7.青森の居酒屋

 

  旅客船ターミナルからキャリーカートを引っ張り、徒歩5分で駅前の東横イン青森駅正面口に着く。チェックインを済ませて部屋に落ち着き、呑みに出るには早過ぎるので、またまた「ブラックホールで死んでみる―タイソン博士の説き語り宇宙論」を読んで時間潰しをする。
  5時半になって出かけた。目指したのは「ゆうぎり」、昨年も行った店だ。風変わりな店の印象が残っている。しかし何が変わっていたのか?3杯飲んでから ゆうぎりを訪ね、ここでまた4杯飲んだため、記憶に靄がかかったようになり、詳細が不鮮明にしかよみがえらずもどかしい。ならば再訪するしかないだろう。

ゆうぎりのコース。左上:ツブ貝の煮物。右上:タチ(鱈の白子)。
中左:ヤリイカとホタテの刺身。ヤリイカの足は生体反応が残っている。中右:ホタテ醤油焼き。
左下:けの汁。右下:追加で注文した漬け物。コースには写真にない生ウニもあった。
 

  入り口は半間のガラス引き戸で二つあり、右側には「宴会部入り口」と書かれている。なんの表示もない左側から入った。
  三坪ほどの調理場があり、その手前がカウンターでそれとセットの背もたれなし椅子が6、7脚。オバチャンが5人並んでテレビを見上げていたのが、一斉にこちらを向く。一瞬たじろいだが、彼女たちは蜘蛛の子を散らすように持ち場へ去ってゆく。
  カウンターの中央に坐ると、お品書きなどはなく、先ほどのオバチャンの一人が「2,300円のコースと、3,100円のコースがあります」と云う。高い方は蟹やらアワビなどが入っているらしい。アワビは嫌いでないものの、値段ほどの価値を感じないし、蟹は味はよいけれど身をせせるのが嫌いだ。と云うことで2,300円コースを頼んだものの、いささか落胆した。
  雪見酒紀行2008を書きながらこの店をネットで調べたとき、「お任せで頼める」ような記述があった。コースなら確かにお任せだが、こちらが期待したのは、その日仕入れたものから、良さそうなものをアレンジしてくれるシステムだった。コースで値段が決まっていれば、それに従い仕入れも固定的になり、料理人の裁量に関わる部分も少ない。もっともこの店には「料理人」と云った人はいないのかもしれない。
  この店の成り立ちを勝手に想像してみると、主婦が数人集まって、自分たちの店を始めたような感じがし、その人達が今も立ち働いている。店の構造にしても、宴会場や居酒屋を想定したものではなく、住宅をあまり改造もせずに転用しているらしい。入り口が二つあるのも、宴会部を別けるためではなく、元々二世帯の入り口が残っているのだろう。
  調理器具にしてもプロ仕様は魚焼き器ぐらいだ。ガスコンロは昔ながらの鋳物製アサガオ型で、家庭用のものだし、アルマイトの大鍋は薄手で金色に輝いているこれまた昔懐かしいタイプ。レードル(お玉)にしても同じようなアルマイトのプレス製品だ。
  酒を呑む場所としてトータルで評価すれば良いところだと思う。少なくとも私の好みには合う。当初はもう一軒ハシゴしようかとの心積もりでいたが、ツマミがたっぷりなことだし、次の店で何を食べるか考えたりしているうちに面倒になった。漬け物だけ追加注文し、5杯の冷や酒を飲み干す。
  勘定は四千円少々。ゆうぎりを出て真っ直ぐ宿へ帰ろうとしたが、何となく小腹が空いたような気分で、途中にあるおさない食堂にふらりと入ってしまった。
  頼んだのは焼き干しラーメンと、出来るのを待つ間飲む冷や酒一本。青森では焼き干しでラーメンのスープを取る店が多いらしい。 ラーメンを食べながらフト「青森の居酒屋探訪も卒業か」の思いが湧いてきた。もちろんたった二日で僅か二軒を回ったのみだから、これで「青森の居酒屋が判った」など云えない。しかし興味を持っていたゆうぎりの実体が自分なりに判ってしまうと、青森に対する関心が薄れてしまい、これから雪見酒紀行の目的地として取り上げることもなさそうに思えたのだ。
  焼き干しラーメンはさっぱりしているが旨かった。期待していなかっただけ、幸せな気分になってこの日を終える。

8.高田食堂再訪

  31日はどんよりと曇った日だった。5時半に駅前のコンビニエンスストアで弁当を買い、朝食を済ませる。東横インはお握りの朝食付きだが、7時10分発の奥羽線上り列車を利用するには間に合わない。
  この列車で(終点の)大館まで行き、1時間24分待って(同じ車輌で)鷹ノ巣へ向かう。座席はロングシートだし、大館での待ち時間は無為に過ごすしかないので文句を云いたいところだ。しかしこれはごまめの歯ぎしりというか、普通列車で旅する人などまずおらず、当該列車を利用するのは、弘前近辺の通勤、通学客が、大館から秋田にかけての買い物客がほとんどだから、この人達の利便性を考えれば仕方ないのだろう。
  大館駅では待合室で、またまた「ブラックホールで死んでみる」のお世話になる。面白いし、すぐには読了できないので、良い選択であったと感謝。
  鷹ノ巣で秋田縦貫鉄道に乗り換える。角館までの切符で阿仁合の途中下車はできないとのことで、割引切符を尋ねると「ホリデーフリーきっぷ全線タイプ」が40円(急行を利用すれば360円)だけ安くなると云う。土日限定発売で、角館<=>阿仁合、鷹ノ巣<=>松葉(阿仁合より33キロ角館より)ならば1,000円、全線ならば2,000円とのことだ。   

  阿仁合駅舎。
 

40円の差はほとんど意味がないけれど、普通の乗車券よりは花があるし、二度買わずに済むのも良い。ちなみに一緒に乗車した大多数は阿仁合から鷹ノ巣を往復する人で、皆この乗車券を持っていた。往復すれば600円得になる。ちなみに一番得なケースは松葉から鷹ノ巣を往復し、両方とも急行を利用する場合で、2,380円。しかし鉄道マニアならばともかく、通常はあり得ないだろう。
  旅行者は二、三名で地元が二十名ほど乗った一両編成は、10時41分に鷹ノ巣を発車した。相変わらずの曇天で、窓からの景観も、サッパリ冴えないものばかりだ。結局一回もシャッターを切らないまま、阿仁合に着いてしまった。
  高田食堂も昨年に続く再訪だ。酒は多分置いてなく、そして多分、酒の持ち込みを許してくれる。効率よく行動するならば、徒歩6分の途上で酒を買っていけばよいが、それではあまりに図々しいように思われた。
  暖簾をくぐると店の中には誰もいない。カウンターの向こうに人の気配がしたので近寄ると、ボブヘアの小柄な女性がレンジでフライパンを使っている。声をかけ振り向いたのは、高校生くらいの女の子だった。

  高田食堂のトンカツ。ソースをかけた状態で供される。
 

酒の持ち込み許可を求めると、無言のまま、それでも笑顔で頷いてくれた。駅の方へ100メートルほど戻ると、酒屋がある。ここで高清水の四合壜を810円で買った。高田食堂へ戻ると、見覚えのある軽自動車が停まっている。
  昨年はオバアサンが調理場と店を仕切り、その娘らしい女性が出前と調理を掛け持ちしていた。出前用がこの軽自動車だ。ちなみに先ほど厨房にいたのは孫娘か。
  店内にいた娘(オバサン)にもう一度酒持ち込みをお願いし、野菜炒めを単品で注文し、ガラスコップを一つ借りると手酌した。
  飲食に費やすことができるのは1時間ほど、焦ることもないと寛いで、少しずつ呑みながら野菜炒めを待つ。目の前にある飲料の冷蔵ケースをガラスの引き戸越しに見ると、ビール瓶などの横に金属製のボールに入った魚らしきものがあった。
  野菜炒めが運ばれてきたときに、ボールの中身を訊くとはたはただという 。秋田で鰰ならばたとえ山奥であるにしても、「御当地」と云う気分になる。これを注文したところ、「皆が飽きてしまい手を出さないものだから臭いが出て」と断られた。発酵が過度に進んだものも一興かと、重ねて頼むと、ともかく冷蔵ケースからボールごと取り出し、厨房へ持っていった。
  しばらくしてカウンター越しに「やっぱり臭いが酷すぎて」とのことだった。仕方がないので壁に掛かったお品書きからとんかつ定食を見て、しばらく悩んだ挙げ句、これを単品で注文した。
  何を悩んだか。カツ丼は好物だけれど、ここしばらく食する機会がない。昼酒の締めをカツ丼にするならば、その前にカツレツはあり得ない。最終的にカツ丼を断念し、ラーメンで締めることにして調整を付けたのだ。
  ラーメンは500円でサッポロラーメンが550円とお品書きにある。札幌以外でサッポロラーメンを食べることはまずないのだが、なぜか気まぐれでこれを選んだ。期待はしていなかったが、出されたそれはちゃんと西山ラーメン風の太くて腰のある麺を使っている。茹で加減も良く、スープはあっさりしているがしっかり旨味があり、望外の口福だった。ラーメンも永いこと絶っていたのが、昨晩に引き続きタイプこそ違え旨いものに巡り会えた。今回の旅は全般的に恵まれているようだ。

  笑内おかしない駅と岩野目駅の間。
 

勘定を払う段になり、今回も持ち込み料を受け取ろうとしない。これは予想していたので、ポチ袋に500円入れたものを用意していた。金額が妥当かどうか良く判らないが、ともかくこれで勘弁して貰う。
  駅に戻り、トイレを済ませると間もなく改札が始まった。この駅が始発で、乗客が多いはずもなく、思ったような席を確保できたものの、車窓風景は相変わらずぱっとしないものだった。
  阿仁マタギ駅を過ぎると、約6キロの長いトンネルを通過する。この路線が第三セクターにより運行されるようになった後の89年4月にようやく開通した部分で、沿線住民の悲願と云ったものが感じられる。水系が米代川流域から、雄物川流域に替わっていた。
  横手盆地へ向けて下りが続き、次第に積雪量も減ってゆく。角館に着いてみれば、残雪が汚らしくそこここに堆積しているような有様だ。雪見酒紀行の胆であるだけにガッカリする。

9.石川旅館

  角館を初めて訪れたのは92年の3月で、当時は寝台特急あけぼのが奥羽線経由だったから、大曲にも停車した。田沢湖線に乗り換え、角館に着いたのは午前6時ころだろうか。早朝だから観光客の姿などなく、枝垂れ桜が咲き始めた武家屋敷界隈や、花見の名所で日中ならば混雑するはずの 桧木内川堤などを回っても、静けさを楽しむことができた。
  石川旅館に初めて投宿したのは、96年2月で竜飛岬から青森を経ての旅だった。98年からは毎冬欠かさず泊まっている。(多分)最初に泊まった時から世話をしてくれたオバチャンの人柄に惹かれ、雪見酒紀行の道筋が硬直化してしまうことを嘆きつつも、角館を外しがたい。
  この日も駅から宿へ直行した。着いたのは3時で、荷物を預けるとそのまま街歩きに出かけた。しかし歩き出したものの、行き先に窮する。角館にはルネ・ラリックのガラス工芸品に関する趣味の良いコレクションを展示する、大村美術館があるけれど、再三見ているし、前回は昨年の5月に訪れている。 結局、武家屋敷が一番多く残っている東勝楽丁ひがしかつらくちょう 方面へ向かった。
  横町の交差点を渡ったところで、藍染のテーブルクロスなどを店先に展示しているのが目を惹く。写楽という店だった。

  藍染めテーブルクロス(部分)。
 

冷やかしのつもりで覗いてみる。中に陳列してある品物もさることながら、店頭の、「通常価格三千円を千円」というのが気に入った。値段からすれば中国製であろうとは思うが(執筆にあたり確認したところ「中国製」のラベルあり)ともかく手仕事であることだし、模様や色合いも気に入った。サイズは113センチの真四角。
  本来のテーブルクロスとしての使用だけでなく、適当に裁断・裁縫しても良いだろうし、風呂敷にする手もありそうだ。勘定を支払いながら、いつからここで店を構えているのか訊いたところ「新幹線開業のころ. . . .」と云うから、97年からで、10年以上経っている。初めて見かけたと思うので、最近の開店かと考えたが、私がこの界隈を10年以上敬遠してきたと云うことらしい。
  東勝楽丁ひがしかつらくちょう を通り抜け、桧木内川に沿って下流方向へ歩く。橋のたもとにある洋菓子店プチフレーズの二階でコーヒーを一服。窓から川を見下ろせるのも良いが、冬場はまず客が来ないところがさらに良い。ちなみにスタッフは接客するときだけ、一階から上がってくる。
  プチフレーズを出て、対岸を次の橋まで下流方向へ行き、渡り返す。橋のたもとから隘路を適当に選んで宿へ向かう。戻り着いたのは4時半だった。
  部屋で寛いでいるとオバチャンがお茶道具を持って挨拶に来る。手作りカレンダーを渡すつもりで、家に忘れてきたことを詫び、「後で送るから名前を」と尋ねた。石川恵美子さんとのことで、やはり一族の人だった。
  夕食はいつも通りの献立で、最初に5本の銚子に追加3本もまた同じ。ゆっくり休んで翌朝の新幹線で東京へ向かった。9時42分発こまち10号。
  こまちは不愉快なことに全席指定だが、幸運だったのか、北側の席で順光線で撮影ができた。事前に期待はしていなかったが、雪が多い。それも通常ならば日本海側(気候)から仙岩トンネルで太平洋側に抜けてしまうと、一気に減ってしまうのが逆だ。どうやら昨日は三陸沖辺りを低気圧が通過し、かなりの降雪をもたらしたらしい。
  一夜明けて晴天に恵まれ、陽光を受ける新雪風景を堪能する。盛岡を過ぎても景色は白を基調とし、仙台でもまだかなりの残雪があり、雪を見かけなくなったのは福島県に入ってからだろうか。嬉しいオマケだった。なにしろ雪見酒紀行の胆なのだから。

上:角館郊外。
下:雫石直前
 
上:仙岩トンネルを抜け雫石近く。
下:雫石盆地からの岩木山。
 

――  完 ――
 

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