しまなみ海道紀行    ※タイトルは地図とリンクしているものが多いです。ご利用ください

夜行列車 ―― B個室寝台

5月9日の夕刻、出発に先立ち八重洲ブックセンターでOさん、Yさんと待ち合わせ、付近の居酒屋「北海道」で痛飲する。9時半になり、足を取られるようなことこそないものの、ほろ酔い加減は遙かに通り越して東京駅9番線ホームへ。キオスクでさらにカップ酒二つを買い、二階個室の窓際にこれを並べてから、見送ってくれた二人と握手を交わす。彼らが去って行くと車掌を探して早めの検札を済ませた。これで準備は万端整った。部屋にはいるとドアをロックして衣服を脱ぎ捨て寛いだ格好で窓からホームを見下ろす。
  まもなく定刻発車したサンライズ瀬戸は、有楽町、新橋と通過して行く。ホームには大勢の人々が、仕事中の緊張から解放されぬまま、険しい表情で行き交う。これを異界のことのように見下ろしつつ、陶然として飲み続け、横浜を通過したことはおぼろげな記憶に残るものの、就寝したのがどこなのか、全く判らない。これが好きだからB個室寝台を利用するのだ。
  目が覚めると間もなく姫路、燦々と陽光の降り注ぐのどかな車窓風景を楽しむうちに岡山に到着した。サンライズ出雲との切り離し作業後、児島を経て海峡を渡る。いつものことながら四国を訪れる実感が湧くところだ。坂出で降車。今治行きの特急列車を待つ時間を利用して、朝食代わりのワカメ饂飩。立ち食いスタンドのそれだから、本来旨い不味いの 対象にはならないだろうが、それでも旨い。さすが饂飩王国讃岐だ。

来島くるしま大橋

  今治側から見る来島大橋。
 

  橋の中程。10時10分
 
 10時30分
 

  北側漁港。

今治到着は9時半。しまなみ海道のスタート地点ともいえる来島大橋までの、約6キロを歩くべきか思案したが、―― 市街地を歩いても面白くあるまい ―― と、タクシーにした。車窓から観察すれば、草花が満開の歩道は、歩いても悪くはない。しかし一時間を節約できたのは有り難かった。
  橋の袂で身支度、歩き支度を整え、10時に橋を渡り始める。日射しは強いものの海峡を吹く風は爽やかで心地よい。車道に平行して歩いているけれど、充分な間隔があり、そして交通量がいかにも少ないために車の往来を迷惑に思うこともない。しかし同時に凄まじい赤字が実感された。

昼飯・昼酒

約6キロの橋を一時間弱で渡り終え、大島の地を踏む。サイクリング道路は島の中央部を貫くように続いているが、徒歩で行くのにひたすらこれを追従するのも芸のないことだ。海沿いに歩いてみようと、左へそれた。
  浜に続く僅かな平地に民家が散在している。海岸堤防に釣り人が間遠に3人。行き交う人も車もほとんどなく、眠気を誘うようなのどかさだ。北側漁港を過ぎると山が迫り、人家も途切れる。時分どきに近づき、どの辺りで食堂に出会えるか、地図を見て予測した。次の扇集落はあまりに小さそうだし、すると2キロほど先の前田辺りか。
  前田は古い街並み留めた感じの良い所であったが、飲食店は唯一つ、喫茶店があるのみで、ここは「営業中」の札を表示しながらも堅くドアを閉ざしていた。仕方なく行き過ぎてさらに1キロ。吉見町役場付近はこの島一番の人口密集地域だが、それでも外食をする人などあまりいないらしく、食堂は見当たらない。
  ようやくお好み焼き屋を見付けた。お好み焼きは通常まず食することがない。しかしここを逃すと昼飯を食い損なう恐れがある。それは構わないが、旅に出て昼酒を逃すのは忍びない。その思いに背中を押されるようにした店の引き戸を開いた。
  若い作業員風の客が二人いて、バアサンとその娘らしいのが切り盛りしている。お好み焼きのメニューが貼られた壁に「アルコールの持ち込みは固くお断り」の注意書き。念のため確かめると、バアサンは不機嫌そうな顔付きで、「酒は扱っていない」と突っ慳貪にいう。酒に恨みでもあるのだろうか。
  食事が目的ではないから、おろし掛けた荷物を改めて身に着ける。半ば飯抜きを覚悟して500メートルほど行くと、仁江川にぶつかり、すぐに幹線道路へ合流した。ドライブイン風の食堂が二軒並んでいる。需要と供給の法則に従っているのだろう。最初に入った焼き肉屋は、小上がり主体でテーブル席が少なく、おまけにやたらタバコ臭いのですぐに退散。隣の中華料理屋へ入った。
  ここで八宝菜を肴に冷や酒三杯。壁に貼られたメニュー札を暇つぶしに見て行くと、半量メニューなるものが5種類ほどある。鄙にして洒落たシステムと思い、―― 春巻きを一つ ―― 注文しかけたものの、カロリー過剰が気に掛かり取りやめ。
  呑みかつ食いながらも地図を見ながら今日後半の予定を立てる。大三島おおみしままで行けると見極め、客が少ないことを幸便に、声をひそめて携帯電話を掛ける。インターネットで調べておいた多々羅インフォメーションセンター。 ここで紹介してくれた民宿カリブは所在がはっきりしないものの、サイクリング道路からはさほど離れていないとのことだった。こちらへ再度電話して予約成立。六千円、八千円、一万円の料金設定とのことに、中をとって八千円にしておく。半時間ほどで昼酒を終了し、1時10分に歩き出す。

  潮流は河を思わせる流速だ。
 

  エニシダの花盛り。  

船折瀬戸

道は緩いながらも上り坂となり、峠付近で西瀬戸自動車道と交差する。下りに転じて15分で海にぶつかる。この辺りは船折瀬戸などの地名(海峡名)もあり、汐の流れが速い。海峡というよりも河の流れを見ているような思いで海縁を歩く。
  前方に大島大橋が見えてから10分でその下へ到達する。しかし橋を渡り始めたのはさらに10分後であった。海縁道路と橋には30メートルほどの標高差があり、サイクリング道路は大きく迂回しているためだ。上から見て判ったことだが、歩行者ならばもっと短距離で急な坂を登ってこられた。道標はこのような点に関しては不親切である。

マリンオアシスはかた

大島大橋を渡ると伯方はかた島になる。自動車道、一般道、サイクリング道路はどれも島の西側を行く。砂浜が広がり、道の駅やその他レジャー施設があり、海水浴シーズンにはかなりの混雑が予想される。しかし5月の上旬、そして平日とあっては浜辺を歩く人もまれだ。
  それでもマリンオアシスはかたは開いていた。土産物売り場や、レストランがある建物の片隅に事務所があり、ここで観光情報を入手できる。今宵の宿カリブの所在地を確かめておきたかった。判らずに行き過ぎて引き返すのは業腹だ。

  大三島橋から見る多々羅大橋。
 

  大三島戸板付近からの多々羅大橋。

対応してくれた若い男性係員は、「隣の島なので所在地は判りません」といいながらも、「電話番号が判れば問い合わせます」と親切だ。電話さえ繋がれば、ランドマーク的なものや地名は頭に入っているらしく話が早い。数分の会話後、しまなみ海道サイクリングマップを取り出すと、「多々羅大橋を過ぎて2キロほど、井口漁港の近くです」と、赤ボールペンでマークしてくれる。そしてこのサイクリングマップはこの後、何かと便利な存在だった。  礼を述べ、トイレを使ってから再出発。半時間ほどで大三島橋を渡る。橋の上から5キロ先にある多々羅大橋が斜張橋の美しい姿を見せている。今日の目的地は橋から僅か。そう思えば半分以上、着いたような気分になる。時刻は4時を少々回ったところだ。急げば5時を余り過ぎない到着となるであろう。気を引き締めて歩き出す。
  鼻栗瀬戸海峡に沿って続く道からは、常に多々羅大橋を眺めながらの 前進で、距離が明らかに縮まって行くのが判る分励みにもなる。そして近づくにつれ、さすが世界一の規模を誇る斜張橋と納得させる迫力だ。橋の袂近くにある道の駅を5時ちょっと前に通過し、頭上30メートルの所を横断する橋へのアプローチを見上げながら井口漁港へ続く国道317号線を行く。民宿カリブに着いた時は5時を20分回っていた。

民宿カリブ

  民宿カリブ

食堂珈里葡と民宿カリブが並んでいる。取り敢えず人の気配がある食堂へ近づくと、内部からこちらの姿を見ていたのか、入り口のところで四十くらいのオバサンが待ちかまえていた。宿泊者であることを確認すると、すぐ先に立って民宿の玄関へ案内してくれる。
  通されたのは二階の北側に位置する部屋で、二方向に窓がある部屋だった。多分冬場を別にすれば、この宿で一番良い部屋だろう。しかし、道路に近いことが気になり、南側の部屋と替えて貰った。夜間通行する車などないのかもしれなかったが。
  食事の準備が出来たのは7時頃だった。部屋食ではないけれど空いているせいもあるのか一室を独占して使う。襖で仕切られた隣部屋からは家族連れらしい話し声が漏れ聞こえてきた。
  宿泊料金の等級は食事内容によるものと考えて中を選んだのだが、予想以上に充実したものだ。オコゼがメインで刺身、塩焼き、唐揚げ。薄造りにした刺身も良かったが、熱々の唐揚げがすこぶる美味。そのほかエノキダケや野菜主体の鍋など、質量ともに充分すぎるほどで、少なくとも量的には6000円にしておけば良かったかと思うほどだった。
  ご飯は釜飯スタイルだが、未炊飯の材料が一人用の羽釜に入ってコンロにセットされている。燃料は鍋の方と同様の固形燃料だ。火加減その他をせずに上手く炊けるのか疑問に思ったが、ともかく点火してみた。
  いつものことだが酒は5合を冷やでまとめて出して貰った。ツマミは既に書いたように充実している。快調なペースで呑み且つ食う内に、半時間ほどで酒が片付いた。しばらく前に固形燃料は火は落ちていたが、―― 仕上がりやいかばかりか ―― と思いつつ、羽釜の蓋を開けてみると、見事な仕上がりだ。何らかのノウハウを駆使しているのかもしれないが、興味深い釜飯であった。
  翌朝の早出に備えて握り飯を打診してみたが、―― だいぶぬくくなってきたので. . . . ―― と断られた。これもあろうかと考えていたし、別の思惑もあったのであっさり納得。勘定を済ませてから就寝した。

生口いくち

  多々羅橋から生口島の一般道へ降りるにはかなり迂回を強いられる。    迂回路で見掛けた動物注意の標識。
 

5時に起床する。どうやらこの棟に他の宿泊者はいないらしい。充分体が目覚めるのを待ち、トイレその他を済ませて出発したのは5時40分だった。多々羅橋を目指して2キロ引き返す。橋へのアプローチをくぐる少し手前には、左へ分岐して急な上り坂があった。―― 徒歩ならばゆけそうだ ―― と思いつつも、丹念に辺りを見回して行けることを示唆するものが何一つないために断念した。急がば回れと自らに言い聞かせて。
  道の駅そばまで戻って、サイクリング道路と村上三島さんとう記念館への道標を確認しつつ坂道を登る。迂回を繰り返してようやく大橋と同じ標高まで辿り着き、再び若干下って大橋をくぐる。自転車・歩道はここから右へ続くが、左手を見ると、先ほど判断に迷った坂道が見えて口惜しい思いをする。もう少し歩行者へ配慮した案内表示が欲しいものだ。
  だいぶ遠回りを余儀なくされたが、ともかく海峡を渡り始めた。 6時を少し回ったという早い時刻のせいもあり、歩行者や自転車は全く見当たらず、間遠に姿を現す自動車 、そして自動車道を挟んで橋の向こう側に設けられた原動機付自転車道をこれもごくたまに小型バイクが往来する。
  渡り始めた時はまだ黎明の気配が濃く残っていたが、4.4キロを渡り終えると既にすっかり明け放っている。橋から一般道へ降りるとき、延々と(自転車のための)迂回路を歩かされるのは、ここもまだ同じようなものであったが、自転車道を示す緑色舗装から、煉瓦色舗装が分岐して歩行者用(の急傾斜)道であることが判るようになっているところが一カ所あった。短縮できるのは200メートル程度のことだが、それでも気分的にはずいぶん違う。

  槇ヶ原付近から多々羅大橋を振り返る(パノラマ合成)。
 

 変形ブロックを使用した舗装。
 
サンセットビーチ。
 

  瀬戸田付近から見る高根大橋。全長250メートルは今となって大橋にふさわしくないかもしれないが、1970年の竣工当時はそうだったのだろう。

ちなみにカラー舗装まで施す必要はない。上と下の二カ所にそこそこの看板を用意するだけで良いのだ。たとえそれを見落としたからといって、危険や多大な浪費が起こるわけではないから。
  ともかく海縁を走る一般道路へ降り立ち、先を急いだ。2キロ先の垂水集落付近にサンセットビーチなる浜辺があるとサイクリング地図に記載されている。上手くすれば朝飯にありつけるかもしれない。

朝飯
   20分ほど行くと、確かにサンセットビーチの道標があり、余りぱっとしない砂浜と、食堂や売店、シャワー施設などを納めた鉄筋コンクリート平屋の建物があった。しかし観光客の人影はおろか、地元民さえ見掛けないような状況では、営業している食堂などあろうはずもない。
  期待は次の集落、瀬戸田に託し、朝の爽やかな大気を心地よく裂いて足を急がせる。しかしこの島の行政的中心地、瀬戸田にも、目立つのは比較的大きな酒屋がシャッターを下ろしたままであるくらいで、食堂はおろかコンビニエンスストアもない。
  サイクリング順路(特別な道路スペースは確保されていない)は右折し、旧い佇まいを残した商店街へと入ってゆく。近くに小学校があるらしく、集団登校して行く子供達の列がそこ此処に目立った。
  間もなく小学校が見え、付近には平山郁夫美術館、耕三寺、ベルカントホールなどの観光目玉が蝟集している。しまなみ海道で一、二を争うであろう観光客集中スポットだ。当然の結果として、大型バスで団体が入っても充分な食堂も数 店軒を連ねる。しかし9時の開館なのに今は8時前だ。大規模であるだけに開店は望めない。
  家並みの間隔が広がり、瀬戸田もはずれであることを感じさせる。朝飯はほぼ諦めたとたんに、空き地に立つ(ドライバーを意識した)大看板が、右折100メートルで8時から営業する喫茶軽食の店を案内していた。時刻は8時ちょうど、単眼鏡でその方面を観察すると、喫茶店風の店先に行灯を出す男がいる。
  店に入ってカウンターの向こうに立つオヤジに、まず冷や酒が飲めることを確認した。食事を出すところならば、朝方からでもまず9割方問題ない。しかし昨日のお好み焼き屋みたいなところも1割程度はある。昨晩、握り飯をあっさり諦めたのも、今朝此処まで足を急がせてきたのもこの一点に掛かっている。駄目ならばコンビニエンスストアで酒と弁当、ツマミを買って景色の良いところを探してのんびり楽しむ方を選ぶ。
  いささかながら気負っていたのが馬鹿々々しいようにあっさり肯定され、落ち着いて荷物その他をおろした。メニューを一睨みして「焼き肉定食のご飯抜き」を注文、運ばれてきた冷や酒を呑みながら、地図を広げてこれから先のルートを検討する。
  この行為は勿論、―― これからの予定を進行状況に合わせて調整する ―― といった実際的な意味もあったが、それ以外に、オヤジに対して、―― 朝から酒を飲むアル中ではあろうが、このまま酔い潰れてしまうこともあるまい ―― と印象づけようとの狙いもあった。これが通じたか不明だが、その後も彼の態度に変わりはなく、料理や追加の冷や酒を淡々と運んでくるだけだった。
  40分弱で朝飯と三杯の朝酒を終え、気合いを入れ直して歩き始める。5分もしないうちに海が見えるようになったが、(工場は全くないものの)工業地帯の岸壁を思わせる殺風景なところが続く。そんなところを脱けることが出来たのは、半時間以上歩いて西来緑 あたりに至ってからだった。

  中来緑付近からの生口橋。
 

  因島から見る生口橋と生口島。高いところが牡蠣山(408メートル)。

生口橋

500メートルほどの海峡を挟んで、因島が見える。瀬戸内の島々に共通していえることだけれど、この島も海縁に帯状の人家などがある以外は濃い緑に覆われている。
  間もなく生口橋が見え、毎度のことながら標高差を解消するための迂回路を経由して行く。直線距離の倍くらい歩かされてようやく橋に到達。渡り終えると11時20分になっていた。
  海峡に沿って北上すること約15分、小田之浦集落で左折し内陸部へ向かう。国土地理院二万五千分の一地形図と、サイクリングマップの併用だから間違いようもないが、それ以上にサイクリング道路用の道標が要所で目立っていた。
 生口橋から50分ほどで内陸部横断が終わり、右へカーブして行く周回道路へ出た。間もなく小さな岬があり、観光農園風の所に駐車場と食堂や売店が一体になった建物が見える。12時を少し回ったところだから、―― 此処で昼飯 ―― をと立ち寄る。実のところそれほど腹が減っていたわけではない。しかし昼酒を呑むならば、晩酌への悪影響を避けるために1時前、遅くとも2時前には済ませたい。食べ物にしても遅い時間は夕食時にもたれて良くない。

  向島から見る因島大橋。
 
  歩行者・自転車・原動機付自転車道は、檻の中を歩いているようで面白くない。

  ところが雰囲気がどこかおかしい。廃業した風でもないと、玄関口まで行ってみると、ワゴン車を停めて自動販売機に清涼飲料を補給していたオバサンに「本日は定休日」と告げられ納得。
  ともかく次の(どこにあるとも不明な)食堂を目指してピッチを上げる。相変わらず愉快とは思えない標高差解消迂回路を我慢して橋の入り口に辿り着いた。眼下に見える因島記念公園の一角には、喫茶軽食の店がある。しかし営業中か否かを判定できず、―― 標高差30メートルを下って、もし閉店中であれば業腹 ―― と諦めてしまった。サイクリング道路に誘導されなければ、近道として店の前を通過できたのに。
  猛獣の檻を思わせ、景観を眺めても楽しめない歩道を歩き続けて40分。渡り終えたところは小公園になっている。一般道路への下りは、珍しく歩行者用に階段が設置されてまっすぐ海辺まで行くことが出来た。歩くための旅に出ているのだから、距離が長くなることは歓迎すべきようでいて実際の心理は異なる。やはり、―― 歩行者にとって意味のない迂回路を歩かされている ―― と感じれば不愉快になる のだ。
  
予定変更 ―― 尾道へ

時刻は1時ちょっと前。昨夕から今の今までこの向島に泊まるつもりでいたが、尾道まで行くことに予定変更する。民宿などのある向島町までは残すところ8キロ。直行すれば早く着きすぎるし、かといって寄り道してみたいところも思いつかない。ならば(もし見付かれば)遅めの昼飯昼酒の後、のんびりと尾道まで行き宿探し。そして明日は朝早くから半日ではあるが尾道散策に充てることが出来る から。

  何が「大規模」な自転車道か?


 
トイレはサイクリング道路設置後に整備されたのか、新しいものが多く、清掃なども行き届いている。
 
 船外機を付けているが、ちょっとした操作は櫓の方がやりやすいのか。
 
  駅前渡船の乗り場入り口。

 

方針が決まれば歩行にも弾みがつく。海峡に沿って半時間ほど北上する。この辺りの海峡には布刈瀬戸、御幸瀬戸などの名称が付いている。ちなみに「瀬戸」とは「海が陸地にはさまれてせまくなっている所」だと辞書にあり、不明にして今まで知らなかった。
   途中小さな集落をいくつか通過するが、食堂がありそうな雰囲気は皆無の所ばかりだ。そして道越付近で右折すると緩い上り坂で内陸部に向かう。人家が多少増えるが近在の農家が中心だ。20分ほどのあいだに小さな峠を二つ越すと、市街地の始まりだった。
  間もなく一軒のお好み焼き屋を発見。しかし近づいてみると、準備中の札が出ている。昨日をあわせ、今回の旅ではお好み焼き屋と相性が悪いらしいけれど、元々好物ではないから落胆もない。しかしこのままでは間もなく渡船場だ。 勿論尾道にも食堂はあるだろう。むしろ島よりその数は遙かに多そうだ。しかし「しまなみ」を旅してきて、此処が最後と思えば、そこはかとない感傷もあり、このまま走り抜けるようにして本土に渡るのもあまりに気ぜわしく思われる。

  渡船場へと曲がるはずの交差点で、ようやく中華料理屋があった。いわゆるラーメン屋タイプの店で、 2時を回っていたが幸い「休憩中」ではない。冷や酒とレバニラ炒めで飲み始め、壁に貼られたメニューを見る内に餃子にも食指が動いた。店をやっているのは六十くらいのオヤジとそのカミサン、娘(すべて推定)の三人で、客は中年夫婦が遅い昼食を摂っていた。
  尾道までは直線距離にして1キロ強。渡船の乗り場まで約5分と、さらに海を渡るのに5分掛ければ尾道駅前に着いてしまう。今更急ぐ必要な何もないと判っていながら、朝から続いてきた全速モードは急に切り替えることが出来なかった。呑み且つ食い、結局半時間少々で冷や酒三杯とレバニラ、餃子を片付けて席を立つ。

  駅前渡船の乗降風景。
 

  向こうから来るのは同じ「駅前渡船」の船。
 
  こちらは福本渡船。乗用車も運搬する。
 

渡船

向島を本土から隔てる尾道水道は、狭いところでその幅僅か250メートル。尾道大橋と新尾道大橋が架かっているけれど、日常生活では渡船を利用した方が便利だ。複数のルートがあり
・福本渡船:向島ドックの北側と尾道のうずしお小路前辺りを結ぶ。料金60円、普通車100円。
・駅前渡船:運河を300メートルほどさかのぼったところから駅前を結ぶ。料金100円、車不可。
・尾道渡船:兼吉港と渡し場通り前:料金100円、普通車130円。
・しまなみフェリー:料金100円、普通車130円。
・宮本汽船:料金100円、車不可。
など、今回は駅前渡船を利用した。
  尾道駅舎隣にある、しまなみ交流館を訪ねた。此処の一階に観光案内所があり、ホテルリストと市街平面図を手に入れ、早速最寄りのホテルに電話する。最初に掛けた尾道第一ホテルで決まり。駅から2分の便利さと、「全客室から尾道水道の眺望」に惹かれたのだが、後者の方は嘘ではないものの冴えない眺望であった。
 すぐ宿へ向かう。チェックインを済ませて、部屋に落ち着いたのは3時半だった。昼酒が回ってきたせいか、渡船の雰囲気がのどかだったせいか、「全速モード」はどうやら解除されたらしく、尾道周回に走り出す気分にもなら ぬまましばし午睡を楽しむ。目を覚ましたのは5時。シャワーを浴びて食事がてらの一杯に出掛けた。目指すは久保地区。飲食店が二百軒ほど集中しているとの情報だ。
  黄昏時の海岸通りは漫ろ歩くに絶好だ。途切れることなく海峡を行き来する渡船も、どこか旅情をかき立てるものがある。石畳小路と名前は風情のある小径を抜けるとアーケードの商店街に出た。明るく小綺麗な通りなのにどこか寂れた感じがするのは、6時前なのにシャッターを下ろした店が散見されたせいか。
  アーケードが途切れると間もなく久保。宿からは15分の道のりだった。二百軒もあるとは思えない集中度であったけれど、ともかく一丁くらいの街区を一回りし、―― 良さそうな居酒屋も見当たらないが、店探し に関して勘の悪いことは先刻承知 ―― と努力を放棄して、安易に手近な居酒屋に入った。
  カウンターだけの小体な店で、五十くらいの女将と、少年の面影を残し見習い中なのか覚束ない手付きの息子でやっている。先客は小規模な会社の社長と従業員二人がいるだけで、居酒屋らしい雰囲気ではあった。
  此処で冷や酒を三杯、退屈して場所を替えさらに二杯。この程度で飲み足りた気分になったのは朝から断続的に呑み続けていたせいだろうか。帰りがけにラーメン屋によってラーメンが出来るのを待つあいだにもう一杯。呑みながらメニューを漠然と見ていると「ラーメン半量」なる表示があり、カロリー摂取過剰が気になっていたのでこれに変更して貰う。昨日の昼食を摂った中華料理屋にも半量メニューというのがあったから、しまなみ海道一帯ではこれが流行っているのか。
  帰りがけにアーケード商店街で、幅1メートルほどの小径というより隙間を数メートル入った先にある居酒屋を発見。 そのひっそりとした在りように惹かれて路地を入り、ガラス戸越しに店の様子を窺う。5人も入れば満員になりそうな店内はカウンター席だけで、中年の女将と客が一人いるだけだった。行灯の灯が消えていたので既に看板かとも思ったが、まだ時刻も9時前と早かったので、一応ガラス戸を引き開けてみた。
  半ば予想通り、―― 終業 ―― と断られてしまったが、一瞥した店内の雰囲気は居心地の良さそうなところだ。もし尾道を再び訪れる機会があれば、是非寄ってみたいと思う。たとえその可能性がほとんどないにしても。

坂の町尾道

 坂の町尾道の、古寺巡回コースは自然石による石畳で道標を兼ねている。
 
 持光寺。
 
 光明寺。
 
  急な坂道と付き合っての日常生活は、通勤通学、ゴミ集積所への運搬など、色々苦労が絶えないであろう。
 
 銅製の樋。戦前のものであろう。

 
ロープウェイ頂上駅付近の展望台から見る尾道水道。 海峡を絶えることなく渡船が行き交う。

5時半に目を覚まし、窓辺によってすっかり明け放っている尾道水道を見下ろす。小雨のぱらつく冴えない天気だ。午前中を尾道散策に充てるつもりでいたが、―― もう少しましな雲行きにならないか ――
とぐずぐず時を過ごし、宿を出たのは6時半近くなっていた。
  小雨は降り止まないが、取り敢えず傘なしでも問題ない。持参の折りたたみ傘を降りが強まった時のために携行するべきか迷ったが、傘の持ち歩きが嫌いなためいざとなれば濡れる覚悟を決めた。
  尾道駅に立ち寄って、大阪へ昼頃向かう普通列車のダイヤを調べた後、昨日入手した「尾道観光案内地図」に示されている市内観光コースを辿ることにした。振り出しは林芙美子の石像近くにある踏切で山陽線を山側に渡る。
  至る所に「古寺めぐり」の道標があり、そしてそれなしでもこのルートだけが御影石の小ブロックによる舗装で他と異なっていることが一目瞭然、迷うことなどない。実のところ余りのお仕着せコースを行くことに少なからぬ反発もあった。旅人はおろか地元の人も余り見掛けないこの時刻であったから、結局見所を一番効率よく回れるこの径を歩いたが、もし観光客が列をなすようにして行き交っていたらば、間違いなく他へ退散していたであろう。
  閑話休題。踏切から上り坂が続き、人がすれ違うので一杯といった細い路地が蛇行しながら続く。最初のお寺が持光寺で、そこからほぼ水平に移動して光明寺、宝土寺といくらも間隔を置かずに続く。
  すぐその先から階段が始まり、これは千光寺新道と呼ばれている。途中僅かに左へそれると志賀直哉の旧居がある。三軒の棟割り長屋はひっそりと静まりかえっていた。彼の愛読者であれば、開場を待って部屋から見下ろす尾道の町と海峡を眺めて、暗夜行路執筆時の心境などを偲びたくなるかもしれないが、遙か以前に一通り読んだだけではそんな心境にもならない。
  時折雨脚が強まるが、歩行中止を考慮するまでには至らない。しばらくするとほんのポツリポツリになり、空も明るくなる。―― これで雨上がりか. . . . ―― と思えばそのうち再び降り出す。なにやら雨雲に嬲られているような有様だ。
  再び千光寺新道に戻り階段を登る。両側には民家が建ち並ぶが、トラックなど近づけそうもない地形を思えば、建築時の苦労、そして日常で屎尿処理などの大変さはいかばかりであろうか。家庭ゴミの集積所への運搬も、壮健な者ならばともかく、高齢者などにとっては辛いものだろう。
  階段が終わって僅かな平坦地へ出た。雨戸を閉じた民家の濡れ縁に座って休憩している若い女性がいた。「お早うございます」と挨拶を交わして行き過ぎる。スーツ姿、それもタイトスカートにハイヒールと長い階段を登るにはふさわしくない格好が、ほとんど他に人と出会わなかったこともあり印象に残った。
   千光寺は尾道を一望する立地の良さから、そしてロープウェイを利用すれば手軽に訪れることが出来るために人気があるようだけれど、寺そのものは狭いところに無理矢理多くの建物を詰め込んだような佇まいは好きになれないものだった。

通り雨

本堂裏手からさらに林間を蛇行する坂道を登る。数分でロープウェイ頂上駅の前に出たが、9時の開業まで1時間半もある今は人の気配もない。さらに僅かながら登ると円形三階建ての展望台があった。二階のレストランは扉を閉ざしているが、屋上への通路は解放されている。視界良好なときは四国まで見晴らすとのことだが、今は眼下にある尾道水道も小雨に煙っていた。

  千光寺に残る第十二代横綱の陣幕久五郎の手形
 
  山頂から千光寺への尾道を見下ろす快適な下り
 
    天寧寺。

 
  正授院界隈の町屋。職人の家が多い。
 
  一般民家だけれど、粋な作りだった。
 御袖天満宮の境内から尾道市街。
 
  西国寺。後方に見える三重の塔は国重文
 
  上段:西国寺境内。下段:アーケード商店街の八百屋店先。

山頂から別の径を下って千光寺へ戻り、そのまま通過して天寧寺三重の塔を見下ろす四つ辻に至った。板塀の向こうに喫茶店があり、最前登ってきたときは閉ざされていた門扉が開いている。―― 営業を始めたのか? ―― と思い、降雨が少しばかり強くなってきたこともあり、―― 此処で一休みして珈琲でも喫すれば雨も通り過ぎるか ―― と思案するが、すぐその気にもならず、逡巡が歩行にも影響してその辻を小さく一回りした。
  歩き続けることにしたものの、迷いが残りのろのろと東へ歩き出した。ゴミを集積所へ運んだ帰りらしい近所の主婦から突然、―― 傘を差し上げましょうか? ―― と声を掛けられた。「貸す」ではなく「上げる」だ。驚いてそちらを振り返ると、中年の婦人が(ビニールなどではない)傘を、半ばこちらへ差し出している。礼をいいつつ遠慮すると、―― 私はすぐそばですから(傘がなくても)いいんです ―― と重ねて 勧める。
  鄭重に感謝しつつも断った。それほどの雨ではなかったし、濡れることはさほど気にしない。しかし随分の日数、各地を旅し、親切な人にも会ったけれど、傘の提供を見ず知らずの人から申し出られたのは初めての経験だ。 通り雨に打たれて途方に暮れているように見えたのだろうか。それにしても彼女が特別なのか、尾道の人はこのように心優しいのか、ともかく暖かいものが心に残り、既に充分好きになっていたこの町が、特別なものとして改めて印象づけられた。
  天寧寺三重の塔、天寧寺、ロープウェイ山麓駅付近を歩き、御袖天満宮から西国寺へ行き、そろそろ古寺めぐりにも食傷してきた。坂を下り、山陽線をくぐり抜けて商店街のアーケードに入る。昨日気に入った小鉢を見掛けた瀬戸物屋に行くが定休日。そのまま宿の方角へウィンドーショッピングをしながら移動する。小体な喫茶店を見掛けて今度こそ休憩する気になった。宿を出てから三時間近く歩き続けている。
  カウンターと二人席テーブル二つの店内は、通りに面して大きなガラス窓があり明るい。珈琲を注文すると、中年のママが、―― モーニングセットはいかがですか? ―― と訊く。朝食を摂っていなかったことを思い出し、勧めに従った。トーストと茹で卵、ポテトサラダ、ヨーグルトフルーツサラダは、バランスも良くそして中途半端な時間の軽食として量も適当だった。 これで400円は安い。
  喫茶店を出ると、これ以上観光する気もなくなりそのまま宿へ向かった。後は適当に海産物などを土産に買えば、昼頃の列車で大阪へ向かうだけだ。しまなみ海道は陽光に恵まれ、また小雨降る尾道はその情緒を楽しみ、まずは満ち足りた三泊二日 半(?)の小旅行であった。 
  

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