みちのく雪見酒紀行2005
寝台特急あけぼの
冬になると雪を見たくなる。その思いが次第に強くなり、旅に出るようになったのは10年以上も前のことだ。青森辺りを目指し、そこから南下する。パターンを変えながら数年経つうちに、ともかく寝台特急あけぼののB寝台個室を利用して青森(弘前)まで行く部分は不動のものになった。
この冬もすっかりその積もりで、一月の中頃になり寝台特急の切符を買うべく、緑の窓口を訪れた。間違いなく上段が取れるよう「偶数番号でお願いします」などと細かい注文を付ける。窓口の駅員は頷いて端末の操作を始めるが、思うような結果が出ないらしく、数回試みた後に、傍らの時刻表を開いて何事か調べ始めた。
しばらくしてこちらへ向き直り、「あけぼのは運休中です」という。新潟中越地震の被災からまだ回復していないらしい。それからはJR東日本のインターネット運行情報を自動チェックする日々が続いた。二週間以上経過して、やっていることのつまらなさに気付いた。
新幹線でさえ年末にようやく復旧できたのだから、在来線はそれよりも大幅に遅れるであろう。それにこの豪雪だ。おまけにJRの情報は、「今日運休する」ことだけを提示し、
仮に明日復旧が見込まれても教えてはくれない。無念ではあったが、見切りを付けて計画を変更した。
あれこれ思案の揚げ句、嫌いな新幹線を使うことになるが、まず秋田へ直行して一泊。以後、弘前、角館、米沢などに泊まり、新潟から戻ることにした。秋田まではこれまた嫌いな「指定席」に坐ることを余儀なくされ
るけれど。
トラブル
二月七日、せっかちな性分だから、家で時間を潰すのに苛立ち「一本早い電車で行こう」と出発した。小田急線の駅に着いてみると、電光掲示板は事故のため運行に遅れが出ていることを告げている。間もなく十数分遅れの電車が到着した。当初予定していた乗車時間よりは17分ほど早い。しかしこの貯金もほどなく使い果たし、新宿に着いた時は埼京線への乗替え時間として1分しか残されていなかった。
「無理だ」とは思いつつ、階段を二段ずつ駆け登り、西の端にある小田急線から、東の端にある埼京線ホームへ向かって必死に走る。階段を駆け降りると、電車は既に停車していた。なんとか間に合って席に
坐る。喘ぎが治まった時は発車してから随分経っていた。
際どいところで飛び乗ることができたが、実は新宿でトイレに寄りたかった。事故の影響と忌々しい指定券のためにその機会を失い、埼京線の乗車時間41分は、その実質よりも遥かに長く感じられた。なんとか大宮駅に到着し、新幹線への階段を登る途中、トイレに駆け込む。通常の倍はかかって小用を足した。買い物をする暇もなく新幹線ホームへのエスカレーターを昇り終えると、列車の到着を告げるアナウンスが聞こえて来る。
随分せわしない思いをさせられたが、ともかく所定の席に治まった。車内は五割ほどの乗車率で、ゆったりしている。ほどなく現れた車内販売から、昼雪見酒用のコップ酒三つと、ツマミを調達して隣りの空席テーブルに並べ、ようやく寛いだ気分が戻って来た。
岩手山 |
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田沢湖付近 |
まずは一献
乾いた風景の中を一路北進し、一時間たらずで左手に雪を頂く那須の山々が姿を現わした。待ち望んだ雪の出現だけれど、「雪見酒にはまだ早い」と自粛する。仙台に近付き、海が近い平野部になると雪はほとんど見えなくなるが、進路を内陸部へ転じて古川辺りに達すると、再び一面の銀世界だ。この先秋田まで雪の途切れることもあるまいと、雪見酒を開始した。
1時半近く盛岡を通過し一段と雪が深くなる。右手に岩手山が姿を現わした。頂部を雲に覆われているのが残念だが、それでも車窓風景として申し分ない。
田沢湖線に入って列車の速度は大幅に下がるものの、雪に覆われた斜面が間近に迫り、その中を曲折を繰り返しながら進んで行くにはむしろ好ましいといえる。田沢湖駅に近付く頃には三杯の酒も空になり、後はほろ酔い気分の酔眼で移り行く車窓からの眺めを楽しんだ。
川反
秋田駅到着は定刻2時55分だった。インターネット予約した宿までは駅から1.5キロほどで、通常ならば歩く距離だ。しかし歩道に雪の残るところが多くありそうで、これはキャリーを引っ張って歩くには向かない。タクシー利用も考えたが、ホテル案内にバスでのアプローチが詳細に記載されていたのでこれに従う。
11番乗り場から発車したバスは初乗り料金が140円と安い。一回上がって150円でホテル前に到着した。チェックインを済ませて部屋に落ち着いたのは3時半。今宵の待ち合わせ6時までには充分時間があるが、街を歩く気にもならず、シャワーを浴びて首都圏の俗塵と、多少残っているかもしれない昼酒の名残を洗い流す。
6時10分前になってロビーへ降りると、待ち合わせのNさんは既に姿を現していた。20年を越える付き合いで、この前会ってから2年が経っていた。再開の挨拶をしつつも、すぐに街へ出る。最初に向かったのは秋田で一番の飲み屋街、川反だ。10分も歩かずに銘酒の品揃えが売り物の
目指す居酒屋に着いた。
ところが表のシャッターは閉ざされたままだ。「別を探しましょうか . . .
.」というのをとどめて、会館内通路からその店に通じる入り口を試みる。こちらは開いていて、店内は営業態勢を整えつつも、ママが忙しげに洗い物をしていた。通常5時半の開店が
単に遅れているところとのこと。
人生ではさっぱり頑張ることをしないが、旅に出るとなぜか変る。新宿駅では走ったし、こちらでは粘り、それなりに今のところ成果が上がっている。第一目標の店に落ち着き、再開を祝して乾杯した。
酒の銘柄や味わいに趣味がないから、折角の品揃えも猫に小判だ。ともかく刈穂の超辛口というのを冷やで呑みながら素朴な風合いのツマミを楽しむ。特に「なた漬け」が良かった。実際に何を使って大根を切っているのか判らないが、本来鉈、それもあまり切れ味鋭くないものでざっくりと切り口を粗くしたものに、塩や麹が馴染んだのを良しとしたものらしい。
数杯を干して酔いが回って来るが、時刻はまだ早い。早寝早起きは身についた習慣ではあるが、旅に出て旧知と久し振りの再会を果たした時、7時半でお開きにする気分にはならない。――
場所を替えてもう少し ――ということで店を出る。
タクシーで数分、西へ向かい降りたのは官庁街の縁辺部か。二軒目も居酒屋であったが、先程の店がいかにも「川反のど真ん中」的な雰囲気であったのに対し、作りも小ぢんまりして鄙びた、好みからいえば
より評価が高い店であった。
さらに数杯の酒と、昔話を中心とした四方山話に花が咲き、しばし時の経つのを忘れて楽しんだ。お開きの後は静かな裏通りを宿まで二人して歩く。酒で上気した体に夜風が心地好い。風もない穏やかな晩で、雪道ではあったが「凍ばれ具合」はさほどのことがなかったのだ。
弘前へ
翌朝は6時ちょっと前に目を覚ます。まだ薄暗い表の様子をうかがうと、曇ってはいるものの取り敢えず降り出すことはなさそうだ。朝食用の弁当を買うために下へ降りる。
宿をここに決めた時、ついでに利用者の感想が投稿されているので読んで見た。悪評がなかったことは良いが、誉めているのはロビーに繋がるコンビニエンスストアのことばかりで、「ホテル本体には誉めるところがないのか?」と思ったものだ。しかしいざ利用してみると、この便利さは際だつ。
玄関を出て街路を僅か行ったところのコンビニエンスストアと、ロビーの奥にあるそれを較べれば、実質に大差はないかもしれないけれど、心理的にはまるで違うということが実感として判った。ともかくこのコンビニエンスを活用して、弁当とサラダ、カップ味噌汁を購入する。
戻り掛けにフロントで、―― バスを利用して、7時51分、秋田駅発の列車に間に合う
――ためには、いつ頃出発すれば良いか尋ねる。余裕を見ても7時20分で良いらしい。
秋田駅には結局7時半頃に到着した。余裕を見たら接続が良過ぎただけのことで、文句はない。切符は都区内から弘前まで通して買ってあったから、そのまま構内に入る。ちなみに
分けて買えば12,080円だが通しだと10,820円で済む。
酒田発5時50分の普通列車は、定刻7時45分に到着した。満員の車内からは大勢の通学者と、それよりは目立たないものの少なからぬ通勤者が吐き出される。しかし車内に残っている乗客も
多く、空席はなかった。
これも数駅のことで、すぐガラ空きになった列車は、曇天下の雪景色を切り裂いて一路北上する。
大館駅に9時40分着。ここで10時5分発の列車に乗替えるものと思っていた。しかし実際には同じ車輌が利用され、先へ行く乗客はそのまま車内に残ってられるのであった。要するに豪雪などにより発生する運行の遅れを解消するために設けられている
「緩衝」しい。
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陣場駅10時22分。積雪量の多さが見て取れる。 |
一輌に四、五人しか乗客はいないが、それでも三輌連結の列車は、定刻10時5分に発車し弘前を目指す。弘前目前の大鰐温泉で上り特急かもしか2号とすれ違うが、この特急が3分遅れのため待たされる。――
青森始発なのに既に3分遅れでは先が思いやられる ――との感想が湧き上がるが、考えてみれば青森で東北線、あるいは海峡線経由の連絡列車を待っていたのかもしれない。
ともかくそれ以上の遅れは発生せず弘前に到着した。駅から徒歩1分のビジネスホテル新宿にチェックインする。この宿は特筆するようなところもないが、(多分)オーナー女性支配人の目配りが行き届き、加えて部屋も広々した、気持ち良く利用出来るところだ。
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部屋に入るには早過ぎる(掃除・ベッドメイクが終わっていない)時刻のため、荷物だけ置かして貰いすぐに出掛けた。目指すのは弘前城の西に隣接する会席郷土料理の店「野の庵
」だ。一応11時半の予約がしてあり、歩いて行くと多少遅れそうではあるが「11時半頃」ということで話していたから、タクシーなどは利用せず、急ぎ足にしても街の様子と城内の雪景色を見物させて貰う。
この店は数年前、城の周辺を歩いていて見付けたところで、古い民家を縁側に広い硝子戸を入れた程度で大して手も加えず使っている。それでもこの硝子戸越しに城趾が望まれ、贅沢な借景となっている。取り分け積雪期には眺めが素晴らしくなり、雪見酒にはまたとない場所を提供してくれる
のだ。
飛び込みでも利用出来る、その意味では気楽な店だが、あえて予約したのは二つ理由があった。縁側の席を確保したかったことと、閑散期には不定期な休業があるためだ。ここまでやって来
たのに閉まっていたりすると、代替行動計画を組みようがない。
弘前駅から土手町の商店街を抜け、大手門から城内に入る。週末に開かれる雪灯篭祭りのために、灯篭つくりに集まった人が目立つのに対し、観光客はほとんど見掛けない。シーズンオフのそれも平日午前中であることを考えれば当然のことか。既に11時半を廻っているので、雪道に足を滑らさぬよう注意しつつも
、急ぎ足で城内を通り抜ける。
11時40分になってようやく辿り着いた。玄関を入って中に声を掛けると、六十半ばの仲居さんと次いで似たような年の女主人が小走りで現れる。共に見覚えのある顔で、向こうもこちらのことを多少は覚えているようだ。部屋の中はストーブで充分に暖められているが、先客はいない。ともかく縁側の席へ導かれた。
今回の旅では雪の多いことを喜んで来たが、良いことばかりではないと思い知らされた。屋根から落とされた雪がうずたかく盛り上がって2メートルほどになり、折角の雪景色を台なしにしている。視界が狭められているだけではなく、坐っていて圧迫感があり、塹壕の底にいるような気分に陥る。しかし贅沢ばかりをいわずに、この雪見酒を楽しむことにした。
突き出し、掛け蕎麦、天ぷら、セイロのコースに酒は地の「じょっぱり」を冷やで頼む。しかし仲居さんと入れ替わりのようにして現れた女主人は、「これを試して頂けますか?」と携えて来た一升壜から片口に一合弱を注いでくれた。知人の酒造社長から、是非店で出して欲しいと押しつけられた(?)ものらしい。
酒の味など良く判らないし、それで良いと思っている。「銘酒、美酒でなければ飲めない」などは、自らの首を絞めるようなもので、飲む場所が限られたり、探すのに大変な苦労をするようになる。それよりも旅に出た先であてがわれたものを楽しむことができる方が優ると思っている。
ということで先に「味の判らぬ人間ですが」と断って口に含んだ。フルーティーな感じが強いのは女性を意識して作った酒だろうか。しかしこの手の酒は好まない。ついでにいえば吟醸酒や大吟醸も嫌いだ。ということで、その一合は飲み干すが、後はじょっぱりに戻した。
突き出しから余り間を置かず掛け蕎麦が運ばれて来た。呑みながら味わっていると、天ぷらが到着し、さらに暫時でセイロが出される。蕎麦湯まで運ばれて来た。これは酒を飲みながら食事するペースではないことはもちろん、酒なしにしても早過ぎる。まるでサラリーマンの昼飯スタイルだ。
時折様子を見に現れる女主人も、これには気付き「早過ぎましたね。後で改めてお持ちします」と取り下げてくれた。
予約は少なくとも「席の確保」の意味では必要なかったらしい。先客がなかったのと同様、後続もなく、最後まで一人静かに、そして隣人に気を使う必要もなくのんびりと雪見酒を堪能できた。最後をセイロで締める。
蕎麦湯は放置されたままだったのですっかりぬるくなっていたが、それでも「ないよりはまし」と飲み干した。仲居さんが新たな蕎麦湯を運んで来たのは、それからしばらくしてからだった。今更蕎麦汁もなく、何ともちぐはぐであるが、少なくとも気を配ってくれたことには感謝する。
金物屋の店先。首都圏では見掛けないようなものも多い。一番上左は蜂撃退スプレー。 | |
呑み終わったら
すぐ退去するつもりが、女主人と話し込んでしまい、野の庵を出たのは2時を廻っていた。来たのと同じ道筋を、今度はのんびりと歩む。
追手門のすぐ外にある市立観光館に立ち寄り、一階で提供されているインターネット無料サービスを利用してメールをチェックした。
一通返信を出し、それから行くことを本決めした米沢のホテルを予約する。次いで観光館を出てから10分足らずの所にある喫茶店壱番館によってセイロン風ミルクティーを喫する。この店も弘前を訪れれば寄ってみたくなるところだ。
ビジネスホテル新宿には早めの入室ができるよう頼んで出掛けた。その時刻を既に半時間も過ぎてしまったので、余りに遅くなるのはホテル側が何らかの努力をしていた場合申し訳ない。そんなことで壱番館は寛げる店ではあったが10分も経過しないうちに席を立つ羽目になった。
3時を少し廻って部屋に辿り着き、午睡と一風呂をこなして夜の部を開始する。目指すは新鍛冶町の「かぎのはな」だ。比較的「観光客相手」の感じが強いが、十畳ほどの板張りに囲炉裏が三つ切られ、七十過ぎのバアサンが自分一人で面倒を見られる範囲を客として飲み食いさせてくれる。
しかし一年ぶりに訪れたその場所からかぎのはなの行灯はなくなっていた。そういえば昨年交わした四方山話の間に「そろそろ店を閉めようかとも . . .
.」みたいな下りがあったような気がする。なくなってしまったものは仕方ないが、一抹の寂しさが漂う。
辺りで知っている店は通りの向いに一茶食堂があるが、こちらは店の中に明りが点いているものの暖簾はしまい込まれている。ハードルを越えてまで入りたい気分にならず、そのまま行き過ぎて数軒先の居酒屋に入った。
年配のオヤジがカウンターの中で暇そうにテレビを見ているだけで、客は誰もいない。冷や酒と適当なツマミを頼んでカウンター席に腰を下ろす。しばらくしてカミサンらしい年配婦人が戻って来た以外は人の出入りもなく静かだ。結局銚子三本を干して一時間たらずで店を出た。
さほど酔ったわけではないが、そろそろ充分の気分になり、宿への道を辿る。途中、土手町の寿司屋すし政に寄り道。七十近いジイサンバアサンでやっている地味な店だが、何度か寄っているうちに馴染みになった。仕上げに軽く呑み軽く食べる。
長峰駅近辺。 |
内陸縦貫鉄道
早朝目を覚まし窓辺へ寄ると、街燈の明りに照らされて小雪の舞うのが見えた。24時間営業の「すき屋」で朝食を摂ることを考えたが、運動不足とカロリー過剰摂取が共に続いていることも有り、思いとどまる。
7時56分の奥羽線上り普通列車を利用するために、7時半にチェックアウトし、秋田内陸縦貫鉄道を利用するつもりなので鷹ノ巣までの切符を買う。1,110円の切符は自動販売機で発券され、これから利用する車輌がロングシートなことも合わせて、旅の情緒は
まるでない。
この列車も大館で一旦打ち切りになる。同じ車輌がその先、秋田まで利用されるのは昨日と同じようなパターンだが、待つのが一時間半と長いためか、乗客は全部降車を強いられ
た。
JRの運輸約款によれば、途中下車が出来るのは片道100キロ以上で、弘前、鷹ノ巣間は62.2キロしかないから杓子定規に適用されれば、吹き曝しのホームか、風を避けようとすればトイレにでも立篭って一時間半を待たなければならない。さすがにこれは没義道と思うのか、何もいわれずに改札を通って暖房の利いている待合室へ入ることができた。
以前は待合室、それも地方駅のは喫煙可の所が多く、折角の暖房も恩恵に預かれないことが度々であった。それが03年の「健康増進法」施行により大きな変化が現れ、大館駅の待合室も、数ヶ所に禁煙と大書された貼り紙がある。
ついでにテレビもなければ良いが、そこまで望むのは過剰というものだろう。幸い音響はそれほどでもなかったので、なるべく離れてそっぽを向いたような席に腰を下ろした。暇潰しのために持参した本もあるし、朝刊でも買ってニュースを一通り抑える案も浮かんだが、どちらも実行する気になれず呆然と時を過ごした。
大館から鷹ノ巣は乗車時間にして僅か20分。すぐに着いて内陸縦貫鉄道の発車するホームは繋がっているが一旦改札を外に出る。縦貫鉄道の切符売場が駅前広場に面しているためだ。
この時点で角館へ直行するか迷っていた。ポイントは昼飯(酒)を何処でやるかだ。広場を渡ってすぐの食堂は、いかにも地方の駅前食堂の雰囲気が好みで、数回利用したことがある。料金も安い。しかし昨年も
寄ったことだし、通い続けるほどのところとは思えない。しかしその一方で角館へ直行したとしても、食指が動くところは余りなかった。
偽札、偽硬貨騒ぎの余波はこの辺りにもおよんでいる。 |
吹雪の雪原をトボトボ行く老人の姿が見えた。 |
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阿仁合を過ぎて間もなく、山間を蛇行しながら行く。 |
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角館に近付き、降雪が激しくなる。 |
時刻表を見て、一本後の列車は阿仁合で乗替えがあることを再確認して、角館まで行く決心が付いた。自動販売機が利用出来ないため、窓口で1620円の切符を買う。
すぐに改札が始まり、列車は一両編成だが、乗客が十名前後なので、思ったような席を確保できた。ボックスシートの右側窓際だ。
車内に観光客は見当たらす、そして地元の人達は大半が顔見知りらしく、方言の世間話がそこ此処で交わされている。
鷹巣盆地の雪原を横切り、米代川を渡ってしばらくすると阿仁川に沿って山間部へ分け入って行く。マタギで有名なこの地方だが、地形はさほど急峻ではない。
一時間で阿仁合に着く。この沿線で(始点、終点を除けば)最大の集落であり、また縦貫鉄道の車輌基地もある。「此処で昼飯」の選択もあったかと思うが、果たして食堂があるのか不明だ。停車時間は短く、迷うほどもないうちに走り出した。
ここから先は人家も減り、奥深さを感じさせる景観になって行く。ディーゼルエンジンの唸りも高まり、標高が着実に高まる。奥阿仁、阿仁マタギなどの印象的な駅名を
車窓から見送り、延長5キロを越える十二段トンネルに至った。車内放送が「秋田で二番目に長いトンネルです」と、幾分誇らしげに告げる。
このトンネルを過ぎると下りに転じ、流域もこれまでの阿仁川から桧木内川に替わる。ちなみにこの川は角館の西沿いを流れ、桜の名所としても名高く、やがて雄物川に合流して日本海へと繋がる。
エンジン音も一転して軽やかなものとなり、横手盆地へと下っていった。左側から田沢湖線が接近し、間もなく角館駅に到着。定刻の1時4分だ。雪はみぞれに替わっていた。マウンテンパーカのフードを拡げ、ハンチングの上から被ってビショビショの雪道を行く。
徒歩5分で食堂稲穂に着く。同経営の料亭も隣りにあるが、安直な食堂を選んだ。階段を上がって二階に行くき、進められた小上がりは遠慮してテープル席に着く。迎えてくれたバアサンはみぞれに濡れたコートを「乾かしてあげるから」と
受取り、ストーブのそばに椅子を置いてコートを拡げる。「靴も
. . . .」とスリッパを出されたが、こちらは遠慮する。どうせすぐ雪道を歩くことだし。
冷や酒に寄せ豆腐とキノコの煮物を注文する。ベジタリアンメニューになってしまったが、なぜかタンパク質系がお品書きを繰り返し見ても見付からなかったのだ。酒は300ccの瓶入りがそのまま出され、一緒に運ばれて来た猪口はグラスに替えて貰う。
時分どきを過ぎているから、二十人は入れる店内も閑散としている。のんびり二本を空けて飯物はパスした。昼酒を済ませると、荷物を今宵の宿、石川旅館に預けて大村美術館へ向かう。
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休館日の大村美術館。 |
大村美術館
武家屋敷を目玉とした角館の街並みは好ましく思っているものの、近年あまりにも観光客が多く、彼等と遭遇すると鼻白む気分になる。こちらも一人の観光客だから文句をいえる筋合いではなく、なるべく「遭遇」を避けるようにして歩く。その散歩コースとしてお気に入りが大村美術館だ。
趣味の良い小個人美術館で、ルネ・ラリックのガラス工芸品を主たる収蔵品としている。武家屋敷通りから徒歩1分であるにもかかわらず、観光客の訪れは少なく、団体客を見掛けることは皆無だ。ひょっとすると「団体お断り」かもしず、そうならば見識だと思う。
ともかくこぢんまりして静寂の保たれた館内で、のんびりと時には呆然と大村氏のルネ・ラリックに対する愛情を感じながら過ごすのは心安らぐ時間だ。大体ほろ酔いでしか行かないし、それでなくても節穴同然の眼ではまともな鑑賞はできないが、それでも良いと思っている。
そして見物に飽きた後は、併設のカフェでインド風ミルクティーを喫するのが楽しみだ。酔い覚めで喉が渇いていればさらに良い。
しかしこの期待はあっさり裏切られた。冬期は水曜、木曜が休館日となっている。一年前には違っていたように思うが、ともかく個人美術館の運営に、色々苦労があることは充分想像ができる。
飲み屋街で見掛けた古い鑑札。 |
目的地
を失って迷走気味になる。最初は武家屋敷街の一辺をかすめる。オフシーズンのそれも平日であるせいか、観光客の姿もポッリポツリだ。西へ向い桧木内川を渡ろうかと思ったが、その前に
体が冷えたせいかトイレに駆け込みたくなる。角館はあちらこちらに公衆トイレがある街だが、冬期は積雪のため閉鎖されているところも多い。結局、横町橋袂のプチ・フレーズに寄り、二階の喫茶店に入った。
西側は一面ガラス張りとなっていて、眼下に寒々とした桧木内川を見降ろす。手前の土手は桜並木で、花見のシーズンには人出が凄いらしいから、その時期であれば店内もさぞかし賑わうことと思うが、今は一人の客もなく、コーヒーの注文を受けてくれたのは下から駆け登って来た店員だった。
冷え冷えとした景色をぬくぬくとしたところから眺めるのも悪くない。他に誰もいないだけでなく、音楽その他の雑音もなく、ゆっくりコーヒーを楽しんでから
散歩を再開した。桧木内川を渡って右岸を下り、内川橋で渡り返して、さらにしばらく迷走してから、石川旅館へ落ち着いた。
いつものオバチャンが笑顔で出迎えてくれる。この人は主の親戚らしいが詳しいことは判らない。年は七十半ばを過ぎていると思うが、矍鑠として立ち働く姿は一種の小気味良さがある。何時のころからか親しくなり、晩酌をやっていると姿を現し、半時間ほど昔話などをして相手をしてくれる。
方言が強く、話していることの半分くらいしか理解できないが、しかし音楽でも聴いているような心地よさが有り、実に彼女に会うために角館への再訪を続けているような気もする。この晩も昔話ときりたんぽ鍋をツマミに
、和風旅館の良さを堪能した。
田沢湖線・奥羽線
他には宿泊者がなく、静かな一夜が明ける。ガラス窓越しに表の様子を窺い、雪が降り続いているのを見て朝の散策は諦めた。風もなく、雪の量も大したことはないが、みぞれのようなのに濡れてまでして行きたいところはない。
角館を出てしばらくすると、雲が晴れ急速に青空が拡がる。 |
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大曲駅では強い陽射しが。 |
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十文字付近を過ぎると、次第に地吹雪に変る。 |
9時を廻って宿を出る。田沢湖線、奥羽線の普通列車を乗り継いで米沢まで行くつもりだ。大曲、新庄、山形で乗替えと平均20分の待ち時間が有り、米沢到着は2時半になる。ちなみに新庄から新幹線を利用すれば1時9分に到着するが、早過ぎ
るのに加えて余計な出費と、決して選択することのない方法だ。
大曲まではワンマンカーによる運行とアナウンスされたので、乗車位置が何処かキョロキョロするが判然としない。地元らしい人は十数名いるが適当に散らばっている。間もなく列車
が到着して判ったのは、角館駅のように駅員が改札するところは、全部のドアが(開ボタンを押せば)開くということだ。
小雪舞う角館を出発して10分も経たないうちに、青空が戻って来る。大曲駅ではサングラスを掛けようかと思うような眩しさであった。ところが10キロほど南へ行った十文字付近で降り出し、しばらくすると地吹雪に変った。移動しながら観察しているから、この目まぐるしい変化が、時間によるものなのか地域によるものか判然としない。両方の影響を受けているのかもしれないが、ともかく
ダイナミックな展開は楽しい。
新庄駅に到着すると、2輌の列車から百名ほどの乗客が吐き出されるが、そのほとんどは新幹線に乗り込み、普通列車を乗り継ぐのは二、三名だけであった。新庄から近隣集落へ行く乗客をあわせても車内はガラガラ状態だ。
新庄を出て20分ばかりで大石田駅へ停車する。此処は92年5月に赤湯の方から奥の細道を辿って徒歩で鉈切り峠を越えて尾花沢に至り一泊し、翌朝この駅から乗車し山寺へ向かった思い出がある。あの時の加登屋旅館はいまだに営業しているのだろうか。
赤湯の町。 |
山形で1時37分発米沢行き普通列車に、再び乗替え
る。この時刻になると、利用者は買物帰りらしい姿や、下校する高校生が目立ち、多少混雑するがそれでも立っている人はいない。
2時半に米沢に到着し、ホテルへ直行した。此処の予約は既に記した通り、弘前のインターネット無料サービスから行ったもので、電話番号こそ控えたが、地図は印刷していない。しかし案ずるほどのこともなく、米沢駅に接近する車窓より、屋上に「ホテル・イーストプラザ米沢」の看板を掲げたビルが見えたのであった。
チェックインを済ませて部屋に荷物を置いて3時にはまだちょっと。この街にそれほど見所があるとは思わないが、散歩がてら歩いてみることにした。実に32年振りの米沢だ。フロントで市街平面図を貰い、――
近場でインターネットにアクセスできるところ ――を尋ねた。支配人が答えて、「当ホテルのPCでよろしければ . . .
.」と、ロビー奥の小コーナーへ導いてくれた。
米沢女子高校。 |
上杉神社
2台のPCが用意され、その他プリンターやFAXの設備もある。どこまで無料か判らないが、インターネット利用に関して只は有り難い。余り時間をかけることもなく利用を終え、改めてフロントに行き、先程の平面図を出して街中の見所と
、食事がてら飲める居酒屋が集合している地区を教えて貰う。
予想通りこの街は見所に富んでいるとはいい難いようでで、上杉神社を中心としたエリアが城趾でもあり現在は公園となっている、この辺りに尽きるようだ。古い街並みもこれといってなく、上杉神社から北東方向に五百メートルほどの
界隈が、「昔からの商業地区であった」という程度らしい。
ちなみに飲み屋が集中するのはこの商業地区に隣接した北側で、駅前付近には、―― 余り落ち着いて飲めるようなお店はありません ――とはフロント嬢の意見であった。
上杉神社。 |
上杉神社表参道。 |
雪国では河原鳩も羽毛の量が多く膨らんでいる。 |
日が暮れるまでそれほど時間も無いことだし、すぐに出掛ける。米沢駅の東側は飲み屋はおろか商店さえない殺風景なところで、自由通路と呼ばれている跨線橋を渡ると、駅前広場を持つ西口に出る。
広場の付近に店構えの比較的新しい、一応高級指向の駅前食堂が二、三軒ある。高級指向といっても多寡が知れているから、ここで飲んでも構わないと思うが、ともかく今は一回りすることを優先する。駅前から西北西へ一直線に延びる通りは、両側に幅一間の歩道があり、除雪もきちんとされているので歩き易い。
10分ほどで延長150メートルの橋を渡る。この辺りでは大して川幅もないが、最上川だ。さらに20分歩いて上杉神社に着く。
米沢のことを考える時、上杉謙信を抜きにはし難いように感じる。端折って述べれば、越後時代に数百万石の大々名家であったのが、最終的に十五万石まで減封され、それでも基本的に減員せずに、一丸となって苦難に耐えた。これは通常の封建国家体勢では理解し難いもので、謙信を始祖とする信徒集団と考えた方が納得ができる。
そして明治維新により米沢が上杉の城下町であることが消滅し、140年近く経っても、いまだに謙信が放つ不滅の神通力がこの神社を中心に漂っているように感じられる。少なくとも米沢の人と此処のあいだには、あまたの氏子、氏神間にあるのとは異質な強い絆が現存しているかのようだ。
しかしその一方で境内に漂う雰囲気は明るい。週末に行われる「上杉雪灯篭まつり」の準備で、大勢の人が立ち働いているせいもあるだろう。最初は数名の有志により作られたという雪灯篭も、三十年近い歴史を経て市民の行事として定着しているらしい。
多少の感慨はあったものの、神通力やお祭り騒ぎに興味は薄く、一通り眺めて歩くとそれ以上長居する気にはなれなかった。もう少し見て歩くあれこれがあろうかと、急いで来たのが裏目に出て、呑み始めるのには早過ぎる3時56分だった。
飲み屋の開店時刻は、米沢にしたところで5時過ぎであろう。かといって宿まで引き返し、灯ともし頃になって出直す気にもならない。それならば飲み屋街と教えられたところを虱潰しに歩いて、めぼしいところを探せば時間潰しにもなり、早々開店しているところがあれば、飲み始めるのもまた良しと決める。
5分で迷うこともなく辿り着いたが、期待は大幅に裏切られた。規模は小さく、要するに面積も狭く店の集中度も高くない上に、風俗系かと思われるようなところが多いくて居酒屋は少ない。早々とやっている店は食堂か寿司屋、それも「特急寿司」などの店名では食指が動かない。
駅前食堂まで撤退することも考えたが、未練がましく三周ほどして、揚げ句の果ては100円ショップに入って時間潰しする始末だった。なんとか5時ちょっと前に、ようやく
ネオンが灯った朝鮮焼肉の店に入る。
店員が三人、客席の一角に固まって寛いでいたが、こちらの姿を見て蜘蛛の子を散らすように持ち場へ去って行った。ともかく早目の晩酌を始め、早目に出来上がって宿へ帰り、早目の就寝。明日は6時発の列車で新潟を目指す。
米坂線
4時頃目を覚まし、カーテンを引き上げて表を窺うと、ナトリュウムランプのオレンジ色に、吹雪が舞っているのが見える。ホテル前に駐車している車を見ると、積雪量は10センチ足らずで、列車運行を心配するほどのことはなさそうだ。
駅にあるコンビニエンスストアまで、朝食用の弁当を買いに行くか思案する。24時間営業とは限らないから、吹雪を突いて行って虚しく帰るのは避けたい。フロントに電話で問い合わせることも考えるが、此処数日の運動不足と過剰カロリー摂取を反省するならば、手間暇掛ける前に潔く朝食抜きにするべきだ。
寝直して5時に起床、40分に宿を出る。辺りはまだ夜明けにほど遠い感じだが、雪国の凄いところで、車道は既に除雪され、遠くに除雪車の黄色い回転灯が点滅している。歩道の雪も大したことはないがキャリーは引っ張り難いので、交通量が少ないことを幸いに車道を行った。
自由通路を渡って西側広場に降り、改札に向かうと駅舎の一部がコンビニエンスストアになっている。明りが点き、ガラス越しに店員が動いているのは見えるものの、入り口は閉ざされ、6時〜22時の営業時間が表示されている。朝飯を放棄したのは正解であったが、せめて5時半から営業してくれないと、米坂線始発列車の利用者は無視されたことになる。苦情が出ないのだろうか。
ともかく通過して、切符は既に角館で新宿まで買ってあるのから、そのまま改札を通り抜ける。電光掲示板には坂町行きが5番ホームからと表示されている。駅舎に隣接しているのが1番線で、跨線橋を渡って向こうが2、3番線とは見て取れる。しかし5番線はどこに?折良く通り掛かった除雪作業員に訊くと、「この先」と指差してくれた。
1番ホームは南に長く延び、途中から反対側も列車へ乗降できるようになっているらしい。このタイプを0番線として名付けているのは過去数ヶ所見掛けたことがある。ともかくそちらへ向かうと、車内に明りが点り、でィゼルエンジンが唸りを上げている二輌連結の列車がある。ところが半自動ドアの開ボタンを押してもドアはまったく反応しない。当惑しながら上を見ると4番線の表示が有った。
5番線はそこからさらに50メートルほど先にあった。ともかく乗車して席に落ち着いてから湧き上がった疑問は、4番線に停車している列車は5番線が空かない限り発車することができず、それではなぜ4、5番線が設けられているのか。それなりに理由はあるだろうが、部外者が説明なしに理解することは難しそうだ。
線路際から巻き上げられた粉雪が窓ガラスに玉簾模様を作る。 | |
利用している坂町行き列車。すれ違い待ち時間を利用して撮影。 | |
小国発米沢行き。羽前椿ですれ違うところだが、山越えをして来たせいか迫力ある顔貌となっている。 | |
小国を目指して山間を登って行くと、突然青空が垣間見えた。斜めに光る白い線は車内の蛍光燈が窓ガラスに写り込んだもの。 |
乗客はさっぱり現れず、発車した時に隣車輌に中学生が二人、こちらは他に乗客なしだった。これではコンビニエンスストアがドアを閉ざしていても仕方あるまい。
吹雪が止まないこともあるが、それ以上にディーゼルエンジンの冷却用ファンが巻き起こす風に、線路際の粉雪が舞い上がり、地吹雪状態を列車の周囲に作る。
西米沢から、大きなスポーツバックを持った中年男が一人乗車して来た。
厚い雪雲を通して、次第に黎明の光が射し、視界が拡がって行く。6時半に今泉へ到着した時は完全に明け放れていた。
この駅では羽前椿発米沢行きとすれ違うと共に、山形鉄道フラワー長井線と交差連絡する関係か、7分間の停車時間がある。
先程乗り込んで来た中年男はバッグからカメラと三脚を取り出し、跨線橋を渡ると、向いのホームに三脚をセットし撮影している。鉄道マニアらしい。そこまでの熱意はないが、取り敢えず利用列車の前面を撮影しておいた。
羽前椿に着くと、中年男は再び、しかし今度はバッグも持って反対ホームへ行く。三脚をセットし、傘をさして雪を避けながら入線して来る米沢行きを待ち構えている。――
悠長に構えているがこの列車の発車に間に合うのか? ――と他人事ながら心配する。しかし彼は撮影を終えると、そのまま乗車し米沢方面へ去って行った。
羽前椿を過ぎると、扇状地は急速に狭まり、宇津トンネルを抜けて山間の急登が始まる。ディーゼルエンジンが全開の唸りを上げ、吹雪の中を蛇行しながらの進行は、車窓からの眺めを飽きることないものにしてくれる。曇天の一角に、突然穴が開いたように青空が見え、それもつかの間で再び吹雪にかき消される。
国道と付かず離れずの間隔を保ちながら上り続けて、小さな集落が出現する度に停車を繰り返し、やがて山間の盆地に出て周囲に水田が拡がって行く。その水田が人家や工場に替わると間もなく小国
駅に到着した。
此処で中高年婦人の二人連れが乗車して来たが、それだけでガラガラ状態は続く。小国からは下る一方だ。荒川沿いの所々に小規模なダムを挟む景観は内陸部と異なった印象を与える。鷹巣温泉を過ぎ、下川口から新潟平野の開けた風景の中に入って行く。この辺りは三十年ほど前に仕事で半年ほどを過ごしたことがあり、そこ此処
で思い出の残る眺めが流れる。
通り掛かった車掌に、坂町から乗車を考えていた8時57分に連絡する特急の混み具合を訊いた。――
いつもならガラガラですが、三連休の初日だから。でも、坐れないようなことはないと ――の答えに、後続列車のことも尋ねた。9時5分に普通列車があるらしい。
新潟平野は暗鬱な雪雲に覆われているが、降雪は止んでいる。平野部に出てから15分ほどで右から羽越線が接近し、国道の陸橋をくぐるとすぐに坂町だ。
米坂線を下車した十名ほどに加え、坂町から新潟方面へ向かう人がおよそ四十名、さすが連休初日ということか。治まっていた地吹雪が勢力を盛り返し、吹き曝しのホームは寒い。
この日は車外にいる時間はごく短いものと予想し、厚手のセーターは鞄にしまい込んで上半身はシャツとコートだけだ。傍らに暖房の入った待合室があるけれど、ここに避難するのも業腹で、かといってセーターを引っ張り出すのも面倒に思い、そのまま頑張る。
地吹雪を突いて坂町駅へ入線して来る特急いなほ4号。 |
僅かな時間であろうと、痩せ我慢を続けるが、列車は中々到着しない。4分遅れで地吹雪の白いカーテン越しに光点が三つ現れ、次第にその輪郭をはっきりさせる。眼前を横切る車内には既に立っている乗客が十人ほど見えた。
瞬時、後続の普通列車利用を考えたものの、40分ほど立っていてもどうということはないと特急に乗り込んだ。車内通路は既に満員状態で、連結デッキ部に居場所を定める。
しかし此処には暖房がなく、おまけに隙間風まで吹き込んで寒い。痩せ我慢を続けても仕方がないと、セーターを着込んで対抗した。
新潟駅に着いたのは、5分遅れの9時3分で、連絡する9時5分発の東京直行列車への乗替えを急がせるアナウンスが繰り返される。しかし大宮に停車しないこの列車は対象外だから、ゆっくり階段を登って、13番線に入線している9時14分発Maxとき310号の
、先頭車輌2階席に場所を確保できた。既に五割方席は埋まっている。
長岡。 |
最後の雪見酒
こちらも発車までそれほど時間はない。ホームを急ぎ足で売店を探し、駅弁とカップ酒三つ、チーズ竹輪を調達して席へ戻る。鞄を荷棚に上げて、コートとセーターを脱ぎ、最後の雪見酒
用に調達した品々をテーブルと窓際に配置してようやく寛いだ気分になる。
身の回りを整理し終えたのとほぼ同時に発車する。新潟市街地を抜け、信濃川を渡ってしばらく、辺りが概ね白銀の世界になったところで呑み始める。燕三条でも少なからず乗客が有り、通路に立つ人は十名を越えた。
越後湯沢。 |
おちおち昼酒でもないが、中途半端に終わらせる気にはならずピッチを上げる。隣に坐っているジイサンが、(嫌味ではないにしても)半ば呆れたように、―― お強いですネ ――というのに曖昧な返事で済ませる。越後湯沢に至ってようやく三杯と駅弁、チーズ竹輪の全てを片付け、すぐそばの通路に立っている七十後半の老人と席を替わることが出来た。ホッと一息。
そして国境の長いトンネルを越えると、雪はすっかり消えていた。雪見酒紀行もこれで終わりだ。