みちのく雪見酒紀行2007

***目次***
1.上野駅
2.弘前
3.雪なし酒
4.大村美術館
5.山形
6.仙山線
7.ゴールへ向けてよろよろと
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1.上野駅

  冬になれば「雪見酒紀行」に胸が騒ぐのはいつものこと。06年は羽越線脱線事故の余波で出発が遅くなったけれど、今年はそのようなこともなく、1月18日の夜行寝台列車を手配した。
  上野駅にはこれまでより早めに出かけた。じっくり居酒屋を探すためだ。これまで東口界隈で安直に妥協していたが、好みの店ではなかった。改めて地図を見れば、公園口や忍ばず口界隈も期待できず、広小路口からアメ横方面に可能性がありそうだ。ついつい飲みたい気持ちが先走り、近場の店に入ってしまう傾向を反省し、「選択に時間をかけないと飲み過ぎてしまう」ぐらいに出かけたのだ。どうせ時間はたっぷりある。

  キャリーを引っ張りながら線路沿いを南下する。確かに予想通り飲み屋は多いものの、いざ「この店で飲むか?」と観察すれば、帯に短し襷に長しと云うべきか、意に染まないところばかりだ。高そうな店や気取ったところは当然ながらまず避ける。チェーン店も嫌だ。屋台まがいで大勢若い人で盛り上がっているところも気が引ける。消去法で残った店を覗き込んで、隣がほぼ満員なのに、こちらにはほとんど客がいなかったりすると、それも何か不安になってしまう。
  半時間ほど虱潰し(?)街頭調査の結果、「ひがし北畔」がかろうじて残った。ビルではなく木造二階建てで、二階に居住しているらしく、ドアは手動の引き戸だ。一歩踏み込んで店内を見回せば、ウナギの寝床を思わせる細長い奥に座敷、手前はカウンターで常連客らしいのが二組、カウンターの中にはオヤジらしい六十男が黙々と料理を作り、そのカミサンともう一人のおばさんがお運びさんといった構成だ。

  カウンターの中程に席を占め、鰊の切り込みとシャキシャキ・サラダ(大根とジャコのサラダ)で二合徳利を冷やで貰う。お品書きを見れば、はたはたの一夜干しなどにも食指が動いたものの、サラダと切り込みで充分つまみは足りたし、その他食料(つまみ)は個室寝台での飲み直しに備えて相当量好みのものを持参している。そんなことからお通しと二品で徳利二本(正味三合程度?)を空にして店を出た。
  駅への道すがら、コンビニ弁当とカップ酒三合を買い込み、個室寝台に落ち着く。これまでの雪見酒行よりたっぷりの持参ツマミを肴にのんびり飲み、高崎を過ぎた辺りで、食料も酒も終わりとなる。後は陶然として眠りに落ちるだけだ。
 

 大館付近。
 

2.弘前

途中の停車駅で目を覚ますこともないまま熟睡し、秋田駅接近を告げる車内放送で起こされた。7時近くで日の出前だけれど、辺りは既に明るい。雪の量は少なく、白と茶のまだら模様だけれど、これならば北上を続ける間に充分な積雪量になろう。
  窓外の景色を楽しみつつそれから二時間半、定刻の9時17分に弘前到着。気温は5℃で風もなく晴れた気持ちの良い朝だ。弘前の定宿、駅前のビジネスホテル新宿へ直行し、キャリーに着けたままの鞄を預ける。カメラバッグに本一冊を持ち、弘前の街へ。
  昼酒にはまだ早い。時間潰しに目指したのは、一番町にある喫茶店、壱番館。数回訪れたことがあるけれど、飲み物も旨いし、雰囲気も良い。此処に限らず、弘前には良い喫茶店が数多く残っているように感じる。実際に入ったことがあるのは二軒くらいだから、当てにはならない評価だが、街自体に、上質の喫茶店を生き残らせるような「良き旧さ」があるのだろう。東京などでは随分昔になくなってしまったものが。

昨秋、「みちのく観楓会紀行」に際しても立ち寄った壱番館だが、今回も同じセイロン風ミルクティーを注文する。ちなみにコンチネンタル風ミルクティーなるメニューもあり、この差異を尋ねたところ、茶葉や抽出法は同じで、最後に生クリームが添加されるのがコンチネンタルとの答えだった。
  話のついでに、道路を隔てた向かいの駐車場片隅にあった、プレハブ屋台の数軒が姿を消した理由も訊く。再開発の計画でも立ち上がったのかと思いきや、単にリース期間の二年が経過し、半年は延長したもののそれで終わりになったそうだ。
  秋に寄った「広島風お好み焼き」 は、母娘がおぼつかない手つきでお好み焼きを扱う様子が、初々しかったが、あの時点で既に撤退は決まっていたのか。改めて駐車場の方へガラス窓越しに視線を向ける。たとえプレハブ屋台でも、なくなりガランとなってしまうと、風景が寂しくなる。

 弘前城辰巳櫓。積雪量が少ない
 

本を読みながら、昼酒会場の「野の庵」開店時刻の11時半を待つ。本の最後辺りが面白く、予定時刻を超過して長居をする羽目になった。弘前城内鷹楊公園からの、岩木山撮影には時間不足になったかと、若干反省したものの、いざ城趾に辿り着いてみれば、西の方に雲がかかり、いずれにせよ岩木山を撮影することは不可能であった。

追手門から入り、足早に西の郭を抜けて、春陽橋を渡れば、野の庵は目の前だ。おとないを告げると、顔見知りの仲居さんが姿を現す。
  先客はおらず、「どこでもお好きな席を」と云われた。西堀越しに鷹楊公園を借景にした縁側席の北端に落ち着く。一週間前に電話で予約したとき、「別に予約しなくても、多分他にお客さんは来ませんよ」とのことであった。こちらも満員になるとは思わなかったが、「冬期は客が少ないため、不定期に休業する」場合を危惧したためで、ともかく無駄はあったにせよ、寛いで雪景色を眺めれば、 ほのぼのとした満足感で全身が満たされるように感じた。
  いつもと同じで、蕎麦会席コースと冷や酒(じょっぱり)を頼み、雪景色を堪能しながら独酌する。北国、雪国にある飲食店は数多いけれど、いざ実際に雪を眺めながら昼酒を楽しめるところとなれば、およそ稀少になってしまう。ましてそれが単に「雪」ではなく、「風景」に値するところとなればなおのことだ。

 上左:城内から春陽橋越しに見る野の庵。上右:コースのオードブル。下:縁側からの眺め

そんなことを取り留めもなく考えつつ独酌が進む。いつもならば席について程なく顔を見せる女将が現れぬことを、訝しく思いつつも「外出しておられるか?」と考えていた。すると奥から恰幅の良い白衣白帽の男性が登場した。初めてお目にかかる野の庵のご亭主だ。女将は「白内障の手術で入院し、今日が退院予定」と聞いて先ほどの疑問も解消する。
  ご亭主は卓のそばに腰を下ろし、世間話などされるけれど、社交的な女将とは対照的に、朴訥な方とお見受けし、話柄をつなぐのに苦労されているさまにこちらも恐縮する。適当な頃合いで退出されたので、ホッと一息。
  思わぬ展開はあったものの、酒量は順調に進み、供された料理全てを四合の酒で流し込み、雪見酒を終了した。

ほろ酔い機嫌で城址公園を漫ろ歩いて抜ける。再び壱番館へ寄ったのは、ビジネスホテルのチェックイン時間には早過ぎたためだ。今度はキリマンジェロを飲んでみたが、これも旨かった。時間調整も上手く行き、部屋へ入ろうとしたとき、ちょっとしたやりとりから「多少狭いですが禁煙室も」あるとのことでそちらへ部屋替えする。この宿は一般的ビジネスホテルより広々した構成なので、狭いと云っても窮屈な思いをすることはない。午睡を楽しんだ後、5時半に黄昏の街へ出かけた。

最初は桶屋町の「鳥かん」へ行くつもりで、土手町商店街からかくみ小路へ入り、さして長くない小路を抜けたところで食指の動く焼鳥屋を見付けた。鳥かんに 執着はないから「駄目もと」で暖簾をくぐる。店内は五席ほどのカウンターと小卓二つが置かれた小上がりだけの、好みの規模で、オヤジと若い衆二人でやっている。
  オヤジは年の頃、七十近いと見受けたが、キリキリ働く様が小気味よく、アルバイトらしい若者も、これを受けて動作に張りがある。お通しを出しながら「何か焼きましょうか?」と訊かれ、カシラを注文すると「一人前で?」と念を押す。バラでも注文できるらしい。塩で焼いて貰ったカシラ(4本)は美味で、さらにナンコツ2本、レバー2本も塩で追加した。
  結局つまみはそれだけで済ませ、冷や酒3合を飲んで夜の部は終わりにする。そのつもりが宿まで戻って、「もう一杯」が飲みたくなり、宿と同一経営のスナック「徳大寺」に入った。客は誰もいない。昼間は女性経営者としてフロントに座る彼女が、夜はスナックのママをやっている。世間話をしながらさらに冷や酒2合。何を話したかほとんど覚えていないけれど、彼女は弘前の出身ではなく、八戸の方から移住してきたとか。これも当てにならない夢想かもしれない。ともかくこれで熟睡する。

   

 
 野辺地手前。
 

3.雪なし酒

明くる日、ちょっとした所用があり、八戸へ向 い、10時2分発の青森行き普通列車に乗車た。青森乗り換え後も普通列車利用を予定していたけれど、いざ青森について同じホームのすぐ向かいに、空席が充分ある特急が停車しているのを見て、ついこれを利用してしまう。これならば八戸到着が11時52分で、昼酒に好適なのに対し、普通列車だと1時32分着になってしまう こともあったし。

浅虫温泉あたりまではたっぷりの雪景色や海岸風景を楽しみながら行くが、太平洋側に近づくにつれ、積雪量はみるみる減少し、八戸に到着したときは、そこ此処に僅かな残雪があるのみの、茶色に乾燥した眺めになっていた。雪見酒はしばらくお休み。
  昼夜ともに駅そばの天竜食堂で飲む。此処は一膳飯屋の雰囲気を色濃く残し、好みの店だ。昼に食した縞ホッケの開きは旨かった。半身のさらに尻尾側半分が出されたけれど、大型のためこれで充分一人前になる。海産物系に強みを誇るこの店でも、人気の高いメニューだとは、一箸食べてみて即座に納得。
 

 盛岡駅付近の陸橋から見る岩手山。
 

八戸から角館への列車選定も色々悩んで決める。八戸、盛岡間は東北線がなくなってしまったので、通し切符を買った以上、嫌いな新幹線を使わざるを得ない。盛岡で秋田新幹線を乗り継ぐと、角館着が11時53分で、昼飯昼酒は角館と云うことになるのだが、観光客相手の店こそ多いものの、鄙びた駅前食堂のような食指の動く店がない。
  盛岡で食事をして、2時8分発の田沢湖線普通列車は魅力的だけれど、角館着が4時1分なので、訪れたい大村美術館の閉館時刻に間に合わない。結局12時26分発、1時17分角館着の秋田新幹線利用に落ち着いた。

盛岡冷麺をメインにした食事を考える。以前から有名とは知っていたものの、食べることに熱心ではないため、盛岡を旅しても、わざわざ試してみることはなかった。それが秋のみちのく観楓会紀行で、Hさんが「盛岡で途中下車して盛岡冷麺」の試案を話してくれた。最終的には実現しなかったものの、興味は湧き、今回何か食べるならば冷麺がよかろうとなったのだ。
  八戸の宿でロビーにあるPCからインターネットで盛岡冷麺を下調べした。印刷結果を新幹線の中で読み、安易な選択で、駅前の「「盛楼閣」に入る。一般的な韓国焼き肉の店らしい。
  冷や酒と、千枚刺し、カクテキで飲み始める。冷麺は催促されたので、あらかじめ特辛を注文した。段取りをしておくので、適当な時点で声をかければよいらしい。
  一合半は入りそうな大振りグラスの冷や酒二杯を干し、冷麺にかかる。七種類ある辛さの最上級が特辛とのことに、僅かながらも期待はあったのに、供されたのは朱いばかりでさっぱり辛くない。しかし旨さという点では充分に満足した。

 

 雫石盆地。
 

4.大村美術館

田沢湖線は岩手山を右手に見ながら、雫石盆地をさかのぼり、赤渕辺りからは急峻な山間を蛇行しながら走って、横手盆地へと降りる、景観の変化が楽しい路線だ。それなのに新幹線ではそれを堪能する暇もなく、一気に盛岡、田沢湖、角館と移動してしまう。
  とりあえず徒歩10分の石川旅館へ行き、荷物を預けた。田沢湖線沿線では雪景色が続いたが、街の中にはほとんど雪がない。

石川旅館からいわゆる「武家屋敷通り」を抜けて、ガラス工芸の大村美術館へ向かう。辺りを歩いているのは観光客ばかりだけれど、シーズンオフのせいか、日曜日なのにその数は少ない。この辺りは雪景色か、枝垂れ桜の満開時期には絵になる景観だが、今は写真を撮る気にもなれない。
  10分ばかりで美術館に着き、入り口から渡り廊下をまっすぐ展示室へ歩いてゆくと、背後で足音がした。此処は展示室と、併設ギャラリー、併設カフェの三部門から成り立っているけれど、経費削減のためか、(少なくとも冬場は)一人だけで対応している。ギャラリーにいた学芸員が急遽展示場へ戻ろうとしているのだ。
  数回訪れているこの美術館だけれど、二年連続で休館日にぶつかったため、久しぶりに見るルネ・ラリックの作品だ。前回とはだいぶ展示が替わっているようにも思えるが、当てにならない記憶だ。個人美術館と云うこともあり、収蔵品がそれほど数多くあるわけではない。

 大村美術館。
 

そんなことよりも蒐集家の愛情がこもった品々が、それが少しでもよく見えるように心を込めて展示され、しかも混雑とは無縁の状態でゆっくり鑑賞できるのが嬉しい。この日も先客はいなかった。
  5分ほどして六十男二人が入場しただけで、広くはない展示場にせよ、三人ならば他者に煩わされることはない。好きな作品をぼんやり眺め、そんなことに飽きたらば中央にあるソファーに腰を下ろし休憩するのもよい。
  先に男二人が退場すると、学芸員もそれに続いた。ギャラリーかカフェでの対応をするためらしい。係員のいなくなることがしばしば起こる展示場なのに、作品はケースに収めたりせず、剥き出しで陳列されているものが多い。事故が起きないのか案じられるけれど、逆に入場者を信頼して問題なく運営してきたと云うことならば結構なことだと思う。
  此処のカフェで供する、インド風ミルクティーが飲みたくなり移動する。先ほどの二人は此処でコーヒーを飲みながら、学芸員と話をしていた。煙草の烟が嫌で、なるべく離れた片隅に坐るものの、狭いところだから、けむいし話の内容もよく聞こえる。角館の有名(?)レストランを訊いているらしい。

 

 桧木内川越しに見る角館。後方は真昼山地。
 

展示室とカフェで1時間ほどを過ごし、大村美術館を出る。まだ3時だけれど、これ以上観光名所を回る気にはならず、西へ向かい桧木内川を渡る。橋の上から河原を見ると、一応白く覆われているものの、積雪量は10センチに満たない。角館の伝統行事、火振りかまくらも、「雪があってこそ映えるものであろうに」、と他人事ながら気になった。
  桧木内川の対岸から眺める角館は意外に良かった。街中に雪がほとんど見られなかった反動かもしれない。街と背景の真昼山地が、午後の光で僅かに赤味を帯びている。角館プラザホテルのスカイラウンジなどは、間近から見上げるとうんざりするしかないのに、ここからは風景に溶け込んで違和感もない。

桧木内川を渡り返し、宿の方へ戻る、途中、安藤醤油醸造元すぐ脇を通り、立ち寄ろうか考えてやめにした。此処の蔵屋敷は中々に立派だし、女性当主が個性的な有名人で、そんなことから観光スポットとしては、幅広く紹介されている。しかし、肝心の味噌、醤油、その他の食品に関しては、好みが合わないのか、旨いと思ったことがないのだ。
  宿の前まで戻って、まだ若干時刻が早いように感じ、筋向かいの「西宮家」に入った。もともと大名佐竹氏の家臣だった旧家から発展し、現在では第三セクターとして古い建物を利用しながら、展示、土産物販売、飲食の提供などをしている。
  明治43年築造の米蔵にセットされた自動ドアから入る。しかし何歩も踏み込まないうちに、観光オバサン十人ほどがざわざわ徘徊しているのに遭遇し、七里結界とばかり即座に踵を返した。寄り道はやめにして宿に落ち着く。

石川旅館の夕食は、この晩もきりたんぽ鍋を中心としたもので、昨年とほとんど変わりがない。しかしこの宿にほとんど毎年くるのは、このマンネリに郷愁と安定感があるからで、石川のオバチャンとしか知らない老婦人と話しながら飲みかつ食うこと堪能する。彼女も八十過ぎたようで、後何年お付き合いいただけることか。

 

 9時52分。横手盆地。
 
 12時26分。雄勝トンネルへの登り。
 
 12時28分。雄勝トンネル通過。
 
 2時46分。大石田付近。

5.山形

1月22日の月曜日は穏やかに明けた。この日の予定は山形までの180キロ弱を移動するだけだから、いつもにもましてのんびりした行程だ。
9時43分発の大曲行き普通列車で角館を離れる。横手盆地は積雪量10センチほどで、薄曇りの穏やかな朝だった。
  大曲で乗り継ぎに1時間15分待たされる。橋上駅に隣接する観光協会コーナーで、無料のインターネット・アクセスポイントを利用し、メールをチェック。ダウンロードスピードが異常に遅く、テキストだけのメールを1通読むのに、数分が必要だ。普段ならばすぐに癇癪を破裂させるところだけれど、この場合は時間潰しが主眼なので妙なところで納得した。結局半時間ほどが潰れ、内容的には収穫なし。

10時24分秋田発、11時18分大曲の新庄行き列車に乗る。既に乗客がいて、ここからも二、三十人乗るけれど空席は充分にある。面白くないのは、座席が短距離通勤電車型のロングシートで、景色を眺めようとすると、振り向くか、反対側の乗客越しか、あるいは立ち上がってドアや後部へ移動しなければならないことだ。しかし車内を見回しても観光目的でいる暇人は見あたらなかったので、仕方ないことと諦める。
  新庄駅で乗り継ぎの1時間15分を利用して、駅前の「特急食堂」に入り、餃子と野菜炒めで冷や酒三本。一年前と同じ店なので、当初は他を利用するつもりでいたが、いざ見比べてみると、同じところに落ち着いてしまった。

山形の宿、東横イン山形西口は 文字通り西口を出て徒歩3分のところにあり、辺りには大規模ホテルや大規模スーパーマーケットが目立つものの、それ以上に更地が多い。ちょうど四十年前の新宿西口を彷彿させる風景だった。
  山形(市)で飲むのは二十年ぶりだ。最初で最後の前回は、「雪見酒紀行」に登場したことも再三あるNさんの結婚披露宴だった。それはともかく、盛り場は東口にある。早過ぎたので宿で一時間ほど休憩してから出かけた。最初に向かったのはNさん推薦のおでん屋さん「フクロ」だった。

のんびり歩いて30分、5時半に店へ入る。先客は小上がりに五人グループがいるだけで、無人のカウンター席に腰を下ろした。冷や酒で飲み始め、左手に「禁煙席」の札があることに気付いた。女将に一言断りそちらへ移動。正面の壁にオデンの品書きが札になって下がり、それぞれ定価が標記されている。ほとんどが120円か150円。昆布と玉子を注文した。
  次々に客が訪れる。奥の座敷では宴会らしい。そのうち背後から煙草の烟が漂ってくるのに気付いた。「禁煙席」の表示を出しながら、けしからぬこととは思うが、店の人が席に座ってある程度の時間を過ごしたはずもないから、単に「知らない」だけだろう。行きつけの店ならば、一言注意を促すけれど、一見いちげんで、また来ることもないと思えば我慢する。
  漬け物盛り合わせ(400円)を注文すると、女将が「お一人でしたら半分にしましょう」と、気遣ってくれた。一時間ばかりで、酒三本干して席を立つ。満員に近くなったためだ。悪い店ではないものの、再び来ることはなさそうだ。
  良い点。女将の気配りが店全体に行き届き、従業員の質も良い。味はまずまず、値段は安い。世間一般の採点ならば、平均をかなり上回るであろう。しかし好みに合わないのは、店の規模、全部で七十席が大きすぎること。他にもある。
  飲んでいる最中、ふと視線が入り口脇に置かれたフクロウの彫像にとまった。高さ1.5メートルほどのもので、趣味がよいとは思えない。しかしそれは構わない。立像の隣に、麗々しく板に文字を彫り込み、漆で黒く塗った由緒書きが置かれ、滝沢修から寄贈されたと記されている。さらに「滝沢修」や、彼が民芸の「重鎮」であったなどの文字が、ひときわ大きく彫り込まれ、これでもかと強調されている。些細なことにせよ、嫌いな趣味だ。

店を出て、宿の方へ戻りつつ、もう一軒「さりげなくかつ小体な」居酒屋を探す。駅周辺の飲み屋街を二周ほどして、赤提灯に入った。
  カウンターに六席と四人掛けテーブル、十畳ほどの座敷で、店の雰囲気はほぼ期待通りだが、座敷で三十人くらいの宴会が盛り上がっている最中だ。一瞬鼻白むものの、ともかくカウンター席腰を下ろし、冷や酒を頼んだ。
  カウンターの向こうはオープンキッチンで、どこか脱サラで店を始めたような六十くらいのマスターと、その妻らしい二人だけでやっている。なにしろ座敷の方は「宴たけなわ」で、飲み物、食い物の追加注文も引きも切らず殺到する。
  文字通り汗もぬぐわず奮闘する二人の姿に半ば毒気を抜かれ、それでもいくらか手が空いた頃合いを見計らい、ツマミや追加の酒を注文する。結局此処も1時間ほどでコップ酒三杯を飲みお終いにした。この後は宿へ直行。

 

 山寺直前。
 

6.仙山線

雪見紀行もとうとう最終日となった。どんより曇っているものの、風もなく寒さを感じない。駅の自動販売機で羽前千歳までの切符、180円を買う。都区内→都区内の超長距離循環切符から、この区間だけはみ出しているためだ。
  7時53分の仙山線上り仙台行きに乗車する。ボックスシートの列車は四両編成だった。

予想よりも乗客は多くて、八割方の席が埋まる。しかし次の北山形で半数ほどは下車した。羽前千歳が奥羽線から仙山線への分岐だ。立谷川の扇状地をさかのぼり、次第に山裾が両側から迫ってくると、間もなく芭蕉で有名な山寺(立石寺)だ。上方に 舞台造りの五大堂が小さく見え、とりあえず二枚撮影する。堂の真下辺りが山寺駅で、1分間停車する。  

 右方に五大堂。
 

落ち着いて五大堂を撮り直すべく構えると、仙山線の電線が画面中央を横切って邪魔をしている。昨年も腹立たしい思いで見上げた記憶が蘇った。
  間もなく山寺を発車し、諦めずに五大堂を見上げていると、突然背景が曇り空から青空へと変化してゆく。長焦点のズームレンズに交換したかったけれど、その時間はない。ともかく数枚撮影した中から一枚トリミングしたものが右の写真だ。

 

 面白山高原手前。
 

山寺を過ぎると、線路は紅葉川沿いに屈曲を繰り返しながら上昇を続ける。面白山高原駅では、数人のスキー(スノーボード)客が乗降した。
  駅を過ぎるとトンネルに入り、これが「国境の長いトンネル」に相当し、5キロほどの闇をくぐり抜けると、雪こそ残っているものの、表日本の気象地帯に入ったことがありあり感じられる。
  奥新川に沿い、標高がグングン下がり、それに併せて雪も消えてゆく。変わった駅名(地名)の愛子あやしは、既に仙台の都市圏で、乗客がどっと増えた。通勤通学や買い物の人々であろう。そこから半時間弱で、全く雪のない仙台駅に到着した。

 

7.ゴールへ向けてよろよろと

は、既に仙台の都市圏で、乗客がどっと増えた。通勤通学や買い物の人々であろう。そこから半時間弱で、全く雪のない仙台駅に到着した。既に雪はないので「雪見」は終わったわけだが、酒が少々残っていた。連日、昼夜飲み続け、体調不充分ではあったものの、これからが最終区間と頑張る。仙台駅で途中下車し、まずトイレにより腹具合を整理した。
  次いで最後のブランチ酒用にツマミを漁る。最初は仙台名物笹蒲鉾を考え、駅ビルの店頭でサンプルをいくつか見たりした。しかし何かイメージが違う。列車の中で飲む酒には、もっと間に合わせと云うべきか、安易安価なものが良い。
  コンビニエンスストアへ移動し、弁当のおかずコーナーから春雨、鶏のささみ、キュウリの酢の物、鳥の唐揚げの二点を購入し、持参している柿ピーを加えて充分とする。後は駅ホームのキオスクでワンカップ大関200ccを三つ。
  10時に常磐線経由上野行き特急スーパーひたち34号に乗車した。発車時刻になっても一両に数人しか乗客はいない。仙台から東京へ出るのにこの列車を使うのはよほどの変人だし、朝方に途中駅に用事がある人となれば、この程度しかいないのだろう。それでも存続しているのは、仙台へ来る人々を運んできた、回送列車的なことか。しかし ブランチ酒など、いささか人目を憚る気分もあり、空いていることは有り難い。良く晴れてうららかな景色を、多少酔いの回った目で楽しみつつ、今年の雪見酒紀行もフィナーレを迎えた。

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