三角寺から民宿岡田までは14.2キロで、時刻は2時だから、時速5キロで進めば、5時前に着くことができる。とは云っても、常福寺(椿堂)までの6キロは緩い下り坂だから良いとして、それからは登りが続き、最後に境目峠越えが残っている。気を引き締めて前進を開始した。
舗装は良い状態を保っているが、交通量は至って少ない。人家はほとんどないし、三星ゴルフ場が倒産してからは
、山菜かキノコ取りぐらいしか訪れる動機もないだろう。静かな道を下ってゆくと、時折樹林の間から垣間見える、川之江方面の景観が美しい。
7.境目峠
平山で県道五号線に突き当たる。せとうちバスの路線でもあり、一日四本だけなれど、川之江駅などに繋がっている。しかし遍路道は県道を横切り、横川方面へ続いている。周辺は田畑になり、人家も散見されるが、相変わらず交通量は少ない。
高知自動車道の下をくぐって間もなく、急な坂を下ると椿堂だ。ここは番外霊場廿番札所の一つで、三角寺から雲辺寺へ向かう遍路道の路傍にあるため、歩き遍路をはじめ訪れる人は多いらしい。八十八カ所番寺の方では、その御威光を暈に横柄な態度を取るところも多くあると見聞きするが、この椿堂は良い評判ばかりだ。興味を惹かれたので覗いてみようかと思ったが、狭い境内に対し、参拝者が多かったので止めにする。巡礼ならぬ野次馬なのだから。
椿堂のすぐ下を金生川が流れ
、橋を渡ればすぐに国道192号線だ。この国道を川沿いに上流へ向かう。歩道も含め、道幅は広くないものの、交通量がさほどではないのが救いだ。両側から斜面が迫り、視界は狭く、かといって渓谷美とは無縁なところを、ひたすら耐えて歩く。
地図を見る回数がやたら多くなるのは、現在位置を確認する必要からではなく、この退屈な部分を歩かされるのが、どれだけ減っているかを認識して、歩く志気をいくらかでも鼓舞しようとしているのだ。
境目峠が近くなって、前方に白衣の遍路姿が見えた。有り難い。
「後ろ姿を目標」にするほどもなく、すぐに追い着いてしまう。六十代後半の男性遍路は、疲れているのか歩取りが重い。並んだときに声をかけた。「この時間だと、岡田さんにお泊まりですか?」。近辺に他の宿はないから訊くまでもないことで、頷くのを、「お先に失礼します。後ほど宿で」と追い越した。
100メートルほど先を、同じような年格好の遍路が、やはり脚を引き摺るようにして歩いていた。挨拶をして追い抜き、しばらく行くと国道と境目峠への分岐点にでた。道標が若干見難いこともあり、余計なお世話かもしれないが「あの二人に一言」と振り返ってみたが、姿が見えない。遅い歩みでも着実に前進していればさほど時間はかからないだろう。しかし休憩などしていれば、どれだけ待たされるか判らない。境目峠へ行けなくても、国道を辿っていれば迷うことなく岡田民宿には到達できるから、そのまま峠へ続く山道
(旧道)を登り始めた。
旧道を行けば、標高差が100メートル、歩行距離も200メートルほど多くなるけれど、トンネルを通らずに済む。855メートルの境目トンネルは、一応歩道も整備されているものの、排気ガスに包まれて、大型自動車の威圧するような轟音を堪え忍んで行くよりも、どれほど快適なことか。しかし意外にトンネルを利用する人も多い。一日歩き続け疲労がピークに達しているためか、はたまた、旧道への分岐を示す道標が判りづらいためだろうか。
一応舗装されている旧道から、さらに杣道に近い旧々道に別れるところには、岡田さんの手造り道標がある。一昨年はこれに@、A、Bで行き先が表示され、意味が判らず間違えた。昨年からは左を指す矢印に「民宿岡田」と書かれ、判りやすくなった。ちなみに@.
. . はへんろみち保存協会の地図で使用しているものだった。
杣道も、所々かつての舗装が垣間見える。伊予と阿波を結ぶ国道として使用されたこともあるのだろうか。登りの傾斜が緩くなると間もなく、舗装されて旧道に合流する。200メートルほどで境目峠を越え、緩い下り坂になった。視界が開け、吉野川の支流である、馬路川のなだらかな谷が直線状に延びている。10分ほどくだると、トンネルを抜けてきた国道が左下20メートルぐらいのところに見え、先ほどの六十代後半男性遍路が二人で、なにか励まし合うようにして歩いている。
旧道が国道と合流するころには、足取りの重い彼等二人の姿は、遙か彼方になっていたが、宿までは緩い下りを1キロちょっとだから、心配する必要もないだろう。
この日の道程57キロは無事終わり、民宿岡田に到着した。
8.岡田さんの艶聞
民宿岡田の門口近くで、岡田さんが迎えてくれる。
お年は八十くらいのはずだが、矍鑠たるもので、身軽に動き回って遍路達の世話を焼きつつ、分け隔て無く談笑して旅人の心を和ませる。
実は5年前にお会いするまで、漠然と狷介な老人を想像し、若干臆するところがあった。電話で予約をするときに、前神寺そばの湯之谷温泉から約60キロを歩くつもりと告げて、強硬に無理であると云われたのが影響したかもしれない。ちなみに「無理」と云うのは常識的な助言ではあった。ともかく無事60キロを歩いて到着し
てみると、厳めしい顔を瞬時にほころばせ、暖かく歓迎してくれた。これだけで臆する気持ちなど瞬時に霧散した
のだった。
6時から、心待ちにしていたこの宿での夕食が始まる。元は台所であったのか、流しのある6畳間(?)は、食卓を挟んだ泊まり客九人と、接待をしてくれる二人が入ると過密状態と云って良い。通常ならば欠点となるはずなのに、ここでは逆に、初対面がほとんどの間柄でありながら、短時間にうち解け
あえる力となっている。
冷や酒を所望する。通常ならば「面倒なので」五杯一気に並べてもらうのだが、5年前にオヤジさんから「そんなに急がんでも空になったらちゃんと注いでやるから」とのお叱りを受けたこともあり、一杯ずつ頂く。実際過密状態の食堂では、食卓に五杯並べるほどのスペースもないのだ。
いつものように、客同士、そしてオヤジさんを交えて遍路話に花が咲く。この宿に泊まるのは九回目という人もいる。先ほど部屋から「民宿岡田専用駐車場」の看板が目にとまり、気になっていたので訊いてみた。かつては此処の利用者は土木工事など
に携わる業者で、長期滞在が多かったらしい。それが1998年にNHKが教育テレビで4日間に亘り遍路道を紹介して以降、歩き遍路が急増し、ついに仕事関係の人達は長年の馴染みを除き、断るようになったとか。
オヤジさんがお連れ合いに先立たれて何年になるかが話しのきっかけだった。10年近く前に寡男となり、その後一人で2006年までお遍路さんの世話をしていると、その間に(詳細は聞き漏らしたが)住み込みで民宿経営を学びたいと望んだ女性がいたそうだ。
それを断ったと聞いて、隣のオバサンが「アラ嫌だ、それ、プロポーズじゃないですか!」と華やいだ声をあげる。岡田さんは返答を避けながらも、顔付きはまんざらでもない。ポツリと「中々美人だった。今は(どこそこで)民宿をやっている」と呟く。
その後もあれこれ談話は盛り上がり、一時間はあっという間に過ぎた。それでも酒五杯を飲み下し、ご飯を頂いて供された皿は全て綺麗に平らげる。勘定を済ませ、お接待の握り飯をお願いして、就寝すると、窓から静かに聞こえる馬路川のせせらぎが一日の終わりにふさわしい、落ち着いた心地にしてくれた。
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