***目次***
*地図
旅程
1.三島で一杯
2.浜松の居酒屋
3.岡山の昼酒
4.高知で再会
5.窪川の駅前食堂
6.松山の居酒屋
7.終章
1.三島で一杯
  2月から3月には雪見酒紀行を三回繰り返し、北方面へ旅したので、4月は西へ向かうことにした。取り敢えず高知を目指し、さらに西を回って松山へ行き、後は岡山を経由して戻る。総てJRを利用しての旅だ。さほどJRに拘ることもあるまいが、ジパング倶楽部で3割引になるのはやはり魅力だった。
  高知へ直行しても面白くない。まずは三島まで行き、そこで昼飯昼酒。この日は浜松泊まりとした。

上:焼酎お湯割セット。中:天麩羅盛り合わせ。下:禁煙の貼り紙
  新横浜から乗車したこだま651号が、三島駅に着いたのは定刻の12時20分だった。カバンとカメラバッグ、キャリーカートをコインロッカーにしまい身軽になる。徒歩10分ほどで、三嶋大社裏手にある、以前一度利用して気に入った定食屋へ行ってみた。しかし予想通り、日曜のため店は閉まっている。
  結局これも以前一度利用したふくろく寿へ入った。手打ちのうどん蕎麦を売り物にしている店だが、糖質制限食のためこれらはパスだ。蕎麦屋にしては酒のアテになるものがほとんどない店だけれど、客あしらいは良い。昼飯時禁煙も歓迎だ。ともかく天麩羅盛り合わせで、焼酎のお湯割半々を頼んだ。
  運ばれてきたのはグラスが二つと陶器製のポットだ。小さなグラスに焼酎が定量入り、大きなグラスにポット(多分蕎麦湯容れ)に入ったお湯を注ぎ、好みの量だけ焼酎を割ってお湯割を造る。
  先客や、後から訪れた客も、皆揃って店の人と親しげに言葉を交わす。三嶋大社が近いので参詣人や行楽客が多いのかと思ったが、意外に常連の多い店だった。
  まもなく天麩羅盛り合わせが運ばれてくる。実のところ天麩羅は余り好まないので、単独に天麩羅屋へ入ることなど絶えて久しい。しかし此処では他の選択肢がほとんどなかったし、蕎麦屋で昼酒ならこんなのも良いだろう。
三嶋大社境内の桜と参道。
  1時間弱で飲食を終了する。まだ1時半なので、散歩がてら三嶋大社境内を漫ろ歩く。日曜日のせいなのか桜がほぼ満開のためか、参道はかなり混雑していたし、露店なども軒を接して営業している。
  神仏を拝むつもりなど更々ないので、本殿までは行かず、途中の裏口から境内を出る。喧噪は一気に去った。後は長閑な裏道を辿って三島駅へ。
  コインロッカーから荷物を取りだし、新幹線ホームで一番先頭車両の所まで歩くと、それほど待たされることもなくこだま659号が入線してきた。後は一路浜松へ向かう。
2.浜松の居酒屋
  浜松の宿で一休みし、5時に出かける。日曜日なので飲み屋は休みのところが多いと予想したが、ともかくフロントで居酒屋などの多い地域を訊いた。フロントから見える通りを西へ向かえばすぐの辺りらしい。
  教えられた通り歩き出すと、確かに店は多いものの案の定閉まっているところばかりで、たまに営業しているのはチェーン店の大規模居酒屋ばかりだ。この類は嫌いだから無視する。営業している鰻屋があり、そこへ入ろうかと思ったが明後日に土佐の窪川でも、鰻屋を昼酒の場所にしようかと考えていた。ちなみに鰻は好物でないものの、窪川では昼酒ができそうなところを他に見付けられなかったのだ。ともかく鰻は止めて前進する。
太郎丸店内。 太郎丸外観。
  すぐその先に出世居酒屋。入口の引き戸が開いていたので、瞥見した店内は典型的な居酒屋らしい。しかしこのような店名を付ける人の酒場には入りたくない。此処もスキップ。
  続いて営業中の居酒屋があった。名前は太郎丸で、かなりの老舗と見受けた。入店すると、「グループは二階へ」の表示があり、一階は調理スペースを囲むようにしてコの字型にカウンターが設えてあり、テーブル席はない。通常は4時開店だが日曜日は3時かららしく、席は7割方埋まっていた。
上:太郎丸焼き。下:大根サラダ。
  幸い入ってすぐのコーナーに三席ほど空きがあり、そこへ坐った。お品書きを見るといかにも居酒屋料理と云ったものの羅列で、品数も多く価格は比較的安いようだ。その中から太郎丸焼き(串焼き)と大根サラダ、いいちこのハーフボトル(5合)をお湯割セットで注文する。
  お湯割を飲みながらあらためて店内を観察する。皆常連らしく2、3人の連れ飲みで、独り飲みしているのは私だけだ。全面喫煙可だけれど、コの字の内側が料理スペースであるため、その上に設けられた排煙装置が、タバコの煙も綺麗さっぱり排出してくれる。
  太郎丸焼きはその値段(550円。焼き鳥3本360円)からある程度想定していたものだったが、大根サラダは随分武骨な様子に驚く。食べてみれば旨いものではないけれど、忌避するほどでもなかった。
上:太郎丸のお品書き。
  一杯目を干したところで、冷や奴を注文する。まもなく供されたものは、案の定でかんなくずを彷彿させる削り節が振り掛けてある。しかし居酒屋で糸削りや、まして掻き立て本枯れ節など望むのは無理だろう。冷や奴そのものは好物だし、糖質制限食としても良い。そして何よりグルメではないのでこの冷や奴でも文句はない。  
上:冷や奴。下:ピーマン肉詰め。
  飲み始めて1時間ほど経過し、そろそろ締めにしようかと思い、最後の一品とピーマンの肉詰めを注文した。好みの品で、母が健在だった頃は良く作って貰ったが、なぜか自分で料理する気にはならず、久しく食べていなかった。
  しばらく待たされて出されたものは、衣が付いてフライになっていた。我が家のは衣などなく、フライパンで焼いたものだった。世間一般ではやはりそうだろうと、執筆にあたり、「ピーマン肉詰め」でグーグル画像検索してみたら、圧倒的に衣なしだった。 
  肉詰めピーマンの付け合わせも含め、注文したものは総て完食した。焼酎はボトルに1合ほど残ったが、これは当初から予想していたことだ。それでも5合壜を頼んだのは、好みの配分でお湯割を作り、かつマイペースの飲み方ができるからで、経済性は無視していた。ちなみに家で日常的に規則正しく飲む焼酎の量は600cc(3.33合)だ。
  太郎丸を出たのは6時45分で、店の外観を1枚撮影し、後は宿へ真っ直ぐ帰る。就寝時刻は不明だが、多分7時頃だったろう。
3.岡山の昼酒
  明くる日は8時36分のひかり461号で岡山へと出発した。新大阪で9分待ちのさくら551号に乗り換え、岡山へ着いたのは10時55分だ。ちなみに新神戸でのぞみ11号に乗り換えた方が早く着くが、のぞみはジパング割引が適用されないし、早いと云ってもその差は僅か5分だけだ。
  途中下車し、目指す大衆食堂つるやへ直行する。岡山の駅前広場は再開発されたのか、そのすっきりした景観は日本離れしてヨーロッパを彷彿させる。しかし車道を渡っただけで50年くらいタイムスリップしたような懐かしい街並みとなり、ここら辺が面白い。
岡山は「アル中の町か?」と思わせるような24時間酒場があったりして、そのすぐそばにつるやもあり、今年の1月、伊予へ旅する途上初めて訪れたところだ。朝8時から営業している。
  時分どき前に行くと、店内はほとんどオヤジの孤食で、皆黙々と酒を飲んでいる。棚に並んだ惣菜は50円、150円、品数ごく僅かが300円で、好みのものを自分でトレイに取り、ご飯(大、中、小を指定)と味噌汁(みそ汁、あさり汁、とん汁を指定)は店員がよそってくれる。酒の注文も此処で行う。
  酒や惣菜の追加も可能で、一々注文するのではなく、最後に料金クラスごとに識別可能な皿数とコップ(酒類)数、壜数(ビール類)で勘定を計算する。
  自分で皿を取る方式の利点は、量や質などを目視でき、待たされることがない点だ。欠点は料理が冷え切っていることで、頼めば電子レンジ加熱をしてくれるらしい。納豆、春雨と胡瓜の酢の物、ぶり刺し、鯖切り身塩焼き、野菜炒め、烏賊リング揚げで飲み始める。
  いいちこのお湯割を三杯飲み、勘定は2,060円と格安だった。安ければ良いというものではないが、質的にも満足できたので帰り道にもまた此処で飲もう。こんな「大衆食堂」が好きだから。
4.高知で再会
大歩危では渓谷を渡って鯉のぼりが泳いでいた。
  つるやを出ると、岡山駅へ戻り、在来線の南風1号で高知へ向かう。午後1時5分に発車し、児島を1時37分に通過し、まもなく瀬戸大橋を渡る。10分ほどで瀬戸内海を横断し、四国へ上陸した。
  上陸後は予讃線、土讃線を経由し、高知着は7分遅れの3時46分。四国山脈を横断中に降り出した雨は本降りになっている。畳むのが面倒でなるべく使わない折り畳み傘を差す。駅から宿まで徒歩5分と近いのが救いだった。
    宿で一休みしてから、5時近くなり出かける。旧知のNさんと会うためだ。幸い雨はほとんど止んでいる。用心のため傘は畳んでジャンパーのポケットにしまった。待ち合わせ場所は帯屋町の居酒屋湯里だ。
  Nさんとの付き合いも20年以上になる。当時は歩く旅を精力的に繰り返し、旧東海道、旧中山道、塩の道千国街道などを歩いていた。その延長上にあったのが八十八箇所遍路道だ。96年のお彼岸頃に初めて四国へ渡り、一番札所霊仙寺から歩き出し、二泊目で十三番札所大日寺まで辿り着いた。
  翌日は十九番の立江寺までで遍路道は打ち切り、徳島駅からその後に続く遍路道を偵察するような気分で、列車やバスを乗り継ぎ、室戸岬経由で高知に至った。その後は夜行バスで東京まで戻る予定だったが着いたのが3時頃だったので、バス発車までの時間を潰すためにも一杯やりたい。
湯里のカウンターでNさんとツーショット。
  しかしそんな時間に開いている居酒屋も見付からず、しばらく探し回ってようやく見付けたのが帯屋町の若菜だった。全くの偶然で入った店だったが、この店の雰囲気がすっかり気に入り、遍路道を歩いた後は、必ず若菜へ寄ることになり、その回数は20回におよんだ。
  残念なことに若菜は2003年の3月に、38年間続けた店を閉めることになった。偶々私の遍路道歩きと、若菜閉店記念パーティーの日取りが重なったのも、何かの縁だったと思う。その若菜を独りで切り盛りしていたのがNさんだ。
上:鳥の筑前煮。中:鰹タタキ。下:蕗と牛蒡の煮物。
  閉店後既に14年が経過し、その間に会うことができたのは2回だけだが、交流はずっと継続していた。高知を訪問するにあたっては是非会いたいものと、電話してみると特に予定はないから、会いに出かけられるとのご返事だ。若菜を引き継いだ湯里を再会の場とした。若菜の常連客だったHさんが自分の名前から二文字とって湯里となっている。
  待ち合わせ時刻の5時丁度に湯里へ着くと、Nさんも着いたばかりで傘を傘立てに入れているところだった。先客はカウンターに年配の婦人が一人だけ。あとでママ(Hさん)が、「私の姉です。」という。
  Nさんとカウンターに並んで坐る。以前はカウンターの内と外だったが、それを別にすれば長いブランクを全く感じることなく打ち解けて話すことができた。
  焼酎のお湯割を所望する。この日のお通しは鶏肉の筑前煮だった。ちなみに湯里は、店の名刺に「家庭料理の店」を書き込んである。
  お湯割を一杯飲み干し、少し落ち着いた気分になり板書された本日のお品書きを見た。平凡だけれど土佐に来たからにはやはり鰹のタタキを食したい。注文するとママは、「日頃、余り生ものは置かないけれど、今日は神奈川の方が来るので用意しておきました。」との返事だ。そんな好意があったのだから、なおのこと注文して良かったと思う。
  鰹のタタキは時々自分でやるが、やはり本場物は旨い。負け惜しみのようだがやはり一本釣りと巻き網漁では素材の良さが違ってしまうのだろう。野菜をもう少し食べたくなり、蕗と牛蒡の煮物を追加する。
  やはり一般的な居酒屋料理とは一線を画し、家庭料理の店だなと思いながら食べた。
  Nさんとの会話にママも加わる。他にお客さんが一人だけだったこともあるが、若菜の常連さんを数多く引き継いでいたから、二人には共通の知り合いが多い。しかし高齢の常連さんが多かったから、「あの人を見送った. . . .」みたいな話が次々に出てくる。
  そのうちにカウンター席に坐るもう一人の客も会話に参加する。若菜時代の常連に連れて来られ、以後自身も常連となったらしい。当然のことながら仲介者のことはNさんとママのよく知る人物で、そんなことで自然に話も盛り上がる。
  こんな風に初対面でも和やかに付き合えるのが若菜の良さだったが、それが湯里にも引き継がれているのは嬉しいことだ。
  会話と飲食を楽しむうちに、2時間があっという間に経過した。Nさんが高齢であることや、天候も悪いことからそのぐらいで切り上げることにした。今度合う機会はないかもしれないと思えば、何となくしんみりした気分で別れる。別れ際に初めての握手をした。
5.窪川の駅前食堂
土讃線の土佐久礼付近。
  明くる日は小雨降る朝だった。新聞を読もうと思ったが、傘を濡らすのが嫌で、スマートホンの朝日新聞DIGITALで我慢する。
  9時半に出発した。ぐずついた天気だが、取り敢えず雨は止んでいた。目指したのは松山だ。高知、松山間はバス利用が最短で2時間40分。次ぐのは土讃線、予讃線経由の特急利用で、これならば4時間2分だが、急ぐ理由などないしそんなつまらない行き方はしない。窪川まで土讃線を利用し特急南風3号で行き、此処でまず昼飯・昼酒だ。此処からは予土線で宇和島へ行き、此処から予讃線、内子線、予讃線を特急宇和海22号で行く。
  前述の路線に較べ、特段の見どころなどもないが、遍路道と交錯するようなルートなので思い出のある地名は多い。高知を発進した列車は須崎、久礼などを経由し、10時55分に窪川到着。
  駅から徒歩7、8分の所に37番札所の岩本寺がある。そこから近い美馬旅館には二回ほど泊まったことがあり、数日程度で別けて歩いていたときのことだから、多分窪川駅から引き返したこともあったと思うが、十数年前のことで記憶は曖昧だ。
  窪川での昼飯は、老舗うなぎ屋のうなきちを考えていた。駅の真ん前にある末広食堂はラーメン屋みたいなところで、酒など飲ましてくれないように想像していたためだ。しかし何となく慎ましい佇まいを見て、一応訊いてみることにした。引き戸を開け女将に訊くと焼酎も飲めるという。ということで末広食堂に腰を据えた。  
末広食堂の野菜炒め定食ご飯抜き。
  店内は大衆食堂にもかかわらず、通路スペースはゆったりだし、テーブルも大きめの木製で、それに合わせたのか椅子も木製だ。全体に明るくこざっぱりした様子は、ラーメン屋と云うよりビストロなどの方が似合いそうだ。
  お品書きはアルバムになって各テーブルに置かれている。しかし内容的には至って大衆食堂的だった。野菜炒め定食のご飯抜きと、焼酎半々お湯割を注文する。
  次の宇和島行き列車は、1時24分なので約2時間ほど潰さなければならない。なるべくゆったり飲食した。ふとガラス戸越しに外を見ると、遍路姿で歩いて行く人が見えた。八十八箇所は三周しているので、この辺りも3回歩いているはずだ。随分前の話なので当てにならないが、窪川駅前は通過しなかったような気がする。
  女将にこのことを尋ねると、「遍路道はもっとあちらの方だけど、区切り打ちで窪川駅から歩き出す人もいるので、結構遍路姿を見かけますよ。」との返事だった。
  スローペースを心掛けたが、日常的に早飲みを繰り返しているせいか、12時を少し回った頃には3杯のお湯割を飲み干し、野菜炒め定食も綺麗に平らげた。あとは駅の待合室で、スマートホンを取り出し、フリーセルで時間を潰した。
土佐大正駅付近。
  窪川を定時に出た宇和島行き普通列車は、四万十川に沿って走行する。窪川は太平洋岸から7キロしかないところなので、当初は上流へ向かっているのかと思ったが、川面に立つ波を見ると逆だった。
  調べてみると四万十川は源流の不入山(いらずやま)から南へ流れるが、窪川付近で大きくUターンし北へと変わる。それからは大きな蛇行を繰り返しつつ、西へ、南へと向きが変わり、半家(はげ)付近で予土線と別れ、川は四万十市を経由し太平洋へ、線路は西へ向かい宇和島へ至るのだった。
  最後の清流が売り物の四万十川だが、前日の雨により川水は濁っていた。さらに云えば、「最後の清流」とは本流に大規模なダムが建設されていないことにより、水質が特に良いことではないらしい。しかし川に沿って植えられた桜は満開で、さらに山林の桜も加わり、車窓風景を楽しませてくれた。
  定刻に宇和島へ到着し、半時間ほどの待ち合わせで宇和海22号を利用して松山へ向かう。松山到着は5時半だった。この日の宿は松山駅からだと市電を利用し10分ほどでいけるが、馴れない乗り物を利用するのが大儀に感じられ、そして5時を回っているので、一刻も早く飲み始めたい気持ちも強く、タクシーを利用した。
6.松山の居酒屋
松山の居酒屋酒八(さけはち)
  チェックインを終え、部屋へ荷物を片付けると、カメラだけを持ってそそくさと宿を出る。既に時刻は6時だ。飲む店は決めてあった。徒歩5分の所にある酒八(さけはち)で、遍路道を辿っていた当時に偶然見付けたところだが、好みに合うのでその後2回訪れている。
  前回行ったときは、帰ろうとしたときに突然の夕立に遭遇し、降り方が凄まじく、引き戸を開けたまま途方に暮れた。すると女店員が、「これをお使い下さい。」と傘を差し出してくれる。客が忘れて長いこと放置されていたものだろうか。ともかく有り難く利用させて貰い、店に対する好感もひとしおとなった。
上:お通し。
中:冷や奴。
下:豆腐サラダ。
上:ホータレの刺身。
中:オコゼの唐揚げ。
下:完食状況
  引き戸を開け店内に入ると一番乗りだった。カウンター席に坐り、焼酎のボトルは4合だったので芋焼酎の霧島をお湯割で飲むと注文する。
  焼酎とお通しがすぐ運ばれてきたので、まずは飲み物を用意してから、お品書きなどをじっくり見る。カウンターの頭上に下がるお品書きの札を見上げたら、ホータレ刺しというのがある。初めて聞く名前なので興味を惹かれ、カウンター中にいた女の子(オバサン?)に尋ねると、松山辺りではカタクチイワシをこのように呼ぶとのことだ。鮮度の良いものの刺身はすこぶる美味らしい。ともかくこれと冷や奴を注文した。
  一杯目を飲み干して、もうすこしツマミの種類を増やしたくなった。再びお品書きを見て、目を惹かれたのがオコゼだ。100グラム1,200円は私にすれば贅沢だが、たまにはこんなのも良いだろう。オコゼはこれまで二度食したことがあり、最初はしまなみ海道を歩いたとき、大三島の民宿で供された。2005年の初夏だった。
  二度目は畏友Tの夫婦と、梅雨空紀行で飛騨高山、白川郷、金沢、東尋坊、永平寺、安芸の宮島などを巡り、Tのふる里である柳井からフェリーで松山へ渡り、この酒八で活き作りを分け合った。それから早くも10年が経ち、Tは既にいない。
  感傷はさておき、一匹の値段を訊くと、ほぼ二千円とのことで、オコゼの唐揚げを注文する。しばらくして運ばれてきた皿には身の他に、骨煎餅も盛られていた。三枚に卸したときかなりの身肉が残っていたから、それを捨ててしまうのは勿体ないということだろう。そして唐揚げも骨煎餅も共に旨かった。
  揚げ物が出されると、さっぱりしたものを箸休めにしたくなり、豆腐サラダを追加注文。結局1時間40分で焼酎四合と、お通しを含め5種類の料理を完食し、満足の晩酌を終える。
7.終章
  翌朝、8時10分発のしおかぜ10号で岡山へ向かった。岡山でまた途中下車してつるやで昼飯、昼酒。そのあとは豊橋まで行き一泊。多少顔馴染みになった石見で一献した。しかしあれこれ書いても冗長になるだけだし、四国外のことなので四国紀行はこの辺で筆を置くことにする。駄文に最後までお付き合いいただき有り難うございました。
 ―― 四国紀行2017完 ――
  黄昏紀行へ
inserted by FC2 system