雪見酒紀行2013

***目次***
1.この冬も雪見酒
2.弘前 野の庵
3.弘前 とり畔 銀水食堂
4.易国間、シェライン、大湊線、函館

5.函館 ひかりの屋台 大門横丁
6.青森の昼酒
7.居酒屋五事(ごじ)
8.青森の二日目
9.松川温泉松楓荘
10.下山・終章
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1.この冬も雪見酒
  私に取って冬の恒例行事となっている雪見酒に2月の6日から旅立った。昨年同様、北軽井沢在住の友人に愛犬ベルを預けたため、夜行列車あけぼの号への乗車は高崎からとなった。
  早めに着いたので、駅前のおでん屋安兵衛で時間潰しに一杯やる。人気の店らしく、20人以上坐れるコの字型のカウンター席に空きは二つだけだった。椅子の並べ方に余裕がないので肩身の狭い状態で飲むことになったが、他を探すのも面倒だし、ともかく飲めることを感謝する。
  10時を廻った辺りで切り上げ安兵衛をでると、駅前のコンビニエンスストアでカップ酒三個を買い、そのまま寝台特急あけぼの号が停車する2番ホームへ向かった。時間的にはそれほど急ぐ必要もないけれど、せっかちな性分だから仕方がない。寒いホームで20分ほど待ち、幸い定刻の10時48分に到着した列車に乗り込む。
 
夜行寝台あけぼの号のB寝台ソロ(個室)。窓際に酒肴を並べる。
  検札を早く済ませ落ち着いて飲みたいので、駅の改札で訊いておいた車掌室へ急ぐ。しかし施錠されて人の気配はない。仕方なく指定個室へ戻ろうとすると、向こうから車掌がやって来たので此処で検札を済ませた。じたばた車掌室を探したりする必要などなく、車掌は数人しか乗車しないのを車内から観察し、手早く巡回してくるのだった。
  狭いB寝台個室でも、二階部分はいっそう窮屈だ。しかしブラインドを降ろしたりせずに飲みたいのでこれは我慢する。衣類を脱いで寛ぎ、酒とツマミを窓際と小さなテーブルに配置し、安兵衛の続きを再開した。1時間ほどでカップ酒もなくなり、そのまま安眠する。
  車内放送で目を覚ました。6時ちょっとに秋田着なので、此処で下車する乗客に注意を促す放送だ。遅れることも多い積雪期の運行だが、この日は定刻運転だった。どんよりした曇り空だけれど、降雪はなくそして積雪量はたっぷりある。雪見酒に行こうとするものにとって、まずまずの滑り出しだった。

2.弘前 野の庵
 八郎潟、東能代、鷹ノ巣、大館などの駅名を懐かしいものと聞きながら定刻で通過して行く。この日の宿泊地弘前に着いたのは9時15分だった。駅前の東横インにチェックインし、荷物を預かって貰う。
  昼飯(昼酒)には早過ぎるので、馴染みの喫茶店へ向かう。一番町にある一番館で、年に一度、多くても二度くらいしか訪ねることが出来ないが、10年以上の付き合いで何となく顔が繋がり、そして昨年2月には個人製作カレンダーを押し売り(無料)した。幸い好評だったようで、2013年版は昨年末に郵送しておいた。そんなこともあり、年配のママが笑顔で迎えてくれる。
弘前城趾では週末に開催される雪灯籠祭りの準備がほぼ完了していた。画像は西の郭に設置されたミニかまくら。
  セイロン風ミルクティーを注文し、ハンガリー・ルーマニア紀行の推敲で時間を潰した。途中で今度はコーヒー(キリマンジェロ)を追加注文し、2時間近くを一番館で過ごした。
  11時半を廻ったところで、野の庵へ向かう。一番館からだと、弘前城址公園を抜けるのが順路だし、一番気持ち良く歩けるルートでもある。晴れていれば本丸跡に登って岩木山を眺めるのも良いが、折から降雪が強まり、この案は即座に諦める。
  追手門をくぐると、雪灯籠の仕上げにいそしむグループがそこ此処にいた。杉の大橋で堀を渡り、南内門を抜けて西の方へ緩い坂を下ると西の郭になる。こちらはミニかまくらが並んでいた。これは本丸の上から眺め下ろすらしく、開口部は皆そちら側に設けてあった。
弘前城趾西濠に架かる春陽橋。橋の向こうに見える建物が野の庵。
 茶碗蒸し、酢の物、毛蟹、生鮭の麹漬けなど。
 雪国へ行っても、雪を見ながら飲食できるところは少ない。
  ちなみに2013年の雪灯籠祭りは、四日間の期間中に32万人の人出があったそうで、同じ時期の札幌雪祭り240万人などに較べれば少ないが、かけた費用や出来た仕掛けの規模を考えると、随分健闘しているようだ。  西の郭に並ぶミニかまくら群を過ぎると、間もなく春陽橋が見えてくる。これを渡れば橋の袂が野の庵で、無雪期ならば庭からすぐ入れるが、雪が深い今は一旦通まで出てから駐車場を横切り玄関に達する。
  玄関で帽子を脱ぎ、トレンチコートについた雪を払っていると、気配を察して中から女将が顔を出した。昨年の雪見酒紀行以来なのでほぼ一年の久闊を叙する。
  正午近くいわば時分どきなのに先客はいなかった。やはり冬のそれも平日は観光客の訪れなどないのだろう。
  お品書きが出て来ることもなく、先付けの料理と酒の4合壜が運ばれてきた。あれこれ迷わず、総てお任せで飲食できるのは、任せる気持ちになる人間関係があれば快適なもので、野の庵を繰り返し訪れるのもそれ故だ。
  女将が4合壜の封を切って一杯注ぐと、壜をそのまま置いて厨房へ戻った。手にとってラベルを見ると三戸郡五戸町の菊駒酒造が造る純米酒だった。酒の味など大して判らず、銘柄や製法に拘泥しないことは既に度々書いてきたことだけれど、野の庵で通常出している銘柄とは別のものを用意してくれたらしい。女将の心遣いに感謝しながら味わう。さっぱりした辛口は先付けの品々との合口も良く、ついつい杯を干すピッチが上がってしまった。
  12時をちょっと廻った頃、4人の予約客らしい一団が来店した。弘前大学の関係者らしいことが漏れ聞こえてくる。店の奥にある特別椅子席(個室ではないがパーティションで囲われた領域)に姿を消した。決してうるさいような人たちではなかったが、それでも視界に他の客がいなければ、店を貸し切りにしたような気分が味わえる。
  
キンキの一夜干し。
  先付けに続いて刺身が供されたが、女将との会話に気を取られ、撮影を忘れたばかりか何を食したかも記憶に残っていない。
  ともかく刺身と先付けの品々が全部なくなったところで、ご亭主自ら開きの一夜干しを運んできた。私に取ってはさっぱり馴染みのない魚だと思ったら、高級魚キンキだった。道理で知らないわけだ。これが美味い。塩加減、脂の乗り具合、干し加減、焼き具合の四拍子が揃ったということか。
  これを平らげたところで、さらに天麩羅が二種類。この辺りで4合壜がほぼ空になる。すると女将は濁り酒の2合壜を持ってきた。銘柄等未確認だが、これも飲みやすい。通常、昼酒は三杯(3合)までと決めているが、料理良し、話良し、景色良しでおまけに店を独占状態だから、とても3合で打ち止めすることなど出来ない。
  締めは、「幻の津軽蕎麦」が蒸籠で出された。濁り酒も重ねて勧められたが、昼酒の方は5合で終わりにする。1時近くなって特別席の一団が出て行くと、その後は訪れる客もないまま女将との話が弾む。途中から厨房の片付けが終わった亭主も加わり、気がつくと3時になっていた。
  ともかく雪見酒紀行弘前編昼の部は終わりにし、一旦宿へ戻った。一眠りしてからシャワーを浴び、6時に夜の部へと出発する。

3.弘前 とり畔 銀水食堂
  小雪が降る中、向かったのは新鍛冶町とり畔で、土手町筋からかくみ小路を抜けて行く。小路を出てすぐの左手だが、その斜向かいにある銀水食堂を覗いてみた。
  この店は昨年の雪見酒紀行で初めて知ったところだ。五能線が雪のため不通になり、行き場を失い迷走し、弘前一番町の喫茶店一番館に立ち寄った。時分どきになったので亭主に付近の食堂でお奨めを訊いた。こちらの好みを見透かしたように教えてくれたのが銀水食堂だ。
とり畔のツマミ。上左:お通しの枝豆。上右:漬け物
下左:焼き鳥のナンコツと砂肝。下右:皮とレバー。
  創業は1953年だそうだが、当時となにも変わらず、ただ店の内外が年と共に年輪を加えたような店で、生憎なことに満員で諦めてしまった。その未練があったので、一杯やってから締めに何か食べても良いと思っていた。しかし店の明かりは消えている。
  店じまいしたならば惜しいことをしたと思いながら、真ん前まで行く。白い貼り紙があり、今日だけの臨時休業と記されていた。
  「銀水食堂とは縁が薄いのか. . . .」など考えながらとり畔の暖簾をくぐる。昨年と何一つ変わっていないように見える。もちろん私の記憶などまるで当てにならないけれど、要するに雰囲気が同じなのだ。
  先客は一人だけだったが、カウンターの端に陣取る。常連客に対する遠慮もあるけれど、それ以上に両側の客が喫煙者だった場合を恐怖した。ともかく冷や酒を所望し、焼き鳥はナンコツと砂肝、それに漬け物を注文する。焼き鳥は塩かタレか訊かれ、タレにする。塩の方が材料の味がストレートに出るためか、「通は塩。」などというが、私は通じゃないし、タレの方が店の特徴が出るような気がして、旅先ではこれを選ぶことが多い。
  二杯、三杯と冷や酒を干し、焼き鳥は皮、しばらくしてレバーをこれもタレで追加。結局五杯を飲んで7時半近くに打ち上げとした。表へ出ると雪の降り方が増したようだ。歩いて帰るのも億劫になり、土手町筋に出たところでタクシーを拾う。
「4.易国間、シェライン、大湊線、函館」に続く

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