8.野の庵テラス席
  明くる15日は高曇りだった。9時4分の普通列車で弘前へ向かう。駅前の東横インにチェックインし、荷物を預けると一番町の喫茶店、一番館へ向かった。
  この喫茶店にも年に一度程度だけれど、かなり以前から顔を出し、何時からか顔馴染みとなっている。店に入るとママが笑顔で迎えてくれた。地味(渋い)だけれど落ち着いた内外装は、私が喫茶店に求めるものに良く適合し、気持ち良く時を過ごせる。
  今回もセイロン風ミルクティーを注文し、南イタリア紀行の推敲を始めた。ちなみにセイロン風ミルクティーは好みなのだが自分で淹れることができない。技術的に問題はないが、淹れ終わった段階でミルクが茶葉と共に廃棄されることに抵抗を感じる。つまり吝嗇(けち)なのだ。
  半時間ほどして今度はコーヒーを頼んだ。キリマンジェロだ。近年なぜか深い焙煎のコーヒーを使う喫茶店が(滅多に入らないから自信はないが)増えているようだ。しかしこの手の苦みが強くて酸味のなくなったコーヒーは嫌いだ。エスプレッソも嫌いで、イタリアなどそれしかない場合以外は飲まない。その点で一番館のコーヒーは好きなタイプだ。創業40年近いらしいので、昔ながらの豆を採用しているのだろうか。
  11時40分に一番館を出て蕎麦会席料亭「野の庵」へ向かう。いつものように弘前城趾公園を抜けて行く。途中、本丸から岩木山を撮影しようかと考えた。弘前は向かう車中からは雪を戴いた岩木山のほぼ全貌が見えた。しかし既にかなり朧気だったから、多分今頃は雲に隠れてしまっただろう。わざわざ有料区域に寄り道するのはやめにした。
 春陽橋から西濠越しに見る野の庵。  野の庵とテラス席。
  春陽橋を渡りながら野の庵のテラス席を眺める。テーブルは二卓だけセットされ、客はいなかった。橋を渡って通常は直進するが、今回は野の庵と西濠に挟まれた小径を行く。小径と野の庵は幅1メートルほどの小さな流れで隔てられ、テラス席の外れぐらいに橋と枝折り戸が新たに設けられていた。此処から玄関へと進む。
テラス席での一献。背景に野の庵の正門。通常は閉じられている。
  店内には高齢者3名のグループが一組だけで静まりかえっていた。厨房に繋がる暖簾のところで一声掛けてテラスに出る。間もなく女将の貞子さんが笑顔と共に姿をあらわした。久闊を叙するのもそこそこに、彼女は屋内へ戻ると、すぐに4号壜とグラスを手にして来た。最初からこちらが、「酒。」と云ってもまずお茶を出すようなところが多いのだが、それとは正反対の行動が嬉しい。
  それほどまで酒に餓えていたわけではないが、心遣いが嬉しく、グラスに注がれたじょっぱりをまずは一口。このような流れをぎくしゃくさせたくないから、この日は「糖質制限」も棚上げだ。
毛蟹、蕎麦モヤシ、帆立と笹の子の煮物。
  お品書きも出されないし、注文を訊かれることもない。私の方で云い出さなければ総てお任せ、知人の家を訪ねてもてなされているような感じだ。  間もなくお通しが出される。既に身はほぐしてある毛蟹、蕎麦モヤシを茹で味噌ダレで和えたもの、帆立と笹の子の煮物だ。蟹は好物だけれど、面倒なので自ら身をせせってまで食べたいとは思わない。久しぶりに毛蟹を楽しめた。蕎麦のモヤシは見るのさえ初めてだった。
鱒の塩麹漬け。
  続いて小鉢に入った鱒の塩麹漬けは、ご亭主であり板長の佐藤彰さん自らが持って見えた。空いているからだろうと思うが、それでも恐縮する。貞子さんも一緒になりテラス席のことや花見時期の大混雑などの話になる。
  弘前の人は屋外で食事することを好まないのか、表へ出る人はいても、食事は屋内へ戻ってしまうらしい。私などとはかなり感覚が違うようだ。テラス席が一番盛況だったのはお花見時期で、それも食事は中だけれど、外で桜花を背景に記念撮影するのによく使われたそうだ。テラス席を提案した者としては残念だった。
鰹、平目、鱒の刺身。
  歓談は実に楽しいものの、その一方で飲食が思うに任せない。貞子さんが接客のため去り、彰さんも厨房に戻ったので、ようやく料理と正面対決できる。酒はテーブルに4号壜が置き去りにされ、これも毎度のことだが手酌でやらせて貰う。
  屋内の客は三人組が帰った後、山に登るため弘前へ来たという老人が一人だけで、この人は酒も飲まずに昼食だった。そんなことで貞子さんが断続的にこちらを廻り、共通の知人である広島のKさんや東京のHさん、これも東京にいる娘さんの話などが続いた。
  4号壜は空になり、最後は幻の津軽蕎麦(蒸籠)で締める。「昼には三合」が定量だけれど、たまには過ごすのも良かろう。食事が終わった後も、お茶を飲みながら三人での四方山話は続き、お開きになったのは2時半だった。二人して枝折り戸のところまで見送ってくれる。

  夕方は5時半にスタートする。いつの間にか小雨が降り出していた。持参の折り畳み傘を携え外出する。霧雨に近いので傘を差して歩こうかと思ったが、それも面倒になり駅前からタクシーに乗ることにした。向かうのは新鍛冶町の焼き鳥屋とり畔。
  タクシーに行き先を何と指示するかで、乗る前に観光案内所へ立ち寄った。「土手町通りの方で小路の着く通りは?」と訊けば、かくみ小路の答えが返ってきた。乗り込んだタクシーでは、「かくみ小路の土手町とは反対側のところへ。」と告げる。
  幸いこれで充分に通じた。ほとんどとり畔の真ん前に停まったので、傘を差すこともなく店内へ。
上:大根の漬け物とお通しの枝豆。
下:焼き鳥の砂肝とカシラ。
  焼酎の水割りで飲み始めて驚いた。満腹状態なのだ。野の庵で食事を終えてから3時間半たっているのに、これはどうしたことか。
  野の庵でのコースはこれまでも度々似たようなものをこなし、その後にとり畔を訪れて食べることに何ら困難はなかった。ところが今は飲むのも食べるのも満杯の胃に無理矢理詰め込むような気分だ。
  胃がもたれているという感じとは全く異なり、要するに不快感ではなく満足の満腹後、「これ以上は食べられないな。」の気分だ。それなのに注文は既に漬け物と、砂肝、カシラの焼き鳥を二本ずつした後だった。
  「後悔先に立たず。」で、ともかくじわじわ飲み食いする。酒も一杯でやめるわけにはいかない。ともかく注文したものは完食しようと、焼き鳥4本を焼酎二杯で飲み下したが、さすがにお通しの枝豆と、大根の漬け物は残ってしまった。これ以上呑み食いはできないので店を出る。
  雨は降り続いていたが、少しでも腹ごなしになればと、タクシーは利用せずにとぼとぼ歩く。宿を出る時は、この冬の雪見酒紀行で偶然立ち寄った奇矯な居酒屋おおとろにハシゴしようかと思っていた。そして歩いている間もこの可能性は残していたが、宿の前まで戻り着いて、とり畔を出てから事態が少しも改善されていないことに愕然とする。おとなしく部屋へ帰り就寝した。
  しかしなぜあれほど満腹状態が続いたのだろう。あれこれ考えても思いつくのは糖質制限食しかない。始めてから2、3ヶ月のことだが、食が細くなったというか、少量の食物で満腹感になり、その後かなり時間がたっても空腹感を覚えないような体質に変化したことはしばらく前から意識していた。しかしこれほどとは. . . .

9.秋田で途中下車
碇ヶ関付近の沿線新緑。10時41分。
大館付近の沿線新緑。11時5分。
  16日は雨上がりの朝となった。青空はのぞき日も射しているが、まだ雲の動きも速く落ち着かない感じだ。10時25分の特急つがる4号で秋田へ向かう。
  この日の目的地は鶴岡だけれど、途中下車して昼飯昼酒を考えた。あれこれ思案しても時刻的に妥当なのは秋田になってしまう。しかしこの条件で列車を探したら、中々思うように行かないものだった。
  普通の旅行者ならば、つがる4号で秋田に12時23分に着き57分の、いなほ10号に乗るだろう。しかしこれでは昼飯の時間が全く足りない。しかし次の秋田発は3時16分の普通列車で、おまけに酒田で乗り換えなければならない。
  それでは秋田にもう少し早く着けないか?弘前9時2分発普通列車を大館で乗り換え秋田着11時47分。これもちょっと昼飯昼酒が忙しなくなりそうでやめることにした。3時間弱を秋田で潰そう。
  定刻に秋田到着後、橋上駅の西口から街へ出る。目指したのは徒歩5分で行ける迎賓館だ。名前は悪趣味だと思うが、駅から近くかつ昼飯昼酒に適した店だ。雪見酒紀行に何回か登場したNさんが数年前に教えてくれた。
漬け物盛り合わせ。中央がいぶりがっこ。
デミ味噌煮込み。
(はたはた)の三五八焼き。
ギバサ酢。
  ところが辿り着いてみると店に人の気配はない。入口には夕方からの営業を告げる貼り紙が1枚あった。
  時間はたっぷりあるものの、風が強く小雨もぱらつきだしたので、悪天候下に彷徨いたくはない。秋田駅近辺のことなどさっぱり判らないが、つい先ほど歩いてきた中通りまで引き返す。交差点で左を見ると対角に無限堂の看板が見えた。小洒落た居酒屋と見受けたがともかくランチ営業をしているようだ。好みの店ではないが、天候のこともあり贅沢は云わないことにした。
  入ってみると時分どきなのでそこそこ混んでいるが、6席ぐらいのカウンターに客はいない。酒が飲めることを確認の上、此処に坐ると焼酎の6:4水割り氷なしを注文し、お品書きを見る。
  ちなみにこの店は稲庭うどん、稲庭そうめんの製造販売をする会社の直営店だった。本来は食堂だが特に夜は酒関係も充実している。お品書きを見てお昼の一品料理グループから自家製漬け物盛り合わせを頼んだ。もう少し酒の肴になるものがないか訊くと、「こちらは夜限定となっていますが、多少お時間を頂ければお出しできます。」の答えだった。時間を潰したいから望むところと思う。
  夜限定から(はたはた)の三五八焼きとデミ味噌煮込みを注文した。ちなみにデミ味噌煮込みとは初見であったが、「煮込みには違いあるまい。」と思った。調べてみるとデミグラスソースと味噌を合わせたものを使う煮込みだ。食べた分には奇異な感じもしなかった。
  待たされたとも思わない時間で夜限定メニューも運ばれてくる。お品書きをもう少し散見していると、ギバサに目がとまった。2010年の雪見酒紀行で日本海に浮かぶ飛島へ渡り、此処の民宿で出された一品にあったものだ。もっとも飛島のギバサと秋田辺りのものは種類が違うと云われたのだが、ともかくギバサ酢も追加注文した。
  鰰の三五八焼きもよく知らないままの注文だったが、要するに鰰を三五八(麹、米を3:5:8の割合でよく混ぜ、1週間ほど熟成させたもの)に漬け込み、食べる時に三五八を洗い流して焼くらしい。パリッと焼き上がっているのは上出来だが、この状態で身をほぐそうとしても中々上手く行かない。面倒なので骨も柔らかかったし、頭から丸ごと食べてしまった。
  カウンターには、「禁煙席」表示プレートが置いてある。もちろん望むところだが酒の飲めるところでは少数派だろう。それが今回は青森のふく郎に続いて二回目となる。どちらもカウンターなのはテーブル席と異なり、見ず知らずの他人が隣になることもあり、こんな状態で煙害が直撃すれば苦情も出るのだろう。
  水割り焼酎はどこでもグラスが大きい。此処のはそれほどでもなかったが逆に何杯でやめるかが悩ましい。結局三杯飲んでツマミを完食し、店を出たのは2時近かった。しかしまだ1時間以上あり、風雨は強まっている。アーケードの架かる中通りを駅まで戻り、コーヒーショップを探したが落ち着けるような店がなく、再び中通りへ戻って茜屋珈琲店に入る。
  此処を選んだのは看板のロゴに見覚えがあり興味を惹かれたためだ。軽井沢駅前にある茜屋珈琲店で、カウンター席に坐ってコーヒーを飲みながら効いてみると、「のれん分けして貰いました。」と云う。しかし本店は神戸三ノ宮にあるフランチャイズチェーンで、各地にかなりの数があるらしい。店内は空いていたので南イタリア紀行の推敲で時間を潰す。
  3時16分発の酒田行き普通列車は定刻に出たものの、仁賀保辺りで線路が海岸沿いになると、強風の影響で徐行運転となった。以前雪見酒紀行で寝台特急あけぼのが徐行運転となったのもこの辺りだった。車窓から見る磯は打ち寄せる波で真っ白に泡立っている。
  酒田に着いたのは6分遅れだったが、乗り継ぎの新津行き普通列車は定刻発車で鶴岡にも定時の到着となる。
  インターネット(じゃらんnet予約サービス)で予約したスティ・イン山王プラザプレミアアネックスは駅から50メートルほどの至近距離にあり、屋根の下を行けるのは小雨だったとはいえ有り難かった。しかしフロントに辿り着いてみると、予約が入っていない。幸い空き部屋があったが、そこに幾らで泊めるかは、私が持参のネットブックを開き、予約確認メールを見せて決まる始末だ。
広々したカウンター。 お通しのグリーンアスパラ。
煮込み。 ノドグロ塩焼き。
漬け物盛り合わせ。 筍汁。
  部屋に落ち着くと既に6時半近い。カメラと傘を持って出かける。行く先はネットで調べた居酒屋せいごだ。ちなみに鶴岡の繁華街は駅から1キロ以上離れていて、駅前には居酒屋なども少ない。
  フロントでチェックインに手間取っている間に天候はすっかり変わり、表へ出てみると強風と本降りの厳しい状態になっていた。風上に向けて傘をかざすと、風圧ですぼまり直径が半分ぐらいになってしまう。宿から徒歩3分のせいごに絞っておいたことが幸運だった。
  荒天のせいか先客は一人だけだった。カウンター席に坐ると、例のごとく焼酎水割りを注文し、前に置かれたお品書きを見る。お通しはグリーンアスパラだったので、まず無難に煮込みを頼む。飲みながら店内を見回すと、ホワイトボードに掻き出された本日のお奨め中にノドグロがあった。
  3年前の雪見酒紀行で能代を訪れ、そこでブラリと入ったくすんだ居酒屋で塩焼きを食べたことがある。これが旨かったことを思いだし追加する。この魚に馴染みはないが、それもそのはずで超高級魚らしい。ぼうずコンニャクによると、「値段は小さくてもキロあたり2000円以上、釣りで大型なら1万円以上になる。」とのことで、卸値だろうから恐ろしい。なるほどホワイトボードにも時価と書かれていた。
  しかし小型だったこともあり、それほど高いものではなかったようだ。先走って書けば、漬け物盛り合わせや筍汁を追加し、水割り4杯を飲んで勘定は4,600円だった。
  話を戻そう。ノドグロの塩焼きは期待を裏切らない旨さだった。焼酎3杯目を頼む時、漬け物盛り合わせも一緒に追加し、4杯目の時にはホワイトボードの筍汁も頼んだ。
  4杯目を飲み干した時、料理も総て片付いた。8時近くなっていたので,私にすれば遅い時間だ。勘定を払って表へ出ると、まだ小雨は降っていたものの風は収まっていた。3分で帰り就寝する。

10.飲まなければならないわけ  
  明くる17日の土曜日は昨日ほどの荒れ模様ではないが、それでも小雨が降り続いていた。7時に朝食の様子を見にロビーへ行く。用意されているのは食パンと菓子パン、ジャム、バーターの類。飲み物はジュースとコーヒーだけだった。空腹を紛らわす最低限の食料といった感じで、日本のホテルとしては最低クラスの内容だろう。
  糖質制限を考えれば食べるものはなく、ジュースをグラスに一杯飲んで部屋へ戻った。
  9時にチェックアウトする。霧雨状態が続いていたので、折り畳み傘を片付けてしまった今、屋根の下を改札口まで行けるのは有り難い。新潟行き特急いなほ6号の自由席は5、6号車だ。乗車位置で待っていると霧雨を含んだ風が横から吹きつける。薄手の木綿カッターシャツの上に、これも薄手のジャンパーだけではかなり寒い。それでも、「10分ぐらい大したことはない。」とやせ我慢する。
  定刻に到着した列車に、先頭で乗り込んだ。酒田始発なのだが、6号車には誰も乗っていなかった。進行方向右側の窓際に席を占める。
  車内は25℃くらいの適温だけれども、冷え切った体は中々温まらない。体内から温めるために酒を考えた。幸い一車輌に5人くらいしか乗っていないから、この時間から飲み始めても眉を顰める人もいないだろう。
  それに荷物の中には持参したフラスコ入りスピリタス170cc、易国間で飲み残したいいちこ120cc、野の庵が土産に持たしてくれたじょっぱりの4合壜、昨日買ってまだほとんど減っていないミネラルウォーターの1リットルペットボトルなどがあり、少しでも荷物を軽くしたい。
  さらに車内販売のことを考えると、これだけ乗客が少なければ売り上げもほとんどないだろう。少しでも販売増進に協力するためには、ツマミでも買わなければならない。
笹川流れの眼鏡岩。
  これだけ理由があるので、好きでもない酒を飲むことにした。まずはいいちこの水割りだ。窓外には庄内平野の田圃風景が拡がっている。どこも田植えは終わっているし、休耕田も見えない。さすがに国内有数の稲作地帯だと思う。
  水田地帯を過ぎると、列車は海岸線を行く。崖が海辺まで迫り、僅かな平地に羽越線と国道345号線が並行して走り、所々にへばりつくようにドライブインなどがあった。この辺りを通過した回数はかなり多いものの夜行列車で深酔熟睡状態がほとんどだったので、改めて景観を楽しんだ。
  この後は新潟と高崎で乗り換え、軽井沢へ行く。愛犬ベルや友人と再会し、昼飯昼酒。その後は北軽井沢へ移動して夜の酒宴へと続く。しかし新緑紀行はこの辺りで終わりにしよう。

陸奥新緑紀行トップへ

黄昏紀行へ
inserted by FC2 system