雪見酒紀行2012

***目次***
1.雪見酒再び
2.寄り道
3.まずは高崎の一杯

4.野の庵再訪
5.フェリー佐井線
6.函館へ転進
7.函館一泊
8.函館大門横丁
9.易国間へ
10.わいどの家

11.青森へ
12.大衆割烹三好屋
13.青森の二日目
14.五能線

15.大館
16.花輪線そして終章

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1.雪見酒再び
  冬を迎え、北国から雪の便りを聞くと、雪見酒に出かけたくなる。もうずいぶん長いこと続けている、毎年の恒例行事だけれど、ふと気になりいつ頃から始めたのか調べてみた。93年の1月が最初のようだ。
  その前年に、5月の連休を利用して陸奥を旅した。その中でも印象の強かった竜飛を再訪したくなったのが一つのきっかけだろう。竜飛岬の奥谷旅館は太宰治や棟方志功をはじめ、有名人があまた泊まった宿だが、女将の奥谷 光江さんが七十を過ぎてなお矍鑠と一人で宿泊客の世話をしていた。「自分一人で面倒を見られる人数以上はお断りしてます。」とのことだから、泊まれるのは4、5人だ。一階の広間を使った夕食と朝食では、人数の少なさと、津軽の最果てまで来ている感傷も相まって、初対面にもかかわらず客同士の会話が弾んだ。
  宿の厨房はろくな暖房もなく0℃前後らしいので、「常温」で飲ませて貰う冷や酒は、歯にしみとおるようなものだったが、これも一興、冬の竜飛らしくて良かった。
  その後、冬ばかり何度か訪れた竜飛岬だけれど、99年を最後に奥谷さんと連絡が取れなくなってしまった。伝え聞くところでは体調を崩されて入院したとか。
  今は奥谷旅館も建物こそ残っているものの、宿泊施設ではなく、単なる観光案内所になってしまった。しかし習いとなった私の雪見酒は今も続いている。

2.寄り道
  いつもは上野駅の夜行列車で開始される雪見酒だが、今回はまず北軽井沢の友人を訪ねた。旅の間、飼い犬の面倒を見て貰うために預けに寄ったのだ。しかし北軽井沢も雪に覆われていたので、一日早く雪見酒を開始したとも云える。
  2月7日の夕方、北軽井沢のYさんNさんに送られ、吾妻線の長野原草津口から、寝台特急あけぼのに乗るために、まずは高崎へ向かう。
  切符を買おうとして、ちょっとしたトラブル。寝台特急券は購入済みなので、乗車券を高崎経由で青森までが10,190円。事前にインターネットで調べたときは10,670円のはずだったのに、なぜか若干安い。吾妻線各駅停車高崎行きが発車してから,ゆっくり乗車券を見直すと、高崎から長岡まで新幹線を利用するようになっている。
  JRの切符に関しては、1枚で同一路線を複数回通過できないことになっているのに、これを見落としていた。発券した駅員もこれを見過ごしていたようで、吾妻線で高崎へ出て、寝台特急に乗ると、高崎と渋川の間が重複するので2枚以上の切符にしなければならなかった。
  仕方ないので高崎で途中下車する際に改札駅員に相談した。結局ここで長野原からの運賃1,110円を支払い、ゴム印の押された切符を持って緑の窓口で経路変更して貰うことになった。新たな切符は高崎から青森までで、9,560円になり、630円が払い戻された。合計支払額は10,670円だから、インターネットの示していたものはこれだった。

3.まずは高崎の一杯   
 庄や 高崎西口店のぶりカブト大根煮と揚げしらす大根サラダ。

   いつもの雪見酒であれば、寝台特急へ乗り込む前に、門出を祝って(?)まず駅前の居酒屋で飲む。しかし今回に関しては、昨日すでに大宮からの新幹線で飲み、北軽井沢でYさんNさんと飲んだ。
  そして今日も昼飯時に軽くやっている。そんなことで旅の始まりが何時なのか曖昧になってしまったが、ともかく寝台特急が来るまでには2時間近くあるから飲むしかない。高崎に関して、土地勘は全くないので、ともかく駅周辺を歩いてみた。ビルばかりで、戸建ての居酒屋など見当たらない。
  できればチェーン店の居酒屋は避けたかったものの、探索に時間を費やすよりも、安易な妥協を選んだ。それでも最近羽振りの良いチェーンより、この業界では老舗と云えそうな庄やに入る。
  幸い店内は空いていたし、比較的静かだ。6席ほどあるが先客はいないカウンター席に坐る。冷や酒と、ぶりカブト大根煮、揚げしらす大根サラダを注文した。
  ぶりカブト大根煮は二片(半割にした頭が二つ。つまり一匹分)とたっぷりあり、ていねいに身をせせればちょうど良い時間潰しになるし、味わいも良かった。大根サラダもブリの脂が諄く感じられたとき、箸休めに好適。酒は群馬の地酒で谷川岳を、純米辛口とのことで頼んだ。酒の銘柄などに拘泥することはないけれど、飲みやすい酒だった。
  1時間半で3合のみ、勘定はしめて3,223円。安いと思うが、大手のチェーンならばこのぐらいが相場なのだろうか。
  徒歩1分の高崎駅へ行き、寝台特急を待つ。高崎駅からの乗客はやはり予想通り少ないものの、数人はいた。定時に乗り込み、上段の個室に収まると、寝酒の支度に取りかかった。長野原で調達したコンビニ弁当、カップ酒三つ、サラダ二種類とYさんが用意してくれた野沢菜、さらに自宅から持参のミックスナッツなどを適当に窓際や小テーブルに配置する。
  気持ち良く飲み食いし、終わったのは(多分)日付の変わる頃だった。
 

4.野の庵再訪

 7時58分、秋田駅構内。

  翌朝車内放送で目覚める。時計を見ると6時20分だ。通常ならば6時44分に秋田駅へ到着するので、下車する客が寝過ごすことのないためだけれど、この日は延着情報だった。
  秋田県内に入り、強風のため徐行を余儀なくされ、この時点で20分の遅れが生じているという。
  窓から見える周辺の状況は、確かに樹々が風になびき、枝が煽られている。しかしさほどの強風とは思えなかった。急ぐ旅ではなかったこともあり、「ともかく安全第一で行ってくれれば良い」と独りごちた。
  遅れはその後拡大する一方で、秋田駅に着いたのは1時間20分遅れだ。この寝台特急が単独で遅れているわけではなく、上り線にも遅れが生じ、単線区間の多い奥羽線では、相互が遅れを増幅しているように思われた。
  東能代を過ぎて路線が内陸部へ入ると、幾分風も静まった。それでもこの日の目的地弘前に到着したのは1時間20分遅れの9時38分だった。

 雪灯籠作成風景。
 
 雪灯籠に蝋燭が灯された画像。「タッチの 楽写空間,ブログ」より。

  駅前のビジネスホテル新宿に荷物を預け、弘前城趾公園へ向かった。列車の車窓からも積雪の多さは感じられたけれど、歩いてみると歩道の脇などに除雪され堆く積み上げられた雪塊に、今年の積雪量は例年に比べて異常に多いことが実感される。
  大手門から弘前城趾に入った。明日(2月9日(木))から日曜日までが弘前雪灯籠祭りなので、そこ此処で雪灯籠の作製がたけなわだ。
  祭りは大勢人が集まるので種類を問わず好まないし、夜間外出することもあまりないため、雪灯籠に灯りが点された光景は見たことがないけれど、観光ポスターなどの画像からするとかなり見応えがありそうだ。参考までにlivedoor PICS(ピクス)からの画像を貼り付けてみた。
  閑話休題。本丸から岩木山が見えればとの期待があったけれど、どうやら雲に覆われているようだ。諦めて本丸へはよらず、野の庵への最短距離となる西の郭を通り抜けた。この辺りの雪灯籠は小規模だが、数が多い。既に全部できあがっているためか、人影はなかった。

 西濠に架かる春陽橋とその背後に見える平屋が野の庵
 向こう側に牡蠣の茶碗蒸し。手前左がイクラと紅ザケの塩麹和え。右は蟹。
  春陽橋まで来れば、その向こうに野の庵が見える。例年になく雪に覆われた橋を、足を取られながら渡り、店の中に入っておとないを告げた。
  すぐに厨房との仕切りに掛けられた暖簾をくぐって、女将の貞子さんが顔を出す。暖かいおしぼりとお茶がもたらされたが、おしぼりを受け取って、飲み物は冷や酒を所望する。
  この前訪れたのは昨年の5月なので、早くも8ヶ月ほどが過ぎていた。他に客もいなかったので久闊を叙しつつも酒の他に料理も運ばれてきた。お品書きを見せられるまでもなく、お任せの酒肴は、どれも気配りの籠もったもので嬉しくなる。このように気の置けない飲み場所があることに感謝。
  場所と云うことならば、野の庵の立地は素晴らしい。庭はさほど広くないけれど、その向こうには弘前城の西濠があり、さらに西の郭、その背後には本丸の石垣が見え、借景が素晴らしい。
  冬の旅を雪見酒紀行と称しているけれど、実のところ雪を見ながら酒を飲める機会は稀なのだ。その観点からも此処は貴重なところだと思う。
 烏賊と鰤の刺身
  その後も他に来た客は一人だけで、お店には済まないと思いながら、貸し切りに近い状態を堪能した。女将との話が弾み、飲食を楽しみ、合間に雪景色に視線を巡らす。摘みは烏賊と鰤の刺身などが追加され、酒も昼の定量としている三合をだいぶ過ごしたようだ。あっという間に2時間が経ち、津軽蕎麦を締めとして昼酒を終える。
  宿へ向かう道すがら、喫茶店に寄った。土手町筋の一番町にある、その名も壱番館は、良い喫茶店の多い弘前でも、取り分け好きな店だ。そんなことで、喉が渇いていたわけでもないし、酔い覚ましでもなく、しばし立ち寄ってキリマンジェロの一杯を楽しんだ。
  後はビジネスホテル新宿まで、のんびりとしかし寄り道はせずに戻る。部屋へ入ると、夜の居酒屋探訪に備えすぐに午睡。
  6時を廻って出かける。既に辺りはとっぷり暮れ、日が落ちた後に急激に温度が下がったのか、踏みしめて行く雪はサラサラしている。しかし風がないのでそれほど寒いとは感じない。
  土手町筋をお城の方へ歩いて土淵川を渡り、すこしのところを左に入るとかくみ小路がある。ちなみに名称の由来はかつて土手町筋から小路への入り口の角にあった、弘前屈指の老舗、角み呉服店だ。この店の私有地を抜ける近道が小路の始まりらしい。
  夜の土手町筋  かくみ小路
  とり畔店先。  とり畔の焼き鶏(カシラ、砂肝、ナンコツ)
  一昔前の雰囲気を濃厚に残す飲食店が延長100メートルほどの通り両側に二十軒ほどある。どこも木造二階建て程度で、ビルはおろか会館などもない。
  10年くらい前にふと見付け、その佇まいに引かれた。しかし実際にそのどれかで飲んでみると、(個人的嗜好にもよるのだろうが)意外に面白くなかった。それでも店を替えたりして数回立ち寄った末、「通り過ぎてその雰囲気を楽しむに適したところ。」が私の結論となった。
  しかし小路を鍛冶町の方へ抜けてすぐのところに、(焼き鶏はさほど好かないのに)好みの焼き鳥屋を見付けた。
とり畔(なんと読むのだろう)と云う。七十くらいのオヤジが一人で、アルバイト二人を使ってやっている。
  この亭主はいかにも職人気質といった感じがし、見ている限りでは寡黙に焼き鶏を作り続けているが、見かけに寄らず人使いも上手いようだ。それというのも、学生アルバイトらしい男の子二人が、無駄話もせずにキリキリとよく働く。
  回数は少ないもののこの店に数年間通っているから、多分人(男の子)は替わっていると思うが、小気味よいとさえ思えるような働きぶりは一貫している。
  それだけでなく、店内の雰囲気からお品書きの内容、そして実際出される料理まで、飾り気はないものの不足がないし、おまけに料金は安い。そんなことだから、人を案内して行くならば躊躇もあるけれど、弘前に来て一人で飲むとき、迷わず此処に来る。
  冷や酒6本を焼き鶏(カシラ、砂肝、ナンコツ)と漬け物で飲んだ。勘定は三千円前後。それ以上ハシゴする気もなく、宿の一階でやっている居酒屋徳大寺が開いていれば若干寝酒をやるつもりで帰った。結局、徳大寺はお休みだったので、そのまま就寝。
5.フェリー佐井線
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