北海シマエビ紀行

***目次***
1.北の大地へ
2.苫小牧上陸
3.北海シマエビ
4.ピンネシリオートキャンプ場
5.最北端を目指して
6.サロベツ原生花園
7.原生花園再訪
8.ドライブイン・ハッピー
9.神威岬
10.中山峠
11.旅の終わりに

ドライブマップ
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1.北の大地へ

  旅の発端は他愛もないことだった。航空会社の「バースデー割引」を利用して、どうせ割引ならば遠出しようと考え、昨年は同じシステムで沖縄へ出掛けたから、今度は北海道をその対象とした。該当する期間に誕生日の者が一人いれば四人まで割引が適用されるので、友人夫婦に声を掛けた。このTとは四十年来の腐れ縁で、ちなみにT、T夫人との三人旅は、昨年の沖縄旅行も同様であった。
  「六月下旬に釧路まで飛び、一週間程度でレンタカーなどを利用して道北を廻る」と、計画ともいえないような概要を決めたとき、Tが「割高な上、慣れない車を運転するよりも、カーフェリーで車を持ち込んだ方が良い。道具一式を積み込んで、オートキャンプを交えれば、旅の自由度も上がる」といいだした。車も免許も持たない当方としては、異論のあろうはずもなくこれに従う。
  そんな折りに、下北沢の隠れた名レストラン、マ・キュイジーヌ・オチのオーナーシェフから「道東に行くんだったら、高校以来の友達がサロマ湖で漁師をやってる。7月1日が北海シマエビの解禁だから、是非向こうで食べてみてよ」の、声が掛かった。勿論これにも異論はない。そんなことで6月29日に大洗から苫小牧へカー・フェリーで渡り、初日は然別湖でキャンプ、翌日サロマ湖へ向かうことが決まった。その後は成り行き任せで約一週間のつもりだ。

2.苫小牧上陸

 苫小牧港目前。しかしこれから接舷するまでに半時間近くを要した。
 

6月30日、定刻の午後1時半にカーフェリーへすていあは苫小牧港に接岸した。出発地の東京と、見た目は同じ晴天だが、爽やかさが違う。エアコンはとめて、窓から新鮮な外気を取り込みつつ走り出した。
  時分どきをほど良く(混雑時は終わり、遅すぎることはない)過ぎていたので、食事場所を物色しながら国道を行く。間もなく蕎麦屋を見付けて此処に寄った。引き戸を開けると、入り口脇で主らしい中年男が一心に蕎麦を打つ姿が見えた。傍らに置かれた石臼も、飾りではないらしい。
  免許を持っていないから、運転を交替するような可能性もなく、これを幸いに冷や酒と、つまみのナメコおろしを注文。T夫妻は直ちに食事に掛かる。この店が売り物にしているのは「田舎蕎麦」と称しているつなぎを使わない蕎麦らしい。急ぎ冷や酒二杯を飲んで、この田舎蕎麦をもりで食した。太目にしっかり打たれた蕎麦は、歯応えがその名に相応しい野趣を感じさせ好ましい。当てもなく選んだ店で、このような嬉しい不意打ちは、今回の旅が上手く行く予兆のように感じられ、相好が緩んだ。

 4時52分。正面に見えるのは芦別岳だろうか?
 

苫小牧から鵡川を経由し然別湖を目指しひた走る。一部は自動車専用道路無料開放区間なども利用するが、一般道路でも走りやすいことを、今更ながら有り難く感じる。何しろ見通しが良く、カーブはなだらか、交通量が少なく、信号もあまりないから、首都圏に較べれば同じ時間で倍以上の距離を稼げる。
  北海道の道筋に関しては全員が不案内なものの、カーナビゲーターなどという便利なものを装備しているお陰で迷うこともない。
  しかしそれでも日高町近辺に到達したのは4時近くなっていた。今日の目的地を富良野に変更する。然別湖まで行くには100キロの距離を残し、食材調達とテント設営の時間まで見込むと遅すぎるように感じられたことと、然別湖北岸野営場がオープンするのは7月1日からで、一日にせよ早い今日、彼の地の状況も判らずに遅く着くことは無謀と考えたためだ。
  国道237号線をそのまま辿り、占冠経由で富良野に着いたのは5時、駅構内にあった観光案内所でホテルリストを貰い、値段や場所で適当に選ぶ。ビジネスホテルに落ち着いたのは、5時半だった。ほとんど未知の場所を旅していることを考えれば、至って順調な進行といえよう。
  一休みしてから黄昏の富良野市街へ夕食がてらの一杯に出掛ける。一回りして外見から選んだのはその名を「土瓶酒」という居酒屋だった。名前から癖のある店を危惧したが、これは杞憂で一安心。時刻が早いせいか先客は居らず、カウンター席の一番奥まったところに落ち着いた。ちなみにコの字型をしたカウンターは外側のみならず内側も客席という、ユニークなものだった。
  主が自らの菜園で先程収穫した野菜を使ったお通しが美味い。焼き魚を所望すると、お勧めはナメタカレイ(滑多鰈)で、じっくり炭火で焼き上げられた干物は、体長およそ50センチ、家庭でそのまま焼けるサイズではない。食べてみると「お勧め」に納得、そして冷や酒に良く合う。気持ち良く杯を重ね、小腹が空いたところでラーメンサラダで仕上げる。Tには不評であったが、これもおいしく頂き、満足の晩酌晩飯であった。

3.北海シマエビ

 左(西)側の車窓風景。田圃の彼方になだらかな山脈が続く。
 

7月1日は前日にも増して気持ち良く晴れ上がった。7時にスタートする。富良野からサロマ湖まではおよそ200キロで、通常ならばそれほど早く出掛けなくても良いが、北海シマエビを下さる漁師のSさんが他出する都合などあり、昼頃までに伺うこととなっていたためだ。
  窓を開けて走行するとひんやりした外気が素肌に心地よい。旭川まで一気に走り朝食にする。ラーメンチェーンの山岡屋へ。チェーン店はできれば避けたいところだが、朝の8時に街道沿いの飲食できる店ということになれば、それ以上あれこれ条件を付けることなどできない。
  T夫妻はおとなしくラーメンだが、運転に関わらない当方は餃子で生ビールを飲む。早めに切り上げて辛みそネギラーメンを極辛で注文。一応辛いが極というほどでもないのを急いで平らげる。  

 
 丸瀬布道の駅。風変わりな建物は木芸館。
 

旭川から西へ石狩川の源流に沿うようにして進み、途中で層雲峡へと続く国道39号線と別れ、道の様相は一段と鄙びたものになる。眩しいような新緑の中を行き、北大雪トンネルを通過すると水系がオホーツク海へ注ぐ湧別ゆうべつ川に替わる。丸瀬布まるせっぷ 道の駅に到着したのは10時20分だった。
  此処で一休み。売店でこの地特産という椎茸とグリーンアスパラガスを購入後、木芸館の喫茶コーナーでコーヒーを一服する。
  この地方の基幹産業は林業らしく、隣接する広大な敷地は木材の加工乾燥場になっている。木芸館も構造材に木の集成材を使用して大空間を作り、館内には椅子、テーブルその他の木材加工品が展示販売されていた。

 キャンプ場で撮影した北海シマエビ。貰ったときはもう少したくさんあった。
 

丸瀬布からはそのままサロマ湖へ約50キロを走る。Sさん宅付近で多少迷ったものの、携帯電話などという文明の利器に助けられ12時前に到着できた。
  Sさんは高校時代、オーナーシェフのOさんと共にラグビー部に所属し、ウィングとしての活躍は、大学運動部から声が掛かるほどであったとか。この日もラグビージャージーをラフに着用、気さくな笑顔で迎えてくれた。 どうやら解禁日に旅程を合わせたのは大正解だったようだ。Sさんの話では(我々が上陸する前日の)木曜日まで雨続きの、寒々した日が一週間近く続いたらしい。
  これから友人を訪ねる予定と聞き、慌ただしくシマエビを受け取る。見事に茹で上がったエビの赤さが、見ただけでその美味を保証してくれるように思われた。北海道とはいえ、午後になり気温が上がってきたので、夕方食べるまでに万が一傷んだりすることを危惧し、クーラーボックスに入れる氷も分けて貰うことにした。
  漁業用大型冷蔵庫から氷をスコップですくい取るとき、Sさんは「ついでにこのあいだ(南極観測船)白瀬が持ち帰った南極の氷も. . . .」と、傍らの氷塊を砕いて、一キロくらいの塊もクーラーボックスに入れてくれた。数万年から数十万年掛かって圧縮された雪は間に圧縮された気泡を含み、ロックや水割りに入れれば、密やかな音を立てて気泡をはじかせながら溶けるとか。

 サロマ湖の原生花園。ハマナス。
 
ヒオウギアヤメ
 
 サロマ湖の東岸より西側を望む。
 

Sさんの出発を遅らせていると思えば気忙しく、お礼を述べてTが持参した加賀の酒、黒帯二本を渡し、記念集合写真を撮影。焦っていたため安全を期したデイライトシンクロが裏目になり、露出オーバー画像しか撮れなかった。安物カメラのポップアップストロボなどを信用したのが間違いだったが、「後悔先に立たず」であった。
  S宅を辞去して三里浜のオートキャンプ場へ向かう。オホーツク海と湖を分かつ砂嘴の先端近くにあり、やせ細った砂嘴の幅は100メートルほどになっているので、水上にキャンプするようなものだ。5分で辿り着いたまでは良かったが、思わぬ誤算があった。
  Tが持参した数年前に発行のオートキャンプ・ガイドブックには、4月下旬からオープンと書かれており、全くこれを信じ切っていたのに、いつからか7月20日からの利用に切り替わっていたのだ。土曜日のせいか他にもキャンプ目的の車が二、三台いて、強引にキャンプ場外の砂浜に設営するグループや、水場を探して辺りを見回る人などがいる。
  我がグループの方針は「場所にこだわらない、キャンプにこだわらない」の、柔軟いい加減旅行だから、まず場所替えを検討した。前記ガイドブックから比較的近辺を探し、中頓別のピンネシリオートキャンプ場をターゲットとする。流石に直行する前に電話を掛けた。名前その他を訊かれることもなく「お待ちしております」の返答だ。三里浜からはオホーツク海に沿って北上し200キロ弱。こちらの道路状況を考えれば三時間ほどで辿り着けそうだ。

4.ピンネシリオートキャンプ場

 
 オホーツク海を眺めながら快調に走る。
 

湧別までは つい先程通った道を逆走し、そこからはオホーツク海の眺望を楽しみながら国道238号線を行く。途中、紋別の郊外で昼食を摂った。ドライブインにしては広大すぎる駐車場を訝しく思ったが、良く見るとスキー場のヒュッテが通年営業し、ドライブイン的サービスの提供を すると共に、ゲレンデの一部がパークゴルフの場として利用されていた。運転手には失礼し、昼酒を冷やで二杯。
  興部おこっぺで 寄り道をして酒を仕入れる。「アルコールの手持ち」ということであればTが東京で車に黒帯の一升瓶を二本積み込み、カーフェリー船内で一本が空になったものの、もう一本残っている。しかし「せっかく南極の 氷を頂いた以上は水割りかロックで楽しまないと申し訳ない」ということになったのだ。サントリーの角瓶を買い、国道を外れたのだからついでにと、農協ストアーで味噌、シメジ、ネギ、豆腐などを調達し、ついでに道の駅に寄って「北海道オートキャンプ場ガイド」なる無料の小冊子を入手した。念のため三里浜の項を見ると、7月20日〜となっている。
  枝幸えさしで オホーツク海を離れ道道(北海道が管理する道路)を内陸部へ分け入る。鄙び方はかなりのものだが、分岐はほとんどないから迷うこともない。しばらくして国道275号線に合流すると敏音知ピンネシリ はすぐだった。4時にキャンプ場にチェックインする。

 キャンプ場案内平面図。
 
 シマエビをもっておどけるT。
 

小生にとってオートキャンプは初体験なので、他のサイトと比較することは困難だけれど、設備的には良いところだと思う。広々した野芝の設営地には、充分間隔を取ってテントが41張りまで可能 だし、車をほぼ横付けできるオートサイトはこのうちの15だ。
  各サイトにイス・テーブル・かまど、電源15A、水道などが設備されている。水道(流し)がテーブルから2メートルほどのところにあるのは有り難かった。使用料金は大人三人で設備使用料など全て含んで3,300円。これは安いと思う。
  テントを二張り設営し、食事の準備に掛かる。流しが近く、木のテーブルが用意されているから作業は非常に楽だ。火力はカセットコンロが二台、この辺りもオートキャンプならではで、担ぎ上げるならばこのような贅沢はできない。
  南極の氷が溶ける音を楽しみつつ(?)、シマエビをツマミながら、合いの手に生椎茸やグリーンアスパラガスを炙って食べる。しかしシマエビは一向減ったようには見えない。中高年三人がどれほど頑張っても食べきれる量ではない のだ。Tが近隣のテントにお裾分けに廻った。解禁日に棚ぼた的にシマエビが振る舞われたのだから、隣人達が驚きそして喜んだことはいうまでもない。
  愉快に飲みかつ食いしていたのだが、日が陰ってくるとヤブ蚊の襲来に悩まされるようになった。これは由々しきことで、蚊を追いながらの飲食など楽しくも何ともない。管理棟に蚊取り線香のことを尋ねると、15キロ車で走って中頓別の集落まで行かなければ商店はないらしい。
  往復の時間的問題もさることながら、僅かにせよ飲酒が始まってからの運転は拙い。苦肉の策で隣のテントに蚊取り線香の予備がないか訊いてみた。幸い「充分ある」と二つ返事で分けてくれる。シマエビの効用であろうが、まさしく「情けは人のためならず」であった。
  幸せに夜が更けて行く。

「最北端を目指して」へ続く