雪見酒紀行2009

***目次***
1.出発まで
2.駅前食堂おさない
3.函館自由市場
4.函館山・元町
5.わいどの家
6.佐井からフェリー
7.青森の居酒屋
8.高田食堂再訪
9.石川旅館
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1.出発まで

 北国から雪の便りを聞くと旅に出たくなる。今年は1月27日の夜行列車で、北へ向かうことにした。午後八時に上野駅に着く。列車の発車時刻からすれば、大幅に早過ぎるけれど、これはいつものように界隈で一杯やるためで、出発前の儀式に近いように定式化している。
  毎年探しているのに、未だに良い居酒屋に巡り会わないのが悲しい。この日は上野駅広小路口からほどない「素朴な居酒屋」を標榜する店に入ってみた。看板に偽りありとは云えないが、何か意に染まないものがある。常連客はいないようで、駅に近いせいか、客の出入りは忙しなく、気分的に落ち着かない。白子酢の物、菜の花辛子和えで冷や酒を飲み始める。
  漬け物を尋ねると、キムチだとの答えに、不本意ながらもこれを追加注文。結局一時間ちょっとで徳利を三本空にして、勘定は五千円を超えていた。居酒屋とすれば高めだ。もっとも徳利は大きめで、公称ならぬ居酒屋称で二合に相当しそうだ。
  近所のコンビニエンスストアで弁当を買い、改札を通過してからカップ酒を求めて売店へ。徳利が大きかったので、カップ酒の個数に迷いがあり買うのが遅れた。結局「多過ぎたら残せばよい」と 安易な考えで、四個に落ち着く。
  すでに寝台特急あけぼの号は入線していた。車掌が一号車で検札をしている。ここを通り過ぎようとしたら、禁煙の構内で煙草を吸っているオヤジがいる。六十半ば過ぎか。これを咎め、さらに言葉を重ねても、一向にやめる様子がない。面倒なので口元から摘み取り、プラットフォームに叩きつけて消した。
  振り返ると、先ほどの車掌が検札を終えたのかフォームに佇んでいる。そちらへ行き「喫煙に関する口論は聞こえなかったか?」訊くが、検札業務に忙殺され聞こえなかったらしい。車内であれば音も届きにくいだろう。ともかく検札を済ませて貰い、あとは個室寝台ので寛いで飲むだけだ。
  5号車に乗り込もうとする寸前、先刻のオヤジにトレンチコートの胸ぐらを掴まれる。煙草を消されたことに不満があるらしいが、口をついて出る言葉は、まとめてみれば意味不明だ。こんなのに付き合っても時間の無駄と思うが、一向に放してくれない。
  おりよく車掌が通りかかったので「絡まれて困っている、何とかして欲しい」と助けを求めた。オヤジは「こいつに絡まれている」と云うが、こちらは片手でキャリーカートのハンドルを握り、残る片手は弁当とカップ酒の入ったレジ袋を下げ、半ば虚しく胸ぐらを掴まれている状態で、これでは判断に迷う人もいない。直ちに一件落着。
  あとは個室に落ち着き、酒肴を窓際に配置し、列車の発進に合わせて飲み直しを開始した。緊張をじっくり解きほぐし、トラブルで昂揚した意識を酒で冷やす。大宮に着く頃にはすっかり幸せな気分になっていた。熊谷当たりで3個目のカップ酒が空になり、「これで充分」の気分で独り宴会をお開きにする。

2.駅前食堂おさない

夜中に数度目を覚ますが特筆すべきこともなし。海側の個室ならば、暗闇の中で磯に打ち寄せる白波が見えたりするが、山側だったのでそんなこともなかった。

 8時2分。東能代を過ぎて10分。
 
 9時10分。リンゴ畑の向こうに岩木山。
 

秋田の少し手前ではっきり目覚め、間もなく車内放送も開始される。秋田駅では駅弁を販売しているし、車内販売も開始された。これで朝飯、朝酒の趣向も可能だが、やめておく。別に宿酔だったわけではなく、青森の駅前食堂に期待したためだ。
  天気は快晴で、おまけに前日まで降雪があったため、木々はたっぷり雪の衣を纏っている。これが朝日を受けて、僅かながら赤く色付いて輝く様は、雪景色を楽しむにおいて、まず最上のコンディションといえる。
  秋田から弘前まで、2時間近く車窓風景を堪能できたけれど、残念なことにこれを画像にとどめるのには失敗した。条件があまり良くなかったのだ。
  車窓からの撮影はやりにくいものだが、かててくわえてまず光線の状態。山側の個室は、朝日に対し逆光の位置になる。一般車両であれば、たとえ指定席でも、反対側の窓から撮影する手だてはあるが、個室ではいかんともしがたい。
  次いで撮影姿勢。寝台個室は、本来横たわった状態で一番快適に過ごせるように作られている。それでも用意されている背中用クッションを利用すれば、車窓風景を楽しむ程度に体を起こすに支障はない。しかしこの姿勢でカメラを構えると、窓ガラスからレンズまで10センチ以上の距離が空き、かつガラス面に対して、斜めから撮影することになる。
  試してみればすぐ判ることだが、ガラス面に反射した室内の像が写り込み、逆光の時にはそれが甚だしいものになってしまう。「良い画像が撮りたい」の、多少強固な意志があれば、クッションなどに身を預けずに、苦しくても窓ガラスに正対する胡座などで頑張れば良いのだが、からきし駄目でした。  

 上:ホタテ貝紐刺し。下左:焼き鰊。下右:けの汁。
 

東能代から続いた山間の鉄路も、大鰐温泉を過ぎて間もなく、津軽平野へと出て行く。弘前着9時19分、そして終着青森は定刻の9時16分だった。
  向かいのホームから乗り継ぎ特急の函館行きが10時1分発で、先を急ぐ旅人には好都合なれど、私にとっては優先するものが他にある。途中下車して駅前食堂おさないへ向かった。
  昨年の雪見酒紀行で利用しているから「マンネリ」の誹りに内心忸怩たるものもあるが、ともかく駅から至近で、この時間から営業(開店は朝7時)しているのは貴重だし、昔ながらの駅前食堂風情は好みのものだ。ともかく迷わず直行した。
  ウナギの寝床のような店内に先客は二組、入り口付近に座ったオヤジは、熱心に漫画週刊誌に読みふけり、傍らにはお銚子とおちょこが置かれている。奥にはジイサンとオバサンのカップル、どちらも煙草を吸っているので、なるべく離れた真ん中当たりに席を占める。
  まず冷や酒。全国でも一、二のホタテ貝水揚げ量を誇る青森らしく、ホタテ関連メニューが十種ほどあり、その中からホタテ紐の刺身を頼んだ。本日の焼き魚を訊くと鰊とのことだ。今ならば津軽海峡の鰊は旬であろうか、「パリッと焼き上がった鰊は旨かろう」と勝手に考え、これも注文。
  驚くほど早く、酒と紐刺し、そして鰊まで運ばれてくる。見るからにパリッとはしていない。箸を着けてそのことを確認しながら考える。駅前の大衆食堂だから、時分どきには客が押し寄せ、焼き魚定食で一匹ずつ焼いていては間に合わず、客も怒るだろう。まとめて焼いたものを、電子レンジで再加熱するのが通常パターンとなるのか。それにお品書きに書かれた定価は、僅か350円なのだ。
  幸い、大抵のものを「旨い」と食せる質なので、納得すればあとは楽しい(早)昼酒・昼飯になる。ちなみに、お通しとして出されたホタテ卵の煮物が、一番の美味だった。40分ほどで酒三杯とツマミを平らげ、青森の郷土料理、けの汁を頼む。一時間弱の饗宴(?)は二千円少々。上野で居酒屋の勘定が高いと思った後なので、非常に安く感じる。

 

 11時40分。津軽半島蟹田付近。彼方に見えるのは渡島半島か?
 
 12時51分。渡島半島上磯付近。函館山を遠望する。

3.函館自由市場
  青森駅へ引き返し、11時19分発の、八戸発、函館行き特急スーパー白鳥1号に乗る。乗車率は二割程度で、右側の窓際を選ぶ。海峡線はトンネル区間の半時間が何とも詰まらないけれど、残りは海を眺めながら過ごそうとの魂胆だ。
  蟹田までの津軽線区間は、かつて毎年のように竜飛岬を訪ねていたことなど思い出し、景観に見覚えもなくなっていて、なおそこはかとない郷愁を覚える。
  蟹田から先、三厩みんまやまで 津軽線がごく鄙びた鉄路であるのに較べ、青函トンネル開通と共に新設された海峡線は、将来の新幹線規格へ昇格することも見込まれた近代的な姿でトンネルへ向かう。半時間の辛抱を過ぎると、既に渡島半島。馴染みのない景観だが、特徴ある函館山には、すぐ気付いた。その後も順調に進み、この日の宿、東横イン函館大門にチェックインしたのは1時半だった。
  入室できるのは3時からなので、市街平面図を貰い、自由市場、函館山への行き方を教えて貰い、さらに写真撮影に好適な、趣ある街並みがどこら辺にあるか訊いた。元町界隈がお奨めらしい。
  荷物をフロントに預けると、まず徒歩6分の自由市場へ向かった。明日の宿が自炊 (一軒家に厨房設備や鍋釜、調理器具、食器などは備わっているらしい)のため、食材を調達しておこうとの目論見だ。
  
最初に宿が食事を提供せず、付近に食堂もないと聞いたときは、「コンビニ弁当でも持参すれば」と安直に考えたが、すぐにこれを改める。国内外を問わず、旅をして土地の市場を見て回るのが好きだ。家にいれば自分の食事はほぼ100%自前でこなしているから、市場で素材や製品を見ると買いたくなる。加工せずに食べられる果物や、ハム、ソーセージなどであれば、宿へ持ち帰り晩酌のツマミなどにすることもあるが、それ以上は不可能と、口惜しく感じることが度々であった。
  今回は、願ってもない機会だし、函館には有名な「函館朝市」があるのだ。雪見酒紀行のマンネリ打破にも役立つと勇躍する思いであったが、函館朝市をインターネットで調べると、あまり評判が良くない。行くのは観光客ばかりで、地元の人は近づかないとか。そういえば昨年、東横イン函館駅前朝市に泊 り、出立時に朝市前を通過した際、客引きがうるさいことと、雰囲気がいかにも観光客相手で、とても中まで覗く気になれなかったことを思い出した。そして替わりに見つけ出したのが自由市場だ。

  雰囲気は青森の朝市によく似ている。地方都市の食料品関係市場ならば、これが典型的なのかもしれない。2時少し前という時刻のせいか、場内は閑散として、売り手の方も、手持ちぶさたあるいは一服休憩時間と云った感じで、のんびりしている。一見いちげん の 旅行客としては、活気に溢れて半ば殺気立つようなところでは、おちおち見物もできないし、ましてや写真など自粛せざるを得ない。良いタイミングであったと思いながら、取り敢えず買い物は後にして場内を一周する。
  入り口そばの鮮魚店では、ホッキ貝、ツブ貝、ホタテ貝などが皿に山盛りになっている。オカミサンに写真撮影の許可を求めると、笑顔で応じてくれた。数枚撮影。以後時計回りに歩いてあれこれ品定めしてゆくと、明日の食事(酒のツマミ)構想が次第に固まる。

 
 ホッキ貝。
 
 鰊漬けとホッケの開き。
 

振り出しに戻り、先ほどのオカミサンとホッキ貝の交渉をする。一皿千円は高価すぎることはないものの量として一人には多過ぎる。ばら売りになんの問題もなく一つ250円で済んだ。
  初めて扱うことを云ってバラ仕方を訊くと、「身を外しても冷蔵庫で一日、二日は大丈夫だから. . . .」と、傍らにあったテーブルナイフを使って、手早く剥き身にする。さらにそばにあった刺身として捌かれたものと比較しながら、捨てる部分などを教えてくれ、包装紙にくるむと、ポリ袋に入れた氷も添えてくれた。
  数軒先の鮮魚店で、鱈の昆布締めを400円で買った。鱈は生で食べる機会が少なく、今まで竜飛岬と留萌の二回だけだったため、つい手が伸びる。昆布締めの商札が付いているが、実体は昆布の上に鱈の薄造りが並べられているだけだ。マアそれでも水分が絞られて旨味が凝縮するのであろうか。
  他にホッケの開き一枚600円、鰊漬け一袋300円、石狩漬け(生紅ザケの切り身と、いくら、麹を漬け込んだもの)100グラム400円も調達。石狩漬けは「おまけするよ」とのことで、五割り増しくらいあったようだ。
  食材購入を完了し、一旦宿へ戻る。2時を回ったばかりで、相変わらず入室はできないので、市場で求めたものを全部冷蔵庫で保管して貰う。

  

  右上:雰囲気のありそうな喫茶店だが閉店していた。左下:築百年以上か?純和風建築。右下:和洋折衷洋館。
 

4.函館山・元町

再出発して、函館山、元町地区へ向かった。市電が駅前と、目指す地区の入り口とも云える十字街を結んでいる。しかし時刻が早い上、距離は大したこともなく、運動不足解消と街見物を兼ねて、徒歩で移動した。十字街に着いたのは2時40分だった。
  函館も良港のある地形として典型的な坂の多い街だ。元町地区は函館山の北斜面に開け、坂を下ってゆけば、200メートルほどで波止場に至る。幕末期の三国際港(他は横浜と下田)であったため、往時には外国領事館や貿易商などがこの地区に居住し、富も集まったのであろう。しばらく当て所なく彷徨い、宿で貰った市街平面図を参照して旧英国領事館へ向かった。  

 旧英国領事館内にある喫茶室「ビクトリアン・ローズ」。
 

領事館の建物は1913年(大正二年)竣工の、格式高い建物ながら、樹木などが障害になり写真には撮りにくい。しかし喫茶室があることに気付き、中へ入った。何となく英国式の旨い紅茶が飲めそうな気がしたのだ。
  ひっそりと静まりかえり、先客は女性が一人、別室の片隅に坐っているだけだった。ロイヤル・ミルクティーを注文する。
  外の寒さはさほど厳しくなかったものの、快適に暖房された明るい室内から、表の雪景色を眺めつつ飲むミルクティーは格別のものだ。しばらくして若い男性観光客が一人訪れただけで、優雅かつゆったりした時空を半ば独占的に楽しむ。
  半時間弱をビクトリアン・ローズで過ごし、元町散策を再開した。旧領事館前の基坂を少し登ると、元町公園で、旧北海道庁函館支庁舎や旧函館区公会堂(重文)などがある。歴史的な意味はともかく、建造物としてはあまり面白くなかった。

 元町公園から望む函館港と函館ドック。街灯の左側に小さく見える秀峰は駒ヶ岳。
 

 
 函館ハリストス正教会と後方左にカトリック教会の鐘楼。
 

旧公会堂前の道を南東へ辿る。観光客相手の飲食店や土産物屋が多く、旧い建物を利用した店は それなりに雰囲気がある。しかし一軒だけ中を覗いてみると、俗悪ではないものの陳腐な土産物ばかりだった。
  そのまま南東へ進むと、函館ハリストス正教会(重文)の優雅な姿が見えてくる。近づいて撮影ポイントを探しながら敷地内を行くと「許可なく撮影し、商業利用を禁ずる」旨の制札があった。曖昧な日本語だが、「商業利用しなければ良い」と勝手に解釈して撮影した。
  すぐそばのカトリック教会へも寄る。正教会の玄関は閉ざされていたが、こちらは開いている。しかし内部での撮影は禁止され、おまけに下足しなければならないので踵を返した。見るほどのものもなさそうだったし。
  函館見物の目玉に考えていたのは、40年振りに見る函館山からの夜景だった。しかし時刻はまだ4時にもならず、暮れるまで歩き続ける気にもならず、一旦宿へ引き返した。十字街の停留所から駅前まで市電を利用し、料金は200円。  

 十字街停留所と路面電車。
 

とっぷり暮れるのを待って、5時過ぎに宿を出た。ちなみにこの日の函館は、日没4時47分だった。
  十字街で市電を降り、一本先の南部坂をロープウェイ山麓駅目指してのぼる。辺りに人通りはないが、見上げると山麓駅前には客待ちタクシーが十数台並び、ゴンドラが山頂駅へ向かって登って行くのが見える。
  山麓駅に着いてみると、前の駐車場には大型観光バスが5、6台駐車し、駅舎の方はかなりの人混みで行列もできている。やむを得ない場合でなければ並んだりしたくない。夜景見物をやめようかと思ったが、一応近くにいた係員に「何回ぐらい待ちますか」と尋ねると「一回で行きますよ」との返事だ。昔に較べるとゴンドラも大きくなったらしい。
  1,160円で往復乗車券を買い、ゴンドラが下りてくるのを待つ。廻りには三十人くらいいたが、聞こえてくるのは中国語だけだった。台湾か本土か、はたまたシンガポール辺りからの客人だろうか?
  現在のロープウェイ設備は四代目だそうで、125人乗りのゴンドラが10分間隔で運行されている。確かにそれだけの搬送能力があれば待たされることも少ないわけだ。
  中国語の喧噪に包まれたままゴンドラに乗り込む。290メートルの標高差を約3分間で登り、この間のパノラマ夜景が展開していく様子は、今さらと思いながらも素晴らしい。山頂駅施設は三階建ての、かなり大規模なものだけれど、こちらも中国語一色だった。ともかくここへ来た目的、夜景の撮影を済ませようと、足早に屋上展望台へ向かった。

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 函館山々頂からの夜景。
 

  こちらも中国語に席巻されているのは同じだ。夜景を撮影するには手摺りのところまで辿り着かなければならないが、それにも多少手間取った。暗いから1秒のスローシャッターを切らねばならず、手ぶれを防止するために、手摺りの鉄パイプにカメラを押し付けるようにして撮影する。ところがこと鉄パイプを素手でゴンゴン叩く輩がいて、共振したパイプは、ブルブルと震える。迷惑な話だが、それほどのマナー違反とは云えず、そして「抗議するならば中国語?」と考えればひるんでしま う。
  できるだけ振動が収まった頃合いを見計らいシャッターを切ろうとするが、次々に(多分違う人間が)叩く。余程気分が高揚しているのだろう。ともかく3分間で12枚撮影すると、這々の体で山頂駅施設から退散した。

 ヤマタイチのお通し(手前の小鉢)とホヤの酢の物。
 

十字街から駅前は再び市電を利用し、その足で徒歩5分の大門横丁へ向かった。昨年も飲んだところだ。狭い横丁内を一回りし、結局同じヤマタイチの暖簾をくぐった。
  冷や酒を頼むと、銘柄を問われた。お奨めを訊くと辛口ならば銀鱗とのことだ。秋田の酒だとも。銘柄には無頓着だから、それを貰うことにした。ツマミにホヤの酢の物でスタートする。
  先客は中年男が二人、札幌から来た上司と函館勤務の部下らしい。隅の席で静かに飲んでいた。呑みながらゆっくりメニューを見直す。「いもセット」なるものがあり、セットが気になって女将に訊くと、茹でジャガイモにバタと塩辛がセットで付いてくるらしい。ジャガイモと塩辛の組み合わせが、全国区ではないものの道南ではかなり一般的らしい。面白そうなのでこれも注文。
  女将はこちらの顔をおぼろげながらも覚えていたらしく、それがきっかけになり四方山話が始まった。40年振りで訪れた函館山が中国語に席巻されていたことを話すと、「多分台湾の人でしょう」樋云う。昨晩この店を訪れた台湾人の中年夫婦は、日本統治時代を経験した親の影響で達者な日本語を使い「台湾の春節は今年八連休になり、日本へも大挙して見物に来ている」ことなどを話したそうだ。
  宿を出たときは二軒くらいハシゴするつもりでいたが、次第に面倒になる。大門横丁で知るもう一軒、焼き鳥の光味亭がこの日は定休であったことも影響している。三杯目と共にニラ玉を追加注文し、何か函館らしいツマミがないか尋ねた。
  お奨めに従いカジカの刺身を貰う。川魚カジカは40年くらい前に唐揚げを食べたことがあるが、目の前で捌かれているのはもっと大型のものだ、ひょっとすればこれが該当するのかもしれない。ともかくこれらを肴に、五杯目まで呑み、仕上げは鍋焼き饂飩で締める。料金は五千円少々。    

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