みちのく雪見酒紀行

この十年ほど、冬になると雪を 見に旅をすることが習慣になっている。今年も望雪の思い止み難く二月三日の夕方、北へ向かって旅立った。

夜行列車の始発駅、上野に着いたのは夕刻8時ちょっと前で、発車時刻までの二時間弱を駅付近の居酒屋で費やすことにした。有り体にいうならば、居酒屋ですごすために早過ぎることを承知で家を出て来たのだが。

浅草口を出て1分も行かないところに「大衆食堂」の看板を見付けた。引き戸を開けて中へ入ると、先客は一人だけで、中年男が店の週刊誌を読みながら食後のお茶を啜っている。髪を茶色に染めた七十近いオバサンが「いらっしゃい」と威勢の良い声をかける。寅さんが旅立つ前に飯を食べていたって良さそうな店だ。

テレビから一番離れた片隅に坐って冷や酒と煮込み、キムチを注文した。発車前に出来上がってしまうのも具合が悪いと、努めてゆっくり飲む。酒を追加し、キンピラを追加し、一時間ほどで四本を空にして切り上げる。勘定は2,360円。

駅構内の売店で濁り酒(20度)のアルミ缶三つを買い、9時20分の寝台列車入線を待つ。すぐそばに乗務する車掌がいることに気付き、―― すぐ就寝したいので . . . . ――などと言い訳しながら検札を先に済ませて貰う。これで乗車したらすぐに気兼ねなく飲み始めることができるだろう

利用する寝台車はあけぼの号で、個室B寝台を備える数少ない列車だ。定刻に到着し部屋番号は10番。偶数番号が上段でこれを指定して購入した。下段だとプラットフォームから室内を見降ろされることになるが、上段ならば窓の下辺が2メートル以上のところだからそのようなこともない。個室B寝台を利用する際のノウハウであるが、シェードを下ろしたまま旅して気にならない人には関係ない話。

個室に落ち着き、ベッドを用意してから窓際に酒の缶と家から持参したツマミを並べ、衣服を脱いで寛ぎ呑み始める。定刻に発車し、北へ向かう。赤羽、川口などで勤め帰りの人々が電車を待つフォームを見降ろしたり、街の明りを眺めたりしながら、独り酒を呑めば北へ旅する情感が湧き上がる。

ツマミは手造りのニンジン・油揚げ・蒟蒻・芋がら・ヒジキの煮物、鶏のレバー、筑前煮、生椎茸・シメジ・えのき茸の炊き合わせ、オクラのオヒタシ、それに先日札幌から持ち帰った鰊漬の五種類だ。大宮を過ぎしばらくして酒がなくなる。寝ながら呑んでいたようなものだから、酒が終わるのと就寝の境目は曖昧模糊としたものだ。

 

深夜目を覚ますと鶴岡駅で辺りは雪に覆われている。雪見酒の出だしとしては喜ばしいことと独りほくそ笑む。時刻は午前4時41分。その後も睡眠と覚醒を繰り返し、秋田に到着したのは6時52分であった。―― 駅弁を買って朝食に ――とも考えたが、早めに昼食になることもありやめておく。

車窓よりの眺めは朝日に輝く銀世界で、50センチ以上の積雪が続いている。2年前に同じこのあけぼの号で旅した時は、冬枯れの茶色い景色が続きがっかりしたものだが、今朝は心躍る思いで展開して行く雪景色を楽しんだ。

定刻より数分遅れて9時半ころに弘前へ到着。徒歩2分のビジネスホテル新宿に寄り、荷物を預けて弘前城へ向かう。時刻が早過ぎるため道すがら土手町の喫茶店Doで時間潰しをして、大手門に着いたのは11時をだいぶ廻っていた。城内は2月7日の雪灯篭祭りに合わせて、あちらこちらに数百基の雪灯篭が設置されているけれど、これを見物に来たわけではない。目指すのは城の西側、五十石町にある蕎麦懐石「野の庵」だ。

二千年の七月に城の周辺を歩いて見付けた。濠に隣接しているにもかかわらず、観光客もあまり訪れず静かなことと、懐石といいながら値段が手頃なことが気に入って、爾来弘前へ来た時は寄ることにしている。追手門から城内に入り、蓮池の脇を通って西濠に架かる橋を渡れば橋の袂に野の庵がある。

着いたのは開店の11時半をちょっと廻ったところで、先客は誰もいなかった。冬場、取り分け二月は客が少ないらしい。しかしこちらにしてみれば潰れない限りにおいて空いている方が好ましい。ともかく縁側の席に坐る。大きな一枚ガラスを入れた引き戸ごしに西濠とその背後に北の郭が望まれ、この借景が何よりもの魅力かもしれない。

突き出し、天ぷら、掛け蕎麦、セイロからなる蕎麦懐石コースと、酒は地元の「じょっぱり」を冷やで二合(名目)注文する。後は降り出した雪を肴に杯を重ね、シンシンと、時として吹雪くのを飽きもせずに眺め続けた。後から訪れた客は若い男女の三人連れだけで静かに時が過ぎる。一時間ほどの間に酒を二合(名目)さらに追加して、勘定は締めて4,935円。

帰途は再び城内から追手門へ抜け、城に隣接する弘前市立観光館に寄り道する。無料インターネット接続サービスを利用するためだ。予想外のことに二通メールが入っていた。取り敢えず簡単な返信を送り、その後は土手町筋の喫茶店「壱番館」へ。弘前にはこの店をはじめ感じの良い喫茶店が多いように思われる。首都圏では善し悪し以前に喫茶店そのものが激減してしまったが。

カウンター席に坐りキリマンジェロを注文してからメニューにセイロン風ミルクティーを発見、次の機会に賞味することにした。宿へ帰り着いたのは2時で、正規のチェックイン時刻より一時間早いが部屋を使わせて貰う。

一眠りの後に一風呂浴びて宵の街へ出かける。新鍛冶町の「かぎのはな」は、二年ほど前に偶然見付けた店だ。後から調べればガイドブックの「味」欄トップに載っているような観光的店だが、それでいて鄙びた感じが失われていない。十畳ほどの店内は板張りで囲炉裏が三つ切ってある。七十くらいのバアサンが独りで切り盛りし、弘前弁丸出しでもてなしてくれるのも好みだ。

5時半に着いて此処も先客はなしだった。じゃっぱ汁(鱈の粗と葱、大根などを入れたみそ味の汁)と冷や酒を注文。こちらの顔を憶えていたらしいバアサンと世間話をしながら呑む。最初は突き出しのキノコ炊き合わせなどをツマミにし、間もなくジャッパ汁も囲炉裏に到着した。他に訪れる客もなく、ゆっくり飲んで酒五本。勘定は4,800円。

帰途は松森町の寿司屋すし政によってもう二本、最後に鉄火巻を食べてこちらは1,900円だった。後は小雪の降る中を宿まで真っ直ぐ戻り、10分足らずで部屋に着いた。

 

一晩中小雪は降り続き、10センチほどの新雪になる。今日の目的地は角館で、移動手段として一般的なのは秋田経由だ。しかしこれは面白味に欠けるし、秋田から嫌いな新幹線を利用することになる(しないことも可能だが)。好みは鷹巣から秋田内陸縦貫鉄道により阿仁合、阿仁マタギなどを通過して角館に至るルートだ。ちなみに前者の運賃が5,250円に対し2,730円と安いのも良い。そしてこれを利用する場合は弘前発7時56分か11時20分ということになり、前二回続いたパターンを避けるため11時20分発秋田行きの普通列車を利用することにした。

9時半にチェックアウトし、荷物を宿に預かって貰い土手町の壱番館へ。セイロン風ミルクティーは美味で満足 。一時間弱を此処で過ごし、これもまた土手町筋にある東奥日報のアンテナショップ(?)へ移動した。此処は喫茶店から駅への途中にあり、インターネットを無料で利用出来る。メールをチェックしてから明日の利用予定列車の時刻などを調べた。

秋田行きの列車は定刻に発車し、新雪が陽光に輝く津軽平野を快調に走る。しかし折角の風景も車輌がロングシートの通勤電車型であるためにさっぱりだ。この手の車輌が各線で増え、旅の風情を味わえなくなって行くのは嘆かわしい。ともかくこの列車で鷹巣に12時23分に到着し、阿仁合行きを待つ時間を利用して駅前食堂で一杯やる。

鷹巣もシャッターを下ろした店の目立つ活気のない町で、この食堂もまた昼飯時でも混んでいるのを見たことがない。しかしテーブルは多く、四、五十人は入れようかという店の規模で、廃業する様子もなく頑張っている。野菜炒めに冷や酒を注文。野菜炒めで飲むなど美食家のやることではあるまいが、そのようなものではないから気にしない。

酒を二杯追加し、 最後にカツ丼を食べて昼飯を終わる。カツ丼もまた好物であるが、実際食べるのは年に一回ぐらいしかない。勘定は締めて2,140円だった。

縦貫鉄道でやっと車輌がボックスシートタイプになる。それも空いていたお陰で先頭車輌の先頭席に坐ることが出来た。眼前に展開される雪景色を楽しみながら山あいへと上って行く。一時間弱で阿仁合に到着すると、連絡する列車は既に待っていた。今度は一両編成で発車。

阿仁マタギを過ぎてトンネルになりこれを通過すると阿仁川水系から桧木内水系に 替わっている。山あいを曲がりくねっての下りが続き、漸く平野部に出てしばらくすると左側から田沢湖線が接近し角館駅だ。到着は5時5分前だった。

駅から雪の降る中を徒歩10分の石川旅館へ。此処も 九十六年の冬以来、年に一度は訪れている馴染みの宿だ。オヤジが恵比須顔で玄関に現れ、部屋へと案内してくれた。しばらくすると「オバチャン」が茶道具を持って来る。この人の名前を知らないためオバチャンと呼んでいるのだが、七十を多分過ぎてなお矍鑠としている。此処へ度々泊まるのも彼女と話しをする楽しみによるところが大きい。

晩飯はきりたんぽ鍋をメインに、ベニザケの飯寿司や刺し身、キノコの炊き合わせなど多種かつ酒に合うものだった。これらをツマミに冷や酒を七本。 酒の追加を持って来たオバチャンと話し込む。実のところ秋田訛りが強く、話の七割程度しか判らないがそれでも心が和む。シンシンと雪が降り続いていた。

 

明くる六日は仙台へ向かった。当初は盛岡経由を考えたが、新幹線利用の味気ない旅になる。 旅に出る前インターネットで乗り継ぎを調べていたところ、奥羽線経由が面白そうなことに気付いた。角館を9時43分に発ち、大曲、新庄、羽前千歳で乗り替え、仙山線で仙台に2時32分到着となる。仙台で会う(飲む)予定の友人、小笠原さんに電話で相談したところ、―― 当日作並方面に所用が有るので、(仙台の名湯)作並で落ち合って温泉でも入りましょう ――ということになった。

朝方には陽光も垣間見えたりして晴天を期待した 。結局は降りやまぬ雪の中を行く旅となり、雪見酒紀行だからそのことに不満はないが、誤算は二つ有った。一つは奥羽線がロングシート車輌であったこと、かてて加えて降雪が多過ぎて窓ガラスが半分くらい 巻き上げられた雪で覆われ、視界が甚だしく良くなかったことだ。

―― 各駅停車でのんびり雪景色を楽しみつつ駅弁で一杯 ――などの目論見はまったくの当て外れとなった。ロングシートの座席では握り飯かサンドイッチくらいならばともかく、弁当など落ち着いて食べる雰囲気ではないし、まして酒など飲んでいれば周囲の顰蹙を買うことは必定だ。

羽前千歳を間近にして漸く晴れる。仙山線をマイナーな路線と思っていたが間違いであった。乗り替えた1時33分発の仙台行きは四輌編成で、それもボックスシートの車輌だ。しかし時既に遅く作並までの乗車時間は僅か半時間。それでも山あいを行く路線からは濃い緑の針葉樹に積もった新雪が陽光を受けて白銀に輝くブリリアントな景観を堪能出来た。

作並駅で小笠原さんと合流。作並での仕事は終わって秋保(温泉)へ向かうところであったが、彼の提案で作並からすぐのニッカ宮城峡蒸溜所(仙台工場)を見物することにした。ガイドツアーで半時間廻り、最後は利き酒で終了。

秋保は二口渓谷方面の山奥へドライブを楽しんだが、二口温泉のビジターセンター(市営)は冬期休業中で、もう一軒ある磐司山荘も日帰り入浴を楽しむような雰囲気ではなく引き返す。下流に有る秋保町湯元の温泉旅館街も一回りして結局パス。そのまま仙台市内へ向か った。

夜の部は国分町でスタート。新宿ゴールデン街を髣髴させる路地を行き、狭くて急な階段を登った二階にあるディープな居酒屋で呑み始めた。此処で食した赤海鼠も旨かったけれど、ジャコ納豆サラダなるものはさらに 御機嫌。酒を冷やで三杯呑んでさらに焼酎を二杯。

以後は 小笠原さんの案内で梯子酒を開始。いつの間にか雪が降り始めていた。仙台での雪見酒は期待していなかったので嬉しい余録だ。飲み続け五軒を廻ってお開きになったのは2時近かった。

 

翌朝は7時に宿酔ならぬ当日酔いのうちに朝飯を済ませ、そのまま部屋で怠惰な時を過ごす。10時近くなって追い出される前にチェックアウトした。駅までの道は昨晩の雪でぬかるんでいる。10時50分発の常磐線廻り特急で帰るつもりだから、足許に注意してゆっくりと歩いた。

いざ駅に着いて電光掲示板を見ると、常磐線の特急は10時21分で現在時刻は10時15分。50分と思っていたのは記憶違いで慌てて緑の窓口を探すが見付からず、自動販売機で140円の切符を買い 、取り敢えず乗車する。間もなく定刻となったが車内放送が流れ仙山線の列車を連絡するために多少発車が遅れるとのことだ。昨晩の雪も山形の方では列車運行を遅らせるほど積もったのであろうか。

結局6分遅れで発車し一路南へ向かう。しかし思いの外に積雪は続き、それどころか阿武隈川を渡るころには短時間であったがかなりの降雪が見られた。車内で迎え酒にワンカップ大関を三杯。車窓からの雪景色はその後も続き、白いものが見えなくなったのは富岡を過ぎてからだった。

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