悪沢岳登山紀行

雨 . . . .

こだま405号は定刻9時20分、静岡駅に到着した。コンコースを北口に抜けると降り続いていた雨脚が強まり、アスファルトに雨滴が弾けて白い飛沫となる。畑薙ダム行きバスの乗り場を尋ねに、バス案内所に立ち寄った。対応してくれた案内嬢は、その笑顔とは裏腹の「この雨では運行停止になっている可能性があるので問合わせます」と、剣呑なことをいう。しかし受話器を取って1分後、一層の笑顔と共に「正常運行されています」の声があり一安心。

バス乗り場では大して待たされた気にもならないうちに、9時33分のバスがやって来る。―― 路線バスで使い古された車体だろう ―― の先入観を裏切って、観光バス型の車輌だ。三時間半の乗車を考えれば当然かもしれないし、新車ではなかったものの、意外さから豪華車輌で得したような気分になる。乗客は当方の同行者と二人だけの貸し切り状態、おまけに近頃見掛けない車掌まで乗務している。

この車掌さんは若くて都会的な雰囲気の美人だ。ろくに乗客もいないのに何故と思い推察する。この路線は乗客が携行する荷物が10kgを越えると小児運賃相当を徴収する。判定するのにバネ秤を使用しているが、荷物の計量までをワンマンカーの運転手にやらせるのは無理だとの配慮だろう。

ともかく定刻を数分過ぎた辺りで発車する。雨は小降りになり、最初の停留所でジイサンが一人乗り込んできただけで、その後は停留所によることもなくひた走る。郊外に抜けた頃には雨も止んでいた。

一時間弱でジイサンが下車し、その後は完全貸切り状態になる。途中二回のトイレ休憩(そしてたぶん運行時間調整)をはさみ、大井ダムを過ぎると青空が見え隠れし始めた。雨はさほど嫌いではないものの、山登りには晴天が一番、気分が高揚して来る。

山間を川沿いに行く曲がりくねった道だが、ダムで整備されたためかしっかりした道路だ。その上対向車が全くないので快調に走り続け、1時ちょっと前に畑薙第一ダムへ到着した。休憩所を利用して新横浜駅で調達した焼売弁当を昼食とする。ついでにワンカップ大関の昼酒も。

山小屋からの出迎えバスが到着するまでは、なお一時間半以上あり、腹ごなし、足馴らしを兼ねて、ダムサイトを北へ向かって歩くことにした。天気はすっかり 回復し、秋の陽射しが強く降り注ぐ。見上げれば真っ青な空をちぎれた白雲が流れて行く。斜面の木々が紅葉にはいまだしばしなのが惜しまれる。

    畑薙大吊り橋

林道歩きなど「味気ないもの」が通り相場であるけれど、道路の状態が良いため歩き易くて、一般車輌進入禁止のため通行する車輌もまったくなく、おまけにこの快適な天候となれば話は別だ。一時間ばかり歩くとダム湖を横断する吊り橋が見えて来た。畑薙大吊り橋だ。

 

37年ぶりの南アルプス

南アルプスを訪れるのは、実に37年ぶりのことだ。前回は北岳を起点に南へ向かって縦走し、塩見岳、荒川岳、赤石岳、聖岳を経て、茶臼小屋をベースに光岳を往復して下山した。長い下りに辟易とした頃、眼下にダム湖が見えて来た。―― あそこまで下れば良いのだ ―― と自らを励まし、ようやく辿り着いたと思えば眼前には長い吊り橋があり、それを渡ってなお続く林道に苦しめられた記憶がある。

いま目の前に在るのがあの時の吊り橋だ。「掛け替え」が行われたかも知れないが、記憶に残る橋そのものだ。午後の光を浴びて輝く一本の道となり、ひたすら静かに佇んでいた。

橋を過ぎてしばらくすると車のエンジン音が聞こえ、ほどなくジープ型の車輌が姿を現わした。今晩宿泊予定の山小屋、二軒小屋ロッジが送迎用に使っているものと判断し、のちほど確実に拾って貰おうと手を挙げて車を止めた。

目の前に停車すると、運転手が窓から顔を出して「金子さんですね」とこちらを名指しする。―― 初対面なのに? ―― と一瞬たじろいだが、後から考えればこの日ロッジに泊まるのは我がパーティーだけなので、運転手にしてみればその代表者名は先刻承知のことであった。

それから20分ほどで、ダムサイトから折り返して来た送迎車が拾ってくれる。「随分歩きましたね」と運転手が誉めて(おだてて)くれた。次第に道路の状態が悪くなり、車の揺れもひどくなるがそれでも十数キロを歩かずに済むのは有り難い。4時をしばらく廻って、黄昏の気配が忍び寄る二軒小屋ロッジに到着した。

すぐにチェックインを済ませる。宿泊費に夕食(3,500円)と朝、昼用弁当代を合わせて1,4000円。山小屋としては高値にも思われようが、送迎のバス代を含んでいる。小屋に泊まらずバスだけを利用すると3,000円で、一泊すればバスは往復しても無料になる。細かい話はさて置いて、「高価ではない」が、その他の設備、食事、サービスを合わせた総合的印象だ。

穏やかに暮れ始めてはいるが、それでも視界が閉ざされるまでには一時間ほどある。三階の部屋に荷物を置くと、明日に備えて登山口の 辺りを偵察に行く。夜明けの薄暗い時に迷うのは、時間的ロスもさる事ながら、出足に躓いたという精神的ダメージが大きいだろう。そんな危惧を別にしても、この静かに黄昏て行く秋の一時、部屋で過ごすのはいかにももったいない。

二階の (簡易)フロントへ降りて行くと、先程の彼女がまだいた。登山口を尋ねると、カウンターの下から説明図を取り出して、―― 迷うこともないだろうけれど ―― といった感じで説明してくれた。「吊り橋で川を渡ればすぐ登山道です」。

礼を述べていわれた通りロッジの前庭を横切る。振り返るとロッジの屋根に設えてある煉瓦の煙突から白煙が立ち昇っていた。薪ストーブに点火したところらしい。細い徑を下って車道に出る。説明された方向へ車道は続いているものの、鉄パイプ製の門扉が閉ざされ、「通行禁止」の制札が掛けられていた。「どうしたものか?」、連れと顔を見合わせるが、門扉の脇にあり、おとな一人が楽々通り抜けられる隙間を行くしかなさそうだ。

川沿いに行くと手摺りのついた階段があり、すぐその上に東電の施設がある。またしても「通行禁止」の制札。しかしそこに架けられた吊り橋は、歩行者専用であるものの手入れも良く、登山口はこれを渡った対岸から始まるとしか思えない。こんな時、相談する相手がいることは有り難い。ましてや山の経験が豊富な先達が。ユラユラと不安定な吊り橋を渡り、斜面に続く踏み跡の先に、鉄パイプで組まれた梯子があることを確認して、これが登山口と結論づける。ロッジに引き返すにはまだ早いので、半時間余りを周辺の散策で潰した。

   黄昏時の二軒小屋ロッジのテラス

暮れなずむ樺の林を抜けてロッジへ戻る。夕食までの一時をテラスで過ごした。この時期で標高1400メートルあることを考えれば、異例ともいえる暖かさで、シャツ一枚で佇んでいても凍えることがない。デッキチェアに腰を下ろして夜空を見上げると、残照を浴びて白く浮かぶ雲間に星が瞬いていた。明日の好天を願う。

5時半になって、夕食の準備が整ったことを告げられる。50名収容の食堂に二人だけは、これもまた贅沢な感じだ。片隅に置かれた鋳鉄製の堂々とした薪ストーブの中で揺らめく赤い炎が、暖かで優雅な思いを湧き上がらせる。並べられた皿は、品数も多く適度に山の幸を配して好ましく、加えて大きな土鍋がコンロの上で煮立とうとしているところだ。

献立に満足したところで、酒を頼む。清酒は二合徳利といわれて、三本冷やで並べて貰った。一々追加するのは面倒だ。

食事と酒を堪能する。鍋の残りに用意されている饂飩を炊き込んで仕上げにした。全体の量が多く、おまけにこちらは小食な質だからとても食べ切れず、ましてご飯までは手を着けることも出来なかった。心地好い酩酊もあり安らかに就寝する。

 

マンノー沢頭

打ち合わせ通り4時半に起床した。見上げる夜空に雲は多いが、それでもかなりの星が見える。降雨の可能性はほとんどなさそうだと一安心。二階の食堂へ降りて、昨晩受取ってあった弁当の一個を朝食に充てる。片隅に置かれた給茶機は作動中なので、セルフサービスで茶碗に注ぐ。他に宿泊者もいないため、音をたてぬよう神経を使わず済むのも有り難い。

のんびり支度をして5時半にロッジを出発する。この日の静岡日昇時刻は5時51分だが、辺りは既に薄明るくなり、照明なしでも歩くのに不自由はない。昨日の「偵察」も無駄ではなかったようで、戸惑うこともなく吊り橋を渡ってすぐの急坂を登り始めた。

ことさら先を急いだわけではないが、ぐんぐんと標高を稼ぐ。休憩を取ることなく歩み続けたことにもよるが、地形的要素がより大きかった。登り難かったり、危険を感じたりしない範囲で上限に近い急傾斜は、心臓にしっかり負荷を掛けてくれるが、その代償として充分な高度を与えてくれる。ガッカリさせられるような「途中の下り」もない。

三時間ほどでようやく傾斜が緩くなると、これまでほとんど見掛けなかった道標が樹に打ちつけられている。「万斧沢の頭」。二万五千分の一地形図にはマンノー沢頭と記されているが語源は「万斧」らしい。杣人達が活躍したこの辺りにふさわしい名前だ。ちなみに「二軒小屋」も古く彼等の前線集落に名付けられたものらしい。

   千枚岳頂上。頭上に青空があるものの、視界は良くない。

標高2500メートルを越え、なだらかな登りになる。丁度この辺りにかかった雲の中を歩いているらしく、頭上に青空が伺えるものの、周囲の山々を望むことは出来ない。そのまま登り続けて千枚岳頂上に達したのは10時少し前だった。

時折雲が吹き払われ、北方には塩見岳や遥か彼方に白根三山、南方には赤石岳から聖岳の連なりが見えるものの、中々シャッターチャンスが訪れない。「あの雲が去ったら」などと待ち構えていると、思惑とは裏腹に別の大きな雲が出現して、視界を一気に閉ざしたりする。南に注視して、ふと振り返ると北の方に視界が拡がっていたり、何やら流れる雲になぶられているようだ。

気まぐれな雲が去ることを待っていても埒が明きそうもない。そこそこに切り挙げて悪沢岳へ向かうことにした。改めて地形図を見ると、距離にして1キロ強で標高差も150メートルほどなので、―― 大したことはあるまい。半時間もあれば辿り着けるのでは ―― などと、安直な思惑を抱く。

 

標高三千メートル

しかしコースタイムは一時間以上であったことも思い出し、気を引き締め直して歩き出した。1分も経たずに足場の見えない急な下りに遭遇する。―― 矢張りこういうことなのか ―― と、半ば納得しつつ、肩から下げていたカメラをしまい込んで身仕度をしてから下りにかかる。

見掛けに脅かされたものの、いざ下ってみると、手掛かり、足掛かりがしっかりしてなんのことはない。距離的にも数メートルで終わり一安心。その先にもう一ヶ所急傾斜があったもののこちらはさらに簡単で千枚岳肩の下りを終了する。そこからはなだらかな登りが続いた。

   悪沢岳への稜線。傾斜は緩く歩き難いこともないが苦しんだ。

吹き曝しの稜線は風が冷たい。ロッジを出る時、下に着込んでいた防寒下着は登り出してすぐに体が温まると脱いでザックにしまい込んでいて、カッターシャツ一枚で登って来た。しかしこの風では下着程度では間に合いそうもない。出掛けに慌ててウィンドブレーカーを忘れてきたため、レインスーツの上着を取り出して着込むことにした。

岩塊の上を辿るルートは、所々赤ペンキで進むべき方向が示されている。指呼の間と思う悪沢岳頂上だが、中々辿り着くことが出来ない。朝から休むことなく一気に千メートル以上登ったのが、 今になってボディーブローのようにきいてきたのか、はたまた三千メートルの高度による酸素不足に苦しめられているのか、足取りが重い。

しかし先に立つ同行者は、歳を感じさせない矍鑠たる歩みで、確実に岩を踏みしめて行く。一回りほども若いこちらとしては、「置いてけぼり」は情けない。弱っているところをひた隠しにして後に従った。

千枚岳から眺めた際に頂上と思い込んでいたのが、実はその手前にあるピークであったことも辛さを強めることとなったが、それでも地道に歩み続けるとようやくゴールを示す太くて武骨な木製標識が見えて来た。数歩手前で同行者は立ち止まり、握手しながら共に頂上を踏みしめるよう演出してくれる。11時10分であった。 標高3,141メートル。

この方は37年前に南アルプスを共に縦走したパートナーであり、さらにいえばそもそも山に親しむように導いて頂いた恩師だ。そして「山」と縁遠くなって久しい当方とは異なり、登山歴四十数年、北岳や穂高を登ることそれぞれ百回を越える大ベテランでもある。久し振りの山行をなんの不安もなく計画できたのもそれゆえだ。

   悪沢岳頂上付近で同行者と昼食。

頂上は吹き曝しでさすがに寒い。僅か南東に下った岩陰に避難場所を見付けて昼食にする。 二軒小屋ロッジが用意してくれた弁当は、二食分をそれなりに内容を変え、そしてそれぞれが水準以上のものであったが、今は疲労のためかまったく食欲がない。

雲の変化は激しく、赤石岳、聖岳や南東遥かの富士山が見え隠れするが、中々これぞと思えるシャッターチャンスは訪れない。抑えのつもりで撮影を繰り返すうちに、バッテリー切れの警告表示が出てしまった。

   富士山のところだけ意地悪く雲が盛り上がっている

銀塩カメラからデジタルに切替えるべきか、検討するために友人から借用して来たNikon D1Xだが、僅か四十数枚でこのようになるとは予想外であった。予備バッテリーもチャージャーもなく、後何枚撮影できるかは未知の領域だ。取り敢えず明日の日昇や下る途中で眺めることができればと期待している紅葉に備えて、今日の撮影はここまでとした。

一時間ほどの昼食休憩を切り上げて千枚小屋へ向かう。期待していたほどには疲労が快復しておらず、緩い下りを歩きながらも「軽い足取りで」とは行かないのが口惜しい。それでもとにかく休まずに進めば、確実に行程を稼ぐことができる。

先程いささかなりとも脅かされた千枚岳からの下りだが、逆に辿って正面から観察しながら近付き、そして登って行けばいかほどのこともない。未経験でかつ状況を充分把握できないことが、どれほど不安を膨らませるか、改めて認識した。

 

千枚小屋

歩き易いが若干傾斜のきつい下りで、標高2700メートルを切ると、樺の樹林帯に入る。既に木々はその葉を落とし、評判のお花畑も今はこげ茶色になった枯れ草が寒々とした姿で林立している。 小屋まで百メートルほどの距離になると、前庭に設置されているテーブルに、四人ほどの人影が見えた。

単眼鏡で観察すると、それぞれの前には白い大皿が置かれているようだ。テーブルからの視界は広々と気持ち良さそうだし、遥か彼方の富士山を眺めながらの昼食などとは、―― さぞかし贅沢な気分に ―― と想像する。

小屋の脇をほとばしる沢水で喉を潤し、ペットボトルにも詰め直す。前庭に着くと、先程の人々は既に食事を終えたところだった。業務用のVTRを下げたカメラマンもおり、言葉を交わしたところでは静岡テレビの取材班らしい。紅葉がお目当てであろうが、その点はちょっと物足りなかったことだろう。

一階でチェックインを済ませて二階の客室に落ち着く。1時半を廻っていた。部屋は上下二段になっていて寝具(平面型寝袋?と毛布)がずらりと並んでいる。全部を使用すれば六十人位は泊まれそうだ。説明に上がって来た小屋番は「今晩の宿泊者は七人なので、広々使って下さい。寒いから寝具は二つでも三つでも」という。

登りを頑張って予定よりかなり早く着いたのは、予定に遅れるよりもましとはいえ、夕食までの長い時間を潰すのに往生した。小屋の周辺を散策するにはいささか過労気味だし、それ以上に寒さがこたえる。平地の暖かさに油断して防寒着をあまり用意していないこともあるが、それでも通常のスピードで歩いていれば自然に暖まる。しかし漫ろ歩きではそうも行かないだろう。

小屋の中で過ごすのに二階は暖房なしだが、一階の食堂には灯油ストーブが焚かれ開放されている。頼めば、コーヒー、ミルク、お汁粉などとアルコール類も供される。ちなみに先程のテレビ局クルーが食していたのはカレーライスであった。

内階段で下へ降り、メニューを眺めて思案する。結局、体調不良もあったが、ともかく酒は謹んでホットミルクで暖を取った。しかしこれも一時間たらずで手詰まりとなり、二階へ戻った。

そのまま夕食まで寝て過ごす。これは疲労のためというよりも防寒のためで、雑談とうたた寝で午後の長い時間を呆然と過ごした。三々五々、宿泊する登山者が到着する。最初の方は、荷物の大部分を此処に置いて荒川岳往復したとのこと。さらに伺えば、一昨晩は二軒小屋ロッジ泊まりで、我々と同様のコースで登って来たとのことだった。

晩飯は山小屋の食事とも思えない品揃えだ。といっても一般的な山小屋の食事がどのようなものかさっぱり知らないのだが。少なくとも平地の一般民宿で出されるものを上回り、材料を標高2700メートルまで運び上げることを考えれば、大したものだと思う。

酒を冷やで頼む。体調不十分でとても定量は飲めそうもなく、取り敢えず一合。プラスチックの容器に入った「ワンカップ酒」と引き換えに500円を渡す。すこぶる明朗な会計システムだ。これならば飲み過ぎることも少ないだろう、多分 . . . .。

アペリティフ効果を期待していたがさっぱりで、食事の質・量共に高く評価しながらも、一向に箸が進まない。半時間ほど粘ったが諦めて、酒一合のみで切り上げる。現在の体調を「ちょっと疲労している」くらいに考えていたが、これほど僅かしか飲めないことからすると、事態はもう少し深刻かもしれない。

ともかく二階へ引き上げて就寝の準備をする。「明け方にはかなり冷え込む」と脅かされていたので平面型寝袋を二重構造にし、さらにその内側に毛布二枚を充填する。この備えは万全であった、というよりもいささか過剰で、夜中に外側寝袋のファスナーを開放し、さらに内側の毛布を片寄せないと暑過ぎるという仕儀になってしまった。

就寝してもさすがに7時前は早過ぎて寝付くことが出来ない。しかし、―― 明日は楽なコースを下山するのみ。別に焦ることもない ―― と山小屋の夜を楽しむ。遅れて食事を終えた人達の会話が表から聞こえて来る。「雪だ!」「積もるのかな?」。―― 降り出したか。今の時期であれば積雪量は多寡が知れている。ならば新雪に覆われた山容もまた魅力的 ―― などと考えつつ次第にまどろんでいた。

 

星と暁光

夜中に目を覚ます。尿意をおぼえてしばらく躊躇する。寝具の中は暑過ぎるくらいだが、表は確実に氷点下だ。しかし時折強く吹いていた風も沈静しつつあるし、何よりも、―― 雪は積もっているのか? ―― 興味があり、ヘッドランプを片手に音を忍ばせて寝具から滑り出た。トイレは屋外、十数メートルの先にある。

引き戸を開けて表へ出ると、積雪どころではない。頭上は満天の星で、丁度オリオン座が中天にかかっている。目を凝らして足許を見ると、パン屑のような雪が、ほんの僅か所々に吹き溜まっているだけだ。おそらく積雪というより「小雪が舞った」ていどであったのだろう。

夕方まで居座っていた雲海もすっかり吹き払われたようだ。星明かりに黒々とした尾根が朧げに浮かび上がり、そこ此処に平野の集落が灯でその存在を示している。はるか遠く東北東に見えるのは 甲府の明りかもしれない。寒さも忘れてしばらく深夜の景観を楽しんだ。明日の好天は約束されたものと思う。

4時半ともなると起き出して出発の準備をする人がいる。小屋の朝食は5時からであるし、宿泊者の大半は悪沢岳から赤石岳へと歩きでのあるコースを予定している。支度が早くなるのは当然だ し、またこちらとしては日常の起床時刻が4時なので、―― 安眠を妨げられた ―― 気分にならない。むしろ黎明を撮影しようと ゴソゴソやる際、周囲に気兼ねせずに済むのが有り難い。

5時になると、隣りで寝ていた同行者も目を覚ました様子だ。寒そうなので寝具を被ったまま、床から1メートルほどの高さにある窓から表の様子を窺った。東の空は僅かに白み始めて、富士山がその姿を黒々と浮かび上がらせている。まだ写真を取るには早過ぎるようだ。

寝床からの偵察を繰り返し5時10分になった頃、意を決して寝具から飛び出した。寒さはさほどではない。窓は上下が僅か30センチほどのものだけれど、撮影するためには充分だ。ガラス越しでは多少なりとも映像に悪影響がでるため、時々窓を開けて窓枠の上にカメラを固定しながらスローシャッターを切る。

  5時59分 70 mm F8 1/320sec

最初はズームレンズの開放絞り:F4.5で、1.7秒の長時間露光になった。空が暗赤色から輝かしい暁の光に満たされて行くに連れ、シャッタースピードは速くなり、6時にはF8の1/320秒に達した。

昨日はバッテリー切れ警告が出て撮影中断を余儀なくされたのに、今朝は警告が出ることなく三十枚ほど撮ることが出来た。小屋の中の方が山頂より温度が高いことが良かったのか、真相は不明だがとにかく有り難い。6時10分頃になり、これ以上は「日の出の写真」になるまいと見極めを付けた。

 

下山そして祝杯

昨晩用意して貰った弁当を食べることにする。下の食堂は朝食時間を過ぎているが、ストーブが点けられて暖かい上に、―― 味噌汁はだします ―― といわれていた。凍えながら我慢している意味もなく、下へ降りる。昨日の体調不良からは脱することが出来たらしく、朝食が旨い。

今朝は急ぐ必要もない。この辺り一帯の山小屋を経営する東海フォレストが運営している(入山時にも利用した)送迎バスは、下の椹島ロッジから畑薙ダムへ向かって午後1時40分発だ。標準コースタイムで下りは四時間弱だから、むしろ時間潰しの算段が必要だろう。

  蕨段の付近から見る赤石岳。背後に聖岳も。

7時を廻って小屋を出発した。昨日も良い天気だったが、今朝はそれを上回る。全天を見廻しても、文字通り雲一つない。 空の青さが深みを増して冴え返っているのは矢張り秋のせいか。気温は零度前後だが、風がないので寒さを感じることもない。

気持ち良く、―― そして足取りも軽く ―― といいたいが、足取りの方は昨日の疲労が多少なりとも残っているようだ。しかしなだらかな、そして下り一方の徑であれば快調に下ることが出来た。

昨日までは山道も貸切り状態で、人影を見ることが全くなかったが、今朝は小屋を出てすぐに三人、清水平付近で四人が登って来るのとすれ違った。週末であることも関係するのだろうか。

快晴、無風、適温、絶景に恵まれたテラスの居心地良さは、ちょっと類のないものだ。

のんびりしすぎたせいか、途中で道を間違えたりするがそれも大過なく、12時少し前には椹島ロッジへ到着することが出来た。ロッジには宿泊施設以外に売店などもある。レストランの前には、気持ちの良いテラスがあり、それなのに他に訪れている人もなく、此処もまた貸切り状態で使うことが出来た。

ビールで祝杯を上げる。好天の恩恵があり、良い山小屋(ロッジ)を利用出来、出会いもまた楽しく、そして何よりも良き同行者に恵まれた、秋の幸せな山旅であった。

 

 

 

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