***目次***
*地図
旅程
1.旅立ち
2.弘前
3.鶴岡
4.新潟
5.長岡
1.旅立ち
  冬になると雪国を旅する。名付けて雪見酒紀行は私に取って恒例の行事で20年ほど欠かさず続けている。この冬も1月20日に発進した。最初に向かったのは30年来の旧友が住む北軽井沢。此処でまず愛犬ベルを預かって貰い、一泊して雪見酒をスタートする。今年は例年に較べると積雪量が少ないものの、ともかく薪ストーブの前に陣取り、黄昏れてゆく雪景色を見ながらグラスを傾ける。
  翌日も朝酒を二杯干し、バスで軽井沢へ向かった。大宮経由の新幹線で八戸へ。ほとんど雪のない街だけれど、旧知のO夫妻がいるので青森を旅して外すわけには行かない。
上:前半の4日間。新宿→東京→軽井沢→大宮→新青森→鶴岡に使用。
下:後半の4日間。鶴岡→新潟→高崎→軽井沢→東京→新宿に使用。
  予定していた天竜食堂はあいにく臨時休業で、Oさん達が何回か利用した居酒屋にする。特筆するようなことも無い、ごく当たり前の居酒屋だった。日曜日にもかかわらず、Oさんは仕事の関係で盛岡県内の現場へ出勤し、居酒屋へは1時間ほど遅れて登場した。おまけに車を運転してきたし、翌日も早いので飲酒は控えることになった。これが誠に残念で有ったものの、歓談は弾み2時間ほどで焼酎の4号壜が空になる。これを潮に宴会はお開きにした。楽しい一時を提供してくれたOさん達に感謝。
  明くる22日は午前9時22分のはやぶさ1号で新青森へ向かう。はやぶさは全席指定だけれど、通常はこのように東京から離れている場合は立ち席特急券を利用する。座席を指定されるのは嫌いだし、通常であれば八戸辺りで空席だらけになっているから。しかし今回は指定券を予め取った。
  前回の八戸から新青森は修学旅行らしい団体に遭遇したこともあり、立ったままの移動となった。そのことに加え今回利用している「大人の休日倶楽部パス」はJR東日本の全線を4日間乗り放題で、その上に普通席の指定券は6回まで無料なのだ。車内に空席が多ければ勝手に移動できるので自由席と同じだし、混んでいれば27分間の乗車でも、窓際席で景色を眺めながら行く方が良い。
 2.弘前
    新青森からは奥羽線普通列車で弘前へ向かう。通勤通学用のロングシート(縦座席)車輌は、旅情を台無しにするけれど、クロスシート(横座席)は特急列車しかなく、料金は大人の休日倶楽部パス使用で問題ないが、私の望む弘前への到着時刻とはまるで適合しなかった。
  弘前到着は10時42分で、駅前の東横インに荷物を預けると、一番町にある喫茶店壱番館を徒歩で目指す。歩道には僅かな雪しかなく歩きやすい。久し振りに冠雪した岩木山が望まれ、頂上付近は雲に隠れているが、昼飯予定の野の庵へ着く頃に雲が無くなっていれば、城趾公園から撮影しようと淡い期待を持つ。
  これも旧知の壱番館で、セイロン風ミルクティーを2杯のみ1時間ほど雑談に耽った。壱番館からは城趾公園を通り抜けて半時間ばかりで野の庵に辿り着いた。期待していた岩木山はあいにく雲の量が増え、僅かに山麓が覗くだけだった。
  野の庵に先客は中年男が一人だけで静まりかえっていた。私にしては珍しいことだが、今日はここで人に会うはずだ。話は前日に遡る。
 女将の貞子さんから電話があり、「明日の1時頃、Kさんが奥様と一緒にお見えになると予約がありました。」とのことだった。Kさんは弘前の林檎農家で、2年ほど前に野の庵で食事した際、無料配布をお願いしてある私の旅カレンダーを目にしたことがきっかけで交流が始まった。
  ご丹精の林檎を送っていただいたり、こちらからはカレンダー画像を外注でタペストリーに したものを進呈するなどのやりとりがあったが、直接お会いしたことはない。1月の雪見酒紀行は対面する良い機会と思いながらも、はっきりアポイントメントを取るのもなにか仰々しくなりそうで気が進まなかった。そこで簡単に年賀状へ一行、「1月22日の昼に野の庵を訪ねます。」とだけ書いて送付しておいた。これならばKさんの方で気が進まなければ、わざわざ断るほどのこともなく来なければ良いのだし、初対面の印象が双方でしっくりしないときは、挨拶だけで済ませそれぞれ別に食事すれば良い。
  縁側の4人掛けテーブルを選んで着席すると、貞子さんが飲み物を訊く。もちろんお茶などは省略し、焼酎のお湯割をお願いする。野の庵の焼酎銘柄は「津軽海峡」で弘前の造り酒屋六花酒造の米焼酎だ。れっきとした乙類だけれど、癖がなく甲類に近い軽さで私などには飲みやすい。 
大豆を繋ぎにした、「幻の津軽蕎麦」。
  お湯割に続いてお通しもすぐに運ばれてきた。これを飲み食いし寛いだところで、玄関におとないを告げる声がした。貞子さんが対応し、室内へ導くと、「Kさんが見えました。」と紹介してくれる。ご夫妻での来店だった。簡単に挨拶を済ませた後、ともかく同じテーブルを囲むことにする。
  Kさん達は車で来たらしいが、帰りは夫人が運転するということで飲み始めた。かなりの酒好きと見受ける。日頃は津軽の人らしく寡黙なようだが、酒が回るに従い饒舌になる。しかし話がくどかったり、大声を発するようなことはなく、歓談を楽しむことができた。話題は旅の話から、林檎農家の苦労話など、とりとめもないが滑らかに続き途切れることがない。
  一通りの料理が終わると、ほかに客もないので貞子さんが歓談に加わり、さらには亭主の彰さんも加わり一段と盛り上がる。Kさんは夕方用事があり、一旦帰宅した後に出かける予定だったらしいが、「直接行けば良い。」とすっかり腰を据えて飲みかつ話す。
  ついに4時を回ったところで、私だけ退散することにした。会話を楽しみ続けたい気持はあったけれど、焼酎の4合壜がほぼ空になり、おまけに夜の部もこなさねばならず、さらに明日の朝は、弘前発6時26分の列車で鶴岡へ向かう。彰さんにタクシーを呼んで貰い、10分後に早退を辞しながら退席した。
上左:漬け物とお通しの枝豆。上右:鳥わさ。
下:焼き鳥。左から2本ずつレバー、砂肝、ナンコツをいずれもタレで。
  東横インで1時間ほど仮眠を取り酔いを覚ます。5時を少し回った頃に再発進。駅前からタクシーで新鍛冶町の鳥畔へ向かった。弘前で飲むのは昼ならば野の庵、夜はこの焼き鳥屋にほぼ固定されている。
  年に多いとしても2度程度のおとないだけれども、10年以上になるからこちらの顔は覚えていると思う。しかしほとんど言葉を交わすこともなく、黙ってカウンター端の席で1時間ほど飲んで帰るのが此処での定番となっている。つまみも漬け物、鳥わさ、焼き鳥を頼むことがほとんどだ。マンネリといえばその通りだが、別にそれで構わないしこんな風が寛いで飲めると思っている。
  6時半にお湯割小ジョッキの3杯目が空になり、つまみも全て平らげた。日頃に較べれば少な目だけれど、昼酒の残滓も考え早目に切り上げる。
3.鶴岡
  小雪が舞いまだ薄暗い6時10分にホテルをでる。徒歩1分で駅に着き3番線ホームへ行くと、6時26分発快速秋田行きは、始発駅なので既に入線していた。吹き曝しのホームで待たずに済むのはありがたい。こんな早い時刻に乗車したくないが、一本遅い列車だと鶴岡着が2時46分と中途半端だ。途中で昼飯昼酒ならば秋田しかないけれど、秋田駅付近は随分探したが良い店がない。
  以前は迎賓館なる居酒屋がランチ営業していて、命名は最低のセンスだが、ランチタイムでも居酒屋メニューを提供してくれるのがありがたく数回利用した。しかし今は閉店している。秋田大学そばのトンカツ屋は安くて旨いの良い店だが、駅からちょっと遠い。その他何軒かを試してみたが、どれも意に染まぬ店ばかりだった。
  そんなことで早朝の列車に乗り込み、ロングシート車輌から見る味気ない風景に辟易しつつも、運行は定刻通りだった。秋田で36分待ちいなほ8号に乗れば、鶴岡まで直通し11時6分に着くことができる。吹き曝しのホームで所在なく待っても仕方がないので、途中下車で改札を出た。
  東西自由通路には店が並び、暇潰しにぶらぶら歩きながら駅そばしらがみ庵の店頭お品書きを閲す。アルコール類は生ビール、日本酒、地酒がありこの手の店としては充実している。さすが日本酒の一人当たり年間消費量が全国2位だけのことはあると納得。ちなみに1位は新潟で14.6リットル、秋田は9.7リットル。酒飲み県だと思っていた、高知は意外に少なく6.6リットルで16位で東京の15位に次ぐのだった。
  お品書きで不可解だったのは日本酒の下に括弧書きで「小びん二本」と書かれ、値段は600円。1合壜が2本なのだろうか?店内にはテーブル席もあり、時刻が早いので空いている。2本を一気飲みしようかと思ったが自制した。
  11時6分に到着した鶴岡では小雨に変わっていた。駅から今宵の宿ともえ旅館までは徒歩5分なので傘も差さないまま行く。鶴岡での定宿としているこの旅館は、昔ならば商人宿などと呼ばれた類で、現在は工事関係者などが長期利用し、一泊二食で利用しているようだ。
  そんな宿なので素泊まりだと一泊3,000円と安い。廉価なのはもちろん魅力だが、それ以上に部屋が空いていれば早い時刻でも利用でき、そして空き部屋は必ずあることが一番の利点だ。昼酒の後に、3時まで待たされることなく昼寝ができるのが嬉しい。午前中に着いたらば、玄関の上がり框にメモと鍵が置いてあり、「××号室をご利用ください。」と記されていたこともあるが、このように柔軟な対応をしてくれることもありがたい。
  この日は女将と亭主が迎えてくれた。ここ数年は毎年個人製作カレンダーを送っていることもあり、歓迎してくれる。部屋に落ち着きメールチェック(こんな下宿旅館でも、最近はWi-Fiが利用できる)をしてから昼飯に出かけた。本降りになっていたので折り畳み傘を取り出して行く。
上:ザーサイ。下:サービス定食の五目野菜炒め。
  目指したのは市街中心部にある蕎麦屋「やぶ」だ。1935年に創業した老舗らしい。昨年の雪見酒紀行で、鶴岡銀座商店街にある小粋なキッチングッズの店ケトルワンに立ち寄り、コーヒーを飲みながら鶴岡の飲食店に関し、昼酒に適した店を訊いたとき教えられた。雰囲気のありそうな蕎麦屋と期待していたが、店の前に立つと暖簾がでていない。
  玄関の引き戸が少し開いていたので、中へ入る。テーブルや椅子には白い布がかぶせられ、入ってすぐの所で若い男女が弁当を売っている。訊いてみればやぶ蕎麦は東京へ進出し、こちらは営業していないとのことだ。
  ガッカリしたけれど仕方がない。結局昨年と同じ中華料理屋の桃園へ転進した。この店も創業40年以上のそこそこ老舗で、落ち着いて飲食を楽しむことができる。昼のサービスランチは6種類からメインを選ぶことができる。豚肉とピーマンの炒め/エビのチリソース煮/五目野菜炒め/カニ玉/マーボー豆腐/鶏の唐辛子炒めだ。五目野菜炒めを選んだ。紀行文執筆にあたり昨年の紀行文を読み返したところ、同じものを選んでいた。結局こんなのが好みに合うということか。
 焼酎のお湯割を配合比1:1で注文し、取り敢えずのつまみにザーサイも頼んだ。お湯割が運ばれてきたとき餃子も追加する。店内にはカウンター席に先客が一人だけ、座敷にも客はいるようだが二人ぐらいで、静かな雰囲気で落ち着いて飲むことができる。まもなく運ばれてきたザーサイは私の知る(桃屋の)ザーサイなどとは異なり、とろみの多いもので旨かった。
  1時間弱で3杯のお湯割とサービスランチ、ザーサイ、餃子を平らげて昼飯昼酒を完了する。ともえ旅館へ戻り昼寝した。
上:お通し。中:ウマヅラ刺身。下:モツ煮込み。
  夜の部は5時にスタートした。いつもの居酒屋堂道(どうみち)は宿から徒歩5分だ。店に入るといつも利用するカウンター席には珍しく先客がいた。夫婦らしい中年男女で、常連なのか板場にいるオヤジと親しげに話ながら相撲中継を観ている。どうやら出かける途中に観戦のため立ち寄ったようだ。中継が終わるとそそくさと席を立っていった。
  焼酎をボトルで頼もうと、お品書きをみると、乙類3種と共に一つだけ甲類があった。居酒屋のボトルで甲類を見かけるのは(北海道では一般的らしいが)珍しい。「爽」で見たことのない銘柄と思ったら、山形の酒造会社金竜が、山形限定で販売している焼酎だった。
  しかしこれを地酒とは呼べないだろう。乙類は芋、麦、米などのモルト(醪)を単式蒸留装置で作るため、不純物が残り、それが風味となる。しかし甲類は廃蜜(糖蜜)などの安い原料からモルトを作り、これを連続蒸留装置で97%まで純度を高めたものを水で割り直して作る。地方の違いが出るとしたら割る水の違いぐらいしかない。
  しかし日常的に飲んでいるのは甲類だし、製造法から判るように癖が全くない。これを好む上に価格が安い。堂道の値付けは乙類だと訳3,000円だが爽は1,800円なのだ。これをお湯割で飲むことにした。
  お通しでお湯割を飲みながらつまみを考える。冬の鶴岡ならばウマヅラ(ハギ)の刺身が良さそうだ。後は煮込みと赤カブの漬け物も頼む。
  1時間ほどで気持ち良く酔う。ボトルは空になり、ジョッキに少々残った。つまみは赤カブが皿の上に数切れ。以前ならば全部綺麗に片付けたが、年のせいかそこまでやらなくても良いだろうと席を立つ。
目次へ
4.新潟
山形県鶴岡市温海暮坪付近
  翌朝は10時6分の村上行き普通列車で新潟方面へ向かうことにし、それまでの待ち時間はともえ旅館の自室で、朝日新聞デジタルの夕刊、朝刊に目を通した。読み終わってしまうとスマートホンのフリーセルで時間潰し。
  ちなみに昼飯予定の新発田へ行くには、11時6分発のいなほ8号(昨日鶴岡まで利用した列車)に乗れば良い。大人の休日クラスパス利用だから料金的には同じだ。しかし旅先で部屋に引きこもりひたすらフリーセルというのも気が引ける。普通列車がロングシートだったら忌避したかもしれないが、この辺りではクロスシートなので、各駅停車でノンビリ行くことにした。
  10時少し前になって、女将に別れを告げ、しんしんと降る雪の中を駅へ向かう。村上発の普通列車は鶴岡で6分間停車し、早目に入線するのがありがたい。車内は1割程度の乗車率だ。
  20分ほど雪に覆われた庄内の田圃風景の中を行き、三瀬駅を過ぎると海岸沿いになる。風景は打って変わって崖が渚まで迫り、僅かな平地に国道と線路か並んで行き、所々に聚落がひっそりと固まっている。笹川流れの名勝はまだ先だが、冬の日本海風景としては五能線よりも優るかもしれない。
笹川流れの眼鏡岩付近。
  鼠ヶ関駅を過ぎるとまもなく県境で、新潟県に入る。50分ほどで村上に到着した。此処で20分ほど待ち、いなほ8号で新発田へ向かおうと、取り敢えず待合室へ行く。ところがまもなく構内放送で、「特急いなほ8号は山形県内で66分の遅れが生じています。このため新潟へは12時24分発の普通列車が先の到着となります。」と告げられた。
  鶴岡を1時間早く出る際に、このような事態など思い浮かぶこともなかったが、結果的に良かったようだ。構内放送は遅れの原因に言及しなかったけれど、降雪のせいではないように思う。昨年の雪見酒紀行でもいなほ8号は仁賀保付近で強風のため徐行し、大幅に遅延したのだった。ちなみにその時は、「徐行は脱線対策に有効なのか?」と思ったが、2005年の脱線死亡事故は、コンクリート製の豚舎に列車が激突したことによる。したがって徐行は被害軽減対策としては確かに有効だろう。
上:カツ煮。下:レバニラ炒め。
  新発田に着いたのは4分遅れの1時2分だった。駅から徒歩1分の渡長食堂へ入った。 16年の5月14日に新発田で昼飯昼酒をやったときは、最初隣の本田食堂へ入り、小上がりしか空き席がなかったので渡長食堂を利用した。新発田で食事するなら一度は本田食堂と思うのだが、その後三回の新発田訪問は、定休日の水曜ばかりなので未だ縁がない状態が続いている。
  30人ぐらいは入れそうな店内は時分どきを過ぎているせいか空いていた。お茶を運んできたウェイトレスに焼酎のお湯割(半々)を注文してからお品書きを見る。結局前回と同じカツ煮と久し振りにレバニラ炒めを注文した。
  お通しでお湯割を飲んでいると、まずレバニラ炒めが供され、5分ほどしてカツ煮も出される。特筆するようなこともないが、どちらの料理も私の好みに合い旨かった。
  青森駅前のおさない食堂や、岡山のつるや食堂などでは昼から普通に飲んでいる姿を見かける。しかし渡長で食事しているのは近所や出張らしいサラリーマンだとか、付近に現場のある職人、買い物帰りの主婦などで、飲酒するような雰囲気は全くない。もちろん私としては廻りに関係なく飲むだけなのだが。
  1時間弱で昼酒を終え駅へ戻る。駅舎に辿り着いたとき、構内放送で新潟行き普通列車が6分遅れでまもなく到着することを告げた。定刻であれば乗り遅れたのが、ほぼベストのタイミングで乗車できる。駅前の東横インにチェックインし、夜の部に備えてしばし仮眠。
上、下左:古町のラッシュで供された料理。下右:古町界隈の雰囲気。画面左にNさんとその右はラッシュのママ真由美さん。
   付近のチェーン居酒屋、「かっぽうぎ」で、新潟在住のNさんと落ち合う。ちなみに彼は私の雪見酒紀行に、秋田、仙台、宇都宮などで付き合ってくれた人で、元は会社の同僚(後輩)だ。定年後に勤務を延長し、現在は新潟に単身赴任している。
  かっぽうぎは簡単に済ませ、タクシーで北日本有数の歓楽街とも言われる古町へ向かった。かつて北前船の寄港地として栄えた新潟湊の頃からの伝統ある繁華街だろうか。
  古町の中心部でタクシーを下車し、メインストリートに面してあるビルの1階に目指す店はあった。フード・バー ・ラッシュは、「野菜ソムリエのいるBAR。心と身体に優しい手作り料理とお酒を楽しむお店」を標榜し、カウンターとテーブル席一つのシックなところだ。入店したのは6時20分ぐらいで時刻的に早かったせいか(開店は6時)先客はいない。予約してあったらしいテーブル席に落ち着く。
  お奨めのオードブルなどで焼酎のお湯割を飲む。1時間ほどしてNさんが鴨のローストを追加注文した。8時を少し回ったところで、古町探訪をもう少しやろうという事になった。降雪のために発生した渋滞に巻き込まれ、遅くなって到着したママにお奨めの店を訊くと、「お婆さんが二人でやっている、雰囲気の良いところがあります。」と推奨の上、少し判り難いところだからと、わざわざ店を出て案内してくれた。
 
 
三軒目の居酒屋でお通しと焼き魚。  
    雪に覆われた雰囲気の良い裏通りを行くこと2分で、ママはちょっと路地を入った店を指し示すとラッシュへ戻っていった。店構えは地味だが好みに合いそうだ。しかしドアを開けて入ってみると、カウンター席にジイサン三人が陣取り、一人がカラオケマイクを握って大音響で唸っている。
  ともかくカウンター席は論外の状況で、テーブル席に坐ると、Nさんはトイレに入った。やっと熱唱が終わったと思うと、隣のジイサンがマイクを奪い取るようにして別の曲を唸り出す。こんな所ではまともな会話もできない状態だ。これは我慢できないと、トイレから出てきたNさんを促して店を出た。
  結局ラッシュから裏通りへ出た辺りにある居酒屋に入った。ごく一般的な店だけれど、この時はカラオケがないだけでホッとした気分になる。
  この居酒屋で1時間ほど飲み、駅前界隈へ戻りもう一軒行くことになった。昨年の雪見酒紀行で寄った、弁天町の春来(しゅんらい)軒をリクエストする。しかし店の前まで辿り着いてみると休業していた。
  近くの居酒屋で軽く飲んで今宵はお開きとする。
目次へ
5.長岡
    いよいよ雪見酒紀行も最終日となった。昨晩の雪は一夜明けても降り続いていた。在来線には遅れや運休がでているようだが、上越新幹線は取り敢えず大丈夫らしい。
  旅立つ前にいつも作っている旅程表を参照し、10時8分の上り列車に乗るべく9時50分に宿を出た。駅までは1分だが、構内は長年続く改修工事のため、かなりの迂回をしいられる。
 新幹線改札口に辿り着き、電光掲示板で再確認すると、上り列車は10時15分発だ。少し早めに来すぎたかと思いつつホームへ行くと、既に入線している2階建て車輌の乗車口には意外なことに10人以上の列が出来ている。
  在来線が雪のせいで運休しているしわ寄せらしかった。まもなく乗車が始まり、幸い2階席の窓際に坐ることができた。旅程表で長岡まで1時間20分を見込んでいたので(若干訝しく思いつつも)窓際を選んだのだった。発車後に長岡到着時刻が10時38分とアナウンスされ、通路側の席を選ぶべきだったと後悔する。2階建て車輌の普通席は総て3人並びなのだ。
上:お通し。中上:漬け物盛り合わせ。中下:串カツ。下:野菜炒め
  燕三条でも自由席車両の乗車位置には乗客が20人ぐらい並んでいたし、長岡も同様だった。ともかく臨席の人に詫びつつ下車する。駅のコンコースで手違いの原因を考える。旅程表作成で手抜きをし、昨年9月のものを、そのままコピーペーストしたのが良くなかった。あの時は長岡に早く着きすぎるのを避けることと、ついでに特急料金などをケチり、新潟から長岡まで信越線の普通列車を利用したのだった。
  新潟から長岡まで新幹線で1時間20分もかかるはずはないのだが、新潟には土地勘がないため気付かなかった。ともかく昼飯を予定していた東坂之上町の(ランチ営業をする)居酒屋、たか橋へ向かう。しかし予想通りまだ開いていないし人の気配も全くない。それではと3分移動して同じく居酒屋きよ志へ転進した。
  11時に辿り着き、開店時刻にピッタリだった。カウンター席の端に坐ると、暖簾を出したばかりの女将が、「そこは出入りがある度に風が吹き込んで寒いですよ。」と気遣ってくれた、旅先だとこのようなちょっとした親切で気持が和む。テーブル席を進められたものの、今は空いていても時分どきには結構混みそうだ。カウンターの一番奥へ移動した。
  席に着くとともかく焼酎のお湯割を注文した。焼酎の種類を訊かれたので、「有れば甲類、なければ麦。」と答える。女将が取り出したボトルを見ると、幸い甲類だった。
  きよ志を利用するのは三度目で、前二回は日替わり定食のご飯抜きを頼んだので、今回も同様にするつもりだった。しかし、「今日の日替わりはカレーなのでお酒には合わないでしょう。」と云われる。
  居酒屋のランチ営業では定食以外は受け付けないところが多いけれど、此処ではお品書きの総てではないようだが受けてくれるらしい。まだ時刻が早く、客は私一人だったのも幸いだったのかもしれない。串カツと野菜炒めを頼むと、両方とも受けてくれた。
  お通しで飲んでいると、他の料理が中々供されない。繋ぎに漬け物盛り合わせをこれならすぐ出されるだろうと追加注文する。見込みはあたったが、量が多すぎてかつ旨いものの塩分が強すぎる。これは半分ぐらい食べるのがせいぜいだ。
  注文から15分で串カツが出され、数分遅れで野菜炒めも運ばれてきた。改めて落ち着いた気分で飲み始めた。時分どきにはそれなりに混んできたが、6人掛けのカウンターには多くても私を含めて3人で、すぐ隣の席でタバコを吸われるような災難にも遭遇せずに済む。
  1時間半弱で、お湯割三杯と、漬け物以外は完食した。後は高崎で乗り換え、愛犬ベルを引き取れば終わりだ。そんなことで本紀行もこの辺りで筆を置きたい。
目次へ
 ―― 雪見酒紀行2018完 ――
  黄昏紀行へ
inserted by FC2 system