みちのく雪見酒紀行2006

***目次***
1.雨
2.雪景色
3.蕎麦会席 野の庵
4.八戸
5.新幹線
6.角館 石川旅館
7.田沢湖線、奥羽線、仙山線
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二月二十日、首都圏は午後から雨だ。夜行寝台列車が出発する上野駅に着いたときには本降りになっていた。駅前で一杯やるべく下車し、まず乗車券を購入する。都区内から上越線、信越線経由で新津、以後羽越線、奥羽線、東北線経由で盛岡、田沢湖線で大曲、再び奥羽線で山形の二つ手前の羽前千歳、此処から仙山線で仙台、常磐線経由で首都圏へ戻る、およそ1,600キロの切符は1 6,700円だった。
  ちなみに
JRの運賃体系は長距離になるほど単価が安くなる。400キロぐらいまでは1キロ16円程度なのが、1,700キロならば10円近くまで下がった。
  上野駅東口には二年前一度だけ入ったことのある、大衆食堂があり、すっかり時代から取り残されたような佇まいが好ましく、この日も利用するつもりでいた。しかしいざ辿り着いてみると、その店は跡形もなく、面白味のない立ち飲み居酒屋に変わっていた。ジイサン、バアサンでやっていたから、彼等のリタイアと共に店をたたんだのであろうか。
  似たような店を探して、雨の中しばらく付近を彷徨ったけれど、収穫はないままチェーン店の居酒屋で妥協する。価格の安さと、酒肴の一定品質は保証されるが、呑んでいて楽しくなることはない。約一時間を此処で過ごし、コンビニエンスストアで、清酒「菊水」のアルミ缶200cc入りを三つ購入。この酒は今時には珍しく、アルコール度数が19%ある。
  寝台特急あけぼのの入線は9時半、これに先立ちプラットフォームで車掌を見付けて検札を済ませる。上段の個室に乗り込めば、すぐに寛いだ格好になり、先程の酒と、持参のツマミを窓際に並べる。気分的なもので、発車するのを待っておもむろに呑み始めた。呑み終わったのは定かではないものの、大宮を過ぎて高崎までは行き着かぬうちだと思う。

 7時43分、能代の少し手前。

 

雪景色

羽越線に乗り入れてから何度か目を覚ます。街灯に照らされて垣間見える風景は、意外に雪のないものだった。「雪見酒」なのだから、雪なしでは始まらない。数年前にがっかりした経験があるけれど、今年に限ってそれはないものと信じていたのに。
  しかし心配するほどのことはなく、秋田を過ぎると順調に雪景色となり、晴天に恵まれたこともあり、車窓風景を楽しみながら時を過ごす。
  雪がなくては困るけれど、降りすぎれば列車が止まったり、そこまで行かなくても運行ダイヤが乱れたりする。充分な雪があっての好天気は、その意味で一番恵まれた状態と云えそうだ。

 

  弘南鉄道の車内。

 
  シートに継ぎを当てて大切に使用している。
 

碇ヶ関を定刻9時に通過し、 大鰐温泉で途中下車することを思い付いた。随分な回数この辺りを通過しているのに、いつも同じでは芸がない。まだ乗ったことのない弘南鉄道で弘前へ向かうのも一興。時間的にも、その方が具合が良さそうだ。
  慌ただしく支度をし、忘れ物のないことを辛うじて確認して飛び降りた。跨線橋を渡ると(弘南鉄道)大鰐駅で、二両編成の中央弘前行きが既に入線している。390円で切符を購入し、発車時刻を尋ねると9時20分とのことだ。トイレを使ったりして、その後あまり待たされることもない。まずは良好なタイミングで事が運んでゆく。    

 
 弘前昇天教会。
 

この路線は13.9キロの延長で13駅あるから、かなりこまめに停車しながらの運行だ。地方の鉄道はどこも厳しい収益で苦労しているが、弘南鉄道も例外ではない様子で、継ぎの当たったシートなどにそれが偲ばれる。しかし車内の清潔さや、保線、運転に退廃した雰囲気はなく、ローカル線の乗車気分を楽しむことができた。
  大鰐駅を出てしばらくすると、岩木山が真っ白く雪に覆われ優雅な姿を現した。最初は山頂付近に雲がかかっていたが、それもやがて吹き払われる。度々弘前を訪れながら、これほどに見えたことはかつて記憶にない。
  9時48分に中央弘前駅に到着する。実のところこの駅が弘前市街のどこら辺に位置するか知らずにいた。「中央」だから辺鄙なところではあるまいし、宿まで距離的にあるならばタクシーを利用すればよいと安易に考えていた。駅前からどちらに踏み出したものかも判らず、一緒に到着した人々の流れに従う。すぐに見覚えのある教会があり、新土手通りに出た 。
  弘前に来れば、必ず数度は辿るこの通りだから、後は迷うこともない。そのままJR弘前駅そばの、ビジネスホテル新宿へと向かう。
  途中新聞社のアンテナショップ前を通過した。丁度10時の開店時間で、此処ではインターネットに無料でアクセスできる。幸便に感謝し、メールチェックのため、数分の寄り道。それでも宿に荷物を預け、弘前城へ向かったのは10時20分だった。

蕎麦会席 野の庵
 

  古風な商店。恥ずかしいことに看板の縄莚叺むしろかますが読めなかった 。
 
 城の堀越に見る野の庵(左)と岩木山。


 

 弘前駅から城へは、いつもなら新土手通りを利用する。多少遠回りでも商店街の雰囲気が好きなためだ。しかしこの日は代官町を抜ける、最短路を選んだ。本丸付近からの岩木山が早く見たかったから。
  既に記したように、朝から岩木山の眺望がかつてなく素晴らしかった。しかし、電車の中からでは窓ガラスの汚れや反射があり、かててくわえてカメラアングルを自由に選ぶこともできない。下車後も垣間見えることはあっても、街中の建物が前景としてあると、せっかくの景観が二段階ほど下落するように思われる。
  そんなことで見晴らしが良ければ、ビルの屋上であっても構わないようなものだけれど、どうせならば「弘前城本丸」の名にも惹かれる。そしてこれだけ条件が揃っても、突然一群の雲が湧き上がるかもしれないと思えば、 「ともかく一枚撮影したい」と気持ちがはやるのだった。駅から本丸までは3キロ弱、それを半時間ほどで歩いた。
  寒さの厳しい今冬であったが、二月も下旬となれば日射しは春のものだ。急いで歩いたため、本丸に着いたときは僅かながらも汗ばんでいた。期待を裏切らない雄大な景観を楽しみながら、のんびりモードに切り替え、城内を散策する。ほどよくクーリングできたところで、城の西堀を春陽橋で渡って蕎麦会席の「野の庵」へ。11時半の昼飯を予約してあった。
  この店は「知る人ぞ知る」名店だけれど、満員を心配したわけではない。逆で、シーズンオフのこの時期、臨時休業することがあるのだ。ほぼ一年ぶりに、西堀とその向こうに拡がる城趾を借景にした席に座る。ごくたまの訪れにもかかわらず、女将も仲居さん、ともにこちらの顔を覚えていることも嬉しい。
  突き出し、かけそば、もりそば、そばがき、天ぷらのコースに、揚げ出し豆腐を追加し、弘前の地酒「じょっぱり」を冷やで頼む。他に客もなく贅沢な空間を独り占めして昼酒を堪能した。一時間ほどして若いカップルが一組。女将との会話を漏れ聞いたところでは、北海道から来たとか。この店だけのために海を越えたわけではあるまいが、目標として重みを持っていたことも感じられた。
  冷や酒四本を空にして昼酒を終える。勘定は五千円を下回ったから、総合的に評価すれば、随分安いと云えよう。支払い後も女将と四方山話に花が咲き、席を立ったのは1時半になっていた。
  宿への帰途、一番町の喫茶店「一番館」でミルクティーを飲みたかったけれど、時刻が遅くなっていたので、まっすぐ帰る。朝、荷物を預けたとき、「2時頃にチェックインしたい」と、頼んでいたためだ。「せっかく急いで準備したのに. . . .」と、思われたくなかった。
  ゆっくり午睡を楽しみ、一風呂浴びてから黄昏の街へ。弘前のような古い街は、必ずや良い飲み処があると思うのだが、鍛冶町の「かぎのはな」が店をたたんだ後、それに変わるところを発見できない。この日はかなり気合いを入れて探した結果、何とか場末に一軒、それなりの焼鳥屋を見付けることができた。
  お通しに大根サラダと煮込みで冷や酒を四本。客は常連ばかりのようだ。帰り道、松森町のすし政に寄ろうとしたが、店は明かりを点していない。何度か寄るうちに顔馴染みになった寿司屋だけれど、老人夫婦でやっていたから、店を閉めたのだろうか。寂しいことだ。宿が一階でやっている和風スナックで二杯ほど冷や酒を呑んで締めくくりにする。

八戸

22日は八戸に住む一族の長老(?)を訪ねる。親父の従兄弟で九十歳にして矍鑠たる老人だ。しかし、この人は雪見酒には縁がない。
  八戸の中心街は、八戸線で二駅行った本八戸から、さらに南へ下った辺りだが、今回泊まったのは、八戸駅付近の東横イン八戸だった。このホテルチェーンは最近悪評高いところだが、ともかくコストパフォーマンスは高いのであえて利用した。それ以上宿に関し特筆することもないが、宿のすぐ隣が「天竜」という大衆食堂で、居酒屋としても良い店であったのは、予期せぬ収穫だった。
  昼に冷や酒三杯と、イカ刺し、ホッケの塩焼き、メカブとオクラの酢の物。ちなみに八戸漁港は、水揚げ量で全国四位(2004年)、イカ類一位、ヒラメ一位、ホッケ八位であり、そしてこの店は漁港に何らかの繋がりを持っているらしい。
  すっかり店の雰囲気が気に入り、老人を訪ねた後、7時から再び呑みに行く。 昼間食べ損なったヒラメのえんがわと、イカの一夜干しを頼んだ。一夜干しの方は「今日は入荷しなかったので、代わりに特製の付け焼きを」ということになったが、これもまた美味であった。仕上げは「天竜特製ラーメン」で、あっさりした味わいだけれど旨かった。八戸訪問に満足。

 

 岩手山。
 
 
 
帰宅後調べたニュースによると、脱線事故は盛岡発10時2分の列車が、10時37分頃遭遇したらしい。盛岡発11時2分の列車に乗車し、この写真の撮影が11時33分だから、かなり近いところらしい。
 

新幹線

23日は八戸から角館への移動で、距離的に近い上に新幹線を利用したため二時間掛からずに着く。新幹線は嫌いだから、なるべく避けるのだが、この区間は在来線利用では連絡が悪すぎた。
  乗車券は既に通して(都区内→都区内)買ってあるので、乗り継ぎの指定券3,130円を購入。
  この日も好天に恵まれ、田沢湖線(秋田新幹線)で盛岡を出ると、岩手山が白銀に輝く姿を見せてくれた。 発車してから十数分で雫石駅を通過すると、線路は次第に山間に分け入って行く。
  ふと、秋田新幹線が最近脱線事故を起こしたのはこの付近であったかと気付いた。丁度車掌が通りかかったので訊いてみたところ「あと数分の所です」と答えてから、生真面目そうに「今日は大丈夫です」と付け加えた。それほど不安げな面持ちで尋ねたのかと、思わず苦笑する。勿論、雪崩も脱線事故も起きず、定刻の11時51に角館到着。

角館 石川旅館

角館をこの十年ほど、冬になると毎年訪れている。街の雰囲気も好きなのだけれど、それだけであればこれほど続かなかったと思う。いつも気持ち良く泊まれる石川旅館の存在、さらに云えばこの旅館にいる老婦人に会うために訪れると行っても良いだろう。
  年齢は七十前後と思われるが、細身の体を和服に包み、いつもキリキリと働いている姿に小気味よさがある。何時の頃からか顔見知りになり、酒などたしなまない人なのに、こちらの晩酌に付き合って、昔の話や、日常身辺の話などをしてくれる。 名前もはっきり判らず、通称「オバチャン」。
  方言が八割方だから、喋ってくれたことの半分は判らないのが正直なところだが、人柄の良さが滲み出て、いつも楽しく聞くことができる。今まで理解できたことからすると、この宿の先代に嫁いできた人の身寄りで、若い頃から手伝いを頼まれているうちに、次代女将の後見的な役回りになったらしい。お年だから、何時引退してもおかしくないから「今年あえるのが最後かもしれない」と、一期一会の思いもことさらとなる。
  駅から10分で着いた石川旅館で、おとないを告げると、奥の帳場から主と共にオバチャンも顔を出してくれた。ホッと一安心。
  荷物を預けて昼飯に出掛ける。徒歩3分のところにある郷土料理の店「むら咲」は、数年前に宿の主からお勧めの店として教えて貰った。山菜と白子ポン酢をつまみに冷や酒を三本。
  ほろ酔い機嫌で、むら咲きから500メートルほどの大村美術館へ。此処はルネ・ラリックのガラス作品を中心とした個人美術館で、オーナーの趣味の良さが反映されている洒落た空間だ。しかし昨年訪れたときは休館日で、今年こそはと期待していた。
  ところがまたしても休館日。「ハテ、昨年は水曜日に. . . .」と、訝しく思いつつ、閉ざされた入り口に近付くと、冬場は水木の二連休になっていた。
  行く当てもなくなり、適当に道を拾いながら角館を彷徨う。宿へ戻ったのは3時だった。夕食はいつも通りのきりたんぽ鍋を中心としたもの。変化がなくてつまらないようだが、年に一度だけのことだから飽きることもない。むしろこれ を肴に呑んで「角館に来た」ことを実感する。

田沢湖線、奥羽線、仙山線

24日は仙台で友人と会い、雪見酒を締めくくる予定だ。角館から仙台へは、新幹線を利用すれば1時間40分ていどで行くことが出来るが、これは都合が悪い。早く着きすぎて宿にチェックインもできないし、1,600キロの通し切符も買えない(折り返し区間を含むことはできない)。

 
新幹線車両と在来線車両。共に標準ゲージの線路を利用。
 
97年の新幹線開業と共に新調された車両はロングシートが半分。
 
桧木内川の流れにも、どことなく春を感じる。
 

かててくわえて盛岡、仙台間はほとんど雪がないはずなので、「雪見酒紀行」の趣旨にも反する。そんなことから、田沢湖線で大曲、奥羽線で新庄を経由し羽前千歳、仙山線に乗り換えて仙台の経路が決まった。
   角館9時43分発なので、9時を廻ってから宿を出る。一泊二食に酒七本で11,250円だった。別途祝儀袋に1,000円を包み、部屋に置く。
  オバチャンが玄関の外まで見送ってくれた。100メートルほど行き、駅へ向かう曲がり角で振り返ると、まだ佇んだままこちらを見ている。できるだけ高く手を振って別れを告げた。
  田沢湖線は新幹線乗り入れ時に、盛岡、大曲間を標準ゲージに切り替えてしまったため、この間は在来線も専用車両を使用し、大曲から先へは乗り入れできなくなっている。本数も少なく、朝夕にのみ運行されているのは、通学の足として辛うじて生き残っているのだろう。大曲まで6駅、約20キロは20分ほどで着いてしまうが、そこからの乗り継ぎで1時間以上待たされる。  

 横堀付近。12時14分
 
 及位のぞき付近。12時28分
 

大曲を11時18分に発車し、横手盆地の雪原を一路南下する。横手、湯沢ではかなりの乗客が降車する。湯沢はその名から想像できるように、湯ノ原温泉などもあるが、横手盆地の南端に位置する街として、古くから栄えてきたらしい。
  横堀を過ぎると、両側から山が迫り、雄勝トンネルで県境を越えると、山形県最上郡真室川町及位のぞきになる。 ちなみに「及位」なる難読地名は、此処以外に秋田県由利郡と秋田県仙北郡にあり、かなり離れて位置するから、それなりに由緒のある地名かもしれない。
  線路は下りに転じ、間もなく新庄盆地の開けた風景の中を行く。新庄着1時4分。此処でまた乗り継ぎに1時間15分待たなければならないが、これはむしろ幸便に感じていた。昼飯・昼酒におあつらえの時刻だ。
  新庄駅で降車した人の大半は、山形新幹線に乗り継ぎだ。少数派の人波に従って行くと、自然に西口に出た。雪もほとんど溶け、何か索漠とした駅前広場を眺めると、向かいに「ホルモン焼き」の暖簾がはためいている。
  どこかうらぶれた雰囲気は嫌いでないものの、あまりに安直すぎるようで一歩踏み出し、駅前通を50メートルばかり西へ行くと、「急行食堂」の縄暖簾が目に入った。名付けのセンスは好きになれないけれど、正統的大衆食堂の風格は捨てがたい。実のところは小賢しい理由付けよりも、早く呑みたかっただけかもしれない。ともかくこの店に入った。
  野菜炒め定食があるので、単品で頼み、コップ酒を冷やで。喉を潤し、落ち着いて店内を見回すと、テレビや雑誌の取材を受けたことがある、新庄の「歴史ある名店」らしい。三十年以上も高校生が列車の時間待ちに利用し、今もそれらしいのがラーメンを掻き込んでいる。
  三杯冷や酒を呑み、辛いが故に「地獄ラーメン」と呼ばれているらしい一品に食指が動いたが、時刻も早くないことだし、晩に備えて自制した。

 新庄から山形への奥羽線車内。
 
 山寺。
 

新庄駅発2時19分の山形行きに乗車する。車内は高校生か買い物帰りらしい主婦(風)ばかりだけれど、大曲から新庄まで一緒だった女子高校生(風)三人連れがいたのには驚いた。若人らしくない旅をする人達だ。勿論声を掛けたりはしない。
  仙山線への乗り継ぎは羽前千歳で、37分の待ち時間がある。しかしなぜかウッカリ乗り過ごして二つ先の山形まで行ってしまった。此処で仙台行き始発列車に乗車し、20分ほどの待ち時間で発車。
  ちなみに
JRの決まり(運輸約款?)では、過失で乗り過ごし、その区間を戻る場合は料金を徴収しないらしい。意図的であれば徴収する。
  以後は順調に仙山線を行く。芭蕉で有名な山寺(駅)や、名前のユニークな面白山高原(駅)などがあり、雪を頂いた景観やいかばかりかと、密かに期待していたが、結果はさっぱりだった。二年前此処を通過したときは、午前中に降雪があり、午後は好天の条件に恵まれていたのだといまさら納得。
  仙台到着後
Oさん、Nさんと合流し、雪見酒打ち上げとばかり痛飲。流石に飲み続けが堪えたのか、翌日の常磐線内では、向かい酒も生ビール一杯がやっとだった。ともかくこの冬も無事に雪見酒紀行を完結。

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