***目次***

1.旅の計画
2.一の家(かずのや)食堂
3.居酒屋徳兵衛
4.小布施北斎館
5.トンカツの味郷
6.しなの鉄道北しなの線、妙高はねうまライン、信越線
7.長岡の居酒屋

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 1.旅の計画
 小布施は子供のころから知っている地名だった。父が仕事で野沢の方へ年に数回行き、そのお土産として桜井甘精堂の栗羊羹を買い求めることが多かった。これが甘いものに目がない子供でも、上品な甘みの良さはそれなりに判り、店のある小布施という地名が記憶に強く焼き付けられた。
 それから60年近くが経過したけれど、一度も訪れないまま徒に年を重ねた。「このままでは一生かの地を踏まずに過ぎてしまうか。」の気持も生じ、ともかく旅の計画を立ててみた。
 小布施は長野から長野電鉄で半時間ほどのところだ。なので新幹線を使えば首都圏からの日帰りも可能だが、そんな忙しない旅をする気は更々ない。
 小布施で一泊を考えたが、宿はヴァンヴェールか後はユースホステルがあるだけだ。そしてどちらも高い。ヴァンヴェールは13,000円で、金額だけを見れば泊まれない料金ではないが、一人6,500円のツインを一人で使っても二人分全部を払わなければならないのが腹立たしい。ユースホステルは全室トイレ共同で、それでもシングル素泊まりが6,000円だ(いずれも税込み)。
 馬鹿々々しくなり泊まるのは止めて、長野と長岡に一泊ずつすることに変更。小布施は2、3時間の逍遥と昼飯・昼酒にした。ちなみにこれは多分正解だったと思うの。実際に現地を歩いた感じでは、小布施で観光客相手ではない飲み処を探すのは至難の業のようだ。
 長野へは嫌いな新幹線ではなく、中央線を使って松本経由で行く。これならば松本で昼飯・昼酒をすると、長野着が3時41分で、宿にチェックインして一休みの後に夕刻の街へ出れば良い。
  小布施から長岡は飯山線を使って越後川口経由も可能だが、このルートは2月に雪見酒第二弾で通ったばかりだ。そこでしなの鉄道北しなの線えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン(つい先日まで信越線だったが、北陸新幹線開業に伴い長野と新潟の第三セクターになった)から信越線で直江津を経由することにした。
 長岡は午前中ぐらい街を見物後、新幹線で真っ直ぐ帰ることにする。このルートならば1枚の乗車券で済み、遠距離逓減制度とシニア割引の「大人の休日倶楽部」でかなり安くなる。675.2kmの乗車券が8,000円だった。
2.一の家(かずのや)食堂
   旅先での食事場所や居酒屋の探し方は、専らインターネットに依存している。松本の昼飯・昼酒を例とすれば具体的手順はこんな具合だ。
 グーグルマップで松本駅を検索する。ちなみに「松本」では同名が各地にあるが、松本駅ならば紛れることがない。次ぎは目的地が駅周辺にない場合、そこへ移動してから食堂を検索するでマップ上に食堂関係が表示される。 この候補を見ながら、チェーン店は基本的に排除し、立地や店の名前から候補を絞って行く。ちなみに店名をそれなりに重視するのは、経営者の性格や趣味が反映されていると思うからだ。
 一の家食堂のお品書き。
 絞り込みをしながら、ネット上にクチコミがあればこれも参考にする。好みのクチコミサイトは食べログだが、クチコミのみならず店内外の画像なども判断に役立つ。駅からほど近くの古い住宅街、深志にある一の家(かずのや)食堂に注目した。食べログに投稿はなかったが、面白いページも見付かる。
 4月10日、朝9時を少し回って出発した。バス、京王相模原線、横浜線を乗り継ぎ、八王子からスーパーあずさ11号の自由席で終点の松本へ向かう。車内は比較的混んでいたが、それでも窓際に坐れ通路側も空席だった。
 それならばと車内販売で缶酎ハイ二缶とミックスナッツを買い求め飲み始める。多少酔いを発して転た寝しても、終点で乗り過ごす心配がないのが良い。
 定時の12時31分に小雨模様の松本へ到着した。折り畳み傘は用意していたが、それほどの降りではないし、風も強いのであまり役に立ちそうもない。途中トイレに寄ったりしたので、一の家食堂に着いたのは1時を回っていた。
上左:一の家食堂のエントランス。上右:店内。
中左:焼酎のお通しとして出てきた身欠き鰊と筍の煮物。中右:同じく胡瓜の浅漬け。下:酢豚定食。手前左はアマドコロ(山菜)の酢味噌和え
 先客は二人だけで、80代に見える女将が愛想良く迎えてくれる。お品書きには焼酎がなかったが、確かめると飲めるとのことで水割りと、酢豚定食ご飯抜きを注文する。水割りは小ジョッキで、お通しの胡瓜浅漬に筍と身欠き鰊の煮物と一緒に供される。
 しばらくしてから運ばれてきた酢豚は、味付けが濃く砂糖もたっぷりのもので、好みとは異なるものの、この店で食べると何となく、「こんなのも良いな。」と思うのだった。
 定食に付いてきた和え物がなんだろうと女将に訊いたら、アマドコロ(山菜)の酢味噌和えだった。ちょっと前に来店した常連客が、以前に持って来たものらしい。
 やはり常連らしい老人が店に入ると、「野菜炒め定食!」と一声注文し、小上がりでスポーツ新聞を読み始める。女将はお茶の代わりに小ジョッキに入ったウーロン杯らしいものを運んでいった。お決まりの飲み物らしい。
 水割り二杯とごはん抜き酢豚定食で1,700円は安いと思う。この4月に値上げしたとお品書きに書いてあった。値上げ前だったらいくらだったのだろう?
3.居酒屋徳兵衛
 松本からの普通列車が、長野に着いたのは3時41分だった。雨は既に上がっていたし、2月には工事中で歩きにくかった駅前広場も、すっきりと片付いていた。徒歩5分の東横インに投宿し、一眠りして酒気を抜く。
上左:板書されたお品書き。上右:お通しのモズク酢。
下:なすの田楽。
上:煮込み。下:肉ニラ モヤシ炒め。
 5時25分に出かける。目指したのは居酒屋徳兵衛。2月にはつまらない勘違いで行きそこなった店だ。5時半が開店時刻となっているが、着いてみると暖簾も出ていないし行燈に明かりも点っていない。しかしこれはいつものことだろうと、引き戸を開けて訊けば入店OKだった。一番乗りだったが続々と来店者が続き、6時にはカウンターも三つある座敷もほぼ満員になってしまう。ちなみに座敷は皆予約だったようで、予約なしだと6時には入店できないような繁盛だ。
 焼酎の水割りを頼み、徳兵衛では定番お通しのモズク酢の物で飲み始める。目の前の黒板に書き出されたお品書きから、茄子の田楽ともつ煮を追加注文した。店の雰囲気と客あしらいの良さ、それに目新しさこそないものの、どれを頼んでも外れのない料理が繁盛の理由だろうか。
 目の前に板書されたお品書きがあるので、これを繰り返し見ているうちに、面妖なことに気付いた。ほとんどの文字が本来の白墨色から変色して、僅かに黄色みを帯びている。
 長い間に渡り書き直されていないようだ。紀行文執筆時に食べログに掲載されている2012年3月7日の登録画像をダウンロードし、私が撮影したものと重ねてみると、ピッタリ合致する。お品書きに加えられたものはホタルイカ、山うど酢みそ合え(ママ)で、消されたのはカキフライと馬刺しだ。それにしても板書を少なくとも3年以上書き直さずに使用するとは、単なる酔狂を越えた頑なさがほの見えるような気がした。
 水割り三杯を飲み、もう少し食べたくなる。川海老の唐揚げを頼んだら、「揚げ物の注文が続いているので、時間が掛かります。」といわれる。四杯ぐらいで切り上げようと思っていたので、仕方なく肉ニラ モヤシ炒めに変更。しかしこれが予想外に旨かった。結局五杯目も飲んで勘定は4,610円。徳兵衛を出たのは7時10分頃だった。この日も早々就寝。
4.小布施北斎館
 東横イン長野駅善光寺口の朝食も6時半からだった。開始直後は混むので7時ころに行ったがそれでも空席はあまりない。フロント背後のキーボックスを見ると満室状態だった。東横イン・ホテルチェーンの稼働率が高いことにはいつもながら感心する。
 食後は一時間ばかり部屋で朝日新聞デジタルを読んで時間を潰す。小布施にそれほどの見どころはないだろうし、早く着きすぎては行き場所を失う。ちなみに善光寺は6年に一度の前立本尊御開帳で賑わっているようだが、信心はないし人混みは嫌いだから近寄らない。さらに余談を重ねると、一般には「7年に一度の御開帳」といわれているが、これは数え年で間隔は6年だ。。
 長野電鉄長野駅はJRの駅に隣接しているが、地下駅なのは意外だった。地方の鉄道としては珍しく地下化された路線が、1.6キロ先の善光寺下駅まで続いている。1981年以来とか。
 地下鉄化が早かったにしても、現在の経営が厳しいのはご多分に漏れずのようで、改札は非接触型ICカードシステム(スイカなど)が導入されていないどころか自動改札でさえない。
 コンコースに置かれたベンチには電車を待つ人が10名ほどで、閑散とした雰囲気だ。しかし数分後に上り列車が到着すると、3両の車内から吐き出された通勤通学客数百名で改札は混雑を極めた。しかしこれが過ぎると静寂が戻り、1両に数名の乗客だけだ。
  定刻に発車した電車は、5分ほどの善光寺下駅から地上を走るが、意外に市街地が広かった。郊外の風景となるのは20分ほどして千曲川を渡ってからだった。
 小布施に着いたのは9時ちょっと過ぎだ。降車したのは私だけで、観光地としてかなり有名なところとしては意外だった。しかし駅舎には町営の観光案内所が入居していて、観光に注力しているのが良く判る。専任らしい女性係員と、ボランティアと見受けたジイサンが二人いる。
 ジイサンから市街平面図を貰うと、「ガイドは良いですか?」と訊かれた。多分頼めば彼が町内散策のガイドをしてくれるのだろう。後で調べてみたところ、1時間3,000円程度の料金だった。しかし料金の多寡にかかわらず、他人からあれこれいわれながらの見物など大嫌いだ。たとえ効率よく見どころを巡れなくても、のんびりと自分の判断で歩き、それで思い出に残るようなものが見られれば御の字だと思っている。
左:穀平(こくへい)味噌醸造場。右:街路に吊り下げられたフラワーポット。軽トラックにポットを積みジイサン二人で次々吊り下げて行く。
 
 
   上:桝一市村(ますいちいちむら)酒造場は宝暦5年(1755)の創業。葛飾北斎のパトロンだった高井(市村)鴻山がオーナーだったこともあるらしい。
下:かんてんぱぱのアンテナショップ店頭。
 観光案内所では300円の料金で荷物を預かってくれる。コインロッカーより対人システムの方がこと荷物保管に関しては好みなので、有り難く利用させて貰った。
  案内所を出ると、市街平面図で確かめながら、街の中心部へと向かった。5分ほど行ったところで立派そうな鳥居が見えたのでそちらへ寄ってみる。しかし境内には冴えない建物が三つばかりあるだけだ。
 皇大神社と呼ばれ、伊勢神宮が遠すぎてお参りできない人々のため設けられ、大神宮と旅屋を建てそこでお(ふだ)を授けたらしい。皇大神社のほか、金比羅社、八坂社、西乃宮社などが合祠されているそうで、それだけ予算が分散し冴えないことになっているのかもしれない。
 別の参道を通り境内から国道403号線に出ると、道路の向かいにある古式な建物が目を惹く。創業から二百数十年以上の伝統を誇る穀平(こくへい)味噌醸造場。 1枚撮影し国道を右へ(南下)行く。
 まもなく信号のある交差点で、此処にも古格な建物があるが、かんてんぱぱショップとちぐはぐな看板が出ている。全く知らなかったが、「かんてんぱぱ」とは寒天を利用した食品のブランドで、180年余使われてきた古民家を改築してアンテナショップに使用しているらしい。 
 南下をもう少し続けると、左へ入る路地があった。この奥に北斎館がある。美術館だが、これを中核として飲食店や土産物屋、宿、菓子屋、駐車場などが有り、小布施観光の拠点となっている。
信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)のうち、『怒涛図』。(館内撮影禁止のためWebより)
 北斎が初めて小布施を訪ねたのは1842年で、この時(よわい)82歳だった。招いたのは土地の豪商高井 鴻山(こうざん)で、40年頃から交遊があったらしい。江戸から小布施まで約220キロで、これを82歳で踏破する気力があったのはさすが北斎というべきか。
 北斎に傾倒した鴻山は、自宅に碧漪軒(へきいけん)(アトリエ)を建てるなど厚遇し、その上で北斎に入門した 。北斎は44年からも4年間滞在し、数多くの作品を残している。
 ともかく北斎館に入ることにした。通常の入館料は800円だが、企画展、「北斎とその弟子たち―北斎絵画創作の秘密」が開催中なので1,000円だった。切符を売ってくれた案内嬢は、「映像ホールへお進み下さい。」という。
    ミュージアムショップやラウンジを左右に見て、一番奥にある映像ホールへ向かった。ナレーションが次第に大きくなる。途中から見ても仕方ないので、廊下の展示などを見て待機した。
 数分でナレーションが終わり3人ほどオジサンが出て来る。入口のプログラムを見ると、次は北斎とジャポニズムだった。5分ほどの待ち時間があり、そのあいだ第一展示室などを眺める。北斎の版画が主たるものだった。
 
  (左手前)《東町祭屋台》 / (右奥)《上町祭屋台》。(館内撮影禁止のためWebより)
 「北斎とジャポニズム」はそれなりに気合いの入ったビデオで、面白く見ることができた。他の観客は60代に見える夫婦二組だけで5、60人入れそうなホールは閑散としている。
  上映が終わり、第一展示室から順番に見て行く。北斎の作品は面白いと思うが、あまりに大量にあることと、加齢から来る霞目のせいですぐ疲れてしまう。かててくわえて先ほどの夫婦二組が、声高に話しながらそばをうろうろするのが不愉快だ。
 そんなこともあり、第二展示室の途中から足早に通過する。しかし第四展示室に置かれた祭り屋台の天井画はさすがにじっくりと眺めた。
 閲覧を終えてトイレへ行く。腹具合が今ひとつで、落ち着いて用を足せるところで体勢を整えておきたい。トイレは予想通り綺麗だったし、温水洗浄便座だった。腹具合の不安が解消したところで、ラウンジへ行きコーヒーを一杯飲む。淹れ立て自販機が設置されていて、割に旨いものを飲むことが出来た。
和紙の中條で購入したモビール。
  北斎館を出ると10時15分だった。国道へ出るすぐ手前にある和紙の専門店中條を覘く。先ほど来る時に見かけ気になっていた店だ。9坪ほどの店内には内山障子紙、ちぎり絵用の和紙、折り紙、江戸千代紙、人形用友禅、便せんなどの用紙類と、お面や人形などの工芸品が所狭しと陳列してある。
 和紙にちょっとした興味はあったけれど、それ以上に具体的な目的があった。6月上旬に計画しているイスタンブル行きで、20年以上ぶりに再会する古い友達への土産物だ。当初は手漉き和紙や千代紙を考えていたが、手漉き和紙は渋すぎて価値を理解して貰えるか心配だし、千代紙は芸がないかもしれない。
 そんなとき目にとまったのが和紙で作ったモビールだ。日本の伝統工芸品ではないものの、何となく和風の趣もある。店員に訊くとボール紙の箱に入れて包装してくれるとのことで、イスタンブルまでの持ち込みもそれほど苦労しなくて済みそうだ。一個1,300円のものを四つ購入した。
 まだ時刻は10時半だ。市街平面図を拡げてみたが、これといって足を運んでみたいところや面白そうなものもない。駅そばまで戻り、昼飯を予定しているが開店前の味郷(みきょう)を確認する。その後は長野電鉄線を越えて千曲川の方へ行き、平面図に、「林の小路」と記されている径を散歩すれば開店時刻の11時になるだろう。
 駅へ向かって歩き出した時、大型観光バスが国道から北斎館の駐車場へ入っていった。東京発のツアーバスが来るには早過ぎるから、長野の温泉などで一泊したのち、前立本尊御開帳にでも立ち寄ってからこちらへ回ったのだろうか。美術館などで団体客に遭遇するのは、災厄としか思えないから、早目に北斎館を見て置いて良かったと思う。
 5.トンカツの味郷
 
 
 
   上:冷や酒とお通しの豆腐と醪味噌。中:ソースの掛かったトンカツ。下:お品書き。
 10分ほどで辿り着いた味郷は、開店前ではあるが人の気配が有り、臨時休業などの心配はなさそうだ。そのまま通り過ぎ、踏切を渡って林の小路に向かう。
 ところが当該小路に至り、なんでこんな所に思わせぶりな名をつけたのか呆気にとられる。見どころらしきものも雰囲気もない、果樹園の中を行く舗装道路だ。すぐ戻っては味郷の開店時刻前なのでしばらくは前進を続けたが、その必要がなくなりただちに踵を返す。
 味郷に着いたのは11時丁度だった。まだ準備中の札が出たままで、暖簾も出ていなかったが、これを直すために中から女性が出て来るところだ。一言確かめて入店する。昨日の徳兵衛でも同様だったが、このような入り方は何となく気恥ずかしい。しかし「旅の恥はかき捨て。」だと居直る。
 食べログのクチコミでは時分どきはかなり混み合うようだ。そんなことで四人掛けテーブルではなく、カウンター席を選んだ。遠慮が半分と気楽さからだ。
 お品書きを見ていささか落胆する。 トンカツ屋ならばあるだろうと思った酒のツマミになる単品メニューがないし、酒類はビールかワイン、清酒だけで焼酎がない。一の家食堂の例もあるので念のために確かめたがやはり駄目だった。
 仕方なく常温の清酒と味郷ロース定食・皿をご飯抜きで注文する。すぐにお通しと酒が運ばれてきた。小さく切った冷や奴にネギと醪味噌が載っているのや、細かい凸凹のあるグラスに注がれた酒など、どちらも洒落ているし味も良かった。しかしあまり好みではない。
 10分ほどして供されたトンカツは、ソースが既に掛けられている。これもさしたることではないが、やはり好みに合わない。さらに云えば店の内外装や接客なども品が良く水準以上だと思うが、私が好むのとは微妙なずれを感じた。
 冷や酒三杯でこの日の昼飯・昼酒を切り上げる。勘定は2,530円だった。当初の予定は小布施発12時54分のつもりだったが、駅に着いたのは12時ちょっと前で、一本早い12時1分発が利用できる。
 案内所で預かって貰った荷物を受け取り、自動販売機で信濃吉田までの切符540円を買うと、まもなく上り電車が到着する。先ほどと同じ3両編成で、一両に10人程度の乗客だった。
 6.しなの鉄道北しなの線、えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン、信越線
線路脇に残る雪。
   信濃吉田駅からJR長野北駅まで徒歩10分で移動する。10分ほど待ち、長野始発、長岡行きの普通列車に乗った。かつては信越本線の一部で、特急も走った路線だが、2015年3月14日の北陸新幹線開業に伴い第三セクターとなった。妙高高原駅から長野側が、しなの鉄道北しなの線、直江津側がえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン、直江津から先が信越本線のままとなった。長野県と新潟県の違いにより二つの第三セクターとなっている。
 北長野から10分ほどで豊野を過ぎ、まもなく飯山線と別れてからは、上り坂が続いた。妙高高原駅の少し手前では4月も下旬だというのに、線路脇に雪の堆積が残っている。 この辺りは日本でも有数の豪雪地帯で五九豪雪(1983年から84年にかけての豪雪)時には総積雪量が17メートル近くに達したところだ。私の旅記録を調べると、97年の2月に糸魚川から直江津経由で信越線を利用した際、前日からの豪雪で除雪作業が難航し、5時間ぐらい遅れて上野に着いたことがあった。
 
 
  鯨波駅間近。
  黒姫駅を過ぎると一転して下りになった。次の妙高高原駅から妙高はねうまラインになる。列車は同じだが、乗務員は交替しただろう。上越妙高駅では北陸新幹線からとおぼしき20名ほどが乗車してきた。
 直江津からは信越線となり日本海に沿うような形で進む。柿崎駅を過ぎるとまもなく浜が見えるようになった。天候に恵まれたことも有り、青い海と浜や磯に打ち寄せる白波が目を楽しませる。
 20分ほど海辺を走ったのち、右へ大きくカーブして内陸部に入る。まもなく柏崎に着き、そこから先は面白味のない沿線風景が続いた。3時53分、長岡到着だ。
 宿は駅から徒歩2分のホテル・ニューグリーン・プラザを予約してある。グーグルマップで候補を探し、楽天トラベルで値段その他とクチコミを確認して決めた。シングル一泊が税込み4,700円で、結論から云えば、「値段相応」だった。
 ニューグリーン・プラザのフロントは2階にある。チェックインが済んでから、「インターネットの接続はこれで。」と、無線LANルーターとLANケーブルを渡された。私のPCはケーブルで直接接続できるので、無線LANルーターの意味が判らなかったが、最近流行のスマートフォンやタブレットだと、LANケーブルのコネクターがないらしい。
 部屋に落ち着いたのは4時10分で、改めて今夕飲む場所探しをした。4軒ほど候補を絞り、何とかその位置を脳裏にとどめようと努力する。
 7.長岡の居酒屋
 5時になって出かけた。先ほど選び出した候補から、一番近い店を探すが見付からない。後日判ったことだが、一本違う通りを探していた。地理感覚が悪いことは常々痛感しているが、若い頃はもう少しましだったように思う。これも加齢に伴う衰えなのだろうか。
  2軒目は見付かったものの外見を見て躊躇した。さらにはインターネットの書き込みで、「またマスターがけっこうおしゃべりなので、一人で行っても退屈しないと思います。黙って飲みたい時には向かないかもしれません(^^;)」とあったのを思い出す。おしゃべりな人、特に男は嫌いなのでそのまま通り過ぎる。
 3軒目、4軒目も見付からなかったが、インターネット依存ばかりもどうかと思うし、あたりはまだ黄昏れていない。もう少し自力で探すことにした。先ほどのインターネット検索では、長岡で居酒屋が多いのは現在いる殿町界隈らしい。
 長岡らしい雁木の下に設けられた歩道を行くと、斜め前方に居酒屋が三軒並んでいる。手前の食事処はなみずきは近付いてみると食堂的雰囲気が強そうだ。その隣に並ぶ雨やどりは名前が気に入ったが、入口まで行ってみると引き戸の横に、「おふくろの味。四季折々の素材を活かした家庭料理が大皿に並び、ホッと一息つけるお店。」と大書してあり、入る気が失せる。
 その隣は平々凡々の感じだが、これで妥協しようかと思いながら、フト視線が道路の向かいに流れた。長年の風雨に曝されたような藍染めの暖簾が下がり、店構えが何となく気に入った。「名人」という名に多少の引っかかりを感じたものの、そろそろ捜索を終了して飲み始めたい気持が強かった。
 
 
  上左:お通しの山菜(トリアシ(鳥足升麻:トリアシショウマ)、こごめ、ワラビ)。上右:銀ダラ照り焼き。下左:アマドコロ(山菜)。下右:山竹の子(根曲がり竹の子)の卵とじ
 店内は真ん中が通路で、その両側にカウンターと小上がりだけのシンプルな構成で、先客はカウンター席にカップルが一組だけだった。50代に見える(多分)夫婦で経営している。
 カウンター席に坐り焼酎の水割りを、「氷はいらない、焼酎と水を半々ぐらい。」と注文した。女将は焼酎をジョッキに半分ぐらい注ぎ、私の目の前にある水道の蛇口から直接水割りを作る。気取っていないところが面白い。お通しの山菜三種と一緒に出された。
 席に置かれたお品書きはなく、壁に貼られた短冊で注文を考える。居酒屋の定番的な品以外に、山菜やキノコ料理が目立つ。まずは銀ダラの照り焼きとフキ味噌を頼んだ。
 女将は目の前で山菜の下拵えに余念がない。奥でも亭主は銀ダラなどを調理しながらも山菜を捌いている。女将に訊くと全部亭主が取ってきたものらしい。しかし夜は居酒屋をやりながら、昼間これだけ大量の山菜を一人で採取するとは恐れ入る。
山菜三種のお通しはそれぞれ旨かったが、右端のワラビぐらいしか見当が付かない。女将に尋ねると左にあるのはトリアシで、中央のは判らないらしく亭主に問い合わせた。こごめとの返事がある。
 銀ダラは旨かったが、それだけでは足りず山菜を追加することにした。山菜料理には馴染みがないので、一昨日覚えたばかりの アマドコロが目に入りこれにする。
 4杯目を頼む頃にはツマミが大方なくなった。小腹が空いた感じも有り、山竹の子(根曲がり竹の子)の卵とじを追加。結局1時間ほどで5杯を干して打ち上げにする。勘定は4,200円だった。
 後日調べてみるとこの店は吉田類の酒場放浪記でも紹介されたことがある、長岡の名店らしい。事前にこんな情報を掴んでいれば、敬遠したかもしれないので、情報は多いほど良いとはいえない。
 亭主はキノコと山菜を取る名人で、店名もこれにちなむと聞けば納得する。長岡を再訪することがあるかは判らないが、行ったならばこの店にまた入ると思う。
 ―― 小布施逍遥 完 ――
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