになった。これで昼飯昼酒の段取りは着いたわけで、すぐさま徒歩5分のキリンビール園本館へ向かった。
  札幌ならばサッポロビール園が有名だが、観光客が多く、雰囲気が好ましくない。それに宿から至近の距離であることは、呑む場所として大きなアドバンテージだ。ジンギスカン食べ放題・焼野菜食べ放題にオリジナルビール飲み放題付き3,850円をハーフアンドハーフでスタートする。
  結局1時間半弱で、ビール6杯。Tは途中でウィスキーに切り替えたが、ほぼ同量。そして肉のお代わり一回、野菜三回と、プラチナ割引対象の老人にしては、良く飲み食いしたと思う。徒歩5分で戻った宿は予想通り掃除も終了していて、気持ち良く午睡を楽しむことができた。
  夜の部は6時にスタート。馴染みの小春で1時間半。冷や酒5本とおでん、その他のツマミで店の雰囲気を堪能し、もう一軒スナックをハシゴして早々就寝した。

5.富良野・美瑛

  ホテルの朝飯を摂り、8時にチェックアウトする。駐車料金(延長含む)、部屋代、朝食代を合わせ、二人で11,400円は安い。出発時に富良野駅を目的地として、カーナビゲーションをスタートさせる。導かれるままに、札幌ICから道央自動車道に乗り、三笠で降りて一般道を東へ向かう。比較的近年整備されたようで走りやすい道が続き、途中にある富芦トンネルは延長が2728.5メートルで道内最長、開通したのは97年11月だ。10時半に富良野駅到着。

 ファーム富田のサルビア(赤・青)、マリーゴールドなどの畑と背後に香水の舎。

 ポプリの舎テラスから見下ろす花畑。彼方に霞んでいるのが十勝連峰。

  ここへ来た目的は、富良野在住のはとこのRさんに会うためで、待ち合わせ場所を駅にしたのは、双方が車で出会うには好適であろうと彼が指定した。若干のトラブルがあり、実際会うことができたのは11時半になっていた。挨拶もそこそこに、「近辺の見所をざっと案内し、それから昼食に。」と云うことで、彼の先導に従い出発する。
  富良野チーズ工房や富良野演劇工場の辺りをざっと廻って、北に向かい、ふらのワイン工場を遠望一瞥した後、中富良野のファーム富田へ向かう。Rさんはファームのオーナーとも旧知らしく、富良野におけるラベンダーの盛衰をかいつまんで教えてくれた。最盛期には230ヘクタールも栽培されていたのに、貿易自由化により安価な香料が輸入され、さらに合成香料の進歩によりラベンダーオイルの価格が急落し、73年頃にはこの辺りでラベンダーを栽培するのはほぼファーム富田だけになってしまったこと。しかし国鉄のディスカバージャパンの広告写真に採用されたことから観光客が増え始め、さらにドラマ「北の国から」で放送されて一躍有名になったらしい。
  いきさつはさておき、現在の盛況ぶりは、かなり広い私設駐車場に8人くらいの誘導員を配置しなければならない状況からも察せられるし、JR富良野線はラベンダー畑駅なる仮設駅を設け、6月から10月下旬まで「富良野・美瑛ノロッコ号」を停車させることからも裏付けられる。
  Rさんを先頭に園内を半分ぐらい巡る。観光客が多過ぎることには辟易するが、これだけ多いのも宜なるかなと思わせるような見事さでもある。15分ほどの散策で、ファーム富田を後にした。

 

 あぜ道より道の「畑のスパゲティ」。

相変わらずRさんの案内だ。2キロほど離れたところに、ファーム富田の採取用ラベンダー畑があり、そのそばで近隣農家の主婦5人が共同経営する「あぜ道より道」へ向かった。TVや雑誌に紹介され、人気の店らしい。
  店は二階建てでどちらにも客席があり、総席数は40のこぢんまりした造りだ。1時近かったが、ほぼ満席状態で順番待ちかと危惧したが、二階のテーブルに案内される。RさんとTはやさいカレーセット、私は畑のスパゲティを注文した。ちなみにこの店は酒を置いていない。
  窓を大きく取って明るい店内の印象は、主婦5人の共同経営を感じさせるような、素朴で心地良いものだった。天候に恵まれれば、その窓から十勝連峰の景観も楽しめるらしい。最初にカレーセットのサラダが運ばれてきた。Rさんは、「入れ歯を作り直したばかりでまだ上手く噛めないから。」とのことで、遠慮なくこれを頂戴する。間もなくカレーとスパゲティも運ばれてくる。

 日本一長く直線が見通せる(?)道路。

  味に関しては特筆するようなこともないが、材料は全てメンバーの持ち寄りと、出どこがはっきりしている上に鮮度も良いのが有り難い。食事中にRさんが、「この時期は付近の宿泊施設が全部満員になる。泊まるならば旭川になるが、私も一泊するので旭川の居酒屋で一緒に飲みましょう。」と提案する。こちらに異論があるはずもなく、即座に同意すると、携帯電話を取りだして、馴染みの居酒屋女将に今晩3人で行くことを告げた。最後に、「安くしてネ」とも。
  時分どきを過ぎ、店内は次第に空いてくる。こちらもコーヒーで締め1時間弱の昼食を終えた。レストランを出て、直ちに旭川の東横インに電話する。上手い具合に禁煙シングルを三部屋確保できた。
  引き続きRさんの先導に従う。10分弱走って五島純男美術館前で停まった。しかし美術館を見せようと云うことではなく、「此処が日本で一番長い直線道路。」とタクシー運転手が案内するところだと教えてくれた。必ずしも正しくないとも。
  調べてみると、日本一長い直線道路は国道12号線の美唄から北へ延びる29.2キロだ(世界一はオーストラリアの146.6キロ)。これに対して美術館前の東4線道路は15.6キロしかない。しかし此処は始点に立てばほぼ終点までを見通せるという、視覚的に大きな特長がある。美唄の方はほぼ平坦なため、地平線の彼方に道路が消えているといった印象だろうか。


 

桜の山でRさん(左)と記念撮影。背後に見えるのはマルイチ幾久屋の創業者庫三を顕彰する碑で、彼から暖簾分けされて東北・北海道に店を出した人々が費用を出し合ったという。

  直線道路見物後は、すぐそばのRさんが現在経営するマルイチ幾久屋に立ち寄り、次いでマルイチ幾久屋発展の地であったマルイチ十字街、さらに上富良野駅から1キロほどのところにある桜の山を訪ねた。マルイチ幾久屋の所有するおよそ6ヘクタールほどの山林で、自生していた桜に植え足し、現在千本近い数になっている。若木も多く、まだ全山桜満開 の華やかさはないらしいが、数年後が楽しみだ。ちなみにファーム富田の富田氏も、「桜の山は羨ましい。」と云うそうだ。
  現在Rさんはこの山の整備に注力し、桜の植樹のみならず、遊歩道の整備その他に努めている。私より一回り近く年上にもかかわらず、気力体力共に衰えることなく、炎天下に完全装備で二時間以上もエンジン草刈機 を操作することも苦にしないらしい。それどころか草刈り中にスズメバチに刺されること二回の事故を経験しても、桜の山完成への意欲はいささかも衰えることがない。
  半時間近く辺りを歩いた。桜の木の多くに白い札が掛けられ、氏名が記されている。顕彰碑付近は親族の、それ以外のエリアにはRさんゆかりの人名で、記念樹となっていた。
  富良野を後にして美瑛に移動する。四季彩の丘に立ち寄り、そこから拓真館へ向かう。昨年前を通過しながらも、 開館時刻前と早合点して寄り損なったところだ。
  入場無料の館内は比較的空いていた。ファーム富田や四季彩の丘に観光客が蝟集していたことを考えればあまりの違いに驚かされるが、ともかく混雑していないことは有り難い。展示されているのは販売用のサンプルも多く、この場合は同じ元画像からサイズを変えてプリントされたものもある。半切で(356×432mm)10万円程度だ。
  Rさんは前田真三と面識があり、オリジナルプリントを多数頂いたことがあるそうだ。道産品を道外で開催される物産展で販売する際、商品を並べるだけでなく、北海道の風土が理解されるような画像を共に展示したいと語り、前田さんの共感を得たらしい。後日送られてきたのは全紙サイズ程度の作品20数枚で、費用としては実費程度しか受け取らなかったという。
  拓真館を出たのは4時近かった。そこからファームズ千代田や美瑛乗馬クラブの脇を通る観光向きドライブ道路を20分ほど走って、美瑛北部の無料駐車場に入る。駆け足での富良野・美瑛観光の完了だ。ここで一旦Rさんと別れることにする。国道を繋がって走ってもくたびれるばかりだし、ご自宅に用事があるかもしれない。6時の居酒屋行きスタートを約束し、彼の車が走り去るのを見送った。

6.旭川の居酒屋

  二人きりになって、カーナビゲーターの目的地を東横インに設定する。それから約1時間で無事宿へのチェックイン完了。6時までを自由時間として、それぞれシャワーを浴びたりする。
  6時からロビーで待機したが、20分になってもRさんは姿を見せない。訝しく思いフロントでチェックインが済んでいるか確認すると、「チェックイン済みで、部屋に内線電話がかかるのをお待ちです。」とのことだ。意表を突かれた展開となったが、ともかく電話すると間もなく登場。一旦自宅へ寄って電池切れの携帯電話を置き、(入れ歯の具合が悪いから)居酒屋では余り食べられないとコンビニエンスストアで弁当とついでに酒も買い、チェックイン後に食べかつ飲み、内線電話がかかるまでしばしの転た寝をされたそうだ。しかし最近癌の手術をされ、一ヶ月の入院生活を終えてまだ一月、この日も午前中に病院で治療を済まされた後に我々にお付き合いいただいている。驚くべきバイタリティーにただ脱帽するばかりだった。

二軒目に寄ったスナックのママ。

 

  Rさん行きつけの居酒屋は、宿から徒歩10分のところにあった。先客は常連らしいオバサンが三人だけ。Rさんとも顔馴染みらしく、すぐに砕けた会話が始まる。女将とRさんの馴れ初め(?)は、お互いの子供が小学校の同級生であったことだそうだから、ずいぶん長い付き合いだ。他の常連客とはさすがにそれほど長くないだろうが、それでも気の置けない場の雰囲気はこちらにも伝染し、Tともどもリラックスして杯を干す。
  しばらくしてRさんがカラオケのマイクを握る。こちらはカラオケのみならず、ラジオ・テレビの歌謡番組も全く聞くことがないので判らないのだが、彼の説明によれば近頃の渋いヒット曲らしい。さりげなく一曲歌い終えるが、カラオケに対する入れ込み方は相当なものと見受けた。
  飲み始めて半時間ほどしたころ、Rさんがトイレに行くと席を立ち、いつまで経っても戻らない。病後と云うこともあるし、今日タフに案内して廻った疲れが重なり、万が一トイレで倒れていたりしたら大変だ。Tが心配して自らの用足しがてら様子を見に行ったが、トイレには誰もいなかった。それからしばらくしてRさんが戻って来て判ったのは、すぐ近所の(別の)馴染み スナックで盛り上がっていたらしいと云うことで、我々も飲みかけの杯を空けると、そちらへ移動した。
  その後も盛大に飲んだようだ。結局、宿へ戻ったのは9時半近かった。もちろん酩酊後に帰着時間など記憶しているはずもなく、これは胸ポケットに入れて記録をとり続けたGPSロガーから読み取ったものだ。

7.オートリゾート八雲

※黄昏紀行へ

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