***目次***
*地図
旅程
1.旅立ち
2.春日部で一献
3.盛岡冷麺
4.土偶
5.新むつ旅館
6.新むつ旅館の宴会
7.青森駅前おさない食堂
8.函館の居酒屋
9.弘前
10.酒田の居酒屋
11.山形の昼酒
12.米沢 北都匠の宴会
1.旅立ち
   この冬も恒例の、「雪見酒」に旅立つ。まずは旅の間だ愛犬ベルを里子に出すため、北軽井沢の友人を訪ねる。これのために最初は東京駅から北陸新幹線あさま615号で軽井沢へ向かった。
   ちなみに以前は多少なりとも時間と費用を少なくするため、大宮から新幹線を利用していた。しかし時間差はごく僅かだし、新幹線自由席の料金差は210円で、ジパング倶楽部(有料会員制老人向け割り引きシステム)割引が適用されると、150円弱になる。これならば(特に)ワンコをクレートに入れて移動している場合など、東京駅利用の方が余程快適だし、席の選択も圧倒的に有利になる。
雪道を走る愛犬ベル。雪の中へ来たせいか、日頃と異なるどこか精悍な顔つきだ。
  東京駅利用のメリットはさらにあって、乗車時間が70分以上あるので、ゆったりした気分で酒を飲める。ということであさま号が発車すると、駅の売店で求めた缶酎ハイを飲み始めた。
  軽井沢から北軽井沢は草軽交通の路線バスで行く。いつもはほとんど貸し切り状態なのに、今回は10人ほどの乗客で、どうやら春節を利用した中国からの旅人らしい。
  北軽井沢は道路こそ除雪されているが辺りには50センチほどの積雪が残る。これでも2、3日続いた暖かさでだいぶ融けたそうだ。ともかく雪見酒の第一弾を開始した。
 2.春日部で一献
  いつもならばベルさえ預けてしまえば一気に北上し青森辺りまで行くが、今回は訳あって春日部で一泊し、友人Oさんに案内されて居酒屋を探訪した。まずは開店時刻が2時頃で、閉店はオヤジが酔っ払った頃という、老舗の名店、「居酒屋磯八」でスタートする。
  一見しただけでいかにも伝統的な居酒屋らしい店だし、若い女性には受けないかもしれないが私好みの店だ。そしてツマミの種類が豊富だし旨そうで(事実旨かった)価格が安い。まだ4時だけれど常連客で賑わうのも当然だと思う。
  二時間ほどで焼酎ボトル一本分ぐらいを二人で飲み干し、腹もくちくなったところでもう一軒。今度はスタンドバーで、この日はこれで打ち上げとした。
 3.盛岡冷麺
   翌日は一旦大宮へ出て、新幹線で八戸まで行く。当初は直行するつもりでいたが、雪見酒紀行に昼酒は必至だし、それが缶酎ハイと乾き物のツマミでは味気ない。せめて車窓風景に趣があれば良いが、ほとんどそれも期待できないので、前日にプランを考え直した。
  盛岡駅前にはかつて三度ほど利用した居酒屋的食堂の昼飯営業がある。冴えない店ではあるものの、車内昼酒よりは遙かにましだろう。既に購入済みだった特急券を経路変更し、盛岡までとそこから先の立ち席特急券にした。
  八戸まで行くにははやてはやぶさを使わなければならないが、どちらも私の嫌いな全席指定だ。無理をすれば立ち席特急券という手もあるが、これは余りに落ち着かず避けた。しかし盛岡までならばやまびこの自由席がある。
  ところが窓口でこれを希望すると、「指定席から自由席への変更はできない。」と意外な対応だ。理不尽なように思うがそのような既定になっているのでは争っても無意味だ。結局大宮発10時丁度のはやぶさ11号を利用して盛岡着11時47分。盛岡からは当初から予定していたはやぶさ17号の立ち席特急券とした。
  立ち席は自由席と異なり、列車を指定しなければならない。これはJRの建前として、「指定席が満席の場合に立ち席を発売する。」からだ。しかし実際には空席があっても発売してくれる。
  結果的にははやぶさを利用したのは正解だった。乗車しているのが1時間少なくて済んだのもさることながら、やまびこだと盛岡着が12時7分になり、この日利用した盛楼閣はこの時刻だと入店待ち行列ができていた。行列は嫌いで、特にものを食べるため並ぶなどもってのほかと思っているが、盛岡駅前は意外に食堂が少ないのだ。
  前置きが長くなったが、はやぶさは定刻に盛岡へ着いた。数回昼酒に利用した居酒屋、うま舎へ直行する。しかし11時半開店のはずが、入口には準備中の札が掛かり、店内の灯りは消え、準備しているような気配もない。
冷麺の特辛。ちっとも辛くない。
  付近をちょっと探してみたが、意に染むような店も見付からず、時分どきになる前に入店したいと、結局駅前老舗焼き肉屋の盛楼閣を再訪した。ビルの2階にあり144席の大きな店だ。駅の真ん前といった立地も有り、来訪者は観光客中心のようだ。かなりの人気店で席数が多いにもかかわらず9割方席が埋まっている。多少なりとも12時前で良かった。
  名物の冷麺は締めにして、焼き肉で一杯やろうとお品書きを見た。しかし単価はかなり高いし、数人で複数の品を頼み分け合うことを前提としているようだ。それならば一人では量的に持てあましそうだ。ページを捲ると上焼き肉定食2,000円があった。これならば焼き肉以外の付け合わせもツマミになる。これと焼酎(韓国の鏡月)の水割りを注文する。
  焼酎水割りは中ジョッキで供された。昼酒だからこれならば二杯と定め、適当にツマミの焼き肉定食を消化してゆく。二杯目もそろそろ終わりに近付いたところで冷麺を注文することにした。
  実のところ食欲としてはこれをパスしても良かったのだけれど、此処の冷麺は評判で、長蛇の列が出来ることも珍しくないという。今日にしても長蛇ではないが店外で待つ人が垣間見えた。そんなことで一応味わってみるべきかと思う。
  あらためてお品書きを見ると、「当店の辛さ」として、特辛、辛口、中辛、ちょい辛、普通、ひかえめ、辛味別の7段階に分かれていた。迷わず特辛にした。しかし5分ほどして運ばれてきたものは、サッパリ辛くない。これはある程度予測していたことで、世間の特辛は大抵私には辛くないのだ。辛さに対して味覚がバカになっているのかもしれない。
 4.土偶
  盛岡駅へ戻り、新幹線はやぶさ17号の立ち席で北上を再開した。指定席に較べ364円しか安くならないが、価格の問題ではなく指定席が嫌いなのだ。「XXに坐れ。」など、大きなお世話だと思う。八戸駅着は午後2時13分でO夫人が車で出迎えに来てくれた。夕方に宴会を始めるまで多少まとまった時間があるので、八戸観光のプレゼントだ。
是川縄文館の展示。上が国宝の合掌土偶
  彼女の提案は是川縄文館の訪問だった。此処には付近の八戸市風張1遺跡から出土した「合掌土偶」と呼ばれている国宝が展示されているそうだ。ちなみに国宝指定の土偶は5体しかなく、長野2、山形1、青森1、北海道1と日本の北部に偏在している。土偶は沖縄を除く日本全土で縄文時代に製作されたらしいが、西日本での出土は稀らしい。  この博物館は是川遺跡の発掘に1920年頃から多大の貢献をした泉山岩次郎と義弟の泉山斐次郎の私的コレクションが、戦後八戸市へ6000点ほど寄贈され、これを中核としているらしい。国宝土偶以外にも633点が重要文化財に指定され、レベルの高い展示を行っている。
  泉山家は云ってみれば地方財閥で、岩次郎と斐次郎は共に女婿だ。岩次郎は泉山銀行(のちに合併して八戸銀行となり、さらに合併して現在は青森銀行となっている)の頭取などを勤める。是川遺跡は泉山家の所有地内だった。
 5.新むつ旅館
  是川縄文館をでると今宵の宿、新むつ旅館へ向かう。まだ時刻が早かったので途中、八戸ポータルミュージアム[はっち]などに寄り道、O夫人が高く評価している、「八戸えんぶり」のビデオが見られたのは収穫だった。
  新むつ旅館に着いたのは4時を少し回っていた。1898年に築造されたから120年近い歴史が有り、遊郭として建てられたその姿を、改造することなく現在に至るのは、全国的に見ても希有な存在らしい。
  玄関から入る前に、O夫人としばらくこの威風堂々たる建物を眺め、撮影したりする。彼女は一旦車を自宅へ戻し、後刻夫君の車で来るというので、別れを告げ玄関に入る。
上:新むつ旅館正面。
下:玄関の額
上:玄関右手の石庭。
下:部屋に置かれていた古い写真。明治期だろうか?
  内装や家具調度類が年輪を重ねているため、重厚な雰囲気は漂うものの華やいだものはない。売春防止法の施行に伴い遊郭を廃業した1957年以前はどんな賑わいがあったのだろうか。
  玄関にはセンサーチャイムがセットされているらしく、奥の方でチャイムが鳴る音がし、女将の川村紅美子さんが姿を現した。遊郭から旅館に転換したが、風呂場などもなく(遊郭では風呂に入らない?)宿泊施設としては使い難い。そんなことで新館を建て増し、一家の居住部分や厨房、食堂、風呂場など宿の機能的部分はそちらにある。彼女が奥から出てきたのはそんなわけだった。 
玄関ホール。右手の階段は二手に分かれ、表側、裏側に登るが、二階の表と裏は渡り廊下で繋がっている。
 宿泊そのものを利用目的とする地方廻りのビジネスマンや、職人の滞在ならば新館だろうが、私が此処を訪ねたのは旧遊郭の見学であり、雰囲気を堪能することだ。これは女将も判っていて、すぐ本館2階の部屋に案内された。
  70代も後半の女将は、声やそして(多分)気持に張りはあるものの、膝を痛めているとのことで、階段を登るのはかなり辛そうだった。申し訳ない気分になるものの、案内されないわけにも行かずいかんともしがたい。
  通されたのは裏手の14畳の二間続きで、仕切りは取り払われていた。女将が去ったあと、じっくり室内を見る。長押の釘隠には花や鶴などの意匠が施され、一般民家とは異なる高級建築だったことが偲ばれる。
 6.新むつ旅館の宴会
   今夜は八戸在住のOさん夫妻と宴会の予定だ。この部屋で宴を開ければ、娼妓こそ不在にせよ遊郭での一献になる。これのために多少の追加費用が必要としても、やぶさかではない気持ちはあった。しかし女将一人で切り盛りするこの旅館で、先ほど辛そうに階段を登る姿を見た以上、話を切り出す気持にもならなかった。会場は新館にある厨房に隣接する食堂だ。
  約束の6時にOさん夫妻が到着した。せっかくの機会だからと、本館のあれこれを見て廻る。私にしても遊郭とは全く縁のない世代だけれど、さらに若い二人は興味深げにあれこれを眺めていた。
夕食(3千円)の内容。
  遊郭見物も終わり、三人で食堂へ入った。新むつ旅館では食事なしの素泊まりができるし、逆に昼食だけ(2,100円)、夕食だけ(3,000円から)の選択もできるので、それに酒代をプラスすれば今回のような簡易宴会は簡単にセットできるわけだ。
  座敷は8畳くらいで中央に座卓が置かれ両側に8人くらいならば窮屈な思いはせずに坐れる。しかし他の宿泊者はなく、もちろん夕食だけの客もいない。女将も寄る年波のため、一組かせいぜい二組くらい此処の容量としているそうだ。
  大根と人参、鶏肉の煮物を皮切りに、刺身やその他が次々厨房から運ばれてくる。酒は焼酎(いいちこ)の4合壜と保温ポットに入ったお湯ををテーブルに出して貰い、手酌で始める。Oさん達はビールでスタートした。
  出された料理は、板前料理、あるいは居酒屋料理ではなく、家庭料理に近い。それも道理で女将が(見合い)結婚した頃、夫君はサラリーマンで彼女は専業主婦として生活していたし、実家などの関係にも飲食は旅館などの関係など皆無だったらしい。
  ところが新むつ旅館の後継者がなく、結局総領息子だった夫君が後を継ぐことになる。1981年に41歳で八戸へ来て、初めてこの業界で働くことになったそうだ。しかし料理はどれも旨かったし、話し好きの女将が料理を運んできた時などに語る昔からのあれこれは、楽しんで聞くことができた。その一方で8ヶ月ぶりで再会したOさん達との話も弾む。3時間ばかりであったが、よく食べ、飲み、話しての愉快な(うたげ)を堪能できた。
 7.青森駅前おさない食堂
     翌朝6時半に目を覚ますと、どうやら雨空のようだ。それでも朝食は8時からなので付近を散歩しようかと玄関先まででてみる。傘なしでは歩けないような降り方で、折り畳み傘は持参しているものの、此処で濡らしてしまうのは跡始末を考えると避けたい。
  朝食時に女将から出発の予定を訊かれる。青森での昼酒から逆算し、小中野駅発9時28分だと答えたところ、駅まで車で送るからと云ってくれる。雨は相変わらず降り続いているし、ご厚意に甘えることにした。
  9時に出発し、小中野ではなく陸奥湊へ向かった。距離的に差違はないものの、このルートだとかつての花街を(多少寄り道して)通り抜け、(この日は日曜日で休みだったが)陸奥湊駅付近の朝市が立つ場所など走りながらガイドしてくれた。
  ちなみに新むつ楼を含め、遊郭がこの界隈に隆盛を極めたのは、街の中心部から風紀的問題がある業種を排除し、新地と呼ばれたようなところに集めたことと、当時の八戸港は全国から漁船が集まるだけではなく、物流の中継地としても繁栄し、その結果として漁師や船乗りが遊郭の大得意となったらしい。
  上り八戸行きディーゼル車は定刻の9時25分に到着した。2両編成だが日曜日と云うこともあるのか車内はガラガラだった。八戸で乗り換え新青森へ向かう。軽井沢から函館までの乗車券や、八戸からの立ち席承知特急券は購入済みだ。
おさない食堂のツマミ。上:ホヤの塩辛。中:帆立貝焼き味噌。下:野菜炒め。
  立ち席にしたのは520円安いメリットもさることながら、指定席は嫌いだし、八戸からは乗車率が1割程度で、立ち席であっても落ち着かないようなことはない。
  新青森で乗り換え、普通列車で青森まで行き途中下車する。しかし函館への特急券は新青森から函館で購入した。厳格に云うならば不正乗車なのかもしれないが、新幹線から在来線に乗り継ぐと、「特急乗継割引」が適用され、自由席で870円安くなる。
  青森駅から徒歩3分の駅前食堂おさないへ直行する。この店は2008年以来の付き合いなので、年に一、二回しか立ち寄らなくても顔を覚えてくれた女将が、「お久しぶりです。」と笑顔で迎えてくれた。本日のお奨めを見てホヤの塩辛を頼み、持ち込みの酒を飲まして貰う許諾を得る。
  清酒やビールは扱っているが、焼酎はないので糖質制限食からすると持参のスピリタス(ポーランドのウォッカ。アルコール含有量96%)を水で割って飲みたい。これも数年前から繰り返しているが、一応訊いてから程度の遠慮はしている。気持ち良く了承してくれ、すぐに二つのコップが運ばれてきた。片方には割るための水が入っている。
  本日のお奨めからホヤの塩辛と、ここに来たらほぼ定番となっている帆立貝焼き味噌、それに野菜炒めを注文した。
  この店は立地の良さも有り、観光ガイドにはほぼ確実に載るようだし、その一方で来店者を見ていると地元の人も多い。時分どきにはかなり混み合い満員で諦めたこともあるし、逆に一人で四人掛けテーブルを占拠していたので、「相席で良ければ. . . .」と来店者に声を掛けたこともある。しかし日曜日だったせいか、次々客は入るが空席は残る状態が続いた。そのお陰でゆったりした気分で飲むことができる。
8.函館の居酒屋
   昼飯・昼酒に満足し、午後1時の特急で函館へ向かった。函館着が2時58分は、宿のチェックイン開始が3時なのでピッタリ。しかし駅で帰りの切符を購入する。江差線、津軽線、奥羽本線、羽越本線、陸羽西線、奥羽本線、新幹線を経由しての軽井沢までだ。予め印刷しておいたメモを渡して入力して貰う。
  函館まで来た理由は、青森(駅付近)で日曜日に利用できる居酒屋で気に入ったところが見付からないためだ。函館だとひかりの屋台大門横丁に日曜日でも営業する店が多く、その中で二軒ばかり顔馴染みになった店がある。
上:光味亭のお通し。中:光味亭のラム串と鹿はつ串。下:ヤマタイチのツブ貝刺身。
  東横イン函館駅前大門にチェックインし、4時半に大門横丁を目指して出かける。一軒目は焼き鳥の光味亭だ。先客は6人いてしばらく会話を聞いていた感じからすると、3グループらしい。しかし古い馴染みなのか和気藹々盛り上がっていた。
  小さな店でカウンターに8席だけなので、辛うじて割り込めた感じだ。水割りを注文する。お通しで一杯目を飲み、お品書きから焼き鳥屋としては比較的珍しいと思うラム串と鹿はつ串を頼んだ。これをつまみに水割りを1杯追加して干すと、光味亭はこれでおしまい。
  すぐそばのヤマタイチに移動した。此処は光味亭に較べれば広々している。店の面積からすれば倍ぐらい有り、テーブル席も一つだけだがある。しかし5時半前だったせいか先客はいなかった。
  此処でも焼酎の水割り。お品書きには本格焼酎と銘打って乙類焼酎が8銘柄ほど載っているが、甲類焼酎もあるのでそちらを選んだ。安いし癖がなくて飲みやすい。もちろん味わいといったものはない。
  壁に貼られたお品書き短冊を眺めて行くと、「活つぶ刺」が目にとまる。久しく食べていないので食指が動いた。お通しと活つぶで3杯飲んで晩酌は終わりにした。
  同じく大門横丁にあるラーメン屋、龍鳳へよる。糖質制限食者にラーメンは御法度だが、たまには体に悪いこともしなくては。麺を少なめにして醤油ラーメンを注文する。待つ間にもう一杯飲もうか思案したが、思案中にラーメンが供される。それで良かったのだろう。
9.弘前
  函館発午前8時8分の特急で青森まで戻り、奥羽本線上り普通列車で弘前へ向かった。弘前着は11時18分。駅前の東横イン弘前駅前へチェックインし、荷物を預けるとカメラバッグだけを持って出かける。
  まず目指したのは一番町にある老舗喫茶店の壱番館だ。此処も10年以上の付き合いで、すっかり気の置けない店になっている。そして此処に来るといつも一杯目はセイロン風ミルクティーと決めている。今回もカウンター席に坐るとこれを頼んだ。
  店内には昨年末に送りつけた拙カレンダー、「バルト紀行」一応送り状では、「常に翌月を参照できる」ことを説明したつもりだったが、不充分だったようだ。まだ1月、2月状態なのでページを捲り2月、3月に直してから、あらためて口頭で説明した。
  話題が旅の画像になったので、タペストリーの営業をする。昨年のカレンダーでも使用した、「サンジミニャーノの街角」を、外注でA2サイズのタペストリーにしたところ、中々良いものだと思えたので、店舗ならば一廻り大きいA1サイズで展示して貰えないかと云ったことだ。
  持参したサンプルを見せると、マスターもさることながらママが大変気に入ってくれたようで、「素敵だわ!」と歓声が上がった。旅から戻って後の作製になるので、納品まで多少日時がかかることを了解して貰う。もちろん費用は全額私持ちだ。
  壱番館を出ると弘前城を通り抜けて西濠の野の庵を目指す。城趾内には雪が残っているものの少ない。ここ数年は弘前城雪灯籠(毎年建国記念日からの数日間)まつりのあとに訪れることが続いているが、今年は雪灯籠が融けてしまい例年になく無残な姿になっているのが目立った。
上左:お通し四品。時計回りに左上からイクラと紅マスの麹和え。ほうれん草白和え。人参、キクラゲ、海藻の和え物。海老と椎茸の煮物。上右:お造りはボタン海老、ひらめ、鱒。下左:鯛の焼き物。下右:デザート。上記画像以外に箸休めや天麩羅、津軽蕎麦など。
  野の庵に入る。先客は中年のカップルが一組だけで、縁側の席でひっそり話ながら食事中だった。暖簾に頭を入れて厨房の方へ声を掛けると、すぐに女将の貞子さんが姿を現した。縁側に席を定めると、一旦厨房に戻った彼女は、すぐに焼酎の水割りを運んでくる。あうんの呼吸といおうか、私の好みを忘れずに対応してくれるのが嬉しい。
  そして此処何年か暗黙の了解になっていることだけれど、貞子さんはお品書きを持ってこない。任せておけば、私の好みに合うようなものを見繕って出してくれる。寛いだ感じとしては家庭を訪問して料理を出されるのに似ているが、練達の料理人である亭主と女将の見繕いだから、到底一般家庭が及ぶことのできるものではない。
  先客の中年カップルが去ると、あとは訪れる客もなく、貞子さんがテーブルの脇に立って話す時間が長くなる。これと云って特に意味のある話ではないが、気の置けない雑談が心地良い。しかし話に気を取られた分撮影がおろそかになり、何品かは撮りそこなってしまう。デザートが運ばれてくると、亭主の彰さんも顔を出してしばらく話したあと、夕刻に新鍛冶町のとり畔で一献を共にする時刻などを打ち合わせる。
  5時半に始めると決まったところで今度はタペストリーの営業を始めた。貞子さんから、「入口を入った左手に、なにか飾るものが欲しかった。」と渡りに船の回答で、それではとA2サイズのタペストリーを当該場所で拡げてみる。「これの倍サイズになります。」と一言注意してこの件はめでたくまとまった。
  一旦東横インへもどる。夕方5時にとり畔へ電話し、一応予約をしておく。小さな店でテーブル席は二つしかなかったと思うので、小上がりやカウンターで我慢することのないように用心したのだ。
  とり畔に着いたのは5時20分だったが、佐藤さん夫婦は先着していた。予約したことを知らせていなかったにもかかわらず、予約したテーブルで待っているのはあうんの呼吸あるいは以心伝心か。既に焼き鳥盛り合わせは先行して注文してあるとのことで、これも私の好みなど考えながらの行き届いた心配りだ。
  ともかく飲み物を決める。私は最初から焼酎の水割りで、佐藤さん達は生ビールでスタートした。ビールを飲み終わると貞子さんは燗酒、彰さんは焼酎の水割りになった。ちなみに二人で飲めば5合壜ぐらいならば確実に飲み干せるけれど、とり畔は生憎ボトルキープはできない店だった。
  鳥わさを始め何品かつまみも追加注文しながら酒は進みそして話が弾む。野の庵でも気の置けない会話は常で有りながら、やはりお店では客とサービス提供者の一線は残るようだ。それがとり畔と云う場所になり、勘定も各自の負担、本当に同じ土俵とでも云った感じで歓談できた。あっという間の2時間半だったが、気持ち良く飲み、食い、かつ話して宴を打ち上げる。
10.酒田の居酒屋
  明くる2月16日は小雨のぱらつく天気だった。弘前駅発9時2分の上り普通列車に乗り、途中大館で乗り継いで、秋田へ着いたのは11時50分だった。
  事前に駅周辺で昼酒が飲めそうなところをインターネットで探した。今回は検索キーワードを、「食堂」以外に、「トンカツ」でも探したところ、駅から徒歩10分ぐらいの所に、「とんかつあべ」が見付かった。お品書きに酒もあるのを確認し、此処で昼飯と決めていた。
  生憎の小雨そぼ降る天候だったが、折り畳み傘を差すと頑張って10分歩く。時分どきで混み合っていたけれど、何とか席が取れ定食のご飯抜きを注文する。焼酎は置いてないので冷や酒で我慢する。
  今日の目的地である酒田へは秋田発3時16分で行くから、時間は充分以上にあったものの、結局1時間で冷や酒三杯を干してあべをでた。駅東に隣接して建つALVE一階の秋田市民交流プラザ で、無料のWi-Fiが利用できる。余った時間は此処でつぶした。
  酒田駅に着いたのは5時8分で、駅に隣接するホテル・アルファワンにチェックインした。ざっとメールを読んでから、徒歩3分の居酒屋おばこへ向かう。此処もインターネット情報に基づき、今回初めての訪問だ。
  店構えを見てごく普通の、どちらかといえば古典的な居酒屋と品定めする。要するに私好みだ。引き戸を開けて入ると、先客はなくカウンターと小上がりがあり、おばこと云うにはとうの立ちすぎた60前後の女将が一人で切り盛りしているようだ。
  雰囲気から「落ち着いて飲める。」と思いながらカウンター席に着いた。  キープできる焼酎のボトルは4合壜で、これなら大方飲みきれるだろうと一本注文し、お湯割で飲む。他に注文したのは銀ダラの焼いたものと、イカ納豆、漬け物盛り合わせなど。どれも特筆するようなことは無いが、水準以上と思いながらつまむ。1時間弱でボトルが九割方空になり、気持ち良く酔いも回ってきたので切り上げた。また酒田を訪れた時は寄りたい店だ。
11.山形の昼酒
陸羽西線の車窓から見る最上川。カラーで撮影しているがほとんど色彩がない。
  明くる日は小雪のちらつく暗鬱な朝を迎える。ピーカンの天気よりも雪見酒紀行向きといえようか。酒田発9時2分の上り普通列車に乗った。この列車は羽越本線から余目で陸羽西線に乗り入れ、最上川に沿うようにして新庄まで行く。
  仙台市と酒田市を結ぶ国道47号線とも並行する区間が多く、最上川の観光シーズンにはかなり賑わいそうだ。車窓からは広い駐車場を備えた船宿も見かけた。しかし会社名が、最上峡芭蕉ライン観光だとか義経ロマン観光だと判ると、乗船はおろか近付くのも嫌になる。ちなみに最上峡芭蕉ラインのラインは線を意味するのではなくライン川のことらしい。恥ずかしくないのかと呆れる。
  終点の新庄に着くと乗客は、新幹線、在来線、下車する人がほぼ同数だった。東京方面へ向かうならいざ知らず、山形(駅)まで行くのに、新幹線を使っても短縮できる時間は2、30分だけで、料金は1,180円高くなる。そんなことで在来線は乗車率4割程度と、かなり利用者が多かった。
上:お通しは小鉢が三つ。中:どじょう鍋。下左:壁に貼られたA2サイズくらいのポスター。下右:テーブルに置かれたお品書き。
   11時21分に山形着。橋上駅を出て食堂土佐を目指し横断通路を端まで行き、階段を降りようとして駅前の風景が違うことに気付いた。西口へ向かうべきところを東口に来てしまったのだ。土佐まで数回歩いているのに情けない話で、方向音痴が酷くなっているのだろうか。
  さすがにその後は間違えず、土佐まで辿り着いた。しかし暖簾がでていない。中に明かりが点っていたし、引き戸は施錠されていなかったのでともかく店に入った。ジイサンが、「今病院から戻ってきたところで、ご飯も炊けていないので開店できない。」と云う。
  「ご飯は食べない。酒さえ飲めればいいんだが?」と訊けば、「酒ならばいくらでもある。」の嬉しい返事だ。カウンター席に坐り焼酎のお湯割を頼むと、すぐにお通しの小鉢三つと共に供された。
   それがきっかけで話が始まる。店の名前から想像していた通り、土佐の出身で足摺岬のそばで漁師をしていたらしい。魚の縁で山形に来てから早40年以上になり、御年87歳だそうだ。どじょう鍋をメインにして気持ち良く昼酒を飲めた。
  お湯割は中ジョッキで供されたので2杯で打ち止めにした。店を出ると1時近い。しかし今日の目的地である米沢行き普通列車は2時21分までない。そんなことで時間を潰すために東口にある喫茶店チャオへ向かった。昨年の5月に見付け、10月に再訪した店だ。
  カウンター席だけの店内に先客はなかった。間をおいて2回だけの訪問だが、5月に拙カレンダーを進呈したことも有り、どうやら顔を覚えていたようだ。ともかくコーヒーを注文し、カバンから今年のカレンダを取り出して渡す。
  しばらくカレンダーがらみの他愛ない会話が続き、ほろ酔い機嫌だったせいもあり、此処でもタペストリーの営業をする。サンプルを見せると、店の雰囲気にも合うし、掛ける場所もあると云うことで成約した。もう一杯コーヒーを飲んで駅へ向かった。
 12.米沢 北都匠の宴会
   米沢で宿にチェックインしたのは3時半だった。一眠りしてから5時ちょっと前に駅前の居酒屋 北都匠へ向かう。この日に営業しているかを事前に電話で確認した時、女将の智さんがなにやら恐ろしげな企画をするようなことを仄めかせたからだ。早目に行ってみたところで、企画を変えたり阻止したりすることは叶わないだろうが、せめて多少なりとも心の準備をしておきたい。
  北都匠の引き戸を開けると先客はなく、智さんがテーブル席で、亭主の正一さんは奥の厨房から顔を出し、共に笑顔で迎えてくれる。
上:山菜と揚げの煮物。
下:鰊と大根煮物。
上: オクラとイクラの和え物。
下:記念写真。赤いベレーが正一さん。後列右が智さん。
  智さんはテーブルの上に拡げた(多分タイ製の)手漉き紙に墨書をほぼ終えたところだ。入口からでも大書された文字が読める。なんと、「写真家 金子純一氏とファンの集い」だ。こういうのは何とも苦手だし、そもそも写真家などではない。
  しかし逃げ出すわけにも行かず、ともかく飲み始める。なぜこのようなことになったかというと、旅のカレンダー2016を適当にばらまいて貰えればと、昨年末に10部ばかり北都匠へ送った。これを常連さんなどに手渡す時、智さんが尾鰭をつけて写真家に仕立て上げたようだ。ある意味で、「身から出た錆」とも云える。
  三々五々「ファン」が集まり、名刺交換または自己紹介などをする。幸いどなたも捌けて初対面なのに気の置けない話ができる。全部で4人に正一さんと智さんだけで、少人数だったことも良かった。結局2時間半ほど和やかに飲み、最後に寄せ書きと記念写真でお開きとなった。雪見酒紀行2016もそろそろお開きとしよう。
 ―― 雪見酒紀行2016 完 ――
 黄昏紀行へ
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