***目次***
1.タリン
  到着早々道に迷うタリンの宿、ブティック ホテル オールド タウン マエストロズレストラン・オールド・ハンザタリン歴史地区アエド・オコレストラン・タリンナタリンのスーパーマーケット下町散策アエド・オコレストラン・タリンナ再訪タリンの三日目ニグリステ教会アエド・オコレストラン・タリンナ再々訪
2.ヴォル
ヴォル行きバスRänduri Guesthouse(トラベラーズゲストハウス)ヴォル徘徊、 ジョージホテル再訪
3.タルトゥ
アカデムス・ホステルプスィロフ ケルデル(地下弾薬庫パブ)簡易キッチンタルトゥ逍遥
エストニア平面図

 
タリン市街平面図

  1.タリン
到着早々道に迷う
  成田発午前11時55分のヘルシンキ行きAY113便は順調に飛行し、午後3時半に着陸する。タリンへの乗り継ぎ便は4時25分なのでほぼ理想的な待ち時間だ。免税店でスモークサーモン200グラムを8.76€(1,165円)で晩酌ツマミとして購入した。
  ヘルシンキ、タリン間は双発のプロペラ機で、通路の両側に二席ずつと狭く、天井も低い。窮屈な感じは否めないがたった35分の飛行なので苦にならなかった。
 市内へ向かう路線バスから前方を見る。
   空港から市内へはシャトルバス的なものではなく、市内路線バスだった。考えてみれば空港の規模が小さく利用者も少ないから当然だけれど、何となく意表を突かれた。黄昏れる一般道路を新市街の中心部へ向かい終点はライクマ停留所だ。ここら辺は自宅で情報収集し、宿までの道筋も印刷したものを持参している。グーグル情報では徒歩8分となっていた。
  ところが困ったことに踏み出すべき第一歩の方向が判らない。太陽が出ていればそれを頼りに大まかな方角が掴めるが、既にとっぷり暮れている。しばらく辺りをうろうろするうちに、市街平面図があり現在位置も記されていた。これを慎重に検討し、方角を定めて歩き出す。
  最初のうちはグーグルマップと周囲の状況はちゃんと一致しているように思われたが、だんだん適合しなくなる。辿っている大通から右折すると宿は間近なはずだ。ともかく右折できるのは此処だと思い曲がってみると、地図との不適合は決定的なものとなった。
  折良く営業中のパン屋がある。此処に入るとオーナーらしい婦人が客と話をしていた。途切れるのを待って地図を示し現在位置を尋ねた。流暢な英語の答えは、期待していたところとは正反対で、地図から少し外れた辺りとのことだ。此処から目的地(宿)は遠いからトラムに乗ることを奨められた。
  礼を云ってパン屋を出る。方向音痴であることは充分自覚しているので、市街平面図で針路を定める時も充分慎重に検討したつもりだった。気分的に落ち込むがまだ6時ちょっと前と、時刻が早いので救われた。雨など降っていないことも有り難い。しかし吹く風は身を刺すようで応えた。
  せっかくの忠告だったがトラムは止めておく。不案内な土地で言葉も通じない可能性が高いから、間違った方向へ連れて行かれる恐れがある。移動速度が高いだけに間違った場合のダメージも大きくなる。
  10分ちょっとで出発点のバス停付近まで戻り、今度は正しい方向へ歩きだした。地図も現地と細かいところまで一致する。しかし宿のすぐそばまで行ってまた20分以上も迷ってしまった。今度はつまらない見落としと思い込みのせいだ。
  目指すブティック ホテル オールド タウン マエストロズのほぼ真ん前まで達しながら、なぜか看板が目に入らず、「この通りではない!」と断定的に思い込んでしまった。それからは付近を虱潰しに探しながらも、この通りだけは避けてしまったのだ。何とも情けない失態続きだったけれど、それでも何とか7時前にチェックインできた。

レストラン・オールド・ハンザ
  部屋に荷物を収めると、カメラだけを持って食事に出かける。フロントで市街平面図を貰い、近くに在るお奨めレストランを書き込んで貰った。
オールド・ハンザの外観。 店内。
  「二度あることは三度ある。」で、失態は引き続きお奨めレストランを見付けられない。しかし今度はあっさり諦め、自らの判断で外見から雰囲気のありそうに感じられだオールド・ハンザに入る。
  店内は照明が落とされずいぶん暗い。良く見ると蝋燭の明かりだけだ。空いているテーブルならば何所でも良いといわれ、壁際の二人席を選んだ。ウェイターは私の国籍を確かめ、日本語のお品書きを持って来た。
  このお品書きを見て店のコンセプトが判った。ギルドの商人が客をもてなした有様の再現だ。判りやすくいえば中世の富裕な商人達の宴会の再現だろうか。余りこれを忠実にやると、料金がとんでもない高額になりそうだから、其処は適当に調整されている。
  何しろ暗いし老眼なのでお品書きを読むのに苦労した。前半部分はコース料理で、「豊かな商人のクリスマス家庭晩餐」、「ギルド商人の土曜の宴会」、「町議会議員の饗宴」、「王室の狩猟の饗宴」、などそれらしき名前がつけられている。
お品書き。暗かったので撮影が難しかった。
 
 お品書きのアラカルト部分。

  値段を見ると金持ちの宴会にしては安めで、37€(4,921円)から、一番高い「王室の狩猟の饗宴」でも72€(9,576円)だった。しかしどれも品数が多く、量的には不明だが食べきれない可能性が高い。ちなみに、「ギルド商人の土曜の宴会」は左にある画像のようだったが、読みにくいと思うので以下に書き出した。この翻訳に疑義を感じる方はこの店の英文ページをご参照下さい。
・フランス王宮の鳥のレバー ハーブ添え
・チーズのオーブン焼き ハーブ添え
・リヴォニア風ピクルス
・ロンドン商人のサフラン風味の野菜漬け
・格別の祝福を受けたオリーブの実
・香辛料商人のジャム
・ハーブとナッツ入りの白パンとベーコン入り黒パン
・館のクリームチーズ
・サーモンソテー 木の実のソース添え
・アラビア牛のフィレ肉
・栄誉ある料理人フレデリックのソーセージ(熊肉、猪肉、トナカイ肉)
       料理には沢山の野菜が添えてございます
・リンゴと蜂蜜のパイ アーモンドミルク添え


   結局食べきれない危惧によりコース料理は諦めてアラカルトの狩猟肉(ジビエ)グループから、「大商人ウェフレンの狩猟チームのウサギのモモ肉料理 茸のソースと厳選された香辛料を用いて」にした。ちなみに英語の Game meat で Game は狩猟を意味するらしい。
  あとはウェイターお奨めの白ワイン、カデ・ドック・シャルドネを一本、それに前菜(ツマミ)として鰊のマリネだ。
  ワインはすぐにもたらされたが、ツマミになるものが来ない。ワインだけ飲んでいるとついピッチが速くなりがちなので注意する。
  私が坐った席の前にあるテーブルは、他と較べると少し大きめで、古めかしいヴァイオリンとリュートが置かれていた。最初は単なる装飾として置かれているものと思っていたが、しばらくすると古風なコスチューム(多分中世風)を纏った若い女性数人がテーブルの廻りで、何事かの準備を始めた。
 古楽器ライブ。
  まもなく二人は椅子に坐り角笛と名称不明のリズム楽器をそれぞれが手にし、もう一人がその間に立って太鼓を胸の前に構えた。哀愁を帯びたメロディが流れる。古楽器のライブだった。
  私がテーブルを選んだ時はこのようなショーがあるとは夢にも知らず、単に四人掛けでは店に迷惑と思い、二人掛けを選んだだけだ。しかしライブは目の前で演奏され、正に特等席といえる位置だ。店のコンセプトからすれば、主賓として招かれ器楽による接待を楽しんでいると行った情景だろうか。ともかくこのような不意打ちは嬉しい。
  蝋燭だけの照明も雰囲気をより中世へ近付けるのに効果的だが、撮影条件としてはより厳しいものとなる。カメラの感度を拡張の最高であるISO25600に設定し、シャッタースピードはカメラ任せで撮影したが、低速だと1/15秒ほどになっていた。しかし撮影結果を見ると、この厳しさによるブレボケやノイズの発生が逆にプラス効果となり、絵画的な印象をもたらしたようにも思える。もちろんこれは偶然の産物で、残念ながら私の撮影技術とは無関係だ。
上:鰊のマリネとパン。下:ウサギのロースト。
  ライブが始まってから20分も経った頃にようやく鰊のマリネが運ばれてきた。蝋燭照明は古楽器ライブに対して随分効果的と思うが、ものを食べるには不適だと思う。何しろ食べているものが良く見えないから瀬踏みをするような感じで恐るおそる噛むような具合になり楽しくない。しかし一口食べてみて好みのものだったから、あとは気持ち良く食べることができた。
  ライブは終了し10分以上、前菜に遅れること20分でウサギ料理がようやく運ばれてきた。お品書き情報ではどのような料理かほとんど判らなかったが、モモ肉にソースをかけながらじっくりローストしたものだった。
  ウサギ肉は以前ブルガリアで食べた時、肉に残っていた散弾をもろに奥歯でかみしめ、奥歯が縦に割れてしまうという、文字通り痛い経験がある。しかし今回はそんなこともなく安全に食べることができた。付け合わされたベリーの一種が甘酸っぱく、かつて経験の無い食べ合わせだったから印象が目新しく、そのせいもあり旨いと思う。
  勘定はウサギのロースト27.4€(3,644円)、ニシンマリネ5.3€(705円)、白ワイン34€(4,522円)だった。徒歩5分の宿へ真っ直ぐ戻り、持参のツマミとヘルシンキ空港で購入したスモークサーモン200グラム8.76€(1,165円)で、成田経由のスコッチ、グレンフィデックを飲み直す。
 落ち着いてこの日起こったことを考えると、三度も道に迷うとは情けないことだ。しかしお奨めレストランへ辿り着けなかったからオールド・ハンザに入ったし、迷わず宿へ着いていれば、古楽器ライブが始まる前に食事を終えて帰っていただろう。人間(じんかん)万事塞翁が馬か。

街歩きで目にとまったもの(その1)
上左:叙情的な看板だが、どのような商売か判らなかった。上右:鉄格子の門扉に着けられた装飾は牛だろうか?下左:いかにも靴屋の看板だが、それらしい店構えではなかった。
下中左:鍋の類らしいがこれも良く判らなかった。下中右:ラエコヤ広場で見た巨大マトリョーシカ。ロシア料理レストランの看板マスコットだ。下右:この熊も同じレストランのマスコット。

街歩きで目にとまったもの(その2)ー看板
左上:レストランらしい看板。右上:タウンホールに入居する中世(?)風食堂。三つの竜。竜の胴体にⅢ、下のアルファベットはDRAAKON。下左:市議会薬局。ラエコヤ広場の角にある、1422年に創業したヨーロッパ最古の薬局だ。下右:人形劇場。

街歩きで目にとまったもの(その3)ー看板
本屋。 ラエコヤ広場に面したレストラン。

街歩きで目にとまったもの(その4)
上左:パブの看板に簡体字で「欢迎」。上右、下左:民家の屋根に設置された風見鶏。いずれも素晴らしい。下右:ピック・ヤルグ(Pikk Jalg:長い足)と呼ばれる坂道で見た紅葉。

タリンの宿、ブティック ホテル オールド タウン マエストロズ
  此処4年ほど、海外での宿探しはもっぱらBooking.comを利用している。今回、タリンの宿もこれを利用し、地図をみながら旧市街にあって値段が適当かつ利用者の評価点が高いところを探した。この評価点は評価者数が少なければ当てにならないが、千名以上などとなればかなり信頼できる。そんなことで選んだのがブティック ホテル オールド タウン マエストロズだ。
  宿を予約した時点での諸元(?)は、評価点8.4(とても良い)、評者数1,500、2泊朝食付き料金110€(14,630円)、部屋の広さ22㎡など。実のところタリンでは少なくとも3泊するつもりだ。しかし宿の立地や、部屋の実情、サービスの質などを確かめずに3泊予約する気にはなれなかった。シーズンオフだから宿泊の延長は容易だろう。
上左:避難経路図。上右:朝食堂のビュッフェ。下左:朝食に取り分けたもの。鰊のマリネやハム、ソーセージ、スクランブルエッグなど。下右:擦り切れた部分のあるベッドシーツ。
  実際の立地は、旧市街の中心といえるラエコヤ広場まで徒歩3分、大聖堂その他由緒ある建造物のある トーンペアの丘へ上っても10分かからない。宿は古い石畳の街路に沿ってあるが、車両の通行は至って少ない。部屋の窓から街路越しに向かいの建物が見え、景観といったものではないけれど、閉塞感はない。
  部屋の配置は風変わりなもので、かつて類例を経験したことがないものだった。エントランスホールに入るとこれに面して3部屋でこれはごく当たり前。しかしホールから奥へ延びる廊下に面してかなりの間隔を置いて3部屋あった。避難経路図を見てようやく理解できる。細長い建物をホテルに転用したためにこんな風になったのだろう。  
大型液晶テレビ。下のキャビネット内に小型冷蔵庫。
部屋の広さは既に22㎡と書いたが、これはBooking.comに記載されている値で、実際歩測などで部屋の広さを概算したところ、浴室も含めて60㎡以上あった。また(見ないから関係ないようなものだが)大型液晶テレビもあり、ブラウン管テレビがまだ生き残っているバルト三国ではかなり進んでいるといえそうだ。
  その他、小型冷蔵庫も有り、浴室は設備も良かったし、フルサイズのバスタブは久し振りの対面だった。その一方でベッドシーツに擦り切れたところがあったのは驚いた。古くなってというより、多分脱水機などではみ出した部分が擦り切れたのだと思うが、見ればすぐ気付く瑕疵を放置するのは、エストニアだとこの程度は気にしないのが普通なのだろうか。
  朝食はビュッフェ方式で、日本のそれに比べれば品数が少ないけれど、私には必要かつ充分なものだった。特にオールド・ハンザでも気に入った鰊のマリネがあるのが良い。

 タリン歴史地区
  10月28日の朝は気持ちの良い青空が拡がった。朝食堂の開く7時半に一番乗りした。空腹ということもあるがせっかちなのだ。朝食後にフロントで宿泊を2日延長した。
  部屋へ戻りインターネットで朝日新聞の夕刊、朝刊の紙面を閲覧した。便利ではあるが海外まで来て日本の新聞に執着するのもどうかと思うものの、出かけるには早過ぎるし他にすることもない。
  新聞を読み終わって今度はフェイスブック(以下FBと略)に、昨晩のオールド・ハンザのことなどを投稿した。旅先からの書き込みは話題性があって良いと思う反面、新聞と同じことでせっかく非日常性を求めて旅へでたのにそれが減少するようにも感じる。
  10時を回って外出した。トーンペアの丘を目指しつつ、途中ちょっと寄り道して昨晩は辿り着けなかった食堂、Aed Ökorestoran Tallinnas(タリンの庭食堂?)の位置を確かめた。あの時は気が急いていたせいか、路地を一本早く右折していたのだ。
アレクサンドル・ネフスキー聖堂だ
   左手にゴシック様式の重厚なニグリステ教会があった。しかし現在は教会としての機能は失われ博物館となり、中を見るのは有料なので後日ゆっくり見物しようと思う。坂は次第に勾配を強くし、階段混じりの径になった。
  まもなく傾斜が緩くなり、丘の頂部に達した。標高差にして30メートル弱を上っている。前方に煌びやかな正教教会が姿を現した。アレクサンドル・ネフスキー聖堂だ。
  先入観がなければ、撮影対象としてじっくり取り組みたい建物だが、1900年にロシア皇帝の権勢を示すために建立されたと思えば、何となくわだかまりが生じる。しかし1991年にソ連から独立後はそんな意味合いも薄れ、タリンのロシア正教徒にとって重要な教会となっている。
  ちなみにキリスト教国エストニアの主要会派は、ロシア正教会が15%、福音ルーテル教会が14%、エストニア正教会が2%で、残る7割は無宗教らしい。ちなみにソ連併合前は78%がルーテル教会に属していたが、併合後に無宗教政策がとられ、これによりルーテル派信者は激減したらしい。
  ともかくわだかまりはあったものの、3枚ほど撮影し内部を拝観する。入口に撮影禁止の表示があった。正教の祭壇は撮影対象として好まないので気にせず、ざっと内部を一巡して聖堂を後にする。
二本の尖塔はカーリ(聖チャールス)教会。


  北へ100メートルほど行くと聖母マリア大聖堂(トーム教会)がある。規模は小さく瀟洒な感じを受けるのは新教(ルーテル派)のせいだろうか。
  入口にはネフスキー聖堂と同様に撮影禁止の表示がある。ともかく中へ入ると、立入を制限するロープにより仕切られていた。主祭壇などを間近に見るためには(多分)3€(399円)、入場料を支払わなければならない。これまで随分色々な教会を拝観したが、普通は祈りのために設けられている部分は無料で、塔とか回廊に入る時に課金される。大した金額ではないけれど、撮影禁止と相俟って不愉快になった。
  踵を返し入口まで来たが、鐘楼へ5€(665円)で登れるとの表示を見て気が変わった。それほど高い塔ではないが、丘の上に位置するから、見下ろす中世都市タリンの景観に期待が膨らむ。
  小さな円形カウンターで5ユーロを支払い入場券を買うと、係のオヤジはカウンターを出て、塔の登り口まで案内してくれた。狭く急な螺旋階段を登る。余り高い塔ではないし、展望室は鐘の位置よりだいぶ下だった。それでも四方に広がる景色は天候に恵まれていることもあり満足できるものだった。
大聖堂鐘楼からタリン港方面の眺望。中央に聳えるオレヴィステ教会の尖塔は124メートルの高さがあり、タリンで一番だ。かつては159mの高さを誇り 1549年から1625年までは世界一高い建造物だったとか。   同じくアレクサンドル・ネフスキー聖堂。
中央にニグリステ(聖ニコラ))教会。  大聖堂の主祭壇。
  
壁に掲げられている貴族の紋章。
10分弱だったが訪れる観光客もなく、塔からの眺望を満喫した。教会へ戻ると先ほど切符を売ってくれたオヤジが、「教会内も撮影可能。」みたいなことを身振りで教えてくれる。入口に表示されていた撮影禁止は閲覧料を払わなかった場合に対するものらしい。
  教会内部はこぢんまりしているし地味な印象が強い。その中で目を惹いたのは壁に掛けられている巨大な紋章だ。良く意味が判らず何らかの装飾かと思ったが、後で調べたところ貴族(騎士団)の紋章らしい。この教会内部は珍しいことだが墓地として機能し、多数の墓碑銘や、墓標、石棺などがあり、それと同類のものとして紋章があるらしい。
トーンペア丘の展望台から見た風見鶏。
  大聖堂を出て、トーンペアの丘をさらに北へと進んだ。丘の外れで道は途絶えてしまったが、展望台があり此処からの眺めも素晴らしい。景観としては先ほど大聖堂鐘楼から見たものと似たようなものだけれど、20メートルほど先に位置した風見鶏が秀逸だった。
  風見鶏のデザインが優れているだけでなく、このような屋根の上に設置されるものを、仰ぎ見ることなく水平の視線で観察できるというのも希有なことだと思う。
アエド・オコレストラン・タリンナ
   ともかく丘の上で見たいようなものは一通り済んだので、この日の見物は終わりにし、昼飯態勢に切り替える。トーンペアの丘を下りて、昨晩は辿り着けなかったAed Ökorestoran Tallinnas(アエド・オコレストラン・タリンナ?)へ直行する。着いたのは12時10分で、開店していたが先客はいない。ウェイターが一人、手持ちぶさたな様子で待機していた。
a アエド・オコレストラン・タリンナの店内。
  テーブルは自由に選べるということで、中ほどの落ち着けそうな二人席にした。
  英文お品書きを見るとメニュー数は少ない。前菜こそ8種類あるものの、スープは2種類、ヴェジタリアン用が3種類、メインが4種類、デザート3種類といった具合だ。
  グルメとは縁遠い私だが、ちょっと寂しい感じがする。ともかく前菜からフレッシュ・ガーデン・グリーンは名前と使用材料からサラダと想定してこれと、日替わりスープをまず決める。メインの四種は「炒め白身魚」、「炒めダックの胸肉」、「羊脛肉の蒸し煮」、「ビーフサーロイン・ステーキ」で、結局ステーキとした。これにフランス白ワイン(シャブリ)を1本。
   注文してから5分ほどでワインが供され、さらに5分して焼きたての黒パンが手造り風のバターと共に出された。これを一口試食したところすこぶる旨い。元々黒パンなどは好まないのだが、ウェイターがこの自家製パンに関し、誇らしげに説明したのも宜なるかなと思う。材料、酵母、発酵、焼き方などの総てが卓越しているのだろう。
 自家製黒パン。  サラダ。
 日替わりスープ。  サーロイン・ステーキ。 
  糖質制限食を実行中だから、パンなどは最小限にとどめるか、そもそも手を着けない方が良いのだが、このパンは手を着けてしまったら止めることができず、結局食事を終えるまでに全部食べてしまった。
煎り大麦拡大画像。
  前菜のサラダも黒パンに引き続き運ばれてくる。お品書きには、フェンネルチップ、ザクロ種子、大豆、海藻ドレッシングを使った新鮮なサラダと説明されているが、上記以外にも葉野菜などが加わりツマミとしては良かった。ザクロは道路で弾け散っているのを時々目にするが、食するのは初めてだった。プチプチと口中で弾ける食感は面白いが、それ以上のものではなかった。
  そしてメインのステーキ。焼き加減や塩味などは良かった。しかし大量に付け合わせられた。煎り大麦は試食したものの口に合わず、おまけに糖質食だとなればこれは忌避した。
  1時間強の食事は満ち足りた気分で終わった。煎り大麦以外は完食し、ワインも一壜が空になった。勘定はサラダ4.5€(599円)、スープ3.5€(466円)、ステーキ16.5€(2,195円)、ワイン23€(3,059円)で、現金で支払い釣銭に2€足してテーブルに残す。 
 
 タリンのスーパーマーケット
   街歩きの前に、宿のそばにあるスーパーマーケットを視察する。宿から徒歩5分のショッピングと娯楽センターがあるデリスだ。ちなみにこの場所は宿へチェックインした時に市街平面図を手に入れ、現在位置と最寄りのスーパーマーケット、ATMの位置をお奨め食堂と共にマークして貰った。ここ数年は新しい街に着くとこんな風にするのがパターン化している。
  閑話休題。デリスは地下一階にあった。なぜかスーパーマーケットは地上階か地下一階にあることが多いのは日本とヨーロッパで共通している。階段を降りながら売場を一望し、広々した通路と売り場面積の大きさ、そして品揃えの豊富さに圧倒される。
デリスの売場は広々し品物も豊富だし質も高い。目を惹いたのは日本のスーパーマーケットならばまずないだろう高級酒売場だ。鍵のかかるガラスケースに並ぶ酒は当該画像の上段中央に置かれたもので2,199€(292,467円)の値が付いていた。
   売場の中を巡回して、階段からの第一印象が間違っていなかったことを確認する。これを紀行文で表現するには、やはり画像がどうしても欲しい。しかしスーパーマーケットは撮影禁止のところが多い。これは多分価格調査されることを嫌っているためらしいので、値札が見えないようなアングルならば良いかと思う。しかしあからさまにカメラを構えることには躊躇があり、胸の前にぶら下げた状態で、ファインダーを覘かず間だけで撮影した。店を出てからこれを調べると、撮影対象は概ね入っていたが、水平はほぼ全て傾いていた。掲載した画像はレタッチでこれを直したものだ。
 下町散策
  売場を一巡して晩酌に関わるものの所在を確かめると、スーパーマーケットの品定めは終わりにする。ソラリスをでて歴史地区へと歩みを向ける。城や貴族の館があった山の手地帯、トーンペアの丘はすでに一通り見ているので、下町地区へ行くことにした。ショッピングセンターからトラムの通る大通りを渡り、枝道をちょっと入るとヴィル門がある。かつては陸路でタリンに入る際のメインゲートだったそうだ。
下町の入口、ヴィル門。


ステーキハウスの人寄せ(?)牛の彫像。戯れに抱き合う女性をパートナーが撮影している。
中世の雰囲気を色濃く残す聖カタリーナの小径。
 タリンの街を歩いているとやたら寿司屋の看板が目に付く。トリップアドバイザーで検索したら22件もヒットした
   門を入ると右手には城壁に沿って露店が並ぶ。一応露店と書いたが城壁を利用背後を固め、日(雨)除けシート(オーニング)などを設置しているから、正確には何と呼ぶべきなのだろう。
  間口2、3メートルで扱う商品はニットが多い。かなり手の込んだ模様も目にするが、機械編みなのだろう。しかし店番をしながら、時間を徒に浪費しないよう、編み棒を忙しなく動かしているのを目にすると、ひょっとすればこの店に陳列されているのは手編み?などとも思う。しかしいずれにせよ購入する気は無いので素通りした。
  100メートルほどで露店が尽きると、左側にカタリーナの小径がある。16年前に訪れた時は、道路が(上下)水道の工事中で道幅一杯に掘り返され、訪れる人もなかった。しかし今日は行き交う観光客が途切れることなく続く。すっかり様変わりしていて、正に隔世の感がある。
オレヴィステ教会内部
  北へ向かい、20分弱でオレヴィステ教会に着いた。昨日大聖堂の鐘楼から遠望した教会だ。タリンで一番高い塔があるものの、シーズンオフのため登ることはできなかった。
  一応内部を見物した。二、三人の観光客がいたものの森閑として静まりかえっている。内装は端正といえばその通りだが眺めたり撮影対象としては物足りない。やはり此処もプロテスタント(ルーテル派?)の教会なのだろう。しかし私の写真は所詮まぐれ当たりなので、そんな暁光を多少なりとも期待して6ショットほど撮影した。
ストリートオルガン。
  教会を出てさらへ北へ向かうとすぐに城壁跡で、旧市街をでると外周道路がある。少し右(西)へ行けば城門や太っちょマーガレットの塔などがあったのに見逃し、踵を返してしまった。
  ラエコヤ広場の方へ向かいながら沿道の建物やその他、目にとまったものを撮影して行くが余り収穫はなかった。その中で一番興味を惹かれたのはラエコヤ広場の付近で見かけたストリートオルガンだ。
  この楽器を実際目にするのは初めてなこともあり、アンティークなのかそれともイミテーションなのか判らなかったし、音を出していなかったので演奏可能なのかも不明だ。置かれた目的は客寄せと思うが、それを実行している主体も見当たらない。しばらく佇んで様子を観察していたが、そろそろ昼飯・昼酒にしようとこの場は諦めて立ち去った。
アエド・オコレストラン・タリンナ再訪
  昨日に続きアエド・オコレストラン・タリンナへ行く。顔を覚えてくれたウェイターが笑顔で迎えてくれる。昨日と同じ席に着き、品数が少ないので改めて見る必要も無いようなお品書きだが、一応再読した。
  結局注文したのは前菜のテリーヌ、日替わりスープ、白身魚のフライパン焼き(パン・フライ)とチリ産白ワイン1本。
テリーヌ。 白身魚。
  ワインはすぐ供されたが、テリーヌは10分ほど待たされた。つい黒パンに手が伸びる。スープはさらに25分待ちだ。出されてみれば昨日と同じで、Soup of the day を日替わりスープと訳したのは不適当だったか。それにしても変哲のないスープをこれほど待たされるのが不可解だ。
  白身魚はそれから遅れること36分で、これに合わせるためにテリーヌとスープで時間を稼いだのか、はたまたエストニア人の食事は、始まりからデザートを食べ終わるまで、1時間半ぐらいになるようペース配分するのだろうか。
  待たされた印象が強かった分、料理の印象が薄い。テリーヌは可もなく不可もなし。白身魚はスズキの類だろうか。持参の箸を使ってできるだけ綺麗に残さず食べる。油をたっぷり使って焼いた魚は、日本で食べたことがないけれど、これはこれで旨いものだと思った。
  お品書きに、「付け合わせ」的な分類がなかったが、メインディッシュには充分な付け合わせが添えられている。これは昨日のステーキも(たっぷりの煎り大麦には閉口したが)そうだったし、オールド・ハンザで出されたウサギのローストも同様だった。これがエストニアの流儀と決めつけるのは早計かもしれないが、何となくそんな風に感じる。ちなみにお品書きに書かれた白身魚の付け合わせは、暖かい季節の野菜、アスパラガス、黄色 ズッキーニ、ケーパー、ハマグリだった。
  勘定は、テリーヌ5€(665円)、スープ3.5€(466円)、白身魚13€(1,729円)、ワイン19€(2,527円)。支払うとウェイターは持って来たレシートに平仮名で、「ありがと!」と書いてくれた。このことや寿司屋の多さ、オールドハンザの日本語お品書きなど、エストニアでは日本が割とブームなのかもしれない。

スーパーマーケットの出来合ギリシャ風サラダ。
インボイス方式(?)のレシート。推定だが薄赤く着色した上の方がペットボトルの保証金で、下の着色が消費税の区分。保証金以外は項目右側の区分が1で20%の税、保証金は区分が3で0%の税。
  宿へ戻り一眠りした後は、インターネットで夕刊を読んだりしてからフェイスブック(以下FBと略記)にアエド・オコレストラン・タリンナでの食事について投稿などする。
  6時近くなってスーパーマーケットへ買い出しに行く。午前中調べたところだ。あと二泊するし冷蔵庫も有るので、オレンジジュース1リットル1.3€(173円)、合鴨のロースト105グラム1.98€(263円)、ミネラルウォーター(炭酸)500cc0.99€(132円)、ペットボトルのデポジット0.1€(13円)、オレンジ1.49キロ0.57€(76円)、ギリシャ風サラダ152グラム1.14€(152円)など。
タリンの三日目
  三日目も10時半近くなって出かける。タリンの旧市街は700万㎡弱だから東京ドームでいえば17個分ほどのさほど広くないところだ。それに見どころは割に散漫なので、前日一通り見物したので行ってみたいところも思いつかなかった。それではなぜ他所へ移動しなかったかといえば、行きたい土地も思い浮かばずにいたためだ。
旧市庁舎の尖塔。 グレート・ギルド。
  ともかく散歩気分で、なにか面白いものが見付かれば拾いものだと思って歩き出す。ラエコヤ広場からピック通りへ出ると通りの左(北西)側にグレート・ギルド、これと向かい合う位置に聖霊教会が在る。ちなみにギルドの建物はタリンの中世建造物としては、旧市庁舎に次ぎ二番目に大きいそうだ。どちらも魅力を感じなかったが、ギルドの方は現在博物館なので敬遠し、聖霊教会に足を踏み入れた。
  入ってすぐの所に小さなカウンタが設けられ、これが入場券売場だった。大聖堂でも入場券が必要で、「祈を捧げる場に入るのに入場券が必要とは、これまでの旅で経験しなかったことだ。」と思ったが、大聖堂はまだ制止柵の外から多少の見物はできた。しかし此処では入場券を買わないとほとんど何も見えない。
  1€(133円)支払って柵の中に入る。タリンに現存するゴシック教会としては最古であり、また当時タリンを掌握していた北ドイツの商人達に対し、エストニア人のために建設された教会だという。その成り立ちが関わるのかかなり質素な感じを受ける。
かつては鐘楼の屋根に取り付けられていた風見鶏。そばで見ると大きい。   主祭壇。質素なのはやはりルーテル派故だろう。
二階席のパラペットに描かれた宗教画。どうやらアダムとエバ(イブ)の楽園喪失らしい。  パイプオルガン前面のパラペットに描かれた宗教画。こちらはキリストの磔刑と再生だろうか。
   15分ほどで聖霊教会の拝観を終え、ピック通りを再び北東へ進む。この通りは下町のメインストリートで既述のグレート・ギルドやブラックヘッド・ギルド、商館だった「三姉妹」などの建物をはじめ、往時の倉庫なども残っている。
  しかしそれぞれの建物にそれほど魅力が無く、実のところ案内図と突き合わせをせずに漫然と歩いていたら、グレート・ギルド以外はどれも見逃し撮影せずに通過してしまった。
  ちなみにブラックヘッド・ギルドはラトビアの首都リガにもあり、1941年6月のドイツによる爆撃で破壊されたが、99年に華麗な姿が再建された。名称が共通するので調べたところ、未婚の(ドイツ人)商人が作るギルドらしい。
   
 グレート・ギルド。

ジャック・ローゼンバウム(有名人らしい)設計のアールヌーボー建築。ドラゴン・アートギャラリー。
   ピック通りを北へ向かったが、昨日歩いているし再度みたいものもなく、途中で左折して西へ向かういい加減に道を選んで行くと程なく城壁にぶつかった。小さいので門というほどのものではないが、アーチの通路があって城外へ出られる。くぐってみると芝生の公園らしいところだ。かなり修復の手が加えられたのか城壁とその間に林立する塔の眺めが良い。
  修道院門付近の城壁と塔。背後に見える尖塔はオレヴィステ教会。
   数枚撮影したが城壁外はそれ以上の見どころもなさそうなので、先ほどのアーチから逆戻りする。城壁に沿った路地を歩き、修道院門まで行く。
 ニグリステ教会(アダムソン・エリック博物館)
   城壁巡りは終わりにし、下町中心部を経由して、昨日は素通りしたニグリステ教会へ向かった。ちなみにニグリステは英語ならばニコラ。東方教会および南イタリアで重視されたが、のちには西方教会全域にもその崇敬が広まった(ウィキペディア)。
  正面玄関から入ると、玄関ホールから教会内部への大戸は閉ざされ、警備員(?)から地下へ行くよう指示される。地下には大きな受付カウンターやクローク用のロッカーなどを備えたロビーになっていた。係りのオバサンがロッカー用のジェトンを渡してくれて、「帰りには必ず返すように。」と注意される。デイパックをロッカーにしまい、撮影可なのでカメラ一つを持って地上階へと階段を登る。
 博物館の展示品。左下は主祭壇で右下はその部分拡大。
   展示されているのは此処が教会だった時に使用されていたものと見受けた。博物館の冠名になっているアダムソン・エリックはエストニアでは高名な画家らしいが、1902-1968年だから、彼の作品とは思えない。
  展示されているのはほとんどゴシック美術のように見受けた。私の分類だから当てにならないこと甚だしいけれど,教会の創建が13世紀前半だとのことだから、それとの整合性はありそうだ。
  この博物館が収蔵する美術品で一番の目玉といえそうなのがバーント・ノトケの、「死の舞踏」なのだが、見逃していた。横幅が7.5メートルもある大作だから、ぼんやり巡っていても目を惹くはずだ。何らかの理由で公開が中断されていたのかもしれない。
ガラスケースの中に収められた木彫。 掲示されている説明書きにはcoat-of-arms epitaph(紋章墓碑銘)と記されていた。
  展示されているものに木彫が多いことに気付いた。これまで訪れたヨーロッパの教会で、彫像を見ることは磔刑像を別にすればほとんどなかった。なぜキリスト教会では彫像が少ないのか愚考するに、美術の果たす役割が違うためであろう。
  キリスト教の中核にあるのは聖書であり、神を信じることと聖書を理解することはほとんど同一のこと(?)であり、礼拝などで聖書の一節を朗読することは重要な行為となる。しかし庶民が文盲のため聖書を読めなかった期間は長く、この間は庶民に対し聖書の内容を理解させる役割を美術が果たした。聖書の内容は要するにストーリーだから、このような用途に使用する場合、彫刻や彫像よりも絵画の方がずっと効果的であり、また容易に作成できたと思われる。
  それに対し仏教でその中核にあるのは一種の哲学であり、僧侶はともかく庶民に対し、これを理解させようとすることはなかった。祈りを捧げる対象としては抽象的な概念(哲学)の具現化としては仏像の方が絵画より適していたのだろう。
アエド・オコレストラン・タリンナ再々訪
上:ランドスケープ・オン・プレート。中:ラム脛の蒸し煮。下:頑張って食べたけれど、これが限界。
  博物館内を一通り見物し、時計を見るとそろそろ12時なので、博物館をあとにする。指呼の間に在り、3回目となるアエド・オコレストラン・タリンナを目指した。
  2回の訪問ですっかり親しくなっていたウェイターと会えると思っていたが、生憎休みのようだ。失望するというほどのことではないけれど、空振りしたような気分になる。
  前菜のランドスケープ・オン・プレート(お品書きにそう記載されていた)とラム脛の蒸し煮に白ワインを一本。ランドスケープの方は思ったより少なめで牛サーロインの干し肉や、チーズ、兎レバーのパテ、ゼリー、赤カブのピクルス、新ジャガ、鰊のマリネなど多種多様で楽しめた。盛り付けにちょっとした工夫が感じられ、「これが Landscape(風景)のつもりか?」と思う。一方ラムの方は多いと想定していたその倍ぐらいあり、見ただけでギブアップ。半分食べるのがやっとだった。
  結局20分頑張り、付け合わせは全部残してラム肉に専念したが限界に達した。食事は終えたもののしばらくは席を立つ気にならず、そのまま休憩する。やがて胃袋が落ち着いた気分になり、勘定にした。ランドスケープが5€(1,131円)、 ラムが15.5€(2,062円)、ワインが23€(3,059円)でチップ3€(399円)を加え50€をテーブルに置いた。


 2.ヴォル
 ヴォル行きバス
上左:バスセンター。上右:自動券売機。
下左:液晶表示時刻表。下右:時刻表拡大図。中段当たりに9:30発のvöru行きが表示されている。
   10月30日はタリンからヴォルを目指してバスで移動する。この街に関する知識はほとんどなく、東南部では一番人口が多いことぐらいしか知らなかった。しかし旅程を大雑把にエストニアは十日とした結果、タリンとタルトゥ以外にもう一箇所行かないと暇を持てあますようなことになり、歴史があって人口の多いこの街が行く先となった。
  17年前にタリンからタルトゥに向かうとき利用したバスセンターと、多分同じ場所と思うが、建物は新しくなり、設備も近代化している。大型液晶パネルを利用した時刻表が印象に残った。
    自動券売機もあるけれど使い方が判らない。窓口は二つもあるので無難なこれを選ぶ。メモホルダーに用意した vöru 9:05 を示すことで簡単に購入できた。約250キロの切符が12€(1,596円)だった。切符はレシート状の用紙に、路線番号や出発地、到着地、発車時刻、乗り場番号、座席番号、到着予定時刻などが印字されている至れり尽くせりのものだ。1時頃に着くので、約3時間のバス旅だ。
  発車するとまもなく市街地を抜け、広大な農地に林や荒れ地が織り交ぜられた風景の中を行く。高速道路ではないけれど、整備が良い上に見通しがきき交通量が少ないので快適安全に走行できる。
  11時半にタルトゥのバスセンターに立ち寄り、終着地のヴォルに着いたのは15分遅れの1時10分頃だった。
Ränduri Guesthouse(トラベラーズゲストハウス)
ゲストハウスの部屋には名前が付けられている。英国の間、エストニアの間、ロシアの間、日本の間などだ。私が泊まったのは日本の間で、偶然なのか宿が配慮したのかは不明。インテリアに横浜から見る富士山の写真や、日本の概略を記した額などが掲げられていた。他の部屋も同様の趣向があるのだろう。
  ヴォルの宿もブッキングコムで予約したランドリ・ゲストハウスで、地図をオールド タウン マエストロズのフロントに頼んで印刷してある。バスセンターからは徒歩10分ほどの所だ。天気が良く時刻が早いから気分的に余裕を持って道を辿ることができた。
  迷うこともなく辿り着いたゲストハウスは、パブないしは食堂を兼業しているようだ。ともかく玄関から中に入ると、土曜日の時分どきと云うこともあるのか、家族連れでかなり混雑していた。バーカウンターの隣に小さいながらも独立したカウンターがあり、それがゲストハウスのフロントだった。
  予約を確認し、2階にある部屋を下見させて貰う。裏手の部屋なので交通騒音の心配はなさそうだ。実際にはヴォルの街を夜走行する車などまずなかったのだが。少し心配だったのはパブならば深夜まで騒ぐ客がいるのではないかだけれど、少なくとも今のところは1階がかなり賑やかだったにもかかわらずなにも聞こえてこない。
  フロントに戻りチェックインする。Wi-Fiのパスワードなどを教えて貰い、部屋に入るとまずはメールチェックをしたが、通販のコマーシャルなどどうでも良いものばかりだった。すぐにメールボックスを閉じ、カメラを持って食事に出かける。
  1階のバーカウンターに女将らしいオバサンがいたので、立ち寄って鍵を渡し、最寄りのお奨めレストランを訊いた。実のところ此処も食堂なので、この質問をするに躊躇はあったのだけれど、パブが本業で料理の方は内容も品数も少ないようだ。そんなこともあったのか女将はすぐにパブの二、三軒先にあるホテルのレストランを推奨してくれた。
上:シーザーズサラダ。下左:テンダーロインステーキ野菜添。下右:ステーキの焼き加減。
  四つ星のジョージ・ホテルで、まだ新築のようだ。二階建ての多分部屋数は8部屋ほどで、こぢんまりした宿だが、フロントは広々しているし、食堂の隣にはホールもあった。
  先客は若いカップルが一組だけだが、12人くらいの席がセッティングされていて、ちょっとした宴会があるらしい。壁際の四人掛けテーブルを選んだ。英文併記お品書きから、シーザーズサラダとビーフテンダーロインステーキ野菜添えにし、ワインは白の中でお奨めを訊き、中ぐらいの値段にしておく。
  シーザーズサラダが供されるまで15分以上待たされる。下拵えが済んでいればドレッシングをかけるだけで済むから、これほど時間がかかるのは最初から作ったのだろう。そのせいか味は良かったように思う。
  サラダに遅れること20分でステーキが運ばれてきた。真ん中でざっくり切って焼き具合を確かめる。注文通りのミディアムレアなので満足し食べ始めた。こちらも旨い。此処を奨めてくれた宿の女将に感謝する。パブで出されていたものは、瞥見しただけだけれどつまらない料理ばかりだった。多分安いのだろうが。
  隣の大テーブルには三々五々人が集まり、シャンペンの乾杯で宴会が始まった。どうやら七十半ばに見えるご婦人の誕生祝いに親戚が集まっているらしい。楽しげに飲み、食い、談笑している様はさほどうるさくなかったこともあり頬笑ましく感じられる。
  50分ほどで総てを平らげ飲み干し、食後のコーヒーなどは抜きで勘定にした。サラダ6€(798円)、ステーキ13€(1,729円)、ワイン15€(1,995円)。
  ホテルを出て、そのままこれも女将に教えて貰ったスーパーマーケットへ向かう。すぐそばのような話だったが以外に遠い。あとで調べてみたら1.1キロあり、この店以外に同じような大規模スーパーマーケットがバスセンターとの中間ぐらいにあった。こちらへは850メートル。さらに中規模スーパーで良ければ400メートルのところにあったのだ。
  ともかくこのスーパーでサラダ162グラム1€(133円)、ウォッカ80%500cc15.4€(2,048円)、ミネラルウォーター1.9リットル0.96€(128円)、容器デポジット代0.1€(13円)、ミネラルウォーター(炭酸)500cc0.44€(59円)、容器デポジット代0.1€(13円)、農民パテ0.95€(126円)、チーズ150グラム1.38€(184円)、レジ袋0.1€(13円)など。
  ペットボトルにデポジット料金が加算されレジ袋も有料など、エストニアの環境保全に対する意識はかなり高いようだ。しかしデポジットなどなしに、回収が行われればその方が余計な手間や経費がかからず望ましい状態だと思う。
  そこで日本の回収率を調べてみて驚いた。PETボトルリサイクル推進協議会の資料によると、2014年で回収率93.5%、リサイクル率82.6%だ。ちなみに同協議会の日米欧比較では2013年で日91.4%、欧55.9%、米31.2%となっている欧で括られているので、エストニアがどの程度なのか判らないが、少なくとも日本でデポジット制度などは必要ないようだ。
 ヴォル徘徊
宿の朝食。
  11月1日は静かな朝を迎えた。窓辺へ行き表の様子をうかがう。曇り空だけれど取り敢えず降り出しそうではない。8時半になり1階の食堂へ朝食を摂りに降りる。
  一応ビュッフェ方式だが、皿に盛られているのはトマト、胡瓜、ハム、チーズに茹で卵だけだ。保温容器があったので蓋を開けてみると空っぽだった。宿泊料も安いので値段相応といったところだと思う。朝食中に若いカップルが一組姿を現しただけで、いずれにせよ宿泊客は少ないようだ。
  食後に一休みして、10時を回ったところで街の見物に出かける。まずは南へ向かいタムラ湖を目指す。
     
 宿の周りにはかなり大型の木彫が置かれている。技量はかなりのものだしサイズ的にもアマチュアの作品ではなさそうだが、宿とどんな関係があるのだろうか。
   ヴォルの街は1784年にロシア皇帝エカチェリーナ2世の命により作られたそうだ。どのような目的があったのか不明だが、自然発生的な聚落ではないらしい。そのため街路も基本的には碁盤の目状に規則正しい。
タムラ湖。
  歩いていてもう一つ特徴に思われたのが集合住宅の多さだ。寒冷地だから戸建てより集合住宅の方が暖房効率が良いだろうが、これまで見てきたヨーロッパの寒冷地に較べ、その率が圧倒的に高い。1991年までソ連に併合されていたことと関係がありそうにも思う。
  10分足らずでタムラ湖の岸辺に着いた。この街は湖があるので夏のリゾート地であり、ウィンタースポーツならば近郊にハーニヤというエストニアでは一番有名なスキー場がある(但し起伏のないエストニアなので、アルペンではなくクロスカントリー)。そんなことで夏や冬には観光客なども多いらしいが、端境期の今はひたすら茫漠として吹く風が身に染みる。
かなりユニークな壁画なので由緒のある建物かと思ったが判らなかった。オーナーの気まぐれによるものなのかもしれない。ちなみにグーグルストリートビューでみることのできる2011年8月の画像ではなにも描かれていなかった。
  8枚ほど撮影し、湖岸の踏み分け径を東南東方向へ辿ってみる。5分ほどでこれ以上行っても仕方ないと見切りを付けた。
  宿のフロントには街の観光案内地図があり、チェックインのとき貰ったものを持参している。一応これを参考にしたものの、説明は街の由緒に関して書かれた部分以外は、総て(多分)エストニア語なのでサッパリだ。
  それでも画像が添えられている対象もあり、これを手掛かりに二箇所教会を訪ねた。それぞれ200年以上の歴史があり、それなりの風格はあるものの、それ以上の魅力は感じられなかった。
  この街に到着してバスセンターから歩いた道を逆に辿る。目的は三つあり、明日のバス切符の購入、途中で見かけたスーパーマーケットの視察(?)、そして印象的だった小川風景の撮影だ。切符は前日に買わなくても良いけれど、紀行文の取材と暇潰しを兼ねている。スーパーマーケットも似たようなものだ。
  バスセンターには待合室が設置され、その片隅に有人の切符窓口があった。しかし閑散としている。それも道理で、タリン行きは一日二本しかないし、その他ローカルバスの発着があるにしても本数はごく少ないようだ。ともかく10時半発のタルトゥ行き(終着はタリン)切符を5€(665円)で購入した。
  バスセンターからスーパーマーケットへ移動する。 店(チェーン)の名はMAXIMAでバルト三国とポーランド、ブルガリアで手広く商いをして年商は3千億円ぐらいらしい。ちなみに昨日いったのはリミ・チェーンでこちらも似たようなものだ。
バスセンターと宿の中間にある公園とも単なる空き地とも見える場所。原っぱといった呼び方が相応しいようにも思う。
  売り場面積は広く、通路の幅も充分の大型店だった。ちなみにリミもほぼ同様だった。品揃えも豊富だが、昨夕買い物したばかりだし、明日は移動なので荷物を増やしたくないため見て廻るだけにとどめた。
  マキシマを出て小川を見に行く。昨日瞥見したとき、特別なものはないのに何となく心惹かれたのは見直しても同じ印象だった。野原の中に続く踏み分け径を辿り、下流の方を見に行く。 
  こちらの方も、川から数メートル離れて、木造民家が散在するだけの風景だが、なにか心をなごませるものがあった。執筆にあたりこの時撮影した画像を見直しているうちに気付いたのは、護岸工事が一切なされていない、少なくともコンクリートなどはまるで見えないことだ。そんな自然そのものといった、日本では山奥にしか残っていないような風景が心に染みたのかもしれない。あるいはまた少年時代に焼き付けられた原風景が無意識のうちに蘇ったのか。
ジョージホテル再訪
   原っぱを離れ、一応観光案内地図の推奨コースを辿る。このような歩き方は好まないけれど、時間潰しと多少の運動になればの気分だ。再びタムラ湖岸へ出た。
  先ほどの葭原に較べれば、ビーチとして整備され夏場ならば雑踏するのかもしれないが、今は寒々とした景色であることは同じだ。そろそろ時分どきなので踵を返し、ジョージホテルへ向かった。
上:チーズサラダ。下:合鴨の梅ソース。
   昨日の食事に満足していたと云うこともあるが、今朝歩いた範囲でレストランは見かけず、昼食場所としての選択肢は此処か、宿の経営するパブしかなかったのだ。
 ジョージホテルに着いたのは12時を少し回っていた。先客はカップルが一組だけで、昨日と同じテーブルを選んで坐る。
  お品書きを再見しても、これはと思うものもなく、結局チーズサラダと合鴨のプラムソースにで、ワインは同じものにした。
  サラダはシザーズよりは早かったものの、それでも10分ぐらい待たされる。そして20分後に合鴨が運ばれてくる。味はどちらも良かったものの特筆するようなこともない。勘定はサラダ5€(665円)、合鴨12€(1,596円)、白ワイン15€(1,995円)。
  夕方になり近所の中規模スーパーマーケットで、ミネラルウォーター(炭酸)500cc0.5€(67円)、瓶詰めオリーブの実150グラム1.15€(153円)などを購入し晩酌を始める。
3.タルトゥ
アカデムス・ホステル
タルトゥ市街平面図
ヴォル、タリン間の長距離路線バス。タルトゥのバスセンターで。
   11月2日は10時にチェックアウトしバスセンターへ向かう。二泊分の料金40.5€(5,387円)は前日に支払い済みだ。センターの待合室は一人しか客がおらず、定刻までに多少増えたものの定刻の10時半に発車したバスは6人ほどの乗客だけだった。タルトゥへの途上、カネピで一度停車しただけでひたすら走り続け、タルトゥのバスセンターに着いたのはこれも定刻通りの11時45分だった。
ホステルの部屋には流しやレンジ、鍋、食器などが備え付けられている。
  宿はブッキングコムで予約したアカデムス・ホステルで徒歩13分ほどのはずだが、最初に踏み出すべき方向に自信が持てず、地図も印刷できていなかったので、タクシーを利用することにした。控えておいたホステルの名前と住所を運転手に見せて確認後に乗車する。料金は控えておかなかったので判らなくなってしまったが、10€(1,330円)以下で釣銭をチップとして渡したような気がする。
  ホステルが具体的にどのようなことを意味するのか良く判らなかったが、ともかく個室にバス・トイレが付いているので予約したが、フロントや廊下には飾り気がなく、こんなものかと思う。しかし部屋には流しと二口の電熱レンジがあり、両手鍋とフライパン、二人分最低限の食器とカトラリーが備えてある。もちろん冷蔵庫も有った。
  部屋の検分を終え、メールチェックも一通り終えたので昼飯に出かける。フロントで観光案内地図を手に入れ、お奨めの食堂の位置と名前を地図上にを記入して貰う。徒歩10分強らしい。
 プスィロフ ケルデル(地下弾薬庫パブ)
  地図を見ながら慎重に進み、ほぼ目的地のそばだと思われるところまで行って店が見付からない。番地を見ながら行くと、当該番地を飛び越してしまう。犬の散歩中らしいカップルに訊くと、有名店らしくすぐ反応してくれた。やはり行き過ぎていたようで、云われた通りに戻るがそれでも見付からずもう一度、そばで作業中の職人に尋ねた。
  表通りに面しているとの思い込みが誤りで、通りに沿った公園の中にある崖を利用して作られた、往時の弾薬庫を改装したパブだったのだ。辿り着いたのは1時15分頃だった。分厚い板戸を押し開けて中に入る。
上左:プスィロフ ケルデルの正面外壁と出入り口。ちなみに地下倉庫だったので露出する外壁や出入り口は此処だけだ。上右:分厚い板のテーブルとベンチ席が、一階、中二階、二階詰めて坐れば200人ぐらい収容できそうだ。
中左:入口付近から奥を見る。席の上などに並んでいるのは大ジョッキ。中右::グリーン・ガーデン・スタッフ・サラダ。下左:肉団子スープ。下右:ポークシャンク・オーブンロースト。
  分厚い板を使用したテーブルは6人掛け、詰めれば8人でも使えそうだが、椅子がベンチのため空いている今、先客はグループ以外だとバラバラに坐っている。
  天井が高いことと弾薬庫に関連があるのか良く判らないが、「世界一天井の高いパブ」との情報もある。ともかく独特の雰囲気を醸していることは確かだ。お品書きは、サラダと前菜、スープ、ビールのおつまみ、メイン・コースに別れていた。グリーン・ガーデン・スタッフ・サラダ、肉団子スープ、ポークシャンク(豚すね肉)・オーブンローストとモーゼルワインを注文する。ポークシャンクには30分かかると注釈があった。
上半分は余興のポスター。下はコンサートの案内らしい。
  ワインはすぐ供されたが、サラダが来るのには15分を要した。飲みながら待てば良いし、どうせメインには半時間かかるのだ。スープはサラダの10分後に、そしてポークシャンクはその10分後で順調な流れだ。
  すね肉の塊が大きすぎると食べきれないと危惧していたが、それほどでもなかったので一安心した。半時間弱をかけて、何とか付け合わせの茹でジャガイモを残して完食する。ジャガイモを残したのは糖質制限故だ。
  勘定はサラダ3.5€(466円)、スープ3.5€(466円)、ポークシャンク17€(2,261円)、ワイン17€(2,261円)。
  表へ出たときに玄関脇のポスターに気付いた。取り敢えず記録撮影し、執筆するにあたり調べると、日替わりの余興らしい。上半分に書かれている esmaspäve、tesilpäve、kolmapäve、neliapäveはそれぞれ月曜日、火曜日、水曜日、木曜日で KARAOKE はカラオケだろう。BEERPONG は卓球台のようなテーブルを挟んで二人が対戦する。それぞれの前にビールを入れたコップを並べ、交互に相手側のコップを狙いピンポン球を投げる。相手に入れられると罰杯として飲み干さなければならないらしい。
上左:ラエコヤ(市庁舎)広場の噴水は傘を差しながら抱き合って踊る男女。上右:市庁舎。
下左:ラエコヤ広場近くの歩行者道路沿にあった鮨屋。オーナーはユーモアのつもりかもしれないが、ヤクザとは趣味の悪い命名だ。下右:スーパーマーケットの酒類棚。品揃えが豊富だ。
簡易キッチン
  プスィロフ ケルデルを出ると、多少遠回りして市の中心部を歩く。ラエコヤ(市庁舎)広場さすがにそれなりの風格があり、広場を囲んで飲食店や土産物屋が多い。しかし曇り空だったこともあり、撮影された市庁舎はぱっとしないものだった。
  広場からリヤ通り(タクシーで通った大通り)を使って帰ることにし、歩行者道路を歩いて行くと、「Yakuza」などと趣味が悪い命名の鮨屋があった。チョークで書かれた看板には、「昼定食:スープ、サラダ、寿司、4.75€(632円)」と書かれている。安いと思うが内容がわからないからはっきり評価できない。海外で和食は余程特別なことがない限り食べないので、もちろん入店しない。ちなみに和食を食べたことがあるのは30年以上前にミュンヘンでドイツ人を招待したときの一回だけだ。  
部屋で茹でたグリーンアスパラガスとソーセージのつもりだったレバーペースト。
  鮨屋の隣にはスーパーマーケット・リミがあり、品揃え観察に立ち寄り、ついでに晩酌に不足しているものも購入した。タリンに来て生まれて初めて飲んだミックスベリージュースは旨かったので紙パック1リットル0.99€(132円)。
  他にはグリーンアスパラガス295グラム3.24€(431円)、ミネラルウォーター(炭酸)500cc0.59€(78円)、ペットボトル・デポジット0.1€(13円)、ソーセージ1.05€(140円)、ウォッカ80%500cc14€(1,862円)など。ちなみにアルコール濃度80%ウォッカは、コンパクトだから旅先で持ち歩くには良い。
  部屋に戻って一眠りし、6時になって晩酌の支度をする。備え付けの鍋でグリーンアスパラとソーセージを茹でた。塩は持参している。しかし茹で上がったソーセージを切ってみると、なにかおかしい。あらためてレシートを見直すと、レバーペーストだった。しかしそんなのも旅の恥はかき捨て。気にしないで晩酌を楽しんだ。
タルトゥ逍遥
玄関部分から見たカテドラル廃墟。正面奥の部分は修復されタルトゥ大学歴史博物館として使用されているらしい。
  翌朝は今にも降り出しそうな曇り空だった。デイパックに折り畳み傘を入れ、8時40分に街歩きへ出かける。最初に目指したのは観光案内地図にカテドラルの廃墟(Ruins of the Cathedral)だ。16世紀の宗教改革で廃墟と化したらしい。ちなみにデータブック・オブ・ザ・ワールド(2012)によればエストニアの宗教はルーテル派14.8%、正教13.9%、カトリック0.5%、無宗教37%となっている。
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