***目次***
*地図
旅程
1.旅立つまでに
2.北軽井沢
3.八戸
4.青森の昼酒
5.函館大門横丁
6.弘前 壱番館、野の庵、鳥畔
7.酒田、鶴岡方面上り列車
8.鶴岡の居酒屋
9.新発田で昼飯
10.新潟で友と梯子酒
1.旅立つまでに
   長いこと続けている冬場の雪見酒紀行だが、いつ頃から始めたのか旅に関するメモ(データベース)を開いてみた。93年1月に、竜飛、小泊と弘前を旅したのが始まりらしい。竜飛は前年の5月が初めての訪問で、この時泊まった奥谷旅館が私の好みに合う宿だった。
  質素な宿だけれど、本州の北端にあり、海峡を越えて函館が望まれる地でありながら、青森から比較的容易にアクセスできるため、古くからあまたの旅人が訪れている。ちなみに本州最北端は、下北半島の大間岬だ。此処に投宿した有名人としては、太宰治が津軽半島を周遊中に数日滞在し、小説「津軽」にも記述されている。
  その他、無名時代の棟方志功が1ヶ月ほど滞在して風景を写生し続けたり、映画「砂の器」全国ロケが此処からスタートしたそうだ。
 私が泊まったとき、女将の奥谷光江さんは70代半ばだったが、たった一人で宿の切り盛りをしていた。「私一人で面倒を見られる人数だけにして、あとはお断りしています。」とのことだった。そんなことで数年間通ったが、一人だけのこともあり、多くても同宿者は3人程度だった。
  食事を供される一階の広間は、冬の間中雨戸を立て切ったままだったが、彼女の手料理は心の籠もったもので、それで飲む酒は旨かった。ちなみに「常温冷や」で出される酒はビックリするほど冷たい。何しろ台所の常温がマイナスだから、そこに置かれている酒も冷蔵庫以下となるのだ。しかしこれも良き思い出で、懐かしさと共に奥谷旅館を偲ぶ。
  99年に(多分ご高齢により)奥谷旅館がその営業を終え、縁が切れてしまったが、東北(部分的に北海道)を冬期に旅することは途切れずに続いている。
 2.北軽井沢
  私一人と犬一匹で暮らしているため、旅に出るときこの愛犬ベルをどうするかが問題となる。短期の場合は近所に住む姉に頼むが、集合住宅でペット原則禁止の決まりもあり、数日以上頼むのは無理がある。
 そこでここ数年お世話になっているのが、北軽井沢在住のYさんだ。近隣の家屋は離れているためペットを預けることに何ら問題はない。
  彼女との付き合いは30年以上になり、その始まりは阿佐ヶ谷の酒場だった。要するに長続きしている飲み友達なのだ。パートナーのNさんと同居しているが、今回彼は横浜へ長期出稼ぎ中で、この人とも阿佐ヶ谷時代からの付き合いなので、不在はちょっと寂しかった。しかしその代わりに、Yさんとはじっくりノンビリ飲みながら話すことができた。
 3.八戸
   北軽井沢で2泊し、いよいよ北へ向かって旅立つ。Yさんとベルに見送られて、北軽井沢のバス停から路線バスで軽井沢へ。軽井沢で半時間ほど待たされ、はくたか558号で大宮へ。此処でも半時間ほど乗り継ぎ時間があり、缶酎ハイ二つを買い込んではやぶさ19号に乗車する。
  車内は9割ほどの乗車率で、半ばやむなくではあったが指定席をとっておいて良かった。二人掛け席の窓側に坐り、缶酎ハイを飲みながら車窓風景を楽しむ。那須付近では雪景色を遠望できた。
 
  仙台で乗客の約半数が下車し、盛岡で残りの半数がまた下車する。はやぶさに乗るのは遠方へ行く人が多いと誤解していたが、停車駅が少ない(大宮の次は仙台)ので、急行として利用する人が多いのだ。最初から指定席に座るつもりの人にとってやまびこのメリットはない。
  定刻の3時4分に八戸へ到着した。太平洋側で海に近いこの街は、ほとんど積雪がない。徒歩3分の東横インに投宿した。雪のない八戸へ立ち寄ったのは、長年の付き合いがあるOさん夫婦と会うためだが、駅前の居酒屋えびす屋での待ち合わせ時刻は5時半だ。風呂を浴びた後に一眠りし、車中での酔いを一掃した。
  待ち合わせ場所は駅前のえびす屋で、宿からは徒歩3分ほどだ。みはからって5時半丁度に店へ入ると、Oさん夫婦は先着していた。久闊を叙し、ともかく乾杯して飲み始める。
  二人に会うのは一年ぶりで、この前の雪見酒紀行以来となる。ちなみにその時は往時の遊郭が、ほとんどそのままの建物を使用して現在は旅館として営業している新むつ旅館に逗留し、宴会もそこで行った。残念ながら宴会場所は、遊郭廃業後に宿泊施設として増設した部分の食堂だったが。
  一年のブランクとは思えないようにすぐ打ち解けて歓談が弾む。しかし話に夢中になって、料理の撮影は歓談開始前の2枚だけになってしまった。何しろ雪見酒紀行の目指す所は、冬の旅を楽しむことなのだから。2時間半ほどで大酔し、8時ちょっと前にお開きとなる。ちなみにこの時刻など記憶しているわけではない。あとでスマートホンのGPSログを見たらば、この頃合いに宿へ向かって歩いていたのだ。
 4.青森の昼酒
   翌朝は10時32分のはやぶさ3号を利用して立ち席特急券で新青森へ向かう。もちろん車内はがら空きだ。新青森から奥羽線で一駅、190円の乗り越し料金を払う。
  八戸からは青い森鉄道(旧東北線)を利用して、乗り換えなしでも行けるが、時間がかかる上に特急料金なしでも1,630円高くなる。これは三つの要因が積み重なった。JRの乗車料金体系は長距離になると単価が下がるし、青い森鉄道は赤字路線だから単価が高い。かててくわえてJRでないとジパング倶楽部(65歳以上を対象とした有料会員制割引。200キロ以上旅すれば3割引になる。)割引が適用されないためだ。
  小雪の舞う青森駅から駅前食堂おさないへ直行した。年に一度か二度の利用だけれど、20年ほどの付き合いなので、すっかり顔馴染みになっている。女将に頼んで暫時荷物を預かって貰い、徒歩3分の古川市場へ急ぐ。
  いかにも地方都市の古くからある感じのする市場で、利用者は地元と観光客が半々ぐらいだろうか。此処に工藤帆立というホタテ貝の専門店があり、数回利用したが良質なものが安価に購入できたと思っている。しかし昨年暮れに電話注文しようとしたところ、何回電話しても応答がない。廃業したのかと諦めたが、その後青森出身の友人に話したら、「暮れに通常営業してました。忙しかったので電話に出なかったのでしょう。」の意外な情報だ。
  市場に着いてみると、確かに以前と変わらぬ様子で営業している。着日を指定して特大帆立を送って貰う。北軽井沢へはベルが世話になっているお礼と引き取りに行ったときのツマミ用に。自宅へは近隣の飲み友達に青森の土産としても利用する関係があり帰宅後に着くよう手配した。
上左:天然平目刺し、縁側付き。上右:帆立貝焼き味噌、ウニ入り。下左:スケソウダラの白子煮。下右:けの汁。
  工藤帆立が健在なことに満足し、おさない食堂へ戻り、寛いだ気分で昼酒を始める。女将が注文を取りに来たので訊いてみると、やはり焼酎は扱っていない。持参のスピリタス(ポーランド産のウォッカでアルコール96%は世界最強だ)を水割りで飲む我が儘を許して貰う。もちろん持ち込み料金は払うつもりで。
  旅の計画立案時に、この日の昼酒を何所にするか悩んだ。おさない食堂は何年も連続だし、新青森から乗り換えて行くのも不便だ。しかし函館へ直行すると、昼酒の場所として自由市場の市場亭など思い浮かべてみたが、観光客相手の雰囲気が強いし、何よりも宿が3時を過ぎないとチェックインできないため、昼酒後の時間消化に難点がある。かと云って昼酒を遅くすると、夜酒に適さない。結局マンネリでもおさない食堂に落ち着いた。
  グラスを二つ用意して貰い、スピリタスを僅かに注ぐ。もう一つのグラスで店のウォーターサーバーから水を汲んできて、8倍ほどに薄める。気をつけないと簡単に飲み過ぎになる。
  つまみはほぼ必ず注文する、帆立貝焼き味噌と、今日のおすすめカードから天然ひらめ刺身を選ぶ。ちなみにこのカードは手書きされているが、何年も内容は変化していない。
  時分どきになり客も増えたが、日曜日のせいか満席になるようなことはなく、落ち着いて飲むことができた。1時近くなり、けの汁を追加注文して昼酒を締める。
  1時12分の列車で一駅戻り、新幹線に乗り換える。新青森から新函館北斗までは初乗車だけれど、別段の感慨もなく通過した。函館へ着いたのは3時2分だった。帰りの切符を購入する。
  函館→新青森→弘前→秋田→鶴岡→新発田→新潟→高崎→軽井沢までが1枚で、さらに連続切符を軽井沢→都区内で購入する。通常料金ならば連続にする必要は無いが、ジパング割引を適用するためには軽井沢から都区内が200キロ以下のため、このようにしなければならない。
 5.函館大門横丁
   宿で一休みし、4時半頃に徒歩3分のひかりの屋台大門横丁へ向かう。この横丁は大門地区の再開発によりできたところで、他の町(例えば仙台など)に残る、自然発生的な横丁とはかなり印象が異なる。人為的と云おうか陰影にかけるので、あまり好きになれない。しかしだからと云って自ら好みに合った店を探すほどの気力はない。それに駅前周辺で見る限りは、居酒屋の類が何処も観光客相手であることが見え透き、とても入る気になれないところばかりだ。
上:はこはち漁港のお通し。下:ホヤの塩辛。
  そんなことで大門横丁に通い続けている。顔馴染みの店が二軒あり、最初に目指したのは午前11時から通しで営業している焼き鳥屋、光味亭だった。しかし生憎臨時休業している。
  もう一軒の馴染みは5時からの営業なので、適当に見繕って居酒屋はこはち漁港へ入った。
 先客は居らず、経営者らしい中年カップルがカウンター席でタバコを吸っている。此処で飲むのはやめようかと一瞬考えた。しかしすぐにタバコを消したし、換気扇が効いているのかタバコの臭いも気にならなかったので、ともかく少しばかり飲むことにした。焼酎のお湯割(焼酎とお湯を半々)と、ホヤの塩辛を注文する。お通しは枝豆だった。
  女将にどこから来たか訊かれる。女将にしてみれば余り意味のある質問ではなく、話のとば口になれば良い程度だろう。それでも一応律儀に、「住まいは神奈川の川崎、今日は八戸から来た。」と答える。他に客のいないこともあり、これをきっかけに何かと話しかけてくるが、こちらとしては初対面ですぐ打ち解ける質ではないし、彼女のセンスとあまり相性が良くないこともあり、最低限の返答だけしていたら、そのうち黙ってくれた。
  長居をする店ではないと思ったが、それでも二杯飲んでから勘定にする。半時間ほどの滞在だった。
上左:お通しの煮物。
下左:鰊漬け。
上右:あん肝豆腐。
下右:味噌汁。
  1分もかからず、居酒屋ヤマタイチに入る。何となく好みに合うところで、寛いで飲める店だ。客は大門横丁にしては常連客が多いようで、私のように旅行者常連も少なからずいるらしい。
  焼酎のお湯割を半々で頼む。此処は焼酎甲類も置いてある。居酒屋としては少数派かもしれないが、癖がなく飲みやすいし、値段が安いことも歓迎で、女将はたまにしか来ない客にもかかわらず、如才なく札幌ソフトでお湯割を造ってくれた。
  お品書きを見るが、それほど食欲もなく、あん肝豆腐を注文した。あん肝の廉価版と云うことか。卵豆腐と同じような作り方をするらしい。特別旨いものではないけれど、酒のツマミとしては良いものだ。
  一杯目を飲み干したところで、お品書きを再見する。鰊漬けを発見。これは好物であり、なんと云っても北海道の郷土料理だが、1年以上食していない。ということでこれを追加した。
  あとはひたすら飲むばかりで、4杯目が空になったところで飲み足りた気分になる。味噌汁を頼んでお開きにした。宿へ戻ると、まだ6時半にもなっていなかったが、おとなしくそのまま就寝する。
 6.弘前 壱番館、野の庵、鳥畔
  函館を8時54分発の札幌行き特急スーパー北斗5号で新函館北斗まで行く。この区間特急券(自由席、乗り継ぎ割引、ジパング倶楽部割引適用)150円を購入しなければいけなかったが、誤解していたため無賃乗車となる。新青森から青森は特急を利用しても無料なので同じだろうと思い込んでいたためだ。
  他には特筆することもなく、新青森で奥羽線普通列車に乗り換え、弘前へ到着したのは11時25分だった。駅前の東横インにチェックインし荷物を預け、カメラバッグだけを持ちでかけた。
  駅前でタクシーに乗車し、一番町の喫茶店壱番館へ向かう。このところ固定的になっている弘前でのコースだ。ドアを開けるとママが笑顔で迎えてくれた。華奢だけれど感じの良い人だ。数年前から自製カレンダーを贈呈していることもあり、店を訪ねた回数が少ない割には親しくなっていた。
  セイロン風ミルクティーを注文する。ちなみに壱番館では、他にコンチネンタル風ミルクティーがある。セイロン風は茶葉を一旦少量のお湯で煮て茶葉を戻したあと、ミルクを加え煮沸する。コンチネンタル風は濃いめに淹れた紅茶にミルクを加える。
  セイロン風ミルクティーは好みだが、自分で淹れることはない。理由はつまらないことで、出し殻の茶葉と共に廃棄されるミルクを勿体なく思うためだ。しかし他人がこのプロセスを処置してくれれば気にならない。かくて年に一、二回だけセイロン風ミルクティを喫する。
野の庵から見る西濠と春陽橋。
  ミルクティーと他愛のない雑談をしばし楽しみ、壱番館を出て弘前城西濠にある野の庵へ向かった。10センチくらい積もった新雪で歩きにくかったが、何とか短靴のウォーキングシューズでも靴の中まで雪が入ることなく歩けた。
  弘前城址を横切って行く。足許が良ければ多少の寄り道も考えるが、そんな気にはなれない。それに曇り空で岩木山などの景観も隠されていたのでなおさらだ。
  西濠に架かる春陽橋を渡ると野の庵が見える。ガラス戸越しに見る限り、明かりは点いているが人の気配はない。回り込んで玄関から入り声をかける。女将の貞子さんが何時もの笑顔で姿を現す。やはり先客はいなかった。縁側の席を選ぶ。本格的な雪見酒だ。
  一旦奥へ入った彼女は、おしぼりと共に木履を手にしてテーブルへ来る。雪で靴下を濡らしていたら、乾かす間これを履いてとのことだが、幸い濡れずに済んだので気遣いに感謝しつつ辞退した。
上左:突き出し。
下左:突き出し拡大。
上右:突き出し拡大。
下右:お造りと生岩牡蠣。
  お品書きなどは供されず、すぐに突き出しと焼酎のお湯割が運ばれてきた。長年の付き合いで、いつの間にかこのような形になったが、親しい知人宅でもてなされているような居心地良さがある。さらにはこの場を独り占めしている贅沢さが満足感を強めた。
  お湯割の一杯目はすぐ空になった。二杯目からは少しペースを落とす。せっかくの贅沢さをゆっくり堪能したい。貞子さんはお湯割などを運んでくるとき以外も、度々テーブルに来て立ち話をして行く。別段内容はないけれど、昼酒を飲みながら気持が和んでいった。
  お造りなどをオーナーで板前の正一さんが運んできた。昨年の雪見酒紀行では一人手伝いがいたけれど、少なくとも今日は夫婦二人だけでやっている。ますます知人宅の様相だ。
  しかし失敗もあった。昼酒を楽しむことにうつつを抜かし、お造りに続いた焼き魚、天麩羅、幻の津軽蕎麦などの撮影を失念したのだ。八戸の二の舞だった。しかしこれも八戸と同じ理由で良しとしよう。
  3時近くなってコースが総て終了する。焼酎も3合ほど飲んだであろうか。大酔したわけではないが、40分ほど歩いて帰るのも大儀になった。タクシーを呼んで貰い、佐藤さん夫婦に見送られて東横インへ向かう。
 
 
 
上左:お通しの枝豆。上中:鳥わさ。上右:大根漬け物
中:焼き鳥カシラ。下:焼き鳥レバー。
 
  宿へ戻って一眠りしてから、夕方は5時になり出かけた。小雪が舞っているので再びタクシーを利用し、新鍛冶町の鳥畔へ向かう。先客はカウンターに二人だけだ。一人は七十過ぎと見受けたが旺盛な食欲で焼き鳥をモリモリ食している。もう一人は持ち帰りの焼き鳥が焼き上がるのを待っているらしく、ビールをひっそり飲んでいた。
  何時も坐るカウンターで一番入口に近い端に席を占める。常連さんに対する遠慮もあるが、それ以上に煙害対策だ。
  相変わらず寡黙なオヤジと、男子学生らしいアルバイト二人の態勢だ。学生アルバイトが何年も続く、はずもないが印象は良く似ている。大学のクラブなどでリレーしているのだろうか。
  焼酎のお湯割と、鳥わさ、漬け物を注文する。此処のお湯割は中ジョッキで供される。一杯目を飲み干して、追加を注文するついでに、「焼き鳥屋に来たのだから焼き鳥を。」と、カシラ、レバーを敢えてタレで頼んだ。
  一時間ちょっとで3杯のみ、気持ち良く酔ったし眠気も催す。店を出てかくみ小路を抜け土手町筋へでる。折良くタクシーが来たので迷わず乗車した。一日に四回もタクシーを使うなど、かつてなかったことだ。年のせいだろう。
 7.酒田、鶴岡方面上り列車
上:奥羽線、前方に早口駅跨線橋。運転士は比較的珍しい女性だった。
下:羽越線、仁賀保を過ぎてまもなく。強風のため海は荒れ、列車は徐行した。
  翌朝は朝食抜きで出発する。糖質制限食者にとって、宿の朝食など抜くのは問題ないが、ともかく酒田、鶴岡方面へ列車で行こうとすると不便なのだ。考えてみれば、弘前から酒田や鶴岡に向かうことが異常なのだろう。
  ともかく弘前発の秋田行きは6時29分発快速が始発で秋田着が8時40分。次の普通列車は9時3分発で、大館で51分も待たされて秋田着は12時25分になる。9時39分発の特急を使えば11時43分着だ秋田で昼酒ならば上記二列車でも良いが、しばらく秋田昼酒パターンが続いているし、秋田で好みの店が見付からない状態なので、久し振りに鶴岡で昼酒にした。この場合は始発で行き、秋田9時15分発の特急いなほ8号新潟行きの利用になる。
  奥羽線沿線風景は、雪こそ豊富にあるものの、あまり面白いものではない。かててくわえて普通列車はロングシートのため、車窓風景を楽しむには不適なものだ。
  秋田での連絡待ち時間は36分で、これを利用し途中下車して特急券を買う。車内で買うとジパング割引が適用されない。秋田が始発駅なので、切符を購入後まもなくいなほ8号が入線し、吹き曝しのホームで待たされずに済んだ。
  定刻発車で順調に進んだが、桂根駅辺りから海沿いルートになると、徐行運転が始まった。まもなく車内アナウンスで、「強風のため徐行運転します。お急ぎのところご迷惑をお掛けします。」と告げられた。
  羽越線は2005年に時速100キロ程度で走行中、強風のため脱線事故を起こし、沿線の建物に激突した結果、5人が死亡、32人が重軽傷を負った。以後は慎重な運行を行っているらしい。徐行運転を繰り返し、暫時ではあるが停車した列車が、海からの強風で煽られグラグラ揺れたときは、じわっと恐怖感が湧き上がる。
鳥海山。
  それでも海岸線から離れたせいか、そのうち風も治まった。酒田に近付き、鳥海山の景観に期待したのだが、あいにく雲に覆われ山麓しか眺めることができなかった。   結局鶴岡駅に着いたのは20分程度の遅れで済み、駅から徒歩3分のともえ旅館へ向かった。
  数年前から鶴岡での定宿としているところだ。素泊まりが3,000円と低廉なことも良いが、何よりも有り難いのは、「チェックインは3時から。」などと杓子定規なことは云わず、空いていれば朝からでも入室できるし、そして空き部屋はほぼ確実にあるのだ。設備その他は値段相応で、昔ならば商人宿などと呼ばれた類だ。行商人が消滅した今は、工事関係者などの比較的長期滞在が多いらしい。朝夕食も提供するが、一般的な宿屋食ではなく、日替わりの家庭料理に近いものだろう。
  この日も到着して玄関を開けると、上がり框にA4の紙が置かれ、「金子様、203号室です。」の記載と鍵が載せられていた。大きな宿ではないから、迷うこともなく部屋へカバンを置き昼酒に出かける。
  旅立つ前にインターネットで下調べした、駅間近の大衆食堂おばこ食堂は、念のために電話で確認すると、酒は提供していないとのことで断念。結局旧市街中心部にある本格中華の桃園飲茶点心店へ向かった。2015年に一度利用した店だ。元々雪の少ない鶴岡は、この日残雪もほとんどなく、乾いた街路を行くこと20分弱で桃園へ辿り着く。
桃園の(一品選択可能)サービスランチ(五目野菜炒め)。
  先客はカウンターにサラリーマン風が二人と、小部屋の方にグループが一組だった。カウンター席を選び、まず焼酎半々お湯割を注文し、分厚いお品書きを見る。
  二回目なのでこの店のシステムも判っていたが、一品選べるサービスランチで、その一品をお品書きで確かめる。結局五目野菜炒めにした。何となく野菜不足気味に感じていたためだ。餃子も一緒に注文する。
  飲みながら待っていると、サービスランチはそこそこの時間で運ばれてきたが、餃子が予想外に遅い。だいぶ経ってから他のテーブルに料理を運び終わったオヤジに訊くと、どうやら失念していたらしい。まもなく餃子も登場。半時間ほどでお湯割三杯を干し、昼酒昼飯を完了する。
   桃園を出て、すぐそばにあるケトルワンを2年ぶりに再訪した。キッチングッズなどを扱う洒落た店で、前回は台所用品を見るのは好きなこともあり桃園の帰りに覗いたのだった。キャベツピーラー ライトなる品物を購入した。キャベツの千切りがプロ並みにできるとの謳い文句だった。半信半疑で購入したが偽りではなかったので、しばらくの間はコールスローなどを作るのに愛用した。そのうち飽きてしまったが。
  今回も一通り店内を見て廻る。キャベツピーラーのような小物で目に付いたものはなく、鍋などの嵩張るものは旅先で買い込む気にはなれない。それでも店主らしい中年婦人と言葉を交わすうちに、ビスケット二枚付き200円のコーヒーを飲むことになった。
  彼女の趣味が高じて始めたような店かと思っていたら、コーヒーを飲みながらさらに話すと、大変な老舗だと判る。創業は1879年(明治12年)鉄筋などの武骨な(?)ものを扱う問屋だったらしい。彼女の祖母が嫁いできてから、台所用品なども扱うようになり、その後建材部門は店の場所を替え、創業の地はケトルワンとなったという。
 8.鶴岡の居酒屋
上左:お通し3品。
下左:野菜炒め。
上右:漬け物盛り合わせ。
下右:ブリカマ焼き。
  宿へ戻り一眠り。5時頃から夜の部を開始する。向かったのは宿から徒歩3分の居酒屋堂道(どうみち)だ。そこそこ好みに合うし、何しろ近いので此処へ足が向く。
  店内にはカウンターが5席と小上がり、奥に座敷もあるらしい。見える範囲に(カウンターと小上がり)に先客はなかった。何時も坐るカウンターの端に席を占めた。
  何はともあれ焼酎半々お湯割を頼み、貼り出されたお品書きを見る。それほど食欲もないまま、漬け物盛り合わせと野菜炒めを注文した。昼に五目野菜炒めを食べたばかりなのに、まだ体は野菜を求めているようだ。
  次々に来店者があるけれど、素通りして奥の座敷へと消える。どうやら宴会があるらしい。目の前が調理場なので、自然に視線はそちらへ向く。板前は主らしい年配のでっぷりしたオヤジで、その配偶者なのか同年配の婦人が補助的に働いて、その他お運びさんなどが出入りしている。忙しそうなのはやはり宴会のせいだろう。
  三種盛り合わせのお通しはすぐ出てきたので、これをツマミに飲んでいると、5分後に漬け物、その6分後に野菜炒めが供された(画像の撮影時刻)。野菜炒めを食べているうちに、アルコールで活性化されたのか食欲が出てきた。あらためてお品書きを見て、ブリカマ焼きを追加注文。
  焼酎お湯割中ジョッキ4杯を干し、つまみを全て平らげて満ち足りた気分になる。あとは何も追加せずお開きにする。宿へ戻ったのは7時10分前だった。この日も早々就寝した。
 9.新発田で昼飯
   翌朝5時頃目を覚ますが、11時に出発予定なので、そのまま惰眠を貪る。6時になりそれも続かなくなって起床した。スマートホンで朝日デジタル(新聞のインターネット版)を読む。紙の新聞の方が好きだけれど、以前駅の売店へ買いに出かけたらば7時開店だった。コンビニエンスストアは少し遠い。
  昨日の夕刊から読み始め、朝刊に一通り目を通しても8時くらいだ。しばらくはスマートホンでゲームをして時間を潰したが、旅先でゲームに没頭するのも何か虚しい。漠然と考えているうちに解決策が浮かんだ。11時の特急いなほ8号に拘泥しなければ良いのだ。
  早速スマートホンの乗り換え案内で調べると、10時6分発の普通列車で村上まで行き、半時間弱の待ちでいなほ8号に乗れる。ちなみにこの列車は昨日秋田から鶴岡まで利用した列車だ。
  10時10分前に出発する。勘定は昨日清算済みだが、1階へ降りて女将に声をかけた。笑顔で現れた彼女とカレンダーの話になる。道楽で造っている旅先画像を利用したカレンダーを、ともえ旅館にもここ数年送っている。
  彼女の好みに良く合うとのことで、2016年版の「バルト紀行」から表紙に使ったトラカイ城と5月、6月のヴォル村を流れる小川の画像をピックアップし、手造り表装しロビーに飾ってあった。さらに、「ストレスが溜まったとき、この写真を見るとスーッとするんです。」とも云う。なんとも作者冥利に尽きる話だった。
  駅に着くと普通列車の改札は始まっていた。ホームで列車を待つ間、「本日のいなほ8号は定刻通りの運行です。」のアナウンスが再三流れる。普通はこんな放送などしないが、羽越線では強風により遅延が常態化しているのだろう。
  鶴岡から村上までの車窓風景はあまり面白くなかった。雪が消えた田圃風景はただ侘しいだけだし、海沿いになり日本百景にも選定されている笹川流れも、車内から見る限りはつまらなかった。定刻に村上着。  
上:カツ煮。下:野菜炒め。
  途中下車して緑の窓口で特急券を購入する。車内精算ではジパング倶楽部割引が適用されない。まもなく到着したいなほ8号で、新発田には12時35分に着いた。
  新発田駅前には2軒大衆食堂が並んでいて、本田屋食堂は前回テーブル席に空きがなく隣の渡長食堂を利用した。今度は本田屋と思っていたのに、定休日なのかシャッターが降りている。仕方なく渡長を再訪。
  焼酎お湯割を頼んでお品書きを見る。カツ丼を好むが、かなり長いこと食していない。糖質制限食実行中なので、カツ丼のご飯抜きを注文する。大抵の食堂はこんな注文を受けてくれるのだが、渡長のウェイトレスは頑として拒否し、その替わりと指し示したのはカツ煮だった。似たようなものだろうとこれを注文した。ちなみにカツ丼が750円で、カツ煮が700円の値段だった。しばらくしてもたらされたのは皿にレタスサラダなど配し、その上にカツ丼同様切り分けたトンカツを卵でとじたものが乗っていた。ウェイトレスが来たついでに野菜炒めも追加する。
  あとは特筆することもなく、この日も無事昼飯・昼酒が終わる。徒歩2分の駅へ戻り、20分ほど待たされたがまずは順調な連絡で新潟へ向かう。3時少し前に駅前東横インの部屋へ入り、一眠りして夜に備える。
10.新潟で友と梯子酒
上:お通し。中:タコの煮物。下:茄子の煮物。
  新潟ではNさんと会う予定だった。彼との付き合いも三十数年におよび、拙紀行文には千葉や仙台で登場している。今なお現役で、勤務地が新潟となったことが、雪見酒紀行に新しい立ち寄り場所が加わった次第だ。
  待ち合わせ場所は弁天町の春来(しゅんらい)軒で、未知の領域だ。しかし昨年のイタリア北部紀行以来、スマートホンのGPSナビゲーターを利用するようになり、今回もこれを頼りに無事辿り着くことができ
た。
  春来は類別すれば小料理屋だろう。カウンターとテーブル席が二つのこぢんまりした店だ。Nさんは先着していて他に客もないまま、女将と談笑中だった。久闊を叙しつつ、彼はビールで私は焼酎お湯割を注文し、ともかく乾杯する。
  しばらくして女将の娘さんが出勤してきた。渡された名刺には唎酒師・焼酎アドバイザーの肩書きが記載されている。「唎酒師」は初見の言葉なので調べてみた。唎の訓読みは「り」だが、「ききざけし」と読ませるのだろう。日本酒サービス研究会が管理している資格で、取得方法は各種あるようだが、例えば二日間の講習と1次から4次までの試験があり、一般人が受講・受験するには138,100円の費用が掛かる。どの程度権威があるのか判らないけれど、遊び半分では取得できないと思う。
上:漬け物。下:鶏の半身唐揚げ。
   途中からNさんも焼酎お湯割に替え、1時間ほどで4合壜が空になる。これを潮に店を替えることにした。もちろんNさん任せで鳥料理居酒屋、せきとり 東万代町店へ向かった。鶏の半身唐揚げまたは蒸し焼きが名物らしい。
  少し離れたところにあり、10分ばかり歩いたが、飲み続けるより手頃な休憩になったような気がする。
  入店したとき混み具合は5割程度か。半身唐揚げは多少時間がかかるようなので、漬け物を頼み焼酎お湯割を飲みながら待つ。20分ほどで唐揚げが運ばれてきた。一人で食べるには難儀する量なので、こんな場合に連れがいるのは有り難いと、孤食がほとんどの身にはしみじみ感じられる。
  半身が片付き、3、4杯干した焼酎お湯割もだいぶ回ってきた。しかしまだ8時半なので、もう一軒今度は蕎麦屋へ行って締めにする。糖尿病患者には良くないが、たまには体に悪いこともしなくては。
  来た道を戻り、やはり10分ほどでばいたりやに着いた。店内はカウンター席と小上がりなので、迷わずカウンターを選ぶ。
  焼酎の蕎麦湯割に牛すじ煮込み、盛り蕎麦を注文した。カウンターだと目の前で蕎麦を茹でているのが見える。
  10分ほどで盛り蕎麦が供された。これもつまみに加え蕎麦湯割を飲む。お開きになったのは9時だった。宿までは10分で辿り着ける。
  以後は愛犬ベルを引き取りに行ったりし、旅はさらに二日ほど続いたが、雪もなくなってしまったし、雪見酒紀行はこの辺りで終わりとする。  
 ―― 雪見酒紀行2017完 ――
  黄昏紀行へ
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